旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2020年08月

杉並区・猿田彦神社

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『古事記』では猿田毘古神、猿田毘古大神、猿田毘古之男神。『日本書紀』での「猿田彦命」は日本の八百万の神々のなかでも生まれ、功績、配偶者、死因の伝承があり、お姿のビュジアル表現もある稀有な神様です。庚申塚、白髭神社、道祖神としても全国区的に広まり、全国には「猿田彦大神」を祀る神社は約2000社あるそうですが、実際には「猿田彦神社」を掲げる神社はかなり少ないようです。
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東京メトロ丸の内線・新高円寺駅から徒歩5分程度、杉並区南阿佐ヶ谷にある「猿田彦神社」も東京では珍しい例になるようです。日中35℃を超す真夏日では「猿田彦」ならぬ「猫田彦」もぐったりと伸び切っています。見るからに高齢のご様子、猛暑を乗り切ってほしいものです(笑)。
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猿田彦神話としてはに瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の天孫降臨に際して道案内をした神として知られて、導きの神、旅の神として知られています。そんなことから杉並・猿田彦人神社は天孫降臨に瓊瓊杵尊を主祀神とする神道系の「太道教(たいどうきょう)」が管理しています。Pt↑)
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神話での「鼻長七咫、背長七尺」の記載から「赤鼻の天狗」の原型と云われ、手塚治虫の「火の鳥」や星野之宣の「宗像教授」シリーズにも登場しています。国津神ながら天津神の道案内をする裏切り者説や元祖ストリップの神「天宇受売神」と結婚話、伊勢の海で貝に挟まれて溺れ死ぬなど神様にあるまじき伝承もあります。
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伊勢神宮の外宮と内宮の中間に猿田彦神社です。天孫降臨の道案内の後には伊勢のこの地に落ち着いたとされ、「猿田彦大神」を主祀神とする神社が造られています。この社殿は「さだひこ造り」と呼ばれる妻入造りの変形のような造りです。なんとなく現代的な造りで、しっかり見ておけばと悔やまれます(苦笑)。

鳩ケ谷総鎮守・氷川神社

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旧鳩ケ谷市と云っても知名度は低かったと思います。平成23年(2011)に川口市と合併し「鳩ケ谷市」は消滅しましたが。合併前は「蕨市」の次いで国内で2番目に小さい「市」として有名で高額運賃の埼玉高速鉄道が開通するまでは最寄りの鉄道駅まではバス利用しかなく 「陸の孤島」と云われたものです。有名人といっても大場久美子くらいですからねぇ(笑)。
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さて「鳩ケ谷総鎮守・氷川神社」ですが、何度も触れてきたように大宮を総本社とする氷川神社は関東に数多くあります。実際は神社自体のレベル差はかなりあり残念な状態の神社も見かけます。鳩ケ谷氷川神社はコンパクトながらも総氷川神社でも上位に位置するようです。創建は応永元年(1394)とされ旧鳩ケ谷宿の高台に鎮座する古社です。
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ご祀神は須佐之男命(素盞嗚尊 )と稲田姫命(イナダヒメノミコト)の夫婦神で縁結びの神や夫婦円満の神として人気があるようです。まぁ稲田姫命はヤマタノオロチ事件の時は民間人で須佐之男命と結婚することで「命」となるのですが、以後は記紀も登場しない方です。多くの氷川神社は須佐之男命だけが祀られ夫婦が祀神は意外と少ないようです。
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楼門から拝殿までが近くコンパクトな造りと思わせるのでしょう。境内社は多く氷川さんとは裏表の須賀神社(牛頭天王)・八幡宮や浅間神社、弁天宮、三峯神社、稲荷神社さらには日露戦争時の戦没者慰霊碑など18社の境内社が鎮座しています。
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本殿裏には日本武尊を祀る古峯神社と猿田彦が祀られています。この導きの神・猿田彦は境内社として祀られることが多い謎の神様なのです。Pt↑)はご神木の「夫婦楠」ですが実にデカイです。夫婦の樹木が並んでというのは良く見かけますが根元からというのは珍しいのではないでしょうか。実測は不明ですがビル5階くらいかと…?
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旧鳩ケ谷宿は徳川将軍家の日光東照宮参拝のため整備された「日光御成街道」の宿場町として栄えましたが、将軍家の専用道路的な脇街道なのでどんなモンだったのでしょう。徳川家康の東北出陣の際に立寄ったとありますが疑問です。旧鳩ケ谷市は「陸の孤島」というイメージしかありません。今回も帰路は蕨駅までバスを利用しましたが30分弱(¥250)とは、ひと昔まえの東京通勤者は大変だったことでしょう。
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楼門から参道の坂道を見ます。この坂の下を見沼代用水が流れ神社は大宮台地上に位置しています。
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昔はこの坂道が主たる参道ようで一の鳥居(?)の朱が鮮やかです。なんとなくあの雰囲気が残ります。

