旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

鴻巣・鴻(こう)神社…(2)

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鴻神社は鴻巣の総鎮守社として明治6年(1873)に近くの氷川社、熊野社、雷電社の三社をまとめて「鴻三社」としたのが始まりで、後に日枝社、東照宮、大花稲荷、八幡社を合祀して『鴻神社』とています。実際は更に多くの合祀神社があり、三狐稲荷神社、幸の宮弁天社、夫婦銀杏、なんじゃもんじゃ稲荷、疱瘡神、冨士講や裏手の合祀社には県内から稲荷社などなど、主祀神繋がりに意味不明感が漂う神社です。
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前回訪れた時は神社前のバス亭の名称が「雷電神社前」でしたが、今回は「鴻神社」に変わっていました。元々に雷電社があった場所が鴻神社となったので、バス停が「雷電神社前」だったのでしょう(笑)。神社入口には「鴻巣総鎮守」の看板が堂々としています。珍しいのは境内の「三狐(さんこ)稲荷神社」で、天狐・地狐・人狐の三狐を祀り縁結びや縁切にご利益があるそうです。五穀豊穣や商売繁盛とも伏見や曹洞宗系とも関連がないようです。
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よく勘違いされるのは「赤ん坊をコウノトリ運んで来る」のはヨーロッパでの伝承で日本にはありません。鴻巣の地名の由来となった「コウノトリ伝承」は子宝授かりとは全く違うものです。子宝祈願なら同じ鴻巣市の「三ッ木神社」が、あらゆる婦人病に霊験ありということで江戸時代は遠路遥々の参拝者で賑わいました。赤く塗られた猿の人形で知られる神社です。
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鴻巣・雛人形ピラミッド

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埼玉県には「人形の街」として全国的に有名な街がいくつかあり、昭和60年代には埼玉県の岩槻・鴻巣・越ケ谷・所沢で全国40%の人形生産数を占めていました。鴻巣市での人形制作も約380年の歴史を持ち伝統的な地場産業として伝わっています。ちょうどこの時期に行われているのが「鴻巣びっくりひな祭り」です。行事は以前から知ってはいましたが、これまでに16回も開催されてきたそうです。
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時節柄、例年とは違っていろいろと制約があったようで、イベントなどは縮小され人形の展示中心となったようです。公式ホームページには【ひな祭りは、古来、無病息災を願う厄払いのお祭りだったことで、お祭りの原点に立ち戻っての開催】とありました。人形展示は市内数か所の会場で行われ、JR鴻巣駅前の「エルミこうのすショッピングモール」がメイン会場で、高さ約7m、段数が31段の『日本一高いピラミッドひな壇』が造られていました。今回の展示された人形の数は1551体だそうです。
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会場は「エルミこうのすショッピングモール」のほか「コスモスアリーナふきあげ」、鴻巣農産物直売所「パンジーハウス」、産業観光会館「ひなの里」の4会場で行われているそうです。この「エルミこうのす」展示数が最大で、吹き抜けに築かれた大雛飾りは、下から見ても上から見ても流石の迫力です。
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新宿区・筑土八幡神社

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新宿区筑土八幡町の『筑土八幡町』です。神楽坂の毘沙門さん(善国寺)から遠くはなく、静かな佇まいです。千代田区九段北の平将門所縁の「筑土神社」と紛らわしいのですが、江戸城の田安門付近にあった「田安明神」が徳川幕府により筑土八幡神社隣に移転し「筑土明神」となり、その後300年の時を経て九段北に戻り「筑土神社」となったという歴史があります。神社入口の左には社号があり、右には「田村虎蔵」の顕彰碑があります。この方は鳥取県出身の童謡の作曲家で誰もが知る「金太郎」や「浦島太郎」の作曲家です。
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ご祭神は応神天皇、神功皇后、中哀天皇で嵯峨天皇の時代(809年ごろ?)、付近の老人の夢に現われた八幡神のお告で祀ったのが起源とされ、その後は慈覚大師により祠が建立され最澄の作らしき阿弥陀如来像を安置したとされます。神社由来ですから追及はヤメておきましょう。
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本殿に向かって右側に珍しい形式の「庚申塔」が残っています。寛文4年(1664)の作とされますが、太陽と月、桃の木に二匹の猿が彫られた庚申塔で、猿が三匹でなく牡猿、牝猿の二匹が桃の枝を持った姿になっていて、庚申に纏わる話が表現されています。猿の顔面が削られているのがやや残念です。新宿区の有形民俗文化財だそうです。
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神楽坂、筑土八幡町、牛込柳町と新宿区らしくない町名です。この近辺は起伏変化の多い場所で、神社は”小高い丘の上から見晴らす”といった神社ならでは鎮座地にあります。石段途中の石鳥居は享保11年(1726)に当時の下館藩から寄進された鳥居で、新宿区最古の鳥居なんだそうです。正直…ですが(苦笑)。神社すぐ隣でビルの建設工事が始まっていました。この景色が見られるのはいつまでなのでしょうか。

浜っ子の伝説 60周年…(2)

