旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

鷲宮(わしのみや)神社…(3)

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2018年07月以来の埼玉県久喜市の『鷲宮(わしのみや)神社』です。神社手前の交通量の多い割には信号のないT字路から見ると”なるほど”と思るのですが、この場所から以前は見えた鷲宮神社の大鳥居が見えましが、この鳥居は残念ながら平成30年(2018)8月に原因不明(台座部分内部の腐敗?)で倒壊しています。
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Pt↑)は2018.07の撮影です。この立位置が明治年間に一の鳥居があった場所のようで、奥に見える鳥居は明治30年に二の鳥居として造られたようです。この鳥居は珍しい範疇の形式で如何にもの古社の雰囲気でしたが現在は倒壊したままで神社由緒書と鳥居の台座のみが残っています。
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案内によると鳥居の再建計画は進行中で、令和3年の秋ごろ竣工予定とあり奉賛を願う旨の掲示がありました。知る人ぞ知るこの神社は2004年頃からの漫画&アニメの『らき☆すた』に登場神社のモデルとして知られ、一時は県内では大宮氷川さんに次ぐ参拝者で押すな押すなの大人気だったこともあり、まして埼玉屈指の古社なので氏子も多く再建は容易と思っていましたがどうにも実情はそう簡単にはいかないようです。
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【Pt↓ 以前はこんな鳥居がありました】

動物園でなく動物公園!

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専門的な事は良く判りませんが「ホワイト・タイガー」はベンガルトラの白変種で、先天的な遺伝子疾患のアルビノとは違います。太古の氷河期に環境に順応して白くなった体色が遺伝子の奥深くに組み込まれ、氷河期以降も極まれに「白遺伝子」が現れるのが理由で、虎を白く塗って黒縞を書いたのではありません。ベンガルトラとトラの亜種は絶滅危惧種に指定され、特にホワイト・タイガーは保護施設にいる個体が全世界で約250頭あまり、日本では30頭が動物園で飼育されています。
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この園では2013年に4頭の子供達が生まれています。「スカイ」と名付けられた1頭は先天的に「膝蓋骨内方(しつがいこつないほう)脱臼」という障害を持ち世界でも稀有な膝の手術が行われ、その旨が詳しく掲載されています。飼育されているトラ達の血の近い交配により障害を持つ個体が生まれているのかも知れません。人間の都合だけで交配して飼育して公開して人気を得て…。なんか考えてしまいます。
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東武動物公園はやたらと広く総面積は61㌶あり宮代町と白岡市に跨っています。開園は昭和56年(1981)、東武グループの「東武レジャー企画(株)」の経営となっています。伊勢崎線沿線の群馬茨城に近い埼玉ですから61㌶の土地が確保できたのでしょう。2003年より「ハイブリッド・レジャーランド」を掲げているようです。この会社はアーバン・パークライン、スカイツリーラインだのハイブリッド・レジャーランドだのと住民が恥ずかしくて口にしない名称を付けるのが好きです(笑)。 
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1200頭もいるらしい動物達は圧倒的に「ヒラ社員」で、ホワイト・タイガーが「部長クラス」、それ以上の大物は不在です。この辺りが「動物園」ではなく「動物公園」の理由なのでしょう。遊園地の方が施設としては充実していて、未就学児童のいるファミリー層や中・高校生の健全デート向きといった感じです。そういえばこの日は期末試験明けの群馬や茨城あたりの高校生が目立ちました。
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杉戸じゃねぇか…。

