旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2011年11月

偉大なる1本銀杏たち

ichou_3ichou_2東京の銀杏が色づく季節となりました。秋が暖かだったので色づきが遅いようですが神宮外苑、皇居行幸道路、国会議事堂廻り、靖国神社など銀杏並木の名所は見頃となっています。
で、今回は都内の銀杏の名木(1本銀杏)を廻る企画に同行してきました。行程は‥1)日比谷公園・首賭け銀杏(周囲6.2m.高さ21.5m.推定350年) 2)芝東照宮の大銀杏(周囲6.3m) 3)麻布・善福寺さかさ銀杏(周囲19.4m 国指定の文化財) 4)赤坂氷川神社に大銀杏(推定樹齢400年) 5)赤坂日枝神社の銀杏 6)雑司ヶ谷鬼子母神の子授け銀杏(周囲8m.高さ32m) 7)王子神社の大銀杏(周囲6.5m.高さ24m)‥いずれの大銀杏も樹齢数百年を超え、しかも”1本銀杏”‥そのどれもが”文句あるか”の圧倒的な存在感で迫ってくる巨木です!なんでも銀杏種と羊歯種だけが氷河期を生き延びた植物で、まさに”前世紀の遺物”なんだそうですが、そうしてみると樹齢数百年などほんの一瞬にすぎないのかも知れません。風雪に耐え変わりゆく街や人々の暮らしを見守って来たその姿には感動すら覚えます。
これらの1本銀杏を見てしまうと、賑わう神宮外苑の銀杏並木など人工的で”チャチ”な感すらしてきます。‥実際、外苑の銀杏並木は内側2列が明治神宮の管轄で外側2列が都の管轄におり、絵画館に向って遠近法で木の高さを変えるなど小癪な細工なんかをしていますが‥しょせんは”創られた並木道”にしかすぎません。
それにしてもオープン・カフェなる場所で排気ガスや埃まみれで食事をしている方々の気が知れません。あなた方のお姿(特に男性)は”おしゃれ”というよりどうしても貧乏くさい雰囲気が漂ってしまいます。
《写真左は1ヵ月ほど前の札幌・北海道大学の構内です》

築地本願寺の動物石像

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築地本願寺の正面階段を上がり、左右の階段付近に数種類の動物たちの石像があります。最初は「十二支」の像かと思ったのですが、解説板によると仏教の説法『三蓄評樹』に由来するとありました。調べて見ると、「物事は全体を見渡すことが重要」という説法だそうです。あまりのも当然といえば当然のことなのですが‥?ここで云う三蓄とは鳥、猿、象を指し、鳥は釈迦の前世、猿と象は弟子の前世だそうです。
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左上:玄関を入って最初に目に付くのが『牛』です。『鳥』この奥側にあります。
右上:解説板です『妖怪趣味』とありますが‥。
左下:階段踊り場にある『虎』です。右の『馬』とは並んでいます。
『象』は階段下の喫煙所辺りです。階段を下る壁に一対の『猿』があります。

日本銀行本店‥(Ⅱ)

bk_4bk_2日本銀行本店は平日(除外日あり)に限り ①09:45 ②11:00  ③13:30 ④15:00の一日4回発の予約制で見学する事ができます。指定時刻の10分前までに見学者受付で手続きをすませ(大きな荷物はここでロッカーに預けたほうが良いでしょう)ボディ・チェックを受け、見学者バッジを付けた後に会議室へ案内されます。こちらで日銀の歴史や金融政策の説明などの約20分ほどのビデオ(専門的でありながら判りやすい内容になっています)を鑑賞します。終了後、職員の先導案内により約40分の館内見学に出発となります。歴代の日銀総裁の絵画が展示してある廊下や総裁旧執務室などを、職員の説明により見て廻ります。ハイライトはやはり地下の大金庫室になるのでしょう。よく管理された金庫の鉄扉はさすがですが‥。※金庫室鉄扉に触ることは厳禁されています(!)これで大体の見学コースは終了です。※建物内部の写真撮影は禁止ですが、中庭での記念撮影程度は大丈夫なようです。
ついでといってはナンですが、日銀の向いに(写真右)日本銀行金融研究所による『貨幣博物館』があり、大判・小判や歴代の紙幣などが展示されています。ゆっくり見たら1時間弱は必要(入場無料・予約不要)ですが、むしろ『貨幣博物館』の方が楽しめるかもしれません‥(!)

