旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2014年04月

目黒不動尊・龍泉寺…(2)

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東京でも屈指の古刹だけあって境内には大本堂裏手の大日如坐来像(1683年造像。総高385cm、座高282cm)を始め興味あるなどが史跡、文化財が多々あります。興味深いのが昭和の思想家で東京裁判では民間人としては唯一人A級で起訴された「大川周明」。226事件の思想的後ろ盾とされ民間人でありながら反乱罪の首謀者として死刑判決にされた「北一輝」。江戸時代の蘭学者で薩摩芋の関東地方での普及に努めたとされる「青木昆陽」の墓所や本居宣長の子孫で童謡「七つの子」や「十五夜お月さん」の作者「本居長世」の碑なんてのもあります。山門近くには、鶴屋南北の 「浮世柄比翼稲妻(うきよづかひよくのいなずま)」 の「鈴が森」 に登場する「白井権八」と吉原の三浦屋の大夫「小紫」との後追い心中事件の「比翼塚」があるのですが…この話歌舞伎のこともあり怪しいものです。
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左)226事件の思想的首謀者とされた北一輝の碑。  中)童謡作家本居長世の碑。  右)白井権八・小紫の比翼塚。
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目黒不動尊・龍泉寺…(1)

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『目黒不動尊』と呼ばれる泰叡山・龍泉寺は不動明王を本尊とする天台宗のお寺です。江戸札所33番札所、関東36不動尊の18番であり江戸五色不動の数えられています。創建は808年「円仁」によるものとされ、1630年に寛永寺の子院となったことから徳川家光による庇護を受けて江戸庶民の行楽地でした。江戸文化年間には湯島天満、谷中感応寺とともに「江戸の三富」として富くじ興行がおこなわれ繁栄しています。仁王門(↑)の正面に大本堂へ至る急な石段の登り口には『狛犬』があるのですが、一般的な獅子の姿とは異なり普通の『犬』の形状をしています。
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左)子犬を抱いた狛犬です。耳が垂れたごく普通の犬の姿です。山門には獅子の姿の狛犬もあります。
中・右)急階段を登りきると本堂です。落語の「目黒のさんま」はこの近くでのお話のようです。
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目黒・大鳥神社

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目黒区下目黒の『大鳥神社』です。日本武尊・国常立尊・弟橘媛命の3神が祀られています。日本武尊が東夷平定の折に立ち寄って祈願し、後に日本武尊の霊が白鳥となって当地に飛来して”鳥明神”として祀られたとあり、大鳥神社としての創建は社殿が完成した大同元年(806年)としています。室町時代の”長禄の江戸図”には「鳥明神」として描かれており、当時の江戸図には9つの神社しか記載がなかったので、大鳥神社は”江戸九社”のひとつとして知られていました。現在の社殿は昭和37年に完成したもので、11月の「酉の日」には毎年賑わいを見せています。神社隣の目黒通りと山手通りの交差点は「大鳥神社」の名前が付いており交通の要となっています。
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都内と近郊には”日本武尊が東夷平定の折祈願”の神社が数多くあります。神社があれば=祈願の明け暮れだったのでしょうかねぇ?
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目黒・大圓寺

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JR目黒駅から”行人坂”と呼ばれる急な坂道の途中に大圓寺があります。”行人坂”は大圓寺の修験道の行者がここを往来したことにより、江戸時代は『目黒不動尊』への参詣路でもありました。大圓寺の創建は寛永元年(1624年)大日如来を本尊として道場を開いたのが始まりとあります。江戸・明和9年(1772年)の『行人坂火事』では多くの死者を出し、境内のる「五百羅漢の石像」は、大火の犠牲者供養のために創られたものとされます。
行人坂を下ると「目黒雅叙園」。目黒川にかかる橋は雁歯橋とも太鼓橋とも呼ばれ江戸往時の景観は、広重の錦絵「名所江戸百景・目黒太鼓橋より夕日の岡」にあります。大圓寺一帯は”夕日の岡”といわれ、紅葉・桜の名所でもあったそうです。
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右)江戸時代に漁師が海から引き上げて奉納した「とろけ地蔵」と五百羅漢(五百以上羅漢)です。不気味です。
中)放火犯人の「八百屋お七」とお相手の”男”吉三(きちざ)の牌があります。
右)目黒川の太鼓橋よりの”紅葉・さくら”ならぬ一世を風靡した伝説のラブホテルが見えます。
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ブートCDの裏通り・20