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毎朝、定刻になるとご飯を食べにくる猫たちがいます。多い日には黒猫が4匹、白猫が3匹。まぁよく食べる連中です(笑)。何気に白猫を見ていると「そういやぁ東武動物公園には”ホワイト・タイガー”ってのがいたなぁ」と思い当たり出かけてみました。  [アクリル板に人影が写りこんでいます]
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JR大宮駅で東武アーバンパークライン(野田線が生意気に)で超々下品な漫画の街春日部へ、東武スカイリーライン(伊勢崎線が偉そうに)で「東武動物公園駅」へ…。「あれっここ杉戸じゃねえか」というので調べたら、1981年に杉戸駅から「東武動物公園駅」に、それも日本工業大学前なんて副駅名まで付けて変更されていました。この会社は2017年には東武伊勢崎線・松原団地駅を獨協大学前(草加松原)駅に変えたお笑い好きです。
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閑散期の12月の平日に出かけるほうが間違っていますが、東武動物公園側の駅前には冗談ではなく何もありません。駅から動物公園までの路線バスは閑散期の平日はなんと運休。よくこれで路線認可がおりたものです(笑)。という事で駅から10分ほど歩くはめに、コンビニの一軒もありません。今どきこれは相当な田舎街です。
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東武動物公園には東、西の入口があり、駅側が東ゲートです。恐らく民間の駐車場が数件あってゲートまで徒歩2分が¥500円で徒歩3分を超えると¥400という微妙な価格設定となっていました。閑散期の平日は切符売場窓口も1ヶ所だけでも待ち時間はなしです。料金は入場料+乗り物等のオプションで構成されており「動物を見るだけなら入場料だけ」で済みますが。このあたりで肝心な事に気が付きます。この「東武動物公園」は動物もいる(田舎)遊園地』なのです。
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Box setはお買い得?…(14)

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【An Easy Introduction To The Bluse】なる良く判らないレーベルからのCD8枚(15作品)のBoxです。名盤が多いのでBBやMuddyなどダブリ所有のモノもあります。箱書きには24Bitのデジタル・リマスターとありますが、正直「そうなんだぁ」としか思えません。このてのブツはタ●ーレコードの廉価盤コーナーでしか見られないもので、単独のCDだったら手はださないでしょうが、考えてみれば我々世代のギターヒーロー達が必死にコピーしてきた作品ばかりです。
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元が古い録音ですから輸入盤レコードを聴いていた時代をの思えばどうという事はありません。この【MUDDY WATERS / TIMELESS CLASSIC ALBUMS 】はホントかウソか32bitデジタル・リマスターだそうです。今でも¥2000以下で購入できるはずなのでブルーズ入門用の安全パイとしては最適です。1)The Best Of Muddy Waters 2)The Real Folk Blues 3)More Real Folk Blues 4) Muddy Waters Sings Big Bil 5)Muddy Wateters 名盤ぞろいなので中古ではよく見かけます。何故なのかThe Best Of Muddy Watersだけが高額例が多いので他の4枚はオマケと考えれば超お買い得です。
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AmazonやHMVやTowerで普通に売られている【Real Gone Musicレーベル】のBBの初期レコード8作品をCD2枚に押し込んだブツは大変に重宝しましたがさらにその上を行ったのがPt↑)の10枚組、2380円/1枚238円(当時)のBoxです。詰め込みなしの初期8枚に+2枚でボートラが付けられています。惜しむらくはオリジナル・ジャケデザインではないくらいで、これで充分ですリーガルと日本公演を安く買い足せばBBのすごさが堪能できます。
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こんなのもあります。【Otis Redding 5cd Original  Album Series Box Set】、これはPt↑)Vol.1で、Pt↓)がVol.2です。
1)Dictionary Of Soul (1966) 2)Otis Blue (1965) 3)Pain In My Heart (1964) 4)Sings Soul Ballads (1965) 5)The Soul Album (1966)ヤバイよヤバイよの名盤ばかりです 。この全作品が全米チャートの上位です。今から思えばこんな音楽が自分の廻りに溢れていた時代でした。
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OtisのBox SetのVol2には 1)Live in Europe (1967) 2)Dock of the Bay (1968) 3) in Person at the Whiskey a Go-Go (1968) 4) Love Man (1969) 5) Tell the Truth (1970)の5作品が収録です 。Otis Redding は1967年12月に26歳の若さで航空機事故で亡くなっています。Vol1と2で稀代の天才シンガーの作品がほぼ手に入るのですからこれは絶対的なお買い得です。最大のヒット曲  Sittin' On The Dock of the Bayは高校生の頃だったかなぁ。あの歌声とギター(Steve Cropper)は衝撃でした。

