旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2013年11月

例の銀杏並木

131125_01
今の季節、東京で一番人気の『銀杏並木』といっても過言ではないでしょう(笑)。青山通りから聖徳記念絵画館に向かって続く約300mの黄金色に染まった並木道です。146本の銀杏は9m間隔で植えられ、絵画館方向が約1m高く樹が整えられ遠近法による効果が考えられています。この銀杏並木は大正12年に完成、造園は日本の近代造園の師と言われた折下吉延博士によるものです。
「神宮外苑いちょう祭り」…テント設営してのB級グルメ大会がメインか?…が行われ、平日にも関わらずの大混雑です。高そうな犬を見せびらかす人々や婚礼直後のVTR撮影など殆どお祭り状態という訳のわからんことになっていました。携帯電話カメラで撮影する人が多いのですが、あのカメラでこの色が出るのでしょうかねぇ?
・・・・・・・・・・・・
131125_02131125_03131125_04

国立競技場・出陣学徒壮行の地

131124_01
国立競技場のマラゾン・ゲートのすぐ脇にひっそりと『出陣学徒壮行の地』という碑が建っています。TVやニュース・フイルムで見たことがあるでしょう。強い雨の降る昭和18年10月21日、当時の「明治神宮外苑競技場」で出陣学徒壮行会」が文部省主催、陸海軍省等の後援で実施されました。この日の模様は当時の日本放送協会(NHK)で実況中継され、映画「学徒出陣」が製作されるなど軍部の宣伝にも使われています。なんと云うことなのか、日本政府は学徒兵として出征した総人数を発表しておらず推定約13万人という説がある程度で、死者数に関しては残念な事に全く不明なんだそうです。あの日、雨の中を行進された方も、行進を見ていた方も80歳を過ぎていると思います。現競技場が取り壊されても、この碑は残して記憶を留めてあげたいものです。
・・・・・・・・・・・・・・
国立競技場HPには”行事のない限り、秩父宮記念スポーツ博物館を有料見学すれば、グランド一部を覗けます”とありますが、週末はマラソン大会や運動会の開催で殆ど見学不可です。担当者は「何かあったら困る!」の一点張りなのですが、一体何が起きるというのでしょうか?
131124_02131124_03131124_04

ブートCDの裏通り・12

131123_02
なんと云えばよいのでしょうか…(笑)。21日に東京公演が終了したばかりのポール御大の日本公演が、もう(23日)にブートCDとして登場しました。センターが2013.11.11の大阪・京セラ・ドームでの初日公演です。まだ途中までしか聴いていませんが、隠密録音の低レベルの録音と思いきや、なかなかの高音質で質の落ちるCDRでもありません(!)。これならコンサートへ行った人も行かなかった人も充分に満足できるブツでしょう。両隣は07/09のBoston・USAと08/09のSFO・USAです。こちらも満足できる音質です。これから年末にかけてはポール御大の日本公演の乱売合戦になるのでしょうか?それにしても、御大のバンドは上手すぎます。どのコンサートを聴いてもほぼ完璧な演奏をしているので某バンドのように演奏が破綻する面白みには欠けます。こんなコンサートができるのはポールとVenturesくらいでしょうか…(笑)
あくまで憶測ですが、今回のコンサート・チケットは完売しなかったのでしょうねぇ(苦笑)。某旅行会社のコンサート鑑賞ツアーなんてのもありましたし(大体が大コケします)、他にも新聞広告で”ステージは見えないが安い”という席の追加販売が告知されました。こういうのは当日会場で「S席にキャンセルが出たので変更できますが…?」という事になるが常です。値崩れ販売はマズイので最近はこの手口が常套手段のようです。それよりもTVでのニュース放送露出が多かったのが何よりの証明のような気がします。
・・・・・・・・・・・・
今回のポール御大の日本公演記念してか(?)、過去の日本公演も再発やら新発掘で発売されています。地方在住の友人の代理購入をしていたらこんなことになっていました。
131123_01

