旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2013年05月

東京駅・某ホテル…(Ⅵ)

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新丸ビルが正面に見え、「行幸道路」の見える角度がやや異なります。こちらは4階の401号室からの眺めです。4階には2部屋しかなく、この401号室は朝食のレストランから廊下の奥まった辺りにあり、個人的な実感としてはフロント化(ホテル入口)からやたらに遠い場所であること以外は、このホテルでは静かで雰囲気の良い部屋だと思います。…室料はHPを参照にしてください…。

下左)リビング・ルームとベット・ルームの2部屋続きです。ツインルームになっていて、下中)の立ち位置後方にバス・ルームがあります。表側から見て大きめにタワー部分の上方、下右)窓が3ツ並んでいる場所がこの部屋です。
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旧江戸城・中の門跡

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写真は中の門跡です。この石垣は2005年~2007年にかけて解体修理がされています。この修理により基礎構造などが判明した事も多く、最大の石材は35㌧もあったそうです。門跡手前の長い建物が「百人番所」という本丸の最大の検問所です。ここでは根来、伊賀、甲賀、二十五騎組の4組編成が各与力20名、同心100名で昼夜を問わず交代で警備にあたっていました。
中の門を過ぎると右側に「大番所」と呼ばれる格式の高い番所があります。坂道左に登り再度右に曲がると「中雀門」と呼ばれる本丸への最後の門跡があります。現在は石垣の上に建造物はありませんが、江戸当時は櫓や多聞などの建造物が威圧的に建ち並んでいました。

左)解体修理での石垣の現物が展示されています。横幅の割には厚みが薄く造られています。
中)百人番所より三の門方向です。この建物南北に約50mあるそうです。
右)中の門より大番所方向です。大番所は他より格式が高く、位の高い与力、同心が詰めていました。
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旧江戸城・大手三の門跡

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正面が「大手・三の門」もしくは「大手・下乗門」です。江戸当時は大名家の格式により登城の際に駕籠」を降りて検問を受ける場所が決まっていました。因みに、この門を駕籠に乗ったまま通れるのは尾張・紀伊・水戸の御三家だけとされ、他の大名はここで駕籠を降ろされています。門の奥に見えるのが「同心番所」と称する検問所です。同心とは江戸幕府の機構のなかで庶務・警備の仕事に携わる下級役人をいい、身分は形式的に一代限りの御家人です。

左)こちらが「同心番所」です。大手・三の門を警護する与力、同心が詰めていました。
中)建設年は不明ですが、江戸時代の建物です。止め瓦に「菊の御紋」ならぬ「葵の御紋」があります。
右)「切り込み積み」が見事な石垣です。上からの建造物の重みが掛からない為、石垣に歪みが見られます。
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旧江戸城・大手門

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写真は大手門、旧江戸城の正門にあたります。この大手門は戦災で焼失し後に再建されていますが、興味深い事には「東北震災」時には江戸時代以来の門は概ね無事で、この再建大手渡櫓門の壁面だけが卵の殻を剥くようにボロボロと崩れてしまいました。現在は修復も完了し元の美しい姿を見せています。
徳川幕府創設時には幕府は各大名家に江戸城の建設普請を命じていました。この大手門については仙台伊達家があたっています。門の形式は「枡形門」と云われ手前の高麗門(こうらいもん)と奥側の渡櫓門(わたりやぐらもん)とで一対の形式で、各門の扉を閉じれば内側が砦となります。一の門(高麗門)を入って右に曲がって二の門(渡櫓門)となる形式で、日本人の約70%が右利なので、攻める兵は全身を晒さなければ弓や鉄砲が撃てず、守備側は半身を出せば弓、鉄砲が撃てる、世界にも稀な日本の城郭独特の防衛の考え方となっています。

左)石垣マニア(?)以外には関心がないでしょうが、高麗門入口付近には珍しい形式の石積みが見られます。
中)高麗門を真横から、渡櫓門を正面からです。有事にはこの区画が砦となります。
右)大手渡櫓門です。東北震災時に剥がれおちた壁は美しく修復されています。
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ブートCDの裏通り・06

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これはチョットマズイのではないでしょうか(笑)1988年、ピンクフロイドが”本家”と”元祖”に分裂した後の「ギルモア・フロイド」のライブ・ブートです。色々ご意見はあると思いますが、ブルーズ・バンドが大仕掛な楽曲構成で演奏している感のある「ギルモア・フロイド」ですが、「ロジャー・フロイド」よりは一般受けするようです。 このツアーでの正規盤(”光”~パーフェクト・ライブ)では楽曲がかなり編集されていましたが、このブートではコンサート丸々収録となっています。更に音が良いとくればいう事はありません。ピンクフロイドのブートとなると昔は、まともに聞けるのはラジオ放送音源くらいで会場録音は、LP時代から散々ヒドイ目に遭ってきました。「時代は変わったと…」つくづく感じます。ここまでのブツは当然関係者からの流失なのでしょうが…。断固許します(!)   Shine On You Crazy Diamond…!

