旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2019年12月

赤羽・作徳稲荷大明神

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昨今の「北区・赤羽商店街」の変貌ぶりには驚かされます。昔は旧軍の火薬庫や被服工廠がや駐屯地があり近年は大手の印刷工場がある街で、マックから入る「1番街」は印刷工場の夜勤明け工員が朝から飲める居酒屋がありました。なんという事でしょう!居酒屋文化は滅びるどころか「千べろ=1000円でベロベロ」の流行で昼酒OKの店が増え商店街の様相も変わっています。真昼間から若いねえちゃん達が酔っているのですから(苦笑)。この国は大丈夫でしょうか?
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1番街を進みます。巨大な”おはぎ”で有名な伊勢屋の少し先の屋上(Pt↑)に「作徳稲荷大明神」は鎮座しています。TVなどにも登場しますが社殿がとんでもない場所にあり「近づけない!」で有名な神社です。7/11の上に「作徳稲荷大社」の看板があり参道(?)に神社のご由緒(Pt↓)が掲げてあります。昭和5年に鍵屋染物店の当主が建立、昭和34年のビル建設時に屋上に遷座したと書かれています。立入禁止や要許可の表示はないので階段を登り屋上に出ると稲荷社は鎮座していますがお社は少し下がった隣のビルにあり金網越しでの参拝となります。銀座辺りでは屋上の稲荷社は珍しくはないのですが「お社に近づけない神社」とはこういうことでした。道路から望遠で追っても神社の一部と旗しか見えません。
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Box setはお買い得?…(5)

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数あるブートCDを一気にゴミ箱に追いやったのがこいつです。英国フォーマットのモノラル盤が限定(?)盤として登場すると多くの英国モノLPをコピーしたブートCDは不要となりました。マニア心をくすぐる限定発売(結果的にはウソでした)、価格の安い輸入盤でも日本製の紙ジャケとは…いい事だらけでした(笑)。ヤフオクでは中国製(?)の偽物まで出回る始末!こうしてみると「Beatles関連の売らんかなBox Set」でお値打ちはこのMono Boxだけです。
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【伝説を抱きしめたい!   衝撃の出会いから半世紀、日本の音楽シーンを大きく変えたザ・ビートルズの日本盤5作品(すべて初CD化! )を収めた日本デビュー50周年記念盤の発売が決定!】とことで、ビートルズの日本でのレコード・デビューから50年の2014年に登場したのが1964年から65年の間に発売された日本の独自の5枚のビートルズのアルバムのCD化です≫  *写真(↑)はお借りしました。
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前作の『The U.S Albums』に続いての登場でしたが¥15120(1枚¥3024)はブート以上のボッタクリ価格でした。収録の音源は2009年リマスター(Help以外はmono)を使い日本盤LPに収録された音ではありません。音源を並び替えて紙ジャケットに入れて¥15120(!)。冷静に考えてみましょう(苦笑)。この紙ジャケが1枚あたり¥3024、音源はオリジナルではない(怒)。Capitol盤がやるなら二番煎じでも日本盤を…。これは西新宿以下です。
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この「Japan Box」は許しがたいシロモノでリアルタイム・ファンは激怒したことでしょう。我らの年代ではLPの1曲目は「17」ではなく「抱きしめたい」です。ここだけは”オ~ッ”と思ったのですが、収録曲のすべてが2009年リマスターとは…は(怒り 1)。HelpのダブルジャケはBox入り、Beatles '65(For Sall)は落選です(怒り 2)。Beatles For Sallはタイトル文字が異なるくらいでジャケが面倒な造りなので落選なのでしょうか?
Pt↑)左の『Japan Classics』はモノラルの日本盤からのブートです。
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1992年6月発売の『The Beatles Compact Disc EP Collection』なるBoxセットです。レコード時代にもこのEPセットは存在したのでBoxの発売は自然の事だったのでしょうが、今も続く怒涛の手を変え品を変えシリーズの始まりとなりました。そもそもEPってのはLPを買えないファンの為に発売されたはずがなのですがいつのまにやら「コレクター向き」になってしまったのは妙な事です…。
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1992年6月発売という事はBeatles関連の紙ジャケとしては最初になるのでしょう。実際EPコレクションは日本制作の紙ジャケなのでオリジナル再現度はかなりのものです。英盤EPでこれだけ揃えるのは困難なので(日本盤EPレコードもありますが)紙ジャケで並べて見るのもこれはこれでアリです(笑)。
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年月とともにMono Boxやリマスターやらで「Boxならでは」の希少価値は薄れていますが、そこは『Beatles考古学』の世界!例えば 1)英国盤EP紙ジャケが揃う  2)細かいことを言うなら後年のMono Boxと異なるバージョン  3)オマケEPの”She'a Woman”など が希少ですが、モノラル(EP)盤MMTがとどめとなります。
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1993年3月発売のEP Boxに続いての 『Single CD Box Set』です。1990年代はSingle CDは8㎝だったので12㎝ CDとしての再発売という事です。あきれた事には2019年11月にSingl Recod 23 Boxが発売になるようですが、どこまで「泥棒商売」は続くのでしょう。
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厳密に云えばこのジャケにしてもオリジナル盤とは違い”ピクチャーシングル・シリーズ”の発売時に作られたはずです。正直、CD1枚に2曲では面倒な限りで眺めるだけのシロモノとなっています。後年のMono Boxの発売で貴重なMonoはほんの数曲になってしまいました。
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Box setはお買い得?…(4)

