旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2012年06月

妻沼聖天山…(3)

a_2a_1仁王門を過ぎての本殿前です。写真左の茶色の屋根は奉納相撲の土俵が設えてあります。見切れていますが土俵の隣に「大師堂」があり弘法大師が祀られ、関東八十八か所霊場の結願寺となっています。右下の白い部分には「石舞台」まであります。写真右は籠堂受付・お札授与所ですが…、全体として見渡すとバランスよく配置されてます。本殿は拝殿(127㎡)・相の間(27㎡)・奥殿(34㎡)の権現造りで江戸中期からの建築様式や彫刻の細工施工が残っています。本殿の彫刻も素晴らしいのですが、奥殿の圧倒的な色彩に比して地味に見えてしまいます。

a_3a_4『国宝本殿彫刻拝観のご案内』です。1)受付時間…10時~16時 2)入場志納金…¥700以上 3)年中無休とあります。ありがたい事には地元のボランティアガイドによる案内説明(無料)があります。本殿の説明で40分、境内まで含めると+30分です。
旅行会社のバスツアーなどでは見学1時間が精々でしょうが…1時間ではとても無理です。できれば1日じっくり訪れることをお勧めします。妻沼聖天はまだ注目度が低いようで、駐車場などは「境内の駐車場は、適当に停めて良いです」で、なんか素朴で嬉しくなります。

左)この見事な彫刻は現地で見てください。彫刻一つ一つに全て”意味”や”物語”があります(!)
中)”葡萄にリス”や右)”寝ていない猫”など様々な動物が思いがけない場所に彫られています。
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妻沼聖天山…(2)

me_05me_06左が総門の「貴惣門」の側面(妻側)に破風を3ツ重ねたと奇抜な形式の造りで、総門としての迫力が感じられます。”埼玉の日光”とも呼ばているそうですが、あちらさんは当時の徳川家の威信にかけて造り上げた国家事業のようなものす。こちらは「斎藤別当実盛」と云う平安時代末期の越前出身の武将が、この地を治めた際に地域の人々と開いた妻沼聖天山が始まりで、それ以降この地に住んだ人々に綿々と受け手がれてきた文化です。これは本当に感激もんです。右がその主役「斎藤別当実盛公」の像です。

me_07me_08左、市指定の文化財『四脚門/しきゃくもん』です。「聖天山」も数多くの火災被害にあっているそうですが、この四脚門が最も古くからある建物で400年近く前の姿を伝えているそうです。右は最近造られた案内板には境内の建物配置図が記載されています。


me_09me_10総門→四脚門→で、仁王門です。左右には金剛力士像があります。正面右は修復が完了し、左は未修復なので、対比が見られます。この門をくぐると、歓喜院聖天堂(国指定重要文化財)が姿を現します。

妻沼聖天山…(1)

me_01妻沼聖天の下車駅のJR熊谷駅までは、上野駅より高崎線で1時間10分ほどです(新幹線利用で2駅・33分)。”猛暑の熊谷”として紹介されることも多く、2007年8月16日の40.9℃は日本記録となっています。最近は「あついぞ熊谷」などと居直り気味に街をアピールしているようです。写真では写りにくいいのですが、熊谷駅の文字の下に霧が吹きだしています。6月のこの時期で、いくらなんでもと思うのですが…。


me_02me_03JR熊谷駅北口、ローターリーの先⑥番乗場から「妻沼聖天山」行のバスが出発します。あさひバス、太田駅行・西小泉駅行・妻沼聖天前行の3系統が利用でき、所要は約30分ほどです。…この日はTAXIを利用しましたが20分、¥3500程でした…右の写真が山門手前の碑です。右の柱には「武蔵妻沼郷」、左には「歓喜天霊場」とあります。云うまでもないですが、聖天さんは神社ではなくお寺です。したがって鳥居はありません。
自家用車利用でも100台程度の無料駐車場があるそうですが、国宝指定が知れ渡るとどんなもんでしょうか?