行田・前玉(さきたま)神社

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埼玉古墳群公園の隣に前玉(さきたま)神社があります。社殿は浅間塚と呼ばれる周囲92m、高さ8.7mの古墳の頂上にあり古墳群一部なのでしょう。創建年や由緒については不明な点が多いのですが、例の延喜式神名帳の記載の「前玉神社」とされるかなりの古社です。
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神社HPによりと「幸魂(さいわいのみたま)神社とも呼ばれ、社名の「前玉」が地名としての「前玉郡」も元で漢字変化して「埼玉郡」となり、現埼玉県へ繋がり【埼玉県名発祥の元神社】をとなります。現さいたま市の浦和は昔は足立郡ですから確かに行田あたりが「埼玉」であったのは納得です。
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祀神は前玉彦命・前玉姫命の二柱とあり、江戸年間に忍城内にあった浅間社(木花咲耶姫)が遷座しています。主祀神が男神と女神であることから恋愛成就・夫婦円満から縁結びの神として人気があるようです。更にはこの前玉神社は神社に所属する「猫のご朱印」で有名です。
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埼玉古墳群+前玉神社では2時間以上歩くことになります。JR駅に戻るバスの時刻まで近くの日帰り温泉「茂美の湯」で入浴・食事・休憩をしていました。別料金でお芝居興行が見られますが流石にそれは…(笑) 参考までに=JR行田駅(10:20/10:35)…埼玉古墳公園(10:40-12:40)…茂美の湯(12:50-15:00)…
埼玉古墳公園(15:12-15:30)。やはり現地でのバス便利用は効率的ではありません。

埼玉(さきたま)古墳群…(3)

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見上げみる
「稲荷山古墳」です。さいたま史跡博物館HPには上空からの写真がありますが、復元された古墳の全長120m、高さ12mのはやはりデカイです。HPの前方部分が壊された写真と比べると現在の姿とは別ものです。古墳の歴史的認識の低い時代を経て、これだけの財産を後世に残せたのは嬉しい事です。さらに昭和43年の調査で発掘された『金錯銘鉄剣』は日本の古代史にどれだけの衝撃を与えた事か…。
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「稲荷山古墳」隣は全長90mほどの「将軍山古墳」です。明治27年(1894)の地元の人達が発掘作業により横穴式石室が見つかり馬具や太刀などの副葬品が発掘されています。その後古墳の崩壊が進んだ事から修復作業が施され古墳内部の状態を再現した「将軍山古墳展示館」が完成しています。
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「将軍山古墳展示館」には本館の入館券で入れます。規模こそ大きくはないのですが、ご本人埋葬の姿や副葬品の数々などは意外や意外の出来です(笑)。以前、高松塚古墳では愕然とした事がありましたが、こちらの方がイメージとして判り易いでしょう。副葬品の実物は本館に展示があるそうです。
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国道沿いに古い時代の石柱がありました。【史蹟 将軍塚・稲荷山・ボチ山(?)】とあります。埼玉古墳群では丸墓山古墳と稲荷山古墳は登ることができますが、平地から見あげると古墳は普通の丘か小山にしか見えません。不可思議だったのはやたら大きな丸墓山古墳だけが円墳(前方を壊した様子はありません)他は前方後円墳なのですが…。

埼玉(さきたま)古墳群…(2)

