旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2016年10月

珍しい郵便ポスト…03

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東京駅丸の内南口の郵便ポストは、どうにも記念碑的要素が否めませんが、100m程で『東京中央郵便局』があるので事は足ります。東京中央郵便局は1871年の郵便制度発足時に、大阪&西京(京都)郵便局と同時に開設された郵便役所のひとつで、大阪中央郵便局とともに日本初の中央郵便局です。その日本郵便のキャラクターが『ぽすくまとその仲間』です。くまのぬいぐるみの郵便屋さん・・・。なるほどねぇ(笑)。
★東京中央郵便局には”面白ポスト”はありません。
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JR品川駅構内の「東海道線カラーリングの郵便ポスト」です。車輪まで付けて芸が細かいです(笑)。解説版には郵便ポスト&0㎞ポストとあり、Ecute品川誕生記念(2005年)に造られています。品川を起点として田端駅までの山手線、品川~西大井経由から鶴見までの品鶴線の2線の起点がこちらで、品川駅は東京駅から6780mのところにあるようです。中央コンコースの5番線階段の上あたりです。
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鐵道の街、JR大宮駅構内の「かえるポスト」です。=『この郵便ポストは大宮駅の開業120周年を記念して設置されました。「鉄道の街・大宮」をイメージして、鉄道車両の部品(貨車の車輪・標識燈・車側表示燈・行き先票サシ・側足掛け)を利用して製作しました。大宮駅を利用されるお客様が、「無事に帰る」ことを願って、「かえるポスト」と名づけました。』=とありますが・・・。”かえる”ねぇ、何故かえるなんでしょうねっ?”
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局名は『池袋駅前郵便局』というのですが、池袋駅から徒歩5分の中池袋公園隣接と決して”駅前”ではありません(苦笑)。誰が言うのか”豊島区はふくろうが羽を広げた形に見えるのだそうです。言われてみればあちこちにふくろうのオブジェがあるような・・。で、この郵便ポストは豊島区広報キャラクター『としまななまる』がモチーフになっています。担当が「ふくろう」と言うのですから「ふくろう」なんでしょう。

珍しい郵便ポスト…02

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JR川口駅前の商業施設「かわぐちキャスティ・元川口産業会館」前にある妙なヤツです。解説によると『昭和40年頃まで川口市内の鋳物工場で、丸型の赤い郵便ポストが製作されていました。そこで、地場産業の鋳物を市民の方々に知って頂くために、キャスティの完成を記念して、曲線を生かした未来型郵便ポストを制作しました。』・・・あぁそうですか(苦笑)。
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東京駅丸の内中央口の改札内にある郵便ポストです。ポストが帽子をかぶっているのではなく、東京駅のドームを模しています。普通郵便投函口には「風景入通信日付印」希望と記してあり、希望すると消印部分が東京駅舎をデザインのスタンプが押されるということのようです。
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こちらは丸の内南口改札外の丸型ポストで現役です。=この『丸型庇付郵便ポスト』は大正時代に製造され、茨城県神栖市の茨城県神栖市の波崎郵便局前で使用後、1986年7月から同市の「みだ保育園」で園児の安全を見守りました。2014年12月に東京駅開業100周年を迎えるに、開業と同時期に製造された郵便ポストを当時の原型のまま復元・設置しました=とあります。
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情報によると(2016.11月)上野動物園の正門付近は工事中で「パンダ・ポスト」にはブルーシートがかけられ、工事フェンスの内側にあるため、現在は見ることができないようです。

祥雲寺・山田浅衛門

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”首斬り浅”こと山田浅右衛門は、弾左衛門と同様に特定個人の名前ではなく8代将軍吉宗の時代の初代から明治の8代目まで続く「死刑執行担当の一族」の呼名です。2代目浅右衛門が徳川吉宗の刀の試し斬りを担当し、そこから幕府より刀剣の試し切り、公儀御様御用役(おためしごよう)の任されています。歴代当主は剣の実力や刀剣鑑定にも優れていながらも、死の穢れを伴う役目だけに旗本や御家人でもなく浪人の立場だったとはいかにも日本的な制度です。この役目は明治14年(1881)に斬首刑が廃止されるまで続くこととなっていきます。豊島区行池袋の曹同宗・祥雲寺(しょううんじ)には、7代目山田浅右衛門吉利の墓があります。7代目山田浅右衛門は、剣豪として知られた人物で橋本左内や吉田松蔭らの首を斬った人物のようです。
 =資料により「浅」だったり「朝」だったりしているのですが、こればかりは良くわかりません=
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北区・旧古河庭園…(1)

