旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2020年09月

さいたま市・西堀氷川神社…(2)

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この「西堀氷川神社」は偶然でしょうが面白い配置になっています。Pt↑)の鳥居から先の正面が社殿です。社殿に向かって右に何故か”社”がのない天照皇大神(天照大御神=須佐之男命の姉さん)の石碑があり、その隣が八千矛神(大国主命=須佐之男命の子孫)が並びます。その向かい側に三峯神社(伊弉諾尊&伊弉册尊=須佐之男命両親)、そして須佐之男命と櫛稲田姫命の夫婦神とファミリーが勢ぞろいで、須佐之男命の娘の須勢理毘売命と兄神の月読尊は欠席です。
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前述したように三峯神社は創建は須佐之男命が伊弉諾尊&伊弉册尊を祀ったのが始まりで、1700年代には日光山の修験者により山犬(狼?)への信仰が生じます。山里では猪や鹿よけの霊験ありとされ、信仰が関東地方から江戸の街に広がる過程で火防や盗賊除けの守り神となって行きます。江戸の街では三峯神社詣講が組織され多くの人々が三峯神社を参拝したようです。狼や犬族は事件の際は吠えて有事を知らせるから守り神とは人々の想像力は微笑ましい限りでが、火事や盗賊はそれだけ頻発したということでしょうか?
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恐らくは三峯神社はどちらかの三峯講により勧請でしょう。社史には明治41年に神明社・御嶽社・稲荷社を合祀したとあるので三峯神社もこの時代に合祀されたのでしょう。面白い事には境内社に御嶽社があります。この御嶽社も眷属が「狼」で「狼のお札」なので御嶽社と三峯社が同じ神社に祀られるのは珍しい例です。まぁイロイロ有ったのでしょう。
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小さいながらも創建者の須佐之男命の像が造られています。かなりしっかりとした「三峯講」なのでしょう。
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この三峯者には2対のオオカミ像があります。Pt↑)は鳥居側の1対です。近年の作と思われます。
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こちらはむしろ「キツネ」に見えます。よく見ると油揚げが間違えて供えられています。稲荷社は隣です(苦笑)。

さいたま市・大戸氷川神社

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さいたま市中央区大戸の大戸氷川神社は西堀氷川神社とは徒歩15分ほどの距離にあります。中央でないのに中央区ですが以前は与野の在所でした。こちらの氷川神社の祀神は『須佐之男命』の1神だけです。西堀氷川への途中だったのですが、久々にうらぶれ感に溢れた神社です。神道の世界では総社も分社で神徳に差はないとされますが、空しく感じられます。
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「新築落成記念碑大戸氷川神社」によると平成3年に火事により拝殿は全焼・本殿は半焼となり、地元有志と氏子により平成5年(1993)に再建なったとあります。30年近く年月が過ぎていますが、僅か30年でここまでうらぶれるものなのでしょうか?拝殿は賽銭箱はなく扉は閉ざされ参拝者を拒むようです。裏手に廻ると枯れた落葉は溜り放題。境内社に至っては祀神すら判りません。
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Pt↑)良くみると扉に木が打ち付けられています。末社としての役目は終わっているのでしょうか?大戸氷川神社の再建に尽力された方々もこの状態は信じられないでしょう。
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神域には数種類の石造りの記念碑が残されています。火災を免れた拝殿横の神木(?)だけが時の流れをみてきたなんて笑い話です。右側の白い建物 は大戸地区の公民館です。神社の管理義務はないにしても…です。
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拝殿の社額には「氷川神社」とあり、鳥居の社額には「氷川大明神」の表記です。

