旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2015年07月

近江八幡・安土城址

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滋賀県近江八幡町の『特別史跡・安土城址』です。「織田信長」により天正4年(1576)からが約3年の歳月をかけて標高199mの安土山に築かれています。完成から3年後に織田信長は「本能寺の変」に倒れ、安土城も事件の流れのなかで焼失しています(放火したのは織田勢らしいのですが…)。現在は、城の「石垣」だけが主に残っています。存在期間が短く、構造等詳細不明な部分が多く、同町には幻の城を再現した(?)「安土城天主・信長の館」と称する施設もあるのですが、【史跡】としてはどんなもんでしょう…?。Pt↑)の一段低いところが天守の地下部分で、Ptの立ち位置が1階のようです。城は典型的な山城で琵琶湖の湖上から見ると壮大な建造物は、権力の象徴としての存在感は圧倒的だったことでしょう。
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山裾の駐車場から入園料(入山料)500円也を払い、蝉の声の浴びて石段を登っていきます。石段は往時のものだそうですが、急傾斜で”登城”というより”山登り”のようです。汗をだらだらと流して登ること約20分で天主跡に着きます。眼下には琵琶湖の景観が広がり、往時は山裾まで堀が入っていたようです。なかなか雄大な眺めです。敷地全体としては江戸時代の城のような広大さは感じません。城の存在が「砦」から「どうだっ、凄いだろう的」な権力の象徴へと変貌していく時代の変遷が感じられます。…【山登りに20分、ゆっくり散策して1時間半というところでしょう】…
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1)天主台の説明板です。 2)山裾からの安土城跡です、この山全体が城です。 3)蝉時雨、灼熱の上り坂です。
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明治神宮・宝物殿

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位置的には明治神宮の北側ですが、神宮の敷地が広大なので場所の説明が困難です(笑)。更には土曜・日曜・祝日(他に特定日あり)の開館なので、意外と見学された方は少ないかも知れません。館内には、明治天皇ゆかりの御物(…という事は国宝、重要文化財ではない)や日常ご使用の机、書籍、ご乗車の馬車(六頭曳儀装車)などが展示されています。宝物殿は明治神宮創建の翌年、大正10年(1921)の竣工、奈良の正倉院の校倉造りを模した日本国初期の鉄筋コンクリート建築で平成23年に重要文化財に指定されています。実は、時代や内容が内容だけに館内に冷房設備が一切無くこの季節は難行苦行です。館内の天井の造作の見事さや『六頭曳儀装車』と称する馬車の実物、歴代天皇の肖像画など…興味深いものが多々あります。原宿駅よりの「宝物展示室」も共通拝観券となっているのですが、2つの館の距離があまりにも離れていて…(苦笑)
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明治神宮の杜

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良く知られるように、広大な面積を有する明治神宮には明治天皇と昭憲建皇太后をご祀神とする『神宮』です。明治天皇は崩御(糖尿病による合併症・満59歳)後、伏見桃山陵に葬られていますが明治天皇を崇敬する人々から「東京にも神宮を」との運動により、代々木の彦根藩井伊家の下屋敷であったこの地に神宮が造営されました。造営は大正4年(1915)に開始され大正9年(1920)に鎮座祭が行われています。境内のほとんどが全国からの青年団の勤労奉仕により造苑整備され、現在の深い杜の木々は日本各地や朝鮮半島・台湾からの献木365種約12万本が計画的に植えられています。広大な鎮守の杜は人工的に計画造成された杜で、神社の建立から100年後の完全な自然林化となること想定して設計されているのですが、2020年の100周年を迎える前に、想定された『自然の杜』になっているようです。
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西町太郎稲荷神社

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台東区東上野1丁目の『西町太郎稲荷神社』です。武家屋敷稲荷なのでこじんまりとした感じになっています。金ピカの境内掲示には =当町は江戸時代の万冶年間、九州筑後柳川藩11万9600石の太守立花左近将監が”江戸中屋敷”として設けた跡地であって、当太郎稲荷は立花左近将監の母堂みほ姫の守り本尊として同邸内の現在地に建立されたものです。諸々の祈願事を叶え給い、特に商売繁昌に御利益あらたかな処から江戸明治大正時代を通じて広くその名が知られ、多くの善男善女に厚く信仰されてきております~<略>~=とあります。落語の「ぞろぞろ」に出てくる『太郎稲荷』は柳川藩下屋敷の稲荷社で、1803年頃と1867年頃に大ブームとなり、太郎稲荷の参詣者で道が渋滞起こるまでになったそうです。この熱狂状態が続いた後は、一時の熱狂はさめてしまい衰退してしまったといういかにも日本的な話になっています。
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ブートCDの裏通り・31

