旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2017年10月

美幌峠より

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弟子屈町から美幌へ国道243号線の標高525mの「美幌峠」です。周囲54㎞のカルデラ湖・屈斜路湖を眼下に(!)。北海道屈指のパノラマ風景です。時刻は15:00頃。この時期の北海道の道東地区では夕暮れになろうという時間です。Ptには当然映りませんが大変な強風が吹いています。峠の駐車場は整備され、昔は「美幌峠観光センター」と称した町営施設も「道の駅ぐるっとパノラマ美幌峠」となっています。展望台への道も歩きやすす整備されています。でも眼下の屈斜路湖は変わらぬ姿です。左前方に知床・斜里岳が見えています。
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斜里岳の向こうが2005年に世界遺産(自然遺産)になった「知床半島」です。知床が世界遺産になった時、地元のウトロのホテルや観光関連施設には銀行筋から「いくらでも融資をするから」とのお誘いがあったそうです。そりゃぁ有頂天で踊りだす人もいたでしょう。ところが観光客が増えたのは最初の数年だけ。ブームが過ぎたら倒産・夜逃げ・銀行管理の死屍累々となってしまいました。「石見銀山」でも同じことが起きました。「富岡製糸場」でも同じでしょう。大河ドラマの舞台での観光ブームと「ユネスコ世界遺産」ブームは大差ないのです(笑)。
・美幌峠の反対側です。美幌の街や女満別空港さらには網走方面です。 ・美空ひばり「美幌峠」の歌碑がありました。1986年発表のご当地ソングでした。 ・道の駅の内に「君の名は」の資料がありました。アニメの君の名はとは別モノで、60年前のラジオドラマが映像化された時のモノでした。
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大鵬親方と川湯温泉

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硫黄山から5分/車で川湯温泉です。何回となく訪れた懐かしい温泉場なのですが、正直あまりの寂れ振りに言葉を失ってしまいました。昔の著名なホテルは経営者変りなのかホテル名が変わっていたり、川湯温泉の名門ホテルも営業を終え廃墟と化しています。寂れた温泉街や土産店、川湯が観光客で賑わう日は・・。道路事情がが良くなり旅行形態も変化して、昔ながらの温泉場は時代に置き去りにされたようです。
昭和の子供にとっては『巨人・大鵬・卵焼き』が好きな物の三大巨頭でした。その大鵬親方の出身地がこの川湯温泉です。昔はPt↓の川湯神社あたりに実家があったのですが、大鵬親方の記念館が温泉入口にあり、親方の功績が展示されています。清澄白河の旧大鵬部屋は大嶽部屋となり、先代の不祥事や連続負越し記録保持者の「森麗/もりうらら」やエジプト出身のイスラム教徒の「大砂嵐」で知られていますね。
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弟子屈町・硫黄山

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知らなかったのですが、オンネトー・阿寒湖・摩周湖・硫黄山・屈斜路湖・美幌峠と見所が満載の阿寒国立公園は2017年6月に指定区域が拡大となり『阿寒摩周国立公園』に名称変更となっていました。道東の青い空と神秘の森と湖からすると地味目ですが、弟子屈町の『硫黄山/跡佐登/アトサヌプリ』は標高500mほどの現役の活火山です。酸性の噴気により樹木は育たず荒涼とした景色が広がります。明治18年には北海道では3番目に開設された「釧路集治監」の囚人が硫黄の採取作業をおこなっていました。過酷な労働と栄養失調で囚人達の死亡者があまりにも多く、囚人による採取作業は中止となり、以後は重罪犯、国事犯、政治犯への過酷な強制労働も廃止となっていきます。明治18年。つい最近の事です。
ここから最寄りの川湯温泉までは5分/車ほど、遥か昔大学生の時は川湯温泉から歩いて来ました(苦笑)。観光シーズンには”ゆで卵売りのおばちゃん”が大勢いた記憶がありますが【今は もう秋】です。・ビジターセンターには<祝 阿寒摩周国立公園名称変更>とありました。・川湯方向には森林らしきモノはありません。・摩周湖からみて山肌が白い帯状に見えるのが硫黄山です。
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霧の摩周湖ではなく

