旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

立川・阿豆佐味天神社

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あきる野市の二宮神社に出かけついで珍し神社がないかと検索したら立川市の「阿豆佐味天神社・立川水天宮・猫返し神社」を見つけました。これで「あずさみてんじんしゃ」とは読めませんよねぇ(苦笑)。さらには菅原道真ではない「天神社」でした。元々の「天神信仰」は国津神に対して高天原在住の天津神の総称で菅原道真の怨霊信仰とは異なるのですが、そのあたりは”いいじゃないですか”という事で…。
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今回は西武拝島線の武蔵砂川駅からTaxi(¥800)、帰りは立川駅へ路線バスを利用しました。「阿豆佐味天神社」は予想以上の神社でした。総本社は多摩郡瑞穂町にあり砂川は1629年に地域の開墾に伴い村の鎮守として創建されたようです。祀神は「少彦名命/すくなひこのみこと」と「天児屋根命/あやねこうあねのみこと」の2神です。
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境内社の数も多様で前項の養蚕の神・蚕影神社(猫返し神社)や安徳天皇。建礼門院らの立川水天宮。厄除の八雲神社、疫病除、縁結びの疱瘡社。五穀豊穣の稲荷社。火災盗難序の御嶽神社。縁結び安産の浅間神社。交通安全の金比羅社。疫病徐の八坂神社と多岐にわたります。昔から鎮守社として様々な願いを聴いてきた神社さんなのでしょう。
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立川・猫返し神社

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昔から身近にいた動物の代表は「猫」だと言っても良いでしょう。身近な割には猫を所縁とする寺社は意外と少ないものです。東京では招き猫伝承の杉並・豪徳寺や浅草の今戸神社(実際は捏造された伝承ですが)や新宿区南長崎の無量寺の猫地蔵、さらには港区赤坂の美喜井井稲荷などがあります。今回の通称「猫返し神社」はエッセイ部分を除くと話の傾向としては日本橋堀留町の三光稲荷神社に似ているようです。
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正式名称は「猫返し神社」な訳はなく立川市砂川町の菅原道真でない方の「少彦名命」を祀る阿豆佐味天神社(あずさみてんじんしゃ)の「蚕影神社」で祀神は金色姫命という養蚕の神との事です。この地は江戸時代は養蚕業が盛んで蚕を喰い荒らす鼠を猫が退治するという流れで建立された神社のようです。昔の飼猫は鼠退治の為にご飯がロクに与えられず腹減り状態で必死に鼠を捕まえていたという話もあるようですが(笑)。
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近くに在住のジャズ・ピアニストの山下洋輔氏の飼い猫が行方不明となり、氏が神社にお参りすると無事に帰還。これを繰り返すこと数度の顛末をエッセイに掲載したところ一気に猫返し伝承が広まったとの事です。ということは三光稲荷社と同じです。花街のお姉さん有名ジャズ・ピアニストの違いというお話です。
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山下氏の話が広まるにつれ猫好きの人々に参拝が増えたらしく、猫のデザイン絵馬、猫の石像、猫の手水舎となかなかの充実ぶりです。通常の雄猫の縄張りは意外と広く行方不明は珍しい事ではないのですが…。この「蚕影神社」は阿豆佐味天神社の境内社です。猫云々がなければ訪れる事も無かったでしょうが、実際は阿豆佐味天神社も良い感じでした。
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あきる野市・二宮神社…(2)