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北区・西ヶ原の『旧古河庭園』は蔵野台地の地形を利用して北側の丘には洋館を建て、斜面には洋風庭園、低地には日本庭園を配した造りとなっており、洋風庭園のバラ園は”古河庭園”の代名詞にもなっています。洋館と洋風庭園の英国人ジョサイア・コンドルの設計です。コンドルは旧岩崎邸庭園洋館、鹿鳴館、ニコライ堂などの設計をしており日本建築界の多大なる貢献者なのですが、私邸の設計などの小銭稼ぎ的仕事も結構あります。古河庭園は明治の元勲・陸奥宗光の別邸で、後に古河家の所有となっています。煉瓦造・地上2階・地下1階、外壁は真鶴産の安山岩を使用した洋館部分は大正6年の竣工で、コンドルの晩年の作です。
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古河家が去った後は当時の中国・南京政府の要人・汪兆銘が隠れ住んだり、太平洋戦争末期には九州九師団の将校宿舎として接収されたり、戦後は英国大使館付き武官の宿舎として利用されるなど数奇な歴史を有しています。バラ園の下方には、京都の庭師・小川治兵衛の造りによる日本庭園がありますが、近くの駒込・六義園に比べるとどうしても見劣りします。庭園は「税金未払いによる物納」で国へ所有権が移り、東京都が国から無償で借り受けて一般公開されています。大正初期の庭園の原型を留める、和洋の調和した庭園として平成18年に文化財保護法により国の名勝指定も受けています。以前からファッション関連のモデル撮影場所として知られていましたが、以前は建物は荒れ果て朽ち果てる寸前、庭園も雑草だらけと、とんでもない状態でした。よくぞ現在の状況に戻せたと思います。現在、洋館部分は「財団法人大谷美術館」なる団体が管理し、予約なしでは建物内を見学することができません。東京都が管理する施設でありながら、一部を財団が”占拠”するなど不可思議な管理構造です。
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霜降銀座商店街あたり

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JR駒込駅から旧古河庭園方向へ本郷通りを下った『霜降銀座商店街』です。内田康夫氏の小説の主人公・本業はルポラーターで何故か名探偵の「名探偵★浅見光彦の住む町」と設定されています。何人もの役者が演じ、TVドラマシリーズも放送されていました。PT↑)が本郷通り側の「霜降銀座商店街」の入口です。「し」の字が日陰で見えませんが、中央のユルキャラは「しーちゃんマーク」だそうです。商店街自体はここから約250mとさほど大きくはありませんが、これを『銀座』と言い切ってしまうのはかなり大胆ですが、雰囲気的には「下町商店街的感」に満ちています。
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JR駒込駅寄り、女子栄養大駒込キャンパス近くの「妙義神社」です。「勝負の神、縁結びの神」として信仰されているとあり、日本武尊東征の際、陣営を構えたされる豊島区最古の神社だそうです。後に太田道灌が戦勝を祈願し勝利を収めたことにより勝負の神となったようです。日本武尊&太田道灌の両者は江戸時代以前からの東京の神社縁起には度々登場してきます。残念な事に昭和20年(1945)の空襲により社殿・社務所や太田道灌奉納の剣や道灌像などは焼失しています。
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さらにJR駒込駅寄りの妙義坂に面して「駒込妙義坂子育地蔵尊」が祀られています。失礼ながら地蔵尊となるとどうしても格下で道端で素朴に佇むという感じなのですが、この地蔵尊は立派なお堂が造られています。解説文を読むと寛文8年(1668)の創建とされ戦前には70坪の境内地で節分や縁日には賑わったとあります。珍しいのはセーラー服におかっぱ頭の二人の少女の供養碑があります。昭和8年(1934)に付近で交通事故で亡くなった少女を供養する為に建てられたものです。
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珍しい郵便ポスト…01

