旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2015年12月

ブートCDの裏通り・35

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どうなっているんでしょうねぇ(笑)懐かしの音源が新作ブートとして再登場です。。Pt↑)は元ヴァニラ・ファッジのティム・ボガード(B)とカーマイン・アピシィ(D)の強烈リズムセクションとジェフ・ベック(G)での我儘放題の「ベック・ボガート&アピシィ(BBA)」のLiveブートの数種類(3枚が最近のモノ)です。特に新作の1974年1月26日のロンドンでのライブはなかなかのモノです。リールテープやカセット録音のアナログ録音はデジタルに比べて低音部が痩せがちなのですが、アピシィの”ウリ”のバスドラのキックこそ弱いものの、迫力の音源です。曲数も増えているようなので、これで当日の全曲なのでしょうか?
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なにせ活動期間が1972年~1974年でスタジオ盤が1枚しかない、いかにもジェフ・ベックのバンドと言う感じです。奇跡(?)の1973年の日本公演(大阪)は日本限定で発表され、2013年には曲順をコンサート通りに戻したCDが発売されています。当時は単純に”すんげぇ~”と思ったのですが、年を経ると”よくもまぁ勝手放題の3人が演ったものだ”と感心します。3人編成なのにスカスカ演奏にならず意外なほど緻密な構成なのは流石です。それでもこんなリズム・セクションとは演りたくありませんねっ。Pt↑)はBBAの日本公演とVanilla Fudgeの”Near The Beginning"(LiveのBreak Songのボガードとアピシィのリズム隊は”すんげぇ”です)、CactusのLive盤(安い再発盤ではなくPhino盤)です。ティム・ボガード(B)とカーマイン・アピシィ(D)は現在もVanilla Fudgeで活動中なんですねぇ。このBBAはベックのバンド遍歴からも明らかに”異質”です。BBAの空中分解はむしろベックの方が首になったのかも知れません。

ブートCDの裏通り・34


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ブートCDコレクター諸兄も高齢化でご自慢のコレクションを手放す時期が来ているのでしょうか?中古市場に嘗ての高額Boxセットをよく見かけるようになりました。Pt↑)はブートCD創世記に登場のGreat Dane RecordsのBeatles BBC Sessionsの9枚組(後に10枚組)のBoxセットです。発売当時を思えば嘘みたいな価格で手に入れました。イギリスBBC放送はバンドの口パク演奏を認めておらず楽曲はスタジオ1発録りという夢みたいな話で、お蔭で他のグループのBBC Sessionsも多く残っています。このBeatles BBC音源はLP時代は"Out Takes"という名称だったのですから、今思うと笑えます。
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Beatles BBC Sessionsは次々と程度の良い音源が登場し、Great Daneは過去の遺物となりましたが、後のBBC音源のオフィシャル発売に影響したのは間違いないでしょう。Pt↑)はBeatlesの企画CDを次々リリースしたSecret TraxnのBBC関連です。Attack of The Filler Beebsが3枚組、Pop Go The Beatlesが4枚組、The Ultimate BBC Sessions 1962-1966がなんと10枚組です。なんでまたGreat Daneの9枚組買ったのか後悔しきりです(苦笑)

築地市場”負の記憶”

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今回も、最近多くの媒体で露出され賑わっている築地市場です。買物や食事で訪れる方々には興味ないとは思いますが、築地市場正門・都営大江戸線・築地市場駅を地上に出た所の壁に2つの”史跡碑”があります。1つは東京都指定旧跡『浴恩園跡/よくおんえんあと』とあり、この場所が江戸寛政年間の松平定信の屋敷であったとあります。もう一つが”原爆まぐろの碑”として知られる『第五福竜丸の碑』です。1954 年(昭和29年)にアメリカの水爆実験により被爆した第五福竜丸が持ち帰ったマグロやサメが築地市場へ入荷、市場は大混乱となり、当時の行政は被曝水産物を場内の地中に埋めるよう指示したという事件があました。後年には、築地市場駅を建設の際にこの原爆まぐろが発掘されるのでないかと騒ぎにもなった事もあります。移転先の豊洲でも土壌問題が注目されていましたが、築地にもこんな”負の記憶”があったのです。
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昨日の築地場外市場