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梅雨の合間の晴れ日はデジカメの露出計が完全に騙されがちです。鳥居と社号標がある石段が二宮神社の表参道となるのでしょう。「二宮神社」調べて行けば行くほど疑問点が出てきます。だいたいが「天津神」が主祀神の神社はSF物語のようで未知の神々が次々と登場するのですが、少なくとも嵐=二宮は関係ありません。
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Pt↑)の向かい側に「お池」や「御手洗池」と呼ばれる湧水池があります。【日本武尊の東征途中でこの地で「国常立尊」を祀ったところ湧き出た湧水】との伝承があるようですが関東での日本武尊東征の伝承はあちこちに伝わっています…(苦笑)。水量豊富で透明度もあり飲料としても充分でしょう。古代の人々が集落を造るには絶好地です。
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この湧水池のほとりに「社宮社/しゃぐじしゃ」の社殿があります。ご祀神はよく判りません。説1は三種神器の「八咫鏡」を作ったとされる超マイナーな【石凝姥命】の説。説2は地元に根付いた民間伝承の神。まぁ2でしょうねっ。昨今は神域の池がキレイになった神社が増えていますがこの池の透明度はケタ違いです!
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あきる野市・二宮神社

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「大國魂神社」の関連で東殿の二の宮、あきる野市の「二宮神社」へ行ってみました。中央線を拝島で乗換えて五日市線「東秋留」下車徒歩5分程です。この神社【やばいよっ】が3ッ付く位のやばさです。やばいと云っても二宮繋がりで「嵐=二宮」の聖地なんて馬鹿は言いません(笑)。見渡せば多摩川の本支流を望む丘に涸れる事のない湧水に恵まれた人々の暮らしには絶好の場所です。地形的には浦和の氷川女體神社と良く似ています。
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神社の創建年は不詳です。「小河大神」・「小河大明神」や「二宮大明神」とも云われ、いまでも大國魂神社六所宮の一座なのですが、古代神社名鑑の「延喜式」に式内社との記載がない(そこまでの格式がない)という不可思議な神社なのです。ご祀神は国常立尊(くにのとこたちのみこと)と称する高天原在住の天津神で、古事記や日本書紀に記載はあるが実績がよく判らない神様です。社殿は平安時代に武将・藤原秀郷により造営され、鎌倉武士や徳川家と繋がりも厚かったようです。現在の社殿は江戸時代に建立されたもので、明治3年に現社名の「二宮神社」となっています。
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神社の格式を表すのは「延喜式」記載の有無とや明治年間に制度化され第二次大戦後に廃止された「近代社格制度」によるとされますが、現在とは歴史解釈も情報量も圧倒的に違い参考にしかなりません。この神社は社格云々より、この土地に生まれ暮らし死んでいった人達が敬い大事に守ってきた歴史が感じられます。鎮守神社はこういう存在なのでしょう。
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境内末社には伊勢神社・八幡社・八雲社・天神社・稲荷社・諏訪社等がありました。珍しいのは「荒波々伎(アラハバキ)神社」がある事です。この神様は何者なのかが良く判りません。元々はこの地に先住した東北系部族の神であり出雲系の部族が先住の民を追出し祀神を入替えたとの説があります。大宮・氷川神社にもそんな伝承があります。この地でも同じことがあったのかもしれません。先住者を排除してもその記憶は残すとはモロ日本的です。
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拝殿と本殿を横から見ます。この造りは「三間社流造」だそうで幣殿が通路状になっています。社殿は東向きですが何故なのか北向きの扉があります(電柱の後方)。本殿内部には室町時代造営の宮殿があるそうで鞘堂的な構造になっているのでしょうか?9月の例大祭は通称「しょうが祭」と。云われ”しょうが”を奉納し夜には東京唯一の農村歌舞伎を伝承している都の無形民俗文化財の秋川歌舞伎が催されるそうです。たしかにやはい神社です。
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社殿位置から見下ろした景色、この方向が東のようです。いまでこそ住宅がありますが多摩川の本支流を見渡す丘に鎮座しています。この丘の下ると「東京の名湧水57選」選定の涸れることのない「二宮神社・お池」があります。川の流れる平地、山には獣たち、涸れることのない湧水。古代の人達が住むには絶好の場所です。
境内社の1)左から稲荷神社・天津社・八雲神社・八幡神社・伊勢神社。2)諏訪神社。 3)社務所です。
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足立区・西新井大師…(2)