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今でこそ”めざせ世界遺産”ですが、昔は大型古墳を囲むような臣下の小型古墳を含めると円墳35基、方墳1基があったようです。昭和初期の干拓事業と宅地化で姿を消し現在は前方後円墳8基&円墳1基が現存しています。古墳群を見て廻ると約2時間は必要です。12月とは思えない快晴の暖かい日で、駐車場には小学校の課外事業のバスが来ていました。
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「丸墓山古墳」への途中に「石田堤の案内」があります。天正18年(1590)の豊臣秀吉の小田原征伐の際、石田三成が忍城を攻めるに全長28㎞に及ぶ堤を短期間で築き城を水攻め時の堤の一部で、備中高松城、紀伊太田城とともに「日本三大水攻め」となっています。小説や映画(2012)の「のぼう城」として知られています。実際は凝らしてみると何となく「堤」に見えるようなしろものです(苦笑)。
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忍城水攻めに際に石田三成が陣を構えたとされる「丸墓山古墳」に登ります。直径105m、高さ18.9mとかなり大きな円墳です。登ってみると18.9mは意外とこたえます。古墳群は5世紀から7世紀に造られたとされ、明治26年に将軍山古墳が発掘され、昭和10年と13年に大規模な調査が行われ昭和13年に国の史跡に指定されています。
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「丸墓山古墳」頂上から忍城方向を一望できます。写真に城は写っていますが小さ過ぎます(笑)。石田三成はここに陣を構え、眼下の田圃を一面の沼地にしてしまいました。恐らく映画での湖という感じではなかったでしょうが、忍城と外部との連絡の遮断しての兵糧攻めです。そういえば映画「のぼうの城」は東北震災の影響で公開が一年延びました。津波と水攻めの取り合わせが良くなかったのでしょう。
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「丸墓山古墳」からの「稲荷山古墳です」。以前に稲荷社があったので「稲荷山古墳」だそうです。全長120m、高さ12mの前方後円墳です。昭和12年の前方部分が壊され、平成9年からの復元で復活しています。ここから昭和43年の発掘調査でとんでもないものが発掘されました。それが表面に57・裏面に58の文字が刻まれた国宝の『金錯銘鉄剣』です。課外事業の子供達が登っていく列がみえるのですが…。

埼玉(さきたま)古墳群…(1)

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埼玉県行田市には、国の特別史跡 「埼玉古墳群は古代東アジア古墳文化の終着点」として世界遺産登録へ推進中の『埼玉(さきたま)古墳群』があります。行田市はテレビドラマの「陸王」や10年ほど前の映画「のぼうの城」で花火的に登場していますが、平成29年には【地域の歴史的魅力や特色を通じ 日本の文化および伝統を語る「ストーリー」を認定する】文化庁の「日本遺産」に登録されている街です。
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「埼玉古墳群」・「忍城」・「足袋蔵まち」・「古代蓮の里」など見どころは多いのですが、各々が離れており移動する路線バス便が超々悪く・自家用車(レンタカー)でなければ一日で廻るのは不可能です。市内には秩父鉄道の行田市駅とJR行田駅があり、ここ「さきたま古墳公園」へのJR行田駅からのバス便は5便(実質3便)しかありません。「観光拠点循環コース」の路線名にはかなりの無理があります。
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Pt↑の「埼玉県立さきたま史跡の博物館」は、昭和44年(1969)に開館した9基の大型古墳群の公園内にある博物館です。以前に行った時は台風で大荒れの日でロクに記憶さえありません。展示は建物の右半分だけですが、本館と将軍山古墳の展示室に別れます。そう広くはない展示品ですが内容はかなり濃いです。
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中央の中空にあるのが展示品の目玉、国宝の稲荷山古墳出土鉄剣の「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」です。1968年於発掘調査で出土したもので、73㎝ほどの剣にはX線調査により両面に115文字の漢字があるのが判明して、当時は一大事件となったようです。館内の写真は条件付き可ですが、剣は窒素ガスを充填したケースに入っており、ピントはケースにきてしまします。
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博物館への途中に「埼玉県名称発祥之碑」が建っています。古墳群の一角の「前玉神社」が発祥の地としての謂れがあるようですが、現実は、県庁所在地は浦和に持っていかれ「さいたま市」ができた事で行田が埼玉発祥と云われても今さら感があります。それより「目指せ世界遺産」ですが、どうにも日本独自のローカル色が強くかなりハードルが高いでしょう。
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行田の街はJR行田駅付近より秩父鉄道・行田市駅付近の方が過去には栄えていたようです。JR行田駅前にはラーメンと居酒屋がかく一件と冗談抜きで何もありません。JR行田駅→古墳公園の観光拠点循環バスは、右廻りが06:40,09:05 ,11:30,14:35,17:05.左廻りが07:55,10:20,13:25:15:55,18:15しかありません。