川口市・七郷神社

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川口市鳩ケ谷の「鳩ケ谷総鎮守・氷川神社」へ行こうとJR武蔵野線・東川口駅で埼玉高速鉄道へ乗換、何気にWebを見ると駅より徒歩5分に「七郷神社」なる面白そうな神社があったので寄り道をしたのですが…。土地勘あるなら徒歩5分でしょうが、なんとも表現し難い地形と案内板の1つもなくえらい目に合いました。
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県道から見通しの効かない崖の上で戸塚小学校の隣なのですが、この高低差はカーナビでも判りにくいとおもいます。閑話休題。七郷(ななさと)神社のご祀神は「素盞嗚尊 (すさのおのみこと)」。つまりは「氷川神社」です。東川口あたりは昔の見沼田圃の一画であり氷川神社があるのは不思議でもなく埼玉県南では良くあることです。神社の由緒書きにも明治40年以前は氷川神社であった旨が書かれています。
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神社は大宮台地の南端に位置し表現の難しい地形も納得ができます。明治以前の別当寺「西光院」の消失事情により創建などは不明のようですが、神仏分離により西光院はから離れて村社となり、数社の末社合祀により現在のかたちになっています。因みに現在の末社は、三峰社、獅子社(猿田彦の神)、厳島社、疱瘡社、菅原社、稲荷社の6社です。
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元別当寺「真言宗豊山・西光院」はすぐ近くにあるのですが、お庭には「なんでまた」と思う位の仏像があります。弘法大師像は当然としても興教大師像、閻魔大王像、一葉観音像、釈尊苦行像、涅槃像、弁天堂から七福神像などなど多種多彩です。面白いのは「狐狸妖怪不許入山門」の後ろに整列する狸、狐、河童達は笑えます。正直なんのこっちゃの七郷神社より西光院の方が俄然面白いようです。
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妙見信仰・千葉神社…(続)