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1970年代のビーチ・ボーイズはブライアンは不在で、新作は売れず、レコード会社との確執も顕著となります。低迷する人気の逆転ホームランとなったのが1974年のキャピトルからの『終わりなき夏/Endless Summer』です。60年代のヒット曲が満載のLP2枚組は全米№1になり、ビーチ・ボーイズの大復活が始まります。1975年に『スピリット・オブ・アメリカ』と続け、1982年の『サンシャイン・ドリーム』では大コケ(CD化なし)します。懲りないキャピトルは【25周年記念盤】で『メイド・イン・U.S.A』は発表。2塁打程度のヒットとなりました。この3作品は目新しさはないのですが、アート・ワークには思い入れに溢れています。

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『終わりなき夏』発売の時点でキャピトルはビーチ・ボーイズの全作品を廃盤にして印税が入らないようにします。その後2000年頃にしらっと登場したのが『グレイテスト・ヒッッ 1/1962~1965』・『グレイテスト・ヒッッ 2/1966~1969』・『グレイテスト・ヒッッ 3/ベスト・オブ・ブラザー・イヤーズ』の3枚です。ビートルズの青盤赤盤のパクリでしょう。キャピトルも東芝EMI(当時)も雑な仕事ぶりで、日本盤の1662~1965、1966~1969はジャケが同じで収録曲数の違うものがあり、ブラザー・イヤーズはアメリカ・ジャケに腰巻を付けただけと愛情の”あ”の字もありません。英国EMI編集の『The Platinum Collection』は3枚組で60曲収録です。なにが良いかって「Surfin Safari」が1曲目で始まらない出来の良いBest盤です。
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浜っ子伝説の妙な(面白い)CD作品で企業とのタイアップ盤(限定販売→一般販売)です。マイクとブルーズとデビット・マークス(初期メンバー)のジャケが1998.年の『Salute Nascar』はアメリカのカーレースNascarの50周年記念にガソリンスタンド限定で販売されました。珍しく「Ballad Of Ole' Betsy」が再録されています。2001年にアメリカのスターバックス・コーヒー限定販売での『Summer Cruush Songs We Love To Love』はアメリカ土産で入手。一時、恐ろしい程のプレミアがつきました(笑)。1996年の『Stars And Stripes Vol.1』ではウィリー・ネルソンなどアメリカのカントリー・シンガーと共演しています。共演といってもコーラスに徹したビーチ・ボーイズの曲が12曲収録です。何故かVol.2が続かないのですが、実は大好きなCDです。もう一枚はEMIの100周年記念での1998年の『Perfect Harmony』です。記念盤とは名ばかりで特別な点はなく未開封です。EMI100年(?)なんじゃそれです(笑)。
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1988年の14曲収録の
『The Beach Boys' Christmas Album 』に未発表曲を加えジャケも変更しての『Ultimate Christmas/クリスマス・アルバム完全版』にはMono→StereoやテイクやSEの処理の違い、さらにはUS盤と日本盤と違いがあり重箱のスミを突いたらキリがないのですがクリスマス・アルバムが日本で好セールスなど聞いた事はありません。次は1965年のアルバム『パーティ』の2015年にオーバーダビングや効果音を消したセッション音源などを2CD・81曲で『ビーチ・ボーイズ・パーティ!~アンカヴァード・アンド・アンプラグド』として拡大版で登場。『ペット・サウンズ』 に続いて1966~67年にかけて録音された未完成のアルバム 『スマイル』 の音源集は様々な商品形式で”売らん館かな”がミエミエでした。『ペット・サウンズ』と同様に神格化が顕著ですが、当時のメンバーの力量で発表なら好評価はなかったでしょう。もう1点の『1967 - サンシャイン・トゥモロウ』は『ワイルド・ハニー』辺りのテイク違い未発表曲+同時期のライブを含んで2CD・65曲の収録(!)。

神楽坂・恙無きや…(2)

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【恙無きや=つつがなきやとは読めませんよねぇ】PtのTaxiがいるあたりから坂道は外堀通りへと下っていきます。下りきって登ると江戸城の牛込御門。江戸時代この坂道は階段状でした。江戸城へ向かう穴八幡からの祭礼の山車が休息して、神楽を奉納した事から「神楽坂」の謂れがあったと思います。少し前まではこの通りには「陶器屋」が多くそれも花街に由来するのかと思ったものです。大学がある関係なのか昼食の料飲店が目立つようになりました。
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毘沙門さんへ向かう坂道の途中、ダンス・シューズの店を曲がると昔の芸子見番の隣が「伏見火防稲荷神社」です。この路地道が「見番横丁」とは後付けのような気がしないでもないのですが(笑)。古くからの商店が老朽化などで消えて行っても、変らずに残るのは寺社仏閣やこの様な街の小規模な神社なのでしょう。
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この先が江戸時代に旗本の本多家があった事から「本多横丁」です。旗本=一万石以下身分なので、大した家柄ではありません。この角には以前「五十番」という中華屋さんがあって名物の肉まんが大層うまかったのですが、移転されたようです。横丁を進むと某ビートルお気に入りにの鰻屋等があり、坂道を下ると「筑土八幡神社」方面です。
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時が過ぎても変わらないのが山之手七福神の「毘沙門天」を祀る善国寺、神楽坂を象徴するようなお寺です。珍しいのは神使の「虎」の阿吽像でどう見ても「熊」のような珍しい虎像です。見逃しがちですが、右の虎像の台座に刻まれた「不」のような印は明治年間に測量を実施した時の目印「几号水準点」です。
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毘沙門さんの前の極狭い路地を抜けて行くと、これも神楽坂の象徴の旅館「和可菜」です。狭い路地・石畳の道・緩やかな石段はこれぞ「神楽坂」です。付近に出版社があり締切り間際の作家が「缶詰」となる「和可菜」は有名でした。玄関は映画「日本の一番長い日」の首相宅として登場、傷んだ板黒塀もキレイになっていて改築が始まったようです。嫌な予感がするのは担当が「赤城神社」や「神楽坂ラカク」や「某競技場」を手掛けた建築事務所ということは…。あ~ぁです。