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↑は発売告知から即日で完売となったシロモノです。会場での隠密録音としては最良音質です(!)。プレス盤での発売だけあって「ギフト」で頂けるブツとは音圧など格段に違います。スピーカーで大音量再生でも充分耐えられる内容です。この後も次々と他の店舗からも”驚きの新音源”が発売されているようですが、この地味ジャケの3種類は上位入賞確実です。それにしても、9F某店舗の扱いだけでギフト(おまけ)を含めて何系統(何人)あるのでしょう。さらに他店扱いまで含めるとどれだけの会場音源が存在するのでしょうか?。そろそろ体力的にキツクなってまいりました。
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↑左)またもやの3日間の6枚組の新作です。今迄音源内容について言及したことはないのですが…。この6枚組は弱冠微妙です。高音質作品には違いないのですが他の”超高音質”と比べると…、という感じです。↑右)は上方の2枚に続く3/6日分。なんと平日の午後に予約開始という暴挙にも関わらずアット云う間に完売したという”伝説”のブツです。入手できなかった方には悪いのですが、このT&Jと称する録音チーム”特上のお仕事”をしています。周囲の歓声こそひろっていますが東京ドーム感に満ちたぶっといサウンドです。驚くのはギター弦を指がこすれていく音まで拾っています。どういう録音器材と環境で録音したのか聞いたみたいものです。後日コピー盤が出るかもしれませんが、多少無理してでもこの地味ジャケ3種類は手に入れたいものです。覗いたヤフオクでは3枚セットで即決価格¥22000でした(苦笑)。ギフトで貰えるCDRにトンデモ金額を出すよりはずっとましです。

渋谷税務署隣に…

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渋谷税務署隣(NHK放送センター前)に『226事件慰霊像』があります。長い年月ここが処刑された将校の墓所跡だと思っていたのですが、実際は処刑がおこなわれた「旧陸軍刑務所」の跡地でした。昭和11年2月26日に発生した”クーデター未遂事件”は2月29日の鎮圧され、首謀者の決起将校たちは「一審、上告不可、弁護人なし、非公開」の陸軍軍法会議…死刑判決の為の形式的裁判です…により7月5日に死刑判決を受け7月12日に15名の銃殺刑が執行されています。この煉瓦塀が旧陸軍刑務所の塀だったのでしょうか?写真のように今でも献花に訪れる方がいらっしゃるようです。
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碑文には”刑死した20名と自決2名に加え重臣警察官其の他事件関係犠牲者一切の霊を合わせ慰め、且つは事件の意義を永く記念すべく廣く有志の浄財を集め事件30年記念の日を期して~”とあります。もっともらしい文ですが、単なるクーデター未遂事件に”意義”などあるのでしょうか?
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元麻布・賢崇寺(けんそうじ)

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港区元麻布、ピーコックのお隣に曹洞宗・賢崇寺(けんそうじ)があります。このお寺には226事件を指揮主導し死刑判決を受けた陸軍皇道派青年将校の墓所がひっそりとあります。表通りから坂道を登ると右に本堂、正面に鐘楼があります。鐘楼を過ぎて右に進み、突き当り手前の左側がその墓所です。1936年2月26日未明に天皇親政の元に国の窮状を救おうとした陸軍皇道派の決起はあっけなく鎮圧されてしまいました。ここには226事件裁判により処刑された19名と自決した2名の計21名とあと1名が『二十二士之墓』に眠っています。主義主張により処刑された方々とは異なり、事情も知らずに反乱軍とされ「白骨となって帰還せよ」の厳命のもと戦死するまで過酷な戦場に駆り出されたていって兵士たちの魂は何処をさまよっているのでしょうか。墓所の前に立つと彼らのそんな声が聴こえてきそうな気がします。
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処刑若しくは自決した将校の氏名が記されています。所詮はただのテロリストと云う事なのかも知れません。
お寺の入口です。左2軒隣がスーパーのピーコックです。
正面の鐘楼の先を右に進みます。賢崇寺は肥前佐賀藩主鍋島家の墓所でもあります。
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銀座線・浅草駅…(2)

