旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

牛嶋神社の三輪鳥居

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先日TV番組で「牛嶋神社」が放映されていました。何気に見てると倒壊した牛嶋神社の鳥居が修復されているではないですか…(!) 2018年の9月、関東地方を襲った台風24号の強風で貴重な「三輪鳥居」が倒壊してしまいました。そんな事件もつゆ知らず後日訪れた時に、倒壊の事実を聴いて愕然とした記憶があります。とは云うもののTV放映を見るまで修復を知らなかったのですはイヤイヤです(苦笑)。
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牛嶋神社は創建が貞観2年(860)とあり関東でも屈指の古社です。元は隅田川の中州で牛を飼育していたとの伝承もあり、本所地区の総鎮守として親しまれてきました。関東大震災以前はやや上流の地にあり昭和7年(1932)に現在地に移っています體の不調部分を転嫁できるという「撫牛」が有名で、穏やかな顔つきの牛像は撫でられ続けてテカテカです。
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埼玉県の某神社と違って再建が速かったのが何よりです。見て触って感心したのが銅製でもコンクリート造りでもなく、樹齢170年の吉野ヒノキを使用したありました。以前の記事項でも触れたのですが、知る限りではこのこの形式の鳥居は「牛嶋神社」と神使のオオカミが護る「秩父・三峰神社」と奈良「大神神社」のご神体の三輪山の結界くらいしか知りません。
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言問橋から見る神社の杜とスカイツリーです。近代建築を象徴するスカイツリーの氏神は「牛嶋神社」なのです。いかにもの日本的なお話です(笑)。

鴻巣・川幅日本一

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そりゃねぇ河川を管轄する国土交通省による定義なので怒る訳にもいきませんが…(苦笑)。埼玉県鴻巣市と吉見町の境を流れる荒川の川幅が全国最長との事で出かけてみました。JR鴻巣駅から徒歩で20分程度、県道東松山鴻巣線の鴻巣側の御成橋のたもとに「川幅日本一」の標柱はありました。
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平成20年の国土交通省の調査で鴻巣・吉見町間の荒川の川幅が2537mあり、徳島県の吉野川の2380mを157m上回り日本一であると確認されました。どうしたって吉野川のとうとうと流れる様を思いうかげますが期待は見事にひっくり返されます。川風の強い日で御成橋の途中まで歩いて行ったのですが、一向に川なんざぁ見えません。それもそのはず通常期の荒川の河川幅は30m程度しかないそうです。
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たんなる思い込みですが、国土交通省の定義では川幅の定義は「水が流れている部分の幅」ではなく、堤防から堤防間の距離が川幅になるのだそうです。納得がいかないのですが、台風で増水でもしない限りは堤防から堤防までに濁流は見られないでしょう。そしてこれだけの標柱を造っておきながら川幅2537mの始点はこの上流630mなのです。県道沿いで土地に余裕があった場所に標柱が造られたという事です。
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久々の新譜・バリー・ギブ