さいたま市・西堀氷川神社

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さいたま市桜区の『西堀氷川神社』はJR埼京線中浦和駅と南与野駅の中間で、今でこそ住宅地ですが神社は田圃を見渡す丘の上に鎮座していたようです。この付近は埼京線ができるまでは陸の孤島でした。50年前は田圃地帯で頑張れば土地付一戸建てが購入できたような地区です。Pt↑)は神社にあった「西堀小唄」なる歌碑です。浦和市別所沼観光協会推薦 郷土民謡とありますが小唄の存在すら全く知りません。♪西堀よいとこ来てごらん 東京近くて住みよい町よ♪ 笑うしかありません。
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旧浦和市の氷川神社でも少しばかり傾向が違うようで行ってみたのですが、近いが不便とはこの事です。西堀村の鎮守として大宮・氷川神社を勧請したのは応永年間(1400年頃)とされています。ご祀神は氷川さんならではの須佐之男命と櫛稲田姫命夫婦の珍しい例です。本殿は「さいたま市指定有形文化財・西氷川神社本殿」は二間社流造なのですが、残念ながら塀で囲まれていて表からは見ることができません。
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いずれ纏めてみたいと思うのですが、須佐之男命ほど支離滅裂な性格の神はいません。死んだ母が恋しくて泣き叫ぶ子供のようであったり、高天原では悪行三昧では呆れた姉は天の岩戸に引き籠り。高天原から追放されてた途端に櫛稲田姫を怪物から守る英雄となるのですが。交換条件が結婚しろですから厄介な性格です。出雲の国での暮らしで落着かと思えば、自分の娘の彼氏が気に入らす陰湿ないじめ三昧。こんな神様いますかねぇ(笑)
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この西堀氷川神社は境内社の数がかなり多いようです。Pt↑)本殿脇には宝船の七福神、天照皇大神、猿田彦大神、宮比大神、稲荷社、祖霊社、天神社(菅原系)と御嶽神社があり、鳥居からの参道には八千矛神(大国主命)、神明神社(天照皇大神)、丸山稲荷神社、三峯神社(伊弉諾尊と伊弉册尊)等々。近郊神社を合祀合祀した結果なのでしょう。
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Box setはお買い得?…(13)

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ジョニーとエドガーのウィンター兄弟のBoxです。ジョニー・ウィンターBoxは1969年の「ジョニー・ウィンター」から1974年の「テキサス・ロックンロール」までの5枚ですが、何故かリック・デリンジャー、マッコイズと組んだ「ジョニー・ウィンター・アンド」は入っていません。まぁLIVEが有るから良しとしましょう。弟のエドガーのBoxは1970年の「エントランス」から1973年の「ゼイ。オンリー・カム~」の4枚と1976年の兄弟共演盤の「トゥゲザー」が+されます。ブルースを基盤とする兄貴に対してR&B系の弟のはずが、ロニー・モントローズと組んだら兄弟そろって大ロック大会になりました。兄貴のジョニーは2014年に亡くなりましたが、エドガーは存命のようです。
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【テッド・ニュージェント】5枚組BOXを入手したのは安かったからです。1975年の「閃光のハード・ロック」から1980年の「スクリーム・ドリーム」までの6作(例によって1979年の4作目は欠)が入っております。ハード・ロックにしては”ギブソン・バードランド”を使っているのは珍しいですね(笑)。勢いだけで押し切るアメリカンハード・ロックは苦手の部類です。一方の【マウンテン】は1970年の「勝利への登攀」から1974年の「雪崩」まで、Live盤なら「異邦の薫り」を外して「暗黒への挑戦」が残念なことに欠です。フォークソングを大音響で演るようなこのてのバンドもあまりありません。Bのフェリックスは1983年に殺害され、Gのレスリーは糖尿病の悪化?、Dのコーキーはどうしている事やら…。
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アメリカ西海岸の雄【イーグルス】のBoxです。1972年の「イーグルス・ファースト」から1979年の「ロング・ラン」までの6作品で1980年の「イーグルス・ライブ」は入っていません。「ライブ盤」はオリジナル作品としてカウントされない傾向があるようです。1976年のBest盤を入れると1972-1979の7作品のうち4作品が全米1位ですから確かにすごいバンドです。そんな連中でもバンド内での不和から潰れて行くんですから難しいものです。
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コイツは好きではないのですが【Bruce Springsteen】の7作品のセットです。安いBoxと高いBoxがありこれは安い方のBoxですが聴ければ充分です。ニット帽を被っての歌う初期の様はディランの再来と言われたようですが、《ヴェトナムに黄色い人間を殺しに行った友は死に帰った俺には国(USA)での仕事すらありゃしない》と歌う『Born In The USA』の世界はスタローンのランボー1のパクリですかな?拳を突き上げて歌う日本のファンには寒気さえ覚えます。もっとも《桟橋にオーロラが登っていくよ》とパクッタ甲●バンドもいましたが…。有名になって美人モデルと結婚するも、バンドのコーラスのネェチャンと不倫、お決まりの離婚訴訟の泥沼。笑ってしまうほどワイドショー的な男だということです。
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いまとなっては「なんだったんだあのバンドは…」という事になりかねません(苦笑)。ある時は【ハード・ロック】またある時は【プログレ・バンド】と年を重ねるごとのカメレオン状態。イギリス人とアメリカ人が混在するメンバーは実力者ぞろいでデビュー当初(1977)は話題性は抜群でした。それにしてもメンバー交代の激しい事。Wikiみたらバンドはまだ継続中のようでした。このBoxセットには1977年の「栄光の旅立ち」から1991年の「アン。ユージュアル・ヒート」までの7作品入りなので、好きな時代もイマイチな時代も一挙に揃えることができます。
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メタル小僧御用達の「ヴァン・ヘイレン」の6枚入りのBoxセットです。中古CD屋で笑ってしまうような金額で売られていました。正直苦手も苦手の”くそメタル”なんですがともかく安かったから(笑)。結果は…正直インチキKissみたいで、これはアキマセン!「ライトハンド奏法」なんて見てくれだけのギミックです。まぁ単純大好きなアメリカ人には人気でしょう。中身は1978年の【炎の導火線】。1979.年の【伝説の爆撃機】。1980年の【暗黒の掟】。1981年【戒厳令】。1982年に【ダイバー・ダウン】。1984年の【1984】です。この邦題は今でも笑えます。

