旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

池田町ワイン城 & DCT

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帯広からは約25㎞。十勝川温泉を過ぎると中川郡池田町です。全国的に十勝ワインの街として知られ、丘の上のワイン城からの眺めは抜群です。以前2018年に来た時はドシャ降りの雨でした。この日は心地よい晴天なので少しの時間寄り道をして見ました。
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通称ワイン城「池田町ブドウ・ブドウ酒研究所」はワイン工場の製造過程やレストランが併設された施設で1974年の完成しています。ここのレストラン十勝は東京にも出店していて、池田町々内で流通の町民還元ワインが楽しめたと記憶しています。
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帯広近郊は圧倒的な観光地に乏しく札幌方面から同東への通過地の要素があります。天気さえ良ければ十勝の平野には「これぞ北海道」の雄大が見られます。ワイン城からの眺めは数十年の時が過ぎても変わっていないような気がします。
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街中で「DCT」なる表記を見かけました。なんのこっちゃいと思っていたら、これは「ドリームズ・カム・トゥルー」の略で、池田町が吉田美和の出身地の旨をアピールしたいようです。なるほどワイン城にはDCT記念館が造られていました。
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確かに「ドリームズ・カム・トゥルー 吉田美記念館」では表記が長すぎます。業界的には過去のバンドなのでしょうが、今時の流行の楽曲に比べたら遥かに優れた作品だと思います。将来的には安住紳一郎記念館が計画実行されたら笑えます。
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以前の池田駅は根室本線と旧池北線の分岐駅でした。2018年の統計では池田駅の1日の利用客は470人とあり、年々減少の傾向にあるようです。駅舎の脇にあるオブジェは巨大な「ワイン・オープナー」で如何にもワインの街を象徴しています。
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2023 秋 北海道…(2)

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翌朝のJR帯広駅前。10月下旬の北海道としては嘘のように暖かいです。通勤時間帯なのですが閑散としています。地方都市の場合は駅と繁華街はやや距離があり、駅周辺は閑散としている例が多いのですが…。
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帯広駅は通路左右の施設上に方面別のホームがある構造をしている道内の駅としては面白い構造をしています。コンビニ以外の店は夜早く朝遅い営業でした。この時間【鹿と列車が衝突事故があり遅延しています】の案内放送が流れました。
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この鹿は造りモノです。散歩していると他にも鹿作品を見かけました。それにしても帯広駅周辺を見渡すとビジネス系のホテルの多い事!。廃墟と化したホテルも数軒は見かけますが、帯広が農業や畜産業の拠点の街としてもこれだけのホテル需要があるのでしょうか?良く判りません(苦笑)。
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場所は定かではないのですが着色マンホール蓋です。帯広は体格のゴツイ道産子馬が馬橇を引いての「ばんえい競馬」で有名でその模様が描かれています。鼻息荒く涙を流して突き進む道産子馬の姿には、サラブレッド競馬とは違う迫力には感動すら覚えます。
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全国屋台ブームの先駆けを自負する「北の屋台」です。約60mの路地に20軒程度の屋台が並んでいます。福岡中州屋台とは違って居酒屋、和食、洋食、中華、フレンチや韓国まで雑多な屋台が並んでいます。2001年のオープンだそうですが現在は1番街から4番街まで広がっています。朝の感じはこんなです(苦笑)。
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帯広広小路商店街は地方の中堅都市では良く見られる商店街です。朝の時間帯なのでどんな店が在るのか判りません。多くの地方都市では街の郊外に大型物販店ができ、駅近くの商店街は閑散となる…。帯広も同様のようです。
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駅前広場ばかりでなく街中にも割とリアルな鹿の像がみられます。この季節は発情期なのでえりもでは良く見かけましたが、鹿と激突したら車大破は避けられません。この付近にあった地の「藤丸百貨店」は2023年1月に閉店となっています。



2023 秋 北海道…(1)