日本銀行本店‥(Ⅰ)

bk_1bk_3「グランド・スラム作戦」‥007の映画「ゴールド・フィンガー」でMrゴールドフィンガー氏がテキサス・フォートノックスの金塊貯蔵庫を襲撃する際の作戦名です。(金塊貯蔵庫は実際はセットでの撮影だそうですが‥)なにぶん子供の頃に見た映画なので印象は強烈に残っていました。
さて、日本銀行本店ですが‥。名建築家”辰野金吾氏”の設計により1896年/明治29年に竣工した建物です。そんなことで建物には多大な興味を持って出かけてきました。あくまで『個人的な感想』ですが‥。辰野金吾の作品としては低レベルの作品だと思います。外観、外装はごく普通の造りで、内部は総裁室など偉いさん区画以外の職員業務区画は手抜き設計の印象すらあります。仕事がら現存する同時代の歴史的建造物を見る機会が多いのですが、正直この程度とは思いませんでした‥。重要文化財としての価値は充分にあるのでしょうが、辰野作品としては云え良い出来とは思えません。地下の大金庫室もなんとも中途半端な広さで、”エッ、エ~ェ”で終ってしまいました。007映画の記憶は強烈なようです‥(苦笑)
ちょうど日清戦争(1894年/明治27年)の終わる頃の建設ですから、やはり予算が減らされたのですかねぇ?
<この項・続く>

常磐橋と常盤橋

tokiwa_1tokiwa_2大手町と日本橋の境の日本橋川に架かる2つの橋、常磐橋と常盤橋‥どちらも読み方は”ときわばし”です。(さらに交差点名も”常盤橋”です)
ややこしいですが、写真左‥常磐橋①、写真右‥常盤橋②です。東京駅八重洲北口を出て線路に沿って神田方面へ、日本ビルの隣辺りになるのですがあまり馴染みのない場所です。とは言うものの隣接の常盤橋公園には「渋沢栄一」の像があり、さらに江戸時代にはここに「常盤橋門」がありました。江戸五口の1ッと云われ今でも石垣が残っています。①の常磐橋は東京でも最も古い橋とされ1590年に架橋されたそうです。老巧化に伴い②の橋が架橋され①は歩行者専用となっていました。が‥、東北震災の影響で①の橋は崩落の危機となってしまい現在は立ち入り禁止となっています。遠目にはなんでもないようですが、下(川面)から見上げると剥がれ落ち寸前の石材があり、一ヶ所崩れれば連鎖で完全に崩壊という残念な状況になっています。

国会参観のお土産

bai_1bai_2久々の国会議事堂関連の記事です。
参観ツアーのお客さんにはお土産の感心が高いようです。通常の一般参観(見学)の場合は議員先生or議員秘書同行の参観とは異なり、立ち入れないエリアがあり、職員向けの売店や議員食堂などには入れません。皆さん”お土産”には感心があるようで、しっかりチェックしているようです。
議事堂外部で一般立ち入り可能な売店は2ヶ所あります。1ケ所は参議院側別館の建物内にJR駅のキオスク程度の売店があります。もう1ケ所は団体参観観光バス駐車場の施設内に写真のお店があり、こちらのお店の方が品数が豊富です。ボールペンやら湯呑、タオルの類から皇室カレンダーなどまで幅広く扱っています。特に議員先生方にちなんだお饅頭やらお煎餅などはマニアックでもありタイムリーでもあります。先般の新総理誕生の時には『駅前演説まんじゅう』や『頑張るノダ/おせんべい』などが就任ほぼ同時に発売になっていました。この品々の製造元は意外でも東京で老舗に入るお菓子屋です。パッケージのデザインに漂うような何となく怪しい製造元では決してありません(笑)

東京運河クルーズ体験は雨

nihon2nihon1’11年の秋、東京は小春日和と肌寒の日が交互にやってきます。11日(金)‥この日は12月並みの温度にしか上がらすしかも終日の”雨”です。
この雨+寒さの二重苦にもめげず昨今人気の企画『東京・運河探検クルーズ』に乗船してきました。今回試乗したのは「日本橋・神田川クルーズ」と称する120分コースです。乗船場所は日本橋際、西川寝具側の交番のある公園です。写真左のように桟橋が作られていますが、船客待合室などの施設はありません。ここから出航です。ご覧のように船に屋根がありません(!)さらに船の構造上喫水が極端に浅く、他の船から波を受けると微妙な揺れ方をします。それにしても”墨田川”は結構川幅がありますねっ。
出航と同時に雨脚が強まり、我々もレインコート&ビニール傘の装備で対処するも、ビル風&川風が吹くと寒いこと、寒いこと(!)とても写真撮影どころの騒ぎではありません。日本橋桟橋~隅田川を上流へ~何橋か橋をくぐり~柳橋~秋葉原~御茶ノ水(コースのハイライト)~水道橋~一ツ橋~常盤橋~日本橋へと戻ってきます。
見慣れた風景も、船上から角度を変えて見ると見違えるようです。”『鉄道マニア』や『橋マニア』には堪らない景色(アングル)です”などという案内もありましたが、確かに納得できます(!)
※写真右は日本橋、橋中央の”麒麟”の像です。『日本橋』は全体のデザインも含め風格の違いがあります。

