旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2011年05月

「東京タワー」は「東京タワー」です

tower_1tower_2「日本電波搭」と正式名称で言われてもピンときませんよねぇ。実際は1958年の完成以来、日本で一番高い建造物だったのは約11年間だけだったとしても、ゴジラやガメラに散々破壊されてきても「東京タワー」はやはり「東京タワー」です。東京で暮らす人間には”なんとなく”の思い入れがあります。で、記憶にないくらい久しぶりに訪れて見ました。「ハトバス・ツアー」の定番なので、ほぼ満席状態のバスが数台来ていました。”東京の観光”も復興の様子です。
150mの大展望台までは入場料が¥820/一般でした。ここから250mの特別展望台がさらに¥600/一般の追加です。まぁ東京スカイツリーはこんなものではすまないでしょうが‥。大展望台に到着して景色を眺めてみると‥実は思いの他、感激感動はありません(!)周囲に高層ビルがありすぎです‥。最初に来た小学生の頃はこんなビル群などありませんでした。残念ながらごく普通の高層ビルからの景色になってしまいました(苦笑)。ここで特別展望台までのチケットを追加購入します(さすがに上手い商売をしています)が、EVが1基だけなので、平日でも待ちますから、休日では相当の覚悟が必要です。250mまで登ると”さすがの景色”ですね。
下のビルの蝋人形館とお化け屋敷は健在ですが、やはりゲーセンが多いようです。テナント出店に苦労しているのでしょうか?浅草仲見世にも匹敵する東京土産のショップ群にはなんとなく微笑ましくなってしまいます。南極観測隊の犬達の像にも時代を感じさせられます。
それにしても、東京タワーのどこにも「ここから計って333m」という基点が見つかりません(あるのですかねぇ?)公称333mは正しいのでしょうかねぇ??

東京ジャーミイ‥イスラム教モスク

maosuku_1mosuku_2生憎の雨模様のなか、隠れた人気の『東京三大宗教寺院巡りツアー』に同行して来ました。最初に訪れるのは築地本願寺(正式名称は浄土真宗本願寺派本願寺築地別院)です。古代インド洋式の伽藍は築地の街の代表的な建物ですね。。次に訪れたのがお茶の水・ニコライ堂(正式名称は東京復活大聖堂)です。ビザンティン様式の教会建築としては日本最大級です。「ロシア正教会の大聖堂」と呼ぶのは誤りで、”イエス・キリストの復活を記憶する日本正教会の大聖堂”だそうです。聖堂内の一部までは見学は可能となっています(拝観維持費、志納金¥300)。
このツアーのハイライトが東京ジャーミイ(東京ジャーミイ・トルコ文化センター)、オスマントルコ様式で建設されたイスラム教のモスクです。代々木上原駅を下車するとすぐにモスクのタワーが見えてきます。礼拝時間以外は自由に見学することができます。建物2階に一度に600名程度の礼拝ができる礼拝堂があります。イスラムの世界では偶像崇拝は禁止ですから仏像的なものはありませんが、見事としか言いようのない”色彩の世界”があります。光量不足で表現できないのですが、天井のドームやステンドグラスや壁のタイルの色彩、アラビア文字でさえデザインに見え、”美しい”としか表現のしようがありません。東洋的でも、ヨーロッパ的でもなく、まして日本では絶対のあり得ない色彩感覚です。雨降りではなく、よく晴れた日に是非訪れてみてください(!)
‥入信を勧誘されることは絶対にありませんので心配(?)はいりません‥