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2023年、恒例の「秋 北海道」に出かけてきました。10月も20日過ぎると航空運賃やツアー下がる傾向にあります。それでも旅行客が減少する時期なのですが今年は例年とは異なるようです。 昼便なので団体客の姿こそ見られませんが満席です。東京/札幌の90分のフライトの1stクラス等の人気は高いようです。個人の感想とては「馬鹿ですねぇ~」としか思えません(笑)。
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驚いたのがレンタカーの混雑ぶりです。異様とも思える厚着の中国系のファミリーの姿が多く見かけられ、家族旅行の中国系は比較的に裕福層なのですが例年にない様相です。今回の相棒はトヨタの「ヤリス・旧のヴィッツ」です。トンネル内の自動点灯や接近警報などご丁寧な仕掛けがあっても悲しい事に最近はCDプレイヤーは搭載していません。
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個人参加型ツアーは初日泊を指定しなければならず、今回は帯広です。帯広まで約3時間、道東自動車道を走ります。交通量の少ない北海道の高速道路は関東ではあまりない対向車線部分が多く、慣れるまでは大変です。山間部での照明照度が低く、それ以上に厄介なのがスタッドレス・タイヤで削れた轍にはハンドルが取られがちになります。この時期北海道の日暮れは16:30頃で帯広到着時はこんな感じでした。
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繁華街は駅から10分弱ですが流石に地方都市の夜は早く閑散としています。帯広名物は「豚丼」ですがド派手なポップにひかれた入ったのはラーメン専門店でした。店のお勧め「豚骨赤味噌ラーメン/980円」です。味噌ラーメンは苦手部類なのですが、人気の一杯ともなれば気持ちも動きます。運転疲れには「雷神ギョーザ/590円はヘビーでしたが…(苦笑)
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帯広の飲み屋街はTVでも良く紹介される「屋台村」が人気で、食事だけ豚丼屋やラーメン専門店を探すのは時間がかかりました。この豚骨赤味噌ラーメンは起業から続く人気メニューだそうです。地方都市でのラーメン一杯が980円は高額の様な気がしないでもありませんが、なんとか1000円を超えないように頑張っているのでしょう。
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富士そばで蛤ラーメン!

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立喰そばの雄でありながら店舗数の多さに掲載が後回しになっているのが「名代富士そば」です。この店は「立喰い」ならぬほぼ「イス席」店なのですが、駅そば店仲間に入れるのには異存はないでしょう。何気にWeb検索をしていると【2023.10月より店舗&期間限定の蛤ラーメン】の記事を見つけました。気になります(笑)。
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その蛤ラーメンは思っていたのと違い蛤がゴロゴロと入っている訳ではなく、見た目は極普通の塩ラーメンのようです。実食すると桑名市名産のはまぐりスープを使用したとあるスープがやたらと旨いのです(笑)。どんな関連なのかは良く判りませんが、桑名市と富士そばタイアップでのふるさと納税のポスターがあり、蛤ラーメンもこの一環なのでしょう。
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富士ソバの店舗では”店舗オリジナルメニュー”がOKのようですが、この企画はそれとも違うようです。12月までの期間で富士そばでの限定12店舗、販売数14400食となれば、価格が¥680と駅そば店としては高めですがこの味なら納得です。実のところ駅そば店にラーメンやらカレーライスは邪道と思っているのですが…。旨いものは旨いです。
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この店舗は京浜東北線北浦和駅東口店で駅前です。北浦和は西口側から徒歩7分でディスクユニオン北浦和店が30年以上前からあり、最近はLPレコードの中古が充実しています。昔から人気の街中華「娘々」は東口徒歩3分程度です。

小石川植物園 変りなし!