行幸通り・銀杏並木

131121_01
『東京都道404号皇居前東京停車場線』が正式名称の、天皇が行幸するために通られる東京駅中央口までの特例都道です。行幸のほか新任大使の信任状奉呈式の馬車列もここを通り、先日もその模様がニュースになっていました。今の季節は銀杏の色づきが見事です。銀杏の紀元は古く、シダ類と共に地球の氷河期を乗り越えてきた植物だそうです。雌雄があり、見分けるには葉っぱの形(ズボン=男の木、スカート=女の木)で区別できるなんて話がありますがこれは俗説なんだそうです。写真の中央に並ぶ銀杏の木は『古代銀杏』という種類で、神宮外苑や国会議事堂付近の銀杏とは異なりこの行幸通りと新宿御苑が有名です。そういわれてみると木の高さはないのですが、横に広がった立派な枝ぶりです。行幸通りの東京駅寄りの銀杏並木は、まだ青々としています。日当たり云々の問題ではなく樹齢の問題(若い)とのことなのですが…?。
・・・・・・・・・・・・
131121_02131121_03131121_04

新川・於岩稲荷田宮神社

131113_01
鶴屋南北作の歌舞伎狂言『東海道四谷怪談』は怪談話として有名ですが、有名すぎていわゆる”縁の地”が都内数か所にあります。実際は元禄時代の方で、於岩さんと婿養子の田宮伊右衛門は仲のよい夫婦であったと云われていたようです。歌舞伎狂言として庶民の人気を集めたのは享保年間なので、この間約200年間の隔たりがあります。直接の因果関係は何もないという事です。現在も四谷には「於岩稲荷田宮神社」と「陽運寺」の於岩さんが縁の場所がお向かい合わせで2ケ所ありますが、実際の於岩さんの墓所は豊島区の「妙行寺」にあるなど話が複雑になっています。この中央区新川の「於岩稲荷田宮神社」は『東海道四谷怪談』を上演するたびにお参りに出向いていた歌舞伎役者の要請で、明治12年に四ッ谷左門町で火事でお岩稲荷の社が焼失したのを機に移転させたようです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
左は新川・於岩稲荷田宮神社の社額です。
中、右は中央区八丁堀の㈱大●共立銀行のポスター(拝借しました)です。銀行のポスターとしては、いい感じです(笑)。
131113_02131113_03131113_04

有楽稲荷神社

130927_01
毎日のように通りかかっても、気に止めない神社ってありますね。この有楽町電気ビルの一画に鎮座している『有楽稲荷神社』もその一つでしょう。JR京浜東北線の北行ホームからも見えますが、”なんでここに感…”に満ちています。こちらは高槻藩永井家の上屋敷内にあった稲荷社が現代まで残ったものだそうで、関東大地震の際には近隣が延焼したにも関わらず災害を免れたそうです。有楽町電気ビル新築に際しては一時的に”赤坂山王日枝神社”に遷座され、電気ビルに完成と伴に昭和54年この地に戻られています。
・・・・・・・・・・・・・・
【閑話休題】…この有楽稲荷のお隣の有楽町ビルB1にあるご長寿ラーメン店「中本」が、13年11月21日を持って閉店することとなりました。昭和27年の開店だそうで、スタッフもさもありなんという年齢になっているようです。昔は、有楽町ビルのスバル座(映画館)はロック系の映画がよく封切られたので、田舎の高校生は映画を観て、女の子となら日比谷ツインタワー地下のピザ店で、男同士なら「中本」でラーメンを食べて帰ったものです。うどんの様な太い麺、醤油系のスープで量だけはやたら多い(!)。今時の小うるさいラーメン評論家のはおそらく評判は悪いでしょう。ラーメンが御馳走だった時代から60年も有楽町で続いてきたのですから、大したお店だったのです。お疲れさまでした!
130927_02130927_03130927_04

北海道限定(?)ジュース

131105_04
新千歳空港~札幌~稚内/宗谷岬~網走/能取岬~知床~中標津/開陽台~根室/納沙布岬~釧路~屈斜路湖~阿寒湖~足寄~襟裳岬~札幌と走破してきた【岬めぐりツアー】も走行距離約2450kmを激走で終了の運びとなりました。さすがに体力的にキツかったようです(来年は無理かも…?)。今回のツアーで一番嵌まったのが写真の”セイコーマート”の「青森県産りんご果汁100%のりんごジュース・¥138/500ml」です。りんご&オレンジ・ジュースを交互にほぼ毎日飲んでいました(笑)。”セイコーマート”とは北海道で約900店舗を展開するコンビニ・チェーンで”セブンなんたら”より道内ではポピュラーなようです。残念なのは全国展開ではなく、東京近郊では茨城と埼玉県の川口、越ヶ谷近辺にごく数店舗が限定(?)であるようです。(オレンジ・ジュースは”うんしゅうみかん100%”とあります)
・・・・・・・・・・・・・
札幌・旭山記念公園から見る札幌駅方面です。一昨年だったかこの近辺にも羆が出没していました。札幌市内が一望できるこの公園も紅葉の季節はごく短くすぐに雪の季節がやってきます。…コンデジの手持ちで夜景撮影はちょっとシンドイようです…。
131105_01131105_02131105_03

