旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2012年10月

偽モズライト・ギター

moz見たことのない「モズライト・ギター」を御茶ノ水の某楽器店で見かけたので写真を撮らせてもらいました。”Ventures”ならぬ”Aventures”モデルとあります(”Aが付いている)。店員さんも詳細が判らないというので、調べたら笑ってしまうような事実が存在していました。
Mosriteギター工房は1953年にカリフォルニアで創業された会社で、1965年エレキ・ブームの火付け役、 Venturesの使用により日本で有名になったギターです。…とは言うものの彼らの使用はほんの数年で、ジェリー・マギーはほぼ使用していません。(*1968年の公演ではモズライト・コンボ使用)ノッキー時代の印象があまりにも強烈で、Mosrite命のギターおやじは今でも数多く生息しています。 Venturesが使用しなくなったのには”Ventures”のロゴ使用権のロイヤリティがMosriteから支払われず訴訟関係となった為のようです。(*ギターでなくアンプの商業的失敗による)
結論から言うと、現在売られている”Mosrite”はすべてニセ物(創業者のセミー・モズレー制作以外)ということになります。日本では商標登録権などを無視して製造販売をしている会社などドロドロ状態です。創業者未亡人によるギター工房が法律的には権利関係を継承している”ホンモノ”と主張していますが、創業の浅い会社に往年の技術者と技量がどれだけ継承されたかは私には疑問です。権利関係は本物と云われても、ギターの良し悪しと権利関係は何の関係もありません。そんなこんなで各社入り乱れての「訴訟合戦」の体をなし、なんと最高裁まで争われています。あの加山●三に至ってはF社の広告塔を演じたため週刊誌ざたで”エレキの詐欺大将”呼ばわりまでされていて大騒動のようです(苦笑)。

Mosreitギターは高額な割には…”当り品”に出合ったことがないのかもしれませんが…私にはバランスが悪く使い勝手の悪いギターです。”あの音”は日本製のアンプとギターのミスマッチによる偶然とノッキーの技量ならではの音。現在の機材では困難な音でしょう。ノッキー・エドワーズも数年使っただけで、数年後彼がVenturesに復帰した時はテレキャスに変わっていました。あの音に魅せられ憧れた若者が50代、60代となり”高額でも手にしたい”という気持ちは良~くわかります。”憧れの楽器”は決して値段の高い安いではないのですが…。
現役のVenturesが使用しているのはアリアproⅡのMosrite風のギターです。価格も14万位と確実に安いしロゴも入っています(笑)。値段が高いばかりで、当り個体が少なく、バランスが悪く、恐ろしく弾きにくい”筋金入りの・偽モノの本物”より確実にマシだと思います。
≪写真≫はどうも1969年頃の黒雲製作所製造のギターのようです。VenturesならぬAventuresとは…(苦笑)
太字部分については加筆または追記をしています。

吉原と呼ばれた街…(2)

101603101604江戸の昔、遊郭営業開始時の吉原には遊女屋が17軒、揚屋が24軒であったそうです。約20年後には遊女屋が125軒、揚屋が36軒と大繁盛となりました。最上位の遊女「太夫」が75名。「格子女郎」が31名。「端女郎」が881名の計987名だそうで、これを多いと理解するか少ないと思うかは微妙なところです(苦笑)。ここまでが幕府公認の公娼です。公娼から格が下がって湯女・陰売女・踊子・女芸者ときて、この時代での安価で需要があったのは更に格下の”私娼”だったようです。呼名と相場料金がリンクしていて、繁華街に出没する「けころ」。寺社の境内に出没の「山猫」や「竈払い」。表向きは綿の作業をしている「綿摘み」。食べ物を出前がてらの「提重」。料金50文の「五十蔵」。最下等が大川の舟でご商売の「船饅頭」やおなじみの「夜鷹」と続きます。夜鷹に至っては24文が相場で現秋葉原から御茶ノ水の神田川沿いに群れて営業活動をしていたようです。いずれしろ「暴れん坊将軍」や「水戸黄門」や「鬼平犯科帳」には登場しないであろうお話です。

101601101602上の写真は『吉原神社』です。新吉原遊郭には古くから鎮座していた玄徳(よしとく)稲荷や廓内四隅の守護神である榎本稲荷社、明石稲荷社、開運稲荷社、九朗助稲荷社の5社が祀られていました。明治5年に5社を合祀し「吉原神社」として創建されました。神社の歴史は新吉原遊郭の歴史でもあり、廓の鎮守の神として古くから崇敬されていたそうです。左は『吉原弁天』です。大正12年(1923年)の関東大震災では、吉原遊郭では500人を超す遊女が亡くなっており、大多数はこの弁天池付近で亡くなったそうです。吉原では遊女の逃亡を防ぐために出入り口が大門のみとなっているため、大震災による火災から逃れようとした遊女達が弁天池に身を投じるような形で亡くなったようです。昭和34年に吉原電話局の建設の際に埋め立てられて小さな池になってしまっています。吉原遊郭は湿地を埋めたてて遊郭を造っているので、昔は大きな池だったようです。

