旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2013年04月

東京駅・某ホテル…(Ⅱ)

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東京駅舎の中央部分です。陛下が列車で出かけられる時は、中央の車両アプローチに陛下の車両は停車し皇族室へ入られます。この区画の3階がホテルで最高グレードの客室となっています。天然スレート葺きの屋根部分はステーションホテルの朝食会場です。左右の小タワーに白く見える窓枠の部屋が見えますが…。この場所は朝食会場の”個室”になっています。定員は6名位でしょうか(?)。予約制ではないので利用は”早い者勝ち”となっているようです。

0404260204042603左の写真は、ロイヤル・スィートの扉と室内リビング部分です。10名程度の会議もしくは食事ができるテーブルがあります。こちらがステーション・ホテルでの最高料金のお部屋です。2人で大阪から新幹線グリーン利用、この部屋に泊まって食事1回で、100万で若干のお釣りくらいでしょうか…(?)。

左)客室の丸の内方面側の窓からは、行幸道路とその先に皇居方面が一望できます。
中)窓際からはこんな感じで見えます。
右)隣の部屋がベッド・ルームです。ベッドはダブル仕上げです。
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東京駅・某ホテル…(Ⅰ)

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東京駅丸の内南口のドーム天井は復原工事がなされる以前は、東京大空襲により焼失した3階の天井部分にお椀を逆さにしたような状態で”蓋”が造られていました。元々は3年間持てば良いという事で造られた天井なのですが、結果として復原工事まで50年間使われた事になります。復原工事に際して”蓋の部分”を取り払ったところ、壁面の一部分だけが焼け残っていたそうです。写真はステーションホテル内に展示してある”壁”に関する説明です。上が焼け残っていた部分。下がその部分を生かして復原した壁です。アーチ部分に縁取りがあり区別は容易につきます。

下左)焼け残り部分と他の壁の色が微妙に違うとの説明がされますが…よく判りません(苦笑)
下中)アーチの下方”鳳凰”レリーフです。この角度から見ると確かに”鳳凰”のようですが…。
下右)最上部の置かれた”大鷲”のレリーフは2.1mあります。足元は枝ではなく”稲穂”をつかんでいます。
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根津神社

041801041802普段は閑静な神社なのですが「つつじ」の名所として知られ、4月中旬~5月上旬には約100種3000株の見頃を迎え「文京つつじまつり」が開催されています。神社内は多くの人達で賑わい、祭礼関連では欠かせない植木市や露店が乙女稲荷から本殿裏手に店を連ねて大そうな盛り上がりとなっています。これでつつじが満開なら言う事はないのですが、今年は天候の関係で満開時期が先送りとなっている様子です。つつじ園の入園料¥200は微妙ですが…。「園内の奥の方は見頃です」との掲示はどう見ても??です。それでも通常は何も無い場所に茶店が急造されるなど主催者側の気の入りようが感じられます。根津神社は「根津権現」とも呼ばれ、1900年余の昔に日本武尊が”千駄木の地”に創祀したと伝えられる古社です。社殿は江戸時代宝永3年の創建。江戸5代将軍徳川綱吉の養嗣子に家宣が入り、6代将軍と決まった折に天下普請されものです。権現造り(本殿、幣殿、拝殿が並んだ構造)の傑作とされ、社殿7棟が国の重要文化財に指定されています。『権現造り』は乙女稲荷側から見るとの構造が良くわかります。

