旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

秩父・狼が護る神社…(2)

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長い年月、日本狼たちと秩父に住む人たちには、田畑を荒らす鹿・猪を駆逐してくれる味方だったり、人家を襲う害獣だったことでしょう。共存の関係から神格化されたのは不思議はありません。明治年間の日本狼の絶滅を期にその関係が忘れられてたにしろ、神社という形で残ったのではないのでしょうか。
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釜山峠が釜伏神社参道の始まりなのでしょう。今般は車で行きましたがWeb地図にも記載のない神社なので公共交通機関利用での参拝は大変でしょう。参道を歩くとますます狼が眷属(秘書官)ではなく祀神そのものと思えます。やはり緑の季節が良いですね。これから先の季節の訪問は止めた方が良いでしょう。
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参道入口の最初のオオカミ像です。一の鳥居(?)はなく「釜伏神社社標」のすぐ後方にあります。阿吽の形式であるようなないような、風化が進み判然としません。台座に「征露記念」あるので日露戦争勝利を祝って造られたのでしょう。
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左右を杉の大木に囲まれた参道を進みます。ここからは参道がどこまで続くのか見えません。オオカミ像(1)に比べるとやや小ぶりのようです。こちらの台座にも明治37年2月とか我帝国露国とかが断片的に読め、こちらも日露戦争戦勝記念奉納なのでしょう。口の裂け具合がキツネとは異なります。
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一の鳥居(?)にあるオオカミ像の台座には「昭和聖旨五十年記念」とあり、近年奉納された像なのでしょう。あきらかな阿吽形式になっておりあばら骨の表現も特徴的で。明治年間制作のオオカミ像と表現が異なっています。三峯神社の三輪鳥居脇のオオカミ像と似た感じがします。
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鳥居を過ぎると神社の記念石碑やらが増えてきます。どれもが劣化が激しいのと時間の関係で見ただけとなりました。次に現れるオオカミ像は「阿」形式は参道に正対して形を保っていますが、「吽」形式の方は伏せているのかと思ったのですが、前足2本が折れていて結果、この姿となっています。
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左の舞殿を過ぎて社務所手前に次のオオカミ像があります。パッと見の印象は「オオカミ」というより「犬」です。栄養満点の姿は野山を駆け巡る精悍な姿とは違うようです(苦笑)。因みにこのオオカミ像は平成14年に「愛子内親王殿下」の誕生を祝って奉納されたとあります。
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ようやく拝殿下の階段迄来ました。階段左右に正面に正対した6番目のオオカミ像があります。日本狼を知っている石工の製作でしょう。右側の社務所は常駐されている感はありません。社額とは違うのですが『海四輝威神』→神威輝四海と読み下しでしょうが、意味は感じられても何故この額なのかは判然としません。
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参道入口からここまで6対のオオカミ像がありましたが、4と5番目の間に台座だけが残っている箇所があり、ここにもオオカミ像が在ったのかも知れません。さらにもう1対が社殿前に置かれています。一瞬カピパラかと思ったのですが、石造りのオオカミ像に比べると木彫りの人形といった感です。
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社殿の後方の山道を登って下ってまた登って15分程で奥宮です。石造りの祠と対のオオカミ像だけのシンプルな祠です。後方から眼下に長瀞の町が、反対側には小川方面の平野が開けています。以前にも触れてきましたが、遥か昔から飯能方面から寄居秩父が最初に人々が住み着いた土地でもあります。Pt↓)では祠の壁面にオオカミ像が彫られています。
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秩父・狼が護る神社

