旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2014年11月

ブートCDの裏通り・23

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『ジャック・ブルース』。また「憧れたミュージシャン」が逝ってしまいました。咬みつくようなボーカルと凄まじいフレーズのベースギター(!)。3分間のポップ・ミュージック全盛の時代にCreamのLive盤(金色のヤツ)は衝撃でした。”Crossroads”はモチロン、16分を超える”Spoonful”。テーマが終わると3人3様の大アドリブ大会(笑)。ここでの演奏はベース・パートの概念を変えたと云っても良いのでは? とは云うものの、自分でバンドを演るようになると「こんな身勝手なリズム・セクションとはやってられるか…」とECの気持ちが良くわかります。Pt↑左)は追悼的に発売されたBBM(ジンジャー・ベイカー、ジャック・ブルース、ゲイリー・ムーア)の1994年にライブです。こんな個性溢れる方々が続く訳がなくアッという間に消滅してしまいました。Pt↑右)は2005年のCream再結成ツアーのNYC公演です。実際は、病み上がりのジャック・ブルースと破産状態のジンジャー・ベイカーの救済企画だったようです。ここでも「俺がジャック・ブルースだっ!文句あるかの!」のベースは健在です。
そういえば、ゲイリー・ムーア師も逝ってしまいました。死神EC師匠はしぶとく頑張って欲しいものです。
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ジャック・ブルースが元マウンテンのレズリー・ウェスト&コーキーレイングと組んで短命に終わった”West、Bruce & Laing”です。Creamの再来と期待されたのですが、レズリー・ウェストが完全に位負けしているのか…レズリー”らしさ”が感じられません。ジャック師匠はやりたい放題(!)。右のLive盤に至ってはギターソロよりベースソロが目立っています。もう1作品ありますが、”耳障りの良い曲”に乏しく空中分解当然と云った感じです。確かこのメンバーで来日のはずが師匠が脱退。急きょマウンテンが再結成して日本公演となってと記憶しています。
とにもかくにも”凄いんだけど一緒には演奏したくないジャック師匠です”…師匠のベース・フレーズはクラッシック的でチェロの演奏のようです。これを大音量でやられるとこうなっちゃいます。随分と学ばせてもらいました(合掌)。

新宿区・赤城神社

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町名的には”新宿区赤城元町”ですが…。牛込の鎮守として信仰された赤城神社は神楽坂散策では立寄りたい神社です。ご祀神は岩筒雄命と赤城姫命。鎌倉時代に群馬の赤城山の麓から牛込早稲田の地に創建され、1555年ごろ現在地に移されます。江戸時代には徳川幕府によって江戸大社の一つとして信仰を集めました。と、歴史のある神社なのですが、現社殿はあまりにも”オシャレ”なのには驚いてしまいます。
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数年前までは鼬でも出そうな鬱蒼とした神社だったのですが、老朽化した社殿の建替えにあたり、神社の土地を三井不動産レジデンシャルが約70年の定期借地権契約を結び、分譲マンションの建設、カフェやギャラリーをを併設して地代や賃貸収入を神社で運営、契約終了後は神社に戻すという運営方法をとりました。氏子も少なく少子化で幼稚園経営も難しいとなると、この方法は”逆転満塁ホームラン的”発想と言えるでしょう(笑)。因みに神社のデザインは、兎さん・熊さんならぬ隈研吾氏です。”どうりで”感が漂います(笑)。
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Pt↓左)スフィンクスではなく狛犬です。これも”くま”の仕業ですかねぇ~。ご希望の方はミニ版が¥2000となっています。
境内社には参考書の旺文社寄贈の”蛍雪天神”や・聖徳太子・徳川家康を合祀する”赤城出世稲荷”があります。
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神楽坂・ラカク

