旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2016年07月

栃木・蔵の街…(序)

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栃木県栃木市には江戸から明治時代の蔵や商家などが多く残っており「小江戸」や「関東の倉敷」とも呼ばれているそうです。巴波川(うずまがわ) を中心とした船運や京都朝廷から日光東照宮への使者(例幣使/れいぜいし)の宿場町として繁栄した時代があったにしても 「関東の倉敷」は言い過ぎです(笑)。Pt↑)はJR両毛線と東武日光線の駅舎です。駅再開発の象徴にしても駅近には飲食店もまばらで、駅前からだと「蔵の街って何処じゃい?」の感があります。さぁここから「蔵の街」探索です。駅北口から市街地へは”蔵の街大通り”を1km(15分)ほど歩きます。道路は広く交通量は少なく、電柱は撤去され景観はよろしいのですが、高い建物がなく商店もまばらです。東武線の改札横にはシンガー・ソングライター「ロイ白川氏」のポスターがデンと貼ってありました。地元の有名人なのですかねぇ?。駅前広場には「山本有三氏/路傍の石の作者」の文学碑なんてのもあります。
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久喜・静御前の墓

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埼玉県久喜市に源義経の愛人・静御前の墓あるというので途中下車で寄ってみました。久喜市の残る伝説によると…【義経を追って奥州に向かった静御前は文治5年(1189)5月現在の茨城県古河市で義経の死を知り、当時の栗橋町の高柳寺で出家したものの、旅の疲れや心労から病になり同年9月に22歳で亡くなったとされる】…そうです。JR(東武)栗橋駅東口徒歩1分の地には、静御前の墓と義経の招魂碑、生後すぐに殺害された男児の供養塔があります。静御前の終焉の地伝承は全国各地にあるのですが、久喜市では毎年9月には「静御前墓前祭」という追善供養や10月第3土曜には「静御前まつり」と呼ばれる祭が行われています。それにしてもこの看板、冗談にもほどがあります。
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義経と逸れて捕われ、鎌倉で頼朝の前で舞ったとされる…【しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな 吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき】…義経を慕う歌は大変有名ですが、これは『伊勢物語』の「古のしづのをだまき繰り返し 昔を今になすよしもがな」の歌を引用しています。静御前=白拍子=現代ならキャパ嬢。いやいや大変な教養です。それにつけても義経公は兄・頼朝の思考も理解できない自己中の馬鹿野郎で「猫背で出っ歯の不細工」だったとの説もあります。それでも”源氏の御曹司”には女は弱いのかも知れません(笑)。
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築地KYビルが(笑)

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気にもしなかったのですが、晴海通りと新大橋通りの交差点の『築地KYビル』が外装のリニューアル工事中です。2016年10月の新装オープンと告知されていますが、2Fがカフェ・レストラン『築地ボン・マルシェ』、この2Fのレストラン部分はマクドナルド閉店、ファミレス・サイゼリアも閉店と閑古鳥続きだった場所なので苦戦必至でしょう。場内市場豊洲移転を見据えの作戦でしょうが…「MARCHE=市場」や「散歩する」や「働く」といった意味のフランス語は”築地市場”のイメージとかけ離れています。なんたら不動産あたりのアイディアなのでしょうが、バカです。リニューアルは”隈研吾建築都市設計事務所”&照明デザイン”I.C.O.N 石井リーサ明理”が担当。イマイチの新歌舞伎座チームですねっ。こうなると浅草観光センターのように”ジェンガ”のような外見で、オシャレだがよくみれば安っぽい建物なのは容易に想像ができます(笑)。
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祝・国立西洋美術館

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2016年7月17日に上野の「国立西洋美術館の本館」が、ユネスコの世界遺産にタナボタ登録されました。元々西洋美術館の作品群は、現川崎重工業の松方幸次郎氏が20.世紀初めにフランスで収集したコレクション(松方コレクション)を基としています。第2次世界大戦終了後、フランス政府は松方コレクションを敵国資産として没収してしまいます。1951年、サンフランシスコ講和会議の際に吉田茂首相らの交渉によりコレクションのうちフランスが返還に応じなかったゴーギャンやゴッホなど数点を除き、絵画、素描、版画、彫刻、書籍など370作品が『美術館を建設して展示する』という条件付きで返還(フランス側は「寄贈」と主張)されました。1954年建物の設計を20世紀建築の巨匠ル・コルビュジエに依頼することとなり、1955年(昭和30)11月には巨匠本人が最初で最後の来日として、建設予定地や京都、奈良を8日間視察して帰国。後に届けられた基本設計案、実施設計案をもとに弟子にあたる日本人の実施設計により建てられたいます。なんか釈然としませんが、ここは「世界遺産登録おめでとう」と言っておきます。
ロダン作『地獄の門』は世界で7ヶ所で展示されています。作品の一部が『考える人』となっています。
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太田道灌像

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東京国際フォーラム内の『太田道灌像』です。太田道灌像は新宿中央公園、日暮里駅前、川越市役所などあちこちに造られてていますが、「朝倉文夫」作によるこの銅像が一番美形(?)なのではないでしょうか(?)。比べても新宿中央公園の作品は見劣りするような気がします。『太田道灌』…室町時代後期の武将です。1432年~1486年没となると当然のごとく徳川家となんの関連もありません。100年を時を経て元領地にやってきた徳川家が幕府を開き260年にわたって続いた為、道灌の名前が後世に残ったのですが、㈱上杉の東京営業所所長的な単なるローカル武将にすぎません。「江戸城」を築城と云っても、道灌・江戸城は砦程度の規模で、何処にあったのか明確に判っていません(東御苑・北跳橋門~北の丸辺りとされています) 道灌堀や桔梗門など”らしき”名称は現在もありますが、関連性に乏しいようです。
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迎賓館赤坂離宮…弐