秩父今宮神社は…。

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秩父地方には”ややこしい由緒”を持つ神社が多く「秩父今宮神社」もかなりややこしい社歴です。伊邪那岐・伊邪那美の二神と須佐之男命、八大龍王神、役尊神+稲荷神、弁財天、天満天神とあるのですが、元々は武甲山から湧く伏流水の「龍神池」に伊邪那岐・伊邪那美の二神を祀ったのが始まりのようです。大宝年間には役行者により宮中八神と観音菩薩の守護神である八大龍王を合祀し「八大宮」となります。
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役行者に続いて弘法大師らにより寺院、神社、観音堂等が造られ一大修験道場となります。天文年間には京都今宮神社より須佐之男命を勧請して「今宮神社」として、寺・神社を総称して「長岳山今宮坊」として繁栄します。。明治元年には神仏分離令により修験道が廃止され今宮坊も解体。その後昭和20年代から50年間は「児童公園」として開放され、平成4年に神社として復活しています。かなり波乱万丈です。
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「龍神木」と呼ばれる周囲8.7m・推定樹齢千年以上の欅の大木は県指定の天然記念物「駒つなぎのけやき」として知られ、この地の龍神の住まいとされています。仕方ないことですが樹木としての勢いは失われています。案内によると毎年5月から10月にはアオバズク(フクロウ)が飛来して営巣するとありますが、今はどうなんでしょうか?
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季節柄「枯れた雰囲気」は仕方ありません。Pt↑)は環境省による「平成の名水百選」選定された秩父最古の泉「武甲山の伏流水」により構成された「龍神池」です。原始信仰では「湧水」が崇められるのはごく自然なことです。
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「八大龍王」とは仏教の開祖・釈迦の使いで、名前だけ列挙すると…1)難陀(なんだ)2)跋難陀(ばつなんだ)3)娑伽羅(さがら)4)和修吉(うわすきつ)5)徳叉迦(とくさつ)6)阿那婆達多(あなばたった)7)摩那斯(まなし)8)優鉢羅(うはら)の龍王です。

武蔵国四之宮・秩父神社…(2)

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中町の『秩父今宮神社』への道すがら「秩父神社」を通り抜けていきました。秩父夜祭も今年は規模縮小との事。やはり寂しいもんです。8月に来たときは社殿の彫刻にうち、左甚五郎の作とされる「つなぎのい龍」は修復中でした。今回はPt↑)の様に鮮やかに蘇っています。
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秩父神社のご祀神は八意思兼命・知知夫彦命 ・天之御中主神・秩父宮雍仁親王の4柱とされています。明治以前は北極星を敬う外来の妙見菩薩信仰の「秩父大宮妙見宮」として知られていました。明治以降に祀神の「入れ替り」が在ったのでしょう、八意思兼命など役割も実績も存在すら判然としない神に変ってしまいます。須佐之男神、豊受大御神、天照大御神などの神々が境内社扱いもしくは長屋(マンション)に押し込められている体は面白いのですが…。
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元々、秩父地方には妙見菩薩や大口真神(山犬・狼)を信仰する人々が暮らしていたのでしょう。後に大和系の民に駆逐され元の信仰が姿を変えていったような感があります。日本武尊(という名の侵略者軍)が狼に導かれたとか、伊弉諾、伊弉冉を祀ったとか、山頂上で粥を作ったとかの神社伝承は侵略の正当化の為かもしれません。
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話がそれて行くようです(苦笑)。Pt↑)は秩父神社社殿に施された彫刻のうち「子宝・子育ての虎」です。この虎が彫られた時代では虎の雌が豹だと考えられていたようです。恐らく見た事もない動物を少ない情報で造ったのでしょう。他の彫刻は「つなぎの龍」、「北辰の梟」と修復中だった「お元気三猿」等々。
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長瀞駅から地球の窓(?)へ