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今年の春に70歳を迎えたECことエリック・クラプトンの最初の来日は1974年のことで、10/31&11/1・2が東京・武道館、11/5・6が大阪厚生年金会館とたった5回のコンサート・ツアーでした。今から41年前のことですねぇ(苦笑)。Creamのライブ盤に驚いた若者達はあの演奏を観たくて勇んで武道館に出かけたものです。ヘロヘロ状態で登場したECの1曲目は”SMILE”…今でこそチャップリンの曲と知られていますが…ナニコレ状態でしたね(笑)。Pt↑)左は少し前に出回った10/31の武道館。右が最近発売の11/1の武道館(1曲目がRet It Grow)です。まぁこの時代のモノですから、カセットでの録音で昨今の隠密録音に比べれば足元にも及びません。ただねぇ40年前にカセット・テレコ、最高級の”カセット・デンスケ”は10万円くらいの高級品で、録音テープにしたって高額でしたからねぇ。それらを鑑みて四の五の云うのは止めましょう。よくぞ録ってくださいました(笑)。
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Pt↓左)11/2の武道館公演・SMILEから始まります。10/31の武道館CDRで2種類の音源仕上です。
Pt↓中)10/31の武道館公演と11/6の大阪厚生年金会館でスリップケース入りです。
Pt↓右)11/1の紙ジャケ。MVRの11/5の大阪。CDRの11/5大阪。11/2の武道館CDR等などです。
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靖國神社・みたままつり

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今回は何かと話題になってしまいました…。今日(7/16)が最終日となる『靖國神社・みたままつり』です。PtはAM09:00頃なので、なんだか”祭りの後”といった様相になっています。昭和22年に始まった「みたままつり」には毎年30万人超の参拝者で賑うのですが、近年は様々な問題が発生し今年は期間中の参道の露店の出店禁止、併せて境内での酒宴も禁止となってしまいました。246万人の英霊の御霊を静かに迎えてあげたい反面、盆踊りや露店、喧噪や喧嘩など「賑わってこそまつり」で英霊たちも喜ぶのでは…(?)などと考えてしまいます。 今日の東京は台風の影響を受けて雨模様ですが3万を超す献灯「みあかし」に灯りが入る夜はさぞ壮観な事でしょう。
この献灯は小型献灯で初穂料が1灯につき3,000円だそうです。献灯がビッシリと並ぶさまは『玉蜀黍』を連想してしまいます。
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浅草・嬉の森稲荷

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久々に浅草へ出かけたのですが…。まぁまぁ相も変わらず”外国人”の多いこと(!)。台東区民会館前(二天門駐車場)あたりでは、かん高い会話が飛び交っています。面白いもので容姿・髪型を観察していると、中国・台湾・韓国・タイの区別がつくようになります(笑)。連中はそのまま浅草寺に向かうので「姥ヶ池」も「嬉の森稲荷神社」も興味などあるはずもありません。まぁ日本人も同様でしょうが(苦笑)。
この『嬉の森稲荷神社』は台東区民会館前の向かい側の公園脇にあります。”うれしのもり”とはなんとも語感の良い神社でが、案内板によれば…【嬉の森稲荷は、江戸時代、浅草三大池といわれた花川戸近辺の達磨池のそばの嬉の森に祀られていた。嬉の森は、(略)一説に入り江に面した花川戸のこの森が、船の着くための目標となったことから、この名が起こったものであろうとされている。(略)嬉の森稲荷は、関東大震災に消失を免れ、また昭和20年3月の東京空襲の戦火も免れたという。嬉の森稲荷は火伏の神として信仰され、4月の2の午の日には、近隣人たちによって祭礼の伝統が受け継がれている。】…とあります。
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兜町・銀行発祥の地

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東京証券取引所のお隣にあるみずほ銀行兜町支店の壁面にはPTのパネルが掲示されています。この場所は明治 6(1873)年 7月20日に「第一国立銀行<旧第一勧業銀行、現みずほ銀行>」が日本で最初に開業している地だそうです。「第一国立銀行」と称していますが、実際は”国営銀行”ではなく”民間銀行”なのですが、銀行券を発行していたという今では良くわからない立ち位置にあったようです。純然たる最初の私立銀行は、明治 9(1876)年 3月に中央区日本橋室町の旧三井銀行(現・三井住友銀行日本橋支店)が開業したのが最初です。
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御茶ノ水・石碑

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JR御茶ノ水駅西口を出て、目の前の交番の脇に『お茶ノ水』の石碑があります。交番脇という事もあり待ち合わせやらの人も多く(今の季節は緑も多く)写真も撮りにくい状態です。現順天堂病院の付近にあった「高林寺」は境内に名水が湧くことで有名だったそうです、徳川2代将軍秀忠公が鷹狩りの際に立ち寄ってお茶を飲んだことから、この湧水が将軍家御用の”お茶の水”とされたのが、地名としてのお茶の水の由来です。ここら付近には他にも「水」に関する石碑があります。「神田上水懸樋跡」は、徳川幕府が江戸の飲料水として多摩川からの上水を建設した際に、神田川の渓谷を専用の橋を懸けて上水を”懸樋”で立体交差させています。現在は懸樋はなく跡地に碑が建てられています。今でも名残がありますが、この近辺は谷が深く流れが緩やかなので台風時などでは増水災害が起きやすいようで、その対策とて水道橋から湯島聖堂横まで分水路が造られたいます。3ッ目のPtはその完成記念碑です。
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讃岐金刀比羅宮東京分社