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「なんじゃこりゃ…!」という商業施設が神楽坂にオープンしました。『神楽坂・ラカク』…といっても住所は新宿区神楽坂ではなく矢来町です。東西線の神楽坂駅下車して地上へ出て信号を渡った場所なので「神楽坂」なのでしょうか?すでに胡散臭さが漂います。元々は出版の新潮社の倉庫だったそうですが、倉庫の雰囲気は残っているようないないような(苦笑)。これが”今風”っていうのでしょう。売出し中の若手なんたらが”コンセプトがどうたら”とか”文化の発信”とか言いたいのでしょうが…店内には違和感ばかりが漂います。ざっくりと言えば【無印良品の店にややグレードの高い商品を並べたありがちな雑貨店】…いった感じで笑うしかありません。
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店内のPtは遠慮しましたが、無印良品の店舗似なので想像はつくでしょう。Pt↓中)木製のデッキと思いきやチープな新建材です。九十九里辺りの海の家のようです。Pt↓右)倉庫の面影を残す外壁ですが石綿製でしょうか? 位置座標はなんの意味があるのでしょう?
行った→入ってみたっ→なんじゃこりゃ度は90%でしょう(残10%は業界&マニアうけ)。
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フェンダー(貧乏)ストラト

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一部マニアには”フェンダー(貧乏)ストラトキャスターとして知られる、”Highway 1 Stratocaster”です。2004年版のフェンダー・カタログでは¥102900込となっていますが、実質¥60000以下で購入したと思います。このスモール・ヘッドは不人気で、すぐラージ・ヘッドに変更、あえなく廃版となりました。それもそのはずで”お安くFender・USAが買えます”がウリだったのですが、如何せん安っぽすぎます。極薄ラッカー塗装も塗装の行程を減らしただけ。ペグはクールソンではなくフェンダー・ペグ。ローズ・ネックなのにネックにスカンクがあり、指板も安っぽくなっています。褒められるのはFenderのDNA的出音と腐ってもUSA製という事です。「高いUSAが買えなくてHighway 1か…」と仲間内で馬鹿にされるから使うなと散々いわれたものです。同価格帯で”工業製品”として比べるなら日本製に造りは良いのですが…。やっぱりUSAなんでしょうねぇ(笑)。
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【東京十社】‥王子神社

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北区・王子の地名の由来となっているとされる、王子神社(旧称王子権現)です。東北線等の車窓から神社の杜見がえ「王子稲荷」と間違われますが、稲荷はここから徒歩7分ほど先です。大変に高い格式を持つ神社で中世に熊野信仰の拠点となった神社です。ご祀神は、伊弉諾尊、伊弉册尊、天照大神で相殿に事解男命、速玉之男命となっています。 境内には東京都指定文化財となった大銀杏があり、大正13年の実測で幹は6.36m、高さ19.69mだったそうですが如何せんデーターが古すぎます(!)。王子神社は『東京十社』の一社に数えられています。…東京十社とは、明治初年に明治天皇により定められた東京近郊の10の神社のことを云います。1868年 明治天皇は氷川神社(さいたま市)を勅祭社とし、近郊の主だった神社を准勅祭社と定め、東京の鎮護と万民の安泰を祈る神社としました。この制度自体は時代とともに変遷し、1975年。昭和天皇即位50年の際して、関係神社の協議により「東京十社巡り」が企画され今日に至っています…
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ブートCDの裏通り・22

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これはこれは、エライものが(再)登場したものです(!)。左側が『ピンク・フロイド』が1971.08.06の「箱根アフロディーテ・フェス」の出演した時のモノです。(右側が08.09の大阪フェスティバル・ホール公演で箱根に比べて曲数が多くなっています)。詳しい内容はメーカー・インフォに譲りますが、プラケに添付されたシールも当時のコンサート関連の媒体から持ってくるという芸の細かさを見せています。
8月とはいえ雨上がりの芦ノ湖はやたら寒かったと記憶しています。たまたま大学の行事で近くにおりまして、たまたま見たという事なのですが…。これが後年”伝説のコンサート”になるとは…(苦笑)。ラジオ局(ニッポン放送)主催のコンサートでジャズありフォークあり果ては歌謡曲まで…。いまでは考えられないコンサートでした。メイン・アクトが『ピンク・フロイド』なのですが、3分間ミュージック全盛の当時では”知る人ぞ知る”という感覚だったと思います。それにしても売出し中とはいえ『ピンク・フロイド』が出演をOKしたものです。
芝生に座って山(丘)の上のステージを見上げて…。彼らの登場したのは夜になってからでした。霧がたちこめるステージからチューニングが延々聴こえるのですが、これが長い、とにかく長い。そして1曲目…ずっと「エコーズ」だと思っていたのですが「アトム・ハート・マザー」でした。~演奏中のステージを濃い霧、薄い霧が流れたり、一瞬途切れたり~これ以外の事は殆ど覚えておりません(苦笑)。正直、ピンク・フロイドが何者なのかすら知らずたまたま見たコンサートが”伝説”だなんて…。運が良かっただけでしょう(爆笑)。