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足立区指定有形文化財の「西新井大師總持寺山門」です。西新井大師は「フーテンの寅さん」の候補地でもあったようです。確かに柴又帝釈天と雰囲気が似ています。時の流れと言えばそれまでですが「フーテンの寅さん」を知らない若い人が増えています。西新井大師は2014年以来なのですが、山門前が妙に小奇麗になっていました。2017年に保存修理工事がされその際に山門の位置が6mほど移設されたそうです。門前が広く感じたのはその為でした。
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平日&自粛で休みの店も多いようです。門前の草団子屋の両巨頭清水屋と中田屋(休み)は健在でした。草団子は日持ちがしないので試食で充分なのですが試食したら購入せざるを得ません(苦笑)。参道の商店も商売替えや建替え等で記憶とはかなり違ったものになっています。それでもPt↓)の様な店もまだ残っています。そういえば大師駅前の雑居ビルには居酒チェーンの「養老の滝」がありました。懐かしい限りです。
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足立区・西新井大師…(1)

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足立区西新井の山号「五智山」寺名「五智山遍照院總持寺」の真言宗豊山派のお寺というより「西新井大師」の方が知名度があるでしょう。最寄駅は東武西新井駅から1駅だけの支線「大師前駅」で下車、2014年6月以来の再訪です。”厄除け”の付く弘法大師(空海)を祀る寺院は「関東厄除け三大師」の西新井大師、川崎大師、観福寺大師堂で、”厄除け”が付かない「関東の三大師」は元三大師を祀る佐野厄除け大師、前橋の青柳大師、川越大師となります。
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仏教知識の乏しい身としては、弘法大使・空海が中国から持ち帰った真言密教は難解な宗派です。曼荼羅・印・護摩法・即身成仏云々超人的な神通力の世界となると難解の極みです。この西新井大師は弘法大師が西新井を通りかかった際に観音菩薩の神託を聞き天長3年(826)に寺院を建立したことに始まるようです。Pt↓)《四国八十八箇所お砂踏み霊場》=四国霊場巡りの簡易的体験ができます。《弘法大師立像》四国行脚時のお姿で錫杖を突けば池やら温泉やらが。
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府中市・大國魂神社…(5)

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大國魂神社の神社HPに案内がありますが神社近くには数社の「摂末社」が鎮座しています。【瀧神社】は東府中駅から徒歩7分位でしょうか、大國魂神社の例祭ではこちらの滝で身を清めるそうですがホントかよと思います。崖状の傾斜地にあり、お社はパッと見ると「おみくじの販売機」のようです。ご祭神は加茂別雷命・玉依姫命・加茂別建角身命とあり大國魂神社の「水神社」はこちらから分霊されています。
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場所がら競馬関係者の住宅が多いようです。京王出臍線「府中競馬正門前」の線路際には応神天皇を祀る【武蔵国府八幡宮】があります。聖武天皇の時代に一国一社を京都の石清水八幡宮から勧請しています。地図でみると”八幡町緑地”となっていますが荒れ気味の雑木林のようです。神社の整備補助は無理でも緑地の整備なら予算は付くでしょうに…。
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更に情けないのが少名彦命(スクナヒコノミコト)を祀る菅原道真でない方の【天神社】です。隣の日吉神社の方がそこそこ立派なので天神社を見つけた時は町内会集会所物置かと思いました。大国主命と共に国造りに携わった神が祀られ、さらにはあの近藤勇の天然理流の試合が行われた場所でもある天神社がこのありさまとは…。
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続いての「境外摂末社」は府中本町駅から徒歩5分位の【坪宮】です。ご祀神は兄多気比命(えたけいのみこと)で大國魂大神以前に武蔵国国造の神なのです。大国魂神社のくらやみ祭り例大祭でも特に重要とされるお社です。
ついでと云ったら語弊がありますが東府中駅から坪宮まで約2時間かかります。こんな社寺もありました。 1)坂の名は「天神坂」天神さま隣の「日吉神社」、近藤さん達が暴れたのはこの神域では…。 2)真言宗豊山派の妙光院です。多摩八十八ケ所霊場の23番だそうです。 3)妙光院隣接の天台宗の慈覚大師の開山による安養寺です。
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府中市・大國魂神社…(4)