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文京区本郷1-5-11の『讃岐金刀比羅宮東京分社』です。ご祀神は”大物主命”と日本屈指の大魔神”崇徳天皇”です。なんでも香川県琴平町を総本宮とする「正式な分社」は出雲・神戸・松山・尾張一宮・鳥羽とこの本郷の6社だけなんだそうです。という事は虎の門などは正式ではないという事なんでしょうか…?近隣では「水道橋のこんぴらさん」として親しまれていますが、歴史的には、下板橋宿の板橋市左衛門が文政2年(1819)に金毘羅大権現を観請し創建。明治13年(1880)に金刀比羅神社として公認され、明治21年神田区和泉町に遷座、明治26年深川区古市場に遷座しています。社殿は太平洋戦争により焼失しまい、昭和30年代に松平頼朝氏より寄進された現社地に金比羅宮直轄境外末社・東京分社として再興されています。…なかなか紆余曲折に富んだ歴史を持っているようです。
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ブートCDの裏通り・30

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昨年(2014)の日本公演では最低のデキの連続で「神は死んだ」とま云われたECですが、しばらくの御無沙汰のち、自身の”誕生日コンサート”として5/1&5/3にニューヨーク・MSG公演に登場しました。今年3/30で満70歳だそうで、無事70歳とは素直に喜ぶべきでしょう。お祝い代わりにブートを購入してもECにはメリットはありませんが、EC、ドイル、デレクのジャケ写は充分期待できます。このMSG公演には(どうでもより)ジョン・メイヤーやネイザン・イーストが出ていますが、なんといってもドイル・ブラムホールⅡ世とデレク・トラックスの2006年ツアーの最強メンバーがゲスト参加しています。元々EC御大は売出し中の若手と共演すると凄まじい演奏をする方なのですが、今回もそんな感じです。ポール・キャラックのボーカルのビリー・ピレストン(ジョー・コッカーやデニス・ウィルスン)のYou Are So Beautifulでは、EC御大が泣けてくるようなギターを弾いています。
=ジミー・ヴォーン兄貴も参加しています。(ロバート・クレイ&バディ・ガイは都合が悪かったのでしょうか?=
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続々と登場する5/14から7夜にわたったRAHコンサートCD&CDRです。。初日、2日目、3日目、6日目が登場しています。日程中にB・B・キングが逝ってしまいました。ジミ・ヘンドリックス、デュアン・オールマン、カール・レイドル、スティビー・レイ、ジョージ・ハリスン、ビリー・プレストン、ジャック・ブルースそしてB・Bと先輩や仲間達が先に逝ってしまい”死神”とまで言われたECですが、よくぞ生き延びたものです。今回のツアーでは「今後ツアーはやらない」と明言していますが、ツアーでなくとも年に数回はRAHやMSG(できれば武道館も)でのコンサートを続けてほしいものです。

文京区・春日局像

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文京区は春日通り富阪脇の公園敷地にある『春日局像』です。文京区「春日」の地名は徳川3代家光公の乳母にあたる『春日局』に由来するのは良いのですが…。昭和64年のNHK大河ドラマ「春日局」の放送を契機として「文京区春日局推進協議会」を設立して地域振興を事業を推進、平成元年12月に事業の記念として建立とあります。NHK大河ドラマの舞台⇒地域振興事業の推進⇒記念館やら銅像やら…。絵にかいたような展開は地方都市だけの話ではなかったようです(苦笑)。対照的に講道館の玄関に凛とした姿で立つ「嘉納治五郎先生」。記念銅像のあるべき姿です。
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小石川大神宮

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文京区小石川にある「天照大神」を祀る『小石川大神宮』です。都内の神社にありがちと云うのしょうが、参道がビルの1階部分にある通路を通り抜けていく形になっていて、神社社務所はビル内にあります。拝殿は西面なのですが、参拝者が拝む方向に本殿(南面)が位置していません。東京の土地事情を考えるとこれも”あり”です。この社殿は、平成8年(1996)の社殿修復に「第六十一回神宮式年遷宮」の際の月讀宮の古材を使用しているそうです。小石川大神宮は「大神宮」と名乗るように伊勢神宮の分社ですが、由緒に”やや微妙感”があるので、境内掲示を引用します。
…【創立御鎮座は昭和四十一年三月七日。これはさきに伊勢の神宮総代であった創立者佐佐木勝造翁の赤誠による申請に対して、伊勢の神宮より特別御神璽(別大麻)を特に拝戴し、創立御鎮座したことに依ります。間も無く小石川大神宮崇敬会が結成されました。爾来、年を追って崇敬会員が全国的に増加し、神宮の「遥宮(とうのみや)」とも呼びなされ今日に至っています。崇敬会の目的は、伊勢の神宮の御神徳を遍く国内にひろげ、敬神の念を育成して道義の向上を社会福祉に貢献し、ひいては皇室国家の隆昌と世界の平和に寄与せんとする当社創建の趣旨を扶翼せんとするものであります。】…
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