旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2012年04月

東京ゲート・ブリッジ遊歩道

gb_04gb_05左)若洲昇降口は若洲公園駐車場(普通車1回500円)からは徒歩3分ほどの距離です。フェンス右はキャンプ場の敷地です。トイレはこの先の昇降塔下にもあります。右)昇降口EVです(これは8F)9Fには展望ホールが設置されています。EVは1回26名が利用できますが、混雑時は列ができそうです。階段での上り下りもできますが何せ8階までです。その後に”徒歩区間”が待っていますから、体力は温存しましょう。入場料・利用料等は一切無料です。
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gb_06gb_07左)案内板には海面から約30mとあります。現在は反対側の「中防昇降口」は利用できませんので、ここから橋を歩いて折り返して帰還することになります。右)展望ホールから海浜公園側を見ます。駐車場まではこの程度の距離です。この東京ゲート・ブリッジは原付バイク&自転車は通行禁止です。さらにこの遊歩道は自転車不可となっています。海面から30mは結構高く感じます。風が強かったりすると遮蔽物が何もなくフェンスもやや低いのでかなり危険と思われます。

ゲートブリッジ・都バス時刻表

gb_01久々に『東京ゲート・ブリッジ』へ行ってきました。春休みも終わっての平日なので、大した混雑ではなかったようです。5月連休に向けて(?)駐車場の整備をしていましたが、当然大混雑が予想されますね。遊歩道に上がるEVホールに都バス深川自動車営業所による『若洲キャンプ場前・東陽町駅前行・木11甲』という路線(シ=新木場行)の時刻表が掲示してありました。バス乗り場はキャンプ場駐車場入口の先にポツンとあります。帰りのバス時刻を確認する問合せが多かったのでしょうね。バス停付近では客待ちタクシーも数台停車していましたが、ここから最寄りの新木場駅まではとても歩ける距離ではありませんね…。

gb_02EVホール入口に利用の注意書きモロモロが掲示してありました。
・ペットを連れての入場は禁止です(籠に入れての入場は可だそうです)
1.休みがありました…毎月第3火曜&12月の第1火曜(祝日時は翌日)
2.遊歩道の通行時間…10時AM~17時PM(7/1~9/30の金・土曜は20時PMまで)
・最終入場は閉鎖時間の30分前まで
3.遊歩道は通行できない場合があります ア.強風時、又は強風が見込まれるとき。 イ.雪・凍結がある場合。 ハ.雷注意報が発令された場合。ニ.地震が発生した場合。 等 とあります。…当然と云えば当然です。当日がこんな天気だったら素直に諦めましょう(笑)
遊歩道までのEVは乗車定員が26名乗りが1基゚だけです。観光団体が集中したら大変な事になるでしょうね。

吹奏楽・定期公演

ura_01ura_02会場に入った瞬間に見慣れた風景はありません。アンプ群もドラム・セットもPAやモニターも…。ステージには椅子と譜面台だけ。吹奏楽のステージなんてこんなモンなんですけどねぇ。演奏者は自分の音や廻りの音は聞こえているのか?…変に気になります。演奏が始まると、低音部の保障とリズム・セクションの弱さが気になります。吹奏楽なのでこれで良いのですが…なんか不安です(笑) 目が慣れてよくよく見ると…なんであの場所にオーボエが…。ファゴットがいるじゃないか…。バリ・サキが2本も…。コントラが2台…。自分らの時代には考えられない楽器編成です。打楽器にしてもテインパニーやマリンバ&ビブラフォンが数台。これだけの楽器が保有できるなんて本当に公立高校の吹奏楽部なのでしょうか…? それでもこの学校は県大会での上位入賞校にはなれないそうです。現在は50名以上の部員が在籍しているとは、自分らの時代では考えられません(苦笑)
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この学校は我が母校で、我々の年代はOBというより『ご先祖様』という感じなのですが、同級生の飲み会での話題が「健康」や「年金」になってしまいます。日が暮れるまで練習を繰り返した日は遥か遠くとなってしまいました(爆笑)

鹿鳴館跡

roku01roku2「鹿鳴館」という建物名は知っていても、建っていた場所については意外と知られていないようです。写真左:奥の建物が帝国ホテル、手前のガラス張がNBF日比谷ビルで道路の反対側は日比谷公園で、鹿鳴館はこの辺りに位置していました。「鹿鳴館(ろくめいかん)」とは外国からの賓客や外交官を接待するために明治政府によって薩摩藩屋敷跡に建てられた社交場であり、当時の欧州を真似た政策の象徴となっています。鹿鳴館外交と呼ばれ、夜な夜な皇族や政府要人夫人の舞踏会が開かれていたそうです。とはいうものの当時の日本女性の平均身長は140㎝前後。あたかもドレスを着た小学生がウロウロしていたという感じだったのでしょう(笑)この建物自体は昭和20年の東京大空襲により焼失しています。写真右:鹿鳴館が在った事を示すプレートがあります。

新大久保・皆中稲荷神社

120401_4120401_5 JR新大久保駅下車となると”韓流街”となるのですが、西方向へ100㍍に「皆中稲荷神社」が鎮座しています。神社由緒によると『天文2年の9月』、稲荷大明神が江戸鉄砲組与力の夢枕に立ち百発百中の射撃法を伝授した。この霊験が評判となり以後、皆中稲荷(みななかのいなり)と呼ばれ、さらに「よく当たる」ご利益から人気を集め、「賭け事の神様」として親しまれています…とあります。話題の韓流街とは逆方向となり、神社もやや荒れた感じです。きつね氏に至っては写真の掲載が憚られるほどボロボロになっています。元々が由緒のある神社で韓流ブームの遥か以前からこの地に鎮座しているのですからなんとかできないものかと思います。このままでは単なる立●便の絶好な場所になってしまうようです。

新大久保へ侵入…。

1204012120401春休み、天気の良い日曜日…こんな日に”新大久保”なんざに行くもんじゃありません(苦笑)噂には聞いていましたが一種異様な混雑風景です。人が集まっているのは単なる”韓流ブーム”ではないような感じさえします。かなり以前の新大久保といえば、歓楽街”歌舞伎町”の奥地。ラブ・ホテル(当時は連れ込み宿)が林立し、街の角々にはその手のお仕事のお姐さん方が立っていらっしゃるような街でした。面影こそ残っていますが変われば変わるものです(!)赤坂や御徒町の韓国人街とも雰囲気が異なり、ハングル文字や韓国の食材や日用品が売られている店が訪れるたびに増殖しているようです。それでもここは日本なんですねぇ。ソウルの南大門や鐘路で感じる「バイタリティと嘘臭さ」に溢れる街とは大きく違っています。それでも「当店の商品は税関を通過した正当な商品です」なんて看板の記載を見ると、”密輸品もかなりあるのでは…?”と疑ってみたくなります。
韓国語の発音には濁点(ガギグゲゴ)がありません。この音が正確だったらほぼ韓国の人ではないでしょう。
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