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布施明の曲で『霧の摩周湖』ってのがあります。とは言ってもレコードの発売は1966年12月(!)。なんと50年も前の曲です。♪霧に抱かれて静かに眠る 星もみえない湖にひとり♪てな歌詞なんですが,摩周湖は標高600mの場所にあるカルデラ湖で世界でも屈指の透明度があります。地形的なこともあり霧が発生しやすく、運の悪い観光客は「霧の摩周湖」ならの「霧の真っ白湖」になることも多々あります。実は現役時代には何十回となく訪れているのですが、運が良いのか悪いのか「霧の真っ白湖」だった記憶は殆どありません。
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この日も曇り模様なのですが展望台から標高857mの摩周岳も小島も見えています。Pt↑↑)は摩周第一展望台からです。展望台の足元には土産屋があり相変わらず観光客で賑わっています。Pt↑)は駐車場からの美留和方面は絵がボーッとしていますが硫黄山や屈斜路湖や美幌峠方向まで遠望できます。4年前に来た時はドシャ雨だったのでこれだけの景色が見れれば良しとしましょう。カルデラに添って遊歩道が整備されています。第一展望台から第三展望台へ、少しずつ摩周岳やカムイ島の位置が変わっていきます。実はあまり訪れる人はいないのですが、対岸には「裏摩周展望台」ってのがありますが、道路事情が良くないのと見える景色がピンときません。摩周湖の眺めならこの場所です。
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野付半島と国後島

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当初の予定にはなかったのですが、釧路から車で4時間、別海町・野付半島へやって来ました。野付半島は海上に突き出た全長26㎞の「砂嘴」でできており、地図では海老の尻尾のように見えます。何度かは尾岱沼という港から観光船でトド松が海水の浸食で立ち枯れした荒涼とした「トドワラ」呼ばれる地を訪れたことがあるのですが、今回は半島の途中まで車で入ってみました。
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北海道らしいと云えばこれほど北海道らしい所は他にないかも知れません。道路左がオホーツクで右が内海、平均して半島の幅はこの程度しかありません。野付半島から国後島が最も近い場所で、その距離は約16㎞しかありません。Pt↑)はコンデジ望遠300㎜での「国後島」です。気象条件が良ければ国後島の人家まで見えるでしょう。半島の付け根から約15㎞に野付半島を紹介するネイチャーセンターがあります。海の向こうへ同じ距離でロシアという事になり「北方領土」が実感できます。
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Pt↑)の超広角でも「国後島」島影は写っています。この別海町の面積はやたらに広く13万㎢もあります。酪農と漁業の町で人口より牛の頭数の方が確実に多いでしょう。広大な牧草地を走っていくのですが、窓を開けると牧場独特の臭いはすさまじいモノがあります。襟裳岬と同様、何年何十年が過ぎても大きな変化は感じません。勝手な話は承知のですが、この景色が変わらないでいて欲しいものです。
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釧路の夜の週末は

