旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2020年04月

Those were the days…(5)

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1969年デビューのマウンテン、デビュー直後でWoodstockに登場ですから只者ではなかったような(笑)。実質的活動期間は2年半程度ですがCreamのプロデューサーだったフェリックス・パッパラルディの仕掛けということで期待しました。フェリックスのベースのリフに沿ってアドリブが展開していく手法は斬新で、ガタイの割には繊細なギターのレスリーとの組み合せはいまでもお気に入りのバンドです。Pt↑)は2008年に再発のマウンテンの紙ジャケシリーズです。発売告知時に入手しています。後年、悲劇的事件となるのですがパッパラルディの奥さんのイラストの質感も含めさすが日本製の紙ジャケです。レスリー・ウェストの【ソロ】・有名曲ばかりの【クライミング】・【栄光のマウンテン】そして【ナンタケット・スレイライド】。最終作の【雪崩】はあきらかに失敗作でしょう(苦笑)。
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【Fillmore East Last 3 Nites】のBoxです。ここのでの音源がオフィシャル盤【悪の華】となっています。音はブート並みですが、ボツ曲が含まれフルの演奏のようです。「ロール・オーバー。ベートーベン」から「ミルクと蜂蜜の夢」へ続くメドレーではレスリーが様々な奏法を駆使しています。ベースのブイブイ感、コーキーのリム・ショットなどたまりません。このBoxには他にもそうそうたるバンドが登場しています。
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Ptの上段はオフィシャルライブ盤【暗黒への挑戦】での「ナンタケット・スレイライド」は17分の長尺となっています。このライブ作品は各地での寄集め音源ですが、近年の「1971.12.14 NewYork公演」ブートにはナンタケ(17分)以外の全曲が収録されているようです。下段はマウンテン解散後に「レスリー・ウエスト、ジャック・ブルース,、コーキー・レイング」の3人で来日公演の予定が寸前でジャックが逃亡。日本公演は急遽マウンテンの再結成となりました。この時の日本制作のライブ盤が【異邦の薫り】、ここでのナンタケは32分(LP2面分)となっています。某評論家により『音の拷問』と評価されましたが、巨漢のレスリーが持つレスポールJrはとんでもなく良い音で「拷問のごの字」もありませんでした。体調がヘロヘロだったのはご愛敬です。この日本制作のライブ盤は、2008年の紙ジャケでは「ナンタケ」の位置がオリジナルLP順でプラケのUS盤ADDCDではコンサート順となっています。
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マウンテンは同様「ウエスト・ブルース&レイング」も短命でした。同時代の「ブラインド・フェイス」、「BBA」、「KGB」などのスーパー・グループは1作での分裂や解散に比べればWB&Lの3作発表はよくもったものです。レスリー・ウエストは70歳を超え糖尿病により足を切断するなど昔の感じではありませんが、まだまだ現役のようです。PT↓)は実態がよく判らない部分もある「オフィシャル・ブートレグ」というシリーズです。Woodstock のデビュー・ライブやレスリーのソロ・ライブを含むCD16枚があります。「オフィシャル・ブートレグ」というのもマウンテンが早かったような気がします。このシリーズを集めるのには5年以上かかりました。最近ではアメリカのラジオ番組King Biscuit Flower Hourからの1973年12月のライブが出ましたが、「ナンタケ」は短く編集され物足りない編集となっています。
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Box setはお買い得?…(7)