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今となっては不可解な存在となってしまった「ザ・ビートルズ’64BOX」です。原題は「The Beatles The Capitol AlbumsVol.1」とタイトル通り1964年に発売されたUS盤のLPが初CD化されたものです。今更ですがSGTまではUK盤とUS盤LPは内容が違いアメ公好みのMixが施されたりしていました。更にJapanオリジナル盤LPまであったのですから混沌として時代でした。発売された2004年当時の日本版CDは「CCCD」なるフォーマットでコピー・コントロールがなされ音質が劣るなんて話もありました。そんな時代だったのです。
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64に続き’65のVol.2が2006年に登場してシリーズ終了となりましたが、後年にさらに丁重に造られたUS盤BOXが出るのですから商魂たくましい限りです。ブライアン・ウィルソンは”Rubber Soul"を聞いて衝撃を受けたとの伝承がありますが、内容の違うUS盤Rubber Soulは衝撃を受けるシロモノではないと思うのは私だけでしょうか(苦笑)。この2作は紙ジャケ製ですがUS盤CDの紙ジャケの精度は低く日本盤の紙ジャケに比べると2ミリ程度小さく印刷の発色もお粗末です。中古で探している方がいたら日本盤CD推奨ですが、CCCPという厄介ものです(笑)。
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東芝EMIから引き継いだのが企画の亡者のユニバーサル・ミュージック。2014年1月に13枚組の限定版『The US Box』を突っ込んできました。’64&’65年Boxとは紙ジャケ製作が日本製となりStereo+Monoになるなど工夫は見られます。UA盤 Hard Day's Naight・Capitol盤 Beatles Story・Yesterday And Today・Rubber,Soul・Revolverとあれば許せる範囲なのでしょうか?とはいうもののあのエコーたっぷりのUS盤の音って結構好きです。
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US盤Rubber Soulについては、その昔かっこをつけて輸入盤のLPを購入したら友人らの日本盤(英国盤)と全く内容が違い愕然とした苦い思い出があります。そういえばBeatles Storyを買ったら楽曲がないと激怒していた友人もいました(苦笑)。あまりにも貧相な企画の罪滅ぼしでしょうか?あの「ブッチャー・カバー」とHey JudoのUS盤が入っています。