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三峯神社、椋神社、寶登山神社と秩父地方の「オオカミ」と所縁のある神社を訪れてきました。今回はもう一社の気になる神社へ行ってきました。埼玉県大里郡寄居町風布(ふっぷ)1969の『釜山神社』です。花園ICから長瀞方面へ向い皆野寄居有料道路を風布ICで降りて県道を進みます。途中に「日本水/やまとみず」との名水がありますが、落葉で路肩が判らない道を注意深く30分も走り続け皆野町と寄居町の境「釜伏峠」に到着です。昔は長瀞~熊谷を結ぶ街道だったようですが道幅は狭く舗装はされていますが、あまり通りたくない(夜間は絶対に)県道です。
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杉の大木に囲まれた木漏れ日を浴びて続く300m程の参道を8組(16頭)のオオカミ達が護っています。釜山神社は標高582mの釜伏山に鎮座、案内板には第9代開花天皇の皇子とか日本武尊云々とありますが、この辺りは神社縁起を大和朝廷と結びつける為の強引技でしょう。ご祀神は『木火土金水の霊神』とありますが、正直どなたなのか判りません。神社が醸し出す雰囲気からは明治38年(1905)に絶滅したとされる日本狼が神格化された「大口真神/おおぐちまかみ」なのかも知れません。日本狼の絶滅から「わずか115年あまり」これ以前の年月は狼と人は巧くやってきたはずです。
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釜伏山は2つの頂上で構成され、全山が「蛇紋岩」でできている山だそうですが、森と落葉に埋もている状態では全く判りません。釜山神社側から山を登り、下り、更に登る事15分ほどに釜山神社奥宮があります。運動不足の身としては辛い道でしたが、奥宮からは長瀞の町や寄居方面が見渡せます。一対の狼像や祠の壁面の施された狼の意匠。この場所から「大口真神/おおぐちまかみ」が人々の暮らしを見守ったのだと思えてきます。残念ながら神社を含め劣化が進んでいます。神社までの公共交通の便はありませんがハイキングコースは整備されているようです(笑)。
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川越・民部稲荷神社…(3)

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東武東上線&JR川越駅から北方向へ約1200mの浦和・大宮を超える規模の商店街・クレアモールが続きます。中間あたりにあるのが1957年開業の「丸広百貨店川越店」です。本館の向い側、立体駐車場の一角に鳥居すらない素朴なお社が見えます。何時も何気に通りかかっていたのですが近づいてみると「民部稲荷の由来」の説明板がありました。
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【Pt↑は川越八幡宮の民部稲荷】 民部狐軍団とお寺の坊様軍団が大相撲大会を繰り広げた民話については【丸広百貨店屋上】と【川越八幡宮】で掲載しましたが、相撲勝負に敗れた民部狐軍が引越したのが、新富町2丁目(旧梵心町)の梵心山だったとあります。民話では引越しの際に「打ち身の治療術」伝授したとありますが、ここでは更に大量の小判を差し出たとあります。まぁ伝承ですからいいのでしょうが。
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【Pt↑は丸広百貨店屋上の民部稲荷】 さらに民部稲荷を信仰すれば金持ちになり、打身等に霊験もあるともあります。話の大筋はあっているようでやや違っています。また新社屋造営の機会に百貨店屋上に遷座したとあるのですが、これも拡張事業で民部稲荷を川越八幡宮に移すと数年で業績が悪化し、再度屋上に勧請して持直した逸話が欠落しています。
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川越散策・蓮馨寺

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位置的には川越熊野神社の後方にあたりますが、蓮馨寺(れんけいじ)が先に在って後に熊野神社が勧請されているので「後方」の表現は微妙です。浄土宗・蓮馨寺は、天文(てんぶん)十八年(1549年)、川越城主大導寺駿河守政繁(するがのかみまさしげ)が母の蓮馨尼を追福するために、感誉上人を招いて開山した寺で、阿弥陀如来を本尊としています。
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蓮馨寺(れんけいじ)には『おびんづる様』と称する撫で仏が置かれています。おびんづる様は釈迦の弟子の1人で、[ビンドラパーラドバージャ]が本名だそうです。若いころは放蕩三昧で釈迦に弟子入して出家修行の後神通力を得ています。朱に塗られたおびんづる様の體に触り、その手で自分の體を撫でれば、病気は治り、頭も良くなるとの信仰が定着しているようです。
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境内には昔からの川越名物の”太麺やきそば”のお店があったのですが…。一番街あたりでは年々これでもか川越名物が登場していますが、以前は”お芋関連”と”太麺やきそば”がB級グルメの代表でした。
蓮馨寺から大正浪漫通り方向の右側(お食事処の幟あたり)に以前、映画館がありました。蓮馨寺境内の焼きそば店の流れを引く店があったと記憶していますが…。
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意外な話かもしれませんが、日本人の感性には「物を食べながら歩く」という所作感性はありませんでした。以前の築地や浅草では食べながら歩くや、ゴミをポイ捨てるは多くがアジア系の外国人でした。で、鳥獣戯画をパロったポスターの登場なんですかねぇ。