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Rolling Stonesの関連作品ならすべて収集の「超」が付く程のファン数は多くないと思います。でありながらもレコード会社の企み(?)もありこれほどコアなファンを弄んでいる現象も珍しいと思われます。たとえば60年代のStonesのLP作品にはアメリカとイギリスでの発売には収録曲+Mono盤とStereo盤などの違いがありました。日本ではUSとUKがゴチャで発売され日本独自のジャケ写や意味不明のベスト盤が数多く存在していました。比較的音源の管理が厳しかったBeatlesとはエライ違いでした。その後の歴史では所属レーベルが変わる度やCDの登場やSHM、紙ジャケなどのフォーマットに変更で再発が繰り返され中古CDショップの棚をにぎわせることとなります。変遷のすべて付き合っていたら間違いなく破産状態となったしことでしょう(笑)。
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Ptは数年前にヤフ・オクでかなり安く落札した【in the 60’s コレクターズ・ボックス(初回限定生産) CD+DVD SHM CD 限定版】なるBox Setの中身です。悪名高き「UNIVERSAL INTERNATIONALからの発売で5000 Set限定とあります。16枚のUKオリジナルでのCDにボーナスCDが1枚+紙ジャケ&SHM-CDで、日本発売当時の日本盤ジャケが16枚オマケになっています。まぁ旧盤CD&LPで持ってはいますが「まぁいいか」で入札したら予想外に落札してしまいました。それにしても60年代の音源をどうにも疑わしいSHM-CDにする必要があったのでしょうか(?)
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あまりに安く落札したのでいまだに疑っているのですが、もしかすると中国のイカサマコピーCDなのかも知れません。疑惑の1)は5000 Set限定がこれ5000/4999の番号付き。 2)は日本盤の割には紙ジャケ写真の発色は悪く、造りもペラペラ感があり他の日本製の紙ジャケに比べるとお粗末です恐らくは海外作成に手を加えただけなのでしょうが、日本人がこの程度の出来加減で納得する訳はありません。Pt↑)での箱に添付されたシールにはニセモノがここまでやるか(?)感がありますが。今後通しで聴くこともそうはないでしょうから良しとします。昨今のヤフ・オクではBeatlesのなどにイカサマ中国の疑わしいブツがあるようです。回収盤アビーロードの未開封があの価格出品などあり得ません。日本語でのコメントが変だったりするのでにセモノ感がプンプンするブツに騙されないよう注意です(笑)。
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紙ジャケの不出来には眼をつぶるとしてオマケの旧日本盤のジャケ写には妙に懐かしさを感じてしまいます。独自のアルバム・タイトルだったり文字フォントやジャケ写が違っていたり、当時は「ベッカーズ」のトイレジャケが発禁だった等々思いだすと苦笑してしまいます。初期のStonesはなんとも単純なブルース・バンドだったんですねぇ(笑)。

Those were the days…(4)

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自粛の毎日で出かけることも儘ならずネタ切れの日々が続きます。時間は充分あるので若かりし頃に聴きまくった楽曲を聴きまくっています。『マイク・ブルームフィールド』地味といえば地味のブルースマンです。Cream/ECのサーカス的なライブ演奏に比べるとなんと聴きやすいブルースだったでしょう。ヘビロテで聴いていました。Pt↑)はCD盤面に2006の記載があるブルームフィールド専門レーベルからの1971.1974.1977とヘロイン中毒の進行時のブート3点です。意外なことには「専門レーベル」があったのです。ご本人は残念なことに37歳で亡くなっています。
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オフィシャルの【Live At The Old Waldof】とブート盤のジャケ写はテレを持っていますが音はレスポール&P90だと思います。名盤の【永遠のフルモア・ウエスト/A】は、収録時メンバーのニック・グラベニテスの【マイ・レイバース/B】収録の10曲中6曲がA収録時の演奏でタイトルはBでも内容は実質的にAということになっています。次いで人気薄とみえて廃盤状態が続いていた【KGB】です。メンバーはレイ・ケネディ(Vo)、バリー・ゴールドバーグ(Key 元エレクトリック・フラッグ)、カーマイン・アピス(Dr 元ヴァニラ・ファッジカクタス)、リック・グレッチ(B 元ブラインド・フェイス)とそうそうたるメンバーですが、この連中が続く訳などなくアッという間に吹っ飛んでしまいました(笑)。

Those were the days…(3)

