文京区千駄木1丁目(東京メトロ千代田線、千駄木駅徒歩5分)の『森鴎外記念館』です。この記念館は1892(明治25)年から60歳で亡くなる1922(大正11)年まで30年間暮らした「観潮楼」の跡地で、実質2年間住んだ某旅館とは違います。この地で小説家、戯曲家、評論家、翻訳家、陸軍軍医とはば広く活躍したという事です。それにしても「観潮楼」の名前にあるように、当時はここから”海が見えた”とは…。信じられない思いです。
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記念館のパンフには、筆名「鴎外」の由来があります。曰く…本名の森林太郎のほか、鴎外・鴎外漁史・千朶山房主人・観潮楼主人・陰流・帰休庵など30以上のペンネームと使い分けしました。鴎外の名は千住に存在した「かもめの渡し」に由来とする説があるそうです。「かもめの渡し」は吉原を指す名称でもあり、遊興の地に近寄らす、遠くはなれて千住のにいるとの意味が込められているようです。この情報だけでも¥300(入館料)の価値はあります。
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区立の記念館となると予算の関係もあり、刊行物や本人の遺品や写真でお茶を濁す施設が多いのですが、リニューアルされた森鴎外記念館は、建物からして気合いの入り方が違うようです。なにより学芸員の説明がしっかりしていました。
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記念館のパンフには、筆名「鴎外」の由来があります。曰く…本名の森林太郎のほか、鴎外・鴎外漁史・千朶山房主人・観潮楼主人・陰流・帰休庵など30以上のペンネームと使い分けしました。鴎外の名は千住に存在した「かもめの渡し」に由来とする説があるそうです。「かもめの渡し」は吉原を指す名称でもあり、遊興の地に近寄らす、遠くはなれて千住のにいるとの意味が込められているようです。この情報だけでも¥300(入館料)の価値はあります。
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区立の記念館となると予算の関係もあり、刊行物や本人の遺品や写真でお茶を濁す施設が多いのですが、リニューアルされた森鴎外記念館は、建物からして気合いの入り方が違うようです。なにより学芸員の説明がしっかりしていました。