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植物園なるものには興味も関心もありません。文京区白山の「東京大学大学院理科系研究科付属植物園」・通称「小石川植物園」もその例に洩れません。この植物園は東京大学の名前を冠していますが、徳川幕府による「小石川御薬園」を引き継いだ施設です。
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約16万㎡の敷地に4000種を超える植物があるそうです。”自然のままに…”と云われればそれまでですがあまりにも環境整備が悪く、これでも国指定の名勝・史跡に指定された入園料¥500/大人の施設とは驚きです。少しでも植物に興味のある方以外は10人中8人は甚だ残念な事になるでしょう。
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「小石川植物園」には地下鉄茗荷谷駅や白山駅から徒歩15分程度です。小石川は土地の起伏が激しく園内も入園口が一番の低地で柴田記念館や温室へはかなりな坂道を登ります。シンボル的建物の旧東京医学校本館や研究室の本館は非公開です。園内数ヶ所のトイレは殆どが工事現場以下のシロモノです。
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茗荷谷駅から歩きました。大学時代は授業の合間に小石川植物園で昼寝をしたものです。入園料は¥20(?)で正門前のお店での購入でした。木々は成長し環境はより自然に戻ったのでしょうが、あの頃のままに時間が止まったように感じます。Ptの温室は公開されていますが雨天時には屋根の有る施設はこれだけのようです。
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山本周五郎の小説を元に昭和40年に公開の三船敏郎と加山雄三での「赤ひげ」という映画がありました。作品の舞台となったのは、徳川幕府により医療・福祉施設で貧しい者や老人達に施薬治療を行う機関であった「小石川養生所」は現在の小石川植物園です。
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この建物は柴田圭太植物学教室教授の研究室として大正8年に建てられた施設です。教授関連の資料展示や絵葉書や書籍などが販売されています。小ぶりな施設なので雨天時の避難場所は無理です。
押しなべて国立大学施設の老巧化は顕著で、本郷の東大校舎は呆れるくらいのボロなので関連施設が充実している訳などありません。

何故か納得できないBand

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黒人のブルースをコピーしてきたイギリスの若造達にとってThe Bandの楽曲は衝撃だったのでしょう。それでも当時はロックでもフォークでもブルースでもないジャンルは正直ピンときませんでした。あいつらが【すげぇ】と言っても【そうかなぁ?】でした。『Academy Of Music 4cd』を見つけました。『Rock Of Ages』の更なる拡大版です。CD1&2が『Rock Of~』と同じ曲順、CD3&4が実際の演奏順でストーンズと違いオーバーダブや差替え無しだそうです。本当なんでしょうかねぇ(笑)。
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『Rock Of~』はLP時代→CD化→2CDのリマスター→ヤバさが段階的に上がります。Rhinoからの『Last Waltz 4cd』も2cdに比べればやや詰め込み過ぎ感がありまが、The Bandの作品としてはPt↑)の2種類+αで充分でしょう。何故か音質がイマイチのBootにはあまり価値を感じません。
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国内盤より格安だった『Last Waltz 2cd』はCD初期のAADが今聴くと却って曲に柔らかみがあるように感じます。問題の『Live At Watkins Glen』は1973年のオールマンズ・デッド・バンドがメインの野外フェスのLiveという名目でしたが、これは神をも恐れぬ大嘘で聴いた当初は気が付きもしませんでしが、Bandの演奏はスタジオ録音に歓声を乗せたモノと暴露されます。ストーンズより悪質ですがブックレット等は良くできています(笑)。
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最初にBandの曲を聴いたのは映画「イージー・ライダー」での『The Weight』でした。映画ではBandオリジナル曲の使用が許可せされず他のバンドの楽曲が使用されていました。ブルーズでもカントリーでもなく当時としては斬新に聞こえた『Big Pink』はECを筆頭にイギリス勢が絶賛していましたが、聴いたのは地味ジャケの『The Band』からです。頭3作では『Stage Fright』は好きです。年月を経て聞いてみるとThe Bandはここまなのです。 
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The Bandのメンバーの纏まりは次作の『Caheets』から下降します。Liveの『Rock of Ages』は別として『Moondog Matinee』・『南十字星』・『Islands』と作品の質が明らかに落ちていきます。実際は1975年の『southern cross』あたりはロビー・ロバートソンとリヴォン・ヘルムの関係は最悪だったようで『Last Waltz』と『Islands』は契約上のやっつけ仕事と云われています。
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Bob Dylanはあまり好きではありません。例外はDylan & Bandの1974年のツアーで邦題『偉大なる復活』のBandの演奏は良く聞いていました。1974年1/14と1/31の1stと2ndのFM音源での3CDはオフィシャルより音質は落ちますが及第点でしょう。当時はこのDylanとの74年ツアーの演奏はロバートソンとリボォンの関係が最悪の時期とはとても思いませんでした。2019年のロビー・ロバートソンによるドキュメンタリー『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』のタイトルはなんか釈然としません。
忘れていた『Moondog Matinee』を紛れ込みました。