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迎賓館赤坂離宮は2009年(平成21年)12月8日に旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)として明治以降の文化財としては初の国宝に指定されました。今迄は見学へのハードルが大変高かったので、今回の一般公開には喜ばしいモノがあります。公開された建物内部、部屋の造作には多くの見学者から賞賛の声が聴かれます。それにしても迎賓館の設計者・片山東熊の構想とはなんだったのでしょう? Pt↑)は主庭噴水の動物達です。羽があるのは”麒麟”ですかね?リアルな亀は実物ではありません。ライオンは水を吐いています。 
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東熊は立案から1年余時間をかけてヨーロッパの宮殿建築の調査。10年の歳月をかけ予算も250万円から膨らみ続け最終的には500万円を超える(換算すると900億円以上)。あまりの贅沢さに明治天皇は呆れ、大正天皇、昭和天皇にも気に入られず、戦後は省庁として変遷、ようやく迎賓館として生き残りました。そんな紆余曲折はともかくとしてこれだけのモノが残ったのは素晴らしい事です。900億超える総工費は当時の日本国力では大変な出費だったのでしょうが、片山東熊・長州出身=元勲・山県有朋・長州出身の子分となれば予算は使い放題だったのかも知れません。
建物の屋根に乗る鳳凰のレリーフ、桐の紋章。中央部分には鎧武者の像(兜のデザインが左右異る)などなど”和”のテイストが工夫されています。壮大な構想と費用をかけたのに御所として使われず、最終的には迎賓館とは…。何か”戦艦大和”みたいですねっ。
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迎賓館赤坂離宮へ…

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元赤坂の迎賓館(迎賓館赤坂離宮)へ行ってきました。2016年4月から一般公開が通年で実施され、大変な人気のようです。見学申し込みは事前予約と当日整理券の方法があり、休館等のスケジュールは内閣府HPで確認できます。当日見学整理券は08:00頃より配布とされます(07:20到着20番目でした)。とは云うものの迎賓館の開門は09:30入館は10:00なので四ツ谷駅付近で時間つぶしが必要です。西門で整理券の記載時間をチェックされ、手荷物検査、入場券購入(¥1000)となります。滞在の時間制限はありませんが飲食施設はありません。
本館内は後回しにして主庭に向かいました。【写真撮影は外観は可、館内は不可。外部から館内が写りこむ写真も不可です】
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この迎賓館の建物は1909年(明治42)に建築家ジョサイア・コンドルの弟子である片山東熊(カタヤマ/トウクマ)の設計により、元紀州藩の屋敷跡に建てられています。建物の外観が華美過ぎ、住居としての使い勝手が良くなかったことから、皇太子嘉仁親王(大正天皇)は使用せず赤坂離宮となっています。第2次大戦後は赤坂離宮は皇室から国に移管となり、国立国会図書館・法務省・弾劾裁判所・東京オリンピック組織委員会などが使用しています。その後外国の賓客を迎えることが多くなったことから、1962年(昭和3)池田総理により迎賓施設を整備する閣議決定がされ1974年(昭和49)3月に現在の迎賓館が完成しています。2006年(平成18)から2008年(平成20)にかけての改修工事を経て2009年(平成21年)12月8日、旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)として明治以降の文化財としては初の国宝に指定されています。
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都庁・都民広場・銅像

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都庁舎には第1第2本庁舎、都議会議事堂、都民広場に彫刻やレリーフなど計38点のアートワークが展示されています。”こんなにあるんかい?”というのが正直な感想です。現代美術界では知られた作家の作品なのでしょうが、庁舎内で38点の展示を見るとなると大変な時間が必要でしょう。何気に見られるのがPtの都民広場の銅像群で「風の中」、「はばたき」、「天にきく」、「犬の唄」、「早蕨」、「Mari」、「エピダウロス・追想」、「アダムとエヴァ(ジュンカンムタン)」の8作品が並んでいます。作者が付けたタイトルですから尊重するしかありません(苦笑)。
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太田道灌・久遠の像

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新宿中央公園の太田道灌「久遠の像」です。二流武家の二流たる所以を表しています。…道灌が鷹狩りの最中に雨にあい、近くの農家で”蓑”を貸してくれと頼んだところ、若い娘に蓑ならぬ山吹の枝を差し出されて激怒した有名な事件です。この娘は後拾遺集の兼明親王の歌「七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞかなしき」から蓑ひとつない貧乏を伝えたかったのですが、教養のない道灌にはこの意味が理解できなかったという伝承です。この伝承の舞台とされる地が1)埼玉県越生、2)豊島区面影橋付近、3)新宿区山吹町とあるのですが、そんな事より1400年代の関東に住む貧乏人の娘が後拾遺集の歌を知っている方が驚きです。…【教養のない三流武家と関東の片田舎に住む教養のある貧乏娘】…「山吹の伝承」を知らないと理解不能な作品です。意図したモノでなのでしょうか(?)銅像の雑な事(!)。妙に感心します。
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