旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2012年01月

海雲寺(千躰荒神)

kaiunn「トイレの神様」というどう考えても一発限りのヒット曲がありましたが、こちらの品川区南品川の海運寺は台所を火災から守る「かまどの神様/千躰荒神様」と呼ばれ、江戸時代から信仰を集めていたそうです。ともかく火事の多かった江戸の街で品川宿の海運寺付近は偶然にも大きな火事に遭わなかったそうで、となれば「なにかある!」という話が「品川宿には防火の神様がいるらしい‥」となり「防火は千躰荒神様」と噂が定着して、それが信仰へとなっていったそうです。一笑に付すよりも江戸の庶民からの信仰ってこんなことが始まりなんだろうと却って納得できます。千躰荒神様自体は神仏混交そのものの神様で、大日如来、文殊菩薩、不動明王が姿を変えて三面六臂の表情で悪魔降伏を司る神様なんだそうです。どうにも凄まじい神様のようです。

品川宿・海徳寺

kaitoku1kaitoku2品川宿は新宿、板橋、千住と並んで「江戸四宿」と称され、現在の北品川駅から青物横丁駅付近は色町としても大変賑わっていました。この「海徳寺」は色町ならではの女性達の信仰を集め、時代を経て女性病、子授けにご利益があるとされたようです。創建は大永2年(1522年)とされています。現在の寄棟造りの本堂は寛延4年(1751年)に再建され、風雪や災害に耐えて現在に至っているとの事です。写真右、本殿正面の向背部分には「力士が本堂の梁を肩で支えている」という、なんとも不思議な彫刻が施されています。

東京ゲート・ブリッジ・・・・?

gate1gate22012年02月12日開通予定ということで『東京ゲート・ブリッジ』を見て来ました。とは言うものの、まだ未開通なので最寄の若洲海浜公園から眺めてきただけですが‥。この橋は年々増加するコンテナ輸送の道路混雑を緩和するため建設され、中央防波堤と若洲地区を結び全長2,993m海面からの高さは最大で87,7mとなり、新たな東京の観光スポットとしても期待されています。実際行って見ると”単なるデカイ橋”で風が吹いていたらかなり寒いです。晴れて穏やかな日ならともかく雨天時は大変でしょうね。この沖合いから見る太田~品川~港~中央~のビル群の景色はとても新鮮に見えます。東京もまだまだ捨てたモノではありません(笑)。
開通以降、旅行会社による「羽田空港国際線見学から舞浜方面へ開通したばかりの東京ゲート・ブリッジを通過して‥」が商品企画が氾濫するでしょうが、とんでもない”大渋滞”は必至です。若洲海浜公園のキャンプ場には売店、トイレ等の施設は充実しているわけではありませんし、有料駐車場で収まりきらない車両はどこに路上駐車させるつもりなんでしょうか‥。橋の遊歩道に上るエレベーターも大渋滞‥(汗)。旅行会社の企画担当者は現地の状況を予想しているでしょうか?現場で対処する若い添乗員はさぞ苦戦するでしょうねぇ(笑)

荏原神社(南の天王さん)

ebara1ebara2品川神社=北の天王さんに対して、荏原神社は”南の天王さん”と呼ばれています。品川には2つの天王社があり(”荏原”といっても住所は品川区北品川です)この両社は徒歩5分程度しか離れていません。旧社格は准勅祭社・郷社で旧称を天王社、貴布彌大明神といったそうです。この拝殿は弘化元年(1844年)に再建されたとありますが、拝殿を巡らす数々の彫刻の見事さには驚かされます(写真はその一部)。この拝殿自体が正面のひさしに向拝、棟に千木と堅魚木を設けた典型的な『春日造り』の本殿形式になっています。

ebara3ebara4拝殿の正面ひさしの両側に参拝者を恫喝するように「龍の頭」が突き出しています。ゴジラ映画に登場する”キング・ギドラ”の様な感じです‥。それにしても社格の割には、建築や彫刻など大変凝った造りがされています。江戸時代の宿場町・品川宿(現在の北品川駅から青物横丁駅付近で、JR品川駅付近ではありません)の繁栄を今に伝えているようです。

品川神社(北の天王さん)