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北海道に限らず地方都市にはありがちですが、平日と週末(土・日)の落差は極端です。人口17万人の釧路市でさえ週末の夜は閑散としたものです。最近では2015年の桜木紫乃氏原作の佐藤浩市・本田翼の映画「起終点駅・ターミナル」の主な舞台で、釧路の絵になる観光地が登場するのですが・・。現実とはかくも違うものです(苦笑)。PT↑)は観光名所の「幣舞橋」からの「釧路フィッシャーマンズワーフ」で、簡単に云うと”ただの飯屋街”です。釧路を舞台とする小説・歌・映画・TVには必ず登場する幣舞橋は「絵」になりますが、佐藤浩市&本田翼どころか歩く人も疎らです(苦笑)。
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こちらも釧路では有名な「和商市場」です。築地の場外市場のイメージですが、いつのまにやら外観はスッカリ変わってしまいました。この日は完全休業日です。JR釧路駅から5分程度ですが釧路駅近は閑散としており”市民の台所”とはほど遠い感があります。よく観光客は思い違いするのですが、釧路や札幌や函館やら東京築地も、このての市場で『旨い魚介類が格安で買える』と思うのは間違いです。『旨いものは高い』これが現実です。
Pt↓)は北海道J旅客鉄道根室本線・釧路駅。札幌までは特急で4時間と結構かかります。駅ビルには「946」との表記があり、駅ビル内には観光案内所、コンビニ、土産物や珍しいところでは古本屋がありました。
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阿寒町・阿寒湖畔

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「北海道阿寒郡阿寒町阿寒湖畔字オクルシエべ」⇒2005年に阿寒町が釧路市に合併する以前の阿寒湖畔周辺の住所でした。恥ずかしながら釧路市と合併していた事さえ知りませんでした。4年前の道東周遊の際にはとんでもない雨。今回はPt↑)のような天気です。温泉街は昔と大きく変化した印象はありませんが、これも時代の流れで名称が変わった施設が数多く見られます。この温泉街には特殊な事情があって道外からの資本が入りにくかったのですが・・。
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周囲約30㎞の阿寒湖は道東を代表する観光地で、エゾマツ・トドマツに原生林に囲まれ特別天然記念物のマリモは有名です。2009年ごろ、阿寒湖温泉を舞台の一部とした中国映画が中国国内でヒット。これにより中国からの訪日観光が大増殖しました。そういえば自殺願望の中国女性の行方不明事件があったのはつい最近のことでした。実はこの時期にダウンの防寒服、手袋、帽子、耳あてで固めているのは、殆ど中国人です。一体どんな情報をもって阿寒湖に来たのでしょうか?謎です。
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温泉街で釧路市の観光課の方にアンケートを求められました。毎日釧路市内から90分かけて通っているそうでご苦労様です。遥か昔に「厳寒の道東ツアー」の旅行企画で20名程度のグループで阿寒湖を訪れた時には役場偉いさんに大歓迎を受けた話など懐かしい記憶です。当時お世話になった方々の多くは鬼籍に入られているでしょうが、湖の景色はあの時のままです。

足寄町・オンネトー

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十勝の国から日本で一番広い「町」の足寄町(約1400㎢)を抜けて阿寒へ向かいます。大樹町から高速道路(無料区間が多い)があり帯広市街地を通らずに池田町から足寄町まで行かれます。貫禄充分になりましたが足寄には松山千春氏の実家があり、絶頂期には観光ツアーバスが経由して行ったなんて今なら笑えない話もありました。ともかく広い町で足寄町を横断するには1時間以上/車がかかります。一休みすると前方に雌阿寒岳(左)と阿寒富士(右)が見えています。山の麓には秘境中の秘境と称された湖「オンネトー」があります。天気も良いので寄ってみました。
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「オンネトー」アイヌ語で「年老いた沼」を意味し住所表示では足寄郡足寄町になります。国道から逸れて舗装もされていない林道を進みます。静寂そのものの森はいつエゾ鹿やら羆やらが飛び出してくるやら・・。ようやく湖畔に到着。青みがかった水の色、原始林の向こうには雌阿寒岳と阿寒富士。訪れる人も疎らな湖は「これぞ北海道!」と感激したのは、最初に訪れた40年数年前のこと・・。それがまぁどうでしょう!舗装は完備され、観光バスは訪れ、湖畔には赤い防寒服の中国ご一行様が賑やかに(苦笑)。時の流れってのはこんなものです(笑)。