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後年、ジェファーソンのジョマの友人だった奴から聞いた話ですが…。薬物中毒でボロボロになったマイク・ブルームフィールドはサンフランシスコの病院の駐車場で自分の車の中で死んでいたそうです。Pt)はアルクーパーとの【スーパー・セッション】と【フィルモアの奇蹟】です。バンド枠にとらわれない【スーパー・セッション】は当時の地方の高校生には斬新そのものでした。特に【フィルモアの奇蹟】でのポール・サイモンの『59番街橋の歌』の堪らないギター・ソロはぶっ飛びモンでした。これがレスポールの音と知るのはずっと後年です。CBS/SONYレコードが市場にシカゴやS&Gで参入してきた時代でしたが、他がLP ¥1800-2000の時代に¥2200とやや高額だったと記憶しています。
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ブラス・セクションを前に出した『Blood Sweat & Tears(血と汗と涙)』のデビューが1968年で『Chicago Transit Authority(後にChicago)』が1969年です。ジャズぽいBST、ロックぽいChicagoどちらかというとChicago派の方が多かったかなぁ(笑)。テリー・キャス以外は全員が音楽大学出という事でポイントが高かったようです。両バンドともCBS/SONYレーベルでLPはやや高額の上にChicagoに至っては3作目迄が2枚組、4作目のライブは4枚組なんてとんでもない事になっていました。日本公演ライブでさえ2枚組で、なんと2曲ほどカタカナ日本語歌詞で歌わせています。よくChicagoの連中がOKしたものです(笑)。カーネギー・ホールのライブ盤は上野駅の線路下の「畜光堂」でUS盤を買いました。ライブ4枚組なんてそれまであったのかなぁ?Chicagoはバンドとして50年続いていることになります。いまでは初期作品集は格安のBoxでウソのような価格になっています。
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今思えば当時のヒット曲やバンドは見境なく聴いていたようです。「聴いたか?あのバンド!すんげぇぞっ」の連続だったのでしょう。サイモン&ガーファンクルはダスティ・ホフマンの映画「卒業」を見てのサントラが最初でしょう。【サウンド・オブ・サイレンス】はかなりのオーバーダブがされているのは後に知りますが、個人的にはポール・サイモンの アコギ1本が好きです。LP作品としては【明日に架ける橋】が有名ですが、老人たちの孤独をテーマとした【ブック・エンド】の方がこの歳になると感じ入ります。==過ぎ去った日々 それは素晴らしい日々だった 無邪気な 日々自信に満ち溢れた日々もうずっと昔の事。 ここに写真があります 思い出は大切にとって置くことです それはあなたが失ったすべてのもの==そうはいっても17.8のガキにわかるような歌詞ではなかったのですが…(苦笑)。

Box setはお買い得?…(6)

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諸般の事情により自宅でCDを聴きながらの作業が増えています。そんな今日この頃に西新宿方面で嬉しいブツが登場しました。オールマンマン・ブラザース・バンド生残りメンバーによる2020.03.10.のマディソン・スクエア・ガーデンの50周年記念コンサートライブ盤(3CDR+1BDR)です。コロナの猛威がふるうニューヨークで3時間を優に超えるライブとはいやはやです。グレッグ死してオリジナル・メンバーはジェイモだけなり、チャック・リーベル参加はよしとしてもディキー・ベッツの不参加は残念と言えば残念です。逝ってしまったデュアン、グレッグ、ベリー、ブッチ、ラマーや時代を築いてきたダン・トーラー。ジャック・ピアソン。ジミー・ヘリングらの多くの兄弟達。バンド名がなんと”The Brothers"だなんてこれだけで涙ものです。

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Pt↑)は購入時期がCreamのGoodbye Tou Live 1968と被ったこともあり、未聴だった2020年2月発売の【The Allman Brothers Band・Trouble No More: 50th Anniversary Collection 5CDBox】=PtはWebより流用しました=です。Allman'sは2017年にグレック・オールマンの死去でバンドとしての存続は難しいでしょうが、結成50周年の節目に1969年のTrouble No Moreから2014年のTrouble No Moreまでバンドの歴史がこのCD5枚に収められています。Allmann'sにはインスタント・ライブや数々のFM音源などブート屋殺しの多くのライブ盤がありますが、意外な事に歴史網羅のBoxセット【1989 Dreams 4cd】以来です。今でも1971 Fillmore Eastのデュアンの演奏の信奉者が多々おられますが、デュアン亡き後に乗っ取り屋のチャック・リーベルに魂を売ることもなく、ディッキー・ベッツを「ギターが下手」との理由でFAX1枚で「馘」なんて…。バンドとしてのレベルを維持していくのは大変だったでしょう(笑)。歴代のギターにしてもダン・トーラー。ジャック・ピアソン。ジミー・ヘリング。デレク・トラックス。ウォーレン・ヘインズ。そしてディッキー・ベッツとデュアン・オールマン。稀にグレッグ・オールマンと結構なメンツが揃っています。ベースもメンバー変遷が多いのですが、なにせツイン・ギターが売りものなのでギターに目が行ってしまいます。
このBoxセットには1973年ニューヨーク州ワトキンスグレンに60万人を集めたコンサートでのMoutain Jamがあり、Allman'sとDeadのメンバー+ロビー・ロバートソンという超々貴重な音源なのですがグダグダの大外れでした(笑)。他にはジミー・ヘリングとデレク・トラックスのツイン・ギターは珍し音源の部類でしょう。それにしてもCD5枚はヘビーです(笑)

