旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2014年06月

鶴見・總持寺…(1)

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横浜市鶴見区の鶴見が丘に曹同宗大本山の總持寺(そうじじ)があります。山号は諸嶽山(しょがくさん)。ご本尊は釈迦如来ですが、ご本尊の釈迦如来を安置する「仏殿」より、歴代の祖師を祀る「大祖堂」の方が規模が大きいのが特色とあります。明治44年に石川県能登よりこの地に移転、以来、諸堂を整備し、約10坪の広大な境内にさまざまな堂宇を建立されています。境内には鶴見大学などもあり兎にも角にも圧倒的な規模のお寺です。(Pt↑)は昭和44に落成した「三門」です。鉄筋コンクリート造りでは日本一の大きさなんだそうです。 確かにデカイです(!)。
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JR鶴見駅西口から横浜方面に徒歩10分弱で(Pt↓左)が「總持寺」の入口です。ここは入口で「仏殿」は遥か先です。緑豊かな参道を進むと「大本山總持寺」の石柱(Pt↓中)があります。参道左右は鶴見大学です。(Pt↓右)の門は「三樹松関(さんじゅしょうかん)」と書かれた總持寺の総門です。
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川崎大師・平間寺

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神奈川県川崎市の【平間寺】は真言宗智山派のお寺で、山号は「金剛山」、院号は「金乗院」なのですが…。通称で【川崎大師】の方が一般的かと思います。正月の初詣参拝者数では上位に数えられいます。正月の大混雑がないと別のお寺ではないかと思える程ですが、これはこれで良い感じです。
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140611_02140611_03京浜急行大師線川崎大師駅から徒歩10分位です。表参道、仲見世を経て「大山門」に至るのですが、時間帯なのか人通りが少なく、見物たんきり飴の実演販売もやっておりませんでした。仲見世通りは実質200m弱と思われますが、”たんきり飴”と”だるま屋”の多いこと(!)流石に名物です。
右が「大山門」です。開創850年記念事業で昭和52年(1977)11月の完成だそうです。一見仁王像安置に見えるのですが、東の持国天・南の増長天・西の広目天・北の多聞天からなる四天王の像となっています。柵と網で見にくいのですが迫力満点の像が安置されています。
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140611_09140611_04大山門過ぎると正面に大本堂がデ~ンとあります。川崎大師・初詣の映像はこの大本堂、大混雑の模様が使われます。ご本尊は弘法大師像で、創建は1128年(大治3年)とあるので鎌倉幕府以前です。1813年/文化10年にときの将軍・徳川家斉が厄除けに訪れたことから「厄除け大師」と広まったようです。京急川崎駅からの大師線は1899年に開業、京浜急行のルーツとさています。元々川崎大師への参詣客の輸送を目的に建設されたのですが、参拝客の増加による予想外の収益と大ヒットとなり、各地の私鉄会社へ影響を与える事なったと云われています。本当なんでしょうかねぇ?
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レースセンサー・ストラトキャスター

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数年前にリサイクル・ショップで購入したFender・Japan・Lace Sesser搭載のストラトキャスターです。購入はしたものの、あまりにもストラトらしくない音なので好きになれず、大阪方面に長期出向、最近出向解除で戻ってまいりました。このストラトシリーズはFender社とLace Sesserの契約が切れた関係で生産完了となっているそうです。久しぶりの対面なったのですが、ストラトの形状をした別物のギターだと割り切ると、意外と使い勝手の良いギターと”ようやく”気が付きました。…ストラトにつきもののノイズが出ません。トーンの1は電池駆動の”ミッド・ブースト”です。シングルでありながらハムバッカー並みの音が出せます。エフェクターを使用すれば1990年前後のECのあの音に近くなります…。 写真のアームは約3㎝ほど切り落としてあります。アームダウンだけならばこの長さがちょうどよい感じです。
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54と57があるようですが、これは57タイプです。他のFender・Japanと違って塗装が”薄化粧”となっています。
白カバーは電池室です。9V使用で電池切れ時はミッド・ブーストが使用できません。USAは電池室の形状が違うそうです。
シリアルナンバーから、このギターは1993年~1994年らしいのですが…? それでも20年前です。
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本門寺・妙見堂