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大國魂神社から北方向へ続く「馬場大門欅並木」は源頼義・義家の親子が「前9年の役」で奥州へ向かう途中で戦勝を祈願、凱旋時に欅苗木を奉納したことによります。欅並木途中には源義家(八幡太郎義家)の像がありますが、この親子はとにかく神頼みの戦勝祈願ばかりしています。奥州豪族の阿部氏の反乱の前9年役は実質12年続き、親子は味方が10名以下となるほどの大敗を喫し、辛うじて清原氏の加勢で辛勝します。「勝利凱旋」なんでしょうかねぇ。
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旧甲州街道と府中街道の交差点の「府中高札場跡」です。江戸時代、宿場の中心地に幕府の政策や禁止令など生活に密着した多岐に渡る情報を高札場に掲示します。故吉村昭氏の作品の「桜田門外の変」の指導者・関鉄之助(高野長英)の指名手配情報も掲示告知されたのでしょう。似顔絵とプロフィールの捜索情報ながら検挙率の高さには驚かされます。高野長英の場合、生国・陸奥、丈高く太り候方、面長にて角張候方、色白く、眉毛薄く、目尻下がり、黒目赤き方。これで「アイツ怪しいゾ‥」となったのですかねぇ(?)
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武蔵野線・府中本町駅前は東京競馬の開催がないと閑散としています。改札から大國魂神社へ向かうとガラ~ンとして広場があります。実はここは歴史的遺構で8世紀初頭に存在した武蔵国の国司館の遺構であり、1590年代には豊臣秀吉が小田原征伐と奥州仕置で関東に滞在した際に徳川家康が秀吉接待の為に造った御殿跡でもあります。元はイトーヨーカードの駐車場だったそうで、現在は「国司館と家康御殿史跡広場」となっています。
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府中市・大國魂神社…(3)

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拝殿から左廻りでの摂社です。こちらは「水神社」、水波能売命/ミズハノメノミコト、加茂別雷命/カモワキイカズチノミコト、玉依姫命/タマヨリヒメノミコト、加茂別建角身命/カモワキタケヌミノミコトの4神が祀られています。申し訳ないのですが存じ上げません。昭和58年に境外末社の「瀧神社」より分霊されたとあります。
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こちらは「松尾神社」。寛政12年(1800)に武蔵国の醸造家により京都の松尾大社より勧請されたとあります。ご祀神は大山咋命/オオヤマクイノミコト。酒、醤油、味噌等の醸造の守護神や開拓の神とされます。
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こちらは「巽神社」。ご祀神は市杵嶋姫命/イチキシマヒメノミコトとありますが弁財天のことです。芸術の神でもあり花柳界からの信仰が厚いようです。神社名の「巽」は元の鎮座地から遷座した際に本殿の巽の方角に置かれたので「巽神社」となったようです。本殿向かって左側に鎮座の摂社はここまでです。
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狛犬が置かれているのが「東照宮」です。徳川家康公を祀る東照宮は全国に数多くありますが大國魂神社は徳川家の庇護も厚く、近くには徳川家の御殿が造られ鷹狩りが行われていました。さらには家康公を久能山から日光へ移す際にこの地で過ごされた事から元和4年に徳川秀忠の命で造営されたと云われます。にしては地味ですが…(苦笑)。
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こちらは住吉神社と大鷲神社です。住吉神社のご祀神は表筒男命/ウハヅツオノミコト・中筒男命/ナタヅツノオノミコト・底筒男命/ソコヅツオノミコトで大阪住吉の総本社から分霊されています。大鷲神社のご祀神の大鷲大神/オオトリノオオカミは開運・商売繁盛の神として知られています。
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《神社は裏側は不可思議に溢れています》本殿の裏側の樹齢1000年ともいわれる大銀杏です。古社にはつきものの大銀杏とはいえ大変な巨木です。どれだけ多くの人々の願いを聴いてきたことでしょうか。大國魂神社は謂れは判りませんが北方向を向いています。晴れた日の午前中の写真は逆光気味となってしまいます。
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府中市・大國魂神社…(2)