月形町・樺戸集治監…(終)

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明治政府の役人”金子賢太郎”は「監獄の目的は懲戒にあり」とし、囚人は「暴戻の悪徒」ゆえに「苦役に耐えず斃死」すれば「国の支出が軽される」提言しています。監獄とは「緩やかに死刑の執行を行う場所」で「死亡すれば経費が浮く…」いやはや凄まじい時代だったのです。‥この金子は後に大日本帝国憲法の作成や、日露戦争時にはアメリカから支援を引っ張っぱったりで叙勲を受け伯爵までなっています。これだけの『合法的大虐殺』を指示した役人がご立派な評価となったモノです‥
当時の一般工賃は1日40銭以上。これに対して囚人への工賃は1日9銭以上15銭以下で、実際に囚人に渡る額は1銭程度(!)だったそうです。この金額で昼夜を問わずの過酷労働なら開発予算の軽減にはなったことでしょう。樺戸集治監以降、空知集治監、釧路集治監(分館として網走)と建設され、樺戸では道路の建設、空知では炭鉱の掘削、釧路では硫黄の採掘に囚人の労働力が投入され、多くの囚人が犠牲者となっています。特に空知集治監の幌内炭鉱掘削事業では、さらに想像を絶する悲惨な状況だったといわれています。

札幌から旭川へ向って車で90分。国道275線はいわゆる旅行者が通って行く国道ではありません。
樺戸集治監が創られて人が集まって生まれた月形の町も、後年町民による廃止運動等の結果、大正8年廃止となり年月が過ぎて今度は町からの誘致運動により、昭和58年に月形刑務所が設置されています。歴史とは皮肉なものです‥。ずっと昔にこの町であった事が風化していくのは止められない時の流れです。この様な人達が暮らしたことを知ってあげて下さい(!)そうすれば彼らも少しは微笑んでくれる事と思います。
※この項はこれで終了にします。これで、ようやく35年前の忘れ物を見つけられたような気がします(苦笑)

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左上:玄関の磨耗した石段です。人の出入りがかなり激しかったようですね。
右上:展示室内です。天井や床はほぼオリジナルのようでかなり畝っています。
左下:集治監全景の模型です。広大な敷地を有した施設だったようです。
右下:他から移設された独房のレプリカのようですが、かなり疑わしい部分がありました。

月形町・樺戸集治監…(3)

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この建物は現存する『旧樺戸集治監本庁舎』‥明治19年建設の建物です。現在は町役場に隣接して「月形樺戸博物館」の一部を構成していて内部へ入ることができます。玄関の磨り減った石段(石山軟石)や軋んだ廊下なで歴史の風格があります。この建物の後方に樺戸集治監の歴史を展示した新しい『樺戸博物館本館』が地下通路で繋がっています。歴代の典獄のエピソードや木製の水道管等、展示品一つ一つが歴史に満ちているようです。特に囚人達が着用していた”赤い服”や‥実際は真赤ではありませんが‥懲罰用の鉄球(足枷)の実物、当時の独房や雑居房など興味深い展示物が数多くあります。この建物を背に約500mほど歩くとに旧石狩川の堤にです。各地から送り込まれた囚人たちは船で石狩川を溯上し通称ここの”囚人波止場”から上陸したそうです。最盛期はこの波止場近辺からが「札幌か?・樺戸か?」と云われたほどに繁栄した街だったそうですが、そんな面影は何処にも感じられません。
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私達は北海道を開拓したのは屯田兵や全国からの入植者と教わってきました。実際に屯田兵や入植者が辿った道路は、囚人たちが原野を切り開き過酷な労働により造成した道路があったからこそなのですが‥
明治14年から大正8年の39年間に実際にあった話でそんなにも”大昔”のことではないですが、札幌の飲み屋のお姉さま方は誰も知りませんでした(苦笑)