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本門寺の境内と云っていいのでしょうが『妙見堂』という名称のお堂です。…「こちらの妙見大菩薩は、寛文4年(1664)に、加藤清正公の息女、瑶林院殿が本門寺へ納めた室町時代の御尊像です」…とあるのですが、「妙見菩薩信仰」自体が興味深い信仰です。元々は古代バビロニアに始まり、インド経由で中国で”道教”と結びつき仏教とともに日本に渡来しています。北辰とも云われる”北極星”を神格化したもので、千葉周作の北辰一刀流(弟子である坂本龍馬も?)や葛飾北斎などの信仰されていました。本門寺との関係は日蓮上人が妙見菩薩を祀る神社を崇拝していたことから日蓮宗のお寺に祀られることが多いのだそうです。
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季節ならでは…。紫陽花が咲き緑溢れる季節です。それにしても実にバランス感覚の良いお堂です。鎌倉ではありません、ここは池上本門寺です。
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池上・本門寺

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東急池上線池上駅から歩いて15分くらいの日蓮宗・大本山【池上・本門寺】です。正式名称は山号=長栄山、院号=大国院、寺号=本門寺で、【長栄山大国院本門寺】となるのですが、池上本門寺の呼称のほうが馴染みがあります。
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140606_02140606_03山門を抜けるとこの石段です。別称を此経難持坂(しきょうなんじざか)というそうです。江戸時代初期に加藤清正の寄進により造営されたとされる石段で、法華経の偈文96文字にちなんで96段で構築されています。石段上から見ると山門越しに池上の街がいい感じに見えます。池波正太郎の鬼平(おにへい)で知られる『鬼平犯科帳』シリーズの『本門寺暮雪』にこの石段「此経難持坂」が登場、平蔵らが本門寺を参拝したおり、いきなり石段上から賊に襲われるという場面だそうです。なんのことはなく池波正太郎は本門寺近くの品川区に住んでおり、この近辺に土地カンがあったというやつでしょう。
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140606_05140606_04池上本門寺の開祖「日蓮聖人」は、弘安5年9月に身延山から、病気療養のため常陸の湯に向う途中、武蔵国池上(現在の東京都大田区池上)の郷主・池上宗仲公の館で700数年前の弘安5年(1282)10月に、61歳で亡くなっています。【長栄山本門寺】の由来は、「法華経の道場として長く栄えるように」という祈りを込めて日蓮聖人が名付けられ池上宗仲公が寄進した約7万坪の土地にお寺が築かれています。という事でPt左)日蓮上人の像があります。Pt右の”仁王門”は昭和20年に焼失、再建された門です。アントニオ猪木をモデルとした仁王像が安置されていたことで知られていました。
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本門寺墓地には、ある年代以上の方には圧倒的ヒーロー【力道山…本名:金信洛、日本名:百田光浩、享年満39歳】の墓所があります。資料によると身長176㎝、体重116㎏で大男ではなかったようです。はるか昔、墓参に来ていたBI砲時代のジャイアント馬場やアントニオ猪木に遭遇したことがあったのですが、ゴミ捨て場の脇で墓もそう立派でなかったような記憶があります。年月を経て、石碑が建ち銅像が建っていました。
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阿見・予科練平和記念館

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茨城県・霞ヶ浦・茨城県稲敷郡阿見の『予科練平和記念館』」です。「予科練」=「海軍飛行予科練習生」&制度は昭和5年に旧日本海軍が14歳~17歳の若者を選抜し熟練した搭乗員を育てる目的に作られた制度です。実技・頭脳とも優秀なパイロットが養成され、太平洋戦争初期の”無敵の零戦神話”は彼らによるものです。時の経とともに彼らの多くは失われていきます。戦争末期には…【初心者マークのドライバーをポルシェに乗せて高速を走らせるようなもの】…未熟なパイロットばかりになってしまいました。搭乗する航空機も不足してしまい『人間魚雷・回天』やベニヤ・ボート『震洋』・ロケット機『桜花』など、およそ兵器とは呼べないようなシロモノの乗員として多く若い人達が逝ってしまいました。この『予科練平和記念館』には、彼らの日常資料が展示されています。 実際の彼らは、ごく普通の若者たちでした…。 館内は撮影禁止なので外観だけです。
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Pt↓)記念館に隣接して「陸上自衛隊土浦駐屯地」があり、予科練関連の雄翔館と雄翔園ついては自由に見学することができます。♪若い血潮の予科練の~”若鷲の歌”♪は西条八十の作詞とは知りませんでした。雄翔館入口には、学校長であった”山本五十六元帥”の銅像があります。
*土浦駐屯地の屋外展示の戦車や小火器の展示見学は事前予約制となっています
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筑波海軍航空隊記念館

