旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2012年04月

鹿鳴館跡

roku01roku2「鹿鳴館」という建物名は知っていても、建っていた場所については意外と知られていないようです。写真左:奥の建物が帝国ホテル、手前のガラス張がNBF日比谷ビルで道路の反対側は日比谷公園で、鹿鳴館はこの辺りに位置していました。「鹿鳴館(ろくめいかん)」とは外国からの賓客や外交官を接待するために明治政府によって薩摩藩屋敷跡に建てられた社交場であり、当時の欧州を真似た政策の象徴となっています。鹿鳴館外交と呼ばれ、夜な夜な皇族や政府要人夫人の舞踏会が開かれていたそうです。とはいうものの当時の日本女性の平均身長は140㎝前後。あたかもドレスを着た小学生がウロウロしていたという感じだったのでしょう(笑)この建物自体は昭和20年の東京大空襲により焼失しています。写真右:鹿鳴館が在った事を示すプレートがあります。

新大久保へ侵入…。

1204012120401春休み、天気の良い日曜日…こんな日に”新大久保”なんざに行くもんじゃありません(苦笑)噂には聞いていましたが一種異様な混雑風景です。人が集まっているのは単なる”韓流ブーム”ではないような感じさえします。かなり以前の新大久保といえば、歓楽街”歌舞伎町”の奥地。ラブ・ホテル(当時は連れ込み宿)が林立し、街の角々にはその手のお仕事のお姐さん方が立っていらっしゃるような街でした。面影こそ残っていますが変われば変わるものです(!)赤坂や御徒町の韓国人街とも雰囲気が異なり、ハングル文字や韓国の食材や日用品が売られている店が訪れるたびに増殖しているようです。それでもここは日本なんですねぇ。ソウルの南大門や鐘路で感じる「バイタリティと嘘臭さ」に溢れる街とは大きく違っています。それでも「当店の商品は税関を通過した正当な商品です」なんて看板の記載を見ると、”密輸品もかなりあるのでは…?”と疑ってみたくなります。
韓国語の発音には濁点(ガギグゲゴ)がありません。この音が正確だったらほぼ韓国の人ではないでしょう。
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