旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2014年12月

フェンダー・62テレキャス

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Fender・Japanの『62テレキャススター』です。購入したのはかなり以前で、いわゆるショップ・オリジナルという特別な仕様となっています。ボディ以外のパーツはほぼUSAという仕上で、ピックアップは”テキサス・スペシャル(USA)を登載です。セレクター、Tone & Vol、ブリッジパーツやコンデンサーまでUSA製に乗せ換えてあります。バインディング付のボディ材はアルダーで塗装は極薄のラッカー塗装です。ベースは日本製の62テレですが、某有名楽器店支店店長の趣味でここまでいじられたモノという振れ込みです。まぁ当然の如く売れませんよねぇ。当時は懐具合に余裕があったので購入してあったものです。出音はテレキャスターというより限りなくストラトキャスターに近くなってしまっています。
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ローズ指板のテレはギター&ボーカル担当の使用例が多いようですね。という事で殆ど出番はありません。処分リストの筆頭なのですが、造りが良い為なんとなく手元にあり続けています。手が加えられたわりには中古市場での評価が低いのが処分できない理由でもありますが…。
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日本橋・福徳神社

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最近、テレビCMでも見かける改装なった『福徳神社』です。三菱系が”三菱地所を見に行こう~♪”と意味不明なCMをしているので、三井系としても”黙って見ていられない”という事なのでしょうかねぇ?創建年代は不明ながら、貞観年間(860年頃))には鎮座していたとされ、源義家・太田道灌など武将の尊崇され、徳川家康・秀忠も参詣に訪れたされるので、それなりの社歴はあるようです。それにしても福徳神社(芽吹神社)とは何か変です。さらにはPT↑)には『芽吹稲荷』の文字も見えます。なんでも2代将軍秀忠が参詣したおり「福徳とはまことにめでたい神号である」と賞賛。この時、社の鳥居に春の若芽の萌えていたのを見て、社の別名を「芽吹神社」としたとありますが、そんなモンなんでしょうか??
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神楽坂の”くまの仕業”と比べると正統派です。社額は「福徳神社」となっています。2016年完成予定の神社と一体になった広場空間の中核を予定しているらしいのですが、再開発なった街並みに街稲荷がポンと残るのは面白いものです。鳥居は三井不動産の奉納です。三井には三囲神社という氏神さんがあるので、いっそ三囲さんを勧請した方がよかったのでは…。
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”お前なぁ”の紙ジャケCD

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『世界初/日本独自企画』というお題目でビートルズ・ステレオ盤SHM-CD・紙ジャケットシリーズとし発売された「アビイ・ロード」です。ブートCDではなく正規盤なのですが、ブートを超えるボッタクリの泥棒商売です。前回のJapan・Boxあたりから怪しさは漂っていたのですが…。ここまで来ると「ビートルズ詐欺」と言ってもよいでしょうね。音は2009年リマスターと変わらずボートラもなし…。封入のオマケも変わり映えしません。価格だけは¥3024税込に値上げです。つまりは日本製の紙ジャケと帯風な外カバーと良くわからないSHMプレスに投資しろという事です。今時、西新宿の皆様方もここまでアコギな真似はしないでしょう。 …(さすがに購入意欲が湧きませんので、撮影用にお借りしました)…
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Pt↓)にモービル盤LPを模したブートCD・紙ジャケ(2㎜程度小さい)を並べました。実はこちらの方がアナログLPの音に近いのですが…。 裏カバーに16作品の写真があります。という事は…マジカル、アビイ・ロード、レット・イット・ビー、パスト・マスターズ、赤盤&青盤が正規紙ジャケで初登場となるのでしょう。 残念ながら頭の2枚はイギリス盤ジャケです。いずれ発売されるのでしょうね(笑)
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フェンダー・エスクワイア

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Made In Mexicoの”フェンダー・エスクワイア”です。購入価格は忘れてしまいましたが2014年カタログでは125000円になっています。20%offとしても、今なら絶対に購入しておりません(苦笑)。 この”エスクワイア”がFender社の最初期のギターで、後に2ピックアップに増設され”ブロード・キャスター”となり、この名称が権利関係で使用できず”テレ・キャスター”と改称されました。 Ptのように1ピック・アップですが、大物の方々にはフロントを増設して2ピック・アップに改造している方が多々おります。それなら最初からテレ買えよって話なのですが…。
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1ピック・アップに3Wayスイッチ…。トーン回路が固定されたり変わったりのセレクターなのですが、”あの音”以外は使わないのでほぼ固定です。切り裂くようなテレ独特の音はしっかりでますが、レスポールJrに通ずる1ピック・アップの潔さがエスクワイアの売りでしょう。
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日枝神社日本橋摂社

