旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2012年10月

吉原と呼ばれた街…(Ⅱ)

101603101604江戸の昔、遊郭営業開始時の吉原には遊女屋が17軒、揚屋が24軒であったそうです。約20年後には遊女屋が125軒、揚屋が36軒と大繁盛となりました。最上位の遊女「太夫」が75名。「格子女郎」が31名。「端女郎」が881名の計987名だそうで、これを多いと理解するか少ないと思うかは微妙なところです(苦笑)。ここまでが幕府公認の公娼です。公娼から格が下がって湯女・陰売女・踊子・女芸者ときて、この時代での安価で需要があったのは更に格下の”私娼”だったようです。呼名と相場料金がリンクしていて、繁華街に出没する「けころ」。寺社の境内に出没の「山猫」や「竈払い」。表向きは綿の作業をしている「綿摘み」。食べ物を出前がてらの「提重」。料金50文の「五十蔵」。最下等が大川の舟でご商売の「船饅頭」やおなじみの「夜鷹」と続きます。夜鷹に至っては24文が相場で現秋葉原から御茶ノ水の神田川沿いに群れて営業活動をしていたようです。いずれしろ「暴れん坊将軍」や「水戸黄門」や「鬼平犯科帳」には登場しないであろうお話です。

101601101602上の写真は『吉原神社』です。新吉原遊郭には古くから鎮座していた玄徳(よしとく)稲荷や廓内四隅の守護神である榎本稲荷社、明石稲荷社、開運稲荷社、九朗助稲荷社の5社が祀られていました。明治5年に5社を合祀し「吉原神社」として創建されました。神社の歴史は新吉原遊郭の歴史でもあり、廓の鎮守の神として古くから崇敬されていたそうです。左は『吉原弁天』です。大正12年(1923年)の関東大震災では、吉原遊郭では500人を超す遊女が亡くなっており、大多数はこの弁天池付近で亡くなったそうです。吉原では遊女の逃亡を防ぐために出入り口が大門のみとなっているため、大震災による火災から逃れようとした遊女達が弁天池に身を投じるような形で亡くなったようです。昭和34年に吉原電話局の建設の際に埋め立てられて小さな池になってしまっています。吉原遊郭は湿地を埋めたてて遊郭を造っているので、昔は大きな池だったようです。

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吉原と呼ばれた街…(Ⅰ)

101301101302昭和32年(1957年)まで、この付近には『吉原(よしわら』と呼ばれる遊郭がありました。江戸幕府により公認された遊郭は、最初現在の日本橋人形町付近に造られ、「明暦の大火」以降に浅草・日本堤に移転されています。この為、人形町を「元吉原」、日本堤を「新吉原」と呼んでいました。…明暦の大火(1657年)は3日3晩江戸の街を焼き尽くした大火事で、死者は一説には10万人。江戸城や武家屋敷、市街地の大半が焼失し、江戸の歴史の大きな曲がり角となっています…吉原遊廓は国内最大級の規模(敷地面積2万坪)があり、最盛期で数千人の遊女がいたそうです。当時の江戸の街には武士・町人で約70万の成人男性がいたとすると、とても数千人の遊女ではお相手できなかった事となります。
吉原遊郭はお歯黒溝と呼ばれる掘りが巡らされ、出入り口は日本堤側のみとなっていました。”吉原大門”は1911年の大火で焼失し関東大震災を機会に撤去されており、現在は「吉原大門(よしわらおおもん)」の交差点名に残るだけになっています。”見返り柳”は、遊び帰りの客が後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ振り返ったそうで、跡地にはその石碑が建っています。