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20016年の「In The Now」以来の5年振りとなるバリー・ギブの新作「Greenfilds The Gibb Brothers’ Song Book」が発売となりました。今回はBee Geesの名曲をアメリカを代表するシンガーとのコラボです。74歳のバリー兄さんさすがに実によい出来です。1988年に30歳で弟のアンディ、2003年にモーリス、2012年にはロビンが逝き、活動停止状態でしたがお元気のようです。バリー・ギブは50年を超えるキャリアでグラミー賞8回、ロック殿堂入り、アルバム・セールス2億枚を超え、2018には「ナイト爵位」授与された大変なお方なのです。Bee Geesの作品を並べると彼らのヒット曲の多さに感心してしまいます。
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調べてみると驚きの事実に愕然としました。西新宿の某店舗群以上に「売らんかな」で悪名高きユニバーサルでさえBee GeesのカタログはBest盤以外ほぼ廃盤です。1967年は「Massachusetts」、「New York Mining Disaster 1941」、「Words」等のヒット曲を連発、人気が落ち着く1978年には「ディスコ・サウンド」で大あたり!。ポップス界では超有名グループなのですが…。Pt↑)は1967~1990年の4CDのBox Setです。箱がデカいのが如何にも当時と云った感じです。ヒット曲、B面曲、テイク違いとコアなファンには貴重なSetなのですが…廃盤です(苦笑)
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兄(バリー)と双子の弟(ロビンとモーリス)のギブ3兄弟を中心に結成、弟たち(末弟アンディも)早くに亡くなりバリー1人となりました。提供曲を含めると多くのヒット曲がありイギリスではビートルズに次ぐナンバーワン・ヒットを持つグループです。Pt↑は中古市場でも高額な【Studio Albums 1967-1968】でデビューからの「ファースト」、「ホリゾンタル」、「アイディア」のステレオ&モノラルの収録です。
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兄弟間の確執で分裂、再結成後から人気が下降線に向かう頃の作品で「ミスター・ナチュラル/1974」、「メイン・コース/1975」、「チルドレン・オブ・ザ・ワールド/1976」、「失われた愛の世界/1979」+1のBoxです。この後『サタデー・ナイト・フィーバー』で大復活します「ボーナス・ディスク」にほぼ収録。中古でも驚きの価格でBoxです。因みに「サタデー・ナイト・フィーバー」での爆発は1977年の事です。
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再度人気が下降線となりレコード会社をReprise / Weaに移籍した時代の3作品です。名作「ESP」が収録。嬉しいのが1989..11/17&18のメボルンでの「ワン・フォー・オール」のライブ盤がプラスされています。このライブ盤だけでも価値ありなのですが、如何せんこれも中古市場でも高額のようです。
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ついでながらですが…。Pt↑)は「オデッサ/1969」、「アイ・オー・アイ・オー/1970★」、「ロンリー・デイ/1970★」、「トラファルガー/1971」の4作品です。超傑作の「オデッサ」発表後にGとDrが脱退(クビ)、兄弟間の確執からロビンが脱退。2人となった「アイ・オー・アイ・オー/Cucumber Castle」、ロビンが復帰で「ロンリー・デイ/2 Yars On」、続けて「トラファルガー」を発表します。この紙ジャケ仕上げは市場から姿を消してしまいました。
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Pt↑)は「ラン・トゥ・ミー/1972★」、「ライフ・イン・ア・ティン・キャン/1973」、「グレイテスト・ライブ/1976」、「リビング・アイズ/1981」です。ここまでが日本製の紙ジャケでBoxSetでの紙ジャケとは再現度など雲泥の差があります。日本盤独自のでは帯まで再現され上記での★印はオリジナル・タイトルと日本盤タイトルが異なっています。 ここからBox1、Box2と繋がっていきます。
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世間での人気とチャートのランクは一致しないもので、1990年代は全英限定ではそこそこにヒット曲が続いた頃の作品です。「サイズ・イズント・エブリシング/1993」、「スティル・ウォーターズ/1997」、「ディズ・イズ・ホエア・アイ・ケイム・イン/2001」と作品は続き、2003年のモーリス・ギブが、2012年にはロビン・ギブが亡くなり活動停止。あの見事なコーラスは聴けないこととなりました。
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PTでのCDは棚から探したものです。PTに写る多くの作品群が廃盤・貴重盤になっていて容易に探せるのは「ビー・ジーズ・グレイテスト・ヒッツ/2001」くらいでしょう。Pt↑)の「サタデー・ナイト・フィーバー/1997」やライブ盤「ワン・ナイト・オンリー/1998」=ゲストにセリーヌ・ディオン=の名盤やビートルズ、ビーチボーイズらと同様な正式デビュー前の作品集も珍し盤なのでしょう。1989.04.10日本公演・FM放送音源はかなり編集が雑です。