月形町・樺戸集治監…(2)

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『月形・樺戸集治監』を題材にした資料本や小説が出版されています。

 右)「樺戸監獄史話」‥寺本界雄氏著・初版は昭和25年8月21日、樺戸郡月形町発行となっています。
旧カナ使いの部分もありチョット読みにくい部分がありまが、監獄に付いての沿革・歴史・人物史に加え収監された犯罪者に付いての記載も収録されています。
 中))「樺戸集治監獄話」‥寺本界雄氏著・初版は昭和53年2月15日、樺戸郡月形町発行です。
本の装丁が違うので購入時に気がつきませんでしたが、なんと同じ著者です。前著作と概要は同じですが、より充実しており文体もかなり読み易くなっています。‥この本はアマゾンの中古にありました‥著者略歴がよく判りませんが、地元の在住史家の方と思われます。右&中の本は月形樺戸博物館で購入しました(各¥1000)
 左)『赤い人』‥吉村昭氏著・講談社文庫です。
タイトルの「赤い人」は囚人の獄衣が”赤い色”をしていた史実によります。正直職業小説家の文章ですので前者と格段の違いはあります。当時の囚人による北海道開拓史の様子がよく書かれています。入手のし易さを考えてもこの文庫本がお勧めです。
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ついでと言ってはナンなんですが‥地方の出版社では興味深い書籍が出版されている事があります。
右の本は札幌の共同文化社・1994年12月9日(!)発行・木村盛武氏著の「慟哭の谷」という書籍です。大正15年12月9日(!)北海道・宗谷岬の方、苫前村で起きたヒグマによる大惨劇のドキュメントです。
左の吉村昭氏の「羆嵐」はこの実話を元に(脚色された部分があるものの)小説として書かれています。

月形町‥篠津山囚人墓地

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明治12年、明治政府は全国各地で勃発した騒乱での4万人を超える国事犯/賊徒や凶悪犯の扱いに苦慮、また奨励するもさして進展してない移民政策の解決策として北海道に集治監を建設し、凶悪犯罪者やテロ集団を送り込み”タダ”同然で使役し開拓にあたらせようと考えました。明治14年4月に最初の40名が送り込まれ、大正8年の廃止までの樺戸集治監の歴史が始まります。‥因みに網走監獄の設立は明治23年です‥テロ集団や凶悪犯を未開の北海道の地へ送り、タダ同然での重労働。死んだらそれでも良し、”やっかいばらい”にはこの上ない政策ですし、開拓が進めば一石二鳥ともなります。この案に伊藤博文は大賛成を表明したそうです。
この地では大正8年の廃監まで1046名の囚人が亡くなっています。火気厳禁の雑居房で真冬でも単衣の獄衣、毛布1枚、手袋や靴下は着用は認めず、さらには食料不足・栄養不足下での重労働‥死なない方がどうかしてます(!)死因の多くが心臓麻痺なのですが疑問は残ります。囚人の”死因”など無関心でしょうし、虐待による致死(殺害)や囚人同士による殺人など記録には残せないでしょう(!)
1046名のうち肉親の元へ帰ったのが24名、1022名が無縁仏となっています。(下記の墓標と解脱標との数字があいませんが‥?) 実際は死亡者数はこの数を遥かに上回ると思うのですが‥?
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石碑の数が少ないように見えますが436基と亡者合葬の解脱標が3基(計626名)がここに並んでいます。石碑記載のいわゆる戒名はしごくあっさりしており、裏面には俗名と享年が記載されていました。
‥因みに女囚は遠隔地に行くことはないので、樺戸監獄には男囚しかいません‥
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この墓地は1981年から整備され今の様になったということです。確かに、最初に訪れた時は草ボウボウの原野に木製の墓標がズラリと並んでいました。”日本にもこんな風景があるのか‥”と呆然とした事を鮮明に記憶しています。

月形町・樺戸集治監…(1)

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誰にでも年月が過ぎても忘れられない景色や景観があるものです。
‥この地を最初に訪れたのは遥か昔の事です。”いつかもう一度‥”と思いながら30数年の月日が過ぎてしまいようやく再訪することができました。この場所に立ってみると、やはりあの日と同様に”感無量”でした‥。
これは北海道月形町の篠津山囚人墓地の写真です。明治14年、明治政府はこの地に凶悪犯・政治犯を収容するため樺戸監獄を設置し、囚人たちを過酷な道路建設に従事させていました。この囚人墓地には集治監の39年の歴史で獄死し、犯罪者であるが為に親族にも見捨てられた1022名の無縁仏の霊が眠っています。