神楽坂・恙無きや…(1)

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【恙無きや=つつがなきや=変わりありませんか?】
数年前の事です、街歩き企画で『神楽坂散策』が大当たり、週に一回ペースで飯田橋前に集合したものです。数年振りにやって来たJR飯田橋駅舎の変貌ぶりには驚きました。以前は何処となくショボさ溢れる駅舎だったのが商業施設と見間違えるくらいに立派になっています。完成が2020年7月という事は久しぶりどころの話ではありませんが…。
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以前の飯田橋駅西口は改札からホームまで50m以上歩きかつホームが弧を描いて造られいて場所によっては電車とホームが50㎝以上離れ、危険な感じがしました。今回の工事では駅舎の改築ばかりでなく総武線ホームの位置も変わっています。元々この駅は旧甲武鉄道の牛込駅と飯田町駅を統合して開業しており、今回の工事で新宿方面に約200m伸ばした事で、Pt↑)でのホーム先端が旧牛込駅になるようです
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飯田橋駅は変貌してもお堀を跨ぐ牛込橋も牛込御門跡も変わった様子は見られません。歩道の先の坂道からが「神楽坂」です。この坂道は午前中が下り一方、午後が上り一方通行となっており、某政治家の事実無根の都市伝説の元ともなりました。神楽坂はや大正時代に賑わった花街、少しばかり以前にはその名残りが残っていました。
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外堀通りに面して青いテントが目に入ります。元祖大食いの聖地「神楽坂飯店」です。お店の挑戦メニューは有名でPt↓)では判りにくいでしょうが、餃子の山積みがの百個餃子で、隣の枕みたいなやつが巨大な餃子です。各¥9600で1時間以内に完食で無料とありますが…。さらに一升チャーハンは¥5840。これにくらべたら3杯分量のジャンボ・ラーメンなら何とかなるような気がします。無理はせずともこの店は何を食べても旨いです。
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浜っ子の伝説 60周年…(1)