川越散策・熊野神社

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川越市連雀町の大正浪漫夢通り沿いの『川越 熊野神社』は明治の神仏分離以前は近くの浄土宗・蓮馨寺(れんけいじ)の一部として紀州熊野から天正18年(1590)に勧請されたのが始まりとされます。祀神は熊野信仰のうち伊弉諾尊・事解之男命・速玉之男命が祀られています。熊野信仰自体がややこしいのですが、開運・縁結びにご利益があるとされシンボル・マークの3本脚の「八咫烏/やたがらす」の意匠は有名です。
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神社は敷地こそ広くはないのですが、酉の市で知られる鷺ノ宮神社、火防火伏の秋葉神社、蓮馨寺以前からあったと思われる加祐稲荷神社、厳島神社と銭洗い弁天や撫で蛇、開運指南場、八咫烏の助言がいただける諸々といろいろ豊富です。更にあらゆる「おみくじ」が用意されていて、この手が好きな年代(のガキ)にはたまらないでしょう。面白いところでは5m程度の長さでの足踏み石の道まで用意されています。
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神社は西武新宿線「本川越駅」から徒歩6-7分、JR・東武東上線「川越駅」からだと徒歩20分程度かかります。以前は参拝者はさほど多くなかったように記憶していますが、賑わってこそ神社なので神々も喜んでいる事でしょう(笑)。
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川越散策・一番街

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以前に地方の商店街のお年寄りと話したことがあります。『なんでもいいから人が来て欲しい。でなければ街が死んでしまう』。これが過疎・シャッター化(?)進む商店街の実際でしょう。千葉県佐原市の商工会で聞きました。『川越には敵いません。予算のかけ方が違う』。
Ptは川越を代表する景観の”一番街=蔵造の街並み”と川越のシンボル”時の鐘”です。残念ながら今年は「川越祭り」は中止となりましたが、平日の昼前でも大層な賑わいです。交通量の多い街道、狭い歩道、かなりの危険領域です。
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確かに、一番街はそれなりの年月と地元の協力と莫大な費用が費やされそれができたからの賑わいです。蔵造り建物は火事の類焼を防ぐための耐火建築として江戸時代に発達した形式ですが、多くは明治26年の川越の大火で焼け残った家屋と大火以降の家屋です。平成11年に国の重要伝統的建造物群保存地区(例によって長い名称)に、平成19年には「美しい日本の歴史的風土100選」に選定されています。昔からこの街を知っている身としては、いつのまにやら【ジャンク・フードと作られた名物にガキが群がるば街】になってしまいました。
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まぁそれもいいでしょう(笑)。人が訪れてお金が動いてこその街の繁栄です(笑)。伝統工芸や祭りや文化、素朴な名産品など見向きもされない時代になっていくようです。川越の紹介には必ず登場する「時の鐘」は約400年前から時を知らせてきた川越のシンボルで、平成8年当時の環境庁主催の「残したい日本の音風景100選」に選ばれています。
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Pt↑)は大正7年(1918)に完成の第八十五銀行として造られ、2003年からは埼玉りそな銀行川越支店蔵の街出張所として使用されていました。

さいたま市・岩槻人形博物館

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『さいたま市岩槻人形博物館』へようやっと行ってきました。博物館は2020年2月22日開館しているのですが、「コロナ禍」最中でもあり、どうしても先送りになっていました。さいたま市に合併する前の岩槻は全国的に人形の街として知られ、昭和60年代には埼玉県の岩槻・鴻巣・越ケ谷・所沢での人形生産額は全国40%を占め岩槻がその主となっていました。この博物館は合併前に構想され公立の施設としては「日本で唯一の人形博物館」なのだそうです。冗談かと思う「東武アーバンパークライン」岩槻駅から徒歩10分程度の旧日光御成街道沿いにあります。
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伝統的人形の街とか公立の人形博物館とか、そりゃぁ期待はしますわなぁ、ましてこの外観(Pt↑)ですから(苦笑)。コロナ儀式ののち観覧料(¥300/大人)で館内へ…。展示室は1、2、3の3室で、ざっと見たら10分(!)。貴重な作品もあるのでしょうが、ここまで期待と実際の差が大きな博物館は久しぶりです。定期的に展示替えをしますとありますが、そうでもしなけりゃ建物は別としたら、そこらの民間ミュージアムと大差ありません。
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Box setはお買い得?…(13)

