旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2012年05月

隅田川架橋を巡る(Ⅰ)…④

hashi_22hashi_23左は『枕橋』…全長26.18mの小規模な橋で、北十間川に架かる橋としては一番隅田川寄りです…からの写真です。スカイツリー付近の北十間川は整備が完了しましたが、この近辺は遅れているのか、整備しないのか?です。ここらあたりから浅草駅に向かって東武電車が最徐行となります。タイミングがあえば東武の特急車両(たいした車両ではありませんが…)も写りこみができます。右は墨田区役所からの「勝海舟/勝安房像」・「墨田区役所」・「スカイツリー」の組合わせです。勝海舟生誕地は墨田区でも両国回向院近くなので若干の違和感があります。

hashi_24hashi_25「アサヒビール・吾妻橋ビル」に映るスカイツリーです。このビルはこの金色の部分がビールを、屋上の白い部分がビールの泡を表現しています。少しだけ「炎のオブジェ」が見えますが、元々は縦方向に建設する予定が風の影響が強く横方向の建設したそうです。結果として100人が100人とも同じ感想を持つ”残念”なビルとなってしまいました。この”ウ●コ・ビル”については吾妻橋でまた触れる事になりますが…。

hashi_26hashi_27振り返ると今回の終点『吾妻橋』の赤い姿が目に入ってきます。全長150m、昭和6年の完成です。対岸側が浅草になります。写真の東京湾観光汽船はこの桟橋から浜離宮を経由して東京港日の出桟橋まで運行しています。吾妻橋上から「隅田川」・「首都高速」右から「う●こビル」・「アサヒビール本社」・「スカイツリー」・「墨田区役所」となります。この先この景色が浅草を代表する景観となっていくでしょう。正直スカイツリーは根元まで行くと”単なるでかいビル”になってしまうので、少し離れた場所から俯瞰したほうが美しく見えるようです。
=隅田川架橋を巡る(Ⅰ)…了=

隅田川架橋を巡る(Ⅰ)…③

hashi_18hashi_19本所の総鎮守『牛嶋神社』です。『言問橋』はすぐ裏手にあたります。創建は貞観二年(860)と伝えられ関東大震災後昭和7年向島須崎町から500mほど移動してきました。境内は青銅製の”体の悪い所と同じ場所をなでると病気が治るという牛の像”があり腰や背中が黒びかりしています。正面の鳥居は「三輪鳥居」という珍しい形状で、写真は「三輪鳥居」とスカイツリーです。牛島神社はスカイツリーの地鎮祭と竣工祭を担当したそうです。最新工法を駆使した建造物でもちゃんお祓いをしていたとはいかにも日本的で嬉しくなります。

hashi_20hashi_21牛島神社の鎮座する墨田公園は、旧水戸徳川家の下屋敷跡です。徳川御三家の水戸家には参勤交代はなく江戸定住です。この下屋敷には食物倉や身分の低い家臣の住んだ場所です。下屋敷に対しての上屋敷跡が現在の小石川後楽園です。写真の様な日本庭園もあり一休みするにはもってこいです。公園から緑越にスカイツリーは珍しくなくなりましたが、やはり青空バックは良いもんです。
・・・・・・・・・・・・
昨日はスカイツリー開業しての最初の週末だったそうで、TVでは混雑も模様と『いかに観光客が地元に迷惑かけてたか…』を特集していました。開業前は煽るだけ煽っておいて大混雑と地元の困惑。予想内の現象だと思うのですが…。

隅田川架橋を巡る(Ⅰ)…②

hashi_11hashi_12白髭橋から下流に『桜橋』・『言問橋』と続きます。墨堤通り付近には名所・名店が多くちょっと寄り道をしていきます。写真左が”向島長命寺桜餅”です。X字型をした人通行専用の『桜橋』は店の反対側あたりです。写真右は”言問団子”です。どちらも向島を代表する老舗でが、老舗ならではの価格設定となっています。この辺りで千住大橋駅を出発して2時間近く経過しました。ここらで少し休んでおかないとゴールはまだまだ先です。

hashi_13hashi_14写真左は”言問団子”隣の”墨田公園少年野球場”です。1949年に造られた日本初の少年野球場で、今の感覚で見ると狭い球場ですが、あの王貞治氏もここで育っています。写真右は向島の『向嶋墨堤組合』です。花街を”三業地”ともいいますが、この”三業”は「芸奴置屋」と「料亭」と「待合」を指します。置屋は芸奴が所属するプロダクションのようなもので、待合は芸奴を呼んで遊興する場所ですが、料理は料理屋から取り寄せです。料理を提供できるのが料亭になります。向島料亭街はいまでも現役です。気になる料金は…ここでは言及いたしません。

hashi_15hashi_17昭和レトロ感の漂う向島料亭街には、中国風造りの黄檗宗のお寺『弘福寺』…この黄檗宗のお寺は東京でも滅多に見られません。写真は三井家の氏神様・『三囲神社』です。この三囲さんは稲荷社です。写真左は「コンコンさん」と呼ばれる実に穏やかな顔をしたきつね像があります。閉店した池袋三越の店頭にいた”ライオン像”が鎮座してスカイツリーを見上げています。注意して見ると、本殿四方の留瓦はご覧のようなきつねさんです。