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1961年に結成のビーチ・ボーイズが2021年で60周年だそうです。バンド名こそ有名ですが日本で馬鹿当たりした事はなく、昔からのコアなファンは高齢化というのが現状です。Pt↑)の紙ジャケは2021.01再発の「テン・イヤーズ・オブ・ハーモーニー」です。60周年の一環なのかブラザー・カリブ(1970-80年)時代のベスト盤です。ブラザーレコードのロゴと飾り文字で「Ten Years of Harmony」、彼らのベスト盤には秀逸なタイトルが多くこの作品はタイトルも内容も
お気に入りです。上右は初CD化の1981年のAustria盤と左1991年の再発US盤、再発時には差替え曲が多く1981年盤が処分できません。紙ジャケ再発はどちらなのでしょう(苦笑)。最初のCD化が40年前となると20歳ファンなら今は60歳。懐かしさで購入するファンがどれだけいるでしょうか?。それも¥4180と馬鹿げた(因みにポイントでタダ入手)価格で(笑)。下左は2001年の「Brother Years」ベスト盤の22曲の方です。20曲・22曲とも廃盤の模様です。
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2013年に【バンド結成50周年企画】として発売された「メイド・イン・カリフォルニァ」の6CD BOXです。Capitolからの発売なので初出・テイク違い・ステレオorモノ等が多数。良い事ばかりかというとそうでもありません(笑)。ビーチ・ボーイズのベスト盤にはヒット曲を時系列に並べたCDと同じ時系列でも未発表・テイク違いをちりばめたCDがあります。未発表&別テイクの曲数だったら世界一のバンドでしょうからお宝音源は豊富です。
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6CD Boxのサブタイトル「カリフォルニア・フィーリング」は、針音だらけのブート「California Feelin'」で最初に聞いた1970年代のブライアンの作品です。こんな曲が未発表とは首を傾げてしまいます。上右がそのブートで6CD Boxテイクと同じです。2012年にブライアンが自ら選曲したベスト盤で「カリフォルニア・フィーリング」を再演していますが【ニューヨークがどうタラの追加歌詞は好きではありません】。2012年のアル・ジャーディンのピアノだけの伴奏の方がよろしいかと…。Utubeにあるビーチ・ボーイズ版のプロモがあり、これはGoodです。
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2012 年の50周年では人間関係のゴタゴタを超え、初期メンバーのデビット・マークスまで登場して再結成ツアーが行われました。ライブ映像でのカールとデニスの曲での映像とコーラスとのシンクロは印象的です。オフィシャル盤は41曲、2012.09.28のロンドン公演は55曲です(笑)。こうしてみると「50周年」はお祭り騒ぎだったようです。ビーチ・ボーイズ+ブライアンでの新作『ゴッド・メイド・ザ・ラジオ』までが発表されるとは、なんという事でしょう(1)。
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ビーチ・ボーイズの特徴的なファルセットのコーラスは年配の洋楽ファンなら懐かしいでしょう。1966年の『Pet Sounds』は日本では過剰なまでに神格化され、彼らの頂点とも云われます。実際は稀代の天才音楽家ブライアン・ウィルソンが破滅に向かう前兆なのですが…。30年の歳月が過ぎた1996年に【Pet Sounds 30周年】として登場したのが4CDの『The Pet Sounds Sessions』です。製作の過程がここまで裸にされると「なんなんだこいつら」と思います。皮肉なもので以降バンド人気の凋落が始まるのですが、Beatlesの東京公演の年にこれですからねぇ(笑)。
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2019年に某店舗でなんと¥580で購入した『The Pet Sounds Sessions』のブートです。正規盤の発売がグループ内のゴタゴタで1年延期となりその見本盤から造られたようです。ジャケはかなり精巧に作られていても盤はブートそのものです。Mixが多少違うとの情報もありますが判りません。現行の『Pet Sounds』は帯違いやらなんやらとんでもない種類が存在しますがリマスター違いはほんの数種類です。
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1993年の【30周年記念】に登場した『GoodVibration:Thirty Yeares Of The BeachBoys』です。お祝い企画ですからレーベルを超えての140曲を超える収録で、別テイクも山盛で、内容は50周年記念より濃いと思います。日本盤は所有していませんがPTのイギリス盤はCD4枚にレアトラック集+オマケの実質6CDとなっていて腹イッパイです。
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日本では1990年頃にCD化された『ビーチ・ボーイズ・ボックス/The Capitol Years』です。Boxのデザインから察するとビートルズの『リバプール・ボックス』を模しての英国版LP Boxがネタのようです。日本盤は当時としては超貴重な「ブライアン・ウィルソン・プロダクションズ」を含む(後に単独発売)7CDセットでした。Ptは7CDから『ブライアン~』を外して押し込めるだけ押し込んだオーストラリア盤の4CD BOXです。今となってはレア曲は皆無ですが、面白い事にはCDの盤面に【TOSHIBA  EMI】と書かれています。


飯田橋・東京大神宮

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久々の『東京大神宮』、TV放映の影響でいつの間にか「婚活の神様」で有名になっています。いつの年だったか三が日の初詣参拝者が2万人を超え、その列は飯田橋の駅近くまで続いた事がありました。さして広くない社殿に2万人とは大変な混雑だったでしょう(笑)。
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ご祀神は「天照皇大神」と「豊受大神」を主たるご祀神とする伊勢神宮の「東京支店」的神社です。いつも思うのですが、皇祖神の「天照皇大神」が”縁結びの神様”とは妙な話なのですが。元々は1880年に有楽町に鎮座した皇大神宮遙拝殿が起源で「日比谷大神宮」と称しました。1828年に現在地に再建・遷座して「飯田橋大神宮」となり、昭和21年に現在の「東京大神宮」として再発足しています。
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婚活の神様として多くの女性参拝者が訪れているのは、明治年間に神社の母体の神宮奉賛会が神前結婚の儀式を創設し、その後神前結婚式のスタイルを全国に広められことにより、「神前結婚式発祥の神社」から「婚活の神様」となったようです。現在でも神前結婚式は某百貨店の関連会社により併設の「東京大神宮マ●ヤサロン」で運営されています。
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伊勢神宮では天照皇大神「内宮」の食事係が豊受大神「外宮」簡潔にはという関係になります。古代の日本では食事は1日2食で、朝食は午前8時(冬期は9時)、夕食は午後4時(冬期は3時)で、この時間は
天照皇大神の食事休憩となります。休憩中のお願い事をすれば不機嫌なのは当然のことです(笑)。
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神門脇にある境内社の『飯富稲荷神社』です。日比谷に鎮座していた時代から境内社としてあり、飯田橋の移転で昭和3年に遷座してきています。ご祀神は「稲荷大神」と土地の守護神「大地主大神」となっています。9代目市川團十郎の信仰が篤く芸能の神としても知られているようです。
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東京大神宮からJR飯田橋へ向かう途中の少しばかり奥まった場所に鎮座しているのは『桐生稲荷神社』です。調べてみても創建の年や、神社の謂れは不明です。屋敷内神社で主が移転して神社が残ったということでしょうが、稲荷社ではこのような歴史が多いようです。神社の社額や神使の姿が新しくしっかりと管理されているようすです。

九段坂・靖國神社…(2)