えりも町・襟裳岬

131104_01
吉田拓郎/森進一のヒット曲「襟裳岬」は1974年の事なので39年の前の話になります。同名異曲で島倉千代子の「襟裳岬」もあり、岬には両曲の歌碑が並んで建てられています。えりも岬は北緯41度55分28秒、東経143度14分57秒、日高山脈の最南端で太平洋に向かって伸びる岩礁群が壮観です。「ゼニガタアザラシ」の生息地として知られています。東京近郊にアザラシが現れると大騒ぎになりますが、えりもではアザラシは漁師の敵として嫌われています。実は「ラッコ」も生息しているのですが、こちらはごく少数派のようです。年間を通してほぼ毎日強い風が吹き、民家は丘の影に隠れるように建っています。高い樹木も育たず(多くは伐採)、背の低い草原に覆われた荒涼とした雰囲気となっています。これを称して”なにもない春です~ぅ”となるのでしょうか、どうしてどうしてこれだけ自然が豊かな場所はなかなかありませんよ。
・・・・・・・・・・・・・・・・
AM09:30の撮影です。日高山脈が海に沈んでいくこの岩礁は沖合い7kmあたりまで連なっています。
展望台の周囲は高さ60mに及ぶ断崖です。南に突き出ているので日の出&夕日の名所でもあるようです。
岬から見る百人浜・黄金道路・豊似岳方面です。
131104_02131104_03131104_04

ブートCDの裏通り・10

131027_013
これらはRolling Stonesの2013年7月6日&13日に行われた44年ぶりのロンドンはハイドパークでのコンサート関連のもろもろです。流石に何が何でも全商品購入という訳にはいかなくなりましたが、肝心なヤツは押さえておきたいもんです。右側は西新宿某店舗で特典でいただいたCDRです。両日のコンサートが2CDRx2となっています。トップを切って登場した音源なので後発に比べるのは可哀そうですが、ここには”キースのやってくれたなぁ(大爆笑)”が入っています。両日とも1曲目の頭、それも2拍目でカマしてくれるのですが…。後発では見事に修正しています。こうなるとブートとして”貴重”になるかも知れません(笑)。もう一つがStones側がWeb配信した音源から作成したブートです。Web配信は音質の調整が割と面倒なので、CDとして持っていたい人には便利です。…出所が出所なのでブートとしても安価になっています…これを”悪い”と云ったら、そもそもブートなんて存在しません。「お金に余裕がある人は買えばよい」…それだけの事です。さてオフィシャル音源のDVDは(1Dvd+2cd+1cd)のセットでアマゾンで購入しました。LPやBRのセットもありで、全部購入したらエライ事になります(苦笑)。気になったのは…「Eagle Records」での発売なのですが、このEagle RecordsはややもするとブートまがいのCDを発売するメーカーなのですが…。単発契約でしょうがStonesが何故にこんな会社からなんでしょうか?
Stonesがライブ作品としてオフィシャルげ発表する時は完璧に手を加えられてるので、映像、音ともに段違いに良くなっています。なかなか同調しくれる人がいないのですが、90年代以降のStonesは完全にチャリー・ワッツのバンドですね。このドラム以外では成り立たないでしょう。さらに毎度のことですが、ダリル・ジョーンズのベースは上手すぎです。カメラの切り替えで一瞬映るオネェさんが皆美人と云うは狙いでしょうか?

襟裳岬・百人浜

131103_01
襟裳岬の集落から庶野へ向かって約12㎞の砂丘が続き、【百人浜】と呼ばれる北海道らしい景色が続きます。この景色もどこぞの自動車会社のCMに登場したことがあります。道路脇には、江戸時代に盛岡藩のご用船がこの沖合で難破、100名を超す犠牲者の遭難供養の碑が建てられているのですが…、この事件、全国的には有名ではありません。集落から離れたこの付近では朝夕はエゾ鹿やキタキツネはごく普通に時として羆も出没することもあるようです。(車を停車させた時には電柱の下にキタキツネが居たのですが…)
過度の樹木の伐採で砂漠化してしまったこの浜も、以前の緑が戻りつつあると聞かされましたが…。真直ぐな道路、前方は緩やかに海へ向かう日高の山系。何年経っても何十年経っても記憶にある百人浜の風景は”これ”しかありません…(!)。
・・・・・・・・・・・・・・・
毎度ですが…”北海道の雄大な風景”は比較対象物が乏しいのでどうしても単調になってしまいます。
131103_02131103_03131103_04