ブートCDの裏通り・21

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ひさびさの「ブートCDの裏通り」です。Pt↑)は某CDショップで手に入れたニール・ヤングの2014年のヨーロッパ公演のブツです。当初は右側の2枚購入で頂けるCDRだったのですが、内容&音の良さにプレスCDとして発売されたのが左側です。2014.08.01のノルウェー・ベルゲン公演とあり、当日は激しい雨が降りしきる中で決行されたようで、オープニングに「Be The Rain」が演奏されています。高性能DTM(?)でも消せなかったらしく雨音まで収録されています。 ニール・ヤング…68歳(!)。全く衰えを感じさせません。後ろを務めるクレイジー・ホーズの面々もツアー直前にベースが事情により交代しているのですが、文句なしの”クレイジー・ホース”です。このお方はフォーク、カントリー、ロカビリー、グランジやらなんやら節操もなく演ってしまうのですが、『俺がニール・ヤングだっ。文句あっか?』という感じで押し切ってしまいます。このライブでもギブソン・レスポール・カスタム、P90登載、ビグスビー付き、通称”オールド・ブラック”でニールにしか弾けない”音を外そうと関係ない”というギター・ソロが炸裂(!)。後ろはクレイジー・ホースの面々です。悪いワケなどありません。
=それしにても、ここまで雨が強いとニール達に”感電”の心配がでてくるのですが、よく演ったもんです=

2014 旭山記念公園

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今年の秋ツアーの締めくくりも『旭山記念公園』です。ここ数年はこの季節にこの公園を訪れるのですが、初めて訪れてから40年近くの歳月が過ぎてしまいました。この間に札幌の街の景色も大きく変貌しています。ここから見える景色に高層ホテルは数件だってのですが、現在では札幌駅付近のJRタワーなどさらなる高層ホテルができています。そういえば月寒の札幌ドームもそんなに昔ではなかったような…。 この写真の数日後に初雪が降り、溶けてまた雪が降り白一面の景色に変わっていきます。来年もまたこの季節に来れるといいのですが…。

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同様に、数日前の中島公園の紅葉の景色です。白いホテルは、昔は”アーサー札幌”と称したホテルで今は名前が変わっています。このホテルと同様に経営者が変わって名称の変わったホテルがこの街にはいくらでもあります。ラーメン店も若い新興勢力の店は狸小路に集まり、名所”ラーメン横丁”は外国人御用達になっています。商業の中心もJR札幌駅近辺に移ってしまい、狸小路の”ドンキ・ホーテ”は外国人だらけです(笑)。毎年、毎年訪れる度に変貌している札幌…。次に訪れる時はどのように変貌しているでしょうか?
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Pt↓)は札幌で宿泊した某ビジネス系のチェーン・ホテルの客室です。ホテル名はひかえますが”窓を開けると隣のビルが…”以外は申し分ありません。朝食は中国人にはたまらない”バイキング”で宿泊代に込です。ホテル内に大浴場があり部屋の風呂は未使用です。ビジネス系のチェーン・ホテルでは会員登録での特典やWeb予約割引などが充実しています。こうなると旅行会社の出る幕はありませんね。時代は変わったものです。
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小樽・天狗山の烏

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思い返してみても…雪のない小樽・天狗山は初めてだと思います。小樽駅から20分/車程度、標高は530mほどですが、小樽市街の展望と…例によって北海道三大夜景(函館・藻岩山・天狗山)だそうで…冬はスキー場と北海道ならではの環境は羨ましい限りです。当初は小樽運河付近を訪ねる予定だったのですが、人気の観光地の運河付近は驚くほどの観光バスの群れ(!)、呆れるくらいの中・韓のツアー客でごった返しており街歩きをする気になれません。天狗山ならと思ったのですが、ロープウェイ駅の駐車場には大型観光バスが5台。すべてが中の団体でした。
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こうして街を見下ろすと小樽はそう大きな街でないのが判ります。明治年間には大変に賑わった街で、今でも街のアチコチに石造りの洋館が見られます。『栄枯盛衰』…そうした”うらぶれ感”も小樽の魅力です。 Ptの黒い点は鷲かとおもったのですが、残念カラスでした。
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余市・余市蒸留所…(2)