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靖國神社拝殿は耐震補強工事という事で仮囲いが造られていました。通常通りの参拝はできますが、時節がら足元には密を避ける立ち位置の印がつけられています。日本人でもやりがちですが、ここでの記念写真は神様を背中に背負うような立ち位置の写真撮影は絶対に不可です。ましてピースサインなどは不謹慎です。
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神門方向の庭は靖國神社の桜の名所として知られています。この庭にあるソメイヨシノの一本が東京管区気象台が目視観測して東京の桜の開花宣言をする「標準木」に指定されています。以前は何気に説明札があっただけなのですが、有名になったと見えて囲い柵が造られ案内板が大きくなっていました。
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伊東忠太による「遊就館」には日本国がたどってきた戦争関連の歴史が展示されています。戦争に反対する想いと国の為に亡くなっていった方々に感謝するのは全く別な次元です。日本には日本の死生観があり民族も文化もことなる人々にとやかく言われる筋はありません。遊就館の1階ホールには零戦52型実機が展示されており、ガラスケースには零戦搭載の20mm機関砲が展示されています。驚くのは搭載の機銃弾は60発、7秒で全弾終了となります。やはり無敵零戦の神格化かも知れません。
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遊就館前に「軍用犬」「軍馬」「軍用鳩」に慰霊碑が置かれています。多くの犬も馬も鳩も国の為に死んでいったことでしょう。彼らをも慰霊するのも日本人の死生観の表れなのでしょうか? 以前に門司港の公園で見た大陸へ出征していく軍馬の日本国内最後の水を飲んだとされる『出征軍馬の水飲場跡』を思い出しました。
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遊就館から神池の方向へ進むと現在は臨時駐車場となっていますが、駐車場の奥に鳥居が見えます。ここが『招魂斎庭』と呼ばれる場所で、戦没者の霊が英霊として合祀されるために招魂祭(招魂式)が行われた場所です。外国で亡くなつた方々の霊は祖国のこの地へ返ってくるという事でしょう。それが今は駐車場の片隅とは…。
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靖國神社を参拝して神池庭園まで行く人は少ないかも知れません。神社神域の一番奥にある回遊式の庭園です。明治の初めに作られたもので、平成11年(1999)の復元工事がなされコンパクトながらなかなかの名園だと思います。
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九段坂・靖國神社…(1)

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二葉百合子の歌で有名な『九段の母』(オリジナルは昭和14年の塩まさる)では東北地方に住む高齢の母親が戦死して靖國神社の祀らる息子に逢いに来たという歌詞で、♪上野駅から九段まで勝手知らないじれったさ ~♪が1番で、2番の♪空をつくよな大鳥居~♪と歌われる大鳥居がこれです。この第1鳥居は大正10年に初代が造られ昭和18年の撤去後、昭和49年に銅鳥居で再建されました。柱高が約25m、上方の笠木が約34mとやはり巨大です。
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久しぶりの靖國神社は参道を含め年々整備が進んでいるようです。銅像は靖国神社の前身『東京招魂社』の創建に関わった「大村益次郎/村田像六」で銅像は明治26年に造られました。見えにくいのですが銅像後方に黒づくめの一団が(間隔をあけて)40-50人並んでいます。最初に見かけた時は”出棺待”かと思ったのですが、コレ隣接の某学園の児童をお迎えの父兄の列なのです。頭から靴の先まで黒装束の決まりがあるらしく、木々の中にいる様は新興宗教かと思ったものです(笑)。
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第2鳥居は明治20年(1887)に大阪砲兵工廠で鋳造された青銅製で、靖國神社の鳥居としては古い鳥居となるそうです。売店兼休憩所は建て替えられてキレイになりました。建物の向い側が観光バスで参拝の駐車場です。道路を一本隔てると左右に昭和10年に富国徴兵保険(現富国生命)奉納の大灯籠があり、右の灯籠には旧海軍、左の灯籠には旧陸軍関連の戦闘場面のレリーフが埋め込まれています。
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神社建築の大家として知られる「伊東忠太」の設計による16弁の菊花紋章が付けられた『神門』は昭和9年完成です。神門を抜けれると平成18年に建て替えの木造の『中門鳥居』に辿りつきます。神門をくぐって右側には鳩マンションがあり多数の”純白の鳩”が飼われています。純白の鳩が靖國神社所属の鳩で普通の鳩はいわば「野良鳩」です。
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靖國神社南門近くに本殿玉垣に寄り添うような鳥居があります。神社の境内案内図にも表記がないのですが「鎮霊社」と思われます。ペリー来航から大東亜戦争終結まで国家の為に戦場で亡くなって英霊が靖國神社に祀られ、外国人や国家反逆者の西郷隆盛、会津戦争の白虎隊など合祀ができない霊が祀られます。吉田寅次郎(松陰)や坂本竜馬が祀られているのは今でも納得できないものがあります。
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「鎮霊社」の手前に「神道無念流錬兵館跡」なる碑が建っています。時代劇ファンの一部なら知っているでしょうが、江戸文政年間に斎藤弥九郎により開かれた剣術道場で北辰一刀流や鏡新明明智流と並ぶ神道無念流の道場があった場所です。

