旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2019年10月

旭川・神居古潭

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旭川市と深川市の間、石狩川の急流がつくる渓谷が神居古潭(アイヌ語の神々の住む場所)とよばれる景勝地です。ずっと以前の国道は渓谷の近くを通り車窓からも見えたのですが、新道や高速道ができると国道12号線を走る機会もなくなりました。旭川から車で30分程度、頃は紅葉の見ごろという事でチョット寄り道です。写真では温度は判りませんがヒトケタ温度しかありません。川霧が晴れてすぐの時間で景色がボ~ッとしています。石狩川に架かる橋が「神居大橋」と呼ばれる吊り橋です。大橋の割には100名を超えると危険と表示がありますが早朝なので観光客もほとんどいません。
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石狩川はこの橋の下で「くの字」に曲がっていきます。地質的には1億数千年まえに隆起して生じた「神居古潭構造帯」の固い岩盤を石狩川の急流のにより浸食され造られたようですが、難しいことはさて置いてもこの景観を「神々の住む場所」としたアイヌ民族の感性が理解できるような気がします。埼玉の長瀞のような感もしますが…(笑)。
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神居古潭も数十年ぶりの訪問となりました。昨夜の夕食は旭川市内で昔ながらの「松尾ジンギスカン」を食べたのですが味付けラム肉+野菜の2人前にご飯とみそ汁をつけて¥3000超えです(苦笑)。昔は松尾ジンギスカンといえばバスツアーの昼食の定番で滝川の本店で¥800程度でした。時の流れを思えば無理のない事なのですが…。

旭川駅・朝07:00

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【秋・北海道2019】はJR旭川駅からです。この季節の旭川は16:00を過ぎると薄暗くなってきます。新千歳空港から道央高速で約3時間の北海道第2の都市(とは云っても落差は大きのですが)JR旭川駅舎は空港かと思えるくらい立派な建物です。Ptは朝の07:00、通勤時間前なので人の数も少なめです。数年前から旭川ラーメンが知られるようになったのですが、札幌系とはニュアンスが違うので苦手の人も多いようです。
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駅前広場からの買物公園方向です。昭和47年(1972)に日本で最初の試みとして造られた「常に歩行者天国」なのですが、いわゆる飲み屋街とは異なり一通りの商店が並んでいます。百貨店などの閉店が相次ぎ空き地とビジネス系のホテルが目立つようになりました。この時の外気温は5℃程度です。この散策が風邪ひきの元凶となるとは(苦笑)。
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街を歩いていて見かけた自動販売機です。ライオンとアザラシの顔が描かれたこの自販機の売り上げの一部は旭山動物園のあさひやま”もっと夢”基金に寄付されるそうです。旭山動物園は超有名な動物園となりましたが、以前はどこにでもあるような地味な動物園でした。それが今は…。関係者の方々には頭がさがります。

Box setはお買い得?…(2)