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秩父神社、千葉神社と「北辰信仰」ついて調べてみました。【北極星(北斗七星)を神として人の寿命・吉凶・悪行・善行を見定める菩薩への信仰】なら判り易いのですが、インド⇒中国⇒日本伝播し、日本では密教・陰陽道・神道が加味されて信仰が定着⇒明治廃仏毀釈での分離⇒仏教でも神道とも決め難い信仰となったようでます。現在では妙見信仰を掲げる神社は少なく、池上本門寺・妙見堂で見かけた記憶があります。石鳥居脇の神社案内板を一読して理解できる人はまずいないでしょう(苦笑)。
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千葉神社では一般的な神社形式にはない建物様式が見られます。Pt↑)の拝殿は2階建で1階からでも2階からでも参拝できるようになっています。大人数の参拝者を遅滞なく対処できるのでしょうが。これだけ朱の鮮やかな建物は宇佐八幡宮や祐徳稲荷で見た記憶がありますが、仏寺でも神社でも2階建ての拝殿は見た事ありません。
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拝殿の2階から神社創建1000年の奉祝事業で平成10年の完成した「尊星殿」です。右(西)の一段低い屋根が「月天楼」で左(東)が「日天楼」で、内部には依代の柱があります。中央の人がいる所が「福徳殿」で八角形に配された十二支等の宮が造られています。この上層階が「開運殿」です。石鳥居はほとんど無く尊星殿が結界を兼ねているのでしょうか?
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秩父神社の「天神地祇社」には及びませんが境内には14社の末社がズラリと並んでいます。Pt↑)の「千葉天神」は寿永元年(1182)に勧請された菅原道真を祀神とする千葉県最大の天神社だそうです。社殿は千葉神社の旧社殿であることから妙見神の後押しも期待できる天神社です。この社殿には妙に神社らしさを感じさせます。Pt↓)は境内社の一画です。見た通り末社がスラリと並んでいます。見にくいですが「亀石」は妙見菩薩が玄武(亀)に乗っているの図によります。
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妙見信仰・千葉神社…(1)

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千葉市中央区の「千葉神社」は『妙見本宮』とも称される妙見信仰の有数な神社です。妙見信仰は古代バビロニアに始まりインドで菩薩信仰となり、さらに中国で道教の北極星信仰と結びついて日本に伝来した信仰です。北極星を神とする北辰妙見菩薩の信仰なのですが、この北辰妙見菩薩の「菩薩」は仏教での「菩薩」とは異なるグループに属する菩薩で帝釈天、毘沙門天等の「天」のグループへ所属します。ややこしさその(1)です。
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飛鳥時代に渡来人により日本伝来、東日本へ広まります。日本ならではの『習合=見なされ』により、軍神、薬師如来、平将門伝承、隠れキリシタンのデウス等々に見立てられる事ととなり、江戸時代には古事記、日本書紀による「天之御中主大神」と「北辰妙見尊星王」は同一と見なされ「妙見信仰」として確立したようです。北斗星信仰、道教、密教、神道が入混じり「お姿」も一定していません。玄武(亀)に乗る鎧武将の姿として知られています。ややこしさその(2)。
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千葉神社は下総の豪族千葉氏により長保2年ごろの創建とされ、鎌倉幕府、徳川幕府からも信仰を受けています。江戸時代までは「北斗山金剛授寺尊光院」という真言宗の寺院でしたが、明治政府による神仏分離(廃仏毀釈)により神社となり、市最新は日本神話での「天之御中主大神」となります。あまり知られていない神様ですが、名前が「神」であって「尊」や「命」ではありません。それなりに格のある神様なのです。 ややこしさその(3)。
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『妙見様(みょうけんさま)』とも呼ばれる『北辰妙見尊星王=天之御中主大神』は北辰(北極星と北斗七星)の神霊として古来より諸星諸神・方位方角を支配し、人々の「厄」を取り除くとされます。道教・陰陽道・易学・九星気学・風水学が混じった特別な神で、日本神話での「天之御中主大神」は天照大御神以前の最初の天地創造の「造化三神」の一神です。日本書紀の登場は一度限りで功績もよく判らない神ですが「天地創造の神」として妙見菩薩と習合したのでしょう。
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社額の「妙見」の下方の丸い紋章は「神紋・三光紋(さんこうもん)」or「月星紋(つきぼしもん)」と呼ばれ、妙見様(北極星)の差配する天空の日・月・星(じつ・げつ・じょう)の三つの光を表します。Pt↑)は拝殿の扉部分で、お馴染みにハートマークならぬ「猪目」があります。ここにも「神紋・三光紋」があります。神紋の他に社紋として九曜紋があるのですが今回は事情によりパスです。
猪目は魑魅魍魎が侵入を防ぐ為の様式です。「ハート・マーク」などはあり得ません。

