旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2020年03月

上野・西郷どんの犬

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いろいろと騒がしい日々となってしまいましたが、上野公園の花見も花見宴会が自粛となってしまい例年とは様子が異なっています。”見るだけ歩くだけ”となってしまっても青空に映える満開の桜は良いものです。
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何回となく記事項としてきた上野公園の西郷隆盛と薩摩犬ツンの”犬を連れての兎狩りの像”ですが、仁科邦夫氏の”犬たちの明治維新・ポチの誕生”に面白い話が書かれていました。他の資料と総合すると西郷像は西南戦争のほとぼりも冷めた明治31年(1898)に完成しています。人(西郷)は高村光雲、(犬・ツン)は後藤貞行と皇居前の楠木正成&馬と同制作者によります。国家反逆者の西郷像については色々とあったようですが、本来の構想は鹿児島と同様に軍服姿だったのが途中から「丸腰姿」の変わったようです。以前から見慣れた銅像ですが遠近法(?)による西郷の体と頭のバランスに違和感は感じていましたが…。
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実際の西郷の身長は当時としては大巨人の約180㎝でこの像の身長は約370㎝と倍の高さとなっています。これに対し薩摩犬・ツンは原寸なのです。超が付くほどの写実主義者の後藤貞行は『犬の大きさ倍にしてくれ』との依頼を断り原寸にこだわったようです。像は足元から見上げるを前提で造られており、少し離れた場所からみると犬の大きさとのバランスが悪く感じるのはこんな理由です。製作には息子の菊次郎、弟の従道、従弟の大山巌や西郷戦死を見届けた河野主一郎氏が監修しているのでリアルな像となっているようです。
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1950年代~1960年代に

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最近は”YouTube”を見る時間が増えています。どハマリしているのがエド山口氏(1948年・東京生・71歳)の「エド山口大江戸日記」です。1950年代に生まれ1960年代にRockの洗礼を受けてきた人間には笑い転げて、涙が出て、そうだったのか!…の話ばかりなのです。武道館でのビートルズ公演は会場で見たファンならでのは話です。実際に1965年前後の日本では一番人気のあった洋楽は「ベンチャーズ」であり「ビートルズ」は今のジャニーズ的で、ストーンズなどは駆け出しバンドだったなんてとても信じられないでしょう(笑)。
現在も氏は「エド山口&東京ベンチャーズ」の活動を続けられていますが、先日のYouTubeでは1992年での大林宣彦監督の映画「青春デンデケデケデケ」のバンド音楽指導をやった話は初耳でした。この映画は1960年代に四国の田舎でベンチャーズバンドを結成した高校生の話ですが、原作は芦原すなお氏の1991年に直木賞を受賞した小説です。Pt↑)黄ばんでしまった文庫本2冊は、左が芦原氏が最初に書かれた版で短く編集して直木賞を受賞したのが右の本です。芦原氏はどうしても元々の作品として発表したかったのでしょう。確かに私家版エピソード部分が多すぎる様な気がします。この小説(直木賞版)を読んで映画を見て「あれは俺たちのことだっ!」と思ったバンド少年が日本にどれだけ居た事でしょう。
同年代の音楽関係者にはよく「ビートルズの抱きしめたいを聞いて衝撃を受けた」などいう輩がいますが、後出しでカッコつけているだけで絶対にウソです(笑)。本当に衝撃だったのはテケテケテケのベンチャーズになのです。

台東区・かっぱ橋道具街

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浅草通りの菊屋橋交差点から言問通りまでが食器や調理器具、食品サンプル、飲食店の内装関係等々を扱う専門店が並ぶ「かっぱ橋道具街通り」です。ここまで料飲調理関係に特化した問屋街は他には知りません。東京メトロ銀座線・田原町駅が最寄りですが以前は浅草通りに都電が走っていて、Ptの菊屋橋交差点の右100mの停車場はよく利用したものでした。遥か40年程前のことです。PT↑)交差点から見るニイミ洋食器店ビルの屋上には巨大なコック像は(合羽)橋のランドマークとなっています。問屋街とはなっていますが殆どの店舗は小売りOKのようです。
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交差点を前方が「かっぱ橋道具街通り」で交差点の左右側には仏具店が軒を連ねています。面白いもんで殆どの仏具店は北面しています。売り物の仏壇が日焼けしないようにとの配慮だそうですが…。道具街通りを進むと一角に「かっぱの河太郎」なる岐阜駅前の織田信長並みに黄金に輝く像が建っています。平成15年に合羽橋道具街誕生90年を記念して造られています。この商店街では「河童」をキャラクターとしていますが、商店街は「合羽/かっぱ」で「河童」とは関係があるような無いような(苦笑)。Pt↓)のデカイ甲虫は食品サンプル店の看板です(笑)。
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狐と馬が…矢先稲荷神社

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台東区松が谷2丁目の「矢先稲荷神社」です。五穀豊穣を司る「倉稲魂命」と七福神の「福禄寿」が祀られています。倉稲魂命=伏見系の稲荷社なのですが神使(眷属)の狐はおりません。Pt↑)拝殿の格天井には神武天皇から昭和までの馬とゆかりの人物や馬の姿、武具、服装などが精密に描かれた「日本馬乗史」が設えてあります。解説には昭和39年に「海老根駿堂画伯」により約5年の製作期間を経て昭和39年に奉納されたとあります。天井画なので若干の距離もあり見上げ続けるのは結構シンドイ思いをします。(社務所に「日本馬乗史絵」なる図説/¥1200がありました)
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由来によると、寛永19(1642)年に3代将軍徳川家光により武道の練成のため、三十三間堂がこの地に建立建立されました。この堂の守護神として稲荷大明神を勧請し、その場所がちょうど”的の先”になることから「矢先稲荷」となったそうです。元禄11年(1698)年の江戸大火で焼失し、三十三間堂は深川に移転するも稲荷社は再建され、関東大震災や東京大空襲などの困難をへて現在に至っています。
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さいたま市・見沼通船堀…続