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Amazonの通販購入のKiss 【Set The World On Fire】なるCD10枚組です。1枚がAce Frehleyのソロ・ライブで他は1974~1944のFM放送音源、気になるお値段は10枚組で¥3189です(笑)。Amzonの通販なのでB盤ではないのでしょうがレコード会社(MCPS)とあるだけでその他の解説記載は一切ありません。CDの紙ジャケ(?)には収録日と曲名がありますがコンサート全曲なのかダイジェストなのかも判りません。音源はFM音源なのでそれなりですが、迫力面ではB盤より劣るようです。まぁ1枚当たり¥319ですから(笑)
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記憶が曖昧なのですが、連れて行かれたのが(確か)中野サンプラザ。ステージにはギターがずらりと並んいるだけでバンド編成はなし(!)のG二人とパーカツだけでのコンサート。ライ・クーダの名前は知っていてもデビット・リンドレーなんて知りもしません。ライ・クーダのコアなファンの友に”聞けぇ”とさんざん言われていたもんでこのBOXを機会にエイヤッで購入。LP作品は何枚かあっても1970-1987年の作品が11枚入りとは(笑)。ホンワかしたスライドは流石になのですが、1年を通して聴いているには辛いものがあると思いますね(苦笑)。
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正式な活動期間は1964年から1973年と約10年なのですが、メンバーに変遷が激しくそのたびにスタイルがコロコロと変わる「風見鶏」的なバンドです。フォーク・ロックの雄と評価されていますが、所詮はビートルズになりたくてビートルズ並みになれなかった二流バンドといってもいいでしょう。契約関係が緩いのか多数のBoxセットが売られていますが、オリジナルCDが13枚入って格安のこのBoxセットがお勧めで救いは何点かの「傑作」があることです。
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アメリカには伝統芸能的な化け物バンドがいるものでこの『ZZトップ』は間違いないでしょう。1969のに結成から現在までメンバー(3人)は不動で、よくも悪くもハード・ブギ一辺倒(!)かと思えばシンセやらシーケンサーを導入するなど新しもん好きでもあります。アメリカでは長距離トラック・ドライバーに絶大な人気があるそうでZZの曲を大音量で聴きながら爆走は想像しただけでも楽しそうです。1970年の「ZZ Top's First Album」から1990年の「Recycler」までの10作品が収められています。日本では人気バンドとは言い難いので集めるとなったら手間と時間が必要でしょう。

北海道神宮の狛犬

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簡単に云ってしまえば〇〇神宮(本来は伊勢神宮だけが”神宮”です)には皇室の祖先や皇祖が祀られています。実は北海道神宮が明治天皇を合祀して社名を『北海道神宮』に改めたのは昭和39年(1964)の事でそう古い話ではありません。明治天皇の勅命により北海道鎮守の神を祀る社が仮宮がの造営は明治4年(1871)で、当初は社名は「札幌神社」でした。昭和49年(1974)には放火により多くの建物が全焼し昭和53年(1978)再建となります。
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この時の流れの何処かに「北海道神宮の狛犬」の理由があるのかも知れません。再建時に狛犬を移設したとか、札幌神社時代の拝殿の神門が狛犬のある場所だったとも考えられます。知らなかったのですが中国から伝来した狛犬は平安時代以前は神社の本殿内に置かれ、鳥居脇や参道や拝殿前に置かれたのは江戸期以降の事だそうです。狛犬の台座には奉納は明治44年と彫られていますが北海道の神社の殆どは「明治」の創建です。
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実は大正時代創建の明治神宮にも狛犬はいません。本殿内部には置かれているそうですが、平安期以前の神社形式の基づいたであろうと云われます。再建時の北海道神宮はこれに従ったのかも知れません。さてさてそうなると今までに参拝した皇室系神宮がどうだっかはまったく記憶にはありません。神社の世界はちょっと脇道に逸れると忽ち迷子になります。
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2020 秋・北海道…(了)

