旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2018年12月

アメ横・摩利支天

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2019年の干支は『亥/猪』なのですが、この『亥/猪』は元々が『豚』のことで、”十二支”の思想が日本に入って来た時代には『豚』が一般的ではなく『猪』を採用との説もあるのですが、「私は豚年生まれ!」となるとなんかぞっとしませんが、豚は多産で富の象徴でもあったようです。実は十二支の動物たちの採用基準も曖昧で「牛の背中にねずみが乗って~」とか「猫がねずみに騙されて」とかの話は当然あてにはなりません(苦笑)。お国によっては寅が豹だったり卯が猫だったりするようです。
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疾走する猪の背に立ち剣を持つお姿の「摩利支天」が祀られるているのが、JR京浜東北線から見えるアメ横・二木の菓子の屋上にある妙宜山徳大寺です。厄を除き運を開く勝利の守護神の「下谷摩利支天」として親しまれています。歳末の買い出しで賑わうアメ横には摩訶不思議な空間のようですが、けっこう賑わっていました。TV的には”人で賑わうアメ横”は歳末の風景として定着しているようですが‥。
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平成最後の…(3)

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続いてはレディ・ガガ主演の『アリー/スター誕生』を見てまいりました。予想通り『スター誕生』は1937年版が最初で1954年にリメイク、1976年にPt↑右)のバーブラ・ストライザンドとクリス・クリストファーソン(ジャニス・ジョプリンの”ミー・アンド・ボビーマギー”の作曲者)主演で再度リメイクされ、今回が2018年版となります。1976年版から主人公が映画スターからロック・スターに変わり2018年版もそれを踏襲、記憶が曖昧な部分もありますが、1976年版を完コピしています。映画が始まった途端にストーリーも結末も判ってしまったのですが、バーブラ・ストライザンドとレディ・ガガは顔だちも似ているようです。ラストの追悼コンサートシーンでのバーブラの壮絶な歌唱はいまでも記憶に残っていますが、この作品でのレディ・ガガの歌唱はさらに感動的です。インストでもいいので前作のポール・ウィリアムスの『スター誕生愛のテーマ/Ever Green』があればと思っていたら、酒場のシーンで流れるの曲は、あのAllman Brothers bandではありませんか(笑)。思い入れがある映画としても「よくできたロック映画」より観賞料を払った価値はあったようです。

平成最後の…(2)

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"平成最後"とは関係ありませんが、大人気絶賛上映中の『ボヘミアン・ラプソディ』を見てまいりました。なるほどなるほど良くできた映画です(笑)。お陰を持って「ライブ・エイド」の廃盤DVDはヤフオクでとんでもない価格となり、正規版のCDはモチロン、西新宿あたりのブート業界でも桁違いに売れまくっているようです。QUEENといえば「妙に毛深いネズミ男がクネクネしながら歌うバンド」という認識しかありません。今でいうジャニーズ系か韓流系の認識で女子供のファンが主流だったと思います。それがまぁどうしたことでしょう(苦笑)。映画は「嘘ばかりじゃないかぁ」との突っ込みはやめておきますが、「ライブ・エイド」でのQUEENはメンバーの不仲や人気の低迷期で最悪の状態で現実にはその他大勢のバンドにすぎず、ヘッド・ライナーではありません。映画はありがちな家族の絆と仲間との友情物語へすり替えていますが、ライブ・エイドは1985.07.13。フレディのエイズ感染の噂はその翌年の事。アレレッのレです(苦笑)。
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平成最後の…。

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12月23日、平成最後の「天皇誕生日一般参賀」に行ってまいりました。皆さん同様な想いなのでしょうか、東京駅丸の内側は一種の騒然とした雰囲気でした。広島や岡山から新幹線で駆け付けた方々と待合わせですが、日帰りとは頭が下がります。皇居前広場で30分程待期して皇居長和殿前の広場へ、いつもは静寂そのものの長和殿広場が人々で埋め尽くされる景色は初めてです。今回はお姿が見えるよう巨大なモニターを設置、例年より見やいよう配慮されていました。夕刻の報道では約83000人が訪れたそうで、どうりで見たこともないような景色でした。

豊洲新市場・千客万来は?