悲しみの ロイ・ブキャナン

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 ロイ・ブキャナン。【ストーンズからの加入依頼を断った男】として有名ですが、彼の演奏スタイルがストーンズに合うかは甚だ疑問です。風貌も地味といえば地味です(苦笑)。名盤として挙げられるのが実在の”ロイ・ブキャナン精肉店ジャケ”の『Live Stock』と近年登場の拡大盤『Live at Town Hall 1974』です。拡大盤はアレレという間に廃盤の様子(笑)。これってテレキャスターの音なのかいな?なのですが…。
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『Live Stock』にはBootのCDRがあり、両者のDisc 2に収録曲は丸っきり違っています。左は1977年の日本公演LiveでLP時代は聴き倒し、CDではEU盤、紙ジャケ仕様の日本盤は今でもお気に入り、HeyJoe~Foxy Ladyの繋ぎはたまりません。ボリュームノブでのバイオリン奏法、ダブル・チョーキング、ピッキング・ハーモニクスとダニー・ガットンとはまた違う音色を紡ぎ出します。流行りだったとはいえ、よく『Live in Japan』は制作されたもんです(笑)
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Pt↑)左はメジャーデビュー前の作品で1971年のどこぞのクラブでのLive盤です。右のLive盤は日付の記載がなく内容が良く判りません。The Bandの前身のロニー・ホーキンスはロイの従妹なので、ロビー・ロバートソンとも顔見知りだったでしょう。ロビーのペケペケ・ハーモニックスはブキャナンに教わったのかも知れません。
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ベックの「悲しみの恋人たち」はロイに捧げられた曲なのは有名で、エリックもかなり意識していたようです。ここにはLive盤ばかりですが、ブルーズやカントリー等々の多彩な演奏を展開しています。若く影響を受けやすかったイギリスの若造達にはさぞ衝撃的だった事でしょう。『Gitar on Fire』と『Live Amazing Gracs』、『American Axe』は寄せ集めLiveですが、ハズレは少ないようです(笑)。
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こちらはEU制作の企画盤でしょう。右は1985年のドイツのTVでの収録です。ロイの使用するフェンダーテレキャスターは1953年製だそうです。後年はレスポールも使用し、ロイの名前を冠したフリッツ・ブラザース製のEMG 3発の「ロイ・ブキャナン ブルースマスター」はゲイリー・ムーアや日本公演でのジョージ・ハリスンが使用していました。
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残念な事に、彼は1988年8/14に48歳で自ら命を絶っています。Polydor(Chronicles)からの数すくないロイにBest盤です。10数枚のオリジナル作品があっても知る限りにAnthologyはこれだけ、ヤフオクでも格安で人気の無さの証明のようです。Ptで見るようにフィレットのない所で音をだすのは簡単なテクではありません。