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吉原と呼ばれた街…(1)

101301101302昭和32年(1957年)まで、この付近には『吉原(よしわら』と呼ばれる遊郭がありました。江戸幕府により公認された遊郭は、最初現在の日本橋人形町付近に造られ、「明暦の大火」以降に浅草・日本堤に移転されています。この為、人形町を「元吉原」、日本堤を「新吉原」と呼んでいました。…明暦の大火(1657年)は3日3晩江戸の街を焼き尽くした大火事で、死者は一説には10万人。江戸城や武家屋敷、市街地の大半が焼失し、江戸の歴史の大きな曲がり角となっています…吉原遊廓は国内最大級の規模(敷地面積2万坪)があり、最盛期で数千人の遊女がいたそうです。当時の江戸の街には武士・町人で約70万の成人男性がいたとすると、とても数千人の遊女ではお相手できなかった事となります。
吉原遊郭はお歯黒溝と呼ばれる掘りが巡らされ、出入り口は日本堤側のみとなっていました。”吉原大門”は1911年の大火で焼失し関東大震災を機会に撤去されており、現在は「吉原大門(よしわらおおもん)」の交差点名に残るだけになっています。”見返り柳”は、遊び帰りの客が後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ振り返ったそうで、跡地にはその石碑が建っています。

山谷堀公園

101502101501浅草寺の裏手、待乳山聖天から今戸神社向かう途中に山谷堀公園の碑が造られています。「山谷堀」は吉原遊郭の全盛時代に大川/隅田川から水路を吉原遊郭に通う” お大尽”が船で行き来した堀で、吉原大門付近から大川・竹屋の渡しまで約700㍍ほどの長さとなります。山谷堀の両側が”日本堤”で”土手通り”の名称に応時の香りがあります。上流の日本橋堤橋から今戸橋まで9つの橋が架けられていたが、現在はすべて埋めたてられています。堀の水源は水源は石神井川で、王子から音無川として日暮里・三ノ輪橋を経由して隅田川まで繋がっていました。この堀を舟で吉原に行き来するのが”粋”とされお金持ちの道楽だったようです。いつの時代も感覚的にはそうは変わりません(!)。いつ頃から音無川を堀に整備したかは良くわからないようですが、吉原遊郭は明暦の大火(1657年)以降に人形町の元吉原から千束の新吉原に移転しているので、これより昭和33年(1958年)に吉原遊郭が閉鎖されるまで200年前後親しまれたとなるのでしょうか(?)

空中権取引…新生東京駅

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この10月1日に東京駅がリニューアル・オープン。大正期のドーム型屋根を持つ駅舎が再現されました。当然の如く多くの人が訪れ、TV等でも特集番組が放送されています。その中でも『空中権取引』なる耳慣れない不動産用語が登場して来ました。調べてみると…「空中権取引は、都市部の限られた空間を有効に活用する手段として、100年ほど前にアメリカで考案され、日本では、2000年から「歴史的建造物など低いまま保存すべき建造物があり、周辺ではより高層のビル建設の要望がある」の事例で、都道府県などが必要と認めれば隣接していなくても容積率を取引できる特例制度が新設されました。これにより、低層の東京駅が利用しない空中部分の容積率を別の場所に移して利用することが可能となりました。」…という事で、建設予定のない3階以上の”空中権”を他に売り建設費用を捻出したという事です。正直そんな離れ業があったとは驚きです。

オープン人気の大混雑で暫くはゆっくり画像撮影どころではありません…。
左)復元されたドーム型屋根です。長い年月の暫定修理とは異なりかなり立派です。
中)皇族用の出入り口。手前のアーチが駅長室の入口らしいです。ならば0㌔ポストはこの先に並びます。
右)南口のドーム天井。フラッシュ使用しても天井までは届きません。無しでもこの程度は撮れます。
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出雲大社東京分祠…六本木

092001092002地下鉄日比谷線・六本木駅から徒歩5分程度(港区六本木7-18-5)に出雲大社東京分祠が鎮座しています。場所がら写真の様な近代的な造りの神社さんです。出雲系ですからご祀神は「大国主大神/おおくにぬしのおおかみ」となりますが…。出雲系の神様のお話は大変ややこしくなってしまうのでここでは割愛します。『縁結びの神様』の東京支店と単純に考えた方が良いと思います。ただし参拝については出雲大社では独特な「ニ拝四拍手一拝」という作法になっています。これは間違えてはいけません(!)。そういえば数年前に飯田橋の「東京大神宮」が某タレントにより”結びにご利益あり”で人気になっていましたが(明治神宮、加藤清正の井戸なんてのも…)東京大神宮のご祀神は伊勢系の天照皇大神です。いわば出雲系の神々を攻め滅ぼした伊勢系の神様ですから…。これを縁結びの神様と称して良いものかと疑問になりまが、縋る神様はどんな神様でもよいのでしょう。
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