東京駅・トラベルサービスセンターの怪

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東京駅丸の内北口に摩訶不思議な施設があります。"JR EAST Trvel Service Center"とあり、海外からの訪日旅行客の対応とあります。それはそれでよいのですが、入口に上記のような「意味不明な看板」…良く読んでみると文章表現が意味をなしていません…が堂々と出ています。駅長の指示なのか、JR東日本の指示なのか、国土交通省の指示なのか、この掲示についての根拠も責任の所在(抗議先)も明確でありません。…『外国人用に付き日本人のおじちゃん、おばちゃん観光客は業務の邪魔になるから入るな』…とは、とんだトラベル・サービス・センターがあったものです。
左)看板には「外国人専用」とは一言もありません。「サービスセンター」ならぬ「差別センター」とは…。
中)部屋の奥に昔の煉瓦壁が露出している貴重な壁面があるのですが、日本人は見学できないそうです。
右)日本語的には「見学はご遠慮ください」で「立入禁止」ではありませんと詭弁を弄する気なのでしょうか…?
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富士見櫓と巽櫓

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内濠通りからの巽櫓と富士見櫓、さらに桔梗門の高麗門が見えています。絵になる景色なので"江戸城の絵”として使われることが多いようです。手前が巽櫓(たつみやぐら)で辰巳櫓とも書き(本丸の辰巳の方角にあることにより)書きますが、宮内庁が説明する正式名称は「桜田二重櫓」だそうです。皇居参観者の入口となっている「桔梗門」も正式には「内桜田門」です。江戸城創建者の太田道灌の家紋(桔梗)ついていたことから桔梗門となったようですが…。むしろ平将門を裏切った愛人の「桔梗」の名からの方がピッタリくるような気がします。
更に皇居内に「富士見櫓」が遠望できます。この富士見櫓と巽櫓と皇居正門側の伏見櫓の3ッが江戸時代から現代に残る遺構の櫓となります。富士見櫓は万治2年(1659年)の再建ですが、明暦の大火(1657年)以降江戸城には天守閣は造られなかった為、この櫓が天守閣の代わりとなっていました。従って8代将軍吉宗を主人公とした「暴れん坊将軍」に登場する江戸城の絵は”大嘘”と言う事になります。

和気清麻呂の銅像

050704050703千代田区大手町1丁目・大手濠の公園(?)内に和気清麻呂の銅像があります。この像は昭和15年に紀元2600年記念事業として建立されたもので、楠木正成像が”武”で和気清麻呂像が”文”を象徴した皇室への2忠臣を表現しているそうです。台座の裏には『紀元二千六百記念・建設委員長、陸軍大将・林何某。寄贈者・石川何某』の記載が見られます。"如何にも”の時代背景です。和気清麻呂は、 奈良朝期末に地方豪族出身の身から「右兵衛尉」となり、姉広虫とともに天皇家の信任を得ています。所謂”道鏡事件”で道鏡が皇位をうかがった時、宇佐八幡の信託により孝謙上皇と道鏡の野望を挫いています。この事件では、清麻呂は孝謙上皇に別部穢麻呂と改名され鹿児島に左遷され、後に道鏡失脚により復権・復帰しています。…皇族ならぬもの(道鏡)が天皇になろうとした野望を防いだ功績により皇室への忠臣となり、時代を経てこの地に銅像が建てられたという事です…

ブートCDの裏通り…(4)