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中央区日本橋茅場町の『日枝神社日本橋摂社』です。周囲をビルに囲まれていて、この神社を目的で出かけてら探すのに苦労すると思います。反面ビル街にひっそり鎮座する神社に出くわすのも楽しみと言えば楽しみです(笑)。さて、こちらの神社は天正18年(1590)の創建とあり、寛永年間(1630年前後)に「山王日枝神社」祭礼時のお神輿の休憩地”御旅所”と定められ境外摂社となっています。 明治10年にそれまで”御旅所山王宮”という名称から”無格社日枝神社”と改称、大正4年には「山王日枝神社」の官幣大社に昇格に際して『摂社日枝神社』と改称しています。社殿は関東大震災後の昭和3年の造営。境内には明徳稲荷神社があるのですが…。摂社内に摂社という微妙な関係となっています。
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左)ビル間の奥まった場所に神社が鎮座したいます。 中)お神輿の休憩所として神社が造られたとは…。山王祭りの規模はそれほど大きかったのでしょう。 右)明徳稲荷大明神です。場所柄、証券会社の石柱が目に付きます。
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【東京十社】‥品川神社

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東京十社、品川区北品川にある『品川神社(しながわじんじゃ)』です。後鳥羽天皇の御世、文治三年(1187年)に、源頼朝が海上交通安全と、祈願成就の守護神として、安房国の洲崎明神である、天比理乃命(あめのひりのめのみこと)を勧請して品川大明神と称し後に品川神社と改めました。明治5年(1872年)郷社に、昭和50年には東京十社になっています。東海七福神の1社として大黒天が祀られ鳥居脇には大黒天の像があります。京浜急行「新番場駅」下車、第一京浜沿いに一の鳥居が見えます。石段を登る途中には「富士塚」がありますが傾斜がかなり急です。一の鳥居は登り竜、下り竜の彫刻が施してある珍しい造りとなっています。江戸時代は徳川家の庇護をうけ、宝物蔵では「葵のご紋」が施されたお神輿などが収蔵されています。江戸時代この辺りの東海道は海沿だったのですが、今は当時の面影を全く感じることはできません。
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下左)京急新馬場駅前第一京浜沿いに鳥居が見えます。珍しい鳥居なので一見の価値があります。
下中)急な階段を上ると本殿までは意外と広いスペースで、境内社が数社並んでいます。
下左)神社隣ですが、板垣退助の墓所があり、例の「板垣死すとも~」を刻んだ碑が建てられています。
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【東京十社】‥亀戸天神社

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東京十社の『亀戸天神社』は通称亀戸天神・亀戸天満宮・東宰府天満宮等とも呼ばれています。ご祀神は学問の神様として親しまれる”菅原道真公”です。受験シーズンには道真公の加護を求めて訪れる受験生も数多く訪れるので有名な神社です。江戸の正保年間(1644年頃)菅原道真の末裔であった九州の大宰府天満宮の神官・菅原大鳥居信祐により、1661年に江戸の本所亀戸村に元々あった天神の小祠に天神像を奉祀したのが始まりとされるそうです。4代将軍家綱により振袖火事からの江戸復興事業の地として幕府より土地が寄進され、社殿・桜門・回廊・心字池・太鼓橋などが太宰天満宮に倣い造営されています。 1月の「鷽替神事」、2,3月の「梅まつり」、4月下旬の「藤まつり」、秋の「菊まつり」など季節を変えての花に関する「まつり」の多い神社です。
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左)2011年2月の撮影です。東京スカイツリーが建設中でした。
中)一の鳥居脇に「新東京八名勝・亀戸天神」の石碑がありました。”新東京八名勝”とはなんでしょう?
右)季節がら藤棚は冬枯れ真っ最中です(笑)。本家大宰府天満宮はここまで造園されてなかったような…。
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旧弾正橋(八幡橋)

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富岡八幡宮のすぐ裏手、八幡堀遊歩道にかかる『八幡橋』があります。元々は現中央区宝町の楓川にあったもので、江戸時代には”島田弾正”の屋敷があったため「弾正橋」と呼ばれました。後に新しく「弾正橋」が架橋され、こちらは「元弾正橋」と改称しています。大正12年の関東大震災での帝都復興事業で廃橋となりますが、現在地へ移され名称も富岡八幡宮にちなんで『八幡橋』となっています。橋自体は明治11年に工部省赤羽分局により制作・架橋されたもので、日本最古の”鉄橋”として国の"重要文化財”に指定されています。
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移設当時は橋下は八幡堀という河川でしたが、埋め立てられて現在のような人道陸橋となっています。昭和52年に国の重要文化財に指され、平成元年には日本ではじめて”アメリカ土木学会”により…(そんなのあるんですねぇ)…「土木学会栄誉賞」が贈られているそうです。141208_00141208_02141208_03