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「武蔵国総社」と称される大國魂神社には様々な摂社が鎮座しています。京王府中駅から源頼義・義家親子が植えたとされる国名勝天然記念物「馬場大門欅並木」を進み、旧甲州街道を渡ると昭和26年の造られた高さ10m程の大鳥居と大國魂神社の社号標です。御影石の鳥居としては日本一と言われるようです。
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参道を進むと左に宮乃咩(みやのめ)神社のご祀神は天鈿女命(あめのうづめのみこと)、日本神話の岩戸隠れや転送ん降臨に登場する女神で「芸能の神」としても信仰されています。創建は大國魂神社と同年代のようで、源頼朝の妻の北条政子の安産を祈願したとされ「安産の神」で知られ”柄杓”を奉納するようです。本殿の造りが只者ではありません。
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「隋神門」手前の「手水舎」です。右側にという事は参道は右側通行なのでしょうが、神社HPでは記録に残る資料では神域のあちこちを移動しているようです。千鳥破風の屋根や多くの聖獣の彫刻など、ここまで立派な造りの手水舎はあまり見かけません。建物右の石碑は明治40年の「日露戦役記念碑」です。
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手水舎の向かい側には太平洋戦争時の郷土出征兵士を祀る「忠魂碑」と旧海軍の軽巡洋艦「多摩」の戦没者を祀る「軍艦多摩戦没者慰霊碑」です。Pt↓) 1.大鳥居を抜け右側の神戸(ごうど)稲荷神社です。旧町内名神戸の方々によるものとあります。2.)参道途中の「ふるさと府中歴史観」脇には「国史跡 武蔵国府跡」の石碑があります。国府はこの辺りからJR府中本町にかけてあったようです。
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府中市・大國魂神社

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府中は「武蔵国」の昔から政治経済の中心として、江戸時代には甲州街道「府中宿」として繁栄していました。この地に鎮座するのが「大國魂神社」です。神社HPでは創建は約1900年前の景行天皇41年(111年)とあり、大化の改新以降には武蔵国府が置かれ”国司”が武蔵国諸神を大國魂神社に祀ったのが起源のようです。”国司”が祭祀のたびに遠出するのが大変なので、この地にまとめて祀ったという事のなのでしょう。
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流造・切妻千鳥破風の拝殿です。慶長年間の徳川家康による社殿造営の際は幣殿(権現造?)があり、明治18年の改築時に現在の形式になっています。祀神の大國魂大神は大国主命と同神で、武蔵国の守り神として人々に衣食住、医療やまじないの術を授けられた神様で、今では福神・縁結び・厄除け・厄払いの神として知られています。
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工事中の為Pt)は2011年の撮影画像です。拝殿奥の本殿は東京都有形文化財指定で室町時代の神社建築様式の三殿一棟の姿を残しています。向かって左側(枝のかげ)は東殿として一ノ宮・小野大神、二ノ宮・小河大神、三ノ宮・氷川大神が、右西殿には四ノ宮・秩父大神、五ノ宮・金佐奈大神、六ノ宮・杉山大神が、中央の中殿には大國魂大神、御霊大神、国内諸神が祀られています。著名な六神を祀り「六所宮」とも称せられていました。
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一ノ宮(小野神社)は多摩市、二ノ宮の(二宮神社/小河大神)はあきる野市、三ノ宮(氷川神社)はさいたま市、四ノ宮(秩父神社)は秩父市、五ノ宮(金讃神社)は児玉郡、六ノ宮(杉山神社)は横浜市緑区と広大な武蔵国に点在しています。これでは国司の職務は大変です。一か所に集めたのは効率的と云えば効率的ですが…。
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神社の最寄駅は京王線・府中駅orJR府中本町ですが、京王府中の方が賑やかで食事処など豊富です。府中本町は史跡「国司館と家康御殿史跡跡広場」は最寄りですが、参道は「隋神門」脇に出てしまいます。Ptは旧甲州街道側の高さ10mの御影石製の大鳥居です。今の季節なら緑に囲まれた参道は気分の良いものです。参道途中の「宮乃咩神社/みやのめじんじゃ」は安産や芸能の神として人気があるそうです。
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平成23年に大國魂神社御鎮座壱千九百年(1900年)事業の一環で改築された「隋神門」です。高さ8.5m,幅2.5mで門扉だけでも高さ4.5m、幅4.7mあります。正面側には随神像、後面側には恵比寿・大国が納められています。隋神門の手前右側の「手水舎」はえらく凝った造りで各所にちりばめられた獅子、龍、獏、鳳凰などの聖獣の彫刻は実に見事です。
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隋神門と拝殿の間にあるのが「中雀門」です。朱に塗られた門は色彩的に異色感があります。塀は延べで80m、軒高2.5mで昭和44年に明治維新百年記念事業として改築されました。隋神門と中雀門との間には、お寺の「鐘楼」に対して「鼓楼」と呼ばれる時を知らせる太鼓を収めた建物があります。良く判らないのが左右に置かれた「亀石」と「鶴石」です。鶴と亀の姿でもなく鳥居の台座でもない自然石で恐らく「結界」を表すのでしょう。
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新座・平林寺…(2)

