旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2011年08月

福寿稲荷社・愛宕神社

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愛宕神社の境内社『福寿稲荷社』のキツネ像です。黒と白の前掛け(?)を付けて、親キツネは”飛翔の姿”をしています。子ギツネも一緒に居ますが、造形が「塊」になっているので画像では判り難いかも知れません。

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江戸東京たてもの園…(1)

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何処だか判らない漁村の風景とお決まりの富士山、銭湯と云えばこの風景画です。ここは東京都小金井市の『江戸東京たてもの園』内の展示施設で両国の『東京都江戸東京博物館』の分館として江戸時代から昭和初期までの建物が約30棟ほど展示されています。多くの建物は内部まで入れるので、全施設を見て廻るだけで約2時間はかかります。
電車利用なら=JR中央線武蔵小金井駅下車→バス7分「小金井公園西口」下車→徒歩5分
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これらは『東京たてもの園』の東ゾーンの一画です。正面が足立区千住元町から移築した『子宝湯』でオリジナルは昭和4年の建築物です。手前が港区白金の『小寺醤油店』・昭和8年。さらに江戸川区南小岩の和傘問屋の『川野商店』・大正15年。右側緑のフェンスの場所に『万徳旅館』が準備中です。この東ゾーンだけでも12棟の移築建築物があります。
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こちらのは西ゾーンの綱島家(農家)です。世田谷区から移築した江戸中期の建物です。西ゾーンには3棟の茅葺家屋が展示されていますが、どの建物も丁寧に再現されています。防虫効果のため囲炉裏で火を炊いているのには参りました‥。こちらの建物も上がりこむことができます。畳の上に座って周囲を見渡すと、なんとなく「懐かしい気持ち」が沸いてきます。
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こちらは園内に転示されている実物の大砲です。この大砲は明治4年9月より皇居本丸跡(現皇居東御苑本丸御殿跡地)に設置され、時の兵部省により正午の時刻を知らせるために使用されていました。正午になると”ドン”と一発発射!は昭和の初期まで続けられたそうです。現在に皇居東御苑の芝生内なには石碑がポツンとあるだけ、実物がここに保存されています。ご覧の様な”テキトウ”な展示となっています。いっそ返還してもらった方が大砲のためかも知れません。

王子稲荷の狐たち

ouji_1ouji_2このところ下町の稲荷社でちょっと変わった狐達を見かけることがあります。そこで関東稲荷総社の格式をもつ「王子稲荷」へも行ってみました。さすがに王子稲荷には様々な造形の狐たちが居ました。
写真左の上段の狐は「いなり幼稚園」側から山門を入った鳥居下に居ます。左の狐は「鍵」を踏み、右の狐は「玉」を踏んでいるようです。下段の狐は階段を登った鳥居の根元にあります。右の狐は「巻物」を咥え、左の狐は何もないようですが、残念なことに大事な尻尾が欠落しているようです。この狐像の姿が一番迫力があります。写真右の上から①・②は本殿奥の摂社にあります。鼻づらの造形が太く、直立した尻尾がなければ”犬”にも見えます。②の狐の頭には何か乗っかっていますが、烏帽子でも被っているのでしょうか‥?この更に奥には”狐の穴倉跡”なる祠があるのですが‥。かなり古いものとみえて網で囲ってあり造形もかなり異なった狐たちが居ますが残念ながら写真スペースが足りません。③・④の狐たちは神社の別な入口脇に居ます。③の右側の狐は”垂れ目”風でなんとも穏やかな顔をしています。写真④は左右とも子狐が足元に居ます。かなり風化が進んでいるので、恐らく以前は③の位置に居たのではないでしょうか(?)
王子稲荷さえでこの状態ですから、こうしてみると「狐像はこれ!」といった決まりはないようです。

炎天下の『皇居参観』

koukyo1koukyo2皇居」参観に行ってきました。この日は午前中とはいえ炎天下での参観となりましたが、外国人を含め約70名と予想外の大人数です。
写真①)巽櫓の奥の『桔梗門』前に指定時刻に集合です。‥露天待ちですから雨天時は注意です‥。手続き後桔梗門より写真②)の窓明館(休所)に案内され約10分程度のビデオを鑑賞し注意事項説明を受けます。案内係りに先導され出発します。‥休所には売店、トイレ、手荷物用の無料ロッカーがあります‥。→元枢密院の建物を右に見て、写真③)の富士見櫓(高さ約30m)へ進みます。東御苑内から見るのとは印象が異なります。→写真⑤)宮内庁庁舎を右に、写真④)坂下門を左に見て→写真⑥)宮殿へ進みます。一般参賀で陛下や皇族の皆様が手を振られる場所です。→写真⑦が正門鉄橋(二重橋)を皇居内から見ることになります。→写真⑧)伏見城から移築したと伝えられる「伏見櫓」が真近になります。伏見櫓と伏見多聞が繋がっていない様子が良く判ります。→再び宮殿東庭を通り宮内庁庁舎の裏手へ進み、山下通りと称する皇居らしい道を通り蓮池堀、再び富士見櫓前を通り窓明館へ戻り桔梗門より退出します。約2,2㎞、所要時間は約50分です。
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1)参観申込み方法は宮内庁HPを参照にしてください。
2)当日、「身分証明証」の提示を求められる場合がありますので持参してください。
4)外国人向けには”ガイド・ラジオ(英語?)”が用意されています。
3)写真の撮影は列を乱さない程度であればOKでした。