広尾駅&黄金道路

131102_01
広尾町からえりも町庶野間の海岸線を走る約34㎞の国道は一般に【黄金道路】と呼ばれています。金鉱がある訳でも砂金が採れる訳でもなく、とんでもない年数と莫大な費用を道路建設に要したのでこの様な俗称になっています。竣工は1934年(79.年前)で一部区間は未だに工事中となっています。記憶にある限り30年以上前から「黄金道路」と呼んでいたように思いますが、この道路を発案した方々は2013年になっても道路工事が完成しないなどと想像したでしょうか(?)。以前は日高山脈がそのまま海に入っていく地形を海沿いにへばりつくような道路が連続していました。2012年に約5kmのトンネルが完成して波を被るような所はなくなったようですが、相変わらず落石も多く、雨量が一定量を超えると通行止めになってしまいます。到着日も台風の影響で30分遅ければアウトといった状況でした。
・・・・・・・・・・・・
左)上の撮影場所から【襟裳岬】方面を見ています。襟裳岬はこの先30分/車ほどかかります。
中&右)1987年に廃止となった旧国鉄時代の広尾線・広尾駅です。現在はバス駅と記念館になっていました。年代が不明ですが時刻残っていました。帯広方面からの電車が1日に6本です。昔、大流行した”愛の国から幸福へ”の「幸福駅・愛国駅」はこの沿線にありました。
この時刻表を見ていて気が付いた事があります。初めて襟裳岬を訪れた当時大学生の我々は18:45分に広尾駅に到着、超満員のバスに乗り換えて襟裳岬へ向かったようです。懐かしい記憶です。
131102_02131102_03131102_04

幕別・ナウマン象発掘地

131101_01
北海道も台風に影響を受け、釧路湿原~屈斜路湖~阿寒湖は雨の中をひた走り、236号/広尾国道を帯広から広尾へ向かってきました。帯広空港と広尾の中間あたりに2006年に幕別町と合併した忠類(ちゅうるい)という村があります。この忠類で日本で初めて全身骨格の復元に成功したナウマン象の化石が発見されたのは、1969年(昭和44年)のことです。農道の工事で側溝を掘っていたら出てきたという嘘のような話で…。その後の発掘調査では全骨格の70〜80%にあたる計47個の化石が掘り出され、村を挙げての大発掘となったそうです。 現在も236号線沿いの【忠類ナウマン象記念館】に学術資料が展示されていますが、実際の大騒動の現場は数キロ離れた(写真のような)ごく普通の農道です。これはこれで納得です。
・・・・・・・・・・・・・・・
ナウマン象は、約2〜3万年前の新生代更新世後期まで日本列島や東アジア大陸に生息、現代のアジア象と比べるとやや小型で体高は2.5m〜3m位。寒冷な氷河期の気候に順応するため、全身は体毛で覆われていたと考えられています。
131101_02131101_03131101_04

ブートCDの裏通り・09

131027_011
ローリング・ストーンズ1990年の来日公演のブートが数社次々とリリースされたのに続き、1995.年の2回目の来日公演”ブードゥー・ラウンジ”ツアーのブートCDやDVDも発売されてきました。1995年は3月6・8・9・12・14・16・17日が東京、追加公演で福岡3.22・24のコンサートで、大阪、名古屋や札幌より先に福岡と来るとは…。1990年の初来日公演がなんだったのかと思うほど、2回目の来日は騒動はなく、当時の仕事がらチケトはとり放題で、東京公演はほぼ皆勤賞でした。良くもまぁ気力・体力が続いたものだと感心してしまいます。ストーンス・ファンの方は良くお判りですが、日本では東京ドームを7日間連続で満杯にできるほどストーンズは人気がある訳ありません。初来日時の”にわかファン”もすっかり影をひそめ福岡公演などは空席をブルーシートで隠していたようです。この傾向は次の「バビロン・ツアー」ではさらに顕著(特に平日)となっていきました(それが普通でしょう…)。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
写真上は今回の3/9・17の東京、3/22・23の福岡と旧の3/23福岡、3/12の東京公演のTV放送とレザーディスク版からDVD化されたブツです。写真下)はDACでもVGPでもなくWIZARDOレーベル(右下VGP)で、東京公演の3/9・12・16・17です。色々な意味で想い入れや苦い記憶もある来日公演でしたが、それからもう18年も経ったのかと思うと…(苦笑)。

