旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2015年06月

北区・王子稲荷神社

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この『王子稲荷神社』は、大晦日の夜に諸国のキツネ達が神社近くの”榎”の下で装束を整え『王子稲荷神社』に初詣するという伝承で有名です。創建は平安時代以前とされる古社で、ご祀神は「宇迦之御魂神」・「宇気母智之神」・「和久産巣日神」が祀られています。関東稲荷総社…【この”関東”とは東北も含めての東国三十三国をさします】…の格式を持つとされています。関東を治めた北条氏、そして徳川氏からは社格200石という江戸市中の他の神社にくらべても破格の扱いを受けています。江戸市民からも神社一番人気を続けたそうで、歌川広重の「名所江戸百景」にも「王子装束ゑの木大晦日の狐火」はよく知られています。 王子稲荷社は幼稚園を併設しているため、平日は幼稚園わきの坂道から入ります。本殿からさらに右奥に進むと、江戸時代から伝わる「願掛け石」があります。さらに奥にある「狐の穴跡」は、落語「王子の狐」の舞台にもなっています。
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北区・名主の滝公園

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王子稲荷神社の先100mほどの「名主の滝公園」です。武蔵野台地の突端の王子近辺にはかって「王子七滝」と称する7つの滝があったそうですが、この「名主の滝」だけが現存する唯一の滝となっていますす。「名主の滝公園」は8mの落差の男滝(おだき)を中心として女滝(めだき)・独鈷の滝(どっこのたき)・湧玉の滝(ゆうぎょくのたき)の4つの滝とケヤキ・エノキ・シイ、そしてヤマモミジが植えられた回遊式庭園となっています。江戸・安政年間にこの近辺の名主だった「畑野孫八」が開いたのが始まりで“名主の滝”の名前のこれに由来します。、明治の中頃に、貿易商の垣内徳三郎の所有となり、塩原(栃木県)の景に模して庭石を入れ、楓を植え、渓流をつくり、奥深い谷のある趣のある庭園として整備ました。その後個人や企業のの所有をへて、昭和35年から東京都により公開されています。台地の斜面に造成された”回遊式庭園”なのですが、思いの外高低差があり落差8m程の「男滝」でも水量が豊富でなかなかの景観です。現在は「区立公園」となっており”桜やもみじ、野鳥や夏の蛍の観察会など、四季折々の自然が楽しめます”とありますが…。 ★入園は無料。09:00~17:00 (7/15~9/15は09:00~18:00)
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ブートCDの裏通り・29

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5月の後半から『RS- 'ZIP CODE' Tour』というタイトルでThe Rolling Stonesの最新ツアーが行われていますが、合わせるように過去の映像やら音源がオフィシャル盤として発売されています。Stonesファンであれば誰もが、彼らの全盛期は細身のミック・ティラー在籍の1973年で異存はないと思います。1973年秋のヨーロッパ・ツアーのブート『Nasty Music』とその関連音源は、アナログ~CD時代と繰り返し再発されて来ました。♪ハラヒレハレホレ~♪と飛びまわるミック・ティラーのギターはなんと形容すればよいやら(!)。ワッツのドラムは恐ろしくタイトです。キースがまともに歌っています。ビリー・プレストン(聴こえませんが)やホーン隊は大活躍です(笑)。コンピューターに同調させた懐メロショー的バンドとはエライ違いです。
Pt↑)は、問答無用の”Nastyとその仲間達”です。これらがその時代、時代で最高のブートでした(笑)。
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それがとうとうこの日が来てしまいました(笑)。2012年にストーンズから正式にネット配信された『The Brussels Affair』がブートで登場しましたが、このたび正規盤で発売(日本限定)されてしまいました。当然購入しましたが…。これねぇ、なんだか違和感があるんですよねぇ。音が、音像が整いすぎているんですよねぇ。表現は微妙ですが高校時代の交際相手が超美人になって表れたような気がします(苦笑)。超美人はいいのですが…。なんと言ったらよいのやら…。長くブートを聴いているとこういう感覚になりがちです。モノラル・ダンゴ音の魅力とでもいうのでしょうか…?