川越氷川神社の謎

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『川越・氷川神社』は欽明天皇2年(541)に『大宮氷川神社』より分祀され、川越の総鎮守として親しまれています。2020年は中止のようですが、重要無形民俗文化財の【川越まつり/川越氷川祭】は川越氷川神社の例大祭です。ご祀神は須佐之男命と櫛稲田姫命の夫婦と櫛稲田姫命の両親の脚摩乳命(あひなずち)と手摩乳命(てなずち)夫婦と大巳貴命(大国主=須佐之男命の古事記では6世の孫、日本書紀では息子で娘の須勢理毘売命の旦那)ですが、数ある氷川神社でもこの5柱がご祀神の例は他では見当らなにような気がします。
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総本社の『大宮・氷川』でさえ櫛稲田姫命の両親は別宮となっています。この3人は一般人で「神」ではありません。【娘を八岐大蛇から助けてやるから嫁によこせ!】とは須佐之男命のパワハラ要求です。首尾よく修了して、いざ結婚という事で娘と両親を「神」に持ち上げたかと解釈できます。その後、櫛稲田姫命は神話にはほぼ登場しません。ついでながら大巳貴命(大国主)が須佐之男と櫛稲田姫の息子なら須勢理毘売命との結婚は兄妹という事です。それをいったら須佐之男命と天照大御神の関係も怪しいもので、まぁ日本の神話では良くある事です。
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2組の夫婦+αがご祀神ということで家族円満・縁結び・恋愛成就のご利益と人気だそうですが、由緒よしたはもっともに聞こえます。若いねぇチャンを騙すには充分のなのでしょう(笑)。9月の連休という事で多くの人が参拝に訪れていました。まぁ池袋から電車で小一時間の川越です。氷川さんがこれだけ混んでいるとなると「古い町並地区」は想像するだけで恐ろしいです。新名物が続々次々登場しくる「某地区」では歩いているガキどもを騙すのは容易いことです(笑)。
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神社の謎に戻ります。本殿は入母屋造りで玉垣の外からは見えませんが社殿には見事な彫刻が施されています。隣の八坂神社は徳川家光による江戸城内の東照宮を川越城に移したもので、明治5年に再度この地に移したものです。喜多院内の春日局化粧の間と同じ経緯でしょう。境内社に万葉歌人を祀る『柿本人麻呂神社』があります。人麻呂の子孫・綾部氏が戦国時代に川越に移住した際の創建とあります。柿本人麻呂子は出雲で「刑死」したとの説があるのですが、鎮魂(たたり除け)のための創建なのでしょうか?関東地方に『柿本人麻呂神社』は貴重です。
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本殿裏には三峯神社・子の権現社・菅原神社・稲荷社。雷電神社等々多くの末社があります。残念ながらかなりの社が程度がよくありません。思うのですが末社の管理はどのようになされるのでしょうか?氏子が減るに連れて社も朽ちていくようです。残念な事に三峯神社は眷属が「オオカミ」ではなく「キツネ」が守っています。オオカミ不在時はキツネが代行するとの決まりがあるのでしょうか?。
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旧川越城址、川越高校から直進するのが正参道です。なんかごく普通に感じてしまいます。
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木製の大鳥居は約15mあり木製の鳥居としては全国屈指だそうです。鳥居が立派でもこちらは正参道ではありません。

