旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2018年09月

駒形橋と駒形堂

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『駒形橋』は橋の完成のより廃止となった江戸年間の「駒形の渡し」の場所に架橋されています。橋長:149.6m、幅:22m。台東区と墨田区を結ぶ浅草通り(都道463上野月島線)が通り、全体が青く塗られています。隅田川の他の橋と同様、関東大震災により崩壊してしまい復興事業として昭和2年に現在の橋が架けられています。『駒形橋』は橋の姿が珍しい構造となっていて、橋の中央部がアーチ部分が道路の上側になっていて、橋の両脇部分がアーチが下側になっています。因みに下流側の 『厩橋』 がアーチが上の構造、上流側の 『吾妻橋』 がアーチが下の構造になっています。
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橋の名称は台東区側の『駒形堂』に因んでいます。942年に浅草寺伽藍の建立の際に建立され、再三の消失・再建をへて現在のお堂は2003年に建立されたものです。ご本尊は「馬・別名「こまんどう」とも呼ばれ、元々は浅草寺に伽藍の一つで、推古天皇36年に漁師の兄弟の網に「聖観世音菩薩」 が掛かり、その場所に 建てられたのが「駒形堂」とされます。後に「聖観世音菩薩」 は浅草寺 に移され浅草寺の始まりとなっています。
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馬・うま・ウマの厩橋

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緑色に塗られた『厩橋/うまやばし』です。橋の名称は厩=馬屋で、江戸時代はこの付近に米蔵の米を運搬するため多くの馬が飼われていた事によります。架橋以前は「御厩の渡し」が利用されたのですが、「三途の渡し」の言われるほど転覆事故が多発していたことにより、民間の手で明治7年(1874)に最初の橋が架けられています。他の渡船場と川幅も流れも変わらないのに”事故多発”とは不可思議な事です。架け替えられた現在の橋は、橋長151.4m、橋幅21.8mの現在の橋は昭和4年(1929)の完成です。橋の下を走る地下鉄大江戸線は橋台に影響を与えないよう橋を迂回しているらしいです。
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『厩橋』だけに橋の各所に「馬」を連想させるレリーフなどが施されています。Pt↑)橋の橋柱に施された数頭の馬が群れているレリーフで一番判りやすいです。Pt↓)老巧化と汚れているの「馬」をあしらったステンド・グラススです。これはじっくりと見ないと理解できません(苦笑)。フェンスの枠組みには疾走する「馬」の姿があります。台東区側には馬とは関係のないチョット目を引く建物があるのですが、これ交番と人の横顔を模したトイレです。
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蔵前橋と楫取稲荷

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橋全体が「稲の籾殻を連想させる」ということで黄色く塗られた『蔵前橋』です。橋長173.4m、橋幅22.0m、東京復興計画の一環1927年に架橋されました。橋の名称は岸側の「蔵前」のあたりに徳川2代将軍 秀忠 がこの一帯を埋立て3万坪にも及ぶ広大な敷地に「浅草御米蔵」 という米蔵を建てたのに由来します。お米が経済の中核をなしていた時代ですからかなり重要な施設だったと思われます。Pt↑)台東区側には昭和29年~59年までは「蔵前国技館」があり大相撲が開催されていました。「国技館」は両国回向院の旧領国国技館→蔵前国技館→現領国国技館と場所が変遷しています。現在は東京都水道局の「蔵前水の館」となっています。
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Pt↑)橋上の小さなバルコニー状の場所には力士のモチーフが造られています。その他にも橋の欄干部分には横綱土俵入りと芸子が屋形船に乗っているモチーフがあります。橋から少し離れますが蔵前橋通りに『楫取稲荷神社』があります。江戸幕府が御蔵の資材を熊本から運搬する際に事故が多発しそれに関連して創建されたとあります。台東区側の橋詰には「浅草御蔵」の碑があり、さりげなく街の歴史の記憶を臭わせています。
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隅田川・柳橋

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『春の夜や 女見返る 柳橋』‥正岡子規の句です。正確には神田川の河口、すぐ先が隅田川です。地名としての「柳橋」は江戸中期から花街として知られ時代小説にも度々登場しています。当時は橋のほとりに多くの船宿が軒を連ね大変な賑わいだったようです。明治の時代になっても花柳界として東京を代表する歓楽街となっていました。正岡子規をはじめ多くの文人に取り上げられ、今でも町には当時の面影を残した江戸の雰囲気を感じられる町とされています。この橋が最初に架けられたのは元禄11年(1698年)のことで、現在の鉄橋は昭和4年に架け変えられていて、永代橋のデザインが取り入られ、短いながらも美しい姿をした橋です。欄干には花柳界の街にちなみ、柳橋芸者をイメージした”かんざし”のレリーフが施されています。隅田川屋形船の納涼船の船宿が立ち並び、橋のたもとには佃煮の名店「小松屋」や老舗日本料理店の「亀清楼」など情緒あるお店があります。
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隅田川・両国橋東岸

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『両国橋』をテーマにした歌が2曲ありました。五木ひろしの「両国橋」は相撲力士がテーマになっています。もう1曲が由紀さおりや松平純子が歌った「両国橋」です。作詞:喜多条忠・作曲:吉田拓郎と70年代フォークの大御所の作詞作曲です。昭和の名曲「神田川」の続編のような内容なのですがヒットしたか否かはわかりません(苦笑)。♪ なんにも言いたくないけれど 新しい恋始めるならば 両国橋はいけないわ~♪ 何故「両国橋」が舞台でなにがいけないのかはわかりません。両国橋という音感と語呂だけで作詞したのでしょう。
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吉良邸や回向院、国技館などの名所旧跡は隅田川東岸となりますが、地名としての「両国」は隅田川西岸のことで東岸は「向領国」→江戸ではないとされていました。両国橋東岸の広場には「表忠碑」と書かれた地元本所区からの日露戦争戦没者を慰霊する大山巌元帥による巨大な石碑が、その隣には赤穂浪士・大高源吾による「日乃恩やたちまちくだく厚氷」の句碑があります。公園のすぐそばにある巨大なイノシシの看板は有名な「ももんじ屋」です。何が食べられるかは一目瞭然。昨今は「ジビエ料理」などと洒落た表現をしますが「気取るなバカタレ!」と言いたくなります。
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