ティム・ボガード さらば爆音Bass

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昨年12月にレスリー・ウェストが逝ったばかりというのに、今度はティム・ボガードとは…。それも盟友のカーマイン・アピスがFacebookで発表なんて…。1944.年生まれの76歳、癌で闘病中との事でしたがこうも続くとガックリきます。バニラ・ファッジの1作目で「なんじゃこれ」のベース。4作目の【ニア・ザ・ビキニング】のブレイク・ソングでのアピスのドラム・ソロとボガードのベース・ソロは「すごかったなぁ」…(笑)。2002年にジョン・エントウィスルが20014年にジャック・ブルースが逝きこれで【爆音ベース三人衆】がみんな逝ってしまったことになります。 【Pt↑はWebより】
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ティム・ボガードが亡くなって2週間あまりの1月下旬、西新宿某店舗にBB&Aの新作ブートが登場しました。Infoでは1974.01.29のエディンバラ公演でBB&Aでの最終公演とされてきた01.26の『Rainbow 1974 1St Show』の3日後という事になります。音はRainbow Theatreには及びませんが1974年のオーディエンス割引という事で…(苦笑)。数日間、ヴァニラ・ファッジ、カクタス・BB&Aと最強リズム隊の作品群を通して聴くとBB&Aが短命なった理由が見えるようです。正直、BB&Aでのベックの本気度が薄く感じます。楽曲もカクタスの延長線でこれならならジム・マッカーティで良かったのでは。勘ぐればB&Aに必要だったのはBの知名度だったかも知れません。それもこれも『歴史』の彼方に消えていきます。
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日本での人気はやっぱりあのババァならぬ BBA=ベック・ボガード&アピスでしょうね(苦笑)。ベックの交通事故で結成が1年遅れたとはいえ、たった1枚のスタジオ盤と日本限定のライブ盤で極々短命に終わったですが,、LPの帯には「クリームを超えた世界最強のロック・トリオ~」とあるのですが、どうしてもベックの本気(特にライブでは)を感じられません。協調性など皆無のボガードとお山の大将のベックでは短命なのは当然の結果です。頚になったのはベックの方では(笑)。
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Ptは代表的なブートで、来日公演寸前の1973.04.26のシアトル、1973.05.14の東京・武道館、1974.01.26のロンドン・レインボーです。3人編成のバンドとは思えないほどの音圧です。オフシャルはスタジオ盤と1973年の大阪厚生年金会館でのライブ盤です。ベックが日本のみの発売をOKした貴重なBBAライブです。世界水準で出せる価値がないとの判断でしょう。サイズが大きいのが演奏順に並べ直した再発盤ですがカットされた曲は追加収録されませんでした。
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ヴァニラ・ファッジとBBA中間がカクタスです。ベックの交通事故での繋ぎ的存在です。1作目のやばい絵のジャケと音圧の凄まじく、ジム・マッカーティの硬質なGとボーガード・アピスの馬鹿野郎リズム隊が印象的でした。BBAはこの延長線ですがボーカルの弱さはどうにもなりません。ベスト盤以外はライノ・ハンドメイドの恐ろしく高額なCDで、1枚だけ再発でお安くなったブツが入っています。
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ヴァニラ・ファッジは1966年にマーク・スタイン、ヴィンス・マーテル、ティム・ボガード、カーマイン・アピスでBeatleやR&B等を斬新なアレンジで発表「キープ・ミー・ハンギング・オン」は大ヒットしました。メンバーの変遷を繰り返しバンドとしては継続しているようです。残念ながらCDはヒット作以外は廃盤になっています。特に4枚組のBoxSet(中央)は中古でもとんでもない価格で、それ以上に大変なのはオリジナルCD集めかも知れません。
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高校時代にヴァニラ・ファッジの1作目を購入した理由はよく覚えていません。1曲目が「涙の乗車券/Beatles」とシングル盤と異なる「Keep Me Hanging On」、1作目ではリズム隊も大人しいもので(苦笑)。2作目【Beat Goes On】と3作目【Renassance】は徐々にエンジン全開、4作目ライブ盤【Near The Beginning】でのLP片面フルの「Break Song」の凄まじいこと(!)。後のカクタス、BBAの原型といった感じです。第1期最後の【Rock & Roll】はあまり印象がなく、つづく『カクタス』の凄まじいまでの疾走感(1作目のジャケ写は良く採用されたものです)はあきれ返るほど(笑)。『BBA』はベックの経歴からすると汚点なのかも知れませんが、ボガード&アピスのどんなGと演っても我を押し通すリズム隊は間違っても(あり得ませんが)一緒には演りたくありません(笑)。