旧広尾駅跡

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旧広尾駅は帯広駅から十勝平野を縦断して広尾港との物流を確保するために昭和7年(1932)に開業しています。当初の予定では襟裳岬経由で日高の様似駅まで繋げる予定だったとは驚きです。もし工事着工していたらとんでもない難工事の連続で結果、計画中止になっていたことでしょう。50年ほど前、ここから国鉄バスに乗継いで襟裳岬へ向かう”カニ族”と呼ばれた若者達で賑わいました。ようやく道路工事が完了し広尾~襟裳岬間(膨大な工事費用から黄金道路と呼ばれます)とんでもない悪路が続きます。たどり着いた襟裳岬。「この地へは二度と来ることはないだろう」と思ったものです。帯広からの広尾線には「愛国」だの「幸福」だのの駅があって『愛の国から幸福へ』なんて恥ずかしくなるようなブームもありましたっけ・・。昭和62年(1987)広尾線は廃止となり、駅舎は現在バスターミナルと「広尾町鉄道記念館」になっています。
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襟裳岬・2017 秋

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人気のNHK朝ドラがとんでしまうようなニュースがありましたが、ミサイルが襟裳岬上空を飛んで行ったと云われても、そりゃ見える訳などありません。実は襟裳岬には航空自衛隊三沢基地に属する「襟裳分屯基地」のレーダーサイトがあります。Pt↑)は基地付近から岬方面を見ています。この先が日高の山脈が海に沈んでいく岬です。なんとなく”三角形の頂点に向かう”という感じがあります。この辺りで羆の目撃情報がありました。年々羆の出没が集落に近づいているようです。
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襟裳岬の展望台からです。意外かもしれませんが北海道の何処にも同じような景色は見られません(強いてあげるなら神威岬ですか)。Ptの立位置は海から約70mの崖の上です。ここから海岸段丘が3段構造になっていて、突端の岩礁は沖へ約7㎞続きます。風が強い事でも有名で「襟裳岬風の館」では体験ができます。この風の館は襟裳灯台の光軸を遮らないようにほぼ地下施設となっているのですが、旧軍の頑丈な要塞跡だったようで建設には難工事だったようです。
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Ptは05:53分朝日が昇ってきます。襟裳岬は昇る朝日と沈む夕日が1日で見られる場所で、北海道の「初日の出」の名所なんだそうですが・・。暖流と寒流がぶつかるの岬の沖合は優れた漁場となっています。昆布の産地としても知られていますが、年当番が夜明けとともに海と風の状態を観察⇒出漁の可否を判断⇒その後でべた凪で無風となると大ヒンシュクだそうです。昆布漁は船が帰寄し太陽が昇ると海岸に打ち寄せられた昆布を拾う人達で賑わいます。何年過ぎても何十年過ぎてもこの風景は日常的に見られます。
*島倉千代子と吉田拓郎の「えりも岬の歌碑」が並んでいます。この景色からの印象は島倉千代子でしょう。
*なにか雰囲気が違います。良く見ると売店が一軒火災(放火)により消滅していました(苦笑)。
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様似・アポイ山荘

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アポイ岳が「世界ジオパーク」に選ばれた事で以前にもまして賑わうようになったのでしょうか?アポイ岳を望む「様似アポイ山荘」も「新冠レ・コードの湯」と同様な宿泊と日帰入浴「アポイの湯」の併合施設です。Pt↑)は湯上り処(湯粋郷)からの展望で、北海道のご老体に人気のパークゴルフの緑とその向こうが太平洋です。アポイ岳は後方になるので見えませんが、新冠と同様ここからの海に沈む夕日には圧倒されます。これで入浴料¥500と笑ってしまいます。ホテル棟に宿泊した事はないのですが全17室とそれほどの規模ではありません。2006年に天皇皇后両陛下の北海道行幸の際には立ち寄られたそうで、ロビーにはその際の「イス」が展示されています。因みに新冠温泉同様に夜が更けたらひたすら”静”です。
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世界ジオパーク・アポイ岳