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[余市・余市蒸留所]…現実的な話ですがニッカウィスキーは2001年にアサヒビール(株)により子会社化され製造・販売はアサヒビールがおこなっています。元々「大日本果汁株式会社」・略して「日果=ニッカ」が余市郡余市町に1934年に設立されたのがニッカウヰスキー株式会社の始まりとなっています。そんな話よりも、この余市蒸留所はNHK・TV「マッサン」効果なんでしょうか賑わっているようです。Pt↑)がJR余市駅からすぐの蒸留所入口です。受付では係りの方が…1)個人での自由見学か案内付きのツアーにするか 2)運転手で来園の方はウィスキー試飲が不可の旨が説明されます。 3)園内の”ドアに開いている施設”はすべて見学OKとなっていました。
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こ蒸留所は現役の施設として稼働しています。当然、工業施設と見学可能エリアは異なるのでしょうが、それにしても広大です。各施設を覗いて、試飲施設のある施設や売店などをゆっくり見て廻ったら2時間程度は必要かと思います。創始者の竹鶴政孝がスコットランドと似た気候風土を求め、豊富な水や労働力を確保できる余市の求めたのは必然だったと云えるのでしょう。
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Pt↓)左木々に遮られて見にくいのですが、緑の屋根が竹鶴夫妻が暮らした家です。その一部は公開されています。 Pt↓中)資料館の内部です。ニッカウィスキーのシンボル・髭のブラック・ニッカのステンドグラスが見えます。 Pt↓右)竹鶴夫妻使用の家具なんかも展示してあります。
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余市・余市蒸留所…(1)

141108_01141108_02札幌までの道すがら余市のニッカウヰスキー工場は寄ってきました。何度も来たことのある工場ですが、これほど大勢の観光客で賑わっているとは正直驚きました。知らなかったのですが、ニッカウヰスキーの創業者竹鶴政孝夫妻をモデルとしたNHK連続テレビ小説「マッサン」なる番組が大人気なんだそうで…(苦笑)。そうなると竹鶴政孝氏がウイスキーづくりのために建設した余市町の「余市蒸溜所」が観光スポットとして注目されるのは至極当然の事です。この工場にはPt右↑)に掲載のように”国の登録有形文化財建造物”がやたらとあり、見て廻るだけでも面白いのですが…、Pt↑右)のように竹鶴夫妻のポスターまであり「観光客、来るなら来い!」と準備万端と言った感じです。
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こちらでは運転者以外の来訪者には無料でウィスキーの試飲ができるのですが、その他にも細やかな配慮があちこちにされており感心させられます。1)試飲会場の入口には車イスが用意されています。 2)広大な敷地の野外を歩くので、樽の中には”傘”が用意されています。ここまでは他社でも見かけますが…。3)入口近くの記念写真撮影スポットにはカメラ用三脚(それもネジ式でなく台)の用意があります。これには感心しました。
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神威岬・積丹岬&温泉

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いつもならデジカメをもって温泉なんて真似は絶対にしませんよ。さすがに平日の開店早々の時間では入浴客は誰もおりません。この景色は、積丹町のHPを覗くと『積丹町産業交流雇用対策推進施設 岬の湯しゃこたん』とえらく長~い名称になっている日帰り温泉施設の”男湯”から撮りました。この施設は丘の上にありPt↑)の露天風呂から右方向に「積丹岬」、左方向に「神威岬」が展望できます。これで入浴料が¥610。天気よし、風も凪、絶景温泉独り占め・・・こんな贅沢な時間があってもいいのでしょうか…?
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Pt↓左)ススキ越しに海、神威岬&ローソク岩。 Pt↓中)紅葉越しに海、積丹岬…パンフによると”夕日の時間”も素晴らしいとの事。間違いなくそうでしょうねぇ(笑) Pt↓右)施設玄関側の全体です。お風呂ばかりでなく、レストラン、休憩室、テラスからもこの景色は見えます。今回もアチコチで日帰り入浴は利用したのですが…。ここ積丹町”岬の湯しゃこたん”だけは特別に掲載しました。 
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強風の神威岬