大宮・埼玉縣護國神社

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護國神社(ごこくじんじゃ)は、 国家 のために殉難した人々を祀る神社で東京と 神奈川 を除く 各道府県にあり、地域出身や縁故者の 戦死者・自衛官・警察官・消防士 等の殉職者 を英霊を祀っています。元々は薩摩・長州らの鳥羽伏見の戦い以降の戦没者を祀った東京招魂社(現靖國神社)と同様な歴史をたどっているようです。1939年に招魂社は護国神社と改称され戦前は 内務省が管轄、戦後は独立 宗教法人となっています。
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東京と神奈川に護国神社がないのは、東京には統括的な「靖國神社」があり神奈川は完成寸前の昭和20年の横浜空襲で焼失、再建はなされす「伊勢山皇第神宮」がその役を担っているそうです。一道府県に一社ないし二社が城址公園や著名な神社に鎮座している例が多いのですが、大和系、出雲系、古事記、日本書紀の神々とは異なる位置にある神社です。
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「埼玉縣護國神社」は大宮氷川神社本殿裏手の大宮公園にあります。一の鳥居は大宮公園内にあるものの大宮公園とは道路を1本隔てています。昭和9年に大宮氷川神社の境内地に「埼玉県招魂社」として完成、昭和14年に「埼玉縣護國神社」となり、昭和20年にはGHQ令により「埼霊神社」となり昭和27年に「埼玉縣護國神社」と社号は変遷しています。境内に造られた「出征兵士の像」、「特攻勇士の像」、「埼玉県傷痍軍人の搭」なでは神社の性格の一端を現しています。
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お隣の「大宮公園」は明治18年に氷川神社の境内地一部に造られた県営公園です。開園当時は東京の奥座敷として賑わい高級料亭などもあり多くの明治の文豪たちも訪れたとは信じられないものがあります。高級料亭「万松楼」が移転した跡地に昭和8年に開園したのが児童公園で、改修されているもののPtの飛行搭は昭和25年に「スポーツランド」が造られた時のものです(70年前)。隣の「小動物公園」は昭和28年に開設された、何故か鳥類の展示が多く、獣関係は大物は強いて言うなら「ツキノワグマ」といった素朴な動物園です。驚いた事には園の敷地が広くなっていました。
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元府趾(本太)氷川神社

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JR浦和駅から駒場サッカー場へ向かう途中のさいたま市浦和区本太4丁目に『元府趾氷川神社』があります。地名は「本太」で神社のWebでは「本太氷川神社」となっていますが、鳥居の扁額には「元府趾」の表記が見られます。創建年代は不明のようですが、氷川神社の一社でありご祀神は素盞嗚尊が祀られています。
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神社由緒によると、扁額の文字から中世には国の出先機関がこの地にあり、そこから「元府趾」であった説、耕作・居住に適した地を意味する「ふと」に由来する説があるようです。鎮座場所は馬の背状の丘のような場所ですが、今は住宅地のなっているので想像すらできません。
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Pr↑)は境内摂社の「上向福徳神」で恵比寿’大黒天の像が天を見上げる様子となっています。全国的にも珍しいようで「上を向いている神様は当社だけです」と書かれています。それにしてはこの石像は新しいようですが…(苦笑)。
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中世の浦和・大宮は高塙郷と呼ばれ、鎌倉時代の高塙氏の本領であり、神社も高塙氏の寄進によるようです。この「高塙=高鼻」の名は大宮氷川神社の「高鼻町」として残っています。社殿裏手には(見られませんでしたが)埼玉県指定有形文化財の【本太氷川神社旧本殿】があります。Pt↓)三基の鳥居をくぐる「弥栄 三鳥居くぐり」、昭和鳥居(赤鳥居)⇒室町鳥居(木造赤鳥居)⇒明治鳥居(石造鳥居)を順にめぐるとあります。
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ナンタケット・スレイライド

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2021年01月。最近レスリー・ウェストの動画がYouTubeにやたら掲載されているので妙だなと思っていました。どうりでレスリー・ウェスト(レスリー・ワインスタイン)は昨年2010年12月23日に亡くなっていました。1945年生れなので享年75歳です。全盛期は関取並みの巨漢、後年は糖尿病の悪化で右足切断までしているので心配でしたが、また一人ギターヒーローが逝ってしまいました。ハウリング(フィードバック)を絶妙にコントロール、ピッキング・ハーモニックス、バイオリン奏法と巨体に似合わない繊細な音色が特徴でした。Pt↑)はWEST, BRUCE & LAINGで来日予定がジャック・ブルースのドタキャンで急遽「マウンテン」が再結成されての武道館公演の初日ブートと大阪公演のオフィシャル盤です。
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Pt↑)1973年8月25日の武道館公演のブート2種とオフィシャル盤の大阪公演です。オフィシャル盤は紙ジャケ再発盤「異邦の薫り」では曲順はLP盤に準じ、最初CD化のADD盤では1CDに演奏曲順で収録されています。ブートでは当然演奏順です。30分を超える”ナンタケット”は無責任な評論家により「退屈の極み」とか「拷問」とか散々の云われようでした。次々と変化するベースのリフに反応して発展させていくメロディアスで繊細なギターソロを冗長だとか退屈だとか評したのはどこの馬鹿でしょう。武道館公演は酔っていたのかあの巨体が寝転がるなどの姿が強く残っていますが、歪まくりのフェリックスのベース、レズリーのレスポールJrの音色。ひたすら「すんげぇ!」の大興奮でした(笑)。
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白黒のテレビ画面に映るカーリー・ヘアの巨体、フロントが外された"ギブソン・フライング V"でのRoll Over Beethoven(記憶曖昧)に圧倒されて買ったLPがフォーク・ソングのハード・ロック仕上げのような「Climbing」。Pt↑)上段はA面がライブ音源の「悪の華」。この音源は上左の「Fillmor East Last Day」Box Setに編集前の演奏が収録されていますが、マウンテンのライブでは最高のデキだと思います。下段左のBest盤にはレアな長尺のStormy Mandayのライブが収録されています。左はオフィシャルなれど良く判らない盤でジャケがチープです。
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左Pt↑)上段右は17分の”ナンタケット”が収録されたライブ盤「暗黒への挑戦」です。録音場所がバラバラなので「やっつけ仕事」なのかも知れません。この”ナンタケット”が一番好きです。左がそのナンタケット以外の演奏曲が収録されたブートは極々普通のブートです。下段左は正体不明のブート。右はFM音源のオフィシャル盤ですが”ナンタケット”の編集が雑です。
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レスリー・ウェスト(マウンテン)にはVol 16で完結する(?) 『Official Live Mountain Bootleg Series』があります。音質も音源もバラバラです。フェリックスとのMOUNTAINあり、レスリーがMOUNTAINを名乗っているのもありで一貫性はありません。このシリーズの最後の1枚を手に入れるのに5年以上かかりました。不定期発売で最後の1枚は発売元にも在庫なしで「存在が疑わしい」まで書かれたブツを某中古店で発見した時は大笑した記憶があります。最近はダウンロード版でウッド・ストックの完全版のMP3があるようです。
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レスリー・ウェスト(マウンテン)はクリームにプロデュサーだったフェリックス・パパラルディがレスリーを発掘して結成したバンドです。絶頂期(1969~1972)でのフェリックスの妻のゲイル・コリンズ作のLPジャケも印象的でした。そのフェリックスも1983に妻のゲイル・コリンズに射殺されるのですから世の中判らないものです。Pt↑)は数年前に珍しく予約・大人買いしたマウンテン紙ジャケ(この時期のSONY渾身の出来です)。元々「マウンテン」はルスリーのソロ・アルバムのタイトルでそのままバンド名となっています。フェリックスと別れた後のレスリーは多くの作品を残していますが、商業的には成功したとはいえないのが残念です。さようなら レスリー・ウェスト!