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最初にこれを見た時は「あまりの陽当たりの良さに”赤”が褪色した」と思いました(笑)。JR駒込駅北口の本郷通り側の郵便ポストは”桜色”をしています。駒込駅近辺は江戸時代は染井村と呼ばれ、植木等の生産地として有名で多くの園芸品種が作られていました。日本人なら誰もが知っている「ソメイヨシノ/染井吉野」は旧染井村でエゾヒガンザクラとオオシマザクラを交配して作られた品種なのです。そんな事から駅隣の公園には染井吉野の発祥の地として「染井吉野桜記念公園」がありますが、旧染井村とはかなり離れています。そういえば上野動物園にはパンダ柄があった様な…。
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都立庭園・小石川後楽園…(1)

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『小石川後楽園』は岡山の後楽園と区別するため”小石川”の冠がつき、東京ドームの前身「後楽園球場」や「後楽園遊園地」の名称は、この小石川後楽園の由来します。江戸時代初期の水戸徳川家の中屋敷(後に上屋敷)内に造られた大名庭園で大正12年(1923)に国の特別史跡&特別名勝に指定されています。1629年頃より水戸藩初代・徳川頼房の時代に着手し2代目藩主・光圀により完成しています。7万㎡を超える園内には大泉水、中国の景勝地を模した小廬山、稲田など大名庭園の景観が残っています。2代目藩主・光圀がいわゆる「水戸黄門」です。この方はTVなどで知られるような諸国漫遊の旅など一度も出かけていません。若いころは刀の試し切りと称して人切りに励んでいたとの話もあり、かなりやんちゃな御人だったようです。
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葛飾 柴又帝釈天…(2)

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葛飾柴又は港区からだと電車の便も道路事情もよろしくありません。川向こうは千葉県ですから(苦笑)。さて「柴又帝釈天」。日蓮宗寺院で経栄山題経寺(きょうえいざん だいきょうじ)が正式名です。「帝釈天で産湯~」は柴又七福神の「帝釈天=毘沙門天」によりますが、帝釈天(仏教の守護神)と毘沙門天は起源が異ります。最初にくぐる「二天門」は明治29年の完成で、屋根には唐破風と千鳥破風。門の左右には増長天と広目天を安置しています。二天門正面が「帝釈堂」です。内殿(大正元年/1915)は入母屋造瓦葺で、拝殿は(昭和4年/1929)の完成とあります。帝釈堂の外壁面に大正から昭和期に制作された上部に十二支と天人や千羽鶴。下部には花鳥および亀の浮彫りされた法華経説話の彫刻が10面あります。
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帝釈堂の裏手が「大客殿」、昭和4年(1929)完成の入母屋造瓦葺、平屋建ての左右に細長い建築です。庭園邃渓園(すいけいえん)は向島の高名な造園師永井楽山翁によって昭和40年に完成されたものだそうです。因みに帝釈堂の彫刻ギャラリーと大客殿、邃渓園の回廊は¥400/大人で見られます。
帝釈天の裏手が有名な「矢切の渡し」です。対岸には何もないのですが、ご覧の様な増水で…。あれから20年。いつまで寅さんにぶる下がる気なのでしょうか?最たるモノの象徴が「寅さん記念館」です。
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葛飾 柴又帝釈天…(1)

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葛飾区・柴又となれば『男はつらいよ』=寅さんシリーズと来ますね。1995年の第48作・男はつらいよ・寅次郎紅の花が最終作品(1997年の編集作品を除く)となるそうです。最終作の公開から21年、渥美清没後20年という事になっても、映画の再上映、TV放送、DVD等々で一度は見たことのある日本映画でしょう。その伝承が20年を経てもこの街には息づいています。柴又駅前からしてこれ(Pt↑)です。これから旅に出ようとする寅さん。なんでも寅さん像の目線の先に妹(さくら)の像が予定とか…。なんと言ったら良いモノやら。京成柴又駅から帝釈天まで200mほどの帝釈天参道には団子やら川魚料理店やら土産屋が軒を連ねます。平日の午前中なのでまだ観光客もそう多くはありません。看板猫風のねこ様も呑気にしています。
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亀有・香取神社