【東京十社】‥富岡八幡宮

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江東区富岡の『富岡八幡宮』です。深川八幡とも称され、東京都最大の八幡神社として知られています。江戸・寛永年間に深川の干拓工事が難航したため、建久年間に源頼朝が現横浜市富岡に勧請した「富岡八幡宮」を分霊したとのが創建のようです。八幡様となれば祀神は”応神天皇”です。徳川時代は将軍家の保護を受け、名所としてしられた広大な庭園は江戸庶民にも人気で「深川の八幡様」として親しまれたそうです。また、大相撲発祥の地とされ、境内裏手には「横綱力士碑」「力持碑」など多くの相撲関連の石碑などがあります。鳥居脇の江戸時代の測量家である「伊能忠敬の像」は、忠敬が深川界隈に住居を構え測量の旅に出かける際は安全祈願のためにに必ず参拝に来ていたことから、2001年に境内に銅像が建立されています。
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社殿は1683年に火災により焼失。元禄年間には地震により損壊。1923年の関東大震災でも損壊。さらに空襲でも被害を受けるなど繰り返し、現在の社殿は1956年(昭和31年)に造られた鉄筋コンクリートの「重層型準八萬造り」となっています。Pt↑)八幡宮の社額です。この鳥居は銅製と思われますが、上部が”屋根付き”となっています。なんという形式なのでしょうか?
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左)伊能忠敬銅像は鳥居を入ってすぐ左にあります。 中)同右には「大関力士碑」があります。 右)本殿裏手にある「横綱力士碑」です。71代「鶴竜力三郎」までの横綱名が刻まれています。
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【東京十社】…神田神社

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千代田区外神田2丁目の『神田神社』は…つい「神田明神」と云ってしまうのですが…神田・日本橋・秋葉原・大手町・丸の内・旧神田市場・築地魚市場など広範囲の町会の総氏神様です。730年頃に出雲系の氏族が「大己貴命」を祀ったのが創建とされ、935年頃には逆臣の「平将門」の首が近くに葬られたとういう伝承から東国の武将の崇敬を受けています。江戸城拡充に伴い現在地に移り”江戸総鎮守”として尊崇され、祭の山車が江戸城中に入り将軍が見物したことから、祭は「天下祭」or「江戸三大祭り」として知られています。江戸初期に豪華な社殿が造営され関東大震災により焼失、その後再建されています。江戸時代には「神田明神」と、明治に入って社号が「神田神社」に改められています。1874年の明治天皇の行幸にあたり、逆臣である平将門が祀られているのはマズイとの事から平将門が祭神から一時外され、1984年に祭神にめでたく復帰しています。 野村胡堂の「銭形平次捕物控」では平次親分が神田明神下に住んでいたという設定から、敷地内の本殿右手横に「銭形平次の碑」がありますが…。なんでこんな馬鹿な事をするのでしょうか…?
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【東京十社】‥赤坂日枝神社

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千代田区永田町の東京十社・赤坂日枝神社(ひえじんじゃ)です。Pt↑)”山王鳥居”と呼ばれる明神鳥居に三角形の屋根が乗った形をしており「山王信仰」の特徴です。江戸三大祭の一つ”山王祭”が行われる神社として知られ、大山咋神(おほやまくひのかみ)が主祭神、相殿に国常立神(くにのとこたちのかみ)、伊弉冉神(いざなみのかみ)、足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)が祀られています。太田道灌が江戸城築城にあたり、川越の無量寿寺(現喜多院)の鎮守である川越日枝神社を勧請したのが始まりとされます。徳川家康は城内の紅葉山に遷座、江戸城の鎮守としました。2代秀忠による江戸城改築の際、社地を江戸城外の麹町隼町に遷座し、明暦の大火(1657年)により社殿を焼失したため、将軍家綱により現在の赤坂の地に遷座し、
明治元年1月の東京奠都の際に准勅祭社に指定、大正元年には官幣大社に昇格しています。現神社は1945年の東京大空襲で社殿が焼失し1958年に再建された社殿です。
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以前は溜池側からは急階段を登ったのですが、現在はEVが設置され楽々になっています。度々ですが、神社の神門(本殿側から)がVenturesのLPジャケットに使われています。別の入口の鳥居も”山王鳥居”となっています。
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皇居乾通り公開 2014 秋…(2)