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荒川の上流、全長約6㎞続く長瀞渓谷は急流と穏やかな流れの景勝地で大正13年(1924)に国の名称&天然記念物に指定されています。明治11年(1878)のドイツ人地質学者による調査団により地質学的価値が認められ「日本地質学発祥の地」と云われてきたようです。長瀞駅から商店街を抜けて河原への階段辺りにPt↑)の碑がありました。後々に建てられた土産屋や食事処に埋もれて「情けない状況」になっていますが…。
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いわゆる長瀞渓谷の岩畳です。この岩畳は「三波川変成帯」という変成岩帯が露出している状態で、対岸は川の浸食により形成された黒色片岩の鉄分が酸化した状態で「秩父赤壁」だそうです。地質学は時間の経過が壮大すぎて手におえません。この辺りが「瀞」で川下りの終点です。最上川船下り(山形)、猊鼻渓舟下り(岩手)、天竜下り(長野)、日本ライン(愛知)、柳川川下り(福岡)、潮来川下り(茨城)等々経験しましたが長瀞・天竜・日本が三大ですかねぇ。
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今でも記憶にあるのが中学校の遠足で初めて見た岩畳の”ポケットホール”と呼ばれる「穴」です。この岩が川底にあった時に窪みに落ちた石が川の流れでクルクル廻りながら岩肌を削り取ってできています。岩が川底だった事、穴を形成するための時間…。この説明については今でも鮮明に覚えています。岩畳にはそれらしき穴が沢山ありました。
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撮影を終えて駅方面に戻っていく、タレント、マネージャー、カメラ&カメアシご一行です。失礼ながら、どこの誰だか全く判りません。まぁ少なくともグラビア系ではないでしょう(笑)。駅からのこの歩道には飲食関係や物産店が並んでいます。射的場なんてのもあり、いかにも「観光地」です(笑)。
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長瀞駅は「宝登山神社」の下車駅でもあります。鳥居から坂道を登って行くことになります。宝登山に架けられた「宝登山ロープウェイ」乗場までは、土日祭日には長瀞駅から無料の送迎バスがあるようです。
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TVで見かける秩父のコマーシャルは「西武鉄道」の製作です。秩父出身の林家泰平師匠がチラチラ登場し、土屋太鳳&が踊っているヤツですが、「秩父鉄道」の相乗りはラッキーなのでしょう。

これがあの秩父鉄道

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8月の上信電鉄に次いで「秩父鉄道」に乗って来ました。秩父鉄道は明治32年(1899)に上武鉄道として創立され大正5.年(1916)に秩父鉄道と改称した埼玉県の羽生駅~三峰口駅間の71.7㎞(他に7.6㎞の貨物線あり)の路線です。熊谷駅でJRと交差しています。熊谷~行田市駅は以前に乗車しましたが、熊谷~秩父方面は初めてです。ローカル鉄道を舐めてはいけません。秩父方面ダイヤはAM9時代1本、10時代2本、11時、12時代が各1本です。で、約50分待ちました。
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JR(含新幹線)と秩父鉄道駅舎は繋がっています。電車はどこぞの中古車両なのでしょうが、ど派手なペインティングは秩父方面の名所・旧跡・伝承で、外装だけではなく社内にも書かれています。スイカ&パスモは不可で現金払いです。ローカル私鉄の事ですからIC改札の多大な設備投資が出来ないのでしょう。面白いモンで領収書は即座に発行してくれます。
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長瀞駅までは駅数にして16駅、1時間ほど運賃は¥780です。この時点で気が付かなかったのですが、次の長瀞駅~秩父駅間が7駅で¥480(!)。帰路のお花畑駅から熊谷駅間が23駅で¥880です。領収書があるので金額は間違っていません。冷静に見ると他社に比べて高額な運賃の感があります。利用者が減って高額運賃なのはローカル私鉄の宿命なのでしょう。
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電車での長瀞は初めてです。そういえば秩父鉄道熊谷駅改札に「長瀞川下りは渇水状況です」の案内がありました。川下りは更に上流で乗船して長瀞岩畳が下船場所です。船下り会社は数社が営業し紅葉シーズンの週末は駐車場の客引きなどで賑やかなところなのですが、紅葉もピークを過ぎた平日は穏やかなモンです。
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長瀞駅から¥480支払って「秩父鉄道」の秩父駅です。一見大層な駅に見えますが土産屋と食堂が入居しているので駅舎としては大したことはありません。秩父神社へは徒歩5分程度の距離ですが、西武秩父駅とは場所が異なります。いつのまにやら超有名になった感のある「秩父夜祭」は今年は縮小して執り行うそうです。12月の秩父の夜は底冷えが厳しくひどい目にあった記憶しかありません。
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秩父鉄道・お花畑駅が西武秩父駅の最寄りとなります。西武鉄道が秩父まで延長開業されたのは昭和44年(1969)の事でそう古い話ではありません。秩父鉄道線との連絡線の開業がなんと平成1年(1989)の事です。その間は両駅間数百mを歩いて乗り換えでした。お花畑駅舎は国登録有形文化財だそうで、そんな感はありますが駅周辺は「花畑」のイメージは皆無。という事で付近の観光地から「芝桜駅」を副名称としています。名物の「わらじカツ丼」が食べたかったのですが、かろうじて「立食いソバ」が一軒とは(苦笑)
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暑くない熊谷駅前

