旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2015年10月

襟裳岬・AM06:23

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襟裳岬からの日の出の様子です。珍しいことに風が穏やかで撮影も苦になりませんでした。2年振りにやって来ましたが相変わらず穏やかな景色で、この地では時間がゆっくりと流れているようです。岬は北海道でも有数な”初日の出”スポットとして知られ、岬が南面しているので朝は日の出、夕は日の入りの両方が楽しめます。最初に訪れた大学生の時には”もう二度とここへ来ることはないだろう”と思っていました。当時この地区で有名だったユース・ホステルも時代と共に民宿へと変わり、それも近々廃業となるようです。いまは閉鎖されていますが自衛隊のレーダーサイト方面に「襟裳肉牛牧場」という施設があり、ここから見る「百人浜」や日高山脈が海に入っていく「岬」の様は雄大その物でした。今は鹿の天国となっているでしょうが、襟裳の熊は人馴れしてしていないので近づくには勇気がいるそうです。
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様似町・アポイ岳

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恒例の”秋の北海道”へ行ってまいりました。寒気周期にあたり千歳空港到着時は降雪のお出迎え、その後も曇天が続く日々となってしまいました。
Pt↑)は千歳空港から約3時間(時間記載は”車で”が省略)えりも岬の手前1時間の様似郡様似町のアポイ岳(標高約800m程)です。標高が低いわりには高山植物の宝庫で1952年には『アポイ岳高山植物群落』として特別天然記念物に指定され、1981年には「日高山脈襟裳国定公園」の特別保護区となっています。また、地球科学的な価値を持つ大地の遺産を保全する『ジオパーク』に日本ジオパークとしては2008年に認定され、世界ジオパークとしては2015年9月(日本国内では8件、北海道では2件目)に認定されています。旅行会社ツアーにはほぼ登場せず、TV的にも話題になりませんが”スゴイ山”なのです。
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大自然の奇跡の”アポイ岳”や眼下に広がる海を見ながら入浴できる施設があるのが「アポイ山荘」です。温泉ではないのですが¥500で至福の時間は安いもんです。襟裳岬滞在時には必ず出かけるお気に入りの場所です。様似町は旅行会社の商品としては企画しにくいので、「高山植物を愛でる」ツアー位しか商品化は難しいでしょう。売れないでしょうねぇ(笑)
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千代田区・亀住稲荷神社

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千代田区外神田5-4-7の『亀住稲荷神社』です。Pt↑)のカメラの撮影立ち位置は台東区となるので、ぎりぎりで千代田区の神社ということになります。東京&首都圏の寺院神社案内に詳しい【猫のあしあと】というHPがあるのですが、さすがの【猫のあしあと】の記載も至極あっさりしています。曰く…”亀住稲荷神社の創建年代等は不詳ですが、小笠原家邸内に鎮祀した稲荷社だといい、明治8年に町内共有神社の許可を受けたといいます。”…これが主文です。小倉藩の小笠原家の中屋敷がこの辺りだったので、屋敷内の稲荷社であったと思われます。
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杉並・大宮八幡宮

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杉並区大宮に鎮座する『大宮八幡宮』は、東京の”重心”にあることから「東京のへそ」とも呼ばれ(誰が?)ています。さらには「武蔵野国の三大宮」だそうですが、他の2社が秩父の秩父神社とさいたま市の武蔵一之宮・氷川神社なのでどうみても格下のようです。創建は1063年(康平6年)に源頼義により岩清水八幡宮を勧請、鎮座して950年になります。境内からは弥生時代の遺跡が発掘されているので古代より人々が暮らし易い環境だったのでしょう。
八幡宮となれば、主祀神は「応神天皇」・「仲哀天王」・「神功皇后」です。”宮”が付くので菊の御紋章が注連縄の上や門扉に見ることができます。神域はパワースポット伝承や都市伝説にも取り上げられているそうですが”なるほどねぇ”と思える東京屈指ともいえる雰囲気を有しています。
表参道から入り一之鳥居、二之鳥居、神門を過ぎると総檜造りの本殿となります。縁結び・安産・子育てなど様々な御利益があると言われています。
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四谷・荒木町の午後

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四谷・荒木町の最寄駅は丸の内線・四谷三丁目、昭和の雰囲気を色濃く残した町として「アドマチック天国」などの番組が好みそうな街です。荒木町・迷宮の街は”新宿通り”から一歩入った、地形的にはすり鉢状の窪地(?)と云った感じです。Pt↑(車力門通り)の通り沿いや金丸稲荷辺りには路地裏の名店的な飲食店が数多くあります。江戸時代、この一帯は美濃国高須藩の屋敷で滝が付帯した「策に池」と呼ばれる大きな池がありました。明治年間には池の近辺は人気の景勝地となり、芸者衆の花街とした賑わったそうです。今は池も枯れて縮小してしまいましたが、現在も「津の守弁天」の池にその姿が残っています。
通りかかったのが”休日の午後”という時間帯だったので、街は「うらぶれ感」に満ちていました。明治時代にはお江戸の箱根と称されたり、ミシュランに掲載された飲食店もあるそうですが、とてもとても…。
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鮫河橋・南元町