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shina3"北の天王さん”こと品川神社は京浜急行・新番場駅下車、第一京浜国道に面して鎮座しています。神社の歴史は鎌倉時代初期まで遡り、江戸時代は徳川家との関係も深く”関が原”への出陣では家康自らが必勝祈願をしたそうです。明治以降も「准勅祭神社」と特別な格式を得て、今でも「東京十社」の一社として親しまれています。写真の鳥居には「龍の姿」が柱に絡みつく彫刻が施されています。虎ノ門・金毘羅宮の鳥居は中国でいう四聖獣が刻まれていますが、この様な意匠が施されてた鳥居はかなり珍しいです。

shina2shina4第一京浜国道から龍の彫刻がある一の鳥居をめけ約50段急階段を登ります。途中には富士山信仰の模擬富士山への登山道入口があります。一合目から山頂へ登りは結構急傾斜ですから、自信のない方は止め方が良いでしょう。右の写真が本堂です。境内は決して広くはないのですが舞殿、本殿、社務所などのがバランスよく並んでいて、表現が微妙ですが‥『なんとも居心地の良い神社』だと思います。

shina5shina7境内社の稲荷社が2社あります。写真左は本殿に並んで鎮座していますが、ここからやや下った場所にある写真右の『阿那稲荷』の方が大物のような感じです。社の隣「一粒万倍」と称する泉があり、こちらで鎌倉の銭洗い弁天のように紙幣や印鑑を洗って商売繁盛を祈願したされています。お金は門前の商店ですぐに使えとありますが、なんなんですかねぇ。この泉の水を溜める部分には葵のご紋が施されており、それなりの由緒はあるようです。



『竜馬伝』の夢のあと

ryou4ryou1京浜急行・立会川駅で下車しました。一昨年(?)ですか、この立会川がTVの『竜馬伝』に便乗してアピールしていたのは‥。改札口を出ると左の看板がありますが”ゆかりの地”とは微妙な表現です。幕末の黒船来航時にはこの付近に土佐藩の藩邸があり、防衛の為の砲台を築く工事に際して若き竜馬も工事に携わったという”話”です。これを”ゆかりの地”と言い放つにはかなりの無理があるのですが‥。TV局も一時的に話題になればこぞって放映しますが”旬”を過ぎると見向きもしません。全く罪作りなモノです(苦笑)

ryou3ryou2悪意を持った写真ではありません。平日の昼下がりですが、どなたもいらっしゃいません(!)パン屋さん=足跡パンは健在でした。蕎麦屋さん=砲台蕎麦(海老がデカイ)は店頭に幟があるのでまだ健在なのでしょう。カメラ位地後方の”竜馬らーめん”も健在のようで、正直なところもっと”夢の跡”的状況になっていると思っていました。ごく普通の商店街として健在です。当時『商店街に人が来てくれるのが嬉しい‥』と語っていた某商店の婆ちゃんはお元気でしょうか?

墨田川七福神巡りへ‥

sumida7sumida8”隅田川七福神巡り”に行って参りました。「福禄寿尊」が寺社でなかったり「寿老人」が『寿老神』だったりして、なにかと突っ込みどころ満載の隅田川七福神巡りですが江戸文化年間からお正月の楽しみとなっていたのですから”それはそれ”の人気があるようです。花の咲く季節でもない「向島・百花園」が入園料をしっかりとるのはどうかと思いますが、写真左の毘沙門天の多聞寺(本尊の毘沙門天は弘法大師の作?・イタズラ狸伝承あり)・布袋尊の弘福寺(東京では珍しい黄檗宗の寺です)・写真右の弁財天・長命寺(むしろ桜もちで有名)・・獅子、きつね、旧三越池袋店のライオンと動物だらけの大国神&恵比寿神の三囲神社など、規模こそ大きくはありませんが味わい深い寺社が多々あります。「向島の料亭街」もこの付近ですので、”七福神”の時期以外でも楽しめます。


調(つきのみや)神社・2012

tuki_6tuki_5さいたま市浦和区の調神社の様子です。今年のお正月は”卯年”ということで大人気だった昨年程の混雑はないだろうと予想していましたが、そうでもなかったようです。神社や浦和市教育委員会によると”つきじんじゃ”とありますが”子供の頃から親しんだ名前は変えられません。あくまでも”つきのみやじんじゃ”です。写真で切り取ると混雑しているように見えます‥(笑)
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tuki_1tuki_2左の写真は江戸時代中期の享保年間(1733年)頃に建立され安政年間までは調神社本殿として使用された建物で、現在の本殿の奥に境内社の稲荷社として鎮座しています。調神社のほうが「延喜式」にみられる穀物関連の古社ですから、元々が五穀豊穣の神のある稲荷社に変わったとしても違和感はありません。この稲荷社‥鳥居の社号には「稲魂社」とあります‥のきつね像はごく普通の像ですが、右の写真にある3羽(白兎の上方にさらに2羽)のうさぎの彫刻など、そこらの稲荷社には見られない凝った彫刻が見られます。まぁ”元”が元ですから‥。
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tuki_3tuki_4旧本殿建物の脇、左右にうさぎの彫刻がはめ込まれています。右は彫刻は日焼けが目立ちますが、左は程度も良くうさぎの表情までわかります。以前は違う神様が居た本殿に後に諸般の事情により違う神様が引っ越してきた例は結構あるようです。上右もそうですが、このようなうさぎの彫刻は波の上をうさぎが跳ねている情景が多いのですが、”因幡の白兎”の伝承と関係があるのでしょうか?
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