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開業2ヶ月を過ぎた豊洲新市場、土曜日の昼前後は浅草仲見世もかくやの大混雑です。まだまだ一般さんには豊洲が観光施設ではなく市場だということに気が付いてないようです。その豊洲市場観光の目玉として期待されるのが『千客万来』と称する施設です。ご多分に漏れずもろもろ事情により温泉施設などの運営は「万葉倶楽部」の事業と落着いた件です。市場6街区の一角にはその建設企画の概要が掲示されています。【地上11階、地下2階、高さ44.80mの建物に物販店舗、ホテル、公衆浴場、飲食店、駐車場、事務所、託児所、集会場】とあります。着工予定が2017年3月(!)のはずなのに、現在の建設予定地はPt↓)の状況です。なんでも2年後に工事着工4年後の完成と変更されたようですが、大丈夫なんでしょうか(笑) 4年後の開業となると、その頃には誰一人豊洲市場なんざぁ見向きもしなくなっているのが確実に予想されます。 Pt↓1)開業予定を告知する看板が笑ってしまうほど目立たなくされています。Pt↓2)6街区側の予定地は業者用の駐車場になっています。Pt↓3)青果棟側の予定地は見事に何もありません(笑)。
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豊洲新市場・水神さま

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魚河岸の守護神と知られる『水神社』は弥都波能売命(みづはめのみこと)をご祀神とし、淤加美神(おかみのかみ)と共に”水の神”として有名です。水神社は徳川家康の江戸入府と共に摂津の国・佃村より移住してきた人達により創建された「大市場交易神」を祖とし、明治34年には神田明神境内に「水神社」が造られています。関東大震災後の魚河岸の日本橋より築地への移転に伴い、築地場内市場に「遥拝所」が造られ今般の豊洲移転により遷座となりました。
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遥拝所は【この地から神田明神に鎮座する神々を遥拝する】という解釈で良いのかと思います。なんでも築地から豊洲への遷座行事についてもすったもんだの騒動があったようですが、無事「6区・水産仲卸エリア」の一角に鎮座していました。この水神さまの場所は関係者以外の一般客の立ち入り禁止地区あり、豊洲市場のパンフレットにも掲載されておりません。魚河岸の神様『水神社』を参拝するのに立ち入り禁止もあったもんではないと思うのですが(苦笑)。社殿と狛犬は質感が違うようなので新造でしょう。鳥居は恐らく築地から移したと思われます。
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本郷3丁目交差点