ブートCDの裏通り・76

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「新マスター発見」・「格段のジェネ違い」・「概発はゴミ箱行き」…何年も何回もこれらの言葉に騙されてきました。
さて、意味不明ながらRolling Stones初来日30周年記念企画として1975年のL.A.フォーラムと1981年のハンプトンの音源(画像)が再発されました。L.A.音源は再発と【ライヴ音源を新たにミックス、日本限定、世界初CD化、紙ジャケット仕様】と美辞麗句の(新)があります。(新)では2分程の「庶民のファンファーレ」が追加されブート通りの曲順になりました(ハンプトンはA列車が追加)。たった2分のイントロの為に¥3981はないと思いパスだったのですが…。ファン・サイトを読むと色々あるようで、結局Docomoポイントでゲットしました(苦笑)。
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2014年音源との差異はファン・サイトに詳しくあるのですが、さすがユニバーサル・ミュージックやることが笑えます。
2014年版を廃盤にして2020年版の発売でも2種類の音源の4枚組でもなく、同じジャケで2セット(¥3981 x 2)での発売です。聴いてみると(新)では下が強調され2本のギターが聞きやすくなっていますが、天国へいってしまったビリー・プレストン、ジェシィ・エド、ボビー・キースの音が抑えられたり消されたり…。なんだってこんなミックスをしたのでしょうか? 「余計なサポート・メンバーの音はカット!」…。まさか死んだ仲間の遺族に支払いが発生するからとでもいうのでしょうか?西新宿だってこんな事しないでしょう(笑)。

前橋・總社神社…(2)

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Pt↑)は天保3(1832)造られた拝殿です。入母屋造りで左右の入口扉には十二支の彫刻があり破風や欄間には見事な彫刻が施されなかなかの風格です。上野国の国府近くに造られ、時代ともに周辺環境が変わっても、江戸幕府から約400年、明治からは僅か150年、その遥か以前からこの地に鎮座していた古社なのです。
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拝殿は古社の風格ですが、後方の本殿は極彩色に改修されています。江戸慶長年間に造られた本殿の形式は「三間社流造」。伊勢神宮の神明造りから発展した形式で正面側の屋根の庇が長く伸びています。代表的な例では上賀茂・下鴨神社ですが、なんでも全国的にはこの形式が最も多いのだそうです。そうですかねぇ?
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本殿の屋根の部分です。菊花紋章の使用は上野の国総本社(社紋は三つ鱗)ということで、この「流造」には屋根の強度確保が目的の千木や鰹木のが無いというが特徴です。
三間社流造の三間は間口が三間(柱が3本)あり、2柱神が祀られているという事になります。
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Ptには写りませんが拝殿の彫刻はお見事で、修復なった本殿の彩色も細部まで丁寧になされています。
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本殿の背面には松の絵が描かれています。慶長年間の造営ながら桃山時代の建築様式もみられるようです。
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拝殿横には「太々御神楽」と額を掲げた神楽殿があります。
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流石の古社だけあって総社神社には市の天然記念物の大木が6本あるそうです。確かにデカイです。
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本殿裏手の木製鳥居からの参拝口からは【神社は裏側が面白い】の通り總社神社の本殿裏にも三峯神社や養蚕の神「蚕影大神」や道祖神など多くの摂社が並んでいます。この稲荷社にあった「願掛けきつね」は願をかいて収めるという形式でしょうがきつねの数だけのお願い事とは多いのか少ないのか微妙です。

前橋・總社神社…(1)

