旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2013年12月

七福神・毘沙門天・神楽坂

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「新宿山の手七福神」の毘沙門天を祀る神楽坂の善国寺です。すっかりと正月を迎える準備が済んでいるようです。前項に続きですが、七福神が担当する七福とは…『寿老人』=寿命、『大黒天』=有福、『福禄寿』=人望、『恵比須さん』=清廉、『弁財天』=愛敬、『毘沙門天』=威光、『布袋尊』=大量と細分化されています。つまりは”ここさえ拝んんでおけばすべてOK”と云う事ではないようです。もともと神道には「あちこちの神様にお願いごとをすると、どの神様も助けてくれなくなる」という考え方があるので、このあたりが七福神=格の低い神様と称される所以なのかも知れません。
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神楽坂のイメージとなると、こんな感じなのでしょうね…。
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東京の七福神・谷中

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お正月の七福神巡り…耳障りのよい響きですが…思いの外捕えどころのない縁起物イベントなのです。七福神は「神様の多国籍軍」と言い換えられるほど多岐に渡る構成となっており、1)日本神話に登場の『恵比寿様』、2)インド出身の『大黒天』・『弁財天』・『毘沙門天』、3)中国出身の『福禄寿』・『寿老人』が神様で、唯一、4)『布袋尊』は中国の実在の禅僧です。もう怪しげな雰囲気が漂ってきますね。お祀りされている場所も神社であったりお寺であったり(向島百花園なんてのもあります…)で、都度”二礼二拍手一礼”と”合掌”を見極めねばなりません。『向島七福神』のように地元の旦那衆が座興で”でっち上げ”た七福神もあります。『谷中七福神』は東京最古だけあって至極まともなようです。。JR山手線・田端駅付近の「東覚寺/写真上」から歩きだし、不忍池の「弁天堂/下右」まで谷中商店街や谷中の寺町が散策しながら約5kmくらいです。「ご朱印収集」をしながら巡ると4時間弱といった感じでしょうか?。
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左)天王寺…毘沙門天。中)護国院…大黒天。右)寛永寺・不忍池弁天堂…弁財天。
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調神社のうさぎ…(2)

131223_04131223_03神社伝承によると「調神社」の創建は開化天皇3年とあるそうです。神社名称の『調』は律令制時代の税体系、『租・庸・調』の『調』によります。伊勢神宮に納める米等の貢物(『調』)を武蔵・上総・下総・安房・上野・下野の関東一円から集積し納めた倉庫があったことによります。これら集積された『調』は神社敷地内から容易に運びさせるよう「鳥居」や「門」が神社から取り払われたと伝えられています。旧社格は「県社」となっていますが、平安時代の『延喜式』には「武蔵国・足立郡・調神社」と記載があり、神社に歴史としてはかなり古いようです。左の2本の石柱には「調神社参拝口」の幕fがありますが、前記のようにこれは鳥居ではなく通常は注連縄がわたされています。この入口が旧の中仙道に面しており、昔は浦和宿の入口あたりに位置しています。

131223_01131223_02妙に新しくなってしまいましたが、こちらが例の「うさぎ」です。確かにうさぎが神使とは全国的にも珍しいと思います。名称からして”調神社(つきじんじゃ)”が正式名称らしいのですが、浦和市在住の人は『調宮/つきのみや』と呼んでおり、そちらの社名の方がしっくりきます。数年前の「兎年」にうさぎの縁のある神社としてテレビで紹介されたのが全国区になったきっかけのような気がします。もともとは「調」が「月」と同じ読みをすることから、「月待信仰」と結びつき、月神の使いとされる兎の彫刻が狛犬の代わりに境内入口両側に置かれたようです。…地元の人間でも納得できない伝承ですが、民間伝承などそんなモンです…。追記)この狛兎は152年振りの新装だそうです。

131223_06131223_05左が本殿です。ご祭神は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)・豊宇気毘賣神(とようけひめのかみ)・素盞嗚尊(すさのおのみこと)とお馴染みの神様です。浦和から数キロしか離れていない大宮には武蔵野国一之宮であり埼玉県近郊の約200社の総本社である『氷川神社』が鎮座しています。主祭神は須佐之男命 (すさのおのみこと)・稲田姫命 (いなだひめのみこと)・大己貴命 (おおなむちのみこと)で”すさのう神”がかぶっています。氷川神社の方が創建が古く、出雲より来られた人々によります。出雲系の人々の地に伊勢系の神社とは…。伝承は複雑怪奇の体をなしてきました。