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そういえば、例の「Go To キャンペーン・クーポン」10月の中旬での札幌市内の商業施設では未対応や準備中の店舗が多かったようですが、さすがに千歳空港の売店ではほぼOKです。Pt↑)のキャラメルは本家の明治製菓では2016年3月に製造が終り、現在は函館の明治製菓の子会社の「道南食品」が北海道限定的に販売しています。サイコロキャラメルを懐かしく思う方も多いでしょう。北海道であの姿で復活していますが、味は微妙に違うようです。
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札幌滞在中に「松尾ジンギスカンに行こう」との提案は見事に却下されました。道民は松尾ジンギスカンは身近すぎて敬遠するのでしょうか(笑)。20代の頃は羊肉が全くダメでした。ようやく松尾なら食べられるようになったのですが、お安い定食の意識が定着していて、今の定食価格(Ptは¥1771の高級定食)には戸惑いがあります。
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新千歳空港フードコートの松尾ジンギスカンはご覧のような店舗です。煙もうもう、服に臭い付き放題ではありません。ずっと昔、滝川の松尾本店では体育館のような昼食会場でツアー団体が一斉に食事をはじめると館内が真ッ白になったのが思い出されます。昨年行った松尾ジンギスカン旭川店は昔ながらに雰囲気がありました。基本的には食事写真と食事場所の評価はしないことにしていますが、北海道遺産でもある松尾ジンギスカンは良しです(笑)
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購入した北海道新聞社刊行の書籍です。「ヒグマ大全」は表紙のイラストとは異なり専門的な学術書で、開拓時期から近年までの羆による人身事故の部分は「可愛いくまチャン」なんて云っている場合ではないようです。写真集「ゆきねこ」は雪景色の戸外での猫達ですが、野良猫の寿命は長くても4年程度しかありません。氷点下の北海道で生きていけるのでしょうか?やらせ写真の疑惑が湧いてきます。
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当初は「誰が行くんだ新千歳空港温泉」と云っていましたが、さすがの日程消化疲れで、溜り飛行機の出発時間までぶらぶらと売店を見て廻ったりVIPラウンジに居るのも飽きるので試しに行ってみたらこれがGoodで(笑)。今は手荷物が早い時間から預けられるので手ぶらで行けます。経営は「万葉の湯」なので内容は見えますが、広くて静かな休憩室が快適で出発便の30分前までゴロゴロしてられます。入館料は¥1500(タオル、浴衣 等々含)北海道にしてはですが…(笑)
【2020 秋・北海道】今年も無事終了しました。さすがに年々体力的に年々キツクなっています(苦笑)
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2020 秋・旭山記念公園

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今年も無事に「旭山記念公園」に到達しました。ここ10年では北海道に来てこの公園に来れなかったのは、公園の造成工事で閉鎖された期間と近くの羆騒動で公園が立入禁止だった時くらいです。恒例の秋・北海道ツアーも今年で途切れると思っていました。眼下の札幌の街には事件などなにも無いように思えます。
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現役時代から長い年月北海道に関わって来ました。今回は、50年前の混浴当たり前を今に残す二股らじうむ温泉や「露天風呂に清潔感がないよ」と言われた豊平峡温泉。実は野趣感覚は心地よいものです。さらには”いつでも行けた藻岩山山頂”にも行きました。標高531mの藻岩山でと37.5mの旭山記念公園。景色は圧倒的に藻岩山でもやはり旭山記念公園が好きです。
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千歳空港~ウトナイ湖(野鳥が殆ど不在)~白老・国立アイヌ民族博物館(完全予約制で飛込みは不可です)~長万部経由で二股らじうむ温泉(泥水色の温泉が印象的)~伊達紋別~昭和新山~向う洞爺(天気が残念)~苫小牧~新冠(こんな所に氷川神社)~静内~浦河~えりも岬~一気に札幌~豊平峡温泉~藻岩山~北海道神宮~旭山記念公園!。相変わらずよく走ってきたものです。さて次回は…(笑)。
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今回は「何故新冠に氷川神社」や「北海道神宮狛犬の謎」など新しい課題が見つかりました。3日程しか滞在しませんでしたが札幌の街もまったく無事という訳にはいかないようです。あったはずの店が廃業したり、ビルは更地になっていたりで「ありぁ」と思う事も少なからずありました。鬱陶しい限りだった韓中が全く居ないのは不思議な感じです。
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今年は例年より10日ばかり早かったので、各地で紅葉の見ごろとなることはありませんでした。気温も平年より高いようで、手稲山山頂には雪のゆの字もありません。
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2020 秋・北海道神宮

