旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2016年07月

栃木市・蔵の街

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栃木市と言えばの”定番景色”です(笑)。白壁の土蔵が巴波川の水面に映り・・。テレビなどに幾度も登します。この白壁土蔵は「塚田歴史伝説館」で、江戸弘化年間(1844頃)に材木を巴波川から利根川経由で江戸まで運ぶ木材回漕問屋の商家跡です。実際はこの”遊覧船”は手前の橋脇の乗船場からの約120m(?)を往復しているだけです。映像で切り取れば九州・柳川や松江、倉敷、彦根、水郷佐原の景観と似ていますがホントに”これだけ”です。映像のマジックとはこの事です。
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贔屓目に見ても”物資の集配地”として栄えた街という共通項で、「小江戸」やら「関東の倉敷」とは言い過ぎです。県観光交流課によると平成26年度は563万人も訪れているようで、街の観光案内パンフ、道案内板などは充実しています。それはそれとして、街で感じる”違和感”は何なんでしょう?。古そうな街並み、似たようなB級グルメ、ノスタルジーを喚起する仕掛け、そしてユルキャラとお祭。どこの街も変わり映えがしません(苦笑)。栃木駅~新市役所~例幣使宿場町~県庁堀~ここまで、各々の間は徒歩15分程度なので1日で充分楽しめます。
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Pt↑)も観光資料に良く使われる写真です。昔の県庁があった地に場所に”町役場庁舎”として建てられた木造2階建塔屋付の洋風建築です。数年前まで市役所庁舎として使用していたのですが、現在は空家のような感じです。栃木市は廃藩置県令により下野の国が栃木と宇都宮県に分割され、明治6年(1873)に宇都宮県が廃止、当時の栃木町が県庁所在地となのですが、明治17年(1884)には県庁が”宇都宮”移転し、県都の栄光は僅か13年です。当時の県庁敷地跡を囲む「県庁堀」と呼ばれる約1kmの掘割には旧市役所庁舎や県立栃木高校残っています。街には緑も多く巴波川や県庁堀、点在する古家や寺社などに街の栄枯盛衰の歴史風景が点在していますが…。
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このあたりが例幣使街道のようです。『例幣使』とは、徳川家光により日光東照宮に徳川家康霊廟が造営されると、幕府は朝廷に幣帛(へいはく)の奉納(要は”頭を下げに来い)と要求。朝廷側は正保3年(1646)から日光に勅使 (例幣使) を派遣するようになります。『例幣使』となった貧乏公家は朝廷と幕府の権威をを持って道中ここぞとばかりの我儘放題で、宿場町は大変な迷惑をこうむったようです。そのために整備された街道が『日光例幣使街道』で、中仙道倉賀野宿から日光西街道・楡木宿までの14宿を言います。日光東照宮では4月15日から家康の命日の17日まで大祭が行われ、これに合わせて京都を出発。15日に日光到着し翌日の奉幣後はとっとと東海道を通って帰っていきます。そんな宿場町跡が残っているようですが、面影なんざぁ何処にもありません(笑)。
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この倭町(ヤマチマチ)信号辺りが商業的に賑わった場所なのでしょうか(苦笑)。なんか寂しい感じがします.昨今は大型商業施設などは郊外に出店し、以前の街の中心の商業施設は寂れてしまいます。この街にも。登録文化財、看板と異なる商店、資料館などの観光施設がポツリポツリと並んでいますが、朽ち果ていく普通の店舗の方が圧倒的に多いようです。残念ながらこの傾向は全国的な現象です。
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栃木県栃木市には江戸から明治時代の蔵や商家などが残っており「小江戸」や「関東の倉敷」とも呼ばれているそうです。巴波川(うずまがわ) を中心とした船運や京都朝廷から日光東照宮への使者(例幣使/れいぜいし)の宿場町として繁栄した時代があったにしても 「関東の倉敷」は言い過ぎです(笑)。Pt↑)はJR両毛線と東武日光線の駅舎です。駅再開発の象徴にしても駅近には飲食店もまばらで、駅前は「蔵の街って何処じゃい?」の感があります。「蔵の街」へは、駅北口からは”蔵の街大通り”を1km(15分)ほど歩きます。道路は広く交通量は少なく、電柱は撤去され景観はよろしいのですが、高い建物がなく商店もまばらです。駅前広場には「山本有三氏」=路傍の石の作者の文学碑なんてのもあります。
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栗橋…静御前の墓