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群馬県前橋市元総社町の「総社神社」は「上野國總社神社」とも称します。JR前橋駅から徒歩20分(Taxi ¥630)、総社近辺には「元総社」の地名が多々残っており広大な神域の神社だったようです。総社とは中央からの国司が任地内の神社巡拝を効率化するため国府近くに国内の神を合祀した神社をいいます。
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「上野国々府」の場所は今でも特定されてないようですが、府中大國魂神社と同様に国府と神社は隣接だったのでしょう。交通手段に乏しく現代のハイキングコース的な街道では移動は大変な任務で、ましてや上野国国司拝命なんてのは中央からすれば未開の僻地ということで。生きて帰れそうもない閑職そのものです。
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創建は崇神天皇48年(紀元前50年)豊城入彦命の東征の際「経津主命」を祀った事によります。安閑天皇元年(531年)に上毛野君小熊王による社殿の改築を創建とする説もあるそうです。当時は『蒼海明神』と称し、天平10年(735年)に上野国549の神社を合祀し「総社明神」と称したともされます。まぁ良く判らんという事です(苦笑)。
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現在の祀神は群馬県の重要文化財指定の『上野神名帳』=神々の名簿=を神体として天津神の経津主神(香取神宮・軍神)・磐筒男神・磐筒女神(日本書紀では経津主神の子供)・国津神の宇迦之御魂神(稲荷神)・須佐之男命を祀り、相殿に神名帳記載の上野国内の鎮守十社を祀っています。
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元々の神社は数百mほど離れた宮鍋という地にあったようですが、永享年間に上杉氏のより築かれた蒼海城内に取込まれ、その城も時の流れに消えて神社だけが残ったようです。その
蒼海城跡地図の掲示がありました。現在の神社は城のほんの一角のすぎず実際の蒼海城はかなり大きな城だったようです。
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上野・一之宮貫前神社…(3)

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総門から先「楼門」へは石段を下ります。入母屋造りのこの楼門は重要文化財で平成21年~25年の平成の大修復により朱塗りの美しい姿になっています。貫前神社の社地は平坦な部分が少なく本殿のすぐ後方は崖です。下り宮の社殿配置は良く造ったなとので感があります。そうなると「何故この場所なのか?」との疑問が湧いてきます。
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続いての(?)はご祀神についてです。ご祀神は二柱で「経津主神(ふつぬしかみ)」は日本書紀にのみある神で物部氏の祖神とされています。もう一柱の「姫大神(ひめおおかみ)」は一説には養蚕の綾女庄神とされ元々は主神だったようです。そのせいか本殿の千木が女神の「内削ぎ」になっています。ご祀神の素性が良く判らないのようです(苦笑)。
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創建は安閑天皇の時代に物部氏が氏神の経津主神を祀ったことによります。一大勢力だった物部氏とは判らんでもないですが。江戸時代には徳川家の庇護を受け、国の重要文化財の本殿・拝殿・楼門・回廊は三代将軍家光による造営で、五代将軍綱吉により極彩色の社殿に改築されています。将軍二代に渡っての手厚い庇護とは異例なのではないでしょうか?
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敷地の関係でしょうか。拝殿に対して本殿の向きが「神明造り」ではなく「大社造り」のような外観です。Webによると「貫前造り」という独特な造りで、2階構造の内部の上段に神座が据えられ「雷神小窓」が付けられています。実に見事な極彩色です。埼玉県の国宝・妻沼聖天並みの美しさです。群馬県下仁田近くにこんな神社があるとは…。
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楼門には縁起物のカエルが並んでいます。この「無事かえる」は貫前神社所蔵の重要文化財「白銅月宮鑑」にあるかえる」と戦時中の出征兵士やその家族の参拝者らに「勝ってカエル・勝ちカエル」のお守りとして、高度経済成長期には「無事かえる」と姿を変えてお守りとし授与されています。
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拝殿・本殿に左側に小さめの摂社が鎮座しています。「抜鉾若御子神社(ぬきほこわかみこ)」は、ご祀神の「経津主神」の子供で安閑天皇の時代に元々鎮座の場所から明治38年に現在地に遷座したとありますが、どうなんでしょうか?
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神域には樹齢1000年超えの巨木が多数あります。さすがにコンデジでは難しいのですが、天然記念物だけでもPt↑)で門の左には大銀杏、右のダジイは推定樹齢が1000年超、いずれもの富岡名木10選の天然記念物です。総門裏手には「勝ってかえる、勝かえる」の由来となったタブノキや本殿の裏には樹齢1200年を超える藤太杉と呼ばれる大杉があります。Pt↑)の広場は12年毎に行われる式年遷宮時の「仮殿敷地」です。
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「総門」の位置からは「楼門」が見えるものの拝殿・本殿は見えません。
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「楼門」から「総門」を見上げます。登って登って下っての「下り宮」は出雲大社くらいしか知りません。
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「神楽殿」と参拝者休憩所です。勝手ながらこの色合いの方が落ち着く様なきがします。。