墨田川架橋を巡る(Ⅰ)…①

hashi_01hashi_02隅田川に架かる橋を歩いて巡るというご苦労な企画です。第1回目の出発は京成・千住大橋駅から浅草・吾妻橋まで…。写真右、「足立市場」入口脇には”松尾芭蕉”の像が建っています。この前を北千住方面に進む道が旧の日光街道となり、「江戸・千住宿跡」の雰囲気を残すといわれています。この旧宿場町を散策しても、もっともらしく復元された見どころはけっこうあります。

hashi_03hashi_04『千住大橋』…写真の旧橋は全長約91m、昭和2年に関東大震災の復興事業として完成しています。交通量の増加に伴い昭和48年に新橋が完成、現在は上下線になっています。足立区側には「奥の細道~」や昔は江戸の出入り口として大名行列や物流で賑わった旨を紹介するモニュメントがあります。
芭蕉は現清澄庭園近くの自宅を出発、大橋付近まで舟で遡上して、この地から歩き出した(!)で、”矢立初めの地”とは…。

hashi_05hashi_06左が『千住汐入大橋』…全長約158m、平成18年完成。右が『水神大橋』…全長約157m、平成元年完成です。河川敷はよく整備されていますが、申し訳ないですが人数合わせの”水増し補欠”のようなものです。名所探訪であれば千住大橋~南千住駅(千住回向院)~泪橋(明日のジョー)を廻ったほうが賢明でしょう。墨田川架橋には違いありませんが…。近年に新しく完成した橋はどうしても”風格”に欠けるようです。

hashi_10hashi_09『白髭橋』です。現在の橋は昭和6年の完成で全長が約168mあります。この白髭橋は元々は地元の方の募金によって完成したという歴史を有し、後、経営の行き詰まった結果、当時の東京府に買い取られ、さらには関東大震災復興事業として現在の橋が造られています。前の2橋に比べると風格が異なり、重厚な造りです。写真左は「台東区」になります。足立区を出発、荒川区を通って台東区まで来たことになります。

小石川後楽園

kouraku_01kouraku_02財)東京都公園協会という組織がありまして、その参加には 1)浜離宮恩賜庭園 2)旧芝離宮恩賜公園 3)小石川後楽園 4)旧岩崎邸庭園 5)六義園 6)向島百花園 7)清澄庭園 8)旧古河庭園 9)殿ケ谷戸庭園…等が属しています。納得できるやら、できないやらは詮索しない方が良いようです。入園料が¥150~¥400と幅があるのは、いかなる根拠によるものか謎が残ります。さて、今回は小石川後楽園です。岡山にも後楽園があるので”小石川”の冠がつきます。東京ドームの隣なのですが入園口は真反対側で、飯田橋駅、メトロ後楽園駅より徒歩8分くらいです。入口はここでなかった様な記憶があるのですが、それだけ行かなかったという事なのでしょう。

kouraku_03kouraku_04云わずと知れた水戸光圀こと黄門さまの水戸家が中屋敷(後に上屋敷)として1629年より光圀の先代頼房の時代に着手し二代目藩主光圀の代に完成しています。水戸藩というと徳川御三家でありながら格下というのか将軍は誕生していません(15代慶喜は一ツ橋家へ養子にいっていますので微妙なところなのですが…)黄門様にしたって”漫遊の旅”など出ていません。当然”助さん&格さん”も”風呂好きの女性”もおりません。この御仁、若いころの趣味が刀の試し切りと称して、夜な夜な人切りに励んでいたなんて話が残っているようです。それがどこでどうなってしまったのか…。「黄門」にしたって官職名であって個人の名前ではありません。あくまで「光圀」です。

