旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2017年04月

ブートCDの裏通り・50

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基本的に映像作品はオフィシャルもブート盤も購入しないようにしています。音(楽曲)だけなら”ながら聴き”ができますが、映像の60分なら60分を見続けるのは意外と苦痛です(笑)。とはいうものの、あの「Wardresords」よりRolling Stonesの東京ドーム1990.02/24が【日本限定】は即購入とあいなりました(Pt↑左)。笑ってしまうようなトラブルが生じた02/26東京ドーム公演に続いて、TV放送された02/26に先だっての収録テスト用映像との事です。Amazonサイトでは良い評価を受けていないようで、映像に薄いカーテン状の影が見られ、現代ならこれは×しょう。しかしブート慣れしている身には充分にGoodな内容です。カメラテストとはいえStonesの演奏は手抜きになっていません(!)。セットになっているCD(音源)ではビル・ワイマンのベースラインが良く聴こえます。チャーリーのバスドラの重い事(!)。日本限定発売なので”彼ららしくないミックス”にしているのでしょうか?聴きようによっては過去最高の音源かも知れません。
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珍しい郵便ポスト…10

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以前にも触れた上野動物園正面入り口近くの「パンダ塗装のポスト」です。しばらく付近が工事中で撤去されていましたが、位置がややずれて復活しました。裏面はPt↓)のようにシッポまで付けていて、クオリティは高いと思われます(笑)。上野動物園は世界の三大珍獣、パンダ・オカピ・小人カバがいっぺんに見られることで地味に有名で動物園です。スーパースターのパンダ氏は正門入口近くのVIPポジションに・・。他の巨頭は一番奥の奥の場所と扱いが異なっています。
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Pt↑)は前項の「埼玉県立歴史と民族の博物館」の屋外に展示してあります。埼玉県深谷郵便局管内にあったもので、昭和5年から使われていた鋳鉄製で「丸型1号郵便差出箱」が名称のようです。いまでも見かける形式ですが、このポストは郵便集荷口があらぬ方向に付いています。元々がこの形式だったのか上下がずれて置かれたものなのか謎が残ります。
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珍しくないモノも混在していきます。Pt↑)は武蔵野線&南武線の2路線が入る「府中本町駅」の改札前にあったポストです。JRA東京競馬場の最寄駅で、競馬開催日には臨時の改札口が設置されます。飲食店などの駅前の賑わいは圧倒的に中央線・府中駅です。この形式のポストは大型郵便物が入れにくいのですが、駅前ポストで大丈夫なのでしょうか・・?
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歴史と民族の博物館

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「馬子にも衣装」という諺があります。この「埼玉県立歴史と民族の博物館」や「大宮盆栽村」の下車駅の「大宮公園駅」は大宮から春日部を経由して野田へ至る爆笑モンの「東武アーバンパークライン」沿線にあります。遥か以前から「東武野田線」として親しんだ路線なのですが、いつのまにやら「東武アーバンパークライン」に変わっていました。東武伊勢崎線を恥ずかしげもなく「東武スカイツリーライン」にしてしまう東武鉄道の事ですからねぇ。カタカナ名称にすると田舎臭さが消えるとでも思っているのでしょうか(笑)。
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その大宮公園駅から徒歩5分程で「埼玉県立歴史と民族の博物館」です。以前はの付近にはラブ・ホテルが林立していたのですが・・。1971年開設の埼玉県立博物館を前身とて2006年に埼玉県立民族文化センターと統合して現名称となったようです。常設展の観覧料は¥300/大人。簡単に言ってしまえば”県立博物館”にありがちは”可もなく不可もない博物館”です。収蔵品で国宝は「備前国長船住左兵衛尉景光」の銘の太刀と短刀で昭和29年に国宝指定されています。埼玉県には多くの「板碑」が残っているので知られており、レプリカを含めての展示はけっこう迫力があります。
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さて鎌倉…(6)