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『ジオパーク』とは、世界ジオパークネットワークが審査、認定をするもので【地球科学的な価値を持つ遺産を保全し教育やツーリズムに活用しながら、接続可能な開発を進める地域認定プログラムである】・・と説明されています(苦笑)。簡潔に「ジオパーク」=「大地の公園」がわかり易いかも知れません。日本国内には世界ジオパークが認定する洞爺湖有珠山・糸魚川・島原半島・山陰海岸・室戸・壱岐・阿蘇と2015年に加盟した「アポイ岳」の8ヶ所があります。因みに「世界」を冠する他に「日本」を冠するジオパークネットワークもあり「世界」+「日本」となるとかなりの件数になります。なんでも「世界ジオパークネットワーク」の認定は、あの嘘臭いユネスコの「世界遺産」よりハードルが高いそうです。
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アポイ岳は北海道様似町の日高山脈を構成する標高たった810mの山です。1952年に「アポイ岳植物群落」として特別天然記念物に指定、1981年には「日高山脈襟裳国定公園」の特別保護区、2008年には前述の「日本ジオパーク」に、2015年には「世界ジオパーク」に認定されています。標高が低い山でありながら地質が『かんらん岩』という特殊な岩で構成されているため一部の好事家には高山植物の宝庫として知られています。
Pt↑)は2013年に開設されたアポイ岳ジオパークビジターセンターです。何度か玄関先までは行っているのですがアポイ岳が9月末で登山終了だったこともあり施設内には入ったことはありません。この付近は鹿やら羆の宝庫でもあるのです。展示内容には【山を構成している『かんらん岩』とは地球の内部構造マントル層を構成する岩で殆どが地下深くにある】とあり地表への露出は極々珍しいとありました。
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アポイ岳の山裾が海に落ちていく海岸線は『日高耶馬溪』と呼ばれる断崖が約7㎞続きます。ユーラアシアプレートと北米プレートが衝突した場所と云われ、この突端の襟裳岬で日高山脈は海に入っていきます。見るからに交通難所といった感じです。帯広~(広尾線)~広尾~襟裳岬~様似~苫小牧との鉄道計画があったようですが実現可能だと思ったのでしょうか?この海岸線は風が強い日は波が道路ま被る道だったのですが今は覆道やトンネルが整備されています。
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新冠温泉レ・コードの湯

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苫小牧から浦河へ向かう国道235号線を「レ・コード館」から10分程、国道をそれた丘の上に「新冠温泉レ・コードの湯」があります。苫小牧~えりも岬方面の国道には鵡川・新冠・静内・浦河・様似などに日帰り入浴施設があり、その多くを制覇してきたのですが、とりわけ「新冠温泉レ・コードの湯」はお気に入りに1軒です。ガラガラの時間帯とはいえ大浴場の写真はマズイので控えますが、脱衣場からのPt↑)で展望の良さは判るでしょう(笑)。太平洋を望む海の見える丘、この方向に夕日は沈んでいきます。これで入館料¥500(年中無休・22:00迄)。併設施設には「ホテル・ヒルズ」があり宿泊も可能です。あまり言いたくはないのですが・・。北海道の著名な温泉は劣化が進み閑散とした温泉地ばかりです(それでも中国人は溢れていますが)。夜が寂しいが気にならないなら、このような公営の宿泊施設がお勧めです。
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新冠レ・コード館 &

