旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2018年05月

日本橋・大原稲荷神社

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中央区日本橋兜町、位置的には中央警察署の前あたりの「大原稲荷神社」です。大原会館と称するビルの敷地にあり両者の関連性が伺えます。創建年代は不明とありますが、社殿の裏手の高速道路は以前は楓川(もみじがわ)運河ということで運河を利用した近隣会社の信仰を集めたと想像されます。社殿裏には一部が焼け焦げた銀杏の巨木や、富士塚とも思われる石積には風化したきつね像が置かれていて、こちらが元宮だったのでしょう。面白いことには神社の社格は「天一位大原稲荷神社」とあり一般的な稲荷社の正一位より上位なのでしょうか?
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兜町・兜神社

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日本橋兜町の東京証券取引所の裏手に商業の守護神としての倉稲魂命と恵比寿・大黒を合祀する「兜神社」があります。創建は後三年役や前九年役での神社創建が大好きの「八幡太郎義家」の欧州征伐に関係するとか、承平の乱での藤原秀郷と平将門に関連するとかあるようですが怪しい伝承のようです。明治4年には三井物産の前身の東京商社が兜町の鎮守として兜神社を創建、明治7年には源義家を廃して、向島から三井の鎮守三囲稲荷を分霊、さらに恵比寿・大黒を合祀しています。明治11年には東京証券取引所の前身の東京株式取引所が氏子総代になり企業絡みの神社となっています。そんなこともあり神社の神域、紋章、社殿のどれをとっても一般の稲荷社とは違っています。Ptの感じとは違いさほど広いわけではなく大名屋敷稲荷程度の広さしかありません(苦笑)。
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中央区・日本橋郵便局

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昭和通りの江戸橋際にある「日本橋郵便局」です。ごく普通の大型郵便局に見えますが、ここが明治4年(1871)に前島密による日本初の「東京郵便役所」の設けられた場所です。この場所は江戸幕府の魚河岸の魚貯蔵庫の跡地だったらしくさぞかし夏は堪らなかったことでしょう(笑)。前島密=誰?。一円切手のオッサン=???。程度の人物ですがなかなかの経歴で江戸遷都論の提唱や電話の普及「切手」や「葉書」等の言葉を創っています。郵便制度初期に東京・大阪・京都に設置された郵便ポストでは、「便」の字が便所の「便」と同じであることから間違えて投げ込む輩がいたとは笑える話です。
江戸橋側の入口には「郵便発祥の地」の碑文が、昭和通り沿いの入口には「前島密」の胸像があり、通常の赤ポストの他に「1971年郵便操業100年記念ポスト」が設置されています。東京大学前の郵便局にもありましたが同じものでしょうか?
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市川市・葛飾八幡宮

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市川市の下総国の総鎮守「葛飾八幡宮」です。昔は「八幡の藪知らず」は境内のうちだったのでしょう。八幡の藪知らずにある不知森神社は八幡宮の境外社となっています。葛飾八幡宮の創建は寛平年間(889年頃)とあり宇多天皇により石清水八幡宮を勧請したとされます。ご祀神は応神天皇・神功皇后・玉依比売命と八幡様の神々です。この神々故、平将門・源頼朝・太田道灌・徳川家康らに崇拝されていたようです。国道14号に壱の鳥居、京成線の線路を渡ると弐の鳥居。参道を進むと市の有形文化財の朱が美しい隋神門。さらに進むと神門、そして拝殿へと。神域には境内社も数多く、推定樹齢1200年とされる国の天然記念物の大イチョウ「千本公孫樹」などなど。とても神社らしい神社と云えます(笑)。
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ここが「八幡の藪知らず」