昨今、懐かしのアーティストの旧盤を(日本製より劣る)紙ジャケ仕上げで箱詰にしたブツが増えています。CD1枚あたりにすると平均¥500~¥600(!)。代表作以外の作品を買い集める努力と時間を考えたらお安いものです。*記事項にあたりA社Webを確認したのですが、モノによっては高額や廃盤になっているブツがあるようです。
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このバンドのCDが売れまくることは絶対にないでしょう(笑)。多くの作品は廃盤なので中古屋を漁ってもこれだけ揃えるには根気と時間が必要です。【Paul Bterfied Complete Alubums1965-1980】の 13CD。ポール・バターフィールドは白人のブルース・ハーモニカ奏者で僅か44歳で痛止めの過剰摂取で亡くなっています。彼のバンドにはマイク・ブルームフィールド、エルビン・ビショップらが在籍、後期にはエイモス・ギャレットも参加していました。共演者となるとディランや大御所のブルースマンなど大変なメンツ勢ぞろいでとブルース好きには必聴の作品集です。2枚のCDを探しあぐねてBoxを購入しました(プラケはエイモス・ギャレット参加の貴重なライブ盤)。悔しいのがRaino製のライブ盤(2枚組)が入っているのです。これ一時期は”幻の名盤”でとんでも価格だったヤツです。余談ながらマイク・ブルームフィールドはバンド脱退後は薬に溺れサンフランシスコの病院の駐車場で死んでいたなんて話も昔聞かされました
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【The Doobie Brothers-The Waner Bros Years 1971-1983】の10作品セットです。A社輸入通販で¥4384(送別)で1作品¥438です。トム・ジョンストン在籍時のツイン・ギター&ツイン・ドラムスのドライブ感がお気に入りでしたが、マクドナルド氏が見事にぶち壊してくれました。しかしまぁ1970-80年代にはこのてのバンドがゴロゴロしていたのですから、大した時代だったのです。このセットには1983年のFarewell Tourが入っていて意外にポイントなのです。
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どうなんでしょうか(?)確かに70年代にはヒット曲連発の人気バンドだったのですが(苦笑)。【Bachman-Turer Overdrive】は1973年にカナダで結成された「カナダの木こり軍団」といわれたハードロック・バンドです。メンバーのランディ・バックマンはストラトが小さく見えるほどの大男、リッケン・ベースのC.Fタナーも大男。LPタイトルも「驚異のロックン・ロール・マシーン」やら「四輪駆動」や「爆走フリーウェィ」と大げさなタイトルがばかりでしたが、今の感覚ではハード・ロックというより元気なポップ・バンドといった感じです。彼らのCDの多くは廃盤となっているようなので、8CDが入ったBox Setは便利です。・・・・・・・
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まれに”ハズレ”を掴まされます。Pt↑)の【Creedence Clearwater Revival 6cd Boxed Set】は微妙なシロモノです。Disc-1のCCRデビュー前の音源からDisc-6のLive(1972 Mardi Grasは除く)までがCD1枚に1作品ではなく順にギッシリと押し込められています。何故こんな曲順にしたのか理解に苦しみます。Fantasy RecodeなのでBootではないのですが、オリジナル作品への愛情もへったくれもありません。
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カリスマ、ボーカルのジム・モリスンが在籍した【Doors Clection Box 6CD】です。「1969/ハートに火をつけて」から「1971/L.A.ウーマン」までが入っています。1971年7月のジム・モリソンの死から急速に衰退するので、彼らの一番輝いている時期となのです。オルガン・ドラム・ギター・ボーカルの編成でベース・レスという珍しいバンド構成です。ロックというよりジャズっぽい面もあり、ジム・モリソンの曲の歌詞には独特の臭いがあります。
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1969年。デビュー・コピーが凄かった!なんといっても「あのツェッペリンを吹っ飛ばした」ですから…(笑)。マーク・ファーナー(G)、ドン・ブリューワー(D)が21歳でメル・サッチャー(B)が18歳ですから勢いだけはありました。といいつつも演奏よりも歓声の方がデカイ「Live Album/1970年」の"Are You Ready"は今でも好きな曲の10本指に入ります。Pt↑)はBox 1が1969-1971とBox 2 1972-1976の計12作と「Bosnia」と「Live 1971」です。音がデカイだけと揶揄されますがなかなかどうしてのバンドです。1976年の”驚異の暴走列車”からは人気に陰り、Pt右下のジャケでは棺桶に入っているデザインになっていて笑えます。