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新座・平林寺は山号が「金鳳山」の臨済宗妙心寺派のお寺です。武蔵野の雰囲気が残る境内林は43㌶と広大で昭和43年(1968)に国の天然記念物に指定されています。今回はJR武蔵野線・新座駅下車で向かいましたが、新座駅からの路線バスは本数が少なくバス利用ならば東武東上線・志木駅の方が良いようです。
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平林寺は1375年(永和元年)に現さいたま市岩槻区に臨済宗建長寺派の寺院として創建され新座の地へは川越・松平家により1663年(寛文3年)に移転しています。他の社寺と違い広大な寺の敷地はぐるりとフェンスで囲まれ参拝者は自由に立入ることができません。地図で見ると新座駅から歩いても近く感じますが、寺のフェンスに沿って参拝者入口までがはかなりの距離があり新座駅から歩いて40分程度かかりました。
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平林寺には僧侶の修行道場のお堂があり、一般参拝者が立入れない場所が多々あります。却って静寂とした環境となっています。埼玉県有形文化財の総門や山門、仏殿や川越松平家の松平信綱夫妻の墓所など見どころもあるのですが、むしろ鬱蒼とした境内の木々に圧倒されます。難点はデジカメには写りくい事なのですが…(苦笑)。
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新座・平林寺…(1)

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北海道なら”キツネに注意!”や道路に大書された”鹿の飛び出し注意!”は珍しくはないのですが、埼玉の秩父の山奥でもなく東京に隣接する新座市では(苦笑)。まぁタヌ公は里に住む動物ですから不思議はないのですが、交通看板が必要なほど住んでいるのでしょうか?国の「武蔵野の面影を残す雑木林」はタヌ公には絶好の環境でしょうし民家もあるので食べものにもさほど苦労することもないでしょうが…。
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埼玉県新座市の平林寺の境内は実に13万坪・約43㌶・東京ドームの9個分あるそうです。良くある話ですがこの「東京ドーム何個分」は野球のフィールドなのか、客席含む球場建物なのか、遊園地含むドームシティの事なのか判然としません。イメージでの錯覚狙いにしても、フィールドたいして広くはありません(笑)。平林寺境内林の43㌶と聞いてもピンときませんが歩けば判ります。東京近郊でこれだけ広い雑木林はもうないでしょう。
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Pt↑と↓は、平林寺総門前の睡足軒(すいそくけん)と云う国指定の天然記念物「平林寺境内林」の一画です。平成14年に平林寺から新座市へ無償貸与され一般開放されています。この様な経緯の場合はだいたいは市の管理は杜撰ですが、ここは充分に手入れが行き届いていました。1)新座市は「史跡・野火止用水」でも有名ですが、如何せんこの季節は緑が深すぎて絵になりません。2) 新座市のイメージキャラクター「ゾウキリン」がデザインされたマンホール蓋です。追及するのはやめておきます。3) タヌ公注意は他にもありました。タヌキ王国なのでしょうか?
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川口・峯八幡宮