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いつの頃からか高温・猛暑の街として知られる埼玉県熊谷市ですが、そりゃあ11月末ともなれば暑いわけはありません。熊谷から秩父鉄道に乗ってみようと出かけたのですが、この鉄道1時間に1本で時間を余したので駅近をぶらぶらしてみました。駅前にデンと在るのは「熊谷次郎直実」の銅像で、源平合戦の一の谷合戦で平家の若武者・平敦盛を殺したことを悔いて坊主になったという武将にあるまじき人物の騎馬像です。
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駅から少し歩くと「星川シンボルロード」なる用水路を埋め立て造成した遊歩道があります。この遊歩道には銅像が6作品あるそうです。Pt↑)は尾道出身の円鍔勝三(えんつばかつぞう)なる巨匠の作品『花園の歌』です。ギターとタンバリンと観客。これでは演者は即刻逮捕です。
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熊谷の有名人が思い浮かびません(苦笑)。熊谷直実は古すぎ。日本最初の女医さん・荻野吟子。”麦”の増産研究の権田愛三は微妙です。Mr壱万円と赤いお笑い芸人は隣町ですが…。いつだったか、この街でラグビー・ワールドカップが行われました。いまでも名残を引きずっているようです。このスタジアムは駅からやたら遠く先細りは見えています。
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忘れるところだったのは、熊谷銘菓の「五家宝/ごかぼ」です。たしか粉に近いもち米を筒状に丸めてきな粉をまぶしたお菓子だってのですが、いつ食べたのかは全く記憶にはありません。殆どの埼玉県民が同じだと思います。五家宝、おたべ、ちんすこう、はっきり言って旨くはありません(笑)。
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これ平日のAM10:00頃です。日曜か祭日かと思うほど人がいません。さすが熊谷は”ほぼ群馬”です。

長瀞の県立博物館

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釜伏神社からの帰路に長瀞の「埼玉県立自然の博物館」へ寄って来ました。景勝地の石畳とは少しばかり離れていますが、紅葉の盛りでもあり観光客は多いようです。時間の関係で石畳までは行けませんが何年振りかの自然博物館です。この博物館は1921年の開館で100年の歴史があります。記憶は定かではにのですが最初は中学校の遠足だったと思います。高速道路もない時代にバスでの日帰りはかなりハードだったことでしょう。
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元々は秩父鉄道(株)の「秩父植物鉱物標本陳列所」として設立。昭和56年(1981)秩父鉄道から埼玉県へ移管されたようです。この地方「秩父古生層」はとんでもない昔は海底で数億年前の日本列島誕生の名残が見られる場所として有名です。それらに関する展示がの多くを占めていますが、地質学に興味のある方にはたまらんでしょう。
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さほど大きな博物館ではありませんが、展示内容は多岐に渡っています。玄関入ると昭和59年に深谷市の約1000万年前の地層から発見された鮫の歯の化石から復元した顎の復元模型があります。他には長瀞の自然に関する展示や猪、熊、鹿、狐、狸等々の動物や植物の展示があり1時間ほどで充分楽しめます。
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天井から釣りさがっているのは鮫の歯から復元した「カルカロドン メガロドン」という2500万年~400万年前に生存していた約12mの鮫の復元模型です。これらを見ても古生代には秩父地方は海でこの手の海獣がいたとは信じられません。館内にはもう一点「パレオパラドキシア」という巨大な亀のような海獣の骨格標本がありました。
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別室にも興味ある展示があります。一つは県南・旧浦和市の田島ヶ原の特別天然記念物のサクラソウの自生地。今でも無事なのでしょうか?同じく旧浦和市にあった「野田のさぎ山」。見沼田んぼに一角で数百羽の「さぎ」が飛来し営巣した国の特別天然記念物の地でした。年々住宅化が進み「さぎ」が飛来しなくなった為昭和59年(1984)に特天の指定は解除されましたが、子供の頃に見たさぎの姿は今でも記憶にあります。