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茨城県笠間市の【筑波海軍航空隊記念館】です。旧海軍航空隊の基地跡で、百田尚樹氏の小説「永遠の0」の映画化時にロケ地として使われた施設です。現在は「県立こころの医療センター」敷地内になっており、滑走路の跡などは住宅地に取り込まれています。映画公開に合わせて一般公開され好評だったのか(?) リニューアルオープンという事で元筑波海軍航空隊の隊員の遺族や関係者から寄贈された資料が展示されています。週末限定(かつ晴天時)には旧司令部庁舎から約1kmにある「地下戦闘指揮所」も平成27年3月迄期間限定で公開もされています。
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Pt左)建物2階の司令官室からの眺めです。現在は医療センターの敷地です。 Pt中)この廊下の雰囲気は司令部というより病棟といった感じです。左右の部屋を利用して写真や遺品が展示されています。 Pt右)1階の奥のスペースには映画「永遠の0」の巨大なポスターが貼られていました。因みに映画に登場する「空母・赤城」はコンピューター制作で、零戦21型は原寸模型だそうです。
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ローランド・ストラトキャスター

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” Roland V-Gitar G-5” です。ローランド㈱のモデリングをFender(Mexico)のストラトボディに搭載したタイプです。Ptの黒いノブがモデリング・コントロールで、他社に比べると判り易くなっています。モデリングはカタログ上では5x5の25通りで、この他にオープンGやドロップDやバリトンギター等が登載されています。電池駆動ですが電池切れ時は通常のストラトキャスターとして使用できます。『出音』に関しては表現が難しいのですが…。ピエゾ(風)エレアコや12弦はとても良い感じです…。初心者が最初の1本で購入するのはどうかと思いますが、この価格帯でこの性能なら”充分”です。
外部接続ケーブルやコントロールはなく、通常のシールドを繋ぐだけです。モデリングも「そこそこそれ風」で実質これで充分使えると思います。なによりエレキ&エレアコなど数本のギターを持ち歩くかずこれ1本でなんとかなってしまいます。 便利なギターが登場したものです。
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Pt左)売れセン狙いの3トーン&ローズと黒のメイプルしかありません。リアとブリッジの間にあるバーがモデリング・ピック・アップです。当然ですがアームの使用も可です。トラスロッドは裏入れ(スカンク縞があります)。 Pt中)ボディ裏の電池室。単3が4本で6時間可動とあります。 Pt右)ヘッド部分、Fenderのロゴのあとに”Powered by ROLAND"のデカールがあります。BodyはZシリアルのMexico製。通常のストラトなら7-8万位でしょう。
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西新井大師・總持寺

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通称【西新井大師】で知られていますが、山号は”五智山”、寺名は”五智山遍照院總持寺(ごちさん へんじょういん そうじじ)”と称する真言宗豊山派のお寺です。正式名称まで意識する必要はありませんが、何宗のお寺なのかくらいは知っておきたいものです。最寄駅は東武大師線大師前駅ですが、今回は日暮里・舎人ライナー西新井大師西駅で下車してみました。これが大失敗で環七通りを延々徒歩30程かかります。この駅に”西新井大師”の名称を冠したのは”いい度胸”だと思います。Pt↑の参道の雰囲気は柴又を彷彿させますが、西新井も寅さん映画の候補地だったそうです。
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140605_02140605_05弘法大師により826年により創建された古刹で、本堂の西側に加持水の井戸があり「西新井」の地名の元となったそうですが、まぁ良しとしておきましょう。この山門は実に立派です。十二支の動物達の彫刻などが施してありますが、経年変化の色合いで見逃しがちの干支もあります。この山門の手前の両側に有名な草団子屋があり、両店で客引き合戦の体をなしているのですが、この日は一軒がお休みでした。毎度のことではありますが…、関東三大師と云われていますが、表現が微妙であって弘法大師(空海)を祀る真言宗の寺院で「関東厄除け三大師」この場合は西新井大師、川崎大師などとなり、「関東の三大師」と”厄除け”が付かない場合は、天台宗の寺院(佐野厄除け大師、川越大師など)となるそうです。
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Pt左)当然と云えば当然の「弘法大師」像です。台座に”東京千住睦”の文字が右から書かれています。
Pt中)本堂裏手に弘法大師御降誕1200年記念に再建された、鎮守の社「出世稲荷明神」です。きつね氏は最近流行(?)のブロンズ製でした。
Pt右)「第20回BELLCA賞ベストリフォーム部門表彰物件」なる平成20年完成の本殿です。こんな「賞」があるんですねぇ。
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西新井・氷川神社