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鎌倉銘菓となると「豊島屋・鳩サブレー」でしょう。豊島屋初代が八幡宮の鳩もモチーフに鳩サブレーを考案し、明治時代末から売られているそうです。Pt↑)のように鶴岡八幡宮楼門の扁額の文字、八幡の「八」が2羽の鳩になっています(市ヶ谷・亀ヶ岡八幡宮も同様でした)。八幡信仰は大分の神功皇后と応神天皇を祀る宇佐八幡に始まり京都・石清水八幡宮から全国へ信仰が広まって行く過程で”白い鳩”がその道案内したとかの伝承(その他にも何種類かの説話もありますが)によるようです。
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鶴岡八幡宮は康平8年(1063)に源頼義が京都の石清水八幡宮を勧請したが始まり、源義家(八幡太郎義家)、源頼朝、徳川幕府と武家の崇敬を集めました。明治の以前は多くの神宮寺や東照宮などがあったようですが、廃仏稀釈により破壊されています。「日本三大八幡」だそうですが、1)大分・宇佐神宮 2)京都・石清水八幡宮 3)福岡・筥崎宮 4) 鶴岡八幡宮の4社のから1)&2)に3)or4)のどちらかを加て「三大」となるそうです。
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平成22年3月の大風で源実朝暗殺現場の大銀杏は倒壊し、移植された銀杏が根付くのが期待されます。
楼門から由比ヶ浜方面を見ると、かなりの絶景です。
三の鳥居先の太鼓橋です。いつのまにやら通行禁止になっていました。
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さて鎌倉…(5)

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由比ヶ浜からの海岸から鶴岡八幡宮へ続く1.8㎞の参道が『若宮大路』です。昭和61年(1986)には「日本の道100選」に選ばれていますが、常に渋滞している道と行った方が的確でしょう。Pt↑)が由比ヶ浜よりの御影石で造られた鶴岡八幡宮「一の鳥居」です。寛文8年(1668)に徳川4代将軍・家綱公により一から三の鳥居までが寄進されたのですが、大正12年(1937)の関東大震災で崩壊し、高さ8.5mの一の鳥居だけが元の形式に再建されています。江戸時代以前の古地図ではこの辺りが海岸線だったようです。
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Pt↑)が「二の鳥居」。そして若宮大路の象徴の「段蔓」です。昔は一の鳥居まで続いていたようですが、現在は二から三の鳥居間の約500mが残っています。「段蔓」は源頼朝が妻政子の安産祈願に八幡宮参道を造成した際に若宮大路の一段高い所に築かれたものです。現在は桜並木が整備されており、昭和48年には”日本桜名所100”に選ばれています。因みに二の鳥居、三の鳥居はコンクリート製です。
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JR鎌倉駅から二の鳥居/段蔓、三の鳥居あたりまでが、これでもかというほど老舗あり新興勢力ありの食事処、物産展、土産物屋が続いています。私らの学生時代の鎌倉は今ほどの賑わいはなく落ち着いた雰囲気の街でした。思うに今の観光地としての賑いは台東区・浅草の街と似かよっています。観光客で賑わうのを否定するつもりは毛頭ありませんが、これも時の流れなのでしょう。そうですよねっ、頼朝さん(!)。

さて鎌倉…(4)

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長谷の『甘縄神明宮』です。ご覧のように参拝者が大挙して来るような神社でもエセグルメとも縁はなく、参拝者は誰もいらっしゃいません。長谷寺や大仏を訪れた人達は何処へ行ったのでしょう(苦笑)。ご祀神は天照大神を筆頭に倉稲魂命・伊邪那美命・武甕槌命と伊勢系の神々、さらに菅原道真公がいらっしゃいます。創建は和銅3年(710)とされ=いい国(1192)創ろう鎌倉幕府=の480年前という事になります。現存する本殿・拝殿は昭和12年(1937)の再建とありますが、創建和銅3年は、鎌倉でも一番の古社と言われています。後方は丘陵地帯、前は海と集落には最適な地形だったのでしょう。源頼義が甘縄神明宮に祈願をして義家が生まれたとの伝承もあり、源氏と関係の深い神社だったようです。
資料により甘縄神明宮・甘縄神明神社・甘縄神社との表現がありますが、鳥居脇の石碑は『甘縄神明宮』でした。
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さて鎌倉…(3)

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長谷寺から徒歩7分程の『大異山高徳院清浄泉寺・高徳院』にデンといらっしゃるのが鎌倉大仏、長谷の大仏として知られる国宝・阿弥陀如来像です。高さが約11m、重量約12t(因みに奈良の大仏は高さ約14.7m)あります。高徳院自体が創建年や開基が不明で大仏の造営に付いても不明な点が多いようですが、奈良大仏より修理の回数が少なくよりオリジナルの姿を残しているそうです。大仏の内部は空洞で天気の良い日は背中側の扉が開いています。狭い場所なのでMax30名の制限はありますが、拝観料に¥20追加すれば大仏の内部を見学できます。映像では判りにくいのですが、大仏さんはかなりの猫背姿勢で、首の部分には襟巻状に補修形跡があり、創建時には金箔が貼られていた少しばかりの名残りが確認できます。
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さて鎌倉…(2)