131223_09131223_10こちらは境内摂社です。左は「稲荷」なのですが”なになに稲荷”と名称がありません。じつはこの稲荷社の社が旧調神社の本殿を流用しており見事な兎の彫刻がなされていました。ごらんの様に現在は工事中となっています。完成予定も改築なのか復修工事なのか定かには分りません。右は八幡さまと金毘羅さんが並んでいます。八幡さま良いとしても、金毘羅さんの祭神は「大物主命」で出雲系の神様です。つまりは伊勢系祭神の摂社に出雲系があるという事になります。考えすぎなのは現代の我々だけで、昔の人達はもっと大らかだったのでしょうねっ。

旧中山道から摂社への参道です。こちらには「鳥居」があります。
中&右は以前のうさぎの姿です。積年風化と修繕でうさぎの原型がかなり失われています。
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調神社のうさぎ

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さいたま市(旧浦和市)の調(つきのみや)神社では、新年を迎える行事として十二日まち (じゅうにんちまち)と呼ばれる大歳の市祭が12月12日に行われます。今年は久しぶりに出かけたのですが、あまりの混雑に早々に脱出してしまいました(苦笑)。気になった事柄があり、今日改めて確認に行ってきました。
上の写真は神社の入口です。元々境内がさほど広くないので参拝は一方通行になっています。左右には全国的にも珍しいと有名(?)な「狛うさぎ」が置かれています。さてさて、神使のうさぎは複製され妙に”綺麗な姿”になっていました。
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左)神社入口。石柱に横断幕で鳥居ではありません。鳥居が無いのもこの神社の珍しい特徴です。
中)本殿はこんな感じです。日中に参拝すると見方によっては「うらぶれ感」を感じてしまいます。
右)こちらが旧のうさぎです。平成25年4月に複製される以前は神社入口に置かれていました。
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池之端・鴎外荘と森林太郎

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かれこれ30年位前になりますか、都内23区で和室&大浴場のある旅館を探すとなる候補にあがってくるのは銀座の「熱海荘」、浅草の「漁眠荘」とこの池之端「鴎外荘」でした。時代とともに都内の和風旅館は姿を消し、修学旅行ですらシティ・ホテル利用となっているようです。この「水月ホテル鴎外荘」は台東区池之端、上野動物園に隣接しています。敷地内には文豪「森鴎外」の旧宅を保存されており、小説「舞姫」はここで執筆されています。施設ないには都内第1号認定の天然温泉があるのは意外といえば意外です。(都内温泉独特の麦茶色でしょうか?))
森林太郎は鴎外の本名で明治年代の陸軍の軍医としても有名なのですが…。明治時代の日本の軍隊では「脚気」が蔓延していました。原因について栄養障害説をとなえたのが慈恵医大の創設者である海軍の「高木兼寛」、それに対し陸軍の森林太郎は細菌説をとなえ、亡くなるまで高木説を認めませんでした。今でこそビタミンB1不足が原因と解明されていますが、驚くことには日清・日露戦争での陸軍では脚気患者が約25万人、病死者は27000人と、とんでない数の兵隊が亡くなっています。森林太郎/鴎外を責めるのは酷なような気もしますが…。
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東京駅・完成99年

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2012年10月1日の東京駅の復原工事完了(2007年5月30日起工)から1年が過ぎました。この間丸の内側に商業施設「Kitte」がオープン、八重洲側には「グランルーフ」なる意味不明(?)の施設ができたりで、いまだに人気は落ちていないようです。元々の東京駅は1896年の第9回の帝国会議で建設が可決され、日清・日露の戦争の影響で工事が遅れるも1914年12月18日完成しています。つまりは…来年2014年で開業100周年という事になります。さぞ様々なイベントが計画されているのでしょうねっ。
念願の10-24㎜の超広角レンズを購入いたしました。このワイド感は結構はまりそうです(笑)
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下中)新丸ビル7Fテラスから皇居方面です。ここは警視庁・国会議事堂・桜田門・二重橋(皇居正門石橋&鉄橋)・皇居前広場・坂下門・宮内庁が眼下にみえます。これからの季節は晴れて風のある日は富士山が展望できますが、風が強く吹くとこのテラスは閉鎖されてしまいます。
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5代目の歌舞伎座…Ⅱ