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埼玉県久喜市に源義経の愛人・静御前の墓あるというので途中下車で寄ってみました。久喜市の残る伝説によると…【義経を追って奥州に向かった静御前は文治5年(1189)5月現在の茨城県古河市で義経の死を知り、当時の栗橋町の高柳寺で出家したものの、旅の疲れや心労から病になり同年9月に22歳で亡くなったとされる】…そうです。JR(東武)栗橋駅東口徒歩1分の地には、静御前の墓と義経の招魂碑、生後すぐに殺害された男児の供養塔があります。静御前の終焉の地伝承は全国各地にあるのですが、久喜市では毎年9月には「静御前墓前祭」という追善供養や10月第3土曜には「静御前まつり」と呼ばれる祭が行われています。それにしてもこの看板、冗談にもほどがあります。
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義経と逸れて捕われ、鎌倉で頼朝の前で舞ったとされる…【しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな 吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき】…義経を慕う歌は大変有名ですが、これは『伊勢物語』の「古のしづのをだまき繰り返し 昔を今になすよしもがな」の歌を引用しています。静御前=白拍子=現代ならキャパ嬢。いやいや大変な教養です。それにつけても義経公は兄・頼朝の思考も理解できない自己中の馬鹿野郎で「猫背で出っ歯の不細工」だったとの説もあります。それでも”源氏の御曹司”には女は弱いのかも知れません(笑)。
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築地KYビルが(笑)

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気にもしなかったのですが、晴海通りと新大橋通りの交差点の『築地KYビル』が外装のリニューアル工事中です。2016年10月の新装オープンと告知されていますが、2Fがカフェ・レストラン『築地ボン・マルシェ』、この2Fのレストラン部分はマクドナルド閉店、ファミレス・サイゼリアも閉店と閑古鳥続きだった場所なので苦戦必至でしょう。場内市場豊洲移転を見据えの作戦でしょうが…「MARCHE=市場」や「散歩する」や「働く」といった意味のフランス語は”築地市場”のイメージとかけ離れています。なんたら不動産あたりのアイディアなのでしょうが、バカです。リニューアルは”隈研吾建築都市設計事務所”&照明デザイン”I.C.O.N 石井リーサ明理”が担当。イマイチの新歌舞伎座チームですねっ。こうなると浅草観光センターのように”ジェンガ”のような外見で、オシャレだがよくみれば安っぽい建物なのは容易に想像ができます(笑)。
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太田道灌像

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東京国際フォーラム内の『太田道灌像』です。太田道灌像は新宿中央公園、日暮里駅前、川越市役所などあちこちに造られてていますが、「朝倉文夫」作によるこの銅像が一番美形(?)なのではないでしょうか(?)。比べても新宿中央公園の作品は見劣りするような気がします。『太田道灌』…室町時代後期の武将です。1432年~1486年没となると当然のごとく徳川家となんの関連もありません。100年を時を経て元領地にやってきた徳川家が幕府を開き260年にわたって続いた為、道灌の名前が後世に残ったのですが、㈱上杉の東京営業所所長的な単なるローカル武将にすぎません。「江戸城」を築城と云っても、道灌・江戸城は砦程度の規模で、何処にあったのか明確に判っていません(東御苑・北跳橋門~北の丸辺りとされています) 道灌堀や桔梗門など”らしき”名称は現在もありますが、関連性に乏しいようです。
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都庁・都民広場・銅像

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都庁舎には第1第2本庁舎、都議会議事堂、都民広場に彫刻やレリーフなど計38点のアートワークが展示されています。”こんなにあるんかい?”というのが正直な感想です。現代美術界では知られた作家の作品なのでしょうが、庁舎内で38点の展示を見るとなると大変な時間が必要でしょう。何気に見られるのがPtの都民広場の銅像群で「風の中」、「はばたき」、「天にきく」、「犬の唄」、「早蕨」、「Mari」、「エピダウロス・追想」、「アダムとエヴァ(ジュンカンムタン)」の8作品が並んでいます。作者が付けたタイトルですから尊重するしかありません(苦笑)。
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太田道灌・久遠の像

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新宿中央公園の太田道灌「久遠の像」です。二流武家の二流たる所以を表しています。…道灌が鷹狩りの最中に雨にあい、近くの農家で”蓑”を貸してくれと頼んだところ、若い娘に蓑ならぬ山吹の枝を差し出されて激怒した有名な事件です。この娘は後拾遺集の兼明親王の歌「七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞかなしき」から蓑ひとつない貧乏を伝えたかったのですが、教養のない道灌にはこの意味が理解できなかったという伝承です。この伝承の舞台とされる地が1)埼玉県越生、2)豊島区面影橋付近、3)新宿区山吹町とあるのですが、そんな事より1400年代の関東に住む貧乏人の娘が後拾遺集の歌を知っている方が驚きです。…【教養のない三流武家と関東の片田舎に住む教養のある貧乏娘】…「山吹の伝承」を知らないと理解不能な作品です。意図したモノでなのでしょうか(?)銅像の雑な事(!)。妙に感心します。
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