マッカ祭り 2015…(終)

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戦い済んで日が暮れて…手元には来日公演の同じ様なCDが残りました。掲載のPtは日本公演の内、4/28の武道館公演(だけの)ブート数々です。毎度ながら笑えますが、いったい何人の方々が会場で息を殺してデジベルメーターを見ていたのでしょうか(?)。この武道館公演は主催者側の作戦にファンがうまうま乗せられたという構図なんですねっ。御大自身に”武道館”への思い入れがなんかある訳ありません。せいぜい”昔、ここで演ったなぁ”程度でしょうね。それでも御大はプロ中のプロですから”帰ってきたョ武道館”と云えばうけるのは百も承知です。アリーナが10万円、座席指定が抽選。コンサートの常識を外れていますね。ストーンズの武道館公演はここまでやりましたっけ(?)。仕掛ける主催者、煽るマスコミ、仕掛けにはまって踊らされるファン達といった構図です。妙なストーリを作りあげて10万円チケットを正当化しようという作戦だったのでしょうねっ。
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 Ptは4/28のコンサートだけの音源CD、リハの模様だけのCD音源、その両方を含むCD音源の数々です。録音者と器材が違うので音の印象が異なります。どれが良いかは”好み問題”としか云いようがありません。Pt↓)1は某店舗で購入特典で頂ける4/28公演のCDRです。各々音源が異なるということですが、どれもが一昔前なら”驚愕の音質”で売られたレベルの内容です。2はプレゼント用に購入。3は”飽きたからやる”の貰い物などです。新宿某所でのマッカ祭はこの後も続いていますがが…。もう息切れです(笑)
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本郷・かねやす

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本郷3丁目の交差点に『本郷もかねやすまでは江戸の内』と江戸川柳で有名なお店があります。江戸・享保年間(1716頃)、兼康祐悦という歯科医が”乳香散”という歯磨き粉を販売した店だそうです。享保15年(1730)の大火で付近一帯が焼失し復興を担当した奉行・大岡越前守は、「かねやす」を境に南側の家屋には土蔵造りや瓦屋根を奨励し、北側は従来の板や茅ぶきの造りのとする命をだしています。このため捕物帳的時代劇にでてくる「江戸所は払いを命ずる」の江戸の境界とは異なりますが、土蔵造りの「かねやす」までが江戸の北限として一般的な認識となり前述の川柳が生まれています。「かねやす」は移転することもなく、現在まで400年も同じ店舗が同じ場所にあるという稀有な事例となっています。
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本郷通りを「かねやす」から40mほど「別れの橋跡・見送り坂と見返り坂」の碑があります。太田道灌時代の領地の境目で、江戸を追放された者はこの橋で放たれ、親類縁者は南側で見送り=「見送り坂」。追放された者は 振り返りながら去る=「見返り坂」といわれたそうです。
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漱石・猫の家

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塀の上からこちらを覗う猫!”怪しい者ではありませんよ。漱石先生の住居跡を見に来ただけです”。文京区向丘2-20-7 日本医科大学同窓会館にある文豪夏目漱石(1867~1916)の旧居跡です。とても立派な石碑で、碑文が鎌倉漱石会、題字が川端康成書となっています。文京区教育委員会の案内板もあり”区指定史跡”としては某女子とは格差を感じてしまいます。漱石先生はイギリスから帰国後の明治36年から3年間住み、東京大学英文科・第一高等学校の講師の職に就く一方、この旧居を舞台とする『我輩は猫である』を執筆し『倫敦塔』『坊ちゃん』『草枕』等をこの家で次々に発表しています。この時代漱石先生は”オカルト的なモノ”にハマり『我輩は~』にもテレパシーや催眠術を話題にしているそうですが…気が付きませんでした。年代こそ違え森鴎外も一時この家に住んでいたそうで、この家自体は犬山市の「明治村」に移築されています。
ようやく”文豪の史跡”の体をなしてきましたが、文京区施設としては『森鴎外記念館』がこの上をいきます(笑)
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本郷・樋口一葉の疑