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今年も北海道神宮を参拝してきました。神宮の西駐車場(参拝者1時間無料)に入ると、Ptの第二鳥居を通ることはありません。ちなみに第一鳥居は北1条通25丁目にあるのですが街中で神域の雰囲気はありません。神宮の東駐車場から裏参道にある第三鳥居は「金運」のご利益があるそうで、Pt↑)の第二鳥居は「縁切り鳥居」として「あらゆる縁を断切る」事ができるそうです。第二鳥居が神社鬼門方向に面しているのが謂れだそうですが、珍しい話です。(笑)。
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北海道神宮の敷地面積は約18万㎡あり、多くの種類の野鳥が生息しキツネや狸、数年前には熊が出没したこともありました。明治2年の創建で、祀神は大国魂神・大那牟遅神(大国主命)・少彦名神・明治天皇です。今回は行かなかったのですが明治年間では冬場に北海道神宮を参拝するのは難儀との事で、現南2東3に遥拝所的に「北海道神宮頓宮/とんぐう」が造られています。これも珍しい例と云えるでしょう。
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アレッと思ってWeb検索してみました。第二鳥居~神門~拝殿の表参道には「狛犬」がいません。魑魅魍魎の神域への侵入を防ぐガードマンの姿は見えません。ようやく見つけた狛犬がPt↑)です。神門に向かって左側の「北海道開拓の父」とされる佐賀藩出身の島 義勇の銅像の後方で閉められた門を護っています。この門は皇族専用かと思ったのですがどうやら職員通用門のようです。神社職員に聞いても狛犬がいない理由は判りません。因みに南2東3の北海道神宮頓宮にはいるそうです。
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後に島 義勇は江藤新平らと佐賀の乱をおこし敗北、斬首梟首となっています。神社職員氏によると小さな狛犬が置かれた境内社があるそうですが、これはまた次回ということで…。
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2020 秋・藻岩山

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初めて札幌の街を訪れたのは大学生の頃。以来何度も札幌に来ているのですが、不思議と縁の無い観光地があります。札幌ビール園や大倉山シャンテ。友人知人には「何時でも行けるから」で却下され続けて幾年月…(笑)。藻岩山スキー場でが十数年前に滑った記憶はありますが、緑の季節の山頂では初めてです。藻岩山は札幌駅の南西6㎞。標高531mあります。旭山記念公園の137.5mとはかなり眺望の感覚が違います。Pt↑)中央の白い帯はこの部分だけに太陽光が当たっています。かなりの曇天ですが一瞬こんな事が起きました。
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藻岩山山頂には山麓からロープウェイがあり中腹駅でミニケーブルに乗換えて楽々山頂へ(山麓・中腹。山頂の往復で¥1800)登れます。中腹駅までは藻岩山自動車道で行けますが有料道路(10:30~22:00)が往復¥1200でミニケーブルが往復¥600なので、一人で行くならロープウェイ利用のほうが楽といえば楽です。
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旭山記念公園と比べると市内の中心地を望む角度が違いますが、標高が高い分石狩湾まで見ることができます。雪の季節がなければ街の中心から僅か数㌔でこんな豊かな自然環境は羨ましい限りです。経験したことですが、札幌の街は内地から単身で赴任し帰っていくビジネスマンには優しく定住して商売する人にはひどく排他的な二面性があります。
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藻岩山自体が大正10年に「藻岩山原始林」として天然記念物に指定されています。藻岩山には70数種類の樹木が確認されるなど比較的狭い環境にこれだけの樹木種は世界的にも稀有なりのようです。
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藻岩山神社は稲荷神の他、北欧神話のスキーの神、札幌にスキーを紹介したオーストリアの軍人、札幌オリンピック時のIOCの会長と妙な神様達です。昭和62年(1987)にスキー客の安全を祈願してっ建立されています。藻岩山スキー場で考えられないスキー事故の経験がありますが無事だったのはこの神々の加護だったのでしょう(苦笑)。
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2020 秋・豊平峡温泉