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日本有数の競馬馬産地の新冠町です。なるほど国道沿いには多くの牧場が点在しています。近年この町はレコードと音楽を売りに街起しを進めているそうです。Ptの「新冠レ・コード館」には空調完備の保管庫に1003335枚ものレコード(LP?)が保管されています。全国の放送局や個人のコレクションが寄贈されたモノや一世風靡した「レンタル・レコード崩れ」などもあり一歩間違えると粗大ごみ以下です。コレクションなんてのはそんなモンですが・・。この時間George Harrison の33 1/3が流れていました。浮遊感のあるスライド・ギターはやはりレコードの方が素敵です。併設で有料施設で博物館的な部屋もあるのですが、寺内タケシや南こうせつのYamahaのギターなど見ても意味はありません。
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私感ではありますが、街起しの施設としては平均点です。マニア目線からみたら笑ってしまうような内容です。新冠町はなんだってこんな施設を造ったのでしょうか?逆に万人受けを目指とこの程度の施設にならざるを得ません。レコード保管庫の大量なコレクションには”えっ”と思うようなブツもあるのしょうが、自由見学できる粗大ごみコレクションには驚きすらありません。この施設の国道側には新冠町出身の有名な「ハイセイコー」の銅像があり、こちらの方が万人受けするでしょう。
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苫小牧・ウトナイ湖

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新千歳空港から20分/車ほどに周囲約95㎞の淡水湖の「ウトナイ湖」です。真雁や白鳥の集団飛来地として知られ季節には数万羽の群れが飛来しています。まぁ食い物と安心環境があれば渡りの必要はない訳で、定着している輩もいるようです。付近では250種類の鳥類が確認されるそうで、1981年には「日本野鳥の会」により日本初のバードサンクチュアリに指定、翌年には国指定のウトナイ湖鳥獣保護区、さらにはラムサール条約登録湿地になっています。バードサンクチュアリやらラムサール条約やらに聴き慣れない言葉ですが、調べてみると”なんだっそんな事か”といった感じです。Ptは環境省の施設にあった観察用の望遠鏡から強引に撮ってみました。良く見ると白鳥がいます。苫小牧のゆるきゃらは「とまチョップ」という名前でPt↓)の自販機はそのデザインになっています。
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旭山記念公園・2017秋 (序)

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『秋・北海道』。今回も「旭山記念公園」から走行距離1500kmの爆走が始まりました。旭山記念公園は雨(!)。この公園を訪れて雨だった記憶はありません。幸い雨足は弱く市内のビル群はなんとか見えています。この公園は札幌市創建百年を記念して造られ海抜約135mの展望台からは札幌駅付近・ススキの町や札幌ドームなどが遠望できます。最初にこの公園を訪れてから40年の年月が過ぎてました。ここから見える市内の景色も大きく変貌しているのですが実のところ良くわかりません。いずれにしろ札幌ではお気に入りの場所です(笑)。
去年より10日ばかり早い日程なので紅葉の最盛期にはやや早いようです。
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浅草不動尊と三宝荒神堂

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雷門から仲見世を抜け宝蔵門を仰ぎ見るあたりまで来ると左側に「三宝荒神堂」の幟が林立しています。このお堂には「仏法僧」の三宝および伽藍の守護神で日本仏教特有の仏神が祀られています。「三宝荒神堂」は「荒神さま」とも言われ、仏法僧の三宝の守護神⇒不浄や災難を除去する神⇒”かまど神”として祀られ、転じてかまど⇒台所⇒家計⇒家計の守護神となっています。礼拝方法も【一礼・三拍手・一礼でお札は仏壇ではなく神棚に祀る】作法ようです。
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そのお隣が「浅草不動尊」、関東三十六不動霊場の22番目の天台宗のお寺「宝光山大行院」です。Pt↑)は、厄除け、開運、虫封じにご利益のあるとされる「なで仏」です。膝やら肩やらに持病を抱える人達が病気平癒を念じて撫でいるようで、ピカピカに磨かれています。実は「三宝荒神堂」と「浅草不動尊」は「浅草寺」とはまったく別のお寺なのです。まぁそれをわざわざ表明する必要性はないのでしょうが【あまり知られていない浅草寺】といってもよいでしょう。
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雷門・2017年秋