神楽坂・毘沙門天

kagura2kagura3正しい名称は「日蓮宗・善國寺」なのですが、「神楽坂の毘沙門さま」としての方が良く知られているようです。寛政4(1792)神楽坂に移転し、江戸時代以降この地で親しまれている日蓮宗池上本門寺の末寺です。芝正伝寺・浅草正法寺とともに江戸三毘沙門と呼ばれたそうですが、本当に”三大”ってのが好きですねぇ。本堂の左右には江戸時代後期の製作とされる「石虎」・狛虎像が置かれています。かなり風化が進行し尻尾がなければゴリラのような感じです。毘沙門天のお使いが「虎」なんでしょう…。これで○狛シリーズは狗・狐・狼・兎ときて「虎」です。身近な動物が次々と登場して動物園の体です。
向かって右側の虎像の台座(虎のレリーフの下)にくっきりと「不」の字記号が見られます。こらは几号(きごう)水準点もしくは不号(ふごう)水準点といい、明治初期に行われた高度の測量の際に灯篭や鳥居など堅牢な建造物に刻んだもので、「不」の横棒が高さの基準として使用されていました。ちなみに国会議事堂洋式前庭内には測量の基準となった「日本水準点原点」があります。

花園神社の威徳稲荷

hanazono2新宿区の花園神社です。こちらには倉稲魂命(花園神社)・日本武尊(大島神社)・受持神(雷電神社)の3柱の神様が祀られています。元々は花園稲荷・三光院稲荷・四谷追分稲荷などと呼ばれ、昭和3年に雷電神社を昭和40年に大鳥神社を合祀して社名を「花園神社」と改めています。境内社には芸能関係に縁のある芸能浅間神社(写真下段中)や威徳稲荷神社(写真下段右)があります。この威徳稲荷神社の狐像が面白い造形になっています。右側の狐の足元には子狐がいます。この造形ならたまに見かける事もあります。左側の像にも子狐がいますが、この子狐は親狐の背中をよじ登ろうとしているように見えます。こんな親子狐の造形は他では見た記憶がありません。さらに「あ」・「ん」なし、「鍵」・「巻物」なしで、親子セットの狐像が1対とは珍しいといえば珍しい狐像です。今回は触れませんが、この稲荷社は”男女和合”のご利益があるとされています。謎解きは社号の額の所にあります(祠裏にも同様なモノがありますが‥)某秘宝館並みに実に”ご立派”です。稲荷社と男女和合の結びつきがイマイチ判りません。
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境内社の「芸能浅間神社」は名前の通り富士講で賑わった浅間神社ですが。何故芸能関係に縁があるのかは良く判りません。神社入口には芸能人の奉納者の名前が多く並んでおり、本殿右側には藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」の歌碑が建立されています。

下谷・小野照崎神社の稲荷社

shitaya_1shitaya2JR鶯谷駅から徒歩7分ほどに台東区・下谷に「小野照崎神社」があります。『小野篁』を主祭神として相殿に菅原道真公が祀られ「学問・芸能」の神様として有名だそうです。あの寅さんこと渥美清氏の縁の神社としても知られているようです。境内末社には御嶽神社・三峰神社・琴平神社・織姫神社・稲荷神社や日本三大庚申塚といわれる庚申塚や重要有形民俗文化財指定の下谷・富士塚(下谷坂本富士)の富士浅間神社などがあります。この神社は空襲被害にあってないとの事で、境内末社の石像達はいずれも長い時の流れを経てきています。庚申塚や浅間神社の「猿」はチョット残念な状態で、三峰神社の「狼」は角が取れてほとんど「猫」に見えます。これはこれで雰囲気がありますが‥。
写真左の稲荷社と織姫神社が合祀されている神社にはなんとも不思議な姿の狐像があります。。左側の狐は下顎部分が欠けています。右側の狐の顔はあらぬ方向を向いています。いずれにしてもこんな風にクネクネした姿の狐像は見たことがありません。これも造形”何でもあり”の世界なのでしょうか‥?
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写真左、下方は左が三峰・御嶽神社の「狼」。中が庚申塚の「猿」、右が浅間神社の「猿」です。神社拝殿脇には狛犬も鎮座しています。

三囲神社のコンコンさん

mimeguri1mimeguri3墨田区向島にある三囲神社、ご祭神は「宇迦御魂之命」なので稲荷社ということになります。文和年間(1353頃)に近江三井寺の僧侶が社を改築しようとした際に土中より白狐にまたがる老翁の像を見つけ、その折に白狐が現れて神像を三回廻ったことから三囲神社としたとされています。言い伝えですから”そうですか”としか云いようがありませんが、なんとも不可思議な伝承です。ここは三越(三井家)の縁のある神社ともされ、拝殿手前には古びた狛犬や閉店した三越池袋店にあったライオン像が何故か1体だけ置いてあります。処分するのに忍びなかったのでしょうか‥?
興味を引くのが”コンコンさん”と称する狐の像です。稲荷社なので狐像に不思議はないのですが、実に穏やかな顔をしています。目元など笑っているような感さえします。頭の上には烏帽子でも被っているのでしょうか突起があります。口元は『あ』・『ん』ですが『鍵』も『巻物』も咥えていませんし、足元は何も踏みつけていません。なにより直立した尻尾が実に立派です。他では見かけない狐像です。元をたどれば京都・伏見稲荷にたどり着くのでしょうが「狐の像はコレだ」という規格はなかったのでしょうか(?)京都から離れていることで作者が勝手に製作したのでしょうか(?)意外と関東の狐の像は奥が深いのかも知れません。
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