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訪れた季節が悪かったのでしょうが、「国の史跡指定」の割には”なんかなぁ”という雰囲気で笑)。水路に流れはなくゴミこそ捨てられていないにしても残念な景観になっています。西縁一の関(猫殿のいた場所)に至っては立入禁止となっていました。ここ浦和から大宮へ続く見沼田圃は現在でも関東有数の広大な田園地帯なので、”見沼””の名が付く公園も多くあります。その全域を管理していくのは容易なことではないで”しょうが、この国史跡の通船堀にしても数年に一回、極々稀に閘門通行の実演が行われる時以外はほったらかしなのでしょう。
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なかなか良い感じの竹林が続きます。数百mにわたって遊歩道が造られています。”竹の子を盗まないでください”の旨の看板は興ざめです(苦笑)。
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大宮の氷川神社を一宮とする氷川さんですが、見沼田圃周辺には須佐之男命(おやじ)を祀る大宮、大己貴命(子供)を祀る中氷川神社、奇稲田姫命を祀る氷川女體神社があり、この「附島氷川神社」には奇稲田姫命が祀られています。鎮座地はやや高台で見沼田圃が見渡せたことでしょう。
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江戸時代に見沼干拓事業に参加し、完成後は積荷や船頭の配置などの割振り業務を担当した鈴木家の文政年間に造られた国の史跡指定をもつ「鈴木家住宅」です。
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鈴木家住宅の先、八丁堤脇の「水神社」です。河川仕事従事者の水難防止を祈願した神社なのでしょう。絵に描いたように荒れ果てています。河川運搬事業が衰えるとともに信仰する人達も減ってしまったのでしょう。
竹林に潜むのは”虎”なのですが、通船掘りの竹林にはなかなかの貫禄のねこ殿が潜んでいました。
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さいたま市・見沼通船堀

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学校教科書にもあった『見沼代用水の閘(こう)門式運河跡』です。高低差の異なる河川を往来できるように造られた運河で、同構造の「パナマ運河」より前に造られていました。=運用方法は省略= 江戸時代中期の享保年間に造られた見沼代用水に「通船堀」が造られたのは享保16年で当時の産業物流に大いに役立ったようです。昔は【日本最古の…】のタイトルだっのですが、他からも”日本最古”の名乗が続き【日本最古の部類…】に変わっています。
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江戸から明治中期となると物流手段が変わり船のよる物流は廃れます。昭和初期には役目を終え昭和6年(1931)に通船堀は廃止となっています。通船堀は昭和30年(1955)に埼玉県の史跡に指定。昭和57年(1982)には国の史跡に指定されました。現在の通船堀は復元されたものですが、平成6年からは段階的に整備計画が進捗しているはずですが…。
PT1)当時の浦和市長・中川健吉氏による「見沼通船堀」の碑です。黒い塊はこの近辺を仕切っている”ねこ殿”でどいてくれません。 PT2)閘門近くは運河幅が広いようです。絵は撮りようでこうなります。
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ブートCDの裏通り・74

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最近見つけたのですが【エド山口のOh!エド日記】ってのYouTubeがありまして=エド山口はモト冬樹の実兄で日本ポップスの生き字引的な(?)方=これが実に面白いのです!。閑話休題!
Pt↑)は2020.02.17にロンドンのRAHで行われた「ジンジャー・ベイカー・トリビュート・コンサート」です。リリースの速さもさることながら、エリックの呼びかけでのスティビー・ウィンウッドやらロン・ウッドやらのメンツには興味いものがあります。ジンジャー・ベイカーは60年代終盤を席巻したCreamのドラムマーで、当時の高校生は今なら笑ってしまう邦題の「クリームの素晴らしき世界//Wheels of Fire」それも金色の方収録のSpoonful(約17分)やToad(約16分)には魂消たものです。ドラム・ソロ(Toad)を延々15分も演る馬鹿野郎など当時はいませんでした(笑)。
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ジンジャー・ベイカー、ジャック・ブルース・エリック・クラプトンのCreamは約2年で吹っ飛ぶのですが、その解散コンサートのライブ盤がつい最近登場しました。収録曲の殆どはブートにありますが、付録のRAH公演の写真集(?)が楽曲以上に楽しめます。シンプル構成のステージには3人だけ、ジャックとエリックの後方には200Wのマーシャルが山積み、ジンジャーのお祭りドラムセットの多彩なこと!返しのモニターは無く(PAも雑なんだろうなぁ)エリックがVol 8にするとジャックがVol 10へ、ジンジャーが負けじと渾身のぶっ叩き!隣の音なんか聞こえないでしょう!。冷静に考えたらこんな演奏を連日連夜続けたら嫌にもなりますわな。(Pt↑は拝借いたしました)
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このところ時間があるので4CDを一気に聴いてみました。まぁオフィシャルですから(笑)。3人編成なので薄くならない様にの考えでしょうが、手数の多いジンジャーのドラムが妙に賑やか処理されている。CDによってエリックとジャックの立ち位置が違っている(客席からか演奏者側から聴くかの違い)が気になってしまいます。イントロ→テーマ&歌→3人三様の大アドリブ大会→歌で終わり。20歳そこそこのガキどもが良くやっていたものです(苦笑)。
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