旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2015年04月

マッカ At 武道館

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♪スポーツ・アリーナのスタンド席に座ってショーが始まるのを待っている 赤いライト、緑のライト、苺のワインも… ♪ 
東京メトロ九段下駅から武道館へ歩いて行きます。声をかけてくるのはダ●屋の皆さん方(苦笑) それにしてもアリーナで10万円とは(!)。単独コンサートで10万円取れるのはPaul御大くらいでしょうが…。てな事を思っていると、参加席と称する2万円の席が16:00から販売との情報が…。さすがPaul御大、いつもながら商売の上手な事です。普通に考えれば、前回のツアーキャンセルで生じた膨大な赤字の埋め合わせの今回なんでしょう。それを”リベンジ・ツアー”と言いきってしまうのは流石に商売人です。
Pt↑)で並んでいる方々は、ツアー・グッズ購入列です。1時間以上ならんでテントに到達してもたいしたブツはなく(前回のキャンセル騒動の不良在庫ってことなないでしょうが…) Tシャツなんか買ってもしょ~もないし。ファンならオフィシャルCDは揃えているだろし。
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正直Paul御大のバンドは上手過ぎてバンド演奏としての面白みを感じません。「武道館」は特別な選曲なんでしょうかねぇ。まぁ期待はできませんが…。2週間もすれば西新宿に高音質ブートが続々と登場するでしょうねぇ(笑) 全部買っても10万円覚悟なら充分にお釣りがきます。
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旧江戸城・田安門

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九段坂方面から北の丸公園や日本武道館の入口なっている『旧江戸城・田安門』は、寛永13年(1636)に造られ、現存する旧江戸城建築遺構のうちで最古といわれ国の重要文化財となっています。この近辺は,古くは「田安口」または「飯田口」と呼ばれ”田安大明神”があったので門名となったようです。江戸城経営後は北丸と称し、代官屋敷や春日局や英勝院の屋敷などもこのあたりでした。のちに8代将軍吉宗は、ここに一家を創立して田安家を興しています。田安門・渡櫓門の武道館側に西南戦争に出征し戦死した警視隊員の「弥生慰霊堂」への石段があります。特に立ち入り禁止ではないようです。Pt↑)はこの場所からで、枡形門(高麗門と渡櫓門)の構造が良くわかります。またこの地は昭和5年3月に関東大震災後の東京の復興模様を昭和天皇がご覧になった場所でもあります。
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芝・増上寺…(参)

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何でも”墓参ラー”なる人種が存在し、歴史上の人物や有名人の墓所をお参りして廻るということですが…理解不能です(!) 増上寺・徳川家霊廟など安定人気なのでしょうか(?)増上寺には徳川将軍のうち2代秀忠公、6代家宣公、7代家継公、9代家重公、12代家慶公、14代家茂公の6名の将軍が葬られ、秀忠公夫人の崇源院殿(お江)や家茂夫人の静寛院(和宮)や5代綱吉公の生母・桂昌院他が葬られています。
徳川家霊廟がこんなコンパクトな訳などはなく、現東京プリンスホテルの広大な敷地を有していました。空襲による霊廟の焼失、戦後の荒廃をへて現在の場所の集められています。”西武・プリンス”の没落も将軍の呪いなのかも知れません。数年前までは、4月の数日間の限定公開(無料)だったのですが、TVドラマの放映で半年間(有料)となり現在も期日限定の公開(有料)となっています。
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Pt↑)の門は旧国宝の「鋳抜門」で6代家宣公(文昭院殿)霊廟の宝塔前『中門』であったものです。左右”葵紋”と昇り龍・下り龍が鋳抜されています。この門の左側に料金所と拝観入口が増設されました。
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芝・増上寺…(弐)

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浄土宗に寺院である「増上寺」は、山号を「三縁山」と称し「三縁山広度院増上寺(さんえんざんこうどいんぞうじょうじ)」が正式な名称です。徳川家康の江戸入府の際に「増上寺」の前を通りかかり、寺の上人と親しくなったとのが徳川家の菩提寺となったきっかけの伝承だそうですが…。”伝承”でしょう(苦笑)。増上寺の前身の寺は現紀尾井町あたりにあり、後に日比谷を経て慶長3年(1598)に現在地の移転、風水的に寛永寺を鬼門の上野に置き、増上寺を裏鬼門の芝に配した形になっています。
Pt↑)は、室町時代の阿弥陀如来、脇仏に法然上人像、善導大師像が祀られる「大殿」です。曇り空が残念ですが、三解脱門から見る東京タワーを配した大殿は、これぞ”東京”です。Pt↓)は「三解脱門」です。元和8年(1622)の建立とされ、空襲を免れた重要文化財の建物です。この門をくぐることにより3つの煩悩を解脱できるとされています。浜松町駅寄りの「大門」は、増上寺の総門で。現在の門は昭和12年に作られた、コンクリート造です。「大門」自体が、増上寺の管理ではなく、都の管理で在る事が判明し、その責任分担が問題となっているそうです。
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芝・増上寺…(壱)