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昨日(12/19)AM10:30の「築地場外市場」の模様です。このPtを見て混雑していると思いますか?この状態で混雑度70%程度です(笑)。この道路は一般道で車両規制や歩行天になる事はありません。Max混雑時には溢れた人でこの道路が見えなくなります。キャリーバッグや乳母車を引いた馬鹿たれ達が歩いていす。つまり混雑度70%という事です。来年は豊洲移転という事で最近は昔からの乾物店などが次々と廃業して姿を消し、「お手軽寿司屋」や「屋台並みの丼屋」が増殖しています。意外に思われるかもしれませんが築地場外市場に「さかな屋」は数件しかありません。さかな屋なら”アメ横”ですよ。年末の風物詩という事でこのところTV露出が増え放映された店が行列となるのは毎度ながら微笑ましい感がします。私感ですが…皆さんはTV情報に踊らされているようですね。それでも甘いだけが特徴の身内に有名人がいる卵焼屋や回転寿司レベルの寿司チェーンは相も変わらずの情景です。

昭和の社博物館…(終)

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本館2階の展示室へ進みます。満ち満ちた雑然感も慣れてきたのですが、ここには更なる雑然感があります。展示手法が少しばかり異なりPt↑)の昭和の部屋や駄菓子屋、床屋を再現したモノや果ては五右衛門風呂までありますが、テーマ別展示室は雑然感が薄れてしまっているような気がします。
今回は初めての訪問という事でざっと見てきましたが、まだまだ面白い物がありそうです。パンフレットのオーナーのコメントでは”20数年の歳月をかけて収集した3500点あまりを展示”。さぞ家族や廻りからいろいろと云われてきたことでしょう。頭が下がる思いがします。…(了)
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昭和の社博物館…(5)

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【小松崎茂/1915年東京出身の画家・イラストレーター】…1960年代の子供達(特に男の子)には懐かしい絵の数々です。未来都市などの空想科学イラストや軍艦・戦車・レシプロ航空機等のプラモデルの箱絵等々や「サンダーバード」シリーズの箱絵もそうだったと思います。子供時代の記憶が不確かになっていたとしても、ここに展示された作品を見れば懐かしく思い出すでしょう。思い入れがあるのでしょうねっ。ここも特設コーナー的になっています。Pt↑)戦艦長門、戦艦大和は田宮模型のプラモデル箱絵の原画だと思われます。自転車に乗って街のプラモデル屋に走ったの頃が思い出されます。
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昭和の社博物館…(4)

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さぁいよいよ入館料¥300/大人を払ってメイン棟に入ります。いきなり目に入ってくる光景は何気に”南極大陸の石”なんてのがあり、さながらおもちゃ箱をひっくり返したようで、もう何が何やらです。Pt↑)は映画「Always 3丁目の夕日」にご出演のダイハツ・ミゼット、ダットサン・ブルーバード(210/1958年、310/1961年、410/1963年)のお歴々です。さらにはチョイ出演の1961年ホンダスーパーカブもありました。ゴジラやら昭和28年製の三島式オートバイなんてのもあります。この”ぐちぐちゃ感”に比べれば、次の石原裕次郎コーナーやフイギィア類、レシプロ航空機模型やサンダーバードコーナーなどは整理されています。最も感激したのが「小松崎茂氏の作品群」です。氏の作品の戦艦大和や零戦などの絵は、プラモデルの箱絵として使われ昔の子供達の多くは憧れたものです。館内では100枚以上撮影しているので、もっと掲載したいのですが…。残念です。
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昭和の社博物館…(3)