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京成電鉄八幡駅から徒歩7分程度、国道14号線沿いに摩訶不思議な場所があります。Pt↑)は歩道橋上から撮っていますが、国道沿いに竹林と鳥居が唐突といった感じで残っています。ここが関東屈指のやばいスポットとされる場所で八幡の藪知らず(やわたのやぶしらず)若しくは不知八幡森(しらずやわたのもり)として知られ、古くから入ってはならない禁足地「ひとたび足を踏み入れると二度と出てこられなくなる」の伝承地として知られています。今では一角にある「不知森神社」の区画だけが立入り可のようですが。Pt↓)の解説版にはその由来が書かれていますが、いずれも明確な根拠が有るわけではないようです。有力説だけでも日本武尊の陣屋説・平良将の墓所説・平将門の墓所説を筆頭に諸説が多く、とてもじゃないけど書ききれません。時代を超えて現在に繋がる不思議感に満ちています。
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神田明神の境内社 Ⅳ

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神田明神の境内社も4回目です。「古社は裏手が面白い!」と云え、さすが江戸総鎮守社です(苦笑)。Pt↑)は「末廣稲荷神社」、社殿は昭和41年(1966)の再建です。創建は不詳とされるもののかなりの古社のようです。出雲社と同様に以前はは江戸のどちらかの街稲荷だったのでしょうか(?)鳥居は明神鳥居、狐います、社殿は伊勢形式となっています。
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隣には「三宿稲荷神社」と「金毘羅神社」が合祀されています。三宿稲荷神社は江戸時代から神田三河町に祀られていたようで、後に神田明神の神主邸内の内山稲荷と合祀され、さらに神田明神の末社となっています。金毘羅神社は天明3年(1783)に現東日本橋2丁目辺りに創建、墨田川の船人の崇拝を集め、後には飲食業や花街の人々へひろまってていたようです。昭和41年に三宿稲荷ともにこの地へ鎮座しています。鳥居は神明鳥居、社殿は伊勢形式、狐いません。
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さらにもう一社が「浦安稲荷神社」です。家康入府の天明年間に鎌倉町(大手町あたり?)に勧請され、寛政年間に崇拝者により社殿が造られ「浦安稲荷神社」となったようです。天保年間に神田明神境内に遷座し、明治維新などの戦火で失われた内神田の5社の稲荷神社を合祀っています。鳥居は明神鳥居、狐います、社殿は伏見形式です。

神田明神の境内社 Ⅲ

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続いて「神田明神の境内社 Ⅲ」です。どこまで続くのでしょうか、さすがに東京屈指の古社です。Pt↑)平成になって建立された合祀殿は神様達の”マンション”といった感じです。1)籠祖神社(かごそ・猿田彦と塩土老翁神。2)八幡神社・誉田別命(応神天皇) 3)富士神社・木花咲耶姫 4)天神社・菅原道真と柿本人麻呂 5)大鳥神社・日本武尊 6)天祖神社・天照大御神 7)諏訪神社・建御名方神・・お賑やかな事です(笑)。
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境内社とは異なりますが上記の合祀殿のお隣に氏子・崇敬者の先祖をお祀りする「祖霊社」があり、この社殿の裏手に興味深いモノがあります。1)万世橋と名の橋は明治6年(1992)に東京で最初に架橋された石橋だったそうです。現在の万世橋のやや上流にあり、現在地に移されたのち、明治6年製万世橋は明治39年に取り壊されています。その取り壊された明治6年製万世橋の欄干だけがこの場所に保存されています。 2)橋の欄干と同じ場所に乃木将軍の書による「彰忠碑」が立っています。日露戦争時の戦没者の慰霊の為に造られたのでしょうが、何故この場所なのか良く判りません。年代的に碑と欄干の場所に祖霊社が後から造られたのかも知れませんが。
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神田明神の境内社 Ⅱ

