旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2016年05月

ブートCDの裏通り・42

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"BEACH BOYS  '69"のLPジャケに”Brian Wish You Were Here”とありますが、カリフォルニァの小太りのガキどもがこんな事になろうとは誰が予想したでしょうか…?。Wilson3兄弟で最初に死ぬと思われた長男が生き残り、「The Beach Boys」の名義はもっていかれ泥沼の訴訟合戦!2012年の50周年記念ツアーではポンコツ・メンバーまで再登場させて仲直り。と思えば記念ツアーが終了すると再度の分裂(!)。アメリカのショー・ビズの悪い見本のようで”サンシャイン・カリフォルニア”のイメージは毛頭ありません。まさに”Carl Wilson Wish You Were Here”です。油断していたのですがBrianが11年振りに来日していたのですねぇ。東京&大阪で3日間…。音だけは速攻で登場するのですから良い時代(笑)になったものです。
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私見ですが…。天才メロディ・メーカーとしてはPaul McCartneyとBrian Wilsonを外すことはできません。そのブライアンが歌い彼をリスペクトするミュージシャンが後ろを努め、盟友Alan Jardine(とその息子)までいるのではないですか…。今回は”Smile”の再演ではなく”Pet Sounds”の再演となっており、これで内容が良くない訳がありません!。その昔、Beach Boys江の島コンサートではピアノの前でピクリともせずの”お地蔵さん”状態。”Cocomo”のヒットでの来日公演ではBrianのみがドタキャン、2000年にソロでが初来日でした。それから18年。良く生きているものです。
『名盤』と評される割には、何がどう名盤なのかは説明が難しい作品が”Pet Sounds”です。ゴミ音楽評論家は”歌詞など情緒的な部分”を評価していますが…。コーラスの和声が変、ドラムが入っていない、コードに関係無いベース音の進行など、ポップ音楽的には『変な作品』です。独特な”フワフワ感”は最初は「気持ち悪い」としか思えないのですが、「気持ち悪い」と評した音楽評論家はいません(笑)。

京浜東北・青い殺人電車

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【2016.06.01】AM06:52頃王子駅で人身事故でまた一人…。13:00頃鳥が衝突して遅れが…。嘘でしょう!
【2016.05.26】今日はAM06:50頃の蒲田~大森間踏切内での人身事故で大迷惑を被りました。ここ最近では、5/19・JR蕨駅で会社員がはねられて死亡。5/18・JR西日暮里駅で人身事故。5/14・JR蒲田駅で人身事故。5/12には信じられないことに変電所が停電(!)。…これを書いているうちに再度JR上野駅で人身事故!…その他にも線路内異音の発生、信号機の故障、車輛の点検、荷物挟まり、急病人介護、客同士の喧嘩、痴漢、小動物の侵入等々が繰り返しで毎日発生。これでは【電車は遅れるもの】・【JRにはまともに電車を運行する能力なし】と割り切った方がよさそうです。事務的に”遅れました申し訳ありません”を連呼する車内放送の空しさ…(苦笑)。合理化・機械化・人員削減の先にあったモノがこれだったとは…(!)。 探せばあるもので「全国鉄道人身事故ランキング」なるサイトがありました。2010年09月以降の人身事故件数では京浜東北線(156件)は中央快速線(153件)を抜いて全国6位入賞にランクされています。上には上がいるもので東武東上線(181件)が全国3位の銅メダルです。とはいえこのペースで進捗なら、『青い殺人電車』の逆転は必至です。
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神田明神の境内社

