旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2012年07月

日比谷・明治生命館

07_0507_04平成9年、昭和の建築ビルとして初めて重要文化財の指定を受けた日比谷の『明治生命館』です。現在も本社の一部として使用されていますが、土曜・日曜(年末年始除く)の11時~17時には予約なしで見学することができます。この明治生命館は建築家・岡田信一郎の設計により昭和9年(1934年)の完成ですので、「国会議事堂(昭和11年完成)」と近い時期の完成ですので、「廊下等の下方に据え付けられた掃除機設備」や「投函すると集配室へ手紙が落ちていく設備」…見れば納得、文章表現は難しいです…などが共通した設備があります。国会議事堂内では現役で活躍中ですが、こちらは機能停止になっています。
見学できるのは2階と1階の一部ですが、特に2階の贅を凝らした造りは一見の価値があります。左は会議室です。セピア加工で遊んでいますが、現物もかなりの重厚感があります。部屋には暖炉なども設え、寄木細工(?)風の床の造りが見事です。先日、創業何年とやらで勿体ぶって公開した近隣の同業他社は、なんとも安っぽい造りでした。それに比べると・・・。07_0107_0207_03





『明治大学博物館』・刑事部門

072001072002この『明治大学博物館』は、「大江戸捕物帳の世界/アスキー新書」・(伊能秀明氏著)の中で紹介されいます。実際に出かけてみると、文献等で見知っているお道具の現物orレプリカが多数展示してあります。「刑事部門」の他「考古部門」や「商品部門」にも興味をひく展示物が多くあり、また同じ建物内には、作詞家「阿久悠」氏の記念館もあります。さて、写真上左、時代劇に登場する捕物道具の数々が展示してあり、壁にはこの道具を使用した『徳川幕府刑事図譜』よりの捕縛の図なんてのが数点展示してあります。

072003072004江戸時代は、幕府の定める刑法典『公事方御定書』に定められた拷問により自白をさせる方法がとられていました。拷問には「むち打」・「石抱責」・「海老責」・「釣責」の4種類があったそうです。写真左:石抱責の展示です。算盤板の上に罪人を正座させ、両膝の上に伊豆石を5~10枚積んで加重…。書いているだけで膝が痛くなります。一説には1枚=55㎏の石(!)たいていは気絶したそうです。それでもひるまない罪人には海老責と進み、釣責(右の絵)は両腕を背後でくくり拷問蔵の梁から4-5時間吊り下げる責めです。いくら自白重視とは云えこれは過酷です。

072005072007俵の中央の木枠は、主人殺害の罪人に適用の究極刑・鋸挽(のこぎりびき)の道具です。日本橋晒場所で首を竹鋸で引き、後に2日間晒し、江戸市中を1日引き廻して磔の刑。家屋敷家財は没収…。いやはやです。写真右の俵の奥が「獄門台」です。牢屋敷で斬首したのち、形状に捨札を建て獄門台に首を晒す。追剥、主人の妻と密通、毒薬販売、関所破り…に適用され家屋敷、家財はことごとく没収…。この時代は”懲役刑”はほんの微罪にしか適用されていません。

072006072008正直左の写真に映っている白黒写真は”やばい”です。これらは「暗闇坂刑場獄門写真」と称し明治2年に外国人旅行者が撮影したものです。写っているのは横浜の戸部監獄で処刑され暗闇坂刑場に晒された強盗団です。上の磔写真はこの強盗団を手引きした17-8歳の質屋の小僧で、下段の写真には、獄門首が6体と磔の死体、更には刑場の番人などの姿が映っています。冗談抜きで衝撃的です。写真右は磔台で手、足の横木が2本平行にあるのが男用(大文字に磔)で、女用は足台になっているそうです。さぁ”残酷モード”も最高潮になってきました。