山谷堀公園

101502101501浅草寺の裏手、待乳山聖天から今戸神社向かう途中に山谷堀公園の碑が造られています。「山谷堀」は吉原遊郭の全盛時代に大川/隅田川から水路を吉原遊郭に通う” お大尽”が船で行き来した堀で、吉原大門付近から大川・竹屋の渡しまで約700㍍ほどの長さとなります。山谷堀の両側が”日本堤”で”土手通り”の名称に応時の香りがあります。上流の日本橋堤橋から今戸橋まで9つの橋が架けられていたが、現在はすべて埋めたてられています。堀の水源は水源は石神井川で、王子から音無川として日暮里・三ノ輪橋を経由して隅田川まで繋がっていました。この堀を舟で吉原に行き来するのが”粋”とされお金持ちの道楽だったようです。いつの時代も感覚的にはそうは変わりません(!)。いつ頃から音無川を堀に整備したかは良くわからないようですが、吉原遊郭は明暦の大火(1657年)以降に人形町の元吉原から千束の新吉原に移転しているので、これより昭和33年(1958年)に吉原遊郭が閉鎖されるまで200年前後親しまれたとなるのでしょうか(?)

乙女の祈り…今戸神社

101403101405最近は落ち着いたようですが、今戸神社は「恋愛のパワースポット」や「招き猫発祥の地」とのことで賑わっていました。地元の方に聞いた話では、今戸神社は昭和の始めに「元今戸八幡」と近隣の「白山神社」を合祀して現在の社殿になったそうです。ということで旧白山神社の神様であるイザナギ、イザナミの2柱が縁結びの神様として祀られてます。元今戸八幡の文字も敷地内に残されています。ここまではなんの疑義もないのですが…。「招き猫の発祥の地」となると、世田谷・豪徳寺の様に伝承があるわけでもなく、当時近隣には今戸焼の職人が多く住んでいたことからと強引にこじつけた話のようです。かと言って今戸焼き作品を代表するのが”招き猫人形”ということでもないようです。これを『捏造』と云ってしまえばそれまでなのですが…やはり『捏造』です(!)。さらには神社は”沖田総司終焉の地”なんだそうですが(碑があります)、”終焉の地”は新宿区にも存在します。お墓が数か所存在するのは不思議はないのですが、どう考えても”終焉の地”が複数箇所というのは…??。まぁそんなことは、お参りに来る乙女の皆さんにはどうでもいいことなんでしょう。乙女たちの幸あらんことを…(!)

下左)鳥居右の石柱には「今戸神社」と「元今戸八幡」の2種があります。
下中)拝殿の「猫の置物」。実は今戸焼きの猫とは似ても似つきません。色も姿も全く異なります。
下右)「ナミちゃん」「ナギちゃん」なる撫で猫像。頭が黒くなっていますが…。さらなる捏造の臭いが(苦笑)
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台東区・千束稲荷神社

101201101202台東区竜泉2-19-3の「千束稲荷神社」です。東京メトロ・三ノ輪駅下車、国際通りを浅草方面に5分ほどです。 ご祀神は稲荷社ですから当然ながら『倉稲魂命』です。江戸寛永年間の4代将軍徳川家綱の時代の創建とされています。当時は三ノ輪から浅草一円を『千束郷『と称し、千束郷に造られた2社の稲荷社の1社が千束稲荷神社で北千束郷の氏神となっていました。明治年間になってからは太政官令により竜泉寺町一円の氏神として今に至っています。神社の鳥居は江戸時代後期の文化年間に作られ鳥居とのことです。神社の境内は樋口一葉「たけくらべ」にある明治26年頃の祭礼の舞台となり、子供達が遊んでいた神社としも有名です。平成20年には本神社が一葉の「たけくらべ」由来ということで一葉の胸像を建立されています。…碑文には”借金名人”とか”夜逃げの達人”とは、さすがに書いてありません…