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前日宿泊の岩内から約2時間、積丹半島へやってきました。ここは札幌からもさほど距離ではないのですが、昔は半島一周の国道が繋がっていなかったり、1996年には岩盤崩落事故の大惨事があったりで負のイメージが強かったようです。神恵内側は多くのトンネルが開通、快適な国道に変貌しています。積丹半島には神威岬と積丹岬の2ヶ所の岬があり、どちらも駐車場から10分程度歩きます。Pt↑)は神威岬です。Ptには写りませんが、とんでもない強風が吹いています。突端までのゲートも閉鎖され立っているのもやっとという感じの日でした。
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左↓)遥か彼方が駐車場です。この後で韓国の団体が押し寄せてきました。 中↓)あまりの強風のためゲートが閉鎖になっています。このゲートは夜間も閉鎖のようです。 右↓)岩内のホテルの窓から遠望した、北海道唯一の”泊村”の原子力発電所です。
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えさし・横山家

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江差の町は歴史のある観光施設や名所が多くあります。江差=江差追分発祥の地=終わりとなりがちですが、なかなかどうして素敵な町でした。Pt↑)は初代からは200年以上も続く横山家の”北海道指定有形文化財・横山家”です。初代は1786年いらいこの江差で漁業、商業、回船問屋を営んでおり、現在の建物は築160年超えとなるそうです。実はこの横山家は蕎麦屋でもあり、名物”鰊そば”とくるのですが…。北海道には所謂”鰊御殿”と称する建物はあちこちにあるのですが、この形式の商家が残っているのは珍しいようです。
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Pt↓)外観から見ても、横に長い建物で入口から帳場、居間と続き、倉が横に並んでいるような感じです。昭和38年に道の文化財指定を受けており、母屋と四番倉にはニシン漁全盛期のころに使用されていた生活用具などが展示してありました。
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えさし・道の駅・開陽丸

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[江差・開陽丸]…
Pt↑)は江差町の「江差町文化センター」施設内に係留(?)されている『開陽丸』です。この軍艦は、幕末期に江戸幕府がオランダに発注して建造した排水量2590㌧、長さ約72.8m、幅約13m、高さ約45m、大砲は26門と当時としては強力な攻撃力を有した軍艦です。明治元年の幕府の崩壊時に、榎本武揚らにより北海道へ脱出したのですが、嵐のため江差沖で沈没しています。この沈没船の遺物を昭和50年から引揚げ作業を開始、平成2年に実物大で復元された「開陽丸・レプリカ」船内に展示してあり、世界でも数少ない海底遺跡となっています(入場料¥500)。
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つまり…。この軍艦はあくまで”復元”です。艦内の展示品はそれなりなのですが、ビックリする様な遺物はありませんでした。開陽丸(1863年・オランダ製)~三笠(1898年・イギリス製)~戦艦大和(1940年・日本製)と僅か80年弱で世界最強の戦艦を建造したのですから驚きです。
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最北の城下町・松前

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[松前・松前城址
]…天守がある城郭では北海道唯一なのでしょう。元々は1600年に陣屋として築かれ、後にロシア艦隊の来航にそなえて北方警備の目的で松前氏の住む館を拡張して、津軽海峡を望む様に階段状に築城されています。江戸時代末期の築城でもあり観光用の城を除けば、日本で最後の築かれた「城」となります。実際には、とても城と呼べる程のシロモノではなく、精々「砦」といった様子です。明治元年の函館戦争時には元新選組の土方歳三が700名ほどを率いて松前城を攻撃、数時間で落城させています。戦うための城ではなく、威厳を見せるための城といった感じす。天守閣を沖合から遠望すると、威風堂々としていたと思われます。
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1941年に天守・本丸御門・塀が当時の国宝に指定されたのですが、1949年の大火事で焼失しています。現松前城は1961年鉄筋コンクリート造りで再建されています。 天守閣内部は松前城資料館となっています。内容的にはチョットなという感じでした。 松前の街並みです。街並みは「最北の城下町」や「小京都」と称されていたそうですが…。エ~ッです(苦笑)。
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北海道・最南端の白神岬

