旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2017年07月

海上自衛隊呉史料館

170709_13
大和ミュージアムと道路を挟んで向かい側、潜水艦の屋外展示のある建物が「海上自衛隊呉史料館 愛称:てつのくしら館」です。海上自衛隊の広報を目的とした施設で2007年4月より無料で一般公開されています。大和ミュージアムの”ついで”といった感の認識でしたが入ってみると、これがどうして興味深い展示のばかりです。ペルシャ湾での機雷掃海作業の模様や海自、潜水艦に特化した展示がされ屋外展示のゆうしお型潜水艦「あきしお」の実物は、どうやってここへ運んだのでしょうか? 「あきしお」艦内は見学可能で機密に関する部分などは不可のようですが、潜水艦の内部構造などそうは見られるものではないですね。
170709_14170709_15170709_16

大和ミュージアム…(2)

170709_07
「戦艦大和」と「零戦」はセットのようなもんでしょうか(?)。Pt↑)は大和ミュージアムに展示されている零戦62型です。他には「九三式酸素魚雷」・「特殊潜航艇・海龍」・「人間魚雷・回天」なども展示されていますが、どうしても零戦に眼が向いてしまいます。この機体は1978年に琵琶湖の海底から引き揚げられ京都の嵐山美術館に展示されていた機体で、機体後方は腐食が激しかったようで復元されています。他の旧軍機体と同様に紆余曲折ののちに大和ミュージアムにたどり着いてここが安住の地となったようです。
170709_08
零戦はこの62型(登載エンジンにより63型)が最終量産型で1000機程度が生産されています。胴体に250㎏~500㎏に爆弾を搭載可能として主に特攻機として使用されたようです。主脚付近には30㎏爆弾が装着可能で、火器は主翼に13mm機銃、20mmが各2機。機首には13mm機銃とかなりの重装備です。零戦の運動性能が優れていたとはいえ軽戦闘機に爆装させるとはかなり無茶なことを考えたものです。
170709_09170709_10170709_11

大和ミュージアム

170709_01
正式名称は「呉市海事歴史科学館」なのですが、愛称の「大和ミュージアム」の方が一般的でしす。かつて東洋最大の海軍工廠のあった呉市は戦艦大和が建造された街です。この施設は船舶の建造技術の数々を展示する目的で2005年4月のオープンしました。展示の目玉は全長約26mの「大和」の10分の1の艦船模型です。実はオープン早々に見に行っているので11年ぶりとなります。当時は中村獅童や反町隆司らの映画「男たちの大和」で迫力のCG合成が使われました。本編の戦闘シーンのセットでは機関砲ばかりで~。
170709_02
その時の説明では、模型とはいえ竜骨入りの漁船と同様な構造で、全長26mの模型は船体を造ってから建物を建てたとか、3階の回廊から「大和」を見下ろすと上空100mから「大和」を見ることになるとかの説明をきいた記憶があります。開館当初は”軍事色が強いとの”建設反対意見もあつたようですが、戦艦大和は造船日本の象徴でもあり、呉の街が知られ多くの観光客が訪れるようになったのは成功なのでしょう。
・この時間は外からの光りが強めでPtは白トビしています。 ・カメラ立ち位置から見て前方のタンカー手前が「戦艦大和」の艦首です。 ・建物外には柱島で謎の爆沈をした「戦艦陸奥」の主砲等が展示してあります。
170709_03170709_04170709_05

広島平和都市記念碑の夕暮

170708_07
Pt↑)広島平和都市記念碑(原爆死亡者慰霊碑)です。1945年8月6日の原子爆弾により亡くなった方々の「原爆死亡者名簿」が納められています。碑文には『安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから』と刻まれているのですが、この「碑文」は1952年8月6日の設立以来様々な議論の対象となってきました。この文では誰が誰に対して語りかけているのかが曖昧となっています。主語が欠如していて解釈によっては原爆の加害者のアメリカと被害者の日本が入れ替わっているようにすら思たり、日本人が日本人に対して謝罪しているとすら解釈できます。2016年に広島を訪れたオバマ前大統領は主語を「人類」としましたが・・。
170708_09
よく知られている「原爆ドーム」は広島の物産を展示する広島県物産陳列館として1915年に完成しています。原爆当時は広島県産業奨励館という名称で、原爆は建物の真上で爆発し本体部分はほぼ壊滅、ドームの部分だけが全壊を免れています。紆余曲折ののち1966年広島市議会が永久保存することを決議し、1995年には国の史跡に指定され、1996年12月にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。この登録審議においてはアメリカは登録に反対、中国は審議棄権しています。
建物の保存状態はかなり微妙です。補修を繰り返しているとはいえ100年前の建造物ですから・・。廃墟には野良猫が数匹住み着いていました。
170708_10170708_08170708_11




安芸の宮島・湿気!