131027_012

根室・納沙布岬

131031_01
国道44号線を走って根室の街へ…。納沙布岬は根室の町からさらに30分、北緯43度23分07秒、東経145度49分01秒に位置にあります。日本国の本土最東端の岬で”北方領土を間近に望むことができ”、”日本で最初に朝が来る岬”でもあります。不思議なもので、この岬に立つと「はるばる来たぞ」という感じより「とうとう来てしまった!」との感覚にとらわれます。札幌から稚内~納沙布岬とよく走って来たものです(笑)。
写真の貝殻島灯台は、歯舞群島いわゆる北方領で納沙布岬から3.7㎞ロに位置する島に昭和12年に日本国により建設された灯台です。ここが実質的な「国境」です。後方の島影は「水晶島」。コンデジ300㎜でこれだけ写ってしまう距離に、遥かなる異国”ロシア”があります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
写真上の左の黒い柱は左の納沙布岬の標柱です。夕景ですが納沙布岬灯台も写っています。
中)北方領土返還記念シンボル像の「四島のかけ橋」です。像の下には「祈りの火」が燃えていました。
右)北方領土引揚者の団体により建てられた「望郷の家」のホールです。
131031_02131031_03131031_04

別海町・尾岱沼

131030_01
中標津町の隣、【別海町・尾岱沼/べっかいちょう・おだいとう】です。道東での隣町と云っても車で30分、1時間はざらです。付近(!)には、全長26kmの海老の尻尾の様な日本最大の砂嘴(さし)の湿原地の野付半島があり、荒涼とした北海道でも特異な景観地があります。平成16年に「北海道遺産」認定、平成17年には「ラムサール条約登録湿地」に登録されているそうですが…。
尾岱沼・トドワラを初めて訪れたのはかれこれ40年前。素朴な港町でした。その後仕事で何回も訪れ、最後の訪問からは30年ほど過ぎています。港町を歩いても当時を思い起こさせる景色はほとんどありません。30年の年月は北海道最果ての港町にも同じに過ぎていっています。
上)尾岱沼~トドワラの観光船です。昔は恐ろしいどのボロ船(飛雁号)で、湾内を漂流したこともありました。
・・・・・・・・・・・・
左)当時はこの場所に野付観光船の事務所がありました。現在は名産の「北海シマエビ」等が売られています。
中)現在の観光案内所も兼ねた観光船の事務所です。当時とは会社の経営自体が違うそうです。
左)記憶が曖昧なのですが、「戸田旅館(?)」があった場所と思います。”北海シマエビ定食”を食べさせてもらいました。
131030_02131030_04131030_03

中標津・開陽台

131029_01
網走~能取岬~原生花園~ウトロ~知床峠と車を走らせて【中標津町・開陽台】へやって来ました。中標津(なかしべつちょう)、空港もあり東北海道では大きな街なのですが一般的には??でしょう。街の中心から約15㎞に開陽台(かいようだい)と呼ばれる標高270mほどの丘があります。この丘から見える景色がまさに壮絶(!)視界330°とも云われるパノラマは根釧原野や知床連山、国後島もすぐ近くに見えます。
20数年の歳月というのはこんなもんなんですねぇ。丘に続く道は登り下りの一方通行へ、駐車場も整備され、展望台も立派な施設に姿を変えていました。観光ルートから少し外れるので、昔は「ライダーの聖地」などと呼ばれバイクツーリングの連中がやたら目についていたのですが…。10月も20日を過ぎたら駐車場はこんなもんでした。できれば晴れるまで、夕日の時間まで滞在していたかったのですが…。
・・・・・・・・・・・・・・・
左)”地球が丸く見える展望台”とあります。実際そう見えない事もない絶景が眼下に広がります。
中)山々は知床半島へと続く山系です。天気さえよければ(涙)国後島がすぐ近くに見えます。
右)今回の写真は「カシオZR200」で撮っています。コンデジでこれなら充分です。ゴマツブは放牧の牛の群です。
131029_02131029_03131029_04