上野・一之宮貫前神社…(2)

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「一之宮貫前神社」は鳥居or神門より拝殿・本殿が下方に造られている「下り宮」です。下り宮で知られる宮崎・『宇土神宮』や東京国立市・『谷保天満宮』などは下る一方で、登って更に下る神社は知る限りでは『出雲大社』以来です。上州一宮駅から徒歩15分。旧道沿いの「国幣中社貫前神社」の社標から坂道を300mほど登ります
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坂道を登って終りではなく、さらにこの鳥居まで石段を100段ほど登ります。汗だくで振り返ると上州の山々が…。
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大鳥居を過ぎると同平面の200mほど先にあるのが総門です。両脇にある銅の灯籠は市指定文化財だそうです。これで参拝かと思うととどめの一撃がこの先に待っています(笑)。
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総門を抜けると下方に楼門や拝殿・本殿、社務所などが見えます。つまり社標の旧道から坂道を登る。更に石段を登って大鳥居。200m先に総門、石段を下って楼門です。
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総門左側、12年ごとの式年遷宮の仮殿敷地と末社です。社領内の神社を纏めた長屋のような「二十二社」、「日枝神社」、「伊勢内宮・外宮」があります。なんと「伊勢神宮」が末社です。更には天然記念物の巨木が…。
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石段の下、左側に末社「月読神社」があります。明治時代に近在4社を纏めたとありますが、天照大御神・
月読命・素戔鳴命は兄弟神ながら月読命は記紀にもあまり登場せず実績や性別すら不明な神です。月読命を祀る神社は珍しいといえます。
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坂道を登りきるとこの場所です(笑)。石段上の大鳥居先の総門前に駐車スペースはあります。
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別名「不明門/あかずのもん」の「勅使門」。以前は天皇からの勅使参向時のみ開門されたそうです。
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創建は古くは清和天皇の時代。Ptの社額は明治6年の有栖川宮幟仁親王によるものです。

上野・一之宮貫前神社…(1)

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台東区上野(ウエノ)ではありません。群馬県は上野(コウズケ)です。遥々高崎から初めての上信電鉄で「上野・一之宮貫前(ヌキサキ)神社」へ行ってまいりました。下車駅は「上州一ノ宮」あの世界遺産登録で有名な「富岡」の少しばかり先です。
貫前神社と云っても判らんでしょうが、例の上州かるたにも【ゆかりは古し貫前神社】とある神社です。下車駅の「上州一ノ宮」はご覧ような無人駅、食堂、売店一切なし、コンビニまで徒歩15分です。
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高崎~下仁田間の上信電鉄はJR高崎駅で乗換です。JR改札を出て上信電鉄乗車まで7-8分必要です。1時間に2本程度しかないのでトイレは済ませるなど乗換時間の考慮が必要です。スイカなどは使えません。ラーメンの券売機のようなのが2台並んでいます。
「上州一ノ宮」は所)45分・運賃が910円。世界遺産富岡製糸場は所)39分・810円の上州富岡駅下車で徒歩10分です。
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列車編成は2両のワンマン運行、Pt↓)の全路線はこれだけです。無人駅と有人駅があり上州一ノ宮駅は無人駅なので下車の際は一両目の先頭に移動して乗車券を渡します。下手すると降りそこないます(苦笑)。帰路は一両目先頭で待たないと乗りそこないます。この電車は上下左右に良く揺れます。消化には良いでしょうが寝てられません(笑)。久々のローカル線利用、ラッキーな事に乗継ぎが実に上手くいきました。
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上信電鉄の高崎~下仁田間の路線図。社内広告の地方色も良いもんです。
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上州一ノ宮駅。飲料自販機がポツンとあるだけの無人駅です。北海道ローカルにあるような…。
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JR高崎駅は初めて降りたような気がします。駅舎が大きな分乗換え時間が結構かかります。