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流石に”江戸総鎮守”の『神田明神』だけあって由緒ある境内社が多数あります。この境内社に”社日参り(春秋の彼岸の中日に一番近い戌の日にお参り)に七つの石鳥居をくぐって参拝すると中風・ボケ封じになるそうです。Pt↑)は弥都波能売命(ミヅハノメ)を祀る水神社です。江戸時代、魚河岸の人達によって現・千代田区大手町に創建されたと云われ、元和年間(1615~1624年)にこの地に遷り、明治24年(1891年)に「魚河岸水神社」と社名を変更、日本橋魚市場の守護神として崇敬されます。築地場内市場の水神社は遥拝所で、こちらが神社です。
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ともか境内社の数が多いのですが…Pt↑)こちらは「江戸神社」です。三天王の一の宮であり、祭神は建速須佐之男命(タケハヤスサノオ)です。大宝2年(702年)に現・皇居に創建された大江戸最古の地主神とされています。鎌倉時代は土着豪族の江戸氏の氏神として崇敬され、上杉氏・北条氏と続きます。慶長8年(1603年)に神田神社と共に神田台に遷り、さらに元和2年(1616年)にこの地に遷座しています。この他にも小舟町八雲神社・大伝馬町八雲神社・浦安稲荷神社・宿稲荷神社・金刀比羅神社・末廣稲荷神社・祖霊社・合祀殿と並び、野村胡堂の小説”銭形平次”の碑なんてのもあります。
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築地川銀座公園の犬

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晴海通り、歌舞伎座側の『築地川銀座公園』の“名犬チロリ記念碑”です。解説によると…日本初の認定セラピードッグの記念碑で、ゴミ捨て場に産んだばかりの仔犬5頭と一緒に捨てられていた犬親子が紆余曲折のすえ日本でのセラピードッグ(心や体に病を抱えた人たちの手助けをする犬)第一号となった話だそうです。何故ここの設置されたかの説明はありませんが親犬と5匹の仔犬、なかなか微笑ましい銅像です。
更に笑えるのが「健康のこみち」と称する”足つぼマッサージ設備”です。靴を脱いでコースを一周。こんなはずでは…の激痛が走ります(苦笑)。
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蔵前神社・元犬

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落語の演目に「元犬/もといぬ」というのがあります。…『白犬は人間に近く、信心すれば来世には人間に生まれ変われる』…この話を聞いた”白い犬”がお百度を踏んで人間に生まれ変りドタバタをおこすという話です。この犬がお参りしたのが「目黒不動」と「蔵前の八幡様」の二通りあるようです。台東区蔵前の「蔵前神社」は元禄6年(1694年)、5代将軍綱吉が江戸城鬼門除として京都の石清水八幡宮を勧請したとされ、江戸時代は両国回向院、深川富岡八幡宮と並んで勧進大相撲の拠点でした。Pt↑)は境内の元犬=シロの像です。凛々しい姿です(笑)。モデルの犬は天然記念物の”北海道犬”だそうです。
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ブートCDの裏通り・41

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まぁ、2年前の来日公演、昨年のロンドン公演の内容から予想はついていましたが、新曲が数曲は入っただけで他は"こんなもんでしょう!”…。それにしてもアンコール曲が他人任せと云うのはどんなもんですかねぇ?驚きは某店舗で映像のブート(なんと素早い!)を覗き見しましたが、この日だけなのかEC御大の服はジャージ姿(それもアディタス)なんです。コンサート中盤でシャツを脱いでのTシャツ&ジャージ姿は朝の公園のジョギング爺さんといった感じです。昔はアルマーニ姿で颯爽と登場した御大がなんの理由か”ジャージ姿”とは…。
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これらのPtは速攻で登場した西新宿某店舗の2016年武道館公演のCDR&CDです。東京のみの5回公演なので”全日程豪華映像付きBOX仕上げ”も遅からず登場するのでしょうが、このスピードでの発売は頭の下がります。CDRはこの店舗の販促品(?)で基本非売品なのですが、これでも充分な録音状態です。文字ジャケがプレスCD仕上とは録音内容が格段に違うような…気がします(笑)。望むのは酷ですが爺さんの演奏に昔の面影は失せ、ナツメロ感に溢れるバンドになっているようです。次の日本公演があるのなら、キャパ1万人の武道館はやめて小さな箱がよろしいのでは…。

