文京区小石川3丁目の伝通院は、正式には”無量山 傳通院 寿経寺(むりょうざん・でんづういん・じゅきょうじ)または小石川 伝通院”ともいいます。徳川家康の生母、於大の方や千姫の墓所でもあり、徳川将軍家の菩提寺ともなっている名刹です。
墓所の傍らに以前に触れた”岡本三右衛門と呼ばれたイタリア人”こと宣教師・ジョセッペ・キアラの供養碑がありました。繰り返しですが、キアラ神父はイタリア、シチリア島に生まれ、イエズス会宣教師として鎖国令の日本に潜入を企て失敗。江戸に送られ茗荷谷の切支丹屋敷にて厳しい詮議を受け、キリスト教の信仰を棄てています。その後は日本人の妻を娶って日本名、岡本三右衛門を名乗り、幽閉40年の後亡くなっています。その後、遺体はキリスト教にはない火葬とされ、小石川無量院に墓石が造られ、明治年間には区画整理により雑司が谷の移転、その後行方不明となっています。この無量院が伝通院が隣接しており、そういた謂れからここにジョセフ岡本三衛門の名で供養碑が建てられているそうです。供養碑には「ジョセフ岡本三右衛門神父供養碑」とあります。
墓所の傍らに以前に触れた”岡本三右衛門と呼ばれたイタリア人”こと宣教師・ジョセッペ・キアラの供養碑がありました。繰り返しですが、キアラ神父はイタリア、シチリア島に生まれ、イエズス会宣教師として鎖国令の日本に潜入を企て失敗。江戸に送られ茗荷谷の切支丹屋敷にて厳しい詮議を受け、キリスト教の信仰を棄てています。その後は日本人の妻を娶って日本名、岡本三右衛門を名乗り、幽閉40年の後亡くなっています。その後、遺体はキリスト教にはない火葬とされ、小石川無量院に墓石が造られ、明治年間には区画整理により雑司が谷の移転、その後行方不明となっています。この無量院が伝通院が隣接しており、そういた謂れからここにジョセフ岡本三衛門の名で供養碑が建てられているそうです。供養碑には「ジョセフ岡本三右衛門神父供養碑」とあります。