久々の浅草歩き

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久々の浅草は午前10時の仲見世、テレビ放映によく登場する通りです。何年たってもTV局の取材手法は変わらないようで、ワイドショーと称する報道番組を装った娯楽番組ではガセが多くなりがちです。最初に世間知らずのガキの書いたシナリオがあり、それに沿って拒否できない下請け会社が絵を作成、インタビューを合成します。映像にしても望遠系のレンズを多用して”大混雑”を造ります。相変わらすの方法論もFNS等の浸透で手法がバレバレになって来ました(笑)。
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門前町の朝は早いのですが、観光地浅草の午前10時ならこんなもんです。確かに中韓ほか諸々の外国人を殆ど見かけませんが、ゼロかというと何処から潜り込んだのか中国語は頻繁に飛び交っています。このご時世に浅草をウロウロしているのは日本の若いねぇちゃん達が目だち、いい大人や高齢者観光客の姿は少ないようです。馬子にも衣裳とはいえ、三回貸したら元が取れるレンタル着物で着飾っても歩き方は残念至極。笑うしかありません。
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あのころ日本人と中韓人の見分けは簡単でした。兄ちゃんは刈上げに黒ぶちメガネ、姉ちゃんは化粧が同じ。赤い服(汚い赤)が大好きなのが中国の女性。ここ浅草では観光客の減少は大変でしょうが、あの頃でさえ日本人の消費金額が平均1000円とすると中韓人は平均100~200円だったのです。そして観光バスで訪れ2時間で去っていく連中が圧倒的でした。浅草は貧乏な外国人旅行者が訪れる観光地で金持ちの外国人を見かけたことはありません。
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所沢・坂稲荷神社

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所沢駅から商店街を進むと小金井街道にでます。この辺りが江戸・川越・府中・秩父方面の街道の中継点とした繁栄した街のようです。時代を経てマンションが林立する普通の街になっていますが、街道に面して鎮座する「坂稲荷神社」などに、何となく雰囲気が残っているようです。
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「坂稲荷神社」の創建は江戸元禄年間以前とされ、祀神は五穀豊穣の神、倉稲魂命(宇迦之御魂命)とあります。街道の中継地から、更に陸軍飛行場の街で賑わった地で料亭や芸妓置屋、遊郭があり、出勤途中のお姉さん方にはお客の足を止める「足止めの稲荷様」として親しまれ神社です。神社の由来書きには、神使(眷属)のキツネ像は「全国的にも珍しい3匹の子ギツネを連れた像」なんだそうで「子育て稲荷」との呼称をもあるようです。
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この街が大火に見舞われた時は「火伏の神」とも云われたようで、いかにも「街稲荷社」ならではの言い伝えは、微笑ましいようでもあります。なまこ壁の土蔵造りの覆屋は安政4年(1857)の造りで、覆屋内の社殿は天保8年(1837)にものとあります。伏見・祐徳・豊川・笠間などの大規模な稲荷神社とも違って街の歴史や栄枯盛衰を知り、人々の願いを受けてきた稲荷社はいいもんです。「変わらずにそこに在る」は貴重なことです。
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浜っ子の伝説 60周年…(4)

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ある意味ブートより質が悪いのがラジオ音源のCD化でしょう。「スマイル」関連のブートが過去のものとなると入替りで登場してきたようです。正直、現在はブートを超えるレベルの音源はありません。ジャケ違いも多くみられ注意が必要です。Ptでの1966年の日本公演はNHKのFM音源ですが全曲ではありません。1971年のフィルモアはNYのFMで「フィルモア・ラスト・3NIGHT」と同じです。1974年の『ナッソー・コロシアム 1974』はライブバンドの充実期でまぁよろしいでしょう。1985.年のフィラデルフィアと1981年のワシントンはアメリカ独立記念日のコンサート音源で、音がどうのよりも記念式典にロック・バンドの記録として貴重なのでしょう。
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ビーチ・ボーイズの歴史ではボートラ的に収録されるオマケ的音源は見られても、フル・ライブ盤は多くはありません。時系列では1964年の「ビーチ・ボーイズ・コンサート」は13曲の収録、凄まじい歓声は後乗せでしょうが、この時代の常識として歌や演奏は修正されているようです。1968年の「ライブ・イン・ロンドン」はいかなる事情かLP時代は英国や日本で先行発表され米国はかなり後年となります。ジャケの【ブライアン、君が居て欲しかった】は泣かせます(苦笑)。「ビーチ・ボーイズ・イン・コンサート」は好きな作品でストーンズへ行ったブロンディ・チャップリン等が加わったりで、”懐メロバンドとは言わせない”感が溢れています。「ライブ・アット・ネブワース1980」、噂になった全曲収録盤は無理なのでしょうか?ブライアン、デニス、カール、マイク、アル、ブルースの6人のビーチ・ボーイズが揃ったコンサートです。
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「ペット・サウンズ」でも再発に次ぐ再発に振り回されますが、ブライアン・ウィルソンの2000年4月のL.Aの「ライブ・アット・ロキシー・シアター」も同様です。BRIMEL Recordsからの発売で、ジャケ写の如く表、裏とも同じです。最初はブライアン・ウィルソンのHPでの28曲の限定発売でした(上左)。苦労して手に入れたと思ったら通常発売になり、US盤(31曲)とEU盤(33曲)と収録数が違い、最後に登場した日本盤では34曲。まったくなんなんだこれはです!バンド・メンバーが懸命にブライアンをサポートしている様子が伝わってきます。
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ブライアン・ウィルソンは1999年から4回ほどソロでの日本公演をやっています。Pr↑)は2002年の2回目の来日公演CDRで赤が2/22の東京国際フォーラム、黄色が2/26の福岡サンパレス、緑が2/27のNHK大阪ホールです。音源としては抜群とは言い難いですが、ともかくサーフインバンド時代のブライアンのファルセットは失われても、完璧に再現するメンバーがいたりのバック・バンドがとんでもなく上手くて…。