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葛飾区亀有の『亀有香取神社』です。ご祀神は経津主大神(たけみかづちのおおかみ)。相殿に武甕槌大神(たけみづちのおおかみ)、岐大神(くなどのおおかみ)が祀られています。経津主大神と武甕槌大神は闘いの神とされ「何事にも打ち勝つ勝負、開運厄除の神様」「スポーツ振興の神様」として、相殿の岐大神は「足腰健健康の神様」として崇敬されています。鎌倉時代の建治2年(1276)、下総国葛西御厨亀無村の香取大神宮の神領地に創建、村の鎮守とされています。旧亀無(亀梨)村が亀有に変わったのかは定かではないのですが、珍しい事には地名の「亀有」にちなんだのか鳥居前に「亀像」が置かれています。これも「神使」なのでしょうか?
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亀有と言えば話題の「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の舞台です。神域に両さんの銅像まであるので、神社も度々登場したことでしょう。40年の連載ともなれば亀有の街も様変わりして変わらないのは神社くらいかも知れません。駅前も「こちら葛飾区亀有公園前派出所」で盛り上がっているようです。カラフルな銅像まで造られ、駅には連載終了感謝の横断幕まで…。
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ブートCDの裏通り・45

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公式盤で1977年にLP「ビートルズ・スーパーライヴ」として発売された音源が年月を経てCD「Live At The Hollywood Bowl」として再発売となりました。音源は1964・1965年のロスアンゼルス・ハリウッド・ボウルのコンサートが編集収録されていますが、それ以前からブートの世界では元ネタ音源が流通していました。ブートLP時代まで遡ればラジオ深夜放送でブートが放送されていたのですから、いい時代でした(笑)。Pt↑)は1965年8/30と1964年8/23が収録されたYellow Dog盤。1977年のLPと1964年8/23、1665年8/29&30に増えたQuater Apple盤。40周年記念(?)盤のSweet Zapple Boxには1964.年8/23のMono MixとStereo Mixが収録されています。これらのCapitol音源から造られたのが1977年のLPで、今回は更に最新技術でグレード・アップさせたのがウリのようです。さて40年の技術進歩とはいかがなモノなのでしょうか?
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現在日本でのBeatles音源はUSMジャパン&ユニバーサル・ミュージック合同会社というボリ会社の扱いですが、40年も前の30分程度の音源が不必要なSHMCD仕上で¥2730(税込)というとんでもない価格で発売とはいい度胸です。ショップのポイントがなければ購入見送り必至でした(苦笑)。さて内容は…。リンゴのバスドラとポールのベースは良く聞こえる様になり、音は整理されて”いわゆる良い音”になっています。数々のブートと比べて褒められるのはこれだけでしょう(!)。いじくりまわし過ぎて肝心のライブ感が薄れ観客を含めての会場の熱気が感じられません。これを”感激”だの”最高”だのいう輩もいるでしょうが、正直”ライブ感”ではブート音源の方が魅力があります。どう頑張っても批判されるのはBeatles関連の宿命ですが、ジャケ写は変な写真に変更されるなど古くからのファンにはガッカリ要素満載です。

築地KYビルが(笑)…続

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1970年代に一世を風靡した建築家に「黒川紀章」がいます。氏の代表作の一つ「中銀カプセルタワービル」(東京・銀座・1972年)は今でも斬新な建物と評価される反面、「なんじゃぁこれ!」の代表ともされ、天才的な建築家の作品であっても40年以上の歳月の経過はとかく残念なものとなりがちのようです。恐らくこの建物も同じ道をたどることでしょう(笑)。工事シートが外され登場したのは”和のテイストに溢れる”浅草観光センターを低予算化したシロモノでした。最初に連想したのは昔の学校の●所もしくは風呂場のスノコです。角度によっては予算をたっぷり作品の”歌舞伎座”が視界に入るのも益々残念さを強調します。ホームセンターで購入した板切れを貼りつければ”和のテイスト溢れる”なんでしょうかね(爆笑)。ここでも「オシャレ風だが安っぽい伝説」は生きていました。東京オリンピック大丈夫なんですかね(笑)。
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