旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2011年07月

亀戸・香取神社と稲足稲荷

katori_1katori_2スポーツ振興の神様「亀戸・香取神社」です。神社にはスポーツで勝つを始め受験勉強の合格祈願、無病息災、病気平癒の病気との闘いにもご利益のある『勝守』が用意されています(この旨、神社入口の看板に堂々と明記されています)。香取神社の由来は、平将門が関東で反乱を起こした際、追討軍の俵藤太秀郷が香取神社に参拝して戦勝を祈願したとされ、この古事により以後武将達や武道家達の篤い崇敬を受けたといわれています。ここから”スポーツ振興の神様”となったと云う事です。判り易いですね。
1850年頃にはこの付近で大根が盛んに栽培され特産品とされていました。境内には栽培発祥を記念した亀戸大根の碑がありますが、大根にしては巨大で戦艦の主砲弾のような感じです。
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境内御末社には‥天祖神社(入神明宮)・福神社・熊野神社・三峯神社・水神社・稲足神社が鎮座しています。稲足神社は稲荷社なのですが、狐像(写真右)がちょっと面白い石像です。正面左の狐の足元には子狐がおり、右の狐は玉を踏んでいます。両者とも太くて立派な尻尾を持っています。口は「ア」と「ン」ですが顔立ちがなんとなく犬に近いような気がします。

明治神宮

meiji2meiji1 初詣では日本一の参拝者を集める「明治神宮」です。明治天皇と昭憲皇太后を祭神とし1915年に官幣大社として創建されました。かつては彦根藩井伊家の下屋敷跡で明治維新時に政府に献上された地だそうです。神社の敷地はかなり広大で70万㎡あるそうですが、原宿駅から歩くと写真右の「大鳥居」でやっと半分の距離です。鳥居を抜けて左側に「明治神宮御苑」・(入園料¥500)の入口があります。話題になった”井戸の写真を携帯の待ちうけ画面にするとご利益がある”という”あの清正の井戸”のあるのはこの御苑内です。都会では珍しい湧水井戸には違いないのですが、パワー・スポットと云うには??です。
拝殿前の広場。ここも広いですねぇ。初詣の時期には巨大な賽銭箱が置かれる場所です。時節柄、拝殿は耐震補強工事をしていました。初詣の時期はこの場所が参拝の人でビッシリなのですから‥。それにしても誰にお願いごとをしているのかご存知なのでしょうか(?)明治天皇にそれほどのご利益があるとは思えないのですが。
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この明治神宮も『東京五社』に名を連ねています。歴史的背景も祭神も違いすぎるのに‥。よく判りません。

代々木八幡宮・代々木出世稲荷

yoyogi81yoyogi82渋谷区代々木の「代々木八幡宮」は明治神宮の裏手にあたり、最寄駅は小田急線代々木八幡駅(千代田線代々木公園駅)から、どちらの駅も徒歩5-6分ほどです。小高い丘の上という感じの地に神社が鎮座しています。ご祭神は八幡様ですから「応仁天皇」ということになります。創建は鎌倉時代初期といわれ、規模では明治神宮に及びませんが遥かに歴史のある八幡宮です。敷地内には昭和25年に発掘調査がなされ渋谷区の史跡に指定されている『代々木八幡遺跡』‥縄文時代の住居跡が復元されています。柵で囲まれ覗き見ることしかできませんが、約5000年前には神社のある丘陵周辺には縄文人の集落があったことになります。当時も住むには条件の良い地だったのでしょう。拝殿右側に昨今有名になったパワースポット・『代々木出世稲荷大明神』があります。東京大空襲の折にこの付近で焼け残った稲荷社を集めてお祀りしたそうです。そのせいか古びて満身創痍状態の狐像も見受けられます。なんのパワースポットなのかは良く判りませんが、稲荷社が人々の暮らしに寄り添うように存在していたことの証なのでしょう。

東郷神社

togo若者の街・原宿に「東郷神社」があります。祭神は日露戦争・日本海海戦でロシア・バルチック艦隊に対し海戦史上稀な大勝利をあげた連合艦隊司令長官・東郷平八郎元帥です。創建は昭和15年の5月27日(海軍記念日/日本海海戦の日)とそう古くありません。同じ日露戦争の旅順攻防戦での将軍・乃木希典が乃木神社として創建されたのに対して海軍軍人により東郷神社の創建が計画されたそうです。こんなところにも当時の海軍と陸軍、さらには乃木稀典・長州出身、東郷平八郎・薩摩出身の対抗意識があったのでしょうね。東郷元帥自身は自分が死後「神」として祀られるのを嫌がっていたそうです。国威高揚が声高に叫ばれていた時代ですから止めようがなかったのでしょう。神様になりたくなかった神様にお参りするのもなんとなく妙な感じがします。
日本海海戦でのロシア艦隊は総38隻の内、撃沈19隻、捕獲5隻、逃亡中に沈没や抑留10隻の計34隻という壊滅的損害を被り、日本側の損害は水雷艇3隻のみというありえない大勝利です。中学生のサッカーチームがJリーグに勝ったようなものですから、東郷司令長官が神格化されるのも無理はありません。とは云え”東郷ターン”はかなり無謀な作戦なので一歩間違えればどうなっていた事やら(苦笑)。歴史とはそんなものですが・・・。
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横須賀港に「戦艦三笠」が記念艦として展示されていますが。あまりにも貧弱な戦艦なのには驚かされます。