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久々に西新宿散策に行ってみました。 なんと『Status Quo』の76年の来日公演(中野サンプラザ)ブートCDR(写真右)が登場しているではないですか。音は1976年録音としては”上の部”ですが、Quoなんて売れないのが判っていての新譜発売でしょうから、メーカーには感謝です。左は、ジャケ写はほぼ同じですが”世界中のQuoファンが必死で探しているとの噂”の日本だけで発売になった同来日公演のダイジェスト・ライブ盤です。こちらも貴重盤なのですが、演奏曲の17曲中8曲しか収録されていません。
『Status Quo』と云っても5年・10年の駆け出しのロック・ファンにはわからんでしょうが…。英国では国民的バンドとして知られています。武骨なほどに”ブギ”一辺倒。このブートにしても17曲がブギで押しまくりです。編成は極々シンプルで、ギター2本(テレキャス)にベース&ドラム。大股ひらきの決めポーズとジーパンに長髪。フレーズもスケールもへったくれもないブギ”一本槍(!)で突っ走ります。ここまで潔いバンドは他にはないでしょう…。内緒の話ですが、このブート大量に仕入れてイギリスで売ったら確実に大儲けできますよ(笑) 

東京駅・某ホテル…(Ⅴ)

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こちらが朝食のレストランです。宿泊者以外の朝食はやっていないそうです。もったいない気もしますが、一般開放したら大々混雑は必至となるでしょう。奥側の壁に創建時の煉瓦と鉄骨が露出しています。上方の白い壁が表側からみると黒のスレート屋根の部分です。写真の立ち位置側の天井はガラス張になっており、陽光が降り注ぎます。表は中央線ホームなのですが電車の音などは全く気になりません(!)。

051001051003最高額客室(3F)の上階、4Fが朝食会場です。中央の丸窓が上の露出煉瓦壁の辺りになります。ホテル創建時にはこのレストラン区画は倉庫的に使用されていたようです。左右の小ぶりなタワー頂上に白壁の窓がみえますが、ここは朝食会場の”個室”となります(写真右)。さほど広い個室ではなく、3~4人が食事が限度と思われます…。個室に関しては予約対応はしておらず”空いていればラッキー”とことです。行幸道路方面の眺めは良いのですが、いかんせん圧迫感を感じます。

東京駅・某ホテル…(Ⅳ)

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旧東京駅ステーションホテルとなると欠かせないのが松本清張による名推理小説『点と線』です。清張はシャーロック・ホームズや神津恭介(高木彬光)に登場する圧倒的名探偵が事件を解決する推理小説から、新聞記者や被害者の身内など捜査権に乏しい一般人が犯人を追い詰めるという手法を確立しました。現在は部屋番号が変わっていますが、写真の額(右が連載時の頁、左が当時の時刻表)がよくて宿泊していた(執筆したとされる)部屋の廊下に展示されています。実際は『点と線』での東京駅ホームの”4分間の空白”部分は、とてつもない無理があり「馬鹿を言うでない」と突っ込みを入れたいのですが…。『点と線』は『旅』という旅行月刊誌に掲載され、この出版社は某旅行会社系の出版社です。そうなると、編集者のいわゆる”時刻表鉄”の誰かの入知恵をによるの説の方が信憑性があるようです。

051007051005上の清張メモリアルの他、ホテルの長~ぃ廊下には建設時からの往時を偲ばせる数々の写真や絵が展示されています。東京駅開業当時のホームの写真などもあり、写っている柱は、現品川方面の山手&京浜東北線の有楽町寄りホームに残っています。緑の塗料で塗られた4本の柱は説明版こそありませんが”そのもの”です。ホテルの廊下はご覧のような”鰻の寝床”です。駅舎自体が幅335mあるので無理はないのですが、ともかく長く「自転車かスケボーを持って来い!」と云った感じです。写真にはありませんが、廊下の灯りが一か所だけオレンジ色でEVホールの目印となっています。ここから宿泊客は出入りしますが、宿泊者以外は廊下部分を含むホテル内には立入ることはできません。

東京駅・某ホテル…(Ⅲ)

0404300104043002左の写真は中央郵便局・局長室から丸の内南口駅舎を撮っています。駅舎の冠型タワーの手前に八角形のタワ(例えるなら”エンピツ”型)ーが建っています。右の写真はその部分の拡大です。…(四角い窓の下に煉瓦の色が明らかに異なっています。これは3階より上は”新築”されているので色合い異なっています)…上方の丸窓と下方の四角窓が、メゾネットと称する2階建の部屋です(宿泊代金はホテルHPを参照にしてください)。旧建物に準拠して造られているので内階段が1.5階分あるような感じがします。高齢者の宿泊にはお勧めできないような感があります。

左)メゾネットの下の階(3階)内部です。ソファとTV。標準的なリビング的造りです。
中)バスルームはこんな感じです。
右)メゾネット上階のベッドルームです。この部屋がホテル唯一のJR線路が見える部屋だそうです。
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