網走・能取岬

131028_01
JR網走駅から(車で)20分ほどで【能取岬/のとろみさき)に到着です。網走まで宗谷岬からは350㎞ほどでしょうか…。オホーツクの海岸を淡々と走ってきました。能取岬から見るオホーツクの海と知床連山は、オホーツクならではの雄大さがあります。昨今は映画の撮影地としても良く使用されるようで、案内(記念)標柱が作られていました。20数年前から自動車関連のCM撮影地にたびたび登場しているので、云われてみれば”納得”と思います。最近ではプリウスのCM、阿部寛扮する郵便屋さんのやつは間違いなく能取岬でしょう。昔は灯台に向かう道は舗装もなく駐車場もなく”最果て感”に満ちていましたが、今は年間を通しての景観の名所とされ、特には流氷見物の指定席なんだそうです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
左)能取湖方面・4本の柱は「南極料理人」などの撮影記念碑ですが…邪魔(!)そのものです。
中)網走、知床方面です。雲が低く良くわかりません。
右)JR網走駅です。駅名の標柱が縦書きになっているのが特徴です。
131028_03131028_02131028_04

稚内・宗谷岬

131025_01
北緯45度31分22秒、ここが日本最北端の地【宗谷岬】です。細かいことを云うようですが、地形が尖がっていないので丘の上から眺めると緩やかなカーブ状になっており”岬”とは少し違うような感じがあります。更に沖合に「弁天島岩礁」があり、厳密には”最北端でもありませんが、この近辺にある土産店、GS、郵便局、学校、交番等の施設はすべて”最北端”ということになります。やたらと記念碑が多く、この高さ4.53mの「日本最北端の地の碑」や間宮海峡を発見した「間宮林蔵」の像や「宗谷岬」の歌の碑、丘の上には1983年の大韓艦航空撃墜事件の慰霊塔などなど…。”なんでもあり”の感すら漂ってきます(笑い)。
・・・・・・・・・・・・・・
左)間宮林蔵の像です。本人が実際に樺太へ渡った「間宮林蔵渡樺の地」はこことは異なります。
中)岬後方の丘からの眺めです。通称「宗谷岬丘陵」は”北海道遺産”なんだそうです(苦笑)。
右)大韓航空機撃墜事件の慰霊塔です。先端がカギ上で、事件現場の海馬島方向をさしています。
131025_02131025_03131025_04

稚内・ノシャップ岬

131024_01
日本海と宗谷湾を隔てる【ノシャップ岬/野寒布岬】です。根室の北海道最東端は【納沙布岬/のさっぷ岬】…アイヌ語の音に日本語を当て込んでの無理くりの漢字表記で読み方は似ているのですが…。この両岬を間違える人はいないでしょう(笑)。これだけ晴れているのも関わらず、雲が低くお目当ての「利尻島」は残念ながら見えません(!)。このモニュメントがある場所は恵山泊漁港公園でイルカのモニュメントが設置してあります。これはイルカが宗谷海峡を通過したという昔話に基づいているそうですが…。ノシャップ岬はアイヌ語でノッ・シャムと云い「岬が顎のように突き出たところ」・「波の砕ける場所」の2つの意味があるそうです。観光案内では”夕日の美しい景勝地として知られ、秀峰利尻富士や花の浮島礼文島を一望”とあります。
・・・・・・・・・・・・・・・
1931年から工期5年間で建設された北防波堤ドームは、高さ約14m、長さ427m、柱の数は約700となっています。131024_02131024_03131024_04

稚内・JR稚内駅

131023_05
この写真は、現在の稚内駅です。2011年4月に再開発ビル(キタカラ)を含めての新装となっています。鉄道・バス・道路の交通施設、道の駅がこの駅舎に集約されています。写真は平日の17:00頃です。繁華街が「南稚内」のこともあり、駅付近でも人影も車もまばらです。他の地方から訪れた訪問者の勝手な言い分ではありますが、ここまでの駅を造る必要があったのでしょうか?
元々の稚内駅は1922年開業の現在の「南稚内駅」。開業の翌年に樺太まで就航する連絡船が開業、駅から乗船場までの距離が離れていたので、旅客の利便のために1928年に線路を延長しています。稚内港駅・稚内桟橋駅と微妙に異なる駅の位置関係の変遷を経て現在の形に落ち着きました。稚内の名所・北防波堤ドームはすぐ近くです。
・・・・・・・・・・
左)駅構内の「日本最北端の線路」の標柱です。云われてみれば、しごく当たり前です。
131023_06131023_08131023_07
月別アーカイブ
  • ライブドアブログ