谷中銀座の両巨頭

041202041201このところ谷中銀座近辺に出没する機会が増えているのですが、谷中銀座の変貌ぶりには驚かされます。以前は”お惣菜横町”と云う感じの商店街だったのが今や観光地そのものです。実際、商店街の半数以上が10年未満の”新参者”のようですが…。昔からの店が代替り、経営者替りをしていくのは時の流れなのでしょう。以前に地方の商店街でお年寄りに取材したことがありますが…『TVの影響でもなんでも、商店街に人が来てくれるのが嬉しい…』と話していました。この谷中銀座は全く違っているようです。タレントが撮影で来店した店→下町の人気店の図式ができあがっています。
写真左が「肉のサトー」・右が「すずき」です。エ~ッ!メンチ・カツが200円!(普通は80円~120円くらいでしょう)大そうな高級お惣菜になったもんです。
それにしても、日本人はいつからこんな品のない事をするようになったのでしょうか?有名店で並んで購入するのはまだ分かります。店ではその場で食べることを前提としてメンチ・カツを手渡ししてくれます。散策しながら、歩きながら食べるってことなのでしょうが…。全く犬や猫ではあるまいし…犬や猫だって歩きながら”もの”は食べません。要は犬猫以下って事です。ましてや、ある年代以上の日本人は”やってはいけない事”として親や学校でキッチリ教育を受けているはずなのですが…。と思いながら”徒歩飲食者”を見ていると、やはり年配者(高齢者)の姿は見受けられません。

上野・西郷・犬

032302032301上野公園の西郷像に寄り添う犬の名前は薩摩犬の「ツン君」です。この銅像は人物部分は高村光雲が制作し、犬の部分は後藤貞行が制作しています。(皇居前広場の楠木正成像の同じ製作者です)実際の犬は「雌犬」だったのですが、銅像制作の時点では生きておらず「雄犬」をモデルにしています。主人の傍らに寄り添うように耳をピンと立て凛々しい姿がいいですね。この地に西郷像が建てられた経緯は定かではないようですが…。西郷は西南戦争で国家に反逆した人物であり、明治帝は名誉回復を認めるも、現在でも維新の功労者としては靖国神社には祀られていません。西郷象のすぐ後ろには西郷(薩摩)と大村益次郎(長州)が『なぶり殺し』にした彰義隊の墓があります。彰義隊戦死者の遺体を弔う事を許さず”野良犬や烏に喰わせろ…”ここまで酷いことをした戦争は日本の歴史にはないのでは(?)。さらにその奥、動物園入口付近には戊辰戦争での奥羽征伐の総督「小松宮彰仁親王」の騎馬像があります。この親王は西南戦争の旅団長として西郷征伐にあたっています。ということは…背中側からはなぶり殺しにした相手の怨霊が、更にその後方からは西南戦争の旅団長小松宮により脇差一本の姿を監視され続けていることになります。二度と反逆は許さないという事なのでしょうか(?) …この和装は色が付いていませんが、もし「赤」だったら…明治時代の囚人服という事になります。まぁこれは考えすぎでしょう。

大久保利通惨殺

032201032202「明治維新」とは勝ち残った者の「造語」にほかなりません。大政奉還により国策は「開国」と一致しているのに、武力による戦いを仕掛け、幕府や自藩の殿様を廃した下級武士出身者が頂点に残るという図式。昨日まで「攘夷」を唱えた者達が権力を手に入れた途端に「開国」に転向とは…。これを「革命」ではなく「維新」と称するのはかなり無理があります。有能な人材は皆、早い時期に死んでいき、武力革命の功労者も結局は”粛清”され”功労者”は次々と歴史の舞台から降りてしまいます。 千代田区紀尾井町、清水谷公園の一角に「紀尾井坂の変」で知られる内務卿大久保利通の慰霊碑があります。東京丸の内駅舎の原敬遭難現場ってのも同様ですが”殺害現場に記念碑”と云うのも釈然としませんが…。
『ひそかに皇国の時状を熟察するに、およそ政令法度、上 天皇陛下の聖旨に出に非ず 下衆庶人民の公議由るに非ず 独り要路官史数人の臆断専決する所に在り』と大久保への斬姦状に記載しています。趣旨は容易ですが文章表現が難しいようです。独裁者的に国家をほしいままにしている(と思われた)大久保利通の最後はやはり悲惨な事になってしまいました。1878年5月14日、享年49歳。因みに事件の年、伊藤博文38歳、山形有朋41歳です。結局こんな連中が生き残ってこの国を牛耳っていくことになります。