東京国立博物館・特別公開

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令和の即位に伴う儀式で10月22日の新天皇が即位を公に表す「即位礼正殿の儀」で使われた「高御座と御帳台」が上野の「東京国立博物館」で特別公開されることとなりました。同じ国立でも昨日は「競技場」今日は「博物館」と忙しい日が続きます。当日、開館の40分前には博物館入口には寒空に約200名(?)のが並んでいました。特別公開は高御座関連の見学のみは無料でその旨のタグが支給されます。展示期間は12月22日から1月19日(休館日あり)まで。博物館本館の2部屋を使い1部屋には「高御座と御帳台」が展示され1部屋には装束やお道具の数々が展示されています。
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「即位礼正殿の儀」はTV放映され記憶にもありますが「高御座と御帳台」が目の前で見られるとは…。展示室への入場人数の制限はあるようですが、人の頭越しでも見ることはできました。例によっての「スマホ撮影隊渋滞」は著しく操作に不慣れで渋滞に拍車がかかるようです。ガラス越しの撮影は映り込みに苦労しますが充分な光量はあるのでフラッシュ機能は止めましょう。無料配布されるパンフレットが珍しいほどの出来で是非ともの入手をお勧めます。
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寒っ!国立競技場

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12月21日、国立競技場オープニングイベントへ行ってまいりました。施設が完成して初めて6万人からの一般客を入れて警備やら諸々の確認も兼ねたイベントなのでしょう。12月の寒空に18:30から約3時間の長丁場(!)。和太鼓、東北各県の祭り、三浦カズのドリブル披露、元ラグビー日本代表の登場と続き「ドリカム」のミニライブ(演奏)そして「嵐」(カラオケと歌はマイム?)での登場(!)。残念ながらあまりの寒さに力尽き途中でリタイヤしました。イベントはウサイン・ボルトの登場へと続いたようですが盛りだくさんの企画の割には多くの観客は「嵐」目当のようでした。大声でしゃべるだけのMC松岡某のうるさい事や嵐のメンバーの名前を間違える大ボケ女子アナの平井なんたらには苛立ちがつのり、あげくの地元町内会のパレードにいたってはなんじゃそれです。それもこれも寒さのせいです(笑)。それにしても例によっての「スポンサー&関係者席」のガラガラ状態はひどいもんですなぁ。
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マスコミ報道では素晴しい施設の報道ばかりですが、実際に見みると『見てくれはカッコ良いのだが、実は安っぽい』あのお方の特徴がよく表れています。蕎麦屋のセイロが干してあるような外壁、建材むき出しの天井は工事途中のようで座席から見上げると”篭の鳥”といった感じです(苦笑)。座席にしても平均的日本人男性(170㎝超)がリラックスして座れない狭さ(!)。「正しい姿勢を保って競技を見る」は苦痛でしかないでしょう。犠牲にしてまで収容人数(座席数)にこだわる必要はあるのでしょうか?。競技場は施設にすぎず建築物ではありません。”板切れを多用して和風のテイスト”やらコンセプトやら●●をイメージやらの聞こえが良い言葉を並べてもすぐに施設のお粗末さは露呈するでしょう。気になる音響は…。屋根が抜けているので東京ドームほどの音の廻りは無いようです。高音域がやや痩せてしまう位でしょうか?ここをフルにできるイベントやバンドっていますかねぇ?
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ブートCDの裏通り・70

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今年(2019)の夏に西新宿の某店から発売されたのがPt↑)左の「Rolling Stones 1969」です。いまさら「ネタ切れで苦しまぎれか!」と思いきや1969年USツアーのアチコチの極上音源を纏めた内容です。続いての企画が「More Philadelphia Special」。Moreが付くだけに聴きなれたPhila Speとは違う音源ばかり!。さらに次があの「Lacerated」で、イントロの4小節を繰り返す78年の"Tubling Dice"はDisc 1 ではリフ5回で(1:17)で演奏は1カッコで歌はBメロへ(Pee音の原因か?)。Dice 2ではイントロを繰り返して、リフ頭で”Hey”と云っても入らず2小節目から入る妙な展開。メンバー苦笑した顔が目に浮かびます。最新作が「Voodoo Lounge 1994-1995」ときました。重箱スミ的作品ですが頬が緩む音源ばかりで自分的には2019年の大傑作です。
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感心するのがアチコチの音源を集めて纏めた割には違和感が極めて少ないのです。オフィシャルでBrusssels73やSome Girlesがある時代によくやってくれました(Giftの KBFH 3cdだけは良く判りませんが)。Pt↑)は古くからのマニアには常備品のようなモノで、TSPのPhila SpeのⅠとⅡ、VGPのPhila Spe。「Handsome Girls」の衝撃は大変なものでした。70年代のStonesスピード感は圧倒的なんですが、今聴くとミック・テイラーは上手ですが明らかに弾きすぎです。これでは遅かれ早かれ馘だったでしょう。Phila Speの裏ジャケ、アンプ上にはビール・コーラ・ジャック・ダニエル(ケンタッキーとうもろこしウィスキー)たまらない写真です。