170708_01
雨あがりの宮島は曇天・高温多湿。初日から参りました。Pt↑)は厳島神社のシンボル「海上の大鳥居」です。古来より宮島全体に神が宿るとされ島には鳥居が建てられないので、海上となったようです。ちょうど汐がひいた時間でPt↑)の状態、潮干狩り的な雰囲気です。何故か宮島には縁がなく初めてやって来ました。ポピュラーな観光地だけあって韓国・中国・その他(日本人含む)と溢れかえっています。
170708_02
松島・天橋立・厳島神社は「日本三景」として日本を代表する景勝地でしたが、今はユネスコ世界遺産として認知されています。全国に約500社ある厳島神社の総本社で、祀神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、湍津姫命(たぎつひめのみこと)の「宗像三女神」とされます。ともかくも社殿は国宝・重文ばかりす。推古天皇元年(593年)の創建いらいの姿を維持してきているとは驚きです。
・・・・・・・・・・
鹿と”いか焼き”と韓国人。彼らにこの後おこった事件は大爆笑もんでした。鹿はいじめてはいけません(笑)。
170708_03170708_04170708_05

珍しい郵便ポスト…13

170626_01
Pt↑)は「江戸東京たてもの園」東ゾーンにある郵便ポストです。このての丸型ポストは小平近郊だったら珍しくないとの話も聴きましたが、どうして「郵便差出箱・1号丸型」は希少な1950年代のモノで60年以上前のポストです。Pt後方には明治後期と推定される元は千代田神田須田町に在った「万世橋交番」が写りこんでいます。園内展示なので現役使用ではないようです。
170626_02
武蔵小金井駅から江戸東京たてもの園に向かう道すがらの有ったポストです。一見何の変哲もないのですが、郵便物の取り出し口が正面にありません。狭い場所に設置されたポストには作業し易い形状があるのですが・・。恐らくは以前は道幅と歩道が狭く、この形状だったのでしょう。現役でこの形状は久し振りです。
170626_05
という事で、ファイルから探してきたのが、成田山新勝寺の参道にあったポストです。設置場所がご覧の通りで、取出口が真後ろに有ります。「中之町」との柱も後から造られたのでしょう。台座部分が食い込んでいます。
━─━─━─━─━─
・横向き丸型ポスト近くに横向き角型ポストもありました。道幅けっこう広いです。調布駅近の「鬼太郎ポスト」です。建物は駐輪場で窓ガラスには妖怪の絵が・・。南の島の原住民住居の様な感じがします。
170626_03170626_06170626_04

江戸東京たてもの園…(4)

170625_01
『江戸東京たてもの園』では明治・大正・昭和の建物が10数軒並ぶ東ゾーンがお気に入りです。港区白金の『小寺醤油店』は昭和8年、江戸川区南小岩の和傘問屋の『川野商店』が大正15年、江戸末期とされる『万徳旅館』と青梅からです。昭和初期の神田神保町の荒物屋『丸二聖天』の外壁に銅板を貼った通称看板建築は今でも築地明石町には残っていますが・・。Pt↑)は昭和4年の建築で足立区千住元町からの『子宝湯』です。千住辺りには今でも銭湯が多く営業しているのですが、これぞ「銭湯」という姿です。
170625_03
何処なのかが特定できない「漁村の風景」とお決まりの「富士山」、これぞ銭湯の正しい風景画です。男湯と女湯の境のタイル壁には男湯側が「京都五条大橋」と「那須の与一」、女湯側には「猿蟹合戦」と「舌切り雀」。脱衣場(男湯側)には乱れ駕籠が並び、仕切り壁の広告もローカル感に溢れています。そして憧れの番台は意外と低いようです。そういえば浴室の仕切り壁も低いので、これなら絶対に覗けます(笑)
170625_02170625_04170625_05