Those were the days…(2)


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すっかり忘れられたバンドかも知れませんがジミ・ヘンだのクリームだの喧々囂々の時代にさらに衝撃的だったのは【バニラ・ファッジ】でした。1枚目は浦和の県庁通りの演奏堂で購入、学校の音楽教室で大音量で聴いて、クラッシック畑の教生の女子大生の魂消た表情は今でも覚えています。1967年のヒット曲『キープ・ミー・ハンギング・オン』は=これもLPとシングルでは編集が違います=当時のGSはこぞって演っていましたなぁ。ジャケこそ違いますが4枚目の『ニア・ザ・ビギニング』は文字通り擦り切れるまで聴いたものです。片面のライブ『ブレイク・ソング』の23分の凄まじさ(!)。ジェフ・ベックもひっくりかえる(まぁBBAの結果は見えていましたが)訳です。ティム・ボーガードの度外れたベースもしかりですが、今でも最強と思っているのがカーマイン・アピスのツーバスの足技(!)。この人はハード・ロック・ドラムの開拓者だと思います。実はファッジの1969年のUSツアーの前座はあのツェペリンなんて信じがたい事ですが、いまでもボンゾのバスドラの感じはカーマイン・アピスのコピーだと信じて疑いません。
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1960年を象徴する音楽映画【ウッドストック】の日本公開は1970年の秋だったと思います。数寄屋橋の元の朝日新聞隣の映画館でロードショウを入れ替えなしで一回半(約5時間)飲まず食わずで見ました。入った瞬間のスクリーンにはCSN&Yの『蒼い眼のジュディ』が…。変則チューニングなんて知らんもんでギターの弾き方に驚き、曲間挨拶の"ThankYou”がコーラスなのに驚き、ともかく驚きの驚き連続でした。DVDやYou Toubeなんてのがなく口パク&マイムのTV映像が精々の時代に動くジミ・ヘンは初めて見たし。壊すなら”そのSG頂戴なぁ”のThe Who。ヘタッピ・ギターのサンタナ。衝撃的歌唱のジョー・コッカーバンド(ECの大番頭クリス・ステイントンの若い事)等々。サントラ盤WoodstockのLPは3枚組で手が出ないほど高額でした(!)。買ったシングル盤のWho(SummerTime Bluse)はLeedのLiveなんていい加減さ。今考えれば緩い時代です。Woodstockの音源はほどなWoodstock Ⅱが発売。以後2度にわたって増補盤がでて最近は全曲に近い盤(?)まででるととんでもない事になっています。当時は斬新な映像だった映画も後年DVDで見ると落ち着きのない映像に感じてしまいます。時は流れます歳もとります。
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Pt↑)左は2016年再発の【アイアン・バタフライ・1968年フィルモア・イースト】のライブ盤で、当初はマニア知るRaino Handmadeからの限定盤でした。アイアン・バタフライは1966年デビューのカリフォルニァ出身のサイケデリック・バンド(死語)で、まぁ俗にいう”一発屋バンド”です。1968年の『In-A-Gadda-Da-Vida』が最大の一発でWikiによるとLP3000万枚売れたそうです。タイトル曲の”Gadda-Da-Vida”はLP片面17分の長尺曲で、アドリブ大会=偉いと思っていた我らがバンドは早速演って見ました。ACE-TONEオルガンのコード弾きのうえに単純リフを延々繰り返すのですが、アドリブ大会バンドなんて一般的でない時代なもんで当然の如くの大々々顰蹙(笑)。今でも同窓会では笑い話です。再発の紙ジャケは懐かしさのあまりで購入しましたが、 アイアン・バタフライ=この時代ならではだったんでしょうね。ドアーズを中途半端にしたような感じで、”Gadda-Da-Vida”のリフにしても3000万枚売れるような曲とは思えません。