うさぎの神社の酉の市

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浦和の街(さいたま市)は旧中山道の宿場町として栄えた街にしてはこれといったお祭りがありません。唯一といっても良いのが12月12日に調宮/つきのみや=(断じて調神社/つきじんじゃではありません)=行われる「十二日まち」なのです。例年なら北風が吹く時期ですが、なんとまぁ今年の暖かいこと!これなら露天商の面々も楽々でしょう。それにしてもタピオカやら広島お好み焼きやら中津唐揚げやら宮崎牛やらと具体名の屋台が増えていますね。
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本当に混雑するのは日が暮れてからですが、早い時間ならではの乳母車軍団が目立ちます。この時期は昔なら中高校の期末試験があり学校からは「なるべく行くな!」のお達しがありました。運の悪い奴らは補導員に捕まって説教されて(苦笑)。Pt↑)は調宮の入口です。何度か触れては来ましたが、調宮には「鳥居」がありません。狛犬がなく神社入口には神使の「うさぎ」が一対置かれています。神使=うさぎは全国的にも珍しく干支の兎年は大大混雑です。
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神社の裏手には酉の市ならではの「熊手」を商う店が並んでいます。古い熊手を持参して、新しい熊手と交換して、無病息災・家内安全のシャンシャンシャンがお約束でした。昭和・平成・令和と変わらない習慣なのでしょう。昔はお茶碗やらの食器類などの生活必需品の露店もありました。今はいつでも買える時代ですから無くなっていますが…。
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2日前は大宮・氷川神社で酉の市が行われます。氷川さんは広い神域ですが浦和調宮はさほど広くなく狭い神域にお店が密集しています。子供のころから見慣れたモノなので不思議に思ったことはないのですが、冬空のこの季節に何故か「お化け屋敷」が出店(!)します。ずっと昔からありました(笑)。蛇女やらなんやらと呼び込みはオドロオドロシイのですが、その先は言わない方が良いでしょう。