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【眼下には鎌倉市街、由比ヶ浜から厨子までの展望。四季折々の花々楽しめる古刹】・・鎌倉でも屈指&最強のお寺が『慈照院長谷寺』です。天候も宜しく右も左も外人だらけ、さながらお祭りのようです。由比ヶ浜を望む展望テラスに在ったのがPt↑)、”Beware Of Kites/トビに注意”と描かれています。外人旅行者の被害も多いんでしょうねぇ。絵馬(Votive Tablet)の説明には英文でも書かれていましたが、子授け・安産・祈願・御礼・・・わかるんですかね?。”おもてなし”って浮かれている方々、日本人にとって簡単な事を説明するのが一番難しいのです(苦笑)。
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江ノ電長谷駅から徒歩5分程。良くわからないC級グルメ店やショップを眺めながら歩いて行きます。今風なんでしょうねぇ長谷寺の拝観券は自動券売機が設置されスイカ等が使えます。これはこれで良しですが、寺男さんか巫女さんの方が有難味があるようです。長谷寺はの創建は奈良時代とされていますが良くわからないようす。Pt↑)は長谷寺・山門です。誰も写りこまないPtは以外に難しいもんです。重要文化財のご本尊・十一面観音立像は高さが9mの大きなもので主要な建物は関東大震災後に再建されています。諸堂は由比ヶ浜を見下ろす山腹にあり、繰り返しですが”鎌倉最強”と思います。
Pt↓)はかきがら稲荷社で漂着した観音像に付着していた蠣殻を祀っているそうです。
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さて鎌倉…(1)

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所用で藤沢まできたついでに鎌倉まで足を延ばしてみました。車で来ることはあっても江ノ電に乗るのは20数年振りです。2両編成で細々と走っていたのがいつのまにやら4両編成となっているんですねぇ。藤沢~鎌倉、全15駅、所要34分。江ノ電は線路が単線なので1時間/5本のダイヤ編成はこれで限界なのでしょうが、倒産寸前だった江ノ電がここまで持ち直すとは思ってもみませんでした。様々な面で観光に特化している姿はそれはそれでたいしたモンです。お土産品のポスターにしてものサイズの必要はあるんですかねぇ?
人気寺院の最寄駅の”長谷駅”のトイレには「私設が古くて申し訳ありません~」の掲示には笑かせてもらいます。流石にこの駅の佇まいですから・・。
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ブートCDの裏通り・49

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Pt↑)は、”引退するする詐欺”のレベルとなったエリック・クラプトン御大の2017年3月のニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデン公演です。4月にはL.A公演も予定されていたようですが、御大の体調不良により延期となったようです。右が3/20のMSGで西新宿の某店舗で購入したものです。左の3/19・3/20の4枚組・2日間はR仕上げの事もあり見送ったブツなのですが。知人が「ECの新作をオークションで落札」という事で廻ってきたCDRです。とっととPCに取り込んでお返しいたしました(苦笑)。ブートCDに正規盤もへったくれもないのは判りますが・・・。
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確証こそ無いものの、このPt↑)の4枚組はコピーされたブツだと思われます。元々『Uxbridge』レーベルはCDR仕上で音源もやや落ちるのですが、ここまで盤面の仕上が雑ではありません。じっくり見るとジャケ写&文字フォントの輪郭がボケています。ブートマニアなら誰もが一度や二度はやられる話なのですが、せめてジャケ写の修正くらいはやって欲しいものです。オークション掲載Ptではまず判りませんね(笑)。

白金・清正公堂

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港区白金1丁目、桜田通りと目黒通りの分岐の信号は「清正公前」と表記されています。この場所にある日蓮宗の覚林寺(かくりんじ)は通称「清正公/せいしょうこう」もしくは「清正公さま」と呼ばれています。信号名称にも出てくる目印的なお寺なのですが・・。加藤清正は秀吉の子飼いから肥後の大名となり朝鮮出兵時の「虎たいじ」や築城の名人として知られています。没したのは熊本で、死後に神様になるのはよくある話なのですが、覚林寺の開山が清正が朝鮮出兵時に捕えた僧侶で清正の位牌や像が祀られていることから『清正公』と呼ばれ”勝負祈願の寺”として信仰を集めているようです。
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高輪・東禅寺

