旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2014年02月

日暮里・太田道灌像

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 …上杉商事江戸支店長を拝命した「太田道灌部長」は、江戸進出に際して支店を今の千代田区に開設しました。時代を経て上杉商事撤退後、三河から徳川コンツェルンが上杉商事江戸支店があった場所に大規模な本店を構えました。徳川コンツェルンがあまりにも有名になったため、最初の出店者・「太田道灌」の名前が記憶に残ったというのが実際のような気がします。…現在の皇居にも「道灌濠」という名称はありますが、道灌・江戸城があったとされる場所とは異なります。ましてや徳川・江戸城は地形を人為的に変えて築城しているので、恐らくは豊臣・大阪城同様に埋め立てられてしまった思われます。さて…JR日暮里駅前の「太田道灌像」、何故ここにあるのかはいまだに疑問です。近くに「道灌山」という地名があるので何か関係があるのでしょうが…。有名な田舎娘にコケにされる「山吹の里」の伝承もアチコチに在り定かではありません。
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なんでも、東御苑に江戸城再建計画があり、太田道灌の子孫が名を連ねていると話を聞いたことがあります。徳川宗家ならまだしもの興味深いお話です(笑) (中)…この騎馬像のタイトルについてのプレートです。 (右)…こちらは東京国際フォーラムの太田道灌像です。
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向島百花園・梅

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墨田区東向島の「向島百花園」では2/8~3/9の日程で”梅まつり”が開催されています。向島百花園は、江戸の文化・文政期に、骨董商佐原鞠塢(さはらきくう)が、遊び仲間の文人、墨客と一緒に、民営花園として開園したのが始まりです。豪商の屋敷でも武家屋敷でもなく”民間”というのが”ウリ”なのですが、どうにもこの”ぶんじん・ぼっきゃく/文人墨客”とは如何様臭さが漂います。この方々は「隅田川七福神」を選定する際に、白髭神社→しろい髭→爺さん→寿老神だとか、私物の福禄寿を神社仏閣でもない百花園に配するなどの荒技を多用しています。
こういうのを”粋”というのらしいのですが、暇人が集まってぐだぐだやっていただけとしか思えません(苦笑)。
それにしても今の向島百花園も基本的に「あるがままに任せよ」という方針なのでしょうか、冬枯れの季節には寂しい限りの庭園です。
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