三ッ木神社・朱い猿

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これも【江戸人の性/草思社文庫】からのネタです。江戸文化年間(1812頃)に寺の住職を引退してから江戸近郊の散策を繰り返しその印象を「遊歴雑記」なる本にまとめた大浄敬順(だいじょうけいじゅん)なる人物がいました。敬順が武蔵国足立郡三ッ木村(現鴻巣市)の三ッ木村山王大権現を訪れたのは文化13年(1816)の事でした。【神社の敷地は狭く、拝殿は板葺きで山王の宮があり、3匹の猿が置かれ、身の丈2尺の猿は右手に宝珠を持ち尻を落として両膝を立て人間のそれに模した陰門丸見えの状態。更に参拝者の願いを込めて朱く塗られている】とあります。ということでその『猥褻な猿』を見に埼玉県鴻巣市(JR高崎線/北鴻巣駅徒歩約10分)へ行ってみました。190年前の「遊歴雑記」がそのまま状態でした。
☆Pt↑)がその股間を晒した猿で後方には子を授りを感謝する絵馬(?)があります。
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山王信仰は滋賀県大津市比叡山の麓の「日吉大社」より生じた信仰で、日吉神社・日枝神社・山王神社など全国に3800社あるとされています。ご祀神は大山咋神(おおやまくいのかみ)と 大物主神(おおものぬしのかみ)、神使は「猿」です。近郊では川越の日枝神社やら赤坂の日枝神社が有名です。赤坂の日枝神社のご利益は「良縁・子授け」とありますが拝殿前には着衣のままで朱く塗られてもいない石猿像が置かれています。
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三ッ木神社(三ッ木山王大権現)のご利益は「遊歴雑記」では【石猿はあらゆる婦人病に霊験あらたかで生理不順・便秘・腫物・かゆみの治療や不妊症にも効果があり】と表現されています。拝殿にも朱く塗られた石猿と塗料(?)が置かれています。石猿に自分の體の悪いところに朱を塗って治癒祈願するということです。撫で牛の祈願と同様ですが、ここでは女性の下半身疾患に特化しているようです。この神社は意外と高評価だったようで近郊ばかりでなく江戸からの参拝の女性も多かったとあります。関係各位には大変申し訳ありませんが高評価神社とは想像がつきません。
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敷地内の由緒書きには「遊歴雑記」での内容は一切ありません。元亀2年の織田信長の比叡山焼き討ちを逃れてた日枝山王権現の僧がこの地を訪れ創建したとあります。明治年間に村社氷川神社と無格社天満社を合祀して社号を「三ッ木神社」と改称し、のちに村社八幡社と村社稲荷社を合祀したあるだけです。神社近くを通る旧中山道からは入ります。今と異なり江戸からの日帰りは無理でしょう(!)。朱く塗られ地が判らない猿達。子の授かりを感謝する絵馬(?)。奉納された無数の猿達の人形。はるばると参拝に訪れる女性たちの願いが伝わってくるようです。
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Box setはお買い得?…(3)

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【Box setはお買い得?】の3回目は逸脱感もありますが、最近自宅内で発見(?)されたBeatlesとBeach Boysのカセット・テープBOXです。ほとんど聞いた記憶はありません。調べてみるとBeatlesのは「リバプールより愛を込めて ザ・ビートルズ・ボックス」とのタイトルがつけられて1980年11月に8LPで発売されたようです。元々はイギリスではEMIの通販専門の子会社から発売され、日本でも当初は通販で売られ、後に店頭販売となっていたようです。Ptのようにカセット8本組ですが今は再生機器を保有していないので内容については良く判りません(苦笑)。
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恐らくは”Beatlesがあるんなら”との安易な考えで造られたBeach BoysのBox(6+1)セットです。タイトルも「カリフォルニアより愛を込めて」でまんまです(笑)。未発表曲やお蔵入り曲の多い彼ららしく貴重な楽曲もあるらしいのですが、なんといってもボーナスの「ブライアン・ウィルソン・プロダクションズ」が当時は超が付くほどのレア・テイク集だったような記憶があります。Beach Boys Boxは後にCD化されているのでそれなりの需要はあったのでしょう。

明治33年・三宅坂

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【絵で見る 明治の東京/草思文庫】なる本に面白い項目がありました。日本に最初に「自動車」が輸入されたのは横浜在住のアメリカ人により明治33年(1900)のアメリカ製の「ロコモビル蒸気自自動車」とされていますが、一説にはアメリカ在住の日本人が時の皇太子殿下(後の大正天皇)のご成婚を祝ってアメリカ・ウッズ社製の電気自動車を献上したのが最初との説もあります。この献上された自動車が試運転中にやらかした事故が日本最初の自動車による事故なんだそうです。
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場所は国会議事堂近く最高裁判所前で元々は「寺内元帥騎馬像」があった(現在は寺内像の台座のみを流用した裸のねえさん像が建っています)交差点が現場です。自動車は三宅坂を下って来て交番の前あたりで(現在も麹町警察署三宅坂派出所があります)見物人の婆さんをよけ損なってお堀にドブン!。とはいっても「日本最初の自動車事故現場」なんての記念碑はありません。他の文献を読んで”恐らく”はここだろうとの判断をしました(笑)
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