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埼玉県南部は縦方向にJR各路線・東武伊勢崎線&東上線・西武線の路線がありますが横方向は武蔵野線のみで不便です。『峯八幡宮』もJR川口駅と伊勢崎線・草加駅のどちらからも不便でJR川口駅から国際興業バスで30分(¥260)と微妙な場所にありました。それにしてもバス案内では「峯八幡宮」で神社HPでは「峰が岡八幡神社」なのが妙ですが…。
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八幡様という事でご祀神は応神天皇・神功皇后・仲哀天皇、大分の宇佐八幡宮を総本社とする神社で全国的には稲荷社についで全国2位の数があります。関東では源氏ゆかりの「鶴岡八幡宮」から勧請された例が多く「峯八幡宮」には天慶年間(938年頃)に清和源氏の源経基の創建とする説と鎌倉時代に鶴岡八幡宮の社領のこの地に勧請との説がありますがいずれにしろ「源氏ゆかり」には変わりません。
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流石に住宅地化が進んでいて「壱の鳥居」の場所が判りません。県道から神池らしき所まで進むと、この先に鬱蒼とした木々に囲まれた参道が現れます。石灯籠がズラリと並んだ参道を200mほど進み石段を登ると「朱」鮮やかな鳥居が迎えてくれます。木々の緑と朱のコントラストがいい感じです。
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神社は川口市の新郷地区、昔の足立区古田領三十二村の総鎮守であったようです。鉄道や国道の発達から外れた事で”八幡の杜”の静かな環境が今に残っていて、大正年間に造営されたという「神門」もいい感じです。越谷・久伊豆神社、春日部八幡神社、峯八幡宮と東京都内に鎮座する神社とは違った姿が見られます。
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大稲荷社、諏訪社、御嶽社、須賀社などの境内社の点在する約7700㎡の神域には煌びやかなものは何もありません。1)八幡宮につきものの樹齢700年超の大銀杏はさすがの迫力です。2)拝殿、幣殿、本殿の並ぶ様はとても美しいです。3)石灯籠が建ち並ぶ参道…。なかなかの関東平野の古社です。
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草加駅で煎餅を

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子供の頃には我が町にも手焼き煎餅の店が何軒かあって通りかかるとお醤油の焦げる臭いがたまらんものでした。草加と言えば「草加煎餅」、街に漂う煎餅を焼く臭い…。そんなものはありゃあしません。駅近にあったのは1992年に創られた「お煎餅を焼くおばちゃんの像」。伝承では日光街道の茶店で団子を売っていた「おせん」というすばしっこいおばちゃんが、売れ残った団子を干して「焼餅」として売ったのが名物の草加せんべいの始まりとか…。そうかい!。
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国道4号日光街道は以前とルートが異なり、旧の国道4号は県道49号へ更に昔の日光街道も現存しています。昔日光街道は整備されPtの様な観光案内板も作られています。現実は行って納得できるのは「草加松原」しかありません。草加煎餅の店が50数軒と言っても名店は点在していて、なんかイメージとは違います。行きかう旅人が参拝したであろう八幡様・三峰様は朽ち果て寸前。登録有形文化財の「藤城家住宅店舗」はあぁそうですかという感じです。残念なのは氷川神社で学校内の敷地から遷宮とはいえ数ある氷川神社でも最悪レベルです。
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