072009072010足元に薪とくれば「火刑」です。台座の中央の穴に柱を立て罪人をくくり付けて、足元から薪をうず高く積み上げて、風上から点火して火あぶり…。八百屋お七は17歳で放火の罪で火あぶりですから…。”未成年がどうした”などという現在の刑法とは比べものになりません。この展示と背中合わせが前回の「ニュルンベルクの処女」と「ギロチン台」の展示です。後先ですが、このコーナーの初めには『刑事部門の展示見学にあたってのご注意として、この展示コーナーは、前近代における非人道的な拷問・刑罰の様子を知り、人権尊重の必要性を認識するための反省材料とすることを意図しています』とあります。実際の歴史背景に目を背けることなくの展示や解説は、さすがに大学内の博物館です。

ニュルンベルクの鉄の処女

072101072102これが『ニュルンベルクの鉄の処女』です。その手のマニアの方にはたまらない知れません。これは中世ドイツの拷問・処刑具で、鉄製の人形の内側に、沢山の針(針というには太すぎる)が取り付けられていて、中に人を立たせて扉を閉じると針が体中を刺し貫いて、じわじわと死に至る…(説明を聞いただけで”謝って”しまいます)…絶命後に扉を開けば底板が抜けて死骸は床下に転落、さらにはニュルンベルク城の外に排出される仕組みだそうです。犠牲者は即死せずに苦しめ、執行側は死骸処理に手を汚さない。なんとも考えられた”作品”です。

072103072104隣に見えるのが、これまたメニアにはたまらない説明不要の”ギロチン”です。フランスの医師「ギョタン」が処刑時に死刑囚に苦痛を与えず即死させる器具を提案したため「ギョタン」の日本語読みで「ギロチン」となったそうです。1793年フランス国王ルイ16世や王妃マリー・アントワネットが処刑されたのは有名な話です。フランスでは死刑廃止の1981年まで使用されていたそうです。それにしても”苦痛を与えず即死させる”とは…。両者とも昭和初期のレプリカだそうですが、パンフレットによると「我が国内唯一」の展示資料だそうです。(確かに!)

こちらはSM資料館ではなく、神田駿河台の『明治大学博物館』の展示資料です。アカデミーコモン館の地下にあり誰でも見学することができます(10:00~17:00、無料、休館は要問合せ)。他にも考古学部門や商品部門で有意義な展示物があるのですが、この刑事部門の興味深い展示物には圧倒されてしまいます。