Those were the days…(1)

1960~70年代初期での個人的なオールド・ファションド・ソングスを振り返ります(PtはCDのモノです)。
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若いロック・ファンでもクリームを知らない人は少ないと思います。収録の「ホワイト・ルーム」は当時の全米6位になっています。シングル盤とLP盤では編集が異なり、シングル盤はラジオ放送用に編集されています。LP【クリームの素晴らしき世界】は2枚組LPでは高額となるとの理由からか銀色ジャケのスタジオ盤と金色ジャケのライブ盤とが別々に売られていました。2枚組LPで勝負で来たのは【The Beatles】くらいなものでしょう。中古LPに金・銀の2通りあるのはそんな理由です。買ったのはライブ盤でした。初心者のバンド少年にはECやJBのフレーズはギターが弾けず口ずさんだものでした。「クロスロード」はコピーがおぼつかず挑戦したのがなんと「スプーンフル」です。これを文化祭で延々15分演やって大々顰蹙をくらった記憶があります。長尺曲⇒アドリブ大会⇒偉い!と下手くそバンドは思っていました。当時は素直にクリーム=すんげぇ!と思っていましたが、後にはこんな身勝手な奴らが揃うとさぞ大変だったろうと思うようになります。
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Pt↑)は2014年のユニバーバーサル・ミュージックによる【ミート・ザ・ビートルズ JAPAN BOX】です。盤は2009年リマスターMono盤なので60年代のLPとは異なります。紙ジャケだけが取り柄なので5CDで¥15400の驚き価格(!)には迷いに迷いました。LP時代は「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」→「No5」→「4人はアイドル」の購入順だったかな。「ビートルズ!」・「No2」・「No5」がモノ盤で¥1500。ステレオ盤が¥1750(シングル盤¥330、4曲コンパクト盤¥500)だった思います。この頃は楽曲の管理が厳しくなくテイク違いやジャケ違いなど細かいことを言ったらキリがありません。日本でのデビューLP「ビートルズ!」発売は1964年4月、英国でのデビューLPが1963年3月とは1年近くの時間差があります。天下のビートルズでもデビュー初期の扱いはこんな程度でした。いまだに日本盤デビューLPの1曲目は「抱きしめたい」の記憶が強烈で、英国盤1曲目の「17」には違和感を感じてしまいます(苦笑)。
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1964年当時、多くの家庭が電蓄の時代に我が家にはステレオ(パイオニア)がありました。最初に買ったのは地元のシバタ電気(地方の街の電気屋にあるレコードコーナー)でベンチャーズの”パイプライン”のシングルです。その次が【ベンチャーズ・イン・ジャパン】のLPです。確か¥1500(?)で子供にはとんでもなく高額でした。爆発的に売れた【ベンチャーズ・イン・ジャパン】は1965年1月の新宿厚生年金会館でのライブで1965年8月発売です(ジャケ撮影は東芝レコード近くの雪の赤坂日枝神社(サンバーストのモズライトは1965年1月公演で使用。1965年7月は白のモズライト)です。資料ではビートルズが5万枚(HELP?)に対しイン・ジャパンは50万枚(100万枚説有)売れたそうで、人気の凄まじさがわかります。左のCDは65年1月ライブと65年7月ライブの2in1CDです。”座禅ジャケ”として知られる7月ライブ盤では曲が被るのでダイジェスト的な構成となっていました。それにしても年2回の来日公演でライブ盤が2回とは驚きです。このLPは収録時間の関係かピッチが速くなっています。他にも3拍目からセ~ノで入ってきたり(できるかコンナノ!)、ベースギターがベース・ラインを弾いてなかったりで、聴けば聞くほど彼らが恐ろしいライブ・バンドがだったと実感できます。これをカンコピできるオヤジ・バンドって実はすごい事なのですが(笑)。
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