さて困った所沢

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ちょっとしたイベントがあると聞いて近くて遠い街「所沢」へ行って来ました。遥か昔、同級生が集まって浦和から狭山湖までサイクリング。思い返せば「ユネスコ村」なる摩訶不思議な施設があった事くらいしか記憶にありません(笑)。県を横に走るJR武蔵野線が開通し、1978年に某企業が金の威力で某球団を持って来るまでは絵の描いた様な田舎町で、この球団が初優勝した年の系列百貨店での記念セールは、今では考えられない規模のイベントでした。
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実はこの某企業は大が3ッ付くほど苦手(嫌い)だった時代がありその話なら山ほどあるのですが、それは別の機会に…。お茶やら小麦やらの集積地として繁栄した所沢の名物の「醤油の焼だんご」はとてもおいしかった記憶があります。明治44年に日本初の飛行場として「所沢陸軍飛行場」が造られ、フランス製の複葉機で高度10m、距離800m、滞空時間80秒の飛行が記録されています。街のマンホールにはその模様のデザインです。飛行場の跡地は「所沢航空記念公園」として整備され、そういえば数年前に里帰りした「零戦」を身に行ったことがありました。
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所沢は「保健所」発祥の地として知られるようで、その記念碑が駅東のロータリーにありました。発祥記念碑の隣にあのトロロやら猫バスの像が在って、なんでも南西部の山口地区に住んだ宮崎駿が狭山丘陵を「トトロの森」の舞台としてイメージしたそうで「所沢にいるとなりのおばけ」変じて「となりのトトロ」だそうです。

浦和・別所沼公園

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Webニュースに=浦和区別所沼公園で河津桜が満開=の記事がありました。「別所沼公園」なんとも懐かしい名前です。何年振りになるのでしょう(?)。JR浦和駅から昔は自転車で走った道を20分程。変わらずに「別所沼」がありました。河津桜の満開ニュースなら桜並木を想像するでしょうが、河津桜が1本ポツンとあるだけと笑うしかありません。沼を巡るように植えられた杉の木は大木になっていて、これぞ40年以上の年月でしょう。
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この公園は浦和大宮台地の端っこで流入河川もなく水は湧き水で周りは沼地が点在する低湿地です。道路を挟んだのあった同級生の家は廊下をボールが転がっていく程に傾いていました。今はマンションが建っていますが、どうなんでしょう(苦笑)。「別所」の隣が面白い地名で「鹿手袋・しかてぶくろ」と云います。謂れは知りませんが、ここに住んでいた同級生を馬鹿にした記憶があります。
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確かに整備されたのでしょうが、その整備も相当以前のもので破綻寸前になっています。浦和市の昔からロクに公園もないのに整備予算も乏しいさいたま市のことなので当然でしょう。浮島的な場所の「別所沼弁財天」は昭和2年に洲崎神社から分霊で、元々が「昭和園」という個人所有の公園だった名残りです。ここから5分ほどにある料理店「満店」はナマズ料理が有名です。浦和には鯰・鰻の名店が多く大胆にも「うなぎの蒲焼発祥の地」を掲げています。
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この場所に昔はボート乗り場がありました。今でこそ付近に住宅が密集して無理ですが、この別所沼が「打ち上げ花火」の会場となっていました。同じく浦和競馬場でも夏には打ち上げ花火が行われ子供達は楽しみにしたものです。