江戸東京たてもの園…(3)

170624_01
江戸東京たてもの園内の『高橋是清邸』です。もとは港区赤坂にあった屋敷を移築しています。226事件の後ご遺族により邸宅の一部と玄関部部分が多磨霊園に移築されていました。結果として戦災を逃れられ平成5年(1993)よりこの地で絵公開されています。Pt↑)は2階からの眺めです。ガラス越しに見えるお庭の景観を「某ジ●リ・プロダクション」が作品の参考にしたとの話はいかにも某プロらしい胡散臭い話です。武蔵野の雑木林は「ととろの森」、年代物の風呂屋は「千と千尋の~」のモデル(?)・・まったく誰が言い出した話やら(笑)。
ベランダのガラスは明治後期の日本製で、技術が未熟な時代だけあって歪んでいます。壊したらエライ事です。気を付けましょう(!)。1936年の2.26事件の際、青年将校に殺害された現場はPt↓)の和室です。ここには屋敷の一部が保存され、赤坂の邸宅跡は高橋是清翁記念公園となっています。高橋是清氏は私生児として生まれ、貧乏足軽の養子となり、現明治学院の前身で学んでいます。アメリカに留学時には奴隷として売られ、帰国後は官僚となるも、転身してペルーで鉱山事業に手を染め大失敗し、再び帰国して大蔵省、貴族院議員、大蔵大臣をへて総理大臣へ就任。そして2.26事件で殺害されるというなんとも波乱万丈な人生を送っています。
170624_02170624_03170624_04

江戸東京たてもの園…(2)

170623_01
紀元2600年記念事業の一環として構想された「小金井大緑地」が昭和29年(1954)「都立小金井公園」となり、その園内施設であった「武蔵野郷士館」を拡充するかたちで、「江戸東京たてもの園」は平成5年(1993)に墨田区の「江戸東京博物館」の分館としてオープンしています。建造物は「東京」にあったものに限られているようですが、敷地面積は約7haもありけっこう広いです。駐車場も広大ですが電車利用ならJR中央線・武蔵小金井駅・北口の西友前の2or3番からバス利用が便利です。Pt↑)の入口まではバス停から5分以上は歩きます。注)園内は食事施設が少ないので食事難民になる恐れがあります。Pt↑)はビジターセンター(売店・喫茶・コインロッカーなど有)で入園はこちらから、建物は紀元2600年記念式典のために昭和15年(1940)に皇居前広場に造られた『旧光輝殿』の建物です。Pt↓)は『午砲』。通称「ドンの大砲」で明治4年~昭和4年まで皇居東御苑(旧江戸城本丸跡)に置かれ時報告知として使用されたものです。電飾塔は明治年代に皇居正門石橋(二重橋)にあった6基の内の1基です。
170623_02170623_04170623_03

ブートCDの裏通り・52

170702_01
ありそうでないのがThe Venturesのブートです。バンド歴も長く、毎年のように来日公演をして、ジェリー・マギーとノッキー・エドワーズの名人芸が炸裂、有名なギターリストが多くが影響をうけている割にはそれを隠していたいという方達です。Pt↑)は某黒と赤の店で購入した6枚組のCDR。1987年と1989年のカリフォルニア・サンタクルーズでのライブです。3公演ともリード・ギターは”ジェリー・マギー”なのでジャケ写とは違っています。何故か赤と黒の店では中古扱いになっていました。そりゃそうでしょう(笑)。元々のThe Venturesは例えば来日公演時などでは、その都度リード・ギターを雇うという形式らしく一般的なバンド編成と事情が違います。カントリーをベースとした”ノッキー”とブルースぽい”ジェリー”で好みが分れます。
170702_02
The Venturesは多くの来日公演のライブ盤を残していますが、とりわけ珍しいのがPt↑)のMel Taylor & The DymamicsのLive In Japan '73でしょう。ドラムがMel Taylor=息子が現Ventures。ギター=Gerry Mcgee。オルガンはJohn Durril(1969-1972までVentures)。リズム・ギターがBob Spalding=現Ventures。なんのことはない「Ventures Ⅱ」といった感じです。1973年には本家と元祖の2組が日本公演をしていたとは・・(笑)。




月別アーカイブ
  • ライブドアブログ