ストーンズ配信音源ブート

2012年2月から7月にかけてRolling Stones Archivkaraから配信された音源から製作されたブートが出回りました。ここの掲載したブートは後年オフィシャル盤として発売され、ブートとしてはゴミ以下のものとなってしまいました。 非合法のS会の事ですから何とも苦情のつけようがありません。
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ローリング・ストーンズのライブバンドとして最強の時代は1972-73年の北アメリカ&ヨーロッパツアーでしょう。ブートの世界でも多くのコピー盤や編集盤ブートが作られていました。時代なんですねぇ。昨年末にライブ音源が正式にネット配信となり第1弾が【1973年のBrussels】でした。当然、西新宿あたりのすばしっこい方々は黙っていません。しっかりコピーブート盤が並びました。流石にオフィシャル音源からなのでモノが違います。♪ハラヒレハレホレ~♪と来るミック・ティラーのギターはなんと形容すればよいのでしょう。ワッツのドラムは恐ろしくタイトです。キースがまともに歌っています。ビリー・プレストンはあまり聴こえません。ホーン隊は大活躍です(笑)。
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【Hampton’81】…この年のツアーは正式にCD化や映画化されましたが、かれこれ30年も前の話になります。オフィシャル盤のCDでは曲数も少なく音もキレイに直してありました。1曲目「A列車~」がありません。”A列車で行かない”スタートはなんか変です(笑)。イントロ・リフがヨレヨレで『オィオィ、大丈夫かよっ』ですが、ちゃんと持ち直します(笑)。ロニーもキースもかなり真面目にギターを弾いています。キースがちゃんとコーラスをしています。後年のお二方からは考えられません(笑)。最後の”ジミ・ヘンのアメリカ国歌”もありません。バスドラとタムの音域がかなり持ち上げているようで迫力があります。ベースのフレーズもハッキリして何を弾いているのか良く判ります。ミックもキースも40歳前後しょうか?30年の年月を経てまさか今でも現役とは(!)。
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第3弾は1975年のL.Aです。配信開始→ブート制作→店頭と2週間で登場です。”やればできる”というのか大変な方々です。やはり権利の関係なんでしょうか、「庶民のファンファーレ」がありません。前回のA列車同様慣れた音が無いのは違和感がありますが、それは贅沢というものです。ビリー・プレストンをはじめサブメンバーが多く参加しています。ロン・ウッドがまともにギターを弾います。前任者と交代したばかりなので、ここで頑張なければ本採用は無しなので…(笑)
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LA公演では、スライド・ギターの名手、ジェシィ・エド・デイビスも参加しています。ジョージ・ハリスンのバングラディシュ・コンサートで薬中真っ最中のECの予備として呼ばれたのですがECがまともだったので、ほとんどギターは弾いていません。ECがボロボロだったなら、その後の名声は全く違ったもだったでしょう。皮肉な事に薬中で亡くなっています。
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驚きの速さです!。配信から店頭で販売まで10日あまり!。今回は1990年2月26日の東京ドーム公演です。ジャケ写真もステイール・ホイールズ日本公演のパンフを使っています。この2/26はTV関係者が流失させた優良音源のブートCDがすでに存在していますが…。1曲目、コンチネンタル・ドリフトありません。”庶民の~”や”A列車”、ジミの”アメリカ国歌”は他人の曲でしたが、”コンチ~”は自分らの曲なのにカットとは…。「あのワクワクする高揚感を切らないでぇ」です。ボブ・クリアマウテンのミックスはTV流失とはかなり異なり、ビル・ワイマンのベースが聞こえます(!)。この音で聴くとビルのベースが実に良い感じです。キースとワッツ&ビルのリズムの絡みはこのツアー以降にはありまません。やはりこの3人の”絡み”がストーンズなのでしょうね。ダリル・ジョーンズのベースは残念ながら上手すぎます。

彼がいた場所…マッカーサー記念室

071901071904『第一生命保険は、本社を置く「第一生命館」がGHQによる接収解除と返還から60年の節目を迎える2012年、第一生命保険創立110周年記念特別企画として、現在非公開となっているマッカーサー記念室を期間限定で一般公開する』…というので行ってきました。現在公開中で、期日は2012年7月22日の10:30分~15:30分までです。1日先着200人限定との発表なのですが、実際はもっと多いようです。整理券対応をしており、1回の出発あたり定員25名となっています。最初に時間指定の整理券(運が良ければ即、混んでいれば2時間待ちくらい)を貰い、整理券の指定時刻に再集合です。受付で住所・氏名を記して入館証を受けとり、EVで6回へ…廊下を少し歩いた所に『彼がいた場所』があります。意外にも写真の撮影はOKでした。
この部屋で昭和20年9月から昭和26年4月までマッカサーは日本の占領施策をしていました…。正直”ただ、それだけの部屋”です。オリジナルは昭和13年の完成だそうですが、ここが『彼がいた場所』でなければごく普通の古い部屋にすぎません。期待が大きかった分、肩透かしの度合いも大きかったようです。なぜ非公開なのか理解できません。恐らく維持管理・運営・警備に要する費用負担がシンドイのでしょう…。
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新撰組の近藤です!