浜っ子の伝説 60周年…(3)

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ビーチボーイズのCD化の第1弾は1988年に『Pet Sounds』です。帯に【GREENLINE 2800あり裏ジャケ(左)が思いっきり違います】。これが今も続く再発繰り返しの始まりとなるとは(笑)。翌年1989年にはキャピトル音源シリーズが日本のみでのCD化となり、1990年にようやく米キャピトルから2イン1仕上げで未発表やテイク違いを収録したシリーズを発売し、以降は続々とレア・トラックやアンソロー的な作品が発売されるようになります。1997年CD化の際、日本独自でレア音源と編集曲を一緒にしたのがPt↓)の『レアリティーズ&ビーチ・ボーイズ・メドレー』です。収録の12インチレコードからのテープ編集によるメドレー曲が3種類は意外とレアです。
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1998年に米テレビ放映のサントラ盤として制作されたのが『エンドレス・ハーモニー』です。映像としては最後の部分でデニスとカールがスローモーションで去っていく部分が印象的でした。とっ散らかっていたレア曲を纏めたという事で、修正を加えたジャケ違いの改訂版のCD.2があります。『エンドレス・ハーモニー』のタイトルは好きですが内容は・・・。そして2001年に登場したのが『ホーソーン,カリフォルニア・伝説がうまれた場所』です。Hawthorne CAはビーチ・ボーイズの5人が生まれ育った場所です。このタイトルは感激ものでした(笑)。前作より内容は濃いのですが初心者には難しいかも…。
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60年の歴史を有するバンドですから、フォローワーからパロディまで多くの作品が登場しています。とりわけのお気に入りなのが日本のガールズ・グループ『ミケ』です。『ミケ』は1991年~1993年の短期間にCDアルバムだけで7作品を残しています。どれもがテーマ別の笑ってしまう位の良くできた作品となっています。宇徳敬子、村上遥、渡辺真美の3人で元々は近藤房之介の「B.Bクィーンズ」のコーラス隊でした。1992年の『太陽の下のサーフィン・JAPAN』はビーチ・ボーイズへのオマージュでオリジナルの「サーフィン・JAPAN」やビーチ・ボーイズの曲(日本語歌詞はオリジナル)が収録され、ジャケすらにんまりしてしまします。『Best Of Best』は数年前に九州の高速道路SAで購入したものです。
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数あるビーチ・ボーイズに作品でも、最も売れなかった作品でしょう(笑)クジラのジャケが印象的な『Summer In Paradise』はマイク主導の制作ですが、US盤は発売直後にレコード会社が倒産。アレンジや編集を再度やり直してのEU盤も大ハズレ(笑)。という事でUS盤はヤフオクでも見かけますがUK盤はまず見かけません。もう1作が1989年の『スティル・クルージン』。新曲が1曲、他は寄せ集め曲、まともなのは「ココモ」1曲では…。
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これを「是」とする方々もいるようですが…あろうことかビーチ・ボーイズとフルオケの共演盤です。とは言ってもオケにコーラスを被せた程度のもので、耳障りだけは良いのですが(苦笑)。1996年の『シンフォニック・ビーチ・ボーイズ』ではロンドン・フィルと共演、2018年にはロンドン・フィル・ハーモニックと共演の『The Beach Boys With the Royal』。これをビーチ・ボーイズの作品とは納得できません。

鴻巣・鴻(こう)神社…(2)