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足立区区西新井本町1丁目の環七通りに面した【西新井・氷川神社】です。繰り返しですが、氷川神社は東京・埼玉・神奈川に約で200社あり、埼玉県の県南&足立区近辺にも多くの『氷川神社』が鎮座していています。寛永3年(1626)に武蔵国一宮氷川神社(現さいたま市の総本社の大宮・氷川神社)から、ご祀神の「素盞嗚尊」を勧請して創建され、江戸時代には西新井村の鎮守とされていました。1967年の環七通りの建設のおりに、境内の整備を行うとともに、環七通りに面した現在の入口が設けられ社殿も東向きに変えられたそうです。
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【西新井大師】への道すがらに寄ったのですが、他の氷川神社と同様にとりたてての特徴がある訳でもなく、いわゆる”きらびやかな神社”ではありません。創建は西新井大師(826年)よりずっと後なのですが、地元の人々の暮らしに寄り添ってきた神社という感じです。
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日本橋人形町あたり

140528_01140528_02日本橋人形町近辺は、以前は日本橋区と称し中央区に統合される際に”日本橋”の名前が消えないように現在でも○○町の頭に日本橋が付く名称が多くあります。誰だって生まれ育った街の名前が変わってしまうのは気分の良いものではありません。特に人形町あたりは江戸時代は遊郭で知られた吉原(日本堤へ移転する前の)があった場所で、更には天保の改革で浅草猿楽町へ移転させられる前の芝居小屋のあった場所でもあり、江戸有数の繁華街であった街です。いまでも銀座あたりとは違った雰囲気があります。甘酒横丁には老舗に店舗や飲食店が並んでいて、「人形町・亀井堂」の総理大臣のイラスト入りせんべいは、国会議事堂の売店でも売られています。関西圏の人にはなんとなくインチキ臭くうつっているのが残念ですが…。
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140528_03140528_04日本橋人形町の末廣神社です。ご祀神は『宇賀之美多摩命』とあり稲荷神の【古事記名:宇迦之御魂神】・【日本書記名:倉稲魂尊】と同一です。江戸時代の初期に吉原(当所葦原と称した)がこの地にあった元和3年~明暦3年までの間、信仰されていた神社で、明暦の大火で吉原が移転してからは、その跡地の難波町・住吉町・高砂町・新泉町の四ヶ所の氏神として信仰されたといいます。社号の起源は、延宝3年社殿修復のさい年経た中啓(扇)が発見されたので氏子の人達が悦び祝って末廣の二字を冠したものです。(Pt右の掲示にあります)現在では日本橋七福神の「毘沙門天」となっているのですが、写真のように建物の谷間で見逃してしまうような場所にあります。神社前がゴミの集積所となっていて、どう絵を切り取っても神社全体を写すとゴミ箱が写ってしまうという残念な写真になってしまいました。
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140528_05140528_06続いては、中央区日本橋浜町の笠間稲荷神社です。日本三大稲荷(!)のひとつ茨城県笠間稲荷神社の東京別社で、江戸時代末期に笠間藩主牧野貞直公が笠間より分霊をして建立されたといいます。境内末社には本殿に向かって左側に日本橋七福神の”寿老神”が祀られています。茨城県笠間市の「笠間稲荷神社」は別称:胡桃下稲荷or紋三郎稲荷とも呼ばれ「日本三大稲荷」と称されるのですが…。この三大稲荷は1)笠間・伏見・祐徳稲荷グループと2)豊川・伏見・祐徳稲荷グループの二つの説があり、さらには「日本五代稲荷」なんていうのもあります(苦笑)。
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140528_07140528_08中央区日本橋人形町2丁目の松島神社です。こちらも路地裏&ビル内という見落とし安い神社さんです。日本橋七福神では「大黒神」が祀られ、別称は「大鳥神社」とも称するそうです。失礼ではありますが、由緒書きによると規模の割にはご祀神が多く…稲荷大神、伊邪那岐大神、日前大神(天照大神)、北野大神(菅原道真公)、手置帆負神、彦狭知神、淡島大神、八幡大神、猿田彦神、琴平大神、天日鷲神(大鳥大神)、大宮能売神(おかめさま)、大国主神(だいこくさま)…の神様達が記載されています。江戸・明暦の大火以前は、神社周囲は歓楽街であり、人形細工職人・呉服商人・歌舞伎役者・芸妓などの参拝が盛んであったそうなので、神様の範囲も幅広くなったのでしょうか…?
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140528_09140528_10中央区日本橋人形町1丁目の茶ノ木神社。ご祀神は「倉稲魂大神」で、日本橋七福神では「布袋尊」が祀られています。境内掲示による神社の由緒には…「お茶ノ木様」と町内の人々に親しまれている茶ノ木神社の御祭神は倉稲魂大神(ウカノミタマノオオカミ)で伏見系の稲荷様である。昔この土地は徳川時代約3000坪に及ぶ下総佐倉の城主大老掘田家の中屋敷であって、この神社はその守護神として祀られたものである。社の周囲にめぐらされた土堤芝の上に丸く刈り込まれた茶の木がぐるりと植え込まれ、茶と茶の木の緑が見事であたっと伝えられている。その中屋敷は勿論のこと周囲の町方にも永年火災が起こらなかったため、いつのころから誰と言うとなく火伏の神と崇められ、堀田家では年1回初午祭の当日だけ開門して一般の参拝を自由にされた由「お茶ノ木様」の愛称で町の評判も相当であったと伝えられている。(以下略)…とあります。