07_16_0107_16_03笑ってしまうほど良く似ていますが、この銅像は”澤ほ●れ”ではありません(笑)。JR板橋駅前『近藤勇墓所』のご本人”近藤勇”の銅像です。間違えてはいけないのは、ここは処刑された場所でも、埋葬された場所でもありません。没後の明治9年に新撰組での盟友”永倉新八”の発起によりこの地に造られた供養塔(?)で良いと思います。なので1本の石碑に「近藤勇・冝昌(!)、土方歳三・義豊之墓」と刻まれてたり、他の隊士の碑があったりですが、数少ない新撰組幹部の生き残り”永倉新八”の碑が一番大きいのは笑えます。この方は維新後は北海道に渡って”樺戸監獄”の剣術指南などをしています。ところで、記憶違いかも知れませんが、近藤勇の諱(いみな)は「昌宜(まさよし)」だったと思うのですが、石碑には「宜昌」と記されています。おぃおぃ永倉(本名長倉)さん。これはワザとやったのですか?

07_16_0307_16_04ともあれ、新撰組の人気はいまだに根強いようです。”寄せ書きノート”の様なモノが常備してあったりするのは、それなりに訪れる人が多いという事でしょう。この区画も丁寧に管理されています。訪れた時は石碑や近藤勇像に”海老せんべい”が供えてありましたが、なにか謂れがあるのでしょうか?
『新撰組』は視点を変えてみると「会津藩が京都でのテロ警備を担当するにあたり、自前の藩士では対外的に問題が生じるし、怪我人や死亡者が出たら、当人や家族への補償問題も生じてしまうので、威勢の良いあんちゃんを武士にしてやるとの契約で雇い、私設警察とした」というのが実情に近いと思います。プロジェクトが終わったら”派遣切り”。どの時代もたいして変わりません(苦笑)

本郷・求道会館

07_11_0107_11_02外観や建物内に足を踏み入れた雰囲気は、ここがお寺だというのがとても信じられません。ここは文京区本郷、東京都指定有形文化財の『求道会館』です。元々は浄土真宗大谷派の僧侶”近角常観”が学生寮として 求道学舎を始められ、その教会として『求道会館』が1915年に、『求道学舎』が1926年に建築家の”武田五一氏”の設計によって建てられたそうです。学舎は未公開ですが会館は2002年に修復工事を完了、東京都の有形文化財に指定され、現在も使われています。この建築家の武田五一氏は明治から大正にかけて我が国にアールヌーボーやゼセッションを本格的に紹介したといわれています(申し訳ないのですがなんの事やら判りません)要はその世界では有名な先生なのですが、如何せん関東には氏の作品が少なく、伴って知名度も一般的は低いようです。

この『求道会館』は月に1回の特定日に2時間程一般公開されています。詳しくは会館HPをご覧ください。
・写真だけ見たら、他宗派の礼拝堂にしか見えません。正面の六角堂厨子に祀られる本尊は阿弥陀如来です
・5枚のステンド・グラスや建物の外観…しつこいようですがこちらは”浄土真宗大谷派”のお寺です。
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群馬・太田市・冠稲荷神社

f_1f_2妻沼の聖天さまから車で30分程、群馬県は太田市の『冠稲荷神社』です。HPに「日本七大稲荷」の一つとあります、胡散臭さは確かめねばなりません。で、立寄ってきました。=古墳時代六世紀より1500年の間、義経公 冠奉安を始め、祭祀祭礼が行 われてきた宮の森。冠稲荷神社は平安時代の天治2年(1125)新田氏の始祖 新田義重公の父、源義国公創建とされ、伏見、豊川、信田、王子、妻恋、田沼と合わせ、日本七社のひとつといわれています。承安4年(1174)源義経公は奥州下向の折、当社が源氏ゆかりの社であることを知り、冠の中に勧請(かんじょう)してきた京都伏見稲荷大社の御分霊を鎮祭しました。また、時を経て、新田義貞公は元弘3年(1333)鎌倉幕府討伐の兵を挙げるにあたり、当社神前にて兜の中に神霊の来臨を請い戦勝を祈願されたと伝えられています。この故事にちなみ、いつしか冠稲荷大明神と人々から呼ばれるようになりました。=写真は本殿と、本殿に施された「白狐」の彫刻です。妻沼聖天にも劣らない作品です。