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今年、平成27年は徳川家康没後400年ということで、「ドサクサ企画」も含め様々なイベントが予定されているようです。
徳川将軍家の菩提寺・増上寺では本堂地階に宝物展示室を造り、英国ロイヤルコレクションより里帰りした「台徳院殿霊廟模型」が4月2日より展示されています。『台徳院殿』とは2代秀忠のことで、その霊廟は、3代将軍家光により1632年(寛永9年)境内南側に造営された壮大な建築群だったようです。残念ながら昭和20年の東京空襲より焼失してしまいました。今回里帰り展示された霊廟模型は、1910年(明治43年)ロンドンでの博覧会に東京市の展示物として出品され、終了後に英国王室へ贈呈された10分の1のスケールの模型です。製作は、古宇田実教授(建築)、高村光雲教授(彫刻)の監修により、現東京芸術大学が最高の技術をもって忠実に再現したものです。
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館内は撮影不可なのでPtはありません(苦笑)。”忠実に再現した模型”として細部まで素晴らしい造作がなされて見事な作品です。ただですねぇ~。大仰な展示室の割には他の展示品が弱いと思われます。増上寺所蔵の「五百羅漢図」なのは素晴らしいのですが…。これで”増上寺宝物展示室”の入館料が¥700とお高く、裏手の”徳川家霊廟”とセット料金で¥1000(¥200割引)。まぁお布施と思えばこんなもんでしょうか?
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重文・日本橋タカシマ屋

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日本橋のタカシマ屋隣では新館を立て直す工事が行われています。高橋貞太郎の設計によるタカシマ屋日本橋店本館は、平成18年には「東京都選定歴史的建造物」に指定、平成21年には百貨店として初めて「国の重要文化財」に指定された建造物です。Pt↑)で見られるように増築に増築を重ねた建物にもかかわらず、何れもが名うての建築家が担当しトータルとしてバランスが取れているというのが指定事由なのですが、重文指定により現建物の建て替えが困難になってしまいました。その代替えとして新館の立直しとなったようです。 手前に工事フェンスがあるものの、今ならではの景色が見られます。この外壁の”継ぎはぎ感”を見て『トータル・バランスが取れている』と大上段に構えられても…ねぇ。中央屋上に”象さん型”の構造物が見えます。昭和30年代には屋上で象(花子)が飼われていたそうで、その名残りなのでしょうか?
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やはり正面側(左)やさくら通り側(中)からの方がしっくりきます。Pt↑)の姿も工事の進捗で見られなくなります。
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飛鳥山・兜稲荷社

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"春に3日の晴間なし”とは良く言ったもので、晴の日、雨の日がオセロ状態になっています。桜の季節も過ぎ、王子・飛鳥山は静かな公園へ戻りました。この公園内には公益法人渋沢栄一記念財団が運営する「渋沢資料館」と大正期の建造で渋沢栄一の旧宅、重要文化財指定の晩香廬(ばんこうろ)と青淵文庫(せいえんぶんこ) があります。青淵文庫は渋沢栄一の傘寿と子爵になったお祝いに贈られた鉄筋コンクリート造2階建ての書庫で、外壁は石貼り、庭に面した窓はステンドガラスで飾られて、建物内部1階は床面チーク材張りの閲覧室、2階は書庫となっていました。
青淵文庫の裏手の目立たない場所に、Pt↑)の「兜稲荷社」が「跡」として朽ち果てた感で残っています。元は日本橋兜町の第一銀行構内にあり、明治30年の第一銀行改築時に現在地に移築されたものです。老巧化により昭和41年に取り壊されましたが、日本橋・兜神社で触れたように、三井家の守護神を向島・三囲神社から分霊、勧請した神社ですから、この朽ち果て放置された状態はいかがなものなのでしょうか…?
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桜・国立博物館庭園

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上野国立博物館では3月17日(火)~4月19日(日) 10:00~16:00の日程で「博物館でお花見を」と題して、博物館の本館北側に広がる庭園の”春の庭園解放”されています。入館料は通常展と同じ金額(大人¥630)が必要ですが、このお庭は元々寛永寺の根本中堂の庭だったと思われ、池を廻ってお茶室が配され数種類の桜花(説明によるとソメイヨシノ・オオシマザクラ・ショウフクジザクラ・枝垂れのエドヒガンザクラ・、緑がかったギョイコウザクラなど10数種)が咲いています。上野公園となると広小路側の桜通路=花見のメッカが有名ですが、今年は忌々しい中国人・韓国人が大挙して押し寄せています。連中はだいたいが入場料の必要な場所には近寄りませんから、この博物館北庭は穴場と云えると思います。 (Pt↑。これでは”何処”と特定できませんが、間違いなく北庭で撮影しています)
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上野・黒田記念館

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Pt↑)は黒田清輝筆の『湖畔』です。実物です。フラッシュ無しなら撮影可でした。隠し撮りではありません(笑)。2015年1月2日に上野・黒田記念館がリニューアル・オープンオープンしました。今までは、週のうちの特定日の限定公開だったのですが、今回のリニューアルで、以降は東京国立博物館と同様週6日(原則)の公開となりました。また嬉しい事に、現在は彼の代表作が「特別展」として新年・春・で各2週間、無料公開されます。因みに今春の公開は4/5(日)までとなっています。↑の『湖畔』は明治30年(1897)の作品で重要文化財です。
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続いては、『智・感・情』の三部作。明治32年(1899)の作品です。他の特別展としては『舞子』・明治26年(1893)・重要文化財や明治24年(1891)の作品『読書』が展示してあります。驚いてしまうのは、これだけのビック・ネーム作品が柵もアクリル板も無しで目の前にデンと展示したあります。思わず「いいんかぃ?」と呟いてしまいました。
日本近代洋画の父・黒田清輝は、亡くなる際、自身の遺産を美術の奨励事業に役立てるよう遺言しました。その遺言により昭和3年(1928)年に竣工したのが「黒田記念館」です。記念館の設計者は、当時の東京美術学校教授の岡田信一郎氏(1883-1932)、前歌舞伎座・ 明治生命館・関東大震災後のニコライ堂再建など数々の作品群で知られています。この建物は、中世ヨーロッパの 貴族の館をイメージしたと云われています。
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