駒込・六義園

rikugi_01東京都内に現存する大名庭園としては規模や造り等、屈指の名園だと思います。緑の美しい初夏の六義園もいいもんです。写真の門は「染井門」で正門が工事中につき臨時開門ですが、こちらの方がJR駒込駅に近く緑深い千里場(馬の練習場)を歩いて行くので却って雰囲気が良いようです。これだけの大名庭園が江戸時代の火事や関東大震災や太平洋戦争の被害を免れ現在に至っているのは不思議な感があります。昭和の初期には三菱財閥の手に渡り、昭和13年東京市に寄贈され、昭和28年に特別名勝に指定されています。

rikugi_03

この六義園は徳川5代将軍・綱吉の側御用人・柳沢吉保が自らの下屋敷として2万坪以上の敷地に7年以上の歳月を要して造園したとされています。「六義園」の名称は『古今和歌集』にある和歌が詠うままに庭園として再現しようとしたとされ、設計は柳沢本人によるものと伝えられています。元禄15年 (1702) に庭園と下屋敷が完成すると、以後将軍綱吉のお成りが頻繁に行われたそうです。写真は江戸時代(柳沢時代)に建物があった場所から池を見ています。柳沢吉保や将軍・綱吉はこんな感じで池の景色をみていたこととなります。

rikugi_02三菱財閥時代の建物があった位置から池を見るとこうなります。一般的な池泉回遊式庭園は、大きな池を中心に配し、その周囲に園路を巡らして、築山、池中の小島、橋、名石などで各地の景勝などを再現した庭園ですから、これでも良いのでしょう。園路の所々には、散策中の休憩所や庭を眺望する展望所として、茶亭、東屋なども設けられています。ゆっくり周遊したら1時間以上は必要です。入園料は¥300/大人…安いもんです。

霜降銀座商店街

shimo_01JR駒込駅から徒歩5分ほどで『霜降銀座商店街』の入口です。出かけた日が悪かったのでしょうか、多くの商店が休みのようでしたが、いわゆるシャッター通り商店街とは違うようです。商店街を進んで行くといつのまにか『染井銀座商店街』に変わってしまいます。この”染井”の地名は”桜=染井吉野”の発祥地とされ駒込駅前には記念公園があります。霜降商店街は旧古河庭園へ向かう本郷通りから縦方向に入るので意外と見落としがちになるようです。派手さこそありませんが昔ながらの買い物商店街といった様子です。この猫の感じから空気感が漂ってくるかと思います(苦笑)そういえば本郷通り沿いのラーメンの老舗”えぞ菊”はいつの間にか閉店していました。

shimo_02霜降銀座・染井銀座や駒込駅、旧古河庭園から飛鳥山までを範囲として5/11~5/27まで『名探偵★浅見光彦の住む町・ミステリーウォーク』なるイベントが行われます。”浅見光彦”を知らない方にはなんのことだか判らないでしょうが、『内田康夫』執筆の小説に登場する本業はルポラーターなれど何故か名探偵の主人公が活躍するお気楽小説で、TVドラマ化もされているそうです。その主人公が暮らす街の設定ですが、”街おこし”もここまで来るとなんでもありの云ったモン勝ちの世界ですね。個人的には架空の”主人公が暮らす街”に便乗したでっち上げ的イベントは胡散臭さとお金の臭いがして好きにはなれません。

伝法院庭園

denpo_025月連休もグズグズのうちに過ぎていってしまいましたが、駆け込みのように「金龍山・浅草寺」の国指定名勝・伝法院庭園へ行ってきました(3/22~5/7迄)。この庭園は普段は非公開になっていますが、今年は”東日本大震災復興支援”と称しての特別展。今回の収益は震災義援金となるそうです。浅草寺の歴史ある縁起絵巻を始め、寺宝とされる大絵馬の数々が展示されていました。歴史のある寺ならでは、奉納主の依頼によりその時代の一流の絵師が担当した絵馬の数々、時を重ねた重厚感やホンモノの迫力はたいしたものです。展示ホールは撮影禁止となっており係員が目を光らせていましたが、これだけ大絵馬の数々が非公開とは…。

denpo_01上)池の向こうに浅草寺の五重の塔。伝法院は浅草寺の本坊で、安永6年建築の客殿・玄関や明治4年築の大書院、浅草寺貫首(かんす)大僧正の居間などがあり「伝法院」の名称はこれらの総称となるそうです。約3700坪の庭園は、寛永年間に小堀遠州(こぼりえんしゅう)により作庭されたと伝えられる「廻遊式庭園」となっています。手入れも行き届き、すぐ塀の外が賑わう伝法院通りや浅草寺境内とはとても思えません。隠れていますが緑越しにおなじみの”東京スカイツリー”が見えます。左)浅草寺の五重の塔とスカイツリーが重なっています。
繰り返すようですが…これらが「非公開」とは”もったいない”限りです。
月別アーカイブ
  • ライブドアブログ