f_3f_5「源氏縁の地」・「源義経の鎮祭」・「新田義貞の戦勝を祈願」…というような事もあったのでしょう。それはともかく、思いの外”感じの良い神社”です。結婚式場もあります。幼稚園も併設されています。小さな子供たちが元気に走り回っています。「故郷のお宮様の杜」という感じに満ちています。この感じけっこう好きです。境内社の「実咲社」は実にユニークはきつね達が並んでいます。「子宝きつね」・「縁結びきつね」・「安産きつね」・「子育てきつね」と、様々なお願い事ならなんでもOKの懐の大きい神社さんのようです。

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妻沼聖天山…(4)

今年、妻沼聖天山・本殿は国宝に指定されました。「埼玉の日光」だのと随分と謙遜した表現をしているようですが、ともかく国宝に指定された事は埼玉県で生まれ育った身としては嬉しく思います。以前にも述べましたが、徳川家の威信にかけ、人・金・時を費やした建造物に対し、こちらは地元に住む方々の素朴な信仰心がお寺の歴史を綿々と支えてきました。「日光東照宮」と比べる事には”意味”を感じません。むしろ日光東照宮建造時には発展途上だった彫刻や建築の技術が円熟期を迎え聖天山に結集しているように思います。こちらは修復にあたった=㈱小西美術工藝社=のHPです。是非ご覧になって下さい。
http://www.konishi-da.jp/index.html

b_1b_3本殿の正面右方向、森の中に昭和33年完成の「平和の塔」があります。十一面観音が本尊として祀られているそうですが、塔を囲む池の水が澱んでいたり子供用の遊戯設備がさび付いていたりで、荒れた感があります。右)宝暦11年の完成の「鐘楼」です。現役で朝な夕なに時を告げているそうですが…(?)やはり荒れ感があります。熊谷市も民間任せにせず徐々にでも整備してほしいものです。この熊谷市は、昔は高校野球の名門校もありましたが今は見る影もなく、最近は『日本一暑い街』などと妙なアピールをしています。たいして旨くもない銘果(?)『五家宝』と三流武将の『熊谷直実』で”やや”知られている程度の市です。ここ妻沼地区は熊谷市に併合された町で、町村合併したら”国宝が付いてきた”とはラッキーなのか、金のかかる嫁さんをもらったのか…どちらなのでしょう?。

e_1e_2聖天堂・本堂から徒歩5分程に『歓喜院本坊』があります。これらを含めてが「聖天山」です。
左)が本坊本堂の山門です。こちらには聖天山を開いた「斎藤別当実盛公」が本尊とした祀られているようです。山門脇には鎌倉時代の代表的な供養塔があり、彫られている善光寺式三尊像板碑は学術的にも価値が高いとされているらしいのですが、風化が激しく良くは読み取れません。県指定の文化財だそうです。

d_3d_1左は地元の有志の方により、空家の民家を利用した「無料休憩所」で、お茶などを振舞っていただけます。自分達が生まれ育って地域で、子供のころから散々駆け回った聖天さんが国宝に指定されるなどとは、まだピンと来ていない様子です。ボランティアを募って無料案内などされているようですが、「観光の人が大勢訪れて、街が賑わって欲しい」…利権が絡むとあらぬ方向に進んでいくものですが、そうはならないように願いたいものです…。右)ご覧の様子が”メインストリート”の風景です。

食事処です。けっしてこれで全部ではなく、中門から入って参道脇の3店です。聖天さまの名物と云えば”でかい稲荷寿司”だそうです。写真右の「聖天寿司」が有名店との情報でしたが、この日は店内混雑で食べることはできませんでした。c_1c_2c_3





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