”KITTE”大混雑の巻

0304010303040102春休みということで、かつ新規オープンの強みなのでしょうが…。丸の内”KITTE”は連日の大混雑・大盛況となっています。左の写真。ビルの吹き抜けスペースの空間を上手に使った”桜のパネル展示”には圧倒されますね(裏側がハガキのデザインになっています) 中央郵便局とオフィスビルと商業施設が同居している形式で上手に棲み分けがなされているようです。
地下には各地からの名産店がデパートの物産展会場といった感じで並んでいるのですが…。デパ地下独特のなんでもあり感に乏しく一度行けばもう結構といった店舗展開です。上層階のテナントともなると、相変わらず代わり映えのしない店舗ばかりで…”またかぃ”って感に溢れています。それにしても、ここ数年で東京駅構内をはじめ八重洲地下や丸の内地区でどれだけの飲食店やらなんたらバナナのような土産店、スイーツとかいう意味不明のお店が増えたことでしょう(?) そのうちの何軒かは”でっちあげの名店”のような気がするのは何故なんでしょうか?(苦笑) 「丸の内再開発」はまだまだ続くそうです…。

写真右は館内の”郵便局長室”から撮っています。東京駅舎が近くなり過ぎて、却って全体が見え難くなってしまいます。
下中)既存のビルと繋げたのでしょうか(?)この部分各フロア、梁が低くなっています。なんなんでしょう?
下右)お隣某ホテルのお高い部屋のリビングです。この部屋であの料金設定とは…。笑うしかありません(!)
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山王稲荷神社

ブログネタ
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031702031701日枝神社の境内末社に『山王稲荷神社』が鎮座しています。説明では「昭和63年、千代田区指定有形文化財」となっています。山王稲荷神社は1659年(万治2年)に日枝神社が幕府の命により麹町隼町から現在の赤坂の地(福知山藩松平忠房の屋敷)へ移される以前から松平家邸内の鎮守として祀られていたとあります。稲荷社が先にあり、そこへ日枝神社が引っ越してきたという事になり、現在の稲荷社は日枝神社造営時に新たに『公儀普請』により造営されたとあります。さらに江戸時代の数々の災害を乗り越え昭和20年の東京空襲での社殿焼失の際にも戦災を免れ本社復興までの間は日枝神社の仮本殿として用いられるなど、末社でありながら唯の末社とは言い難いようです。
右の写真で鳥居の奥建物のさらに奥に写真左の社殿があり、厳重に金網で囲まれています。左の社殿は関東地方では稀な”縋形式の春日造の本殿”で、狛狐ならぬ狛犬となっています。

豊川稲荷東京別院・狐

032402032401『神使』の代表格となるとやはりキツネでしょう。写真は元赤坂の豊川稲荷東京別院のキツネ像です。豊川稲荷は大岡越前守忠相が三河より『吒枳尼天/だきにてん』を勧請したのが始まりのようです。何度か触れていますが、こちらは曹洞宗のお寺です。吒枳尼天はインドのヒンドゥー教の神様で一般的には”白狐に乗った姿”として表現されています。神道系の五穀豊穣の神様”宇迦之御魂神”とは神使が共通のキツネであるため一緒に祀られる事となったようです。明治年間の神仏分離の際しては多くの稲荷社は神道系になり一部が仏教系の稲荷社となっています。神道系、仏教系の二つの流れに身近にあり何でもお願いできる民間系の稲荷社が加わり、神社の数としては最多なっています。
本来、キツネは”神使”であり神様ではないのですが(受付の女性秘書に陳情するようなもんですが…)それしても、肉食獣のキツネが”油揚げ”が好物である訳はなく、この繋がりは何処からきているのでしょうか…?

左)豊川稲荷山門です。お寺ですからこちら側には「鳥居」がありません。
中)お寺側の本殿です。上のブロンズ製(?)の大狛キツネはこちらにあります。
右)大岡越前守の位牌を安置する”大岡廟”です。墓所ではありません。
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