日本オリンピック・ミュージアム

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2019年9月14日に新宿区霞ヶ丘町、日本青年館の隣に日本オリンピック委員会(JOC)による「日本オリンピックミュージアム」がオープンしました。メトロ銀座線「外苑前駅」からは徒歩で約7分、大江戸線「国立競技場駅」またはJR「信濃町駅」からは徒歩約12分くらいでしょう。入場料は大人/一般500円(65歳以上400円)、高校生以下無料(65歳以上&高校生以下は要証明書)となっています。到着してみるとガラス張りの建物で芝生の庭には五輪のマークや長野・札幌・前東京の聖火台(レプリカ)が展示してあります。外部から見ると期待できそうな施設なのですが…。
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館内に入ると1階が無料展示スペースで2階が有料スペースです。入館料を支払い2階へ上がると嫌な予感がしてきます。ゆっくりと見ても30分程度でしょうか?バーチャルによるアスリート体験は現代的で面白いのですが、メダルや全東京の雑貨を並べての展示は軽いですね。てっきり秩父宮や駒沢や文科省の資料が統合されたと思っていたのですがおおハズレです。いかにも電●の仕事感が漂っています(苦笑)。注)2階の展示室にはトイレがありませんので注意です。
お隣は新国立競技場です。蕎麦屋のセイロをズラリと天日干ししている様は、”和風”そのものなんでしょう(大笑)
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さよなら Gerry McGee

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また悲しい知らせが飛び込んできました。ジェリー・マギー(ジェラルド・ジェームズ・マギー)1937年生まれの81歳。日本公演のため来日、リハーサル中に倒れ2019年10月12日亡くなられました。2018年3月のノーキーについでジェーまで逝ってしまうとは…(涙)。いつだったかなぁ。”Ventures見に行こう”と誘われて出かけると、ステージには超絶ギターのノーキーではなく長髪の小柄な白人が居ました。ノーキーが脱退して変わりに入ったのがジェリーだったのです。ノーキーに憧れた小僧たちにはピンときませんでしたが、ノーキーのカントリー系とは違うブルース系のギターもこれはこれで良しでした。聞けば、あのモンキーズの「恋の終列車」はジェリーの仕業で、スタジオの経歴後はDelanry & Bonnieへ参加、Venturesに移籍後の後釜が、あのEric Claptonなのですから世の中面白いモンです。
Venturesコピーバンドの多くはノーキー派でジェリー派はあまり見かけません。ストラト・サムピック・JC120ごく普通の機材でもジェリーが弾くとジェリーの音になってしまいます。数年前に体調不良でツアーは引退すると言っていたのに、日本・長野県・中川村でコンサートとは…。さよならジェリー・マギー(!)天国でノーキーとセッションを楽しんでください。ドラムはメル・テイラー、ベース・ギターはボブ・ボーグルーで。
Venturesは今でも健在です。でもスポルディング親子の音が素直に耳に入る日はくるのでしょうか?
Pt↓)が恐らくラスト・コンサートなのでしょう!それにしても中川村って何処なんでしょう?
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Box setはお買い得?…(1)

懐かしのアーティストの旧盤を日本製より劣る紙ジャケで箱詰にしたブツが増えています。CD1枚あたりにすると平均¥500~¥600程度。これらの作品を買い集める努力と時間を考えたらお安いものと妙に納得して購入してしまいます。
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【Abba The Albums】のオリジナルCD8枚と編集版が1枚の9DiscのBoxに1979年のWembleyのLive盤と1979.11.11のWembleyの¥1000ブートを追加しています。中途半端なベスト盤を買うならで購入しました。Abbaは積極的に聴くことはなくても聴き流すには耳障りが良いのですがヒット曲は以外には「駄作もあるなぁ」が正直な感想なのでBest盤でも充分であったかと?
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【Deep Purple Complete Album 1970-1976】は初期の10作品のBoxです。購入時点ではLive盤などは持っていましたが、安かったのでダブリは覚悟のうえです。このBoxはあまり音質がよくありません。Purpleは会社の方針で再発盤がやたらあるので音質志向はそちらがよろしいかと…。
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Yesの1枚目から12作品の入ったBoxで、Liveの「Yes Songs」は漏れています。このBoxは中古なら¥4000代です。「Yes」は楽曲としてあまり好みではないのですがこのお値段ならって感じです。大作指向の作品が多く良くも悪くも方向性がコロコロ変わるのがよく判ります。
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2017年からのHumblepieの”Official Bootleg Box Set”が2019.09にVol.4が発売されました。Vol.1が3CD、Vol.2が5CD、Vol.3が5CD、Vol.4が4CDです。このシリーズには1973年の来日公演などのLiveが収められていますが、如何せん録音状態は本物のBootなみ(苦笑)でしょう。まともなのはシリーズとは別枠の”FillmoreのComplete盤ぐらいですが、熱気溢れる演奏はやはり只者ではありません(笑)。スティーブ・マリオットは残念ながら1991年に寝たばこが原因の自宅火災で焼死しています。