宇都宮・二荒山神社

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栃木県には「二荒山神社」という祀神も由来も異なる神社が二社あります。日光市が二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)で宇都宮市が二荒山神社(ふたあらやまじんじゃ)と二社は読み方が異なり、日光or宇都宮のタイトルをつけて区別しています。『延喜式神名帳』に「下野河内郡・式内社・一之宮」と記載ではピンポイントで場所の特定ができず議論となってきました。明治政府は明治4年に日光を式内社としますが明治16年には宇都宮も式内社となり、現在は両社とも「式内社・下野一之宮」となっています。ここにも一之宮論争がありました。
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JR宇都宮駅から徒歩10分(馬場通り1丁目)。いきなり大鳥居がデンと現れます。2008年に建替えられた鳥居で直径約90㎝の欅材で高さ約9.7m、幅約13.8mの両部鳥居です。社標には「式内大社 二荒山神社」の文字が入っています。鳥居後方広場の先にチョット待ってよの石段が見え(苦笑)この上に社殿があります。
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石段を登りきると左右に回廊を巡らした神門です。菊花紋章が設えられた雰囲気のある建物です。遥か昔は社殿は20年毎に建て替えられたようですが、数度の火災や宇都宮戦争で焼失を繰り返し現在の社殿は明治10年に建てられたもの、という事は太平洋戦争での空襲での焼失を免れたのでしょう。
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宇都宮は二荒山神社の門前町として栄えた街で、神社は河川が合流する地の山(明神山)に鎮座しています。もっとも元宮はここでなく後に遷座したようです。神門から見る大鳥居の先が宇都宮城址です。神社から城の内部が丸見で敵方がここに陣を張ったら溜まったもんではありません。
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神門を入ると右手に舞殿、左に手水舎、正面に拝殿と広々としています。毛野国が下野と上野に別れた約1600年前、下野国国造(第10代水神天皇の子)を下野・上野国の祖「豊城入彦命」として祀ったのが創建のようです。相殿には「大物主命」とその子供の「事代主命」が祀られています。
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神門内にも初辰稲荷神社や十二社(下野国の式内社の神)などの境内社があります。気になった摂社が2社ありました。一つは拝殿右の面白顔の狛犬を擁した「須賀神社・市神社」です。祀神は須賀神社が素戔嗚命(3社目です)、市神社は大市姫命。要は夫婦ですがこの社殿だけ妙に立派なのは元々はは違う神が…と疑問が湧きます。
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もう一社が本殿に組み込まれた様に建つ「女体宮」です。ご祀神は三穂津姫命(みほつひめ)で大物主命(大国主命)の奥さんです。この社殿の造りは出雲大社の大国主命の正面参拝位置を彷彿させます。旦那と子供が祭殿で奥さんだけ別とは、大宮氷川神社とは様相が違うようです。
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90段ほどの石段途中には左右に境内社が並んでいます。向かって左には剣宮(素戔嗚命)・菅原神社(菅原道真)・十二社(国常立神など)が右には松尾神社(大山咋神・中津嶋姫命 )・荒神社(素戔嗚命)・水を司る水神社(罔象女神/みつはのめのかみ)などがあります。国常立神はその他大勢と一緒に祀られ、栃木県に中津嶋姫命(宗像三女神)は意外な気がしないででもありません。
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栃木・宇都宮・街ぶら