上野東照宮のお狸様

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上野恩賜公園内の徳川家康・吉宗・慶喜公を祀る上野東照宮は4年に渡る改修工事も 完了して煌びやかな姿を見せています。な
んとなく京都的な臭いもあるのでしょうか、最近は外人観光客の姿も多く見かけるようになりました。御朱印授与所も建て直され東照宮創建以前からの樹齢600年を超える大楠の回廊も整備されました。
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回廊には先には唐突として『栄誉大権現』が祀られています。この神様は「お狸様」「夢見狸」と呼ばれ、江戸時代にはるばる四国からやってきた四国八百八狸の総帥で江戸城で大暴れして追放され、その後も安置された大名、旗本諸家を次々と潰した大悪狸なのです。かなり具体的ですがこの伝承を聴いたことはありません。
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こちらがご神体の「お狸様」です。明治以降は鳥越神社に鎮座するものの災いは続き、大正年間にこの地に落ち着くと一転して「ありがたいお狸様」に変貌。「他を抜く」という縁起から強運開祖や受験の神様として信仰されたようです。柳森神社の福寿狸大神は崇められ、こちらのお狸様は四国からやって来て(蜂須賀家?)江戸の街で大暴れして追放とは波乱万丈です。この地への鎮座は大正年間との事で、賽銭箱や屋根の部分には葵の御紋が付けられ徳川家の守護神として認められたようです。
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金キラの上野東照宮

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徳川家康公を祀る東照宮は日光や久能山が有名ですが、実際は北海道から長崎まで約100ヶ所が存在します。東京では芝と上野(浅草は焼失)にあり「日光・久能山・芝・上野」を四大東照宮とも称するようです。上野の金キラぶりはたいしたもんで、上野東照宮のには徳川家康公(東照大権現)・8代将軍徳川吉宗公(暴れん坊将軍)・15代将軍徳川慶喜が祀られています。
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上野東照宮』は1616年2月静岡駿府城で危篤状であった徳川家康が病床に居合わせたジャニ友(?)の幕府顧問で上野寛永寺の開祖天海僧正と藤堂高虎の3人が一緒に魂鎮まるところを作ってほしいといの遺言を残し、藤堂家の屋敷地の上野に1627年に東照宮を造営したとされます。芝東照宮はこじんまりと、浅草東照宮(浅草寺)は殆どが消滅しているので、これだけ派手な東照宮は貴重とも云えます。
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社殿から唐門方向です(社殿には上がれません)。社殿は拝殿、幣殿、本殿からなる典型的な権現造りです。現存する社殿は、1651年に3代将軍・徳川家光(爺ちゃん大好)が造営替えにより金箔を使った日光東照宮といい勝負の豪華絢爛の造作で「金色殿」とも呼ばれたそうです。
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現在は太平洋戦争後の神仏分離令により寛永寺から独立しています。東京空将や震災などの災害を被る事や倒壊することなく、江戸の面影をそのまま現在に残す貴重な文化財建造物です。本殿屋根部分の千木・鰹木や懸魚や散りばめられた葵のご紋の造作は見事なものです。惜しむらくは拝殿内には上がれず、これで拝観料が¥500はやや高額です(苦笑)。
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唐門の柱には左甚五郎作の「昇り龍・降り龍」の彫刻があります。よく間違えるのは【頭が下向きなのが『昇り龍』で上を向いているのが『下り龍』】で「偉大な人ほど頭を垂れる」との諺によるとあるのですが、そんな諺有りましたっけ?左甚五郎による龍の彫刻は夜な夜な不忍の池に水を飲みに行くとの伝承なんてのもあります。
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なんでも「虎の石彫」が雑誌に取り上げられて知られるようになった授与所右側の虎の石彫です。家康公の干支「寅年」生まれに因んで奉納されたようです。日本ではオスが「虎」で「豹」がメスと考えらていたようで、「虎」は日本には居なかったので実際の虎と姿が違っています。