日本橋牡蠣殻町・水天宮

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東京メトロ水天宮駅前の交差点、この工事現場が『水天宮』です。水天宮は九州・有馬家が久留米から当時の久留米藩上屋敷(港区・三田)に分霊を勧請したのが始まりです。江戸でも水天宮の信仰者は多かったようですが、藩邸内にあったため庶民の参拝が困難でした。久留米藩は幕府から特別に許可を得て毎月5の日に一般開放することとしました。これが【おそれ入谷の鬼子母神~情け有馬の水天宮】との”言葉遊び”出てくる有名なフレーズです。水天宮の人気は「押すな押すなの」大盛況で、関連グッズの売り上げは、久留米藩の大きな現金収入となったようです。明治になって有馬藩中屋敷のあった日本橋蠣殻町に移転。知らなかったのですが…平成25年3月に工事の為、日本橋浜町の明治座近くに仮宮に遷座しており新社殿の完成は平成28年の予定だそうです。
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日本橋浜町の明治座近くの仮宮です。遷座期間中は旧社殿近くの”ロイヤルパークホテル”から土・日・祝と大安&”戌の日”には無料シャトルバスが運行されています。
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上野公園の銅像…(Ⅲ)

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戊辰戦争時、西軍による旧幕府軍・彰義隊への包囲殲滅戦(上野戦争)により寛永寺伽藍一帯は焼野原となってしまいました。1870年、医学校と病院を建設する際この辺りも候補地とされたのですが、上野の山を視察したオランダ医である「ボードウィン博士」により”上野の自然が失われることを危惧して、一帯を公園として残すように”政府に提言がされました。『上野恩公園』として1873年に指定されたことで「ボードウィン博士」は上野公園の生みの親として業績を顕彰する銅像が造られました。 笑ってしまうのが…以前はPt↑の中央の【アゴ髭&ハゲ頭】がボードワン博士像として堂々とあったのですが…。いつの間にやらPt↑左&右の若々しい銅像に変わっています。2006年10月に造り直されたのですが、なんとヒゲ&ハゲの像は博士ではなく博士の弟だったのです。像を造る時に渡された写真が間違っていたそうなんですが…。そんなの”あり”ですかねぇ(笑)。
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佐久間大膳亮勝之が寄進した石造の灯籠で「寛永年辛未孟冬十七日」の刻字があります。燈籠は高さ6.06m、笠石の周囲3.36m。「お化け燈籠」と呼ばれ京都南禅寺・名古屋熱田神宮の大燈籠とともに”日本三大燈籠”に数えられるそうです。案内板の”OBAKE-DORO”がいいですねっ。
Pt右) 上野動物園入口に設置されたパンダ・ペイントの郵便ポストです。

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台東区池之端・境稲荷神社

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台東区池之端の不忍池から奥まった所に「境稲荷神社」があります。忍が岡(上野のお山側)と向が岡(東京大学側)の丘陵の境に鎮座していることから「境稲荷」と称されたといいます。創建は足利9代将軍義尚公の”文明年間”と伝えられいるので、室町時代のかなりの古社のようです。現在の本殿・拝殿・鳥居等は平成5年に造営されたものだそうで、拝殿を覆うように屋根状の建物が造られています。ご祀神は稲荷社ならではの”倉稲魂命”ですが、こちらも神使・きつね氏がいらっしゃいません。神社裏手には古くからの湧水で知られ、江戸名所誌にも掲載された名水「弁慶鏡ヶ井」があります。名称の如く【義経主従が奥州に向かう際に、弁慶がここに泉を見つけてのどを潤した】との伝承があるようですが、義経の奥州逃避行は北陸経由だったような…?これは別の機会という事でしょうか(!)
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