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秋季皇居乾通り一般公開が12/7(日)終了しました。公式の参観者は5日間の合計で349,500名(12/3=57,490 12/4=42,600 12/5=85,730 12/6=78,700 12/7=84,980)だそうです。という事は…春季乾通りが385,060人でしたから若干下回ったようです。なんのかんのでほぼ皆勤だったのですが、春の記憶が生々しく正直ビビッツていました。いざ行事が始まると、最寄りの駅から交差点・信号毎に警官や案内板が配置され案内誘導がなされていました。前回の大ネックだった手荷物検査&ボディ・チェックもその位置をずらし、女性の担当官を増員するなどの人員配置がされていました。兎にも角にも今回は警視庁の気合いの入り方が違っていましたね。前回でよほどボロクソに言われたんでしょうねぇ(笑)。そんなことで気分的には楽々という感じです。なにせ春に比べると今回は『待たされた感』がなかったようでう。
警視庁並びに皇宮警察は職務としても、5日間も仕事にならず休日出勤までした宮内庁職員の皆様もお疲れ様でした。しかしながら、ここまで経費・人件費を支出してしまうとなると、来春以降はあるんでしょうかねぇ?

皇居乾通り公開 2014 秋

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昨日、今日と「秋の皇居乾通り一般公開」へ行ってきました。昨日は雨模様という事もあり列最後尾から一度も立ち止まることなく記録的に短時間で坂下門からの入場となりました(!)。天候も良い今日は、昨日の反動での大々混雑を予想していたのですが…。さすがに宮内庁庁舎から乾通りは多くの人、人、人ですが、思いのほか順調に参観できました(苦笑)。関係各位も春の大失態ともいえる運営を反省したのでしょうねぇ。今回は警視庁も皇宮警察も参観者をスムースに誘導する作戦を創意工夫したようです。  *列の最後尾が桜田門(内側)付近に設定されています。東京駅下車で歩くより、JR有楽町orメトロ桜田門下車で二重橋方向を目指した方が列により早く並べます。西桔橋~乾門の渋滞が酷いようなので、西桔橋~狐坂~天守台跡の方が歩きやすいようです。二の丸庭園の武蔵野の原風景=懐かしさが漂います。
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個人的な感想ですが。春の桜の通り抜けに比べ格段に見ごたえがあります。「桜」は上野公園的なイメージで行くと肩透かしとなりますが、紅葉は遠目がきき、色合いの様々なコントラストが見られます。本丸跡の東御苑にも紅葉の美しい場所や庭園があり、秋の方が見所が盛りだくさんといった感じです。日程は土・日とあと2日間です。天候さえ良ければ今日にもまして大々々混雑になるのでしょうねぇ(笑)
*トイレ難民にならないよう要注意です!2時間弱は無理と覚悟しましょう。 当然ですが”自販機”はありません。
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左)紅葉の名所なのですが「山下通り」です。”紅葉の盛り”は過ぎてしまったようです。
中)西桔橋(にしはねばし)からの蓮池濠です。冬枯れで手入れしていなのは”わざと”です。
左)西桔橋から狐坂を登ったところの石垣です。珍しいごく初期の”打ち込みはぎ”のようです。
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【東京十社】‥根津神社(根津権現)

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文京区根津にある根津神社(ねづじんじゃ)です。明治初期の神仏分離の際に「権現」の名称が禁止となりましたが、地元では今でも「権現様」や「根津権現」と呼ばれているようです。創建は古く1900年近く前に『日本武尊』がに創祀したと伝えられ、文明年間に『太田道灌』により社殿が創られ、江戸時代になり現在地に移転しています。社殿は1706年の創建で、1705年徳川5代将軍・徳川綱吉が養嗣子6代将軍家宣のために屋敷地を献納して天下普請しもので、権現造(本殿、幣殿、拝殿を構造的に一体に造る)の傑作とされ、社殿7棟が国の重要文化財に指定されています。現存する社殿も江戸時代の権現造りです。正面から見ると構造が判りにくいのですが、朱の鳥居が林立する境内社の「乙女稲荷社」の舞台からみると権現造りの配置がよくわかります。
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神社の隣が東京大学です。大学が移転してくる前は門前に「根津遊郭」があり、移転に伴い洲崎に強制移転となっています。 根津神社は”躑躅の名所”として知られていますが、この季節の銀杏も見事です。
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