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二股ラジウム温泉と同じく楽しみにしていた『豊平峡温泉』へ行ってきました。札幌市内の河川は”とよひらがわ”ですが豊平峡は”ほうへいきょう”と読みます。札幌からニセコ方面へ走り南区の定山渓温泉から脇道には入ります。未確認ながら中山峠に降雪との情報があり車両を確認したところ北海道のレンタカーは10月中旬でスタッドレスでした。
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札幌の友人に聞くと「露天風呂に枯葉やらが浮いるのが気にならないなら…」という話でしたが、山里の源泉かけ流し温泉ならその辺り常識の範疇です。札幌駅から約35㌔ですがJR札幌駅からは路線バスが真駒内駅からは送迎バスがあり、交通の便は良いようです。入泉料の¥1000はこの雰囲気なら安めでしょう。
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平日の午前10:00ながら意外なほど混んでいます。例によって館内の撮影は出来ませんが、山荘的な建物を入り奥へ奥へ進みます。建物部分は傾斜地に建っていて、浴室は完全男女別で女風呂のほうがやや高い位置になってます。足元が滑りやすい内湯スペースから表へ出るとご自慢の大露天風呂、確かに広いです。気温が10°程度なので温泉がぬるく感じます。
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1時間ほど入浴して飯でも食べようかと思ったら、食堂はすでに満席、10人以上が並んでいました。なんでもカレーが超が付くほどの人気で、温泉は利用せず”カレーだけ”という人もいるそうです。表へ出ると来た時はガラだった駐車場は満車、第二駐車場へ流れていました。この先の豊平峡ダムに行く予定が寒いので札幌市内に戻ります。紅葉が始まったばかりでしたが、この稿掲載時は見ごろとなっているでしょう。

2020 秋・札幌の時間

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一年ぶりの札幌は諸般の事情で秋の再訪となりました。今年は暖かい日が続いたようで市内の紅葉はまだまだです。PtはJR札幌駅前高層ビルのJRタワーです。この付近はJALホテルや大丸、複合商店街、地下商店街を含めると東京以北で最大のショッピング街でしょう。銅像は「牧歌の像」とのタイトルで5人の男女と羊1匹で構成されています。
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駅を背に大通り方面です。道路下には2011年開通の地下通路があり大通りまで徒歩10分です。地下鉄初乗りが¥210円なので10分歩くか1駅乗るか微妙です。以前駅前にはそごう百貨店や西武系の五番館デパートがあったのですが…。札幌駅再開発で商圏は大通り~すすき野から札幌駅周辺にシフトしています。これも時代なんですねぇ(苦笑)
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時刻は夕刻です(笑)。大通公園の「泉の像」です。この絵ずらが札幌の代表的な景観かも知れません。かなり昔からあった様な気がしたので調べると、1959年にニッカウィスキーの寄贈されています。ニッカウイスキーからの発案ながら「ウィスキーとは関係の無いもの」との条件は了解され実現に至ったようです。
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201015_04
存在は知っていても在るのが当たり前のモノには注意は払わないものです。この3人の女性はダンサーでトゥシューズでつま先立ちしています。その体勢で60年ということです。作者の本郷 新氏は1905年の札幌生まれで北海道内に多くの作品を手掛けています。稚内の「氷雪の門」が氏の作品とは知りませんでした。
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201015_05
「泉の像」の近く、樋口某、野口某と並ぶ稀代の借金王「石川某」の歌碑です。本人の70回忌の昭和56年(1981)に造られたものです。この方は定職につくも長続きせず友人・知人から借金、踏み倒しを繰り返します。文学世界で評価されなければただの「くず」です。調べたらご本人札幌に滞在したのはたったの2週間なんですねぇ。
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201015_07
狸小路の西3丁目は昔もいまも商業一等地です。そのぶん老巧化で再開発やらビルの建て替えをせざるを得なくなったのでしょうか、老舗の「千秋庵パーラー」がなくなったのはガッカリでした。Ptのドンキホーテは少し前までは反対側にありました。雪の季節前に異様な厚着で群がっていた中韓の姿が消えたのもそんな昔のことではありません。僅か3日ばかりの滞在では判りませんがすすき野も何となく静かなようです。
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