アレサ これさ フランクリン

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レディ・ソウルことアレサフランクリンが亡くなったのは2018年でした。2021年に彼女の伝記映画が公開され、そして『アレサ・フランクリン・アット・フィルモア・ウェスト』が1CD(10曲)→2CD(23曲)を経て4CDの完全盤として再発されました。以前のRhinoからの4CDは絵にも書けないほどの高額なのでこの再発は有難い事で、中古ショップはざまぁです。
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ある時はハンバーガーショップの女主人、ある時は中古車販売店の女社長。映画「ブルース・ブラザース」はとにかく素敵な映画でした。CD作品でも彼女のバックは(笑)大物ばかりでコーネル・デュプリーとにかく弾かないギターは衝撃でした。これらの『ゴスペル・ライブ』では彼女のルーツです。1972年のL.Aの教会でのライブ盤『至上の愛』は涙モンです。1982年のジャマイカでのライブ盤は珍しやのブートです(笑)。
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アレサ・フランクリンの5CD boxも3作目です。単純計算で15CD。さすがに【レディ・ソウル】と呼ばれた事はあります。1985年の『フリー・ウェイ・オブ・ラブ』・1980年アリスタに移籍しての『アリサ』・1891年の『What You See is What You Sweat』・1998年の『ア・ローズ・イズ・スティル・ザ・ローズ』・2003年の『So Ⅾamm Happy』。流石にやっつけ仕事はありません。
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Aretha Franklin 5CD Box Vol 2には1967年の『Aretha Arrives 全米5位』・1969年の『Soul ‘69 69年 全米15位』・1970年の『This Girl’s In Love With You』・1972年の『Young Gifted & Black 全米11位』・1968 年の『Aretha In Paris』とアトコ時代の彼女の全盛期名盤ばかりです。圧倒的な歌唱力が聴けるこのBox Setは嬉しい限りです。
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Aretha Franklin には多くの作品が残されていて、この5CD Boxには1968年の『Aretha Now 全米3位』・1967年の『I Never Loved A Man The Way I Love You 全米2位』・1968年の『Lady Soul 全米2位』・1971年の『Live At The Fillmore 全米7位』・1970年の『Spirit In The Dark 全米 25位』と箱のショボさはさて置いても名盤の数々!このBoxでのFillmoreは今となってはダイジェスト盤になってしまいました。
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Timeless Classic Albumsなるシリーズからの5CD BOXです。何気に購入したのは良いのですが、アレサの極々初期の作品のようです。代表曲の「Respect」はオーティスのカヴァーのように他人のオリジナルを歌っても、アレサが歌うと”アレサの曲”になってしまいます。マドンナなんざぁまだ小娘です(笑)

上野公園 小松宮彰仁親王

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上野公園(上野恩賜公園)の銅像では「西郷隆盛像」が有名ですが公園内には他にもいくつかの銅像や記念碑があります。東京都内には皇族から軍人になった宮様達の銅像があり、南麻布の有栖川宮記念公園には有栖川宮熾仁親王、北の丸公園の旧近衛師団司令部跡には北白川宮能久親王、そして上野動物園正面ゲート脇ある銅像が小松宮彰仁親王の騎馬像です。
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小松宮は戊辰戦争時は奥羽越制圧の総督として官軍の指揮をとり、西郷隆盛との西南戦争でも出征するなど戦う皇族を率先された親王です。歴史は時として悪戯をします。上野戦争時に彰義隊に擁立され、後には奥羽越列藩同盟に明主に擁立された「輪王寺宮・北白川宮能久親王」は小松宮の実兄でした。明治維新の東北戦争は兄弟宮家の戦いとなった事になります。
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幕末に仁和寺門跡から還俗を命ぜられ、仁和寺宮親王の名で奥羽征討総督として官軍の指揮を執り、後に東伏見宮に改ます。佐賀の乱では征討総督、西南戦争にも旅団長として出征し、明治15年の宮号を小松宮に改めています。明治年間には日本赤十字に携わりその関係でこの地に銅像が造られました。実は弟君の北白川宮能久親王の波乱万丈な生涯の方が興味深いのですが…。
【吉村昭氏の「彰義隊」では輪王寺宮からの戊辰戦争が描かれています】
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小松宮騎馬像の後方にあるのが「グラント将軍植樹碑」です。グラント将軍は南北戦争の北軍の将軍で第18代アメリカ大統領です。退任後、世ン仁保界中を旅し日本に立ち寄っています。明治12年の上野公園で植樹が行われ、記念碑は昭和5年に作られています。アメリカの元大統領の来日で大騒ぎとはなんかピンときません(苦笑)。
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グラント将軍記念碑のさらに後方、上野動物園出口付近には、1946年に開園した小規模な「上野公園こども遊園地」が2016年までありました。遊園地跡は更地となっていましたが、団子屋の「新鶯亭」と上野東照宮鳥居脇の味わいのある食堂(?)は健在でした。「上野名物パンダそうめん」とは如何なる内容なのでしょう?