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今度は本館建物に向かって左側です。更に事態は混沌としてきます。№6の日産ブルーバードは石原裕次郎の映画「栄光への500㌔」で撮影に使用された車だそうです。スペースシャトルらしきものがあります。奥の方の黄色い電車は流山電鉄の車両等々があります。どのように運んできたのでしょうかねえ? a)踏切の敷石は都内の路面電車の踏切を移設したとあります。b)感激もののいすずとマツダの三輪トラックのそろい踏みです。笑うしかありません…。c)昭和63年~平成22年まで南極・調和基地で活躍した”氷上作業車”です。どうやるとこんな車両がてに入るのでしょうかねぇ?さぁこれからが館内です。
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昭和の社博物館…(2)

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本館建物に向かって右側の「クラッシックカー館」です。Pt以外にも軽の消防自動車・ホンダライフ・箱型のシボレーやVW・三菱ソーラーカー・丸金自転車・三菱デボネア・陸自のバイク・BMWのバイク・スカイライン2000ターボ・ベレットGTR・軽自動車”ホンダN360等々が展示してあります。どの車両もピカピカという訳ではありませんが、そこは経年変化の妙です。展示車両のなかから選抜したPtが以下ですが…。a)映画「Always 3丁目の夕日 64」で使用された”ダイハ3輪トラック(エンブレムがお城)”の車両 b)1961年製の”トヨタ・パブリカ”。例の”国民車”ってヤツです。 c)そして1958年~1970年まで約40万台が生産された名車”スバル360”。その奥はホンダN360です。このスバルのデザインは現代でも充分に通用しますねっ。
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昭和の社博物館…(1)

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えてして個人のコレクションなどは傍から見て理解されにくいモノです。その極致とも思える博物館が千葉県松戸市にありました(笑)。ここ『昭和の社博物館』はJR武蔵野線”東松戸駅”から徒歩15分(行きはTAXI利用しました)にあります。個人オーナーの収集品の博物館で、さまざまな個人の収集品が雑然と展示してあり、懐かしさのあまり笑ってしまうような品々ばかりです。入館料は¥300。開館日は金・土・日・祝の10:00~16:00なので注意が必要です。写真撮影は一応の許可はとりましたが問題ないようです。今回は入口付近のPtばかりですが、地元ローカル線車輛があったり、ガレージ上にはセスナ機、事務所屋根にはボート等々…。これだけでも”なんじゃぁ これっ”感に溢れていて笑ってしまいます。
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皇居乾通り公開…2015秋

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今日(7日/月)『皇居乾通り一般公開』へ行ってまいりました。昨年の桜&紅葉を思い起こせば"ウソッ"と思うくらい空いています。TVニュースによると今日が41700人が来場。5日からの3日間で11万人なのですが、昨年の桜初日の75000人を思えば…笑ってしまう人数です。前々回のように3時間並んで10分で通過完了では、旅行商品として成立しにくく、多くの旅行会社は二の足を踏んだようです。あえて言うなら、旅行会社の添乗員では宮殿の施設や旧江戸城の説明や案内をこなせるスタッフがいますかねぇ?。だらだらと歩くだけなら代金が頂戴できる企画商品ではありませんね。(Pt↑ 蓮池堀~富士見多聞)
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Pt↓)09:45の坂下門手前100m。先頭から300名以内でしょう。この時点で約1600名(少ない)が並んでいます。 宮内庁々舎前から富士見櫓です。地面が見えます=つまり混んではいません。 歩くルートから紅葉の名所の山下通り(紅葉山の下で山下通り)方面です=鮮やかな色とは云い難いようです。
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港区・泉岳寺…(付)