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樋口一葉が5000円札の肖像に選ばれたのは偽造しにくい著名人(できれば女性)というのが主たる理由で、それ以上の理由はありません。いつもの事ですが…芸術家はその作品でのみ評価されるべきで、何処で生まれ、暮らし、死んだ等はどうでも良い事とでしょう…。文京区には文豪と称する人達の住居跡がやたらあります。その殆どが「看板のみ」ですが…。なかでも樋口一葉ゆかりの地は文京区と台東区で競っている感があります。…赤貧の生活。若くして(24歳)肺結核で死亡。死の直前の1年半で代表作を執筆…事実としとも日本人好みの要素が漂い、なんかしっくりきません。『にごりえ』など娼婦に入れあげて身代を潰した男の話を23.4の小娘の感性で書けますかねぇ?それ以前に赤貧の暮らしと結核で衰えた躰では執筆活動など無理だと思うのですが。そうなるとゴースト・ライターが存在して樋口一葉は名前だけの可能性も疑えますね。
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150612_02150612_03樋口一葉は12回も住まいを移転しています。家賃滞納で追い出された考えるのが自然です。東大赤門前の法真寺隣にも明治9年頃の住居跡碑があり、ゆかりの地としてはそこだけがしっくりきます。Ptの奥の左右が明治23年~25年ごろの住まいの跡だそうです。実に判りにくい場所です。「一葉ゆかりの井戸」がっていますが”なにそれっ”と言う感じです。民家の玄関先に井戸があるので住民の方はさぞ迷惑な事でしょう。2)は散々かよった「伊勢屋質店」です。台東区の竜泉に移ってからも通っているそうで、竜泉からだと1時間以上かかります。さぞ融通が利いたのでしょう。それにしても極貧生活の樋口家では何を質草にしたのでしょうか?実は質屋の主人がパトロンだったのかも知れません。
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150612_04150612_06Ptは白山通りに面した「樋口一葉終焉の地」の碑です。本郷で住居を転々とした後、一葉は当時の下谷区竜泉に10ケ月ほど移り住み、明治27年にここに移転しています。うなぎ屋の離れで6畳2部屋と4畳半の3部屋、庭には湧水で造られた池があっそうです。お隣りの居酒屋の女性をモデルに『にごりえ』が書かれています。更には『大つごもり』・『たけくらべ』・『ゆく雲』・『十三夜』など代表作が短い期間でこの地で書かれていますが、やはり納得がいきません(笑)。納得がいかないと云えば、東大前住居跡には真筆による『ゆく雲』の草稿碑がありますが、この文字がとても20そこそこ女の文字とは思えないほど上手なのですが…。

JR日光駅から…(3)

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この季節ならではの”緑”に囲まれた「二荒山神社です」。家康公を祀る「日光東照宮」の方が有名なのですが、実際は「二荒山神社」の方が歴史も古く、今日でも日光三山を含む日光連山8峰(男体山・女峰山・太郎山・奥白根山・前白根山・大真名子山・小真名子山・赤薙山)や神橋、華厳の滝、いろは坂などは神社の境内に含まれ、伊勢神宮に次ぐ3400haというとんでもない面積を有しています。古来より修験道の霊場として崇敬され江戸時代に日光東照宮の造営により神社も重要視されています。現社殿は元和3年(1617)の東照宮造営の際に現在地に移し、社殿はその時の造営のもので、本殿や拝殿などの11棟が重要文化財に指定されています。
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JR日光駅から…(2)

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Pt↑)は徳川3代将軍家光公の霊廟『大猷院廟』の入口です。ここから拝殿・本殿(国宝)まで仁王門・二天門(修復中)・夜沙門と重要文化財の門が続きます。家光公は大の家康公のファンで、自分が死んだ後も東照証大権現/家康公の側に埋葬して欲しい旨の遺言を残しています。正保4年(1651)に家光公は48歳で亡くなり、遺言に従って承応2年(1653)に『大猷院廟』は完成しています。祖父である「家康公」(東照宮)を凌いではならないという遺言により、東照宮の煌びやかさとは違った落ち着いた造りになっています。
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PT↓の『夜叉門』…「阿跋摩羅(あばつまら)、毘陀羅(びだら)、烏摩勒伽(うまろきゃ)、犍陀羅(けんだら)」…が、安置され霊廟(れいびょう)を守っています。【烏摩勒伽】は全国でもめずらしい仏様だそうです。拝殿・本殿は、さすがに国宝だけあって権現造りの極地です。
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JR日光駅から…(1)