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鴻神社は鴻巣の総鎮守社として明治6年(1873)に近くの氷川社、熊野社、雷電社の三社をまとめて「鴻三社」としたのが始まりで、後に日枝社、東照宮、大花稲荷、八幡社を合祀して『鴻神社』とています。実際は更に多くの合祀神社があり、三狐稲荷神社、幸の宮弁天社、夫婦銀杏、なんじゃもんじゃ稲荷、疱瘡神、冨士講や裏手の合祀社には県内から稲荷社などなど、主祀神繋がりに意味不明感が漂う神社です。
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前回訪れた時は神社前のバス亭の名称が「雷電神社前」でしたが、今回は「鴻神社」に変わっていました。元々に雷電社があった場所が鴻神社となったので、バス停が「雷電神社前」だったのでしょう(笑)。神社入口には「鴻巣総鎮守」の看板が堂々としています。珍しいのは境内の「三狐(さんこ)稲荷神社」で、天狐・地狐・人狐の三狐を祀り縁結びや縁切にご利益があるそうです。五穀豊穣や商売繁盛とも伏見や曹洞宗系とも関連がないようです。
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よく勘違いされるのは「赤ん坊をコウノトリ運んで来る」のはヨーロッパでの伝承で日本にはありません。鴻巣の地名の由来となった「コウノトリ伝承」は子宝授かりとは全く違うものです。子宝祈願なら同じ鴻巣市の「三ッ木神社」が、あらゆる婦人病に霊験ありということで江戸時代は遠路遥々の参拝者で賑わいました。赤く塗られた猿の人形で知られる神社です。
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鴻巣・雛人形ピラミッド

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埼玉県には「人形の街」として全国的に有名な街がいくつかあり、昭和60年代には埼玉県の岩槻・鴻巣・越ケ谷・所沢で全国40%の人形生産数を占めていました。鴻巣市での人形制作も約380年の歴史を持ち伝統的な地場産業として伝わっています。ちょうどこの時期に行われているのが「鴻巣びっくりひな祭り」です。行事は以前から知ってはいましたが、これまでに16回も開催されてきたそうです。
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時節柄、例年とは違っていろいろと制約があったようで、イベントなどは縮小され人形の展示中心となったようです。公式ホームページには【ひな祭りは、古来、無病息災を願う厄払いのお祭りだったことで、お祭りの原点に立ち戻っての開催】とありました。人形展示は市内数か所の会場で行われ、JR鴻巣駅前の「エルミこうのすショッピングモール」がメイン会場で、高さ約7m、段数が31段の『日本一高いピラミッドひな壇』が造られていました。今回の展示された人形の数は1551体だそうです。
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会場は「エルミこうのすショッピングモール」のほか「コスモスアリーナふきあげ」、鴻巣農産物直売所「パンジーハウス」、産業観光会館「ひなの里」の4会場で行われているそうです。この「エルミこうのす」展示数が最大で、吹き抜けに築かれた大雛飾りは、下から見ても上から見ても流石の迫力です。
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新宿区・筑土八幡神社

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新宿区筑土八幡町の『筑土八幡町』です。神楽坂の毘沙門さん(善国寺)から遠くはなく、静かな佇まいです。千代田区九段北の平将門所縁の「筑土神社」と紛らわしいのですが、江戸城の田安門付近にあった「田安明神」が徳川幕府により筑土八幡神社隣に移転し「筑土明神」となり、その後300年の時を経て九段北に戻り「筑土神社」となったという歴史があります。神社入口の左には社号があり、右には「田村虎蔵」の顕彰碑があります。この方は鳥取県出身の童謡の作曲家で誰もが知る「金太郎」や「浦島太郎」の作曲家です。
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ご祭神は応神天皇、神功皇后、中哀天皇で嵯峨天皇の時代(809年ごろ?)、付近の老人の夢に現われた八幡神のお告で祀ったのが起源とされ、その後は慈覚大師により祠が建立され最澄の作らしき阿弥陀如来像を安置したとされます。神社由来ですから追及はヤメておきましょう。
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本殿に向かって右側に珍しい形式の「庚申塔」が残っています。寛文4年(1664)の作とされますが、太陽と月、桃の木に二匹の猿が彫られた庚申塔で、猿が三匹でなく牡猿、牝猿の二匹が桃の枝を持った姿になっていて、庚申に纏わる話が表現されています。猿の顔面が削られているのがやや残念です。新宿区の有形民俗文化財だそうです。
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神楽坂、筑土八幡町、牛込柳町と新宿区らしくない町名です。この近辺は起伏変化の多い場所で、神社は”小高い丘の上から見晴らす”といった神社ならでは鎮座地にあります。石段途中の石鳥居は享保11年(1726)に当時の下館藩から寄進された鳥居で、新宿区最古の鳥居なんだそうです。正直…ですが(苦笑)。神社すぐ隣でビルの建設工事が始まっていました。この景色が見られるのはいつまでなのでしょうか。