映画・探偵はBARにいる・の‥

90久々に札幌繁華街をブラ歩きしました。東京で有名な店は殆どありますね。
少し前(9月頃?)ですが札幌がロケ地になっている映画「探偵はBarにいる」をみました。出演の大泉洋は如何にも北海道受けする役者ですね。続編やシリーズ化しても面白いでしょう。記憶にあるロケ場所も多く登場しています。今回街中をフラ付いていると”あぁ、ここ!ここ!”とけっこう楽しめました。

1)西田敏行がパティーから帰る時の階段→「ジャスマックプラザ」の玄関でした。2)同、殺害される現場→閉店した「五番館デパート」の路地、現在は工事囲いになっていました。3)主人公が街中を疾走するシーン→南6条西4の「すすきの0番地」の辺り、こちらも工事囲いでした。4)指定された港の待ち合せ場所→小樽港の「観光船乗り場」の待合室ですね。その他、道警の正面玄関や大通りの商業ビルはそのマンマです。エンドロールでの中心街の夜間空撮はなかなかのモンです。
それにしても「カルメン・マキ」の貫禄の付いたこと!時の流れは誰にでも平等なものです。
主題歌:『時計をとめて』・(ジャックス・早川義夫・1968年の作品)がいい感じです。循環コードの単調な構成ですが、当時のフォーク調の曲は大概こんなもんでした。45年も前の曲が主題歌として使われるとは(!)
どれも同じ曲調の”Kポップ”なるものや、”お経”にしか聴こえない日本語のヒップ・ホップ風(!)の曲も、”リスペクト”と称するまんま盗作曲も45年後にはどのように聴かれるのでしょうか‥?

北海道開拓の村

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10月も下旬を過ぎると北海道の内地からの観光局はガタッと減ってしまいます。
札幌市厚別区の『北海道開拓の村』も例外ではありません。いや~っ久々にやられました!。いくら平日の開園早々の時間とは云え、この時間に来園者が一人もいません。駐車場も空っぽで一瞬休園日かと思いました。
1983年に開園したこの施設は総面積が54㌶あり、道内各地から歴史的建造物が移築再現されています。以前に紹介の『江戸東京たてもの園』より格段に広い敷地となっています。札幌市内でも交通の便が良くない「野幌森林公園」内にあり、現在の敷地まで拡大拡充してからは初めての訪問となりました。
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ご覧のように人影はまるっきり映っていません。シーズン・オフ(雪の季節)に向う北海道の観光地の姿なのですが‥。右下は隣接する『北海道開拓記念館』です。”隣接”といっても歩いたら20分以上の距離にあります。

札幌・北海道神宮

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北海道には社歴数百年年を有する神社仏閣はありません。この北海道神宮でさえ1870年ごろの創建で、祀神は大国魂神・大那牟遅神・少彦名神で開拓三神とされています。当初は「札幌神社」と称したそうですが、1964年に明治天皇を合祀して社名を「北海道神宮」と改めています。以前に初詣に出かけたことがあるだけで、明るい時間に参拝するのは初めてです。初詣の人出に比べたら閑散としたもので、種類・名称は判りませんが野鳥の姿も多く見かけられます。クマ出没騒動の西野・旭山はすぐ近く、確かに”人里”です。クマにしてみればこんな繁華街まで遠征するほど食料に困っているのでしょうか‥?
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思ったのですが、11月の初旬なんですが地元の人は概ね厚着になっています。さらにその上を行くのが中国からの観光客とおぼしき一団で、この時期にマフラー&耳あては如何にも大げさで笑えてしまいます。

札幌・旭山記念公園

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札幌市内が一望できる中央区の『旭山記念公園』です。2004年~2009年4月まで再整備工事がおこなわれリニューアルされました。‥この間は行っていないという事になります‥。最近(10/8)この公園近辺にクマが出没して立ち入り禁止状態になっており、この日もダメかと思っていました。早い時間なのですが、敷地の大部分は立ち入り禁止状態でしたが、犬を連れて散歩に来る人などがいてクマ騒動もどうやら収束のようです。公園近辺は札幌市内でも屈指の高級住宅街なのですが、クマが出没したり鹿が車に撥ねられたり”さすがに北海道”だと思います。
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良く知られている36号線と駅前通りの交差点です。この交差点から「旭山記念公園」までは車なら15分ほど‥。
これもやはり札幌の魅力なんでしょう。
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