文京区小石川の澤蔵司(たくぞうす)稲荷にも面白い伝承があります。「稲荷社」でありながら実際は浄土宗の「慈眼院」というお寺で、徳川家康の生母・於大の方や千姫の墓所の徳川将軍家の菩提寺「傳通院」の末寺なのです。その傳通院に太田道灌が江戸城内に勧請した「稲荷大明神」が修行僧の「澤蔵司」に化けて修行に入り、浄土宗の奥義を僅か3年で極めたのですが、尻尾を出して寝ていたので正体がバレてしまい寺を去ったという話で、去り際「私を祀りなさい」と言い残したため「慈眼院」に祀られたそうです。
そんな事から「無量山傳通院鎮守・澤蔵司稲荷」が正式名称です。山門を入ると、お寺なので鳥居はありませんが、眷属の「キツネ」はおります。本堂軒下には「白狐」が見られます、本堂脇の窪地には稲荷社ではよく見かける「お穴様」が・・。さらにはお寺近くの「むくの木」の巨木には澤蔵司が宿るとされ、修行中の澤蔵司はこの木の葉をお金に変えて、傳通院前の蕎麦屋「萬盛」で大好物の天婦羅蕎麦を良く食べたそうです。悪い奴(キツネ)です。「萬盛」は現存していますが残念ながら休業日でした。
そんな事から「無量山傳通院鎮守・澤蔵司稲荷」が正式名称です。山門を入ると、お寺なので鳥居はありませんが、眷属の「キツネ」はおります。本堂軒下には「白狐」が見られます、本堂脇の窪地には稲荷社ではよく見かける「お穴様」が・・。さらにはお寺近くの「むくの木」の巨木には澤蔵司が宿るとされ、修行中の澤蔵司はこの木の葉をお金に変えて、傳通院前の蕎麦屋「萬盛」で大好物の天婦羅蕎麦を良く食べたそうです。悪い奴(キツネ)です。「萬盛」は現存していますが残念ながら休業日でした。