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栃木訛りの漫才コンビ”U字工事”によると宇都宮は栃木県一の都会だそうです。もっもと彼らは栃木の福島寄り出身なのでどうなんでしょう。餃子の街としても有名な宇都宮へ行ってみました。城下町の名残感があり雰囲気的には土佐の高知のようで、浦和、大宮、熊谷よりは賑いがあります。Pt↑)はJR宇都宮駅デッキの『餃子像』です。なんのこたぁないTV東京の番組の企画で造られたモノでした。どう見てもグロです.。
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宇都宮には新幹線が停車するJR宇都宮駅と東武鉄道の宇都宮駅があり両駅は徒歩10分程度離れています。Ptでの正面高層(栃木一?)ビルの先が東武の宇都宮駅、旧宇都宮城址は左へ徒歩20分位でしょう。旧城下町には良くあることで鉄道駅と城と繁華街が離れています。北陸・金沢ではJR金沢駅と金沢城(兼六園)と香林坊(繁華街)はかなり離れています。
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宇都宮城は亀ヶ岡城とも呼ばれ関東七名城の1つだそうです。城が築かれたのは平安時代で、江戸時代には徳川将軍の日光東照宮参拝時の宿泊施設(宇都宮釣り天井事件で有名)や戊辰戦争の西軍と大鳥啓介・土方歳三らの旧幕府軍の戦いで歴史の舞台に登場しますがイマイチ知名度が低いようです。現在の城址は2007年に公園として整備されたもので遺構などは殆んどありませんが行田の忍城や騎西城の残念至極に比べれば潔ささえ感じてしまいます。
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徳川家の重鎮本多正純の時代に日光街道・奥州街道の分岐として宿場町が確立されます。戊辰戦争の宇都宮戦争で街は焼尽くされ、明治以降は軍隊の街として復活、太平洋戦争時のの空襲で街は灰燼に帰します。そんな時の流れを見てきたのが「旭町の大銀杏」でしょう。元宇都宮城の土塁上にあり、樹齢は推定300年を超え、高さは約32m(ビル6階ほど)です。昭和20年の宇都宮空襲では黒焦げの状態っても翌年には新芽を吹き、ここまで復活しています。
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仙台(?)を彷彿させる「オリオン通り・アーケード商店街」です。東武百貨店・パルコ・MEGAドンキホーテを核商業施設として近くの商店会を含めての繁華街を形成しています。川口・浦和・大宮・熊谷にはこれほどのアーケードはありません。さすが「栃木一」です。さらに感心なのは「シャッター通り」ではないのです。地方の街を訪れると「昔は賑わっただろうなぁ」ばかりでこの商店街の雰囲気は意味もなくホッとします。
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宇都宮二荒山神社の大鳥居の道路反対側にある境外末社の「下之宮」です。二荒山神社は当初は街を眺望する丘の上の鎮座ではなかったようです。「下之宮」にしても元はこの場所でなく地区の再開発により1995年に移転・創建されたものです。拝殿の建物が妙に立派に造られ社殿が見え難いのですが(苦笑)。神社の移転・再建という話はよくありますが「元宮」の例は珍しいと云えます。
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帰路はJRでなく東武宇都宮線を利用しました。東武宇都宮駅はオリオン通りの端、東武宇都宮百貨店隣接しています。爆笑モンの東武スカイツリーラインには南栗橋駅で接続、JR乗換えは栗橋駅です。電車は1時間に2本ワンマンの4両編成で栗橋駅までは約90分かかります。都内迄の所要時間ならJR宇都宮線or新幹線利用の方が速いでしょう。訪問目的は餃子をではなく「下野の国一之宮・宇都宮二荒山神社」なのですがそれは次項という事で…。
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