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【李下に冠を正さず】という諺があります。李(スモモ)の木の下で冠をかぶり直すと、果実を盗んでいるのではないかと誤解される恐れがあることから、[誤解を招くような行動はすべきではない]といういましめです。さて歌舞伎座は12月はお決まりの「仮名手本忠臣蔵」となっていました。写真は”幕間”に舞台側、天井、歌舞伎丸を撮っています。この直後に松●社員とおぼしきお姉さんが登場…「撮影はできません、カメラはお預かりします。画像は削除します」で強引にカメラを没収(芝居が終了して無事辺返却されてたのですが…)されてしまいました。
さあ、ここからが注意事項です。1)ここの写真にあるような画像は肖像権に著作権侵害にあたりません。2)役者が写っていた場合は「肖像権」侵害の可能性があります。3)舞台の構成が写っている場合は「著作権」侵害に当たるかも知れません。…このあたりの事は当然理解していると思いますが、ブログ用写真では見知らぬ他人の顔が写る写真や自動車のナンバーが写る写真には充分注意しましょう!
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鳴り物入りで新装された割には収容人数は1800名”しか”入りません。専用シアターとしてはかなり小さいようです。…このあたりが馬鹿げた高額料金設定の要因でしょうし、恐らく1回公演当たり1800名の集客が歌舞伎興行としては限界なのかもしれません。まぁ元々が浅草寺裏での芝居小屋がそもそもの始まりですから…。
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駒込富士神社

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六義園から本郷通りを徒歩5分程度なのですが…。こちらの『駒込富士神社』を訪れる人はあまりいないようです。この神社は元々は本郷の6丁目、現東京大学の地に浅間神社として建立されていますが、加賀・前田藩が屋敷となった為にこの地の移ってきました。ご祭神は木花咲耶姫(このはなさくやひめ)。建立の年は不明だそうですが、拝殿は古墳だったと思われる富士塚の上にあり、この富士塚は江戸時代の富士信仰で賑わったそうです。特には町火消達に深く信仰され、火消の組長から奉納された町火消のシンボルマークを彫った石碑が残っています。
”初夢”で良くでてくる言い回しの「一富士、二鷹、三茄子」の一富士はここ富士神社、二鷹は付近の鷹匠屋敷、三茄子は駒込近辺が名産地だったことによるそうですが…本当ですかねぇ(?)。
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左)他の都内富士塚の様に溶岩を積み上げたようには見えません。元々は古墳だったと云われています。
中)急な階段を登ると富士神社拝殿があります。
右)由来書です。きらびやかさはあるませんが、味わいのある神社さんです。
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ブートCDの裏通り・13

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ブートCDに関心のない方にはどうでもいい情報ですが…。こうなってしまうと『ポール・マッカトニー祭り』としかいいようがありません。東京の某地域では先月の来日公演(大阪2日・福岡1日・東京3日)を終えたポール・マッカトニーのブート(非合法)CDの発売競争で盛り上がっています。ブートCDは千、万枚単位で売れる訳はなく一握りのコアなファンの世界でしかありません。公演終了と同時に優良音源を確保して1日でも早く発売するのがキモとなっています。発売までに日数がかかる、音源がショボイ、価格が高いではコアなマニアは見向きもしません。非合法の世界でも、きっちりとしたマーケッティングが必要なようです。それにしてもコンサート会場には隠密録音者が何人が潜り込んでいたのでしょうか?(笑)
昨今はポール三昧状態となっています。次々と聴き比べると、このお方は皆がイメージする”元祖ビートルズ”をビートルズの楽曲を演奏することで演じ続けている感がします。”生きる伝説”のポール・マッカトニーだからやり続けられるのかもしれませんが…?下のCDのなかには公演前の会場の聴こえ具合を確認する「サウンド・チェック」をパクッたモノがあります。こちらの方が演奏曲も異なりむしろ新鮮です。本番は連日連夜ほぼ完ぺきな構成とバンド演奏をしていますが、マニアの方以外には「毎日同じ演奏じゃないか」という事になるでしょう。
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上)日本公演(大阪2日・福岡1日・東京3日)を網羅した6枚組CD X 2セットです。内容も値頃感も良しです
下左)大坂初日と東京初日の2枚組CD X 2セットです。6枚組とは録音者が違い、マニア心をくすぐります。
下中)ここからは購入特典でいただける非売品cdrやdvdrの数々です。録音内容がやや落ちるそうですが昔なら超優良音源が含まれています。音質抜群のCDも良いのですが”会場ならこう聞こえるはず…”程度の音質CDの方が聴き易い感じがします。
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特別名勝・六義園