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↑は銀座線・浅草駅の4番出口。吾妻橋方面への階段を登ると、浅草寺をイメージ(?)のレトロな駅舎に出ます。銀座線は日本で最初の地下鉄で上野~浅草間に1927年12月に開業しています。距離は僅か2.2㎞、それでも開業当初は連日押すな押すなの超満員だったそうです。写真の駅舎は開業時の「東京地下鐵道株式会社」時代のもので、現存する地下鉄で最も古い駅舎です。『関東の駅百選認定駅』とあるのですが、聞きなれない”百選”です。上の写真の格子の部分の丸囲に”地下鉄出入口”とレイアウトされています。単にレトロでかたずけられないセンスを感じます。
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↓これらを見れば”あぁ、あそこか”と思い当ります。浅草寺をイメージした=言われてみればそうなんでしょう(笑)。1927年以来となると86歳という事になりますねっ。
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銀座線・浅草駅…(1)

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銀座線・浅草駅の田原町方面の改札を出ると”大正ロマン”なるレトロ調装飾がなされています。(↑)のレリーフは目立たない場所にあり、解説らしきものも見あたりませんが、開業当時の「日本地下鐡道株式会社」の本社ビルにあったものだそうです。中央の丸い部分は会社の紋章でしょうか?紋章を挟んで2頭の龍が向かい合った意匠になっています。この本社ビルは現存せずこのレリーフが僅かに残っているだけのようです。
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デパート側の改札と比べると、天井、床、柱などがレトロ調装飾になっています。柱には浅草駅開業を報じる”中外商業新報”なる新聞の復古版が飾られています。地下鉄の開業は衝撃的出来事だったのでしょう。右の写真には浅草の年中行事一覧が掲示されています。イベントの多い街です(笑)
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皇居乾通り・宴のあと

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↑左は期間中の乾通りです(最混雑時は通勤ラッシュ並みでした)。 ↑右は、今日(9日・11:30頃)の乾通りです。”宴のあと”とはこういう事を云うのでしょう。乾通りには静けさが戻り、カラスの鳴き声が聞こえていました。カラス達も見たこともない群衆が押し寄せて来てさぞ驚いたでしょうねぇ(笑)。いろいろありましたが、ともかく終了のはこびとなりました。初日の4日はあまりの群衆の多さに閉門を2時間早めてしまうという大失態(!)。さぞクレーム大会だったことでしょう。群衆の誘導手順について宮内庁、皇宮警察、警視庁の役割分担が破綻した日もありました。これに懲りて”今後の同様なイベントは一切催行せず”にならなければ良いのですが。
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(↑左)は、宮内庁々舎前の模様です。この路面が見えなくなってしまう程の人々が訪れたのですから驚きです。(↑右)は、本日午前のの皇居参観(この参観コースは「乾通り開放」とは異なります)の模様です。毎回250名前後が定員なのですが、午前の参観者は130名と通常の半分程度でした
いまさらですが…上野公園などの桜並木を思い描いてこられた方は、乾の桜並木には”アレレ”と思われたことでしょう(苦笑)。今回の特別公開にあたり、宮内庁は旅行会社の団体について優先入場等は一切認めませんでした。『旅行会社のツアーなら優先的に入れると思った』の声もありましたが、これはあり得ないことです。宮内庁が認める訳がありません。ツアーバスで来られて2時間前後並んで、皇居内は人・人・人、桜は???。押し出されるように前へ歩くだけでは年配者にはさぞ過酷(苦行)だったことでしょう。

凄!皇居乾通り一般公開…(4)

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(↑)の写真は、本日(8日)12:56の宮内庁々舎前です。路面が見え、人がまばらな部分すらあります。この状態は『ガラガラ状態』といっても過言ではありません(笑)。ちょうど”潮目の時間”に当ったのか今日は並び始めから奇跡的なほどの短時間で宮内庁前へ到着しました。 宮内庁によると、4日…54,140 5日…90,990 6日…81,820 7日…89,280 8日…68,830 合計385,060 が訪れたそうです。…この数字は誰がどうやってカウントしたのか不思議なのですが…繰り返しですが、前例のないイベントなので責められませんが、10時から3時までの開放(後に修正)。10時開門はともかく陽が長い時期に3時迄なんていかにもお役所的で”残業できません感”が匂います。まぁこれで前例ができたのでこれからの行事は大丈夫(?)と期待したいものです。
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(↓左)道灌堀のしだれ桜。ここが写真スポットなので混雑しているように見えてしまいます。
(↓中)乾門近く。ご覧のように路面が見えるほど空いています。大混雑の日はラッシュ時の駅以上でした。
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凄!皇居乾通り一般公開…(3)