何故か箱根そばが…。

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いい加減にしろと怒鳴りたいほど暑い9月です。冷やしメニューにいきたいのは山々なれど「箱根そば」ならばかき揚げそばを外す訳にはいきません。Ptの盛り付けならかき揚げがベチャ浸けでないのが個人的には好みです。「名代 箱根そば」は小田急電鉄の系列会社で主に小田急線沿線に店舗展開しています。それがなんと…。
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なんとまぁ、埼玉県さいたま市大宮に出店してきました。大宮はJ3目前のポンコツアルディージャと鉄博、武蔵一之宮 氷川神社で知られますが、立喰い系は駅構内に「そば処中仙道」が2店舗と佐野ラーメンが旨い「駅そば」。駅近には「つくば本店」や「名代 富士そば 」、穴場の「四国大名」さらには「丸亀製麺」と激戦地の様相です。
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店舗は大宮ラクーン1階、元々は西武デパートだったのがあえなく撤退となり、現在は吉本劇場も入居する中規模商業施設となっています。西武デパート夢の跡は1階がパチンコ店となり、この場所は最近まで同業の「ゆで太郎」の跡地です。小田急沿線の「箱根そば」が埼玉に飛び地的に出店とは、行って見るまでは同名称の他社店舗だと思っていました。
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ゆで太郎時代は知らないのですが、店内はイス席とテーブル席で立喰いではありません。正面のガラスの先はパチンコ店です。「箱根そば」は新宿駅の本陣しか知らないのですが、私鉄系の駅そばは概してJR系のい●りと比べても旨いのですが、大宮店も間違いないでしょう。
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日本一利用者の多いであろう箱根そば新宿駅本陣ではメニューをしっかりと見ていないのですが、この”おしながき”からすると多少は絞っている感があります。食券販売機は1台。食券購入データーは厨房と連動しており、席について番号が呼ばれるのを待つだけです。本陣と違っていたのが水のコップが大宮店はプラコップで本陣は紙コップでした。
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元々が西武デパートの裏口側だったので連絡通路的に今も人通りは多いようです。店が空いている事をいい事にパチンコの休憩場としてパンを食べてるオッチャンがいたりしてます。いかにも地方の田舎街にありそうな午後の一時です。

両国駅近 文殊駅前店

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都内や近郊で店舗展開をしている「立喰そば 文殊」が両国には本店と駅前店の2店舗があります。さすがに2店舗の同日のハシゴは無理というもので今回は両国の駅前店です。駅前店だけあって駅東口からほんの数mの横綱ならぬ横網横町を入った所にあります。
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立喰いそば 文殊は川越、浅草に次いで3軒目です。両国が文殊創業の地という事でここから数分の距離に本店があるそうですが、まぁ全店制覇の野望はある訳ないので機会があればという事にしておきます。Pt↑)は「冷やしきつねそば」。立喰い店と侮れないシッカリ「冷やしそば」の姿にになっています。味、内容とも文殊!という感じです。
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便宜的に「立喰い」としていますがイス席しかなく、店内のPOPも実に賑やかで、シッカリ読んだら面白いかも知れません。この店舗だけかも知れませんが注文は口頭で現金授受です。良し悪しは別として混雑時は大丈夫かいなと気になります。
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川越店や浅草店の味がどうだったかなど細かい事は覚えていませんが、今日の「冷やしきつねそば」は実に旨かったです。両国駅の西口には正直JRcross系のい〇り庵もあるのですが、両国駅近の立喰いしばなら頭3ッ位ちがう「文殊」がお勧めです。
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両国 立喰い 天かめ