浅草‥待乳山聖天(本龍院)

matuchiyama_1「待乳山聖天/まつちやましょうてん」として知られる「本龍院」は浅草寺の子院のひとつです。創建は推古天皇の時代とされ、夫婦和合と金運にご利益のある「大聖歓喜天・十一面観音」が祀られています。
隅田川べりの小高い丘の上にあり、江戸時代は周囲が良く見渡せる名所だったそうで、多くの浮世絵や詩歌の題材ともなっていたそうですが、今ではその面影はありません。時代小説家の池波正太郎氏は1923年に待乳山聖天傍で生まれたそうで、本龍院の入口に池波正太郎生誕の碑が造られています。言問通り、言問橋西の交差点から墨田公園に沿って歩いた道路沿いにあります。”招き猫発祥の今戸神社”にも近いのですが、今戸神社=縁結びのパワー・スポットほどのインパクトに弱いのか、訪れる人もやや少ないようです。待乳山聖天と今戸神社の中間くらいに運河を埋めたてた公園がありますが、かつては王子方面から舟で吉原遊郭や浅草に来られたそうです。当時は歩く以外の交通機関と云ったら舟の利用が一番便利だったのですね。この付近には、隅田川・浅草側には待乳山聖天や今戸神社。さくら橋を渡って対岸には三囲神社、更に牛島神社と創建の古い特徴のある神社も多くあります。

記念艦「三笠」…(4)

mikasa_7mikasa_8 時代をへて船(戦艦)としての役割は終っていますが、明治35年のイギリス生まれ、旧日本海軍・連合艦隊の旗艦として日本海海戦で大活躍した栄光の戦艦には違いありません。1992年には『世界船舶基金財団の海自遺産賞』なるもの(知りませんが‥)まで受賞していいるようです。5月27日(金)には記念艦「三笠」復元50周年記念式典が行われます。行かれた事のない方は是非この機会に‥。
「狭い」だの「小さい」だのと書いてきましたが、旧式の戦艦であっても実際にデッキに立ってみると、その姿はとても美しいと思います。まさに”戦うための機能美”そのものです。
石川県加賀市の「日本元気劇場」なるところでは、原寸大の戦艦三笠を再現しているそうです。TVドラマの「坂の上の雲」の撮影に使用される三笠はそちらです。
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右の写真:JR横須賀駅前の海上自衛隊基地に数隻が停泊していました。
左: 3508=練習艦「かしま」 4050t 143m  中: 3516=練習艦「あさぎり」 3500t 137m
右: 124 =護衛艦「みねゆき」 2950t 130m  因みに「三笠」は 15140t 131mです
何時の頃からか旧海軍と同様に「愛称」が付いて、さらに艦の識別№があるので判りやすくなっています。
‥護衛艦「ひゅうが」・「いせ」や輸送艦「おおすみ」・「しもきた」はどう見ても”航空母艦”にしか見えませんね‥

記念艦「三笠」…(3)

mikasa_5mikasa_6写真左、戦艦三笠の主砲です。どう見てもレプリカなのですが‥。
40口径30.5センチ連装砲で艦前方と後方に各1基計4門あります。三笠は元々はイギリス製で1900年に完成していますが、この時代では大口径の主砲だったのでしょう。旧海軍では長門型40センチ、大和型46センチと大口径になっていくので、どうしても貧弱な感が否めません。艦の側面には40口径15.2センチ単装砲が両舷で14門、40口径7.6センチ単装砲が両舷で20門あります。魚雷発射管4門はコンクリートの下のようです。この時代ではまだ対空兵装はないようですね。主砲の後部が艦橋、ガラスの部分が操舵室。更にその上が司令塔(写真右:人がいる場所)です。例の有名な絵はここでの情景で、司令官、館長、参謀などあれだけの人数がここで指揮をして場所です。実際に立って見るとかなり”狭い”です。
時代が時代なのですが、どうしても装備も兵装も貧弱な印象を受けます。さらに艦全体が再塗装されていて映画のセットの様な感も”やや”ありますが、やはり”鉄”と”歴史”の持つ重みは重厚です。