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史上初の試みなので予想が付かないのは判りますが…。宮内庁も皇宮警察も警視庁も今日(7日)が月曜日なので”タカ”をくくっていたのでしょうねぇ。現場で感じたのは、今日(7日)は、昨日以上の人出だったと思われます。…18:00のTVニュースでは、89280人だそうです…。目視の限りでは警察の車両は土日の半分程度(DJポリスは出動したか否か判らず)まともに隊列誘導などできていません。宮内庁の背広組はなすすべのなく突っ立っているだけの体。頑張っていたのは皇宮警察くらいという感じでした。このような状況にも関わらず、罵詈雑言や怒号が飛び交う訳でもなく、横入りをするでもなく整然粛々と列をなす日本人ってやはりとんでもない民族なんですね(笑)。中国・韓国でしたら、こんな事はありえないでしょう(!)。
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↑上)紅葉山からの緩い勾配「山下通り」。紅葉の名所であり、カラスの名所でもあります。人が写り込んでいない貴重な1枚です。
↓左)乾通りから東御苑への「西桔橋」です。天守台下までのかなりの急こう配な坂道を登ります。
↓中)見慣れない車両ですが、皇宮警察の消防車です。因みに皇宮警察のパトカーは”濃紺”一色です。
↓右)10:50から並び始めて12:47に検問所Ⅱです。最後尾は一体どこなんでしょうか?見えません!
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凄!皇居乾通り一般公開…(2)

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昨土曜日の「皇居乾通り一般公開」には9万人を超える人が訪れたようです。この人数はお正月の「一般参賀」の人数を遥かに超えています。日本人の櫻好き事もあるのでしょが…(?)。 さて、連日の並び始め~坂下門までの待ち時間は、金曜日が約1時間20分、土曜日が2時間30分だったのが、今日はタイミング良く50分(!)でOKでした(笑)。天候面での不安(参観中小雨有)と大混雑の報道のせいで恐れをなしたのでしょうか、宮殿内もさほどの大混雑ではありませんでした。で、肝心の櫻は…残念盛りを過ぎています。(↑上)乾通屈指の櫻の名所「道灌濠」と櫻です。太田道灌江戸城の外濠との説がありますが、あくまで”説”です。濠の左は紅葉山で、皇居の中でも一番美しい所なんだそうです。
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(↓左)…人気の撮影スポット「道灌濠」です。皇宮職員が”立ち止まらないで”連呼してますが誰も聞きません。
(↓中)乾通りでも、この近辺に櫻が多いのですが…。花の盛りは残念ながら過ぎています。
(↓右)「乾門」の内側からです。同様なイベントを紅葉時期に予定だそうですが、どうなんでしょうねぇ(苦笑)。
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凄!皇居乾通り一般公開

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前例のないイベントなので誰も責められないのですが…。昨日(4日)からの「皇居乾通り一般公開」はとんでもないことになっています。
昨日は13:00に参観待ち行列に並んで坂下門通過までが1時間10分。この先は乾通りを”トコロテン式”に前へ進むだけです。それでも櫻を愛でながら、乾門・北の丸公園・田安門・靖国神社まで約3時間かかりました。TV等の報道によると約55000人(国立競技場の収容より少い)、13時30分入場締切になったようです。初日とはいえ平日ですからねぇ。それにしても…有名どころの旅行会社は、宮殿敷地内では社旗(ツアー旗)などを使用は控えていましたが、赤い旗の新興某旅行会社は堂々と社旗をかざしていました。添乗員のレベルが低いのか、会社の教育レベルが低いのか(苦笑)。  聞くところによると…。大手旅行会社のクラブツーリズムは関東一円から連日観光バス10台以上、6日(日)は30台以上のツアー設定をしているようです。宮内庁は旅行会社の優先入場などの特例を一切認めないそうなので、”並ぶだけ無駄現象”が生じてしまうのでしょうか…。
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(↓左)は普段の皇居前広場で警視庁まで人影はまばらです。今日は11:40分時点で(↑)坂下門から始まった列は(↓中)の広場を越し、(↓右)の二重橋前を越し、桜田門で曲がって凱旋堀付近まで…。写真の彼方に見える列は参観待の行列です。二重橋付近では一般観光者も規制を受けていました。今日(土曜日)は10万人超えると思われます。12:00頃には”本日は無理です”のアナウスが早くも流れていました。
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乾門から北の丸公園…(2)