日光・けっこう・陽明門

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今更ですが、1999年に日光東照宮・二荒山神社・輪王寺が「日光の社寺」として世界遺産に登録されています。100棟を超える歴史的建造物や自然景観に点在する様は●岡製糸場や岩●銀山と比べるまでもなく世界遺産に相応しいといえます。特に徳川家康公を祀る東照宮は国宝が8棟、重要文化財が34棟あり、特に指名度があるのは「陽明門」でしょう。陽明門を紹介する文献資料は数多ありますが、前項で触れたように寛永の造替で甲良豊後守宗広の指揮により僅か1年半で工事が完了しているという驚異的な作業結果なのです!
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総工費を現在に換算するのは難しいのですが、一説には総工費56万8千両・銀100貫目、米1000石といわれ現約570億円相当が妥当な数字と思われます。延べ動員人数は450万人(!)この人数で1年半で完成です!造営費用の多くは徳川幕府が負担しています。さすが生まれながらの征夷大将軍・徳川家光公です。それでも新国立競技場の建設費が約1490億円(予想)。築地から豊洲への移転事業費が約6000億円。それに比べれば約570億円がどうなのかはピンときません。
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東照宮・猿、獅子&猫

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日本には伝統芸の「猿回し」があります。訓練された猿が芸を披露して祝儀を得るのが一般的ですが、この猿回しは中国から奈良時代に日本に伝っており、元々、猿が馬の守護神と考えられ猿回しは馬の無病息災を祈願する宗教的行事でした。時代を経ると宗教色は薄れ芸能行事に変化します。東照宮神厩舎の猿の彫刻はそんな理由からなのでしょう。Ptの「見ざる・聞かざる・言わざる」の3猿が有名ですが、オリジナル中国では「せざる」が加わって「四猿」なのです。神厩舎の8面の彫刻は猿達の一生を表現しており、猿はトータルで16匹彫られています。
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陽明門への階段を登ると妙な「狛犬」があります。狛犬は神々のガードマンで狐などの神使とは立場が異なります。搭羽状は神門の左右に座し阿吽の姿をしているのですが、この狛犬は陽明門に向かってひれ伏し(逆立ち)しているように見えます。「飛び越えの獅子」ともよばれ柵を飛び越て着地した瞬間の模様です。さらには見にくいのですがこの獅子像は柱と一体彫りになっているのです。
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猫です。彫刻の名人・左甚五郎の作品と云われています。Pt↑)の彫刻からは判りにくいのですが、日本猫には尻尾が短いという大きな特徴があります。人に飼われた猫はねずみを捕獲するため食事がロクに与えられなかったとの話があり、これが「猫のねずみ捕獲の根拠」になっていると思いますね。多くの白猫は子猫時代の半年ほどは頭に黒い斑点があり成長に従い消えていきます。となるとこの猫は単なる黒白のブチ猫のようです。猫の彫刻の裏側には雀の彫刻が施され,雀を捕えようともせず惰眠をむさぼる猫の姿は平和そのもので,家康公の墓所への入口の彫刻として相応しいのかも知れません。ただねっ。家の猫たちはこんな寝かたは絶対にしません。これは「戦士の休息」の姿です!。
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東照宮・高良豊後守宗広