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Pt↑)は地下鉄泉岳寺地上出口前、ビルの3階に鎮座している稲荷社です。見落としたのか由緒書きはおろか神社名を記したモノがありません。「高輪稲荷神社」という名称らしいのですが、鳥居や社殿の造りは稲荷社の形式になっています。神社の位置関係からして、昔は泉岳寺の境内社だったような気がしますが…。その先は不明です。Pt↓)は境内にある狐のオブジェ(?)です。素人の作品なのでしょうかねぇ? 
泉岳寺に向かって坂道を登る途中に牡蠣がらのような石碑が建っています。かろうじて「四十七義士」の文字が読めます。ここも境内だったのでしょう。 
泉岳寺中門は、天保7年(1836)年に再建された門で、「萬松山」の額は清の禅僧による書とあります。中門に「建設反対」やら「だんだら幟」は…【望みはひとつ泉岳寺の景観を守ることでござる!/国指定史跡・泉岳寺の歴史的文化財を守る会】…とあり、要はマンション建設反対のアピールです。そういえば昨年の義士祭の折に義士役の多くがこの幟を掲げており違和感を感じたものでした。
忠臣蔵(赤穂事件)は時代背景と事実関係だけを追うと『47人の不良浪人による筋違いな逆恨み虐殺暴力事件』という事になります。つまりは浅野の家臣が「私怨」は晴らすために起した無法事件にすぎません。「義士」と呼ぶのは少し違うような気がしてきます(苦笑)
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港区・泉岳寺…(Ⅲ)

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史跡・名刹巡りをしていて留意しなければならないのは敷地の広さの往時との比較です。この泉岳寺も現代の感覚で見ると狭く感じますが、昔は広い敷地を有する寺社だったようです。元の泉岳寺には総門・中門・山門と三つの門があり、総門は地下鉄泉岳寺駅出口、ビル2階の稲荷社あたりとされ、現存しているのは中門と山門だけなのです。やはり広大な敷地です。「泉岳寺」の額が付けられた山門の脇には、「大石内蔵助吉雄」の銅像が建っています。この銅像もご本人同様に流転を繰り返しています。元々は浪曲の宗家・桃中軒雲右衛門により鋳造され、その後所有者が転々として泉岳寺に寄進され、大正10年12月14日に除幕したものとあります。内蔵助が元禄羽織を着て、連番状を手に東の空(赤穂から江戸方向)をじっとにらんでいる姿を表しています。モロに「仮名手本忠臣蔵」からのイメージなのでしょう(笑)。
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港区・泉岳寺…(Ⅱ)

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お寺からは少し離れますが…。大石良雄の銅像の手前から泉岳寺と高輪学園の間の細道を7分程登って行きます。高輪1丁目アパートと高松宮邸の間の左側に、荒れ果てた感じで「大石良雄外十六人忠烈の跡」との標柱があります。朽ち果てた手入れの悪い公園にしか見えませんが、ここは熊本・細川越中守下屋敷の一部だったと場所です。赤穂浪士は吉良邸討ち入り後、その処分が決るまでは分散して大名家に預けられています。この細川家には大石良雄ら17名が預けられ、この地で切腹しています。後年、大石良雄らは浅野家の菩提寺である泉岳寺に葬られこととなりますが、線香の煙が絶えない泉岳寺に比べればなんと寂しい事か(!)。考えてみれば殿様と正妻と家臣が一緒の墓所に居るほうがよほど不自然なんですけどねぇ。
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港区・泉岳寺…(Ⅰ)

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Pt↑)は泉岳寺境内赤穂義士の墓所から本堂の方向です。12月と云えば「忠臣蔵」ということで、泉岳寺では今年も『義士祭』がおこなわれます。義士祭当日は山門から墓所にかけて人、人、人で大混雑となり、四十七士に扮したパレードが到着する時刻にはピークとなります。日本人なら知らぬ人がいないほど有名な話ですが、史実(赤穂事件)と映画や歌舞伎(仮名手本忠臣蔵)のストーリーは大きく異なります。作品の世界が史実に化けてしまうのは良くある話なのですが‥。これだけ日本人の感性ったお話も珍しいでしょう。いまでも赤穂浪士達の眠るお墓は火事かと思うほどお線香の煙で満ちています。
奥のやや大きめの屋根付きが「大石良雄」です。ご丁寧に墓所の配置案内図まであります。赤穂浪士は四十七士で47人なのですが墓塔は何故か48基あります。”馬鹿殿”の浅野内匠頭長矩、妻の阿久里(瑤泉院)の墓所までが並んでいるなど、『忠臣蔵資料館完結編』という感じです。
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