和田倉噴水公園

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現在の和田倉噴水公園の場所は江戸時代以前は大手門あたりまで「平川」河口で水深は浅い入江が入りこんでいました。江戸初期に入り江は埋め立てられ、江戸湾への”道三堀”掘削され、和田倉付近は江戸城へ日常物資の搬入口として荷揚場や倉庫(一ノ蔵地)が置かれていました。堀には和田倉橋が架けられ枡形(左曲り)の「和田倉門」が架けられ、時代の変遷と共に幕府御用地の厩であったり会津藩屋敷であったりしていたようです。『和田倉噴水公園』は、昭和36年に今上天皇の御結婚を記念して創建され、工事を担当した会社の笑ってしまう”入札価格”は伝説となっています…。大噴水は平成5年6月の皇太子殿下の御結婚を機に、新たに整備し、平成7年6月に完成したものです。公園を構成する施設には”デザインテーマ”が付けられていますが今回はパスします(笑)。奥のガラス張の建物はレストハウス&情報コーナー、トイレなどです。
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榊神社・須賀神社・銀杏岡八幡

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JR浅草橋駅下車、江戸通りを鳥越神社方面(浅草方面)に向かうと、かなりの密度で古社が鎮座しています。Ptは台東区蔵前1丁目の『第六天榊神社』です。ご祀神は「天神第六代坐榊皇大御神、面足尊/オモダル、惶根尊/アヤカシコネ」の神々ですが、正直どなたなのか良く判りません(苦笑)。景行天皇の40年に日本武尊により東国の平安を祈願、国家鎮護の神宮として創建されたされます。江戸時代には、徳川幕府浅草御蔵の総鎮守とされ、明治6年には廃仏毀釈の嵐を乗り切るために神社名を「榊神社」と改めています。
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台東区浅草橋2丁目の『須賀神社』は榊神社から僅かな距離です。須賀神社の創建年代は不詳ですが、推古天皇9年(601年)武蔵国豊島郡に疫病が流行した折、郷人等が牛頭天王の祠をたてて創始したといいます。ここ蔵前の地は、江戸時代には旗本や御家人の代理として禄米を受けることを職業とし、次第に江戸経済を動かすほどの勢力を持つようになっていく「札差」が多く住んだ街でもあります。
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台東区浅草橋1丁目の『銀杏岡八幡神社』です。東京にある八幡社は【源頼義・義家が奥州征伐に向かう途中に戦勝を祈願して創建】てのが多いのですが、そんなに祈願ばかりしていたら戦争にならないと思うのですが(苦笑)。この銀杏岡八幡神社も奥州へ向かう途中、銀杏の枝を差して戦勝祈願、その帰途に康平5年(1062)に当社を創建したと伝えられます。そうですか(笑)

ブートCDの裏通り・40

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ECの日本公演も終わり都内某所では全5公演のブツが出まわりだしたようです。早速4/13の武道館初日のプレス盤を購入してみました。音の良いこと(!)これで隠密録音とは流石です。Pt↑)左はTEDESCHI TRUCKS BAND - BUDOKANの武道館・2016.4/1です。Derek Trucks。10代で天下のAllman Brothers Bandに加入ですからねぇ。そのDerek も39歳とは、感慨深いものがあります。実はDerek TrucksのCDは妙な中近東系音楽(?)があったりで好きではありませんでした。例外は2006年にECとの来日公演…。、あのDominos大会は凄かったのです。「偉そうに武道館で単独公演かよっ」と思って購入したのですが…。冗談抜きでこれ凄いんです!Leon Russell やJoe' Cockerの”Mad Dogs & Englishmen”を彷彿させる感じでグイグイきます。1曲目)ボーカルが終わって~Derekのスライド~涙がでそうです。大所帯(12名?)バンドのグルーブも素晴らしく録音状態も完璧です。欲を言うなら奥さんのボーカルが絶叫型(やや単調)で、Bonnie Rait的な感じであればなぁ…。このCD完売しますかねぇ(笑)。ZepやナツメロStones以上に聴いて欲しいもんです。