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「日光東照宮」は全国にある他の東照宮と区別するため”日光を冠していますが正式には単に「東照宮」です。その起源は源良義朝の時代に遡りますが、現在の東照宮は寛永11年(1634)に3代将軍家光の時代に始まった大造替によります。その大造替の設計・施行の総指揮に当たったのが、幕府作事方大棟梁の「甲良豊後守宗広」でした。この甲良豊後守は芝増上寺の台徳院霊廟や日光東照宮の造替、上野寛永寺の五重塔の造営にも関わっています。特に左甚五郎等を登用した日光東照宮の色彩と彫刻群の造形は驚く事には僅か1年半で造替完了しています。Pt↑)が「甲良豊後守」の像で東照宮駐車場の敷地内にありました。昭和52年に甲良町と日光市の姉妹契約記念として造られたそうです。
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Pt↑)は「御仮殿/おかりでん」です。メイン参道から少しそれた場所にあります。本殿の修理や造替時に本殿の神々を一時的に移すための仮の社の事で、この御仮殿は文久3年(1863)以降は使われいません。通常は本殿修理の完成時に撤去されるのがそのまま残してあるようです。この「御仮殿」昭和19年(1944)に国の重要文化財に指定されています。
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龍頭の滝&華厳の滝

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湯滝・龍頭の滝・華厳の滝が日光三名瀑と云われ、さらに華厳の滝は和歌山県・那智の滝と茨城県・袋田の滝と「日本三名瀑」と云われます。大体がこの手の話は「そおかぁ?」と首を傾げるものがあるようですが、落差97mの華厳の滝の迫力には”合格”でしょう。小学生の頃に家族旅行で来たのが最初ですが”来た”という記憶しかありません。展望台から写真を撮るとよく霊が写り込むとの話がありますがこの景色なら無理からん事です。明治3年に藤村某というアホ学生が「厳頭之感」なる迷言を残して飛び込んだのが自殺の名所の所以のようです。迷惑千万とはこの事です。
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湯ノ湖からの流れの湯滝と華厳の滝の中間に位置するのが龍頭の滝です。この滝は全長が210m、幅が10mもあるのですが、滝全てを見渡せる場所はありません。観瀑所からみる滝は下部の流れが二枝に別れているので、これを「龍の頭」に見立てあたのでしょう。Pt↑)で見る限りはそうは思えませんが…。
Pt↓)明治天皇が華厳の滝を観覧した記念碑があります。今なら岩盤を100mくり抜いて設置したエレベーターで観瀑台に行けますが、明治天皇が見た滝の立ち位置はこんな感じでしょう。
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嘘だろうの奥日光

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餃子の街、宇都宮で車を借りて奥日光湯元までいってきました。10月だっていうのに宇都宮で30℃、日光湯元で26℃というふざけた温度です。知らなかったのですが昭和29年(1954)に日光町と小来川村が合併して日光市に、平成18年(2006)に今市市・足尾町・藤原町・栗山村と再合併してやたらと広い「日光市」になっていました(苦笑)。さらに栃木県日光市から群馬県沼田、草津を経て長野県上田市までの約320㎞を日本国内でドイツ的景観を持つ「日本ロマンチック街道」と称するんだそうです。「日光けっこう」の時代からすると大違いです。
「湯滝」は日光白根山麓の湯の湖から流れ落ちる幅25m、落差50mの滝です。この流れは戦場ヶ原の「龍頭の滝」を経て中禅寺湖へ、さらには「華厳滝」となります。奥日光の三名瀑の湯滝・龍頭の滝・華厳滝の源流は同じという事です。湯滝の観瀑台にはクマに注意の!看板があります。マイナス・イオン溢れる環境ですがケモノ編も数多くいそうです。それにしても環境維持の費用捻出もあるのでしょうが駐車場が¥500とは恐れ入ります。
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日光湯元温泉には30数年前はスキーでよく来ていました。ゲレンデはファミリー向けながら、寒い地区なので雪質は良かったのと温泉がやたら熱かったと記憶しています。残念ですがご多分に漏れず地域の老巧化、過疎化が進んでいます。例年だったら10月となると紅葉が始まる時期なのですが。この日は「26℃!嘘だろうの奥日光」です。立寄ったのが「日光湯元ビジターセンター」です。ここは北海道にある施設並みに充実しています。「アーネスト・サトウ」や「イザベラ・バード」の展示まであり、改めて明治初期の彼らの行動力には驚かされます。
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