記念艦「三笠」…(2)

mikasa_4mikasa_3記念艦「三笠」へは京浜急行横須賀中央駅下で車徒歩15分くらいです(JR横須賀駅ではかなり遠くなります)。艦右手の建物で入館券を購入します(無人島”猿島”方面フェリーはこの裏から発着します)。
戦艦三笠は日露戦争後1905年に佐世保港で乗員の不注意により爆沈しています。1908年に現役に復帰、第一次大戦に参戦したのち廃船となっています。その後の保存運動により横須賀に保存され、戦後(財)三笠保存会が発足、記念艦として展示されています。記念艦三笠の船底や下甲板はコンクリートで固定され、実際に見学できるのは上甲板と中甲板までです。後部階段から上甲板に上がり順路に従い進みますが、”戦艦”ですからラッタル(階段)が狭いのと急角度なので充分に注意が必要です(!)中甲板は資料室(写真右)に改装され、ここには日清・日露戦争時の海戦の模様が展示されています。写真左の後部地区の士官室区画辺りの丁寧に復刻された地区を除けば「戦艦の艦内」という印象には乏しいようです。。展示品の中で興味を引いたのは”日本海海戦時のT字戦法・東郷ターン”のジオラマで、実際(?)の艦隊の動きが展示してありました。‥このT字戦法(東郷ターン)は小説で読むと解り難いのですが、目で見ると「なるほど」と思います‥
三笠の乗員は860名とされていますが、それにしても艦内は”小さくて狭い”という印象です。

記念艦「三笠」…(1)

mikasa_1mikasa_25/27(金)に記念艦「三笠」復元50週年記念式典が行われるそうです。なるほど(!)この5/27-28日は1905年に日本海海戦があった日なのです。この海戦で日本海軍はロシア帝国・バルチック艦隊に対して世界の海戦歴史でもまれな一方的勝利を収めました。この大勝利がその後に日本海軍が迷走していく原因ともなってしまうのですが‥。
今年はTVで司馬遼太郎の「坂の上の雲」が放送されていますが、司馬遼太郎の原作は日本海海戦を日本側からの視点で描がいています。吉村昭の「海の史劇/新潮文庫」ではバルチック艦隊が故国を出発して喜望峰を廻って7ヶ月に及ぶ大航海の末、大敗していく様が克明に描かれています。海戦で負傷し捕虜となった艦隊の司令官ロジェストヴェンスキー提督は戦後の裁判で官位剥奪の判決を受け失意のうちに亡くなり、第3太平洋艦隊のネボガトフ少将は死刑(実刑要塞禁固10年)の判決、旅順要塞陥落のステッセル将軍はシベリアに追放されたなどの史実にも触れています。
さて記念艦「三笠」‥。記憶にある三笠公園はうらぶれていて戦艦三笠などはガタガタだったのですが、いつの間にやら驚くほど綺麗に整備されていました。観覧料一般¥500は充分許せる範囲です。
それにしても排水量15,140t(65,000t)、全長131,7m(263m)、全幅23,2m(38.9m)‥※( )は戦艦大和。
意外なほど小さいのに驚いてしまいます。広島県・呉市の大和ミュージアムの「戦艦大和」は模型ですが、こちらはあくまで本物(!)重量感が違います(笑)

大相撲・五月技量審査場所

somou_52somou_51両国国技館で開催中の『大相撲五月技量審査場所』へ行ってきました。報道等にあるように入場料無しの無料開放場所です。期間中のチケットは4月末にWebなどで発売され即刻完売状態だったそうです。発売開始時刻のPC予約操作でも「相撲協会公式サイト」がダウンするなどチケット確保は大変でした(なにせ”タダ"ですからねぇ)。さらに当日券を朝から配布するなどかなり盛り上がっている模様(!)。現に入口には”本日分のチケット配布は全て完了しました”の掲示もあり”満員御礼”を想像していたのですが‥。両国国技館は約11000人収容可能ですが、平日ということも考えても15:00の時点(取組みは朝08:00からやっています)で約4割の入り、三役、結びの一番でも約6割の入りでした。これは『無料だからチケットの確保だけして実際には会場には行かない人』が多かったってことでしょうね。オークションに出したとんでもない不埒な輩もいたそうです。
国技館で観戦すると、相撲は歌舞伎とも共通する「様式美」の色合いが強く、結果だけの”スポーツ”として見るのとは少し違うような気がしてなりません。いずれにしろ「世界にアピールできる日本の文化・伝統芸能」の復活の第一歩となれば良いのですが‥。
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写真は東方十両力士の土俵入りです。数名の十両力士が去り、力士数が”スカスカ”になってしまいました。