乃木神社

nogi_1nogi_2地下鉄千代田線乃木坂駅1番出口をでてすぐに乃木神社があります。祭神は日露戦争時の将軍乃木希典夫妻で、境内には摂社・正松神社と王子稲荷社が鎮座しています。いずれも乃木将軍縁の神社だそうです。将軍夫妻は明治天皇大葬の日に殉死していますが、この神社の場所は将軍の邸宅の隣地になります。将軍夫妻が自殺した邸宅の部屋は外回廊から見られたのですが、最近は震災の影響で立ち入り禁止になっています。
乃木将軍ほど評価の分かれる軍人も珍しいでしょう。司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」や吉村昭氏の「海の史劇」では無能な将軍として描かれています。神社内資料館では自殺時に使用した刀などが展示してありますが、さすがに西南の役で敵に「軍旗」を奪われて笑いものにされた事件も、日露戦争・旅順・203高地攻略戦では10日間の戦いに64000人の兵を投入、戦死5500名、負傷11800名の犠牲者という具体的な事実にも触れていません。
これだけの犠牲者をだした将軍を死して「神」としたのもこの時代の必要性だったのでしょう。境内社の正松神社には吉田松陰が祀られていますが、この方も有名な割には本人の功績はたいしてありません。

神楽坂‥デカ盛の美学

kagura1kagura2久しぶりなので不安でしたが営業していました。”デカ盛の美学”・『神楽坂飯店』はJR飯田橋駅から神楽坂に向かう外堀通りに面してあります。メニューのショウ・ウィンドウを見ると笑ってしまいます。「餃子が百個」・「一升チャーハン」・「枕のような巨大餃子」‥。「ジャンボ・ラーメン/3玉」がまともに見えてきます。いわゆる”チャレンジ・メニュー”なのですがTVの大食い番組の常連なのでご覧になった方も多いと思います。巨大餃子のみが要予約で他は当日オーダーでOKだそうです。‥。成り上がりのイタリアンや古民家改装の店での和食なんてのは昨日今日の話‥。筋金入りの”デカ盛の美学”をつらぬく姿勢は嬉しい限りです! ‥老舗の四川料理店”神楽坂・五十番”もお忘れなく‥
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早稲田通り、神楽坂を登ります。驚くのは歩道も商店街も小奇麗になっています。昔、上司に連れて来られた飲み屋など何処だったのか思い出させないくらいに街は変貌していました。神楽坂特有の狭い路地や坂道も整備され今風の飲食店が点在しています。それでいて花街の名残もなんとなく感じられて‥。それが神楽坂の人気の秘密なのでしょう。写真右は「神楽坂毘沙門天・善國寺」です。1793年に麹町から移されてから開運厄除けとして親しまれているお寺です。江戸時代は武家屋敷街として明治・大正期は多くの文人達で賑わい「山の手銀座」とも呼ばれたこの街の時の流れを見ていたことでしょう。

大國魂神社・(2)

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府中駅から旧甲州街道を渡ると大國魂神社の社号票と大鳥居があります。隣の”府中観光情報センター”には府中の観光案内やパンフレットが置いてありますので手に入れておきましょう。参道を進むと「随神門」が見えてきます。この近辺は奈良時代から平安時代にかけて関東(古代武蔵国)の政治・文化・経済の中心として賑わった地だったのでしょう。神社の空気感や樹齢を重ねたケヤキ並木などにも2000年の時の流れや”神々が憩う場所”という感じに溢れています。
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「随神門」は再建されたばかりなので”木の香り”が漂っています。門を守る神様の像は本殿側の恵比寿天、大黒天など四体。大変カラフルの造られています。この先にさらに中雀門があり拝殿、本殿となります。元々が武蔵の国中の神社を一ヶ所に集めて祀ったとされていますが、主たる祭神が出雲の大国主神と同神となっており、神社の由緒書きには『大昔武蔵野国を開かれて人民に衣食住の道を教えられ医療法やまじないの術を授けられた御方で俗に福神又は縁結びの神として著名な御方』とあります。さらに武蔵野国の著名な神様の揃い踏みです。

大國魂神社・(1)

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京王線「府中駅」を出てケヤキ参道を大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)へ向かいます。約500mにおよぶケヤキ参道は「馬場大門のケヤキ並木」といい、1062年に源頼義・義家親子が寄進したとされ、大正13年に日本で2番目の天然記念物に指定されているそうです。旧甲州街道に面して大鳥居があり神社参道が始まります。今の季節は樹齢を重ねたケヤキの緑が深く実にとても良い感じです。大國魂神社はこの地に鎮座して1900年となるそうで、景行天皇41年(111年)と云われてもピンときません。とんでもなく古い神社ということです。武蔵國の著名な神社六社を合祀しており本殿の西殿・中殿・東殿に各々祀られています。
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鎌倉幕府、北条氏、足利氏、徳川幕府と崇敬され、明治維新以降は準勅祭社。さらの官幣小社とし続き、格式の高い『東京五社』となっています。『東京五社』というのがチョット判りにくいです。「大國魂神社」・「東京大神宮」・「靖國神社」・「明治神宮」・「赤坂日枝神社」で『東京五社』なのですが、「赤坂日枝神社」は『東京十社』にも名を連ねていますし‥。
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