浜っ子の伝説 60周年…(2)

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1970年代のビーチ・ボーイズはブライアンは不在で、新作は売れず、レコード会社との確執も顕著となります。低迷する人気の逆転ホームランとなったのが1974年のキャピトルからの『終わりなき夏/Endless Summer』です。60年代のヒット曲が満載のLP2枚組は全米№1になり、ビーチ・ボーイズの大復活が始まります。1975年に『スピリット・オブ・アメリカ』と続け、1982年の『サンシャイン・ドリーム』では大コケ(CD化なし)します。懲りないキャピトルは【25周年記念盤】で『メイド・イン・U.S.A』は発表。2塁打程度のヒットとなりました。この3作品は目新しさはないのですが、アート・ワークには思い入れに溢れています。

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『終わりなき夏』発売の時点でキャピトルはビーチ・ボーイズの全作品を廃盤にして印税が入らないようにします。その後2000年頃にしらっと登場したのが『グレイテスト・ヒッッ 1/1962~1965』・『グレイテスト・ヒッッ 2/1966~1969』・『グレイテスト・ヒッッ 3/ベスト・オブ・ブラザー・イヤーズ』の3枚です。ビートルズの青盤赤盤のパクリでしょう。キャピトルも東芝EMI(当時)も雑な仕事ぶりで、日本盤の1662~1965、1966~1969はジャケが同じで収録曲数の違うものがあり、ブラザー・イヤーズはアメリカ・ジャケに腰巻を付けただけと愛情の”あ”の字もありません。英国EMI編集の『The Platinum Collection』は3枚組で60曲収録です。なにが良いかって「Surfin Safari」が1曲目で始まらない出来の良いBest盤です。
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浜っ子伝説の妙な(面白い)CD作品で企業とのタイアップ盤(限定販売→一般販売)です。マイクとブルーズとデビット・マークス(初期メンバー)のジャケが1998.年の『Salute Nascar』はアメリカのカーレースNascarの50周年記念にガソリンスタンド限定で販売されました。珍しく「Ballad Of Ole' Betsy」が再録されています。2001年にアメリカのスターバックス・コーヒー限定販売での『Summer Cruush Songs We Love To Love』はアメリカ土産で入手。一時、恐ろしい程のプレミアがつきました(笑)。1996年の『Stars And Stripes Vol.1』ではウィリー・ネルソンなどアメリカのカントリー・シンガーと共演しています。共演といってもコーラスに徹したビーチ・ボーイズの曲が12曲収録です。何故かVol.2が続かないのですが、実は大好きなCDです。もう一枚はEMIの100周年記念での1998年の『Perfect Harmony』です。記念盤とは名ばかりで特別な点はなく未開封です。EMI100年(?)なんじゃそれです(笑)。
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1988年の14曲収録の
『The Beach Boys' Christmas Album 』に未発表曲を加えジャケも変更しての『Ultimate Christmas/クリスマス・アルバム完全版』にはMono→StereoやテイクやSEの処理の違い、さらにはUS盤と日本盤と違いがあり重箱のスミを突いたらキリがないのですがクリスマス・アルバムが日本で好セールスなど聞いた事はありません。次は1965年のアルバム『パーティ』の2015年にオーバーダビングや効果音を消したセッション音源などを2CD・81曲で『ビーチ・ボーイズ・パーティ!~アンカヴァード・アンド・アンプラグド』として拡大版で登場。『ペット・サウンズ』 に続いて1966~67年にかけて録音された未完成のアルバム 『スマイル』 の音源集は様々な商品形式で”売らん館かな”がミエミエでした。『ペット・サウンズ』と同様に神格化が顕著ですが、当時のメンバーの力量で発表なら好評価はなかったでしょう。もう1点の『1967 - サンシャイン・トゥモロウ』は『ワイルド・ハニー』辺りのテイク違い未発表曲+同時期のライブを含んで2CD・65曲の収録(!)。