川越散策‥氷川神社

kawa_hikawa_1kawa_hikawa_2 埼玉県には”氷川神社”という名称の神社が数多くあります。この川越・氷川神社も元々は大宮・氷川神社より古墳時代の欽明天皇2年に分祀されたものとされ、今でも川越の総鎮守として親しまれています。国の重要無形民俗文化財である川越まつり(川越氷川祭)はここ川越・氷川神社の例大祭です。こちらには素戔嗚尊、奇稲田姫命、大巳貴命、脚摩乳命、手摩乳命と2組の夫婦神が鎮座しており、由緒正しき”縁結びの神様”として信仰されています。
神社敷地は大宮・氷川神社に比して広くはないのですが、本殿表側には八坂神社、柿本人麻呂神社、戌岩、祓いの川、ご神水、護国神社などがあり、絵馬参道を抜けて裏手に廻るとさらに多くの末社があります。さながら神社の百貨店のような感じすらします。これで大体の”お願い事”ができてしまうようです。
写真左:木製の大鳥居‥高さ約15mあります。隣の木立の奥に護国神社、ついで拝殿、手前は八坂神社です。写真左:天保年間に寄進された本殿です。江戸彫りと呼ばれる関東特有の彫刻が施されており、県の重要文化財に指定されています。
氷川神社はJR川越駅(東武東上線川越駅)東口3番乗場よりの”小江戸名所めぐりバス”で「宮下町」下車です。
小江戸名所めぐりバスは、川越駅→喜多院→本丸御殿→氷川神社→蔵造りの街の路線です。初乗り1区間¥170、1日乗り放題が¥300ですが、待ち時間が20分以上あるなら歩いたほうが早いようです。


大宮盆栽美術館

omiya_bon 大宮盆栽村はさいたま市の東武野田線とJR宇都宮線で囲まれた地区にあり、関東大震災で被災した東京・小石川の盆栽業者が移り住んだのが始まりとされています。現在は日本屈指の盆栽郷として日本国内だけではなく海外からも盆栽愛好者が訪れているそうです。5/3~5日には「大盆栽まつり」が開催され、全国から多くの盆栽愛好者で賑うとのことで出かけて見ました。東武野田線”大宮公園駅”を降りるとすぐに、多くの盆栽業者(?)が露天を構えています。正直「盆栽」にはあまり興味がないので、なにがなにやらさっぱり判りません(苦笑)盆栽園を何軒か見て廻っても感覚的には判らんでもないのですが、価格ばかりが気になってしまって‥。近くの「大宮盆栽美術館」なる最近できた施設に立ち寄ってみました(一般/¥300)『さいたま市の盆栽美術館は、総合的な盆栽文化を発信する世界で初めての公立の「盆栽美術館」として、2010年に会館いたしました。盆栽を中心として、盆器、水石、絵画資料、歴史資料などの紹介により、さいたま市の伝統産業にも指定されている盆栽の文化を、ひろく内外に発信することを目的に活動します』とパンフレットの=ごあいさつ=にあるのですが、盆栽の鑑賞のポイントとか製作の過程なども展示してあり、意外と興味深い内容です。限られた空間に”自然”を細やかに表現するのは、やはり日本人ならではの感性だと思いますし、丹精込めて創造された作品が”あの価格”になるのは無理もないことだと妙に納得できますね。
この美術館や他の盆栽園もそうでしたが、盆栽は撮影禁止となっています。やはりレイアウト・デザイン(?)の写真はまずいのでしょう。写真左上は”本日の一品”と称してこの作品のみは撮影可となっていました。