そんなエディに騙されて!

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[2021年01月]またListen To ThIs, Eddieが送られてきました。Pt↑)上段は某店舗の購入特典として登場したCDRがプレス盤に昇格したものです。2010年後半には立続けにEddie新作が登場し、流石に3作目となるという事でギフトCDRだったのでしょうがどういう事情でか昇格した模様です。下段左も恐らくCDRからプレス盤へと昇格したものと思われます。下段右は恐らくどちらかのコピー盤CDRと思われます。普通に聴く分には全く判りません(苦笑)。
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マニアには今さらですが、Led Zepplinの1977年の北米ツアーからはブートの世界での名(迷)作品が残されている事は有名です。1977年の北米ツアーはロバートの喉が破綻寸前の最後の輝きで、7月19日からの西海岸公演は伝説のブート録音者の音源、とりわけ7月21日のロサンゼルス・フォーラム公演は【Listen To ThIs, Eddie】として知られる優良音源で、昔々から手を変え品を変えてブート市場に出回ってきました。最近、元々の元となった音源がWebに登場、各ブートメーカーは挙って新作を登場させています。Pt↑)は西新宿某店舗のモノで、下段は2019年12月登場の紫ジャケ(仮)で、上段の2作品はそれから1年もしない2020年10月に怒涛如く登場した3作のうちの2作品です。
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Zepブートファンには一家に数枚の【Eddie】は必ずあるものです(笑)。当然ながらCD棚には数点ありました。3時間かかる3枚組の【Eddie】を聞き比べなんざぁとても出来ません。製作者が進化していると云っているので、素直に騙されてみるのも一興です(笑)。まったく何年繰り返されて来た事でしょう。 上の左の赤いヤツは【MikeMillard Unmarked 1St Gen Cassettes Tansfer】とある数年前の作品です。右の黒いヤツ【The First】は【紫のヤツ】以前は「最強の座」にあったようです。下段の2点は販促用のオマケCDと思われます。
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追加の2枚は、ブートの価格破壊(?)の西新宿某店の¥1000ブートってヤツです。左が【Eddie】、右がこれも名音源の7月23日【For Badceholders Only】です。次に来るのはこれかと…。ブートに「バンド公認の音」など在る訳ありません。ライン録りor隠し録りの好み等々は個人の好みで、どれだけの音楽体験をしてきたかで異なるものです。ブート10枚買ってもにあたりは1,2枚の時代に比べれば夢のような話です。オフィシャルよりその当時の音を再現しているブートなんかザラにある時代なのですから、制作技術の進歩は恐ろしいくらいです。
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またまた【Eddie】の新作が登場しました。1枚は某店舗の販促用のギフトでヤフオクでは結構な値が付いていました。”こんなのあるぞ!”と友人から送られてきたのが、CDRでの6枚組。同じ音源でも編集が違うというヤツです。まぁすぐにCD棚の隅で忘れられるでしょう。ほんの数秒が初収録とか中間の数秒を他から補填とかの情報がありますが、ここまで進化すると聴いている分には気が付きませんが、音が良くなった分結構ダラケた演奏が耳についてしまいます。 調べてみると1977年の北米ツアーは4月1日にダラスから始まり6月14日がNYC、19日がサンディゴ、21日~27日がLAで怒涛の6日間公演。アクシデントで終盤の5公演が中止となるものの、若いとはいえ3時間公演を良くこなしたものです。
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