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2017.10.09の雷門は相変わらず凄い人出です。このPtには外国人は何人位なんでしょうか?正式名称は「風雷神」、向かって右側が「風神」で左側には「雷神」が置かれています。松下幸之助氏の寄進による提灯は高さ3.9m、直径3.3m、重量700㎏あるそうです。Ptにあるように現在工事中です。雷門を覆うシートは雷門の写真を原寸大まで引き延ばしたモノを使用しています。工事は大成建設が担当。約9500枚の瓦の交換と屋根を補修で2017年10月末の完成予定です。
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浅草寺は推古天皇の時代に隅田川の漁師兄弟の網にかかった観音様をお祀りしたのが始まりで、この漁師兄弟と長屋の大家が「三社権現/三社様」のです。彼ら3人の末裔は世襲特権があり「専堂坊」・「齋頭坊」・「常音坊」として浅草寺三譜代と呼ばれていました。このしきたりは約1360年後の平成元年にこの廃止されるまで続きました。説明しにくのですが都営浅草駅の出口付近に「専堂坊」屋敷跡の碑が建立されています。
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雷門、仲見世あたりは昔から賑わう街ですが、それらしき記憶は思いの外残っていません。Ptの「ホーロ看板」などは”珍しモン”の範疇かと思います。【火事と救急車一一九、犯罪は警察一一〇/許可第四八九三号】・【夕刊の王座・内外タイムス】。笑えるのが【野放しにした犬の糞街汚す】です。昭和30年代以前でしょうか?野良犬が多かったのでしょう(苦笑)。

浅草富士浅間神社

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浅草寺病院から言問通りを渡りアンデス(パン屋)の道を5分ほど進んだところに『木花咲耶姫命』を祀神とする浅草富士浅間神社があります。その昔は富士山に対する信仰は盛んで各地に浅間神社の勧請や富士山講が組織されています。江戸の庶民にとっては富士山を参拝するのは「夢」であり、とはいうもののそう簡単に富士登山ができる訳でもなく、富士山山開き(7月1日)には浅間神社にお参りしたとされます。Pt↓)のように境内にはごくこぶりな”富士山”が造られており、5、6月の最終土曜には植木市で賑うようです。案内板によると浅草寺が社務を兼ねているようで浅草寺境内に”お近くの神社を紹介”があり、神徳として安産、病気平癒、疱瘡(疫病除け)と記されています。
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都旧跡・将門塚

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日本三大怨霊神(平将門、崇徳上皇、菅原道真)の平将門は平安時代中期に自ら『新皇』を称し京都朝廷に反乱を起こした関東の豪族です。反乱は鎮圧され将門は斬首、その首は平安京の都大路に晒され、伝承では数日後に夜空に舞い上がり関東方面に飛んで数か所に落下したとされています。著名なのが千代田区大手町1丁目2番にある「首塚」です。かつてこの地は『武蔵野国豊嶋郡芝崎村』と呼ばれていたそうで、首が落ちたのはこの付近という事になります。いつの頃からかこの付近で不埒なおこないをすると”祟り”があるとの伝承が生まれているのですが、疑問点があります。本来は江戸城の鬼門方向に祀られた将門ががいつの間にやら怨霊神となってしまいました。
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実際は”首”が飛んでくる訳がないので、何らかの将門と結びつける怨霊信仰があったのでしょうが、首が落ちたとされるのは現皇居・桔梗門(内桜田門)付近との説があり、このほうがしっくりきます。桔梗門は太田道灌の”桔梗の紋”に由来するといいますが、むしろ平将門の愛人「桔梗」に由来するの方が無理がないのかも知れません。都から舞い戻った将門の霊魂は様々な形に分散して江戸の街の各所に祀られています。ここまで丁重に祀られているにもかかわらず考えようによってはとんでもなく身勝手な霊魂です。そうなると一連の怨霊事件は将門によるものかどうか疑問です。現在は将門塚は整備中となっていました。それにしても解説板が三種類もあります。さらにはこの地が酒井雅楽頭に上屋敷跡であり山本周五郎の「樅の木は残った」の原田甲斐が殺害された現場でもあります。
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