神楽坂・恙無きや…(2)

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【恙無きや=つつがなきやとは読めませんよねぇ】PtのTaxiがいるあたりから坂道は外堀通りへと下っていきます。下りきって登ると江戸城の牛込御門。江戸時代この坂道は階段状でした。江戸城へ向かう穴八幡からの祭礼の山車が休息して、神楽を奉納した事から「神楽坂」の謂れがあったと思います。少し前まではこの通りには「陶器屋」が多くそれも花街に由来するのかと思ったものです。大学がある関係なのか昼食の料飲店が目立つようになりました。
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毘沙門さんへ向かう坂道の途中、ダンス・シューズの店を曲がると昔の芸子見番の隣が「伏見火防稲荷神社」です。この路地道が「見番横丁」とは後付けのような気がしないでもないのですが(笑)。古くからの商店が老朽化などで消えて行っても、変らずに残るのは寺社仏閣やこの様な街の小規模な神社なのでしょう。
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この先が江戸時代に旗本の本多家があった事から「本多横丁」です。旗本=一万石以下身分なので、大した家柄ではありません。この角には以前「五十番」という中華屋さんがあって名物の肉まんが大層うまかったのですが、移転されたようです。横丁を進むと某ビートルお気に入りにの鰻屋等があり、坂道を下ると「筑土八幡神社」方面です。
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時が過ぎても変わらないのが山之手七福神の「毘沙門天」を祀る善国寺、神楽坂を象徴するようなお寺です。珍しいのは神使の「虎」の阿吽像でどう見ても「熊」のような珍しい虎像です。見逃しがちですが、右の虎像の台座に刻まれた「不」のような印は明治年間に測量を実施した時の目印「几号水準点」です。
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毘沙門さんの前の極狭い路地を抜けて行くと、これも神楽坂の象徴の旅館「和可菜」です。狭い路地・石畳の道・緩やかな石段はこれぞ「神楽坂」です。付近に出版社があり締切り間際の作家が「缶詰」となる「和可菜」は有名でした。玄関は映画「日本の一番長い日」の首相宅として登場、傷んだ板黒塀もキレイになっていて改築が始まったようです。嫌な予感がするのは担当が「赤城神社」や「神楽坂ラカク」や「某競技場」を手掛けた建築事務所ということは…。あ~ぁです。

神楽坂・恙無きや…(1)

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【恙無きや=つつがなきや=変わりありませんか?】
数年前の事です、街歩き企画で『神楽坂散策』が大当たり、週に一回ペースで飯田橋前に集合したものです。数年振りにやって来たJR飯田橋駅舎の変貌ぶりには驚きました。以前は何処となくショボさ溢れる駅舎だったのが商業施設と見間違えるくらいに立派になっています。完成が2020年7月という事は久しぶりどころの話ではありませんが…。
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以前の飯田橋駅西口は改札からホームまで50m以上歩きかつホームが弧を描いて造られいて場所によっては電車とホームが50㎝以上離れ、危険な感じがしました。今回の工事では駅舎の改築ばかりでなく総武線ホームの位置も変わっています。元々この駅は旧甲武鉄道の牛込駅と飯田町駅を統合して開業しており、今回の工事で新宿方面に約200m伸ばした事で、Pt↑)でのホーム先端が旧牛込駅になるようです
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飯田橋駅は変貌してもお堀を跨ぐ牛込橋も牛込御門跡も変わった様子は見られません。歩道の先の坂道からが「神楽坂」です。この坂道は午前中が下り一方、午後が上り一方通行となっており、某政治家の事実無根の都市伝説の元ともなりました。神楽坂はや大正時代に賑わった花街、少しばかり以前にはその名残りが残っていました。
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外堀通りに面して青いテントが目に入ります。元祖大食いの聖地「神楽坂飯店」です。お店の挑戦メニューは有名でPt↓)では判りにくいでしょうが、餃子の山積みがの百個餃子で、隣の枕みたいなやつが巨大な餃子です。各¥9600で1時間以内に完食で無料とありますが…。さらに一升チャーハンは¥5840。これにくらべたら3杯分量のジャンボ・ラーメンなら何とかなるような気がします。無理はせずともこの店は何を食べても旨いです。
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