秩父・狼が護る神社…(3)

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11月中旬となると秩父地方には冬の気配が漂ってきます。天候は晴れで日差しもあるのですが、大木の陰では明暗の扱いが難しく没になるPtばかりです。『釜山神社』はこんな感じの神社でした。近年は三峯神社が人気があるようですが、神社が醸し出す雰囲気は是非とも緑の季節に再訪したい神社です。
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『釜山神社』の由来です。【紀元504年頃、第9代開花天皇の皇子日之雅皇子命が武蔵野国巡幸の折、釜伏山奥院において、旅の安全と国内の平定安康を祈ったのが始まりと云われます。紀元770頃に日本武尊が巡幸した折、この神社に立寄り山頂において神様に供える粥を釜で炊かれ、この釜を神体岩上に伏せ願望成就の祈りをしたと伝えられ、「釜伏山・釜山神社」の名が付けられたと云われています】とあります。
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釜山神社のご祀神は、この世の五大要素『木火土金水の霊神』とあり、火防盗難の守護を始め諸々に無限の幸を賜るとありますが、よく判りません。鎌倉期は住吉神社と称し、釜伏山に合わせて釜伏神社、昭和初期に釜伏山と山王様を合わせて『釜山神社』に改称されたそうです。Ptは釜山神社参集殿です。神職の住まいと兼ねているようです。
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左側に手水舎、右に社務所があります。手前のオオカミ像は栄養満点と云った感じでうややもするとシェパード犬のフォルムです。冬に向かう落葉の季節で参拝者も少ないのでしょうか社務所には人の気配はありません。それでも社殿には灯明が見えます。到着時に駐車場を教えてもらった以降は約2時間どなたとも会いませんでした。
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社殿の左に「稲荷社」があります。眷属のキツネ像は離れて見てもオオカミの姿とは違います。それにしてもオオカミ系の神社にキツネ眷属の稲荷社が在っていいものなのでしょうか?
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謎含みの『海四輝威神』の額で社額とは異なります。神威輝四海=神の威光は四方の海に輝くとでも読むのでしょうか、神社の由来では、土着の神をどうにか大和系の神々を関連付ける話を創作しているように思えます。ここでは三峯神社での伊弉冉・伊弉諾神や宝登山神社の大山祇神の様に大和系の神名が見つかりません。
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こちらが釜山神社の社額です。かなり薄暗くボ~としたPtがいっぱいいっぱいです。昔は秩父・長瀞方面から熊谷へは釜伏峠を通る道であり、村落を見渡す山頂に人々を見守る神社が造られたのでしょう。自然に人々暮らしと近しかった、日本狼と神格化された「大口真神/おおぐちまかみ」が祀神と思えてきます。
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後方から見た社殿は権現造りのようです。千木は縦そぎで鰹木は6本です。よく千木の縦そぎは男神々社、鰹木が偶数本は女神々社と云れていますが、殆どが俗説に近く必ずしもの決まりはないようです。
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日本武尊の東征の折、戦勝を祈願して釜伏山中で剣を突き刺すと水が湧き出し、
日本武尊がその水を口すると、あまりの冷たさに一口しか飲めず「一杯水」という名でも呼ばれる釜伏山を水源とする「日本水」についての案内です。風布ICからしばらくの所に水汲み場がありました。相変わらずの日本武尊、余計な事ばかりしています。
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釜伏山全体が「蛇紋岩」で構成された山であることの案内板です。蛇紋岩は建築材として使用される美しい文様の石材で、東京では目黒区駒場の旧前田侯爵邸で見ることができます。1985.年に「名水百選」となった湧水もマグネシウムの含有量の多い蛇紋岩層との関連があるようです。
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