東池袋中央公園‥巣鴨拘置所跡

sugamo_p2池袋のサンシャインシティに寄り添うように東池袋中央公園があり、公園の片隅にひっそりと「平和の碑」という慰霊碑が建立されています。碑の表には『永久平和を願って』と記され、裏には『極東軍事裁判所が課した刑及び他の連合国戦争犯罪法廷が課した一部の刑がこの地で執行された』と記されています。この公園は第二次大戦後の「極東軍事裁判/東京裁判」により裁かれた戦犯が拘留されていた『巣鴨プリズン』の跡地で、1948年12月23日,今上天皇(当時の皇太子明仁親王)の誕生日に東条英機元首相ら7名のA級戦犯の死刑が執行された場所です。(石碑の奥の植え込み辺りが”絞首台”のあった場所らしいのですが‥)。東京裁判自体が「復讐裁判」の色合いが強いものとされていますが、この巣鴨プリズンでも”敗戦国の国民が同国人の戦犯の刑を執行する”という異様な事態が生じていました。
この碑の建立をめぐっても、地元住民による「戦犯を顕彰する碑は違憲」との訴訟は最高裁まで持ち込まれ、棄却されています。思考の振幅の大きさが日本人の特性でもあるのですが‥。この碑の碑文はそうした反対運動に配慮した結果なのでしょうが、何故、歴史的事実を事実として残せなかったのでしょうか?碑文に『永久平和を願って』と記したところで、この地で戦犯60名が処刑、18名が獄死、2名が自殺し、収監された戦犯総数が1600名であったという歴史的事実が変わるものではありません‥。

『タトヘ判決ハドウアラウトモ、ソレハ敵国トシテノ目カラ見テノコト、私ハ日本人トシテ何ラ良心ニハヅルトコロハナイ。‥(略)‥何ニシテモ敗レタモノハ弱い。~』   =元陸軍大尉の遺書より=
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連合国(アメリカ)は7名のA級戦犯が神格化されるのを恐れ、遺骨など一切遺族へ返却は認めませんでしたが、敢て斎場から遺骨・遺灰を持ち出した方達により静岡県熱海市伊豆山の興亜観音に「七士之碑」として祀られており、愛知県幡豆郡三ヶ根山には、伊豆山より分骨埋葬した「殉国七士墓」があります

築地チャリティー・イベント

tukiji4月30日、築地場外市場では東日本大震災で被害にあわれた方々への支援を目的として波除通りの特設会場で開催されていました。
=がんばろう日本!『元気を出そう!築地から』~やろう!築地から伝えられることはたくさんあるはず‥~=のコピーで、この日1日の時間限定イベントでしたが、久々に築地場外市場は賑わっていました。以前の土曜日の賑わいに比べたら‥、外国人観光客の姿などほとんど見かけられません。午前の時間帯のせいもあり観光バスも多い台数は来ていない様子でした。それでも場内市場の寿司屋・両巨頭は100名位の行列(!)なんとなく安心しました。
中卸のオヤジの話では大震災以降はとにかく”魚”が売れないそうです。話題の「コウナゴ」にしても‥当然福島産は入荷していないのですが‥広島産であっても「コウナゴ」の名前だけで敬遠されてしまうようです。昔に比べると情報量は格段に増えているのでしょうが、情報を理解し判断する能力は変わっていないようですね。『ヤバイ物は築地では売らないよっ!』‥仰る通りだと思います。
噂話ですが、大手スーパーでは被災地近辺の生産者からタダみたいな値段で仕入れて”復興支援”の名目で販売しているなんて話もあるようです‥。実際にあっても不思議のない”お話”ですが‥。
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