menuma_05me_04左が総門の「貴惣門」…平成14年5月に国指定の重要文化財建造物となっています。屋根の形が大変に珍しい形をしており。側面(妻側)に破風を3ツ重ねたと奇抜な形式とあります。この形式の建物は国内でも数件しか残っていないそうです。現在は彩色復元はされていませんが、見事な彫刻がなされています。妻沼聖天山は日本三大聖天の一つに数えられ、”埼玉の日光”とも呼ばているそうですが…境内には味わいのある建築物が点在し、ある意味”日光”以上の趣だと思います。

絶句!妻沼聖天山

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無礼を承知ですが、ここは京都でも奈良でも鎌倉でもありません。埼玉県です。熊谷市です。歴史上繁栄した街でもありません。なんだってこんな”とんでもないお寺”が…。以前は田舎町の古ぼけたお寺さんだったのが、晴れて国宝にまで昇格(?)してしまいました。生まれ変わった極彩色の彫刻群には、ただ絶句しかありません(!)。
上は布袋と恵比須&大黒天が「囲碁」に興じています。下は弁天さんらが「バックギャモン」に熱中しています。
吉祥天と弁天さま、間で戦況を伺っているのは毘沙門天です。赤鬼氏はさらに右側にいる美人さんを手招きしています。なにを比喩しているのかは判りませんが、見事としか表現できません。

埼玉県熊谷市の『妻沼・聖天山』は平成15年より23年まで8年間、保存修理工事が行れ総工費13億5千万円の費用を費やし(彩色の復元だけで2億円)、平成24年5月に国宝として答申し、この7月には国宝として正式指定されます。入山口の国指定の重要文化財「貴惣門」の彫刻もすばらしいです。本殿の色彩と対比すると、いかに大がかりな保存修理だったのかが窺えます。

妻沼(熊谷)は特色に乏しい地方の街ですが、いずれ旅行会社の『国宝・妻沼聖天と渋沢栄一生家を訪ねる』なんてバスツアーも企画され、どっと観光客が訪れるでしょう。ご存知のように「熊谷」の夏はとてつもなく熱いので有名です。出かけるなら今のうちです。
妻沼聖天さんへは、JR熊谷駅下車、路線バス(30分/¥450)・TAXIなら(20分/¥3500位)です。

左:権現造りの本殿全体に季節ごとの彫刻が施されています。実に見事です。
中:拝殿正面です。この裏手の本殿がすごい事になっています(拝観¥700)
右:総門「貴惣門」…国指定の重要文化財です。彩色はされていませんが見事な彫刻です。
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小石川植物園

kohinata_01kohinata_02文京区白山の小石川植物園、正式名称は『東京大学理学部付属の植物園』といいます。しっかっりと管理されている植物園ながら木々は伸びるに任せといった感で、後楽園や六義園とはまったく違った”自然感”があります。園内には「ニュートンのリンゴの木」の子孫や、遺伝学のメンデルが実験に使った「ぶどうの木の子孫」など、学術的に価値はあるのでしょうが、どうで良い感のある木々も保存されています。写真上右は日本庭園と奥の建物は「旧東京医学校の校舎」だそうです。この植物園は江戸時代、将軍徳川吉宗と町奉行の大岡忠による”享保の改革”時に、幕府が設置した無料の医療施設『小石川養生所』の跡地です。幕末まで約140年間貧民救済施設として機能したとされていますが、当時の医療水準ですから、どんなモンだったのでしょうか…?