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1999年12月に世界文化遺産に『日光の社寺』…日光東照宮・日光二荒山神社・日光山輪王寺…として登録された『日光』へ久しぶりに出かけてきました。建造物としての国宝が9棟、重要文化財が94棟(!)これはこれ驚きの数なんです。とは云ってもこの寺社群はうち常にどれかが修復中となっていて、現在も輪王寺・三仏堂、東照宮・陽明門、大猷院・二天門が修復中となっていました。行程都合により宇都宮経由のJR利用したのですがPt↑)のJR日光駅は経年劣化とはいえ、かなり良い感じになっていましす。 同じ二社一寺を廻っても若い頃と今では大きく印象が異って見えるものですが、意外と世界遺産日光にハマってしまうかも知れません(苦笑)。
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誰もが知る東照宮”三猿”の彫刻は、全体として猿の生涯を表現しているのですが…。家康の霊廟入口にある”眠り猫”も有名です。頭の黒の部分がはげてきました。実は眠り猫の真裏には”雀”の彫刻があります。
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北区・酒類総合研究所

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北区滝野川2丁目の通称「赤レンガ酒造工場」・独立行政法人酒類総合研究所東京事務所です。明治37年(1904)に現在の独立行政法人酒類総合研究所の前身となる旧大蔵省所管の醸造試験所として建てられたものです。現存する名建築家『妻木頼黄(よりなか)』による設計作品で、平成26年12月には文部科学大臣より重要文化財(建造物)の指定を受けています。 さてさて、この【独立行政法人】ってやつは曲者で、これだけの歴史的背景があり貴重な建造物を有しながらも普通に一般見学はできません。HPには”一般の方も東京事務所の赤レンガ酒造工場を見学できます。なお、概ね5名以上20名以内の団体で1週間前までに申込が必要です”。これでは完全に拒否すると差し障りがあるからとの逃げ口上ですねっ。見学者への係員の配置や教育など煩わしい事が多くなるので”やりたくない”が本音なのでしょう。ご自分たちは「公官庁」ではなくなっているのに、多くの施設や職員は公官庁の立ち位置にいると勘違いしているのが【独立行政法人】の体質なのですが…。
建物北側は旧施設の敷地を整備して醸造試験所跡地公園となっています。Ptのトイレは公園の物です。
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北区・東書文庫

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北区栄町の「東書文庫」です。正式名称は「東京書籍株式会社附設教科書図書館東書文庫」、1936年に日本で最初にできた教科書図書館です。現在、教科書、板木、掛図、原画など約14万点が所蔵されています。Pt↑)の建物は北区の有形文化財で経済産業の近代化産業遺産の…また良くわからない分類の登場です…の認定を受けています。JR王子駅から徒歩15分程度なのですが、この付近は道が入り組んでいて大変に判りにくいです。しかも完全予約制・祝を除く水~金の開館とハードルが高くなっています。東京書籍の企業施設なので致し方ありませんが…。
Pt↓3)は向かい側の(株)リーブルテック(旧東京書籍印刷)の工場です。こちらも味のある建物です。
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北区・音無親水公園

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このブログで使用のPtの多くはCASIOのコンデジで撮っています。デジタル写真の欠点と云っても良いと思いますが…。微妙な空気感が写りません。例えばこの「音無親水公園」の画像では、今の時期の公園の”寂寥としたうらぶれ感”が出ていません。実際、桜の季節が過ぎ、川遊びをする子供の声も聞こえず、王子権現の大銀杏もない季節のはざまでは、唯のうらぶれた公園にしか見えません。この公園は小平市を源流とし西東京・練馬区・板橋区・北区と流れ隅田川に注ぐ長さ25kmほどの石神井川が流れを整備して造られた公園です。石神井川はこの付近では「音無川」と呼ばれ、桜や紅葉の楽しめる景勝地だったそうです。音無親水公園は、都内では昭和記念公園、日比谷公園、上野公園、水元公園、代々木公園と同じくする「日本の都市公園100選」に平成2年に選定されているのですが、(社)日本公園緑地協会が選定する他の公園に比べると”おそまつ”は大変なものです。区としての整備管理の荷が重い(できない)のなら100選指定は返上されるのが宜しいかと思います。
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