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国道17号・本郷通りと国道254号・春日通りの交差するのが「本郷3丁目交差点」、メトロ丸の内線と都営大江戸線が通っています。(もっとも両本郷三丁目駅は離れており若干不便ですが)ず~と以前には春日通りを池袋からの都電が走っており上野広小路で乗り換えて浅草に行ったものでした。あまり意識したことはなかったのですが、この交差点から100m範囲には結構面白い場所があります。
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【本郷もかねやすまでは江戸の内】。江戸川柳にもある「かねやす」は享保年間(1716頃)から””乳香散”という歯磨き粉を売る店がありました。享保15年(1730)の江戸大火では付近一帯が焼失、奉行・大岡越前守の命により「かねやす」を境に南側の家屋には土蔵造りや瓦屋根を奨励し北側は従来の板や茅ぶきの造りとしています。つまり「土蔵造りのかねやす」までが江戸の北限という認識となり前述の川柳が生まれています。
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本郷3丁目交差点を後楽園方面に進むと【本郷・櫻木神社】があります。通称は櫻木明神とも呼ばれ、室町時代にあの神社創建好きの”太田道灌”が道灌江戸城に京都北野天満宮から勧請、江戸時代の遷座の後こちらへ来たようです。東京大学が近いこともあり(ついでながら某漫画のモデルなんだそうです)東大受験生には人気があるようです。元来の天神信仰は雷神(天神)の信仰のことであり、天神=菅原道真ではなかったのですがいつのまにやら(苦笑)。
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今でこそ地方からの修学旅行の宿泊はホテル(洋室)が一般的ですが、以前はこのあたりの本郷地区が宿(和室)として知られていました。東京には和室旅館が年々少なくなってきましが、”そういえば修学旅行の宿は本郷だった”と思いあたる人もいるでしょう。春日通りから一本奥まった場所の「ホテル機山館」も有名旅館で、その玄関前が【本郷薬師】です。この薬師さんは元々この地にあった真光寺の敷地内にあったようです。
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薬師堂を櫻木神社に向かって30m、右折して30mにいきなりのように【十一面観世音菩薩像】があります。あたりの雰囲気には即してないのですが、思いの外感じのよい観音像です。こちらも天台宗真光寺の敷地内だったようです。真光寺は東京空襲で焼失、世田谷に移転しているのですが、なぜ観音像をここに残していったのか不思議な気がします。
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交差点から本郷通を100m程【別れの橋跡・見返り坂と見送り坂】の碑が立っています。この辺りが太田道灌時代の領地の際だったようで、江戸追放の刑を受けたされた罪人が、当時存在した橋を境に親類縁者が見送ったから見送り坂。追放された者が振り返るから見返り坂とありますが、なんだか疑わしい話でガセ伝承の気がします。

文京区・簸川(ひかわ)神社

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文京区千石、昔だったらさぞ眺めの良かったであろう場所に鎮座する『簸川神社』です。(氷川)と(簸川)字こそ違いますが、この神社も素盞嗚命・大己貴命・稲田姫命を祀る武蔵一之宮・大宮氷川神社の末社です。「氷川神社」の名称は出雲国・簸川(島根県簸川郡)に由来するとの説があり大正年間に「簸川」の名前に改めたそうで、結果として関東では珍しい「簸川」の名称となりました。福井県にも素盞嗚命を祀る『簸川神社』があり、どうやら氷川神社は埼玉・東京・神奈川限定の神社ではないようです。
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元々は隣の小石川植物園内にあり、承応年間(1652年頃)に徳川綱吉公の白山御殿の造営に伴い現在地へ遷座しています。江戸時代は氷川大明神と称し、明治時代には氷川神社、さらに簸川神社と変遷しています。Ptの鳥居からの石段はきっちり50段あります。この階段を『合格階段』というのだそうですが謂れがよく判りません。階段を登りきると巣鴨と彫られた狛犬がある稲荷社のような境内社があります。社殿は東京空襲で消失し、昭和33年(1958)に再建されています。
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大宮・氷川神社の参道

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「JR新都心駅から5分程、旧中山道沿いの一之鳥居から神社に本殿まで約2㌔の「氷川参道」が続きます。約2㌔のもある参道は全国的にも例はなく恐らく「日本一の長い参道」でしょう。二之鳥居、三之鳥居と続き「武蔵一之宮・大宮氷川神社」本殿までは徒歩10分以上かかります。明治元年、東京遷都では明治天皇は当社を武蔵国総鎮守・勅祭社と定め関東の神社の中で最初に親祭を行い、この後に大宮氷川神社を含む「東京十社」を定めます。主祭神は、須佐之男命・奇稲田姫命・大己貴命。平安時代後期には関東武士団に広く信仰され、多くの分社が建てられます。埼玉県や東京に「氷川神社」が多いのもこんな理由なのでしょう。この参道は江戸初期には中仙道だったのですが、神社の参道では「恐れ多い」との理由で街道を付け替えています。元々は現大宮駅から岩槻あたりまで広大な敷地があったそうです。
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