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稀有な例なのでしょうが、ご祀神を建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)とする天王社が三社並んでいます。Pt↑)が「小舟町八雲神社」、この神社は江戸城内よりこの地に遷座されたとされる社です。貞享年間頃までは小伝馬町に仮屋があったことから小舟町天王と称し、日本橋小舟町は数㎞離れているのですが、小舟町八雲神社天王祭はそちらで行われます。お隣が「大伝馬町八雲神社」。小舟町八雲神社と同様に祭礼の神輿が大伝馬町の仮屋へ渡御していてことから、この社名となったようです。
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さらなる1社が「江戸神社」です。前項でも触れたように創建は大宝2年(702)の東京屈指の古社です。この三天王社と日本橋魚河岸水神社(弥都波能売命)は地域(町)と離れて江戸総鎮守内に神社があることになります。部外者からする同じと建速須佐之男命を祀るなら合祀すれば良いのにと思いますが、各町の氏子達の思い入れが、結果として同じ神様が3社並ぶという現象なっているようです。水神さんにしても社殿がこの地で遥拝所が築地魚河岸内なのですから、そう考えると納得できます

東京都水道歴史館

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文京区本郷の『東京都水道歴史館』です。最寄駅はJRお茶の水駅から順天堂病院側へ徒歩10分程度なのですが大通りに面しておらずやや判りにくい場所です。外観は地味な感がありますが展示の内容はかなり濃いです。徳川家康が江戸幕府を開いてから江戸の街は人口が爆発的に増大し飲料水の確保は大きな問題となりました。飲料水の確保として造成されたのが神田上水や玉川上水です。玉川上水は現東京都羽村市から四谷付近までの約43㌔(標高差は僅か100m)が露天、四谷大木戸からは地下水道管で水を供給していました。これらの上水がなければ江戸の発展はなかったでしょう。歴史館には「玉川上水」の工事概要や当時の木製の水道管や明治以降の水道事業の歴史等が展示され、新宿アルタ前の「馬水槽」のレプリカなどという珍品や江戸の長屋の雰囲気を再現したセットはコンパクトながら良い出来で内容充実の資料館です。
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妻恋神社と妻恋稲荷

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都内屈指の急坂地帯にある妻恋神社に久々にやって来ました。神田明神を地上5階とすると1階まで下りて3階まで登るという位置関係になります。元宮はもう少し湯島天神よりだったらしいのですが、神田明神と湯島天神の中間でがら「妻恋」の名に相応しい伝承を持つ神社です。日本武尊東征の途中で弟橘媛命海に身を投げて海神の怒りを鎮めたという事件の後年、この湯島の地に滞在し妻を慕う日本武尊に心にうたれた人々により創建されたのがのが神社の始まりとあります。日本武尊が湯島に滞在したという伝承もはなはだ疑問ですが、根津には日本武尊創建の根津神社があるのですから関連した何かがあるのでしょう。
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その後に”倉稲魂命を祀る稲荷社が創建されているのですが、この稲荷社は江戸時代には「関東惣社・妻恋稲荷」と呼ばれ「王子稲荷」と並んで格式の高い稲荷社だったようです。今では想像できませんが「関東総社」とあるくらいですから多くの参詣人で賑わっていたのでしょう。神社では正月の縁起物として木版刷りの七福神&宝船の「夢枕」が人気だったようですが、東京空襲で焼失したと思われてた元版木が見つかり”幻の夢枕”がめでたく再発売となったそうです。
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八百屋お七の疑

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1683年1月25日、現文京区の大円寺からの火災は本郷、お茶の水、神田と広がり隅田川を超え両国、深川まで燃え広がり、焼失した大名屋敷は75、旗本屋敷が166、寺社95、数多くの町家が焼失。死者の数は約3500名以上が「天和の火災」と呼ばれる大火事です。この火事の最中に出会った男と再会したい一心で放火事件を起こしてし死罪とされるのが「八百屋お七」のお話なのですが、実際はこのストーリーは戯曲作品としての創作のようです。
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文京区白山の円乗寺には、八百屋お七の墓が寺の住職、役者、近隣の人々による3基(も)あります。奉行による未成年なら遠島、成人なら火炙りの話も鶴屋南北の「好色五人女」での創作です。近くの大円寺にはお七の罪業を救うための「ほうろく地蔵」の寄進がありますが、いつの時代もお話と事実の区別がつかない輩はいるものです。実際の火炙りの刑は躰に可燃物を巻きつけ頭から油をかけ一挙に燃やし尽くす方法のようです。”見せしめの為”の処刑なので残酷極まりありません。
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