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ドイツの考古学者『ハンリッヒ・シュリーマン』は幼い頃に聞いたギリシャ神話に登場する幻の都市トロイアを本当に発掘したことで有名です。このお方、ペリー来航(1853)の12年後、トロイア発掘の6年前の1865年に約一ヶ月ほど日本を訪れています。『シュリーマン旅行記清国・日本/講談社学術文庫』として出版されていますが、このなかに当時イギリス公使館がおかれた東禅寺を訪れたという項があり、文久元年(1861)の攘夷浪士(元水戸藩)が文久2年(1862)には松本藩武家のテロ事件が続いておきた事件についての記述もあります。
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JR品川駅から徒歩10分弱、第一京浜から少し入った場所にある「東禅寺」は臨済宗妙心寺派の別格本山です。当然の事ながら、シュリーマン旅行記に描かれた東禅寺と今の東禅寺は様変わりしているでしょう。三重塔や庫裏は時代を経て建てなおされているようですが、実に雰囲気の良い寺院です。当時は品川の海を望み、広大な敷地に建物が点在したいた事でしょう。東京都教育委員会による解説には「東禅寺は公使館の姿を伝えるほぼ唯一の寺院であることから国史跡に指定されました」とあります。
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亀岡八幡宮・桜

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今年も関東地方は「絶好の花見日和」ってのがありません。開花宣言後に気温の低い日が続き、花の命が伸びたのはラッキーでした。入学式の日が桜満開だったなんて良い記憶として残っていくでしょう(笑)。さて『亀岡八幡宮』は太田道灌が鎌倉・鶴岡八幡宮を分霊し「鶴」に対して「亀」としたことに始まり、「徳川江戸城」の外堀工事の関係で寛永13(1936)頃に現在地に移転しています。お隣は尾張藩の屋敷で、以降陸軍士官学校・陸軍大学校・防衛省と変遷しています。軍人さん桜となると良寛作と言われるの『散る桜 残る桜も 散る桜』の句が浮かぶのですが、関連性は無いとはいえ太平洋戦争時の特攻隊の心情になぞらえられる事が多いようです。
飯田橋・市ヶ谷のお堀端は桜の名所です。八幡様石段上の桜も見事に咲いており、本殿あたりもさぞやと思ったのですが”残念ながら”でした(笑)。
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澁澤榮一像やら・・

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こちらは千代田区大手町2丁目の常盤橋公園に立つのは『澁澤榮一』の像です。天保11年(1840)に現埼玉県深谷市に生まれ昭和6年(1931)91歳で没するまで、徳川幕臣・明治政府官僚・実業家など東京証券取引所を始め多種多様な企業の設立にあたった御仁で、銅像は氏の功績を顯彰目的で昭和8年に澁澤青淵翁記念會が建設したものです。ご本人は150㎝位なので台座の部分を含めると大きすぎの感があります。
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澁澤翁像の後方、千代田区と中央区に架かる橋が「常盤橋」です。常盤橋は2橋あり明治年間に架けられたアーチ橋が「常橋」。東北震災の影響での修復工事がされている江戸城遺構の橋を「常橋」と呼ぶようです。「磐」と「盤」・・文章で説明するのは少々面倒です。江戸時代初期には日本橋近辺よりこの付近のほうが賑わっていたようで、隣の「一石橋」には”満よひ子の志るべ”が造られるほどです。
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そういえば「日本銀行本店」を上空から見ると建物が日銀だけに「円」に見えるという都市伝説がありますが、貨幣に「円」が使われたのは昭和の20年代のことで建物完成時は「圓」の字が使われているので、この話は完全にガセです!

日本橋・貨幣博物館

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日本橋本石町の日本銀行本店建物から三越本店の方へ向かう道が「江戸桜通り」です。この日は桜満開には少し早く”それなら”と言ってはナンですが『貨幣博物館』に立ち寄ってみました。この施設は日本銀行創立100周年を記念して昭和60年(1985)に造られています。さいたま市へ移転した「造幣局」は独立行政法人、王子の「お札と切手の博物館」は独立行政法人国立印刷局と別々の組織が運営しています。貨幣博物には古代からの日本の貨幣の歴史、日本や外国の流通紙幣などが展示されており展示内容は充実しているのですが、硬貨や郵券まで含めての総合的な博物館は無理なのは判りますが、なにか消化不良気味な感があります。向かい側の東京駅舎と同じ「辰野金吾」の設計による国の重要文化財の『日本銀行本店』は現在建物の免震化工事をおこなっており、残念ながら工事フェンスで囲まれています。
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