旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2018年04月

湯島天満宮の疑問

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湯島天満宮(旧湯島神社)は、雄略天皇2年(458年)に勅命により天之手力雄命(あめのたぢかおのみこと)を祀る神社として創建された古社です。この神様は天照大神が天岩戸に引きこもった際に岩戸をこじ開けた方で「戸隠神社」のご祀神です。春日通りからの階段を登ると本殿裏に「戸隠神社」がひっそりと鎮座しています。天神さま(菅原道真公)は後に合祀された神様なので、つまりは創建者を追い出して居座ったとも云えます。まぁ怨霊神日本代表でもあり、江戸時代は富籤の興行で賑わうようになり天神人気で主客が転倒したのかも知れません。ご祀神の入れ替わりは良くあることなのですが、本殿屋根の鰹木数が奇数で千木先端が縦切れの男神、若しくは伊勢神宮外宮造りなのはこの辺りの事情なのでしょうか?
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奇妙と云えば奇妙なのが、銅鳥居側にある稲荷社です。境内社としては「戸隠神社」と隣の由来が良くわからない「笹塚稲荷」は湯島天神の境内案内図にあるのですが、この「天三火伏三社稲荷」に付いては湯島天神境内図に記載がありません。狐像が最近のデザインの姿だったり、賽銭箱が設えてあったりで”ほったらかし稲荷”では無いようです。”火伏”を名乗っていることから 商人家や大名屋敷内の屋敷神なのでしょうが・・。
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末広神社の神主さん

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社務所から参拝客に目を凝らしているのはの神主さんなのでしょうか(?)なかなか凛々しいお姿です(笑)。日本橋人形町の末広神社神社付近は江戸時代の初期(元和3年~明暦4年)にかけて吉原(葦原)遊郭あった場所です。明暦の大火により葦原遊郭は消失し、現在の日本堤へと移転していき、この地が「元吉原」移転先が「吉原」と呼ばれることとなりますが、移転後の難波町・住吉町・高砂町・新泉町の氏神様がこの「末広神社」です。神社前が葦原遊郭の大門にあたるのですが、往時を思わせるものは何に一つありません。ただ東京空襲の被害を受けていない町なのでそちらの雰囲気の方が残っているようです。
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ブートCDの裏通り・57

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Pt↑)はThe Allman Brothers Bandの「Live At Ludlow Garage 1970」・1970.4.4.Cincinnat.Ohio公演のTSPのブートとPoly Gramからのオフィシャル盤です。TSPの発売はかれこれ30年前だったと記憶しています。ジャケ写には1970年のライブにいる訳のないメンバーが堂々と写っていたりがいかにもブートです。数年を経てPoly Gramオフィシャル盤が発売だったのですが、音はブート並みですがTSP盤にはオフィシャル盤で欠落した”Erizabeth Reed”が収録されていて、この1曲がTSPを処分できなかった理由です。フィルモア(1971.03)の1年前のライブで、曲の構成は荒っぽいながらも出来上がっています。フィルモアより長尺の45分に及ぶ”Mountain Jam”は20歳そこそこのガキ達の演奏とはとても思えません。例のMook本を読んでいたら・(資料としてはよろしいのですが校正がいい加減なのが目立ちます)・なんとIdlewild SauthのDx盤でLudlow Garage が再発されているではないですか(!)。Riz Reedが追加収録され音も格段(時代を考えれば)に良くなっています。ここでのMountain Jam/45分はヘビロテになりそうです(笑)。
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【東京十社】‥白山神社

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文京区白山1丁目の「東京十社」の白山神社(はくさんじんじゃ)です。旧名称の白山権現社が「文京区・白山」の地名の由来となっています。ご祀神は菊理姫命(ククリヒメノミコト・伊弉諾命・伊弉冊命で、ご神徳に縁結びはまだしも商談成立は?です(苦笑)。948年加賀の白山比咩神社から勧請され、将軍秀忠の時代に小石川植物園近くに移転、その地が館林藩主徳川綱吉の屋敷が造られることになったため現在地に遷座しました。紫陽花の名所としても知られ、6月の中旬頃の「文京あじさいまつり」では境内や白山公園で約3,000株の紫陽花を見られます。境内の『孫文先生座石の碑』は明治43年頃、神社近くに住む中国かぶれ思想家の宮崎滔天宅に寄宿していた孫文が、神社で中国の将来と革命について語り合い、孫文が”後の辛亥革命での新中国建設を誓った場所ということで有志がこの記念碑を建立したとありますが説得力が極々希薄です。
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谷中・天王寺

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今年の東京の桜は満開日から1週間過ぎても花散らしの雨が降らず、例年になく見頃が続いたようです。ここ谷中・天王寺境内には谷中七福神の「毘沙門天」が祀られており、毘沙門堂前の桜も見事咲き誇っていました。天王寺(天台宗)は文永11年(1274)の創建とされ、江戸時代は目黒不動尊、湯島天神とともに富くじの興行が許される「江戸三富」とし賑わいました。幸田露伴の小説『五重塔』のモデルになった五重塔は天王寺の境内にあり、昭和32年7月に放火により焼失しています。この放火事件は50歳代男と20歳代女の不倫心中の道ずれに放火したのですが、東京都教育委員会の解説板にはこの肝心な部分が書かれていません。寝たばこの不始末という事ではありません。Pt↓)案内板には谷中霊園での猫達の過酷な生活環境が書かれています。霊園の猫達は餓えやカラスの攻撃をかわして生き延びたエリート達なのです。
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