今戸・弾左衛門屋敷

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山谷堀から奥州街道越しの都立浅草高等学校あたりからが”浅草弾左衛門屋敷跡”です。組織としての弾左衛門は穢多の頭として関八州の非人や傾城屋(遊郭)などを統括し被差別民が被差別民を統括するという支配構造でした。穢多身分は皮革の生産や罪人の管理など「穢れ」の仕事に携わり、車善七を頭とする非人は社会化からの落ちこぼれ民で穢多身分とは異なります。さらに武家が困窮して大道芸等で暮らす「乞胸(ごうむね)」と呼ばれる人達も被差別民として存在します。幕府公認、非公認の遊郭、遊女達を含めると”浅草近辺地域の特殊性”が見えてきます。
山谷堀公園の公衆トイレ付近が、浅草橋~浅草~小塚原と移転した処刑場の跡地のようです。その隣には明治24年に西巣鴨に移転した「西方寺」があり、箕輪の「浄閑寺」とともに吉原遊女の投げ込み寺でした。この弾左衛門、非人頭の車善七、乞胸、吉原傾城屋の話は、実に興味深いのですが…。とてもじゃないけど手に負えそうもありません(苦笑)。

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浅草橋の甚内神社…(Ⅱ)

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江戸時代の身分制度としては「士・農・工・商」が知られていますが、実際はこの後に「穢多(えた)・非人(ひにん)」と続きます。穢多身分は「穢れ」に関する仕事に従事し皮革の生産や罪人の管理、歌舞伎役者のように非生産者の管理を町奉行を通じてコントロールしていました。いわば非公認公務員のような感じです。対して非人は社会化からの落ちこぼれたいわゆる”乞食”です。江戸寛永年間では大名家の取りつぶしや飢饉により貧民が増加し、幕府は非人頭を任じて独自の「乞食を持って乞食を管理する」という制度を作りました。この非人頭が『車善七』で鳥越の地に500坪の土地を与えられています。鳥越での主な仕事が処刑の手伝いだったようで『高坂甚内』の処刑も立ち会ったことでしょう。
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鳥越処刑場の場所は不明ですが、浅草橋3丁目交差点の「天文台跡」の碑があるあたりだったと思われます。Ptの『鳥越神社』は日本武尊を祀る創建651年(白雉2年)という古社で後に幕府の米蔵造成で社地が削られていますが、広大な神社だったようです。

浅草橋の甚内神社…(Ⅰ)

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浅草橋3丁目の『甚内神社』です。ごく普通の街の神社のようですが、祀られているのは『高坂(向坂) 甚内』。甲斐武田家の高坂弾正の子供であるとか宮本武蔵から剣を学んだとかの伝承もありますが、実際は慶長年間に江戸の街を荒らしまわった”大泥棒の頭目”です。力も強く剣にも長けていたのですが、オコリ(マラリア?)という病気に罹り高熱で苦しんでいるところを”御用”となってしまいました。大泥棒がご祀神とは珍しい限りです。
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高坂甚内が市中引き回しの上、浅草鳥越の処刑場で磔となる際に「瘧(オコリ)に苦しむ者は我を念ぜよ」といったことから、『甚内神社』が瘧(オコリ)の神様として祀られています。神社自体は場所が変わっているようですが、『甚内橋遺跡』と彫られた石柱には、この地に『甚内神社』があったとの記載があります。現在は暗渠となった鳥越川に架かる橋で、川を超えると『鳥越神社』の手前あたりが浅草鳥越の処刑場となるようです。
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徳川家が江戸へ入った頃には処刑場は現日本橋本町にあったようです。江戸の拡大発展と共に処刑場も日本橋→鳥越→浅草山谷堀→小塚原と移っていく事となります。Pt↑)は加賀美稲荷です。稲荷→甚内橋遺跡→甚内神社を結ぶ道が鳥越川跡のようです。この『加賀美久米森稲荷神社』は江戸初期に当地に住んでいた『猿飼』の加賀美太夫の創建とされています。この『猿飼』と現代の"猿廻し演芸"とは異なり、ほとんど知られていない武家社会の伝承があります。
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