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昨日(3日)生憎の雨模様のなか皇居参観へ行ってきました。季節なんですねぇ。午前の参観者は約300名(!)。雨中の大行列でした。さらに明日からは、「乾通りの一般公開」です。天候次第では何万人が訪れるか想像もつかないそうです。「出来ればこの期間は休暇を取りたい」などと冗談交じりに云う職員の方もいたりで…気持ちは判ります(笑)。日程の前半くらいなら「櫻」は大丈夫です。が、しかし…あとはお楽しみという事で。
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乾門を出て、信号を渡ると(↓中)の見事な桜があります。この先が北の丸公園。左へ進んで東京国立近代美術館工芸館(旧近衛師団司令部)の敷地内には『北白川宮能久親王』の銅像(↑)があります。この宮様は伏見宮家の皇子として誕生、江戸へ下って上野寛永寺の輪王寺宮となっています。戊辰戦争時は静岡まで有栖川宮(義兄)との戦争回避交渉に出向き、上野戦争では彰義隊に擁立されたり、さらには奥羽越列藩同盟の盟主とされるなど数奇な運命を辿られています。見かたによっては戊辰戦争(明治維新)は”宮様兄弟どうしの戦争”になっていたという事なのです。
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乾門から北の丸公園

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東京は突然の如く暖かい日が続き、櫻の花も一挙に満開状態となりました。東京で櫻の名所となればやはり”千鳥ヶ淵”ですかね。↑は北の丸公園のお堀の上からの千鳥ヶ淵方面です。ちょうど堀の反対岸あたりがボート・ハウスで、ビルの下あたりが遊歩道です。”櫻の名所”ですから混雑は当然の事としても、人波をかき分け混み合った埃っぽい遊歩道を歩くよりも、こちらからの眺めが断然にお薦めです。
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↓左&中が今年注目の「皇居乾通り」の出口となる【乾門】です。ご覧のように大きな御門ではありません。すぐ前には高速の出入口があり、北の丸公園方面への横断歩道となります。このさほど広くない出口から数万人の人が出てくるとなると…。いやいや恐ろしいことになりそうです(苦笑)。それにもまして気がかりなのは、こう暖かいと日程中の桜は大丈夫なのでしょうか?
↓右。中の歩道を渡ると【東京国立近代美術館工芸館】、近衛師団の司令部の建物です。敷地内には”北白川宮能久親王(きたしらかわのみや よしひさ しんのう)”の騎馬像があります。
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ブートCDの裏通り・19

ずっと以前、サラリーマン御用達の新聞「夕刊フジ」のコピーが”オレンジ色の憎いやつ”だったのですが…今回のストーンズ日本公演のブートがまさにその状態となっています。最近になって差別化を計りたいのか、異なるレイアウトも見られますが、まぁこの”オレンジ色の…”の多い事か(笑)こうなってしまうと、間違って購入なんて笑えない悲劇もしょうじるのでしょうねっ。
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掲載CDはいずれもが、西新宿某ショップ(9F)でGetしたモノです(…Ptの撮影がメンドイので流用しています…)。↑左はギフトで頂いた2/26のCDR、右は2/26のプレスCDです。同じ日のコンサートなので同じ演奏です(笑)。録音者が違う、録音位置が違う、器材が違うと説明しても、判らない方には未来永劫判りません。”どっちも同じじゃない”の一言で終了です(笑)。更にステレオ機器、PCでの再生、Mp3に圧縮しての再生では明らかに印象もなにもが変わるのですが…。この違いを言葉(文字)で説明するのは不可能です。
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↑は3/4&3/6のプレスCDです。マニアブログによると、HPで発表後1時間(!)で予約完売したというシロモノで、結果として”ヤフオク”を賑わすこととなりました。幸運にもGetできましたが、CDRとは一線を画す内容です。ブートにはBS放送等の音源、会場PAからパクッた妙に整った音の音源、マニアの隠し撮り音源があるのですが、こういうライブ・バンドは隠し撮り音源が一番です。結局のところ、好みにもるとしか云いようがありませんが、”会場だったらこう聴こえる”が一番ではないでしょうか。
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↑左は2/26、3/4、3/6の全公演のギフト6CDRで、右が上2枚を購入で付いてくる3/4&3/6のCDRです。6CDRがいい感じの音で好です。プレス発売のCDは音圧、迫力とも”プレス”だけあるのですが、普通に聴くならこれで充分でしょう。これらで2/26・3/4・3/6公演の異なる3種類の音源入手となります。他のメーカーからも音源の違うブツが次々発売となっていますが、このオレンジ色を基調としたデザインばかりなので要注意です。ポール・マッカトニー、クラプトン・ストーンズ。更に大物の来日が続きます。西新宿は”春爛漫”の事でしょう。
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