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Ptは新宿区・みなみもと町公園前の信号機です。四谷駅から迎賓館方面へ…。迎賓館を右手に進み学習院初等科の敷地に添って坂道を下ると、右手に”南元町公園”があります。今はごく普通の公園なのですが…。その昔、東京市には多くの貧民窟(スラム街)があり、下谷万年町(上野駅近辺)、芝新網町(浜松町駅近辺)、そしてこの四谷鮫ケ橋(赤坂離宮のそば)が代表的な3カ所で、明治30年(1897)の調査では、下谷万年町が875戸、芝新網町で532戸、四谷鮫河橋谷町で1370戸の貧民長屋がありました。鮫河橋は江戸時代には最下級の娼婦「夜鷹の巣」として有名であり、明治~昭和初期にはこの低い湿地に5000人以上の最底辺の貧民達が暮していました。今では面影の”お”の字も”空気感”すらありません。このような”負の記憶”は忘れられてしまいます。公園の一画に社にある「四谷鮫河橋地名発祥之所」の碑に記憶が留められているようです。
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虎の門金毘羅宮

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神社の名称で「神宮」やら「宮」が付く神社は殆どが皇室の祖先神を祀っています。もっとも「天満宮/菅原道真」や「東照宮/徳川家康」の例外もあり話はややこしくなりますが…。ここ虎の門金毘羅宮も「宮」の字が付いています。ご祀神は水神、雷神といわれ、稲作豊穣、疫病除け、酒造りの神として信仰を集める「大物主神」です。金毘羅宮以外にも「大物主神」若しくは「大国主/大黒天」を祀る神社は数多いのですが、これは明治年間の廃仏毀釈の際に旧来の”本尊”の変わって「大物主神」を祀神とした神社が多いからのようです。虎の門金毘羅宮には大物主神の他に日本国屈指の大魔王、怨霊神の「崇徳上皇」が祀られています。「崇徳上皇/天皇」→「宮」という事ですね。 神社本殿はオフィスビル”虎の門琴平タワー”に取り込まるような形式で建っています。青銅製の鳥居は青龍・白虎・朱雀・玄武の四方に守護神(四神)の彫刻が施された珍しい形式となっています。
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港区・愛宕神社…(2)

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本殿には神社にまつわる「絵」が奉納されています。【エピソード1】はPtの左の絵は、講談で有名な「寛永三馬術」の『曲垣平九郎/まがき・へいくろう』の故事にちなんでいます。…【寛永11年、3代将軍家光公が芝の増上寺の参詣の帰路に、梅が満開の愛宕神社の下を通りかかりました。この際に家光公は 「誰か馬にてあの梅を取って参れ」と無茶な命令を発しました。誰もがしり込みするなか唐突に馬で急階段を登りだしたのが四国丸亀藩の”曲垣平九郎/まがき・へいくろう”というお調子者(!)です。このお調子者は首尾よく馬で石段をのぼり降りして山上の梅を家光公に献上。家光公より「日本一の馬術の名人」と讃えられ、名声は全国に知られたというお話です】…まぁ講談のお話なのですが…。明治以降で真に受けて、馬でチャレンジした”馬虐待の大馬鹿野郎”が3人ほどいるそうです(笑)。
【エピソード2】はPt右の絵。桜田門外で井伊直弼が水戸浪士に襲われた事件では、実行犯のテロリスト達は愛宕神社に集結し、降りしきる雪のなかを約2km先の桜田門へ向っています。境内には「桜田烈士愛宕山遺跡碑」がありますが、『烈士/れっし』とは、革命や維新などにおいて戦い功績を残し、犠牲となった人物またはその人物の称号を云うとのことで、この連中がそれほど”上等な人達”とは思えません。これも長州・薩摩・土佐の都合での史観なのでしょう。
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港区・愛宕神社…(1)

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港区愛宕1丁目の『愛宕神社』は東京23区内では珍しい自然形成の愛宕山(標高26m)の山頂にあります。慶長8年(1603)徳川家康の命により創建、主祀神は火の神である「火産霊命/ほむすびのみこと」です。江戸時代は幕府の保護もあり、防火・防災に霊験のある神社として信仰されていました。「安政の大獄・桜田外の変」では井伊大老を襲撃した水戸浪士は品川に潜伏し、直前に愛宕神社に集結して犯行現場(桜田門)に向かいました。当時、愛宕山は江戸府内では最も見晴らしの良い場所で東京湾や房総半島まで望むことができたようです。「鬼平犯火帳」などの時代小説にも登場し、「鉄道唱歌/汽笛一声新橋~」の歌詞にも登場してきます。また愛宕山はNHKの放送事業発祥地で、放送の第一声はこの地から始っています。…NHKの放送博物館は現在は改装中となっています…。
久々に訪れたのですが、摂社・末社の数も多く、歴史的な遺跡もあるのですが…。どうにも有名な割にはパッとしない印象の神社です。
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