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両国駅西口から回向院へ京葉道路を左折してしばらく進むと大阪王将の少し先に「天かめ 両国店」がありました。実際は東口から直進で京葉道路の方が近いのですが、駅近くとは言い難い距離です。両国店とあるので他にも店舗があるのでしょうが、久しぶりに旧吉良邸付近を歩いていて発見しました。
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コロナ禍の事もあり両国辺りを歩くのは4年振りなので、この店が在ったか否かは判然としません。店の入口はこぎれいで食券販売機とお品書きの一覧がなかれば普通の街蕎麦店のよううです。看板には店のウリが書かれており、ここまで掲げていいのかいなっと思ってしまいます。
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たぬきそば温/¥450です。この店はうどんやラーメンのメニューはなく「そば」一本槍です。かけ、たぬき、きつね、月見、わかめ、春菊天、桜エビ、ゲソかき揚げと立喰いソバの王道をが並んでいます。ご飯ものとのセットメニューも充実しています。この「たぬきそば」はそばも汁も思い描いた記憶にある「旨い立喰いそば」の味です。
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「天かめ」が入居する前はどんな店舗だったのでしょう。立喰いそばとしてはやたらと広いです。このj時間の客はまばらでしたが、おっちゃんが一人でさばいていました。両国のこの辺りは規模の小さな会社の多い所なので、昼食時間はさぞ賑わうでしょう。見た通り「立喰いそば」で表記しましたが、全席イス席の店です。
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内装は飾り付けはなく飲食店を居抜きで引き継いだ感じでもありません。ともかく基本は”安くてうまい”ければいいのです。「細切り蕎麦 のどごし一番」・「茹でたて蕎麦 揚げたて天婦羅」は店のこだわりとPtの様な掲示もありました。両国も立喰いそばの激戦地らしく、また楽しみが広がりました。
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馬鹿を言うな!BBAライブ

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ベック・ボガート&アピス(BBA)の1973年の日本(大阪)公演と1974年のRainbow Londonの4CDの発売情報を聞いてどれだけ期待した事でしょう。Amazon価格が¥9721と嘗めた価格に驚き、日本公演40周年記念盤で演奏順に直したのを元に戻した事に激怒。水着の姉ちゃんなら話は別の写真集なんかいるかい!¥9721の価値はどこにある…(苦笑)。
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今回はSony系ではなくRhino編集、Sonyマスターが使えなかったのでしょうか?。名門Rhinoがティムとベックが亡くなったをいい事に西新宿某店の如くの追悼盤商売が疑われます。BBA日本公演は1973年5/14が東京、5/16が名古屋、5/18・19が大坂です。正規版は大阪公演からでTonight I'll Be ~とPeople Get Redyが未収録です。この2曲が入って演奏順だったらいう事なしですが、現代技術で音圧を変えただけなら¥1000の価値もありません。Pt↑)は5/14の武道館ブート2種です。
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「Rainbow 1974 1st Show」は以前から名音源とされ元ネタはFM放送音源のようです。Bootでは1CDに11曲、今回盤は2CDに11曲とこれまた疑問が生じます。驚愕の音源の登場!⇒何をおっしゃる うさぎさんです。BBAの活動期間は2年ほどで、恋焦がれて一緒になってもおいらが大将の二人、ベックとティムの確執発生はなんの不思議もありません。個人的にはBBAは空中分解ではなくベックが馘になったと思っています。
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ついでながら1972年のフランクフルト、1973年のシアトル、1974年のエジンバラです。年代が年代なので音はそれなりです。日本公演(40周年記念盤)のライブ感の凄まじさ、アピスのドラム(フット)とティムの度外れたベースはまさに「こんなのありかよ!」です。入手を考えるなら、廃盤でしょうが日本公演は「40周年記念盤」がお推め、Bootの「Rainbow」の入手は比較的容易です。未発表音源があるならまだしも優良ブート の「Rainbow」があるだけに¥9721は簡単に手は出せません。
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