空中権取引…新生東京駅

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この10月1日に東京駅がリニューアル・オープン。大正期のドーム型屋根を持つ駅舎が再現されました。当然の如く多くの人が訪れ、TV等でも特集番組が放送されています。その中でも『空中権取引』なる耳慣れない不動産用語が登場して来ました。調べてみると…「空中権取引は、都市部の限られた空間を有効に活用する手段として、100年ほど前にアメリカで考案され、日本では、2000年から「歴史的建造物など低いまま保存すべき建造物があり、周辺ではより高層のビル建設の要望がある」の事例で、都道府県などが必要と認めれば隣接していなくても容積率を取引できる特例制度が新設されました。これにより、低層の東京駅が利用しない空中部分の容積率を別の場所に移して利用することが可能となりました。」…という事で、建設予定のない3階以上の”空中権”を他に売り建設費用を捻出したという事です。正直そんな離れ業があったとは驚きです。

オープン人気の大混雑で暫くはゆっくり画像撮影どころではありません…。
左)復元されたドーム型屋根です。長い年月の暫定修理とは異なりかなり立派です。
中)皇族用の出入り口。手前のアーチが駅長室の入口らしいです。ならば0㌔ポストはこの先に並びます。
右)南口のドーム天井。フラッシュ使用しても天井までは届きません。無しでもこの程度は撮れます。
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”ペット・サウンズ”あれこれ

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今年でデビュー50周年(!)を迎えた最長老バンド『ビーチ・ボーイズ』。長年のわだかまりを超えて日本公演までやったのですが…。驚いた事にはマイク・ラブが他の3人(ブライアン・ウィルソン、アラン・ジャーデイン、デビット・マークス)を解雇したとの記事を見ました。いい年した連中が何をやっているのでしょう…?
ここにあるのは1966年発表の「ペット・サウンズ」の日本盤CDあれこれです。普通の方が普通に聞くには大差ないのですが、実はどれもが微妙に違っています。先駆け発売をして強制的に廃盤になった(?)CD(上段左1)や理由不明なれどアッという間に廃盤になったリマスター盤(中段左2)なんてのもあります。我ながら良く集めたものです(笑)
この「ペット・サウンズ」って作品は、『名盤』と評される割にはどう名盤なのかは説明が難しい作品です。N氏などの音楽評論家は歌詞など情緒的な部分での解説をしていますが…。コーラスの和声が変だったり、リズム楽器が入っていなかったり、コードと関係の無いベース音進行だったり、ポップ音楽的には変な作品です。実際にはオーケストラ的な音の組立なのですが、お子様向けのポップ・バンドがこんな作品を作ったのですから、レコード会社もさぞ困惑したことでしょう。
この作品の独特な不安定なフワフワ感は最初は気持ち悪いとしか思えないのですが、「気持ち悪い」と評した勇気ある音楽評論家はいないようです…。36分の作品を繰り返し聞いているとある日突然に「そういう事なのか」と判ります。としか言いようがありません。DVDオーデイオ、BOXセット、SHM盤、DCC盤、40th盤、紙ジャケなどなど…探せばまだでてきます(苦笑)。CDの他にLPもあるのですから、これだけ多種なCD作品は他にないでしょう。

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出雲大社東京分祠…六本木

092001092002地下鉄日比谷線・六本木駅から徒歩5分程度(港区六本木7-18-5)に出雲大社東京分祠が鎮座しています。場所がら写真の様な近代的な造りの神社さんです。出雲系ですからご祀神は「大国主大神/おおくにぬしのおおかみ」となりますが…。出雲系の神様のお話は大変ややこしくなってしまうのでここでは割愛します。『縁結びの神様』の東京支店と単純に考えた方が良いと思います。ただし参拝については出雲大社では独特な「ニ拝四拍手一拝」という作法になっています。これは間違えてはいけません(!)。そういえば数年前に飯田橋の「東京大神宮」が某タレントにより”結びにご利益あり”で人気になっていましたが(明治神宮、加藤清正の井戸なんてのも…)東京大神宮のご祀神は伊勢系の天照皇大神です。いわば出雲系の神々を攻め滅ぼした伊勢系の神様ですから…。これを縁結びの神様と称して良いものかと疑問になりまが、縋る神様はどんな神様でもよいのでしょう。
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