下左:小石川養生所の跡で、その旨の案内があります。
下中:植物園入口です。交通はやや不便です。地下鉄白山駅または茗荷谷駅でしょうか…。
下右:入場券は入口前の商店で購入します。鯉のエサ¥100なんてのもありました。
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東京都立浜離宮恩賜公園

hama_02hamari_03”隅田川架橋を歩いて下る”という事で続けてきましたが、浅草は吾妻橋から水上バスに乗れば隅田川架橋を眺めながら『浜離宮恩賜公園』まで川下りが楽しめます。浜離宮恩賜公園は1654年徳川綱重(甲府藩主)がこの地を拝領し、甲府藩の下屋敷として造られました。6代将軍・徳川家宣の時代には、将軍家の別邸となり「浜御殿」と称し将軍の鷹狩の場となっていました。さらに幕末には、幕府海軍の伝習屯所として使用されたりで、鳥羽伏見の戦いで敗れて船で江戸に逃げ帰った徳川慶喜はこの地から上陸しています。明治になると外国人の接待所「延遼館」として使われ、明治3年に宮内省の管轄となり”離宮”の名称となるなどの歴史を経てきています。

現在は、「特別名勝及び特別史跡・浜離宮恩賜庭園」として東京都に下賜され都立公園として開園しています(入園料¥300/大人)。海水を取り入れての潮入りの回遊式築山泉水庭の庭園には、鴨場、潮入の池、茶屋、お花畑、牡丹園などがあり四季を通して楽しめる庭園となっています。最寄のJR駅は新橋駅ですが、住所表記では中央区浜離宮庭園1-1となります。
園内でダラ~ッとしていた猫達です。猫も悠然としております。
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隅田川架橋を巡る(Ⅱ)…②

koma_01koma_02今回は橋全体が水色に塗られた『駒形橋』です。橋長は146.3m、橋幅22.9m、1927年(昭和2年)の完成です。東京都の管理となります。西詰めのモニュメント柵には写真の様な『馬』が並んでいます。チェスの駒ではなく駒形の駒の洒落なんでしょう。江戸時代にはこの場所には橋は架橋されておらず「駒形の渡し」があっただけでした。関東大震災の東京復興事業の一環としてこの場所に橋が架橋されています。

koma_04koma_03橋の名称の由来は、西詰めにある「駒形堂」に因んでいます。天慶5年、浅草寺観音堂を造営する際、馬頭観音をまつるためにこの駒形堂も建てられています。『江戸名所記』によると「浅草川を上下する時、御堂が白駒が駈けるように見えるので “駒かけ堂”といわれ、訛って駒形堂になったとそうですが、そう都合よく訛るとは到底思えません(!)さらには”コマガタ”ではなく”コマカタ”と濁らないそうです。こうなるともうどうでも良くなってきますね(苦笑)

隅田川架橋を巡る(Ⅱ)…①

kawa_01kawa_02隅田川架橋を巡る(Ⅱ)の一回目は浅草・吾妻橋からです。吾妻橋を出発して清州橋(きよすはし)までは、川沿いのテラスも整備され、下町ならではの観光ポイントも数多くあります。名所旧跡を巡りながら歩いて行くと約3時間の行程になります。この吾妻橋は橋長150m、幅22.2m、3連ヒンジアーチ橋です。最初のこの地に架橋されたのは1774年(安永3年)ですから240年も前の事です。現在の橋は関東大震災により木造の橋が焼け落ち、1931年(昭和6年)に架け替えられています。江戸時代には「大川橋」と呼ばれていたこの橋の名前の由来は、江戸の東(あずま)にあるから説や吾妻権現の参道説などがあるそうです。例によってここでもつまらない諸説が入り乱れています。

kawa_05kawa_04吾妻橋は東京都の『隅田川著名橋の整備』の事業により浅草寺をイメージ(?)して赤く塗られています。浅草側からはアサヒビール付近が一望できます。例のウ●コオブジェはバブル崩壊とともにその名前が消えたフランスのデザイナー「フィリップ・スタルク氏」の作品で「炎のオブジェ」の名称だったと記憶しています。炎は”新世紀に向かって飛躍するアサヒビールの燃える心”を象徴しているということなのですが、コンセプトやらなんやらで煙にまかれた結果がコレです。せめて孫悟空でも乗せておけば良かったかも知れません。今は「ウ●コビル」でWeb検索するとHitしまうのが何とも情けないです(笑)。
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