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[松前・
白神岬しらかみみさき)]…ここが”北海道最南端”の岬です。水平線には津軽半島がくっきり見えています。地図で確認しないとピンとこないのですが、位置関係では青森の大間崎よりやや南になります。松前半島の南端で津軽半島・竜飛崎までは僅か19kmしか離れていません。目の前に津軽海峡の海底には青函トンネルがあり、近い将来には東京~函館間を新幹線が走る…。まったく夢のような時代になったものです。…の割には、このPはややもすると見落としてしまうようなPなのです。観光地としてはちょっと扱いが”雑”のような気がしてしまいます。
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Pt左)襟裳岬・黄金道路と酷似しています。海岸線の先は函館方面です。 Pt中)碑には”海底下の列車のひびき聞こえて~略~北海道最南端と刻まれています。 Pt右)2017.04撮影の竜飛崎から白神岬方面です。 
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トラピスト修道院の並木道

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[当別・トラピスト修道院]…
Pt↑)は函館市内から約30㎞。当別という街にあるトラピスト修道院です。函館・湯の川のトラピスチヌ修道院が女性修道士であるのに対し男性修道士が神に祈りを毎日を過ごす場所です。国道から修道院まで続く1kmほどの並木道はCM撮影にもよく使われる場所なので見たことのある方もいるでしょう。なんとまぁ残念な事に路肩の工事作業中となっていました。超広角系のレンズを多用していたので望遠系にはまともな写真がありません。立ち位置から緩い坂道を下りきったところに駐車場があり、さらに坂道を登ると修道院の門となっています。
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Pt左)修道院の入口(?)になるのでしょうか…? Pt中)入口横に小部屋があり、歴史や成り立ちなどの狩猟がが展示してあります Pt右)扉の隙間から撮りました。ここまでは見学可です。  …男性(女人禁制)に限り事前申込みにより見学できるそうです…
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2014 函館の時間…(4)

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[函館・元町公園・朝]…
Pt↑)は元町・基坂からの函館港です。時刻はAM07:30頃、”厚着&甲高声軍団”より5分でも先んじなければなりません(苦笑)。基坂から函館港の眺めは素晴らしく函館・元町では一番好きな場所です(!)。この辺りは明治年間には箱館奉行所や開拓使がおかれ、昭和25年まで道南の行政の中心だった場所です。Pt↓)の”旧函館区公会堂”は明治43年完成の集会場で国の重要文化財です。函館は札幌より遥かに歴史があり、観光的にも食にも恵まれています。それでいて”うらぶれ感”が漂っているのですが、新幹線の延長開通でその雰囲気も一掃されることでしょう。
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この時刻の写真撮影をする物好きはいませんでした。 左)上のPtから50mほど左からの函館の街です。この角度だと砂州状の”くびれ”が良くわかります。中&右)元町公園・箱館奉行所跡・旧函館区公会堂・函館山です。やはり絵になる景色です。
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2014 函館の時間…(3)

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[函館市・トラピスチヌ修道院]…
Pt↑)函館市内から湯の川温泉を経由して函館空港へ向かう途中にトラピスチヌ修道院があります。日本初の女子観想修道院として(明治31年(1898)年に創立され正式には「厳律シトー会天使の聖母トラピスチヌ修道院」となります。現在の聖堂は1927年に再建されたもので、煉瓦壁、半円アーチの窓などゴシックとロマネスクの混在するデザインが印象的です。空港と市内間にあるので久しく訪れませんでした。 修道院の感じが記憶とかなり異っていました。それもそのはず、一般駐車場から修道院への道が完全に付け替えられていました。修道院前庭や売店や院内での生活や修道院の歴史などを紹介した資料館は自由に見学できます。
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これらのPtは開聞時刻のAM08:00頃です。これらの写真を撮り終えたすぐ後、中・韓・その他の観光団がバスで押し寄せてきました。一瞬にして荘厳な修道院の雰囲気がぶち壊される甲高い言語が飛び交います(苦笑)
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