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文京区本駒込の特別名勝・六義園(りくぎえん)の紅葉です。六義園は江戸5代将軍綱吉の時代に側近の柳沢吉保が元禄15年(1702年)の造園した「回遊式築山泉水」と称する大名庭園です。明治期には不動産大好きの三菱・岩崎弥太郎の別邸となり昭和13年に東京市に寄贈されて、昭和28年に国の特別名勝に指定されてます。この日(12/04)に朝のTV番組で”紅葉が見ごろ”と放送されていたので出かけたのですが、平日ながら一眼カメラややスケッチ班や街散策やらの同好の人達でけっこう賑わっていました。肝心の紅葉”ですが、”都内の紅葉はこんな感じです…”という感じです。上の写真は「渡月橋」で…和歌の浦 芦辺の田鶴の鳴声に 夜わたる月の 影ぞさびしき…の歌から名付けられたそうです。
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下左は田鶴橋と中の島、中は玉藻磯から吹上茶屋方向です。景色自体は冬枯れ寸前ですね。六義園では12/8(日)・最終入園20時30分の「紅葉と大名庭園のライトアップ」イベントが大人気だそうです。冬の季節でも…蛾や蝶ではあるまいし…”光”には人も集まるようです(苦笑)。
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例の銀杏並木…Ⅳ

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西郷隆盛像(犬を連れて兎狩り)と銀杏の木とくれば上野恩賜公園です。この像は身長:370.1cm、胸囲:256.7㎝あり、明治31年に完成、制作者は高村光雲(西郷)と後藤貞行(犬)にチームによります。ここでの西郷隆盛は武器は脇差が1本、お伴といえば犬一匹(薩摩犬名前は”ツン”)だけです。これでは二度と国家に対して反逆はおこしようがありません。下左)西郷の背中を睨みつけるように上野戦争で敗れた彰義隊の墓があり、いつでも西郷に襲いかかれるような感があります。もっとも、はるか後方、動物園入口近くには会津討伐の総督「小松宮親王」の騎馬像が彰義隊と西郷をさらに後方から睨んでいます。下中)上野公園とくれば桜の名所で、銀杏の木は樹齢ウン年の巨木こそあれ並木道としては東京文化会館裏あたりが見事です。下右)この五重塔は、上野動物園敷地内にあります。寛永8年(1631年)土井利勝が寄進した塔は寛永16年(1639年)に焼失してしまいました。現在の塔は再建されたものです。
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例の銀杏並木…Ⅲ

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例の銀杏並木の3回目は 靖国神社です。第一鳥居と第二鳥居の間、大村益次郎の銅像をはさんで約200mの 参道の両側にはイチョウ並木があります。靖国神社は戊辰戦争以来、日本国の為に戦場で亡くなった方々をお祀りしています。故に戊辰戦争の幕府方人々、国家への反逆者の西郷隆盛、戦場で死んでいないので乃木稀助や東郷平八郎はおられません。もっともこのお二人は東郷神社、乃木神社で神様とした祀られていますが…。紅葉の色がパッとしないばかりか、今年は剪定されたそうで樹の姿も記憶にある印象と異なっています。
この参道は12月9日(日)まで17時~20時までライトアップされているそうです。夜の雰囲気もいいでしょうねぇ(!)
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左)神門から大村益次郎銅像方面です。立ち位置の本殿側は桜の名所となっています。
中)本殿です。本殿の裏手には小さな日本庭園などがありモミジの紅葉を見られます。
右)遊就館の三菱製の零戦52型です。下のホールでの撮影は無料ですが、この位置は展示館内です。
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