秩父・聖(ひじり)神社

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秩父を紹介する映像にはよく登場するので見た事があるとは思います。秩父市の聖(ヒジリ)神社は大きな「和同開珎」のモニュメントが置かれていますが「和同開珎神社」ではありません。慶雲5年(708)にこの地区で自然銅が発見されこの銅を鋳造して日本最初とされる流通貨幣「和同開珎」が鋳造、元号も「和銅」と改元されることとなります。
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聖神社の祀神はあろうことか「自然に産出する銅」を主祀神として大和系の金山彦命・国常立尊・天照大神(大日孁貴尊)・神武天皇(神日本磐余彦命)と元明天皇(元明金命)が合祀されています。
「和同開珎」ゆかりの神社ということで金運アップの「銭神様」として人気があるようですが、どう考えても論理的ではありません(苦笑)。
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国道から僅かばかり入った所に神社はあるのですが、意外と小規模な神社です。実際の「銅」の採掘現場は更に奥になりますが道路状況の関係で断念しました。昔々は「和同開珎」が日本最初の政府貨幣と習ってきましたが、現在では「宮本銭」が最初となっているようです。それにしても都から遥々と秩父の山中まで「銅」を探し歩いたものです。採掘にしても露天堀りでは産出量など知れています。
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秩父は第12代景行天皇(在位期間が60年、135歳で崩御)が日本武尊命に命じたの東征時を起源とする神社の数が多い地域です。東征の時代は西暦70-80年頃で秩父で銅鉱脈が発見されるのは700年後となるわけで、今でも山深い秩父地方にそれだけの人達が住み文化を形成していたのは驚きに値します。
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和同開珎モニュメントの映像の印象で大きな神社を想像しますが実際はコンパクトな神社です。
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流石に日本歴史での重要事項の始まりの地ですから「解説板」の充実しています。
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Pt↑)は「和銅露天掘り跡と聖神社」と「聖神社と周辺の文化財」でこれで概要は理解できます。
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神様に「金頼み」という不謹慎な輩には、歴史的概要なんかどうでも良いでしょう…。

長瀞・寶登山神社

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『寶登山神社』の「ほと」は旧字の「寶」ですが「宝」の使用例が多いようです。なんと2011年の外国人向けの「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」に1ツ星掲載ですから隅はおけません。秩父古生層で構成された長瀞の岩畳も近く東京からの時間的にも便が良い(!)割には「秩父」は箱根にはどうしても追いつけません(笑)。宝登山神社、秩父神社・三峰神社で「秩父三社」だそうですが、これねぇ(苦笑)。
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創建は景行天皇41年の日本武尊命の東征の折です。伝承では命がデカイ犬の道案内で宝登山を登っていると、運悪く山火事に遭遇。するとデカイ犬の活躍で山火事を消止め無事登頂遥拝できた。ここから「火止山」の名称ができ「宝登山」に繋がっていきます。このデカイ犬は「大山祇神」の神犬であった事で防火守護の為「火産霊神」・「大山祇神」・ 神日本磐余彦尊(神武天皇)の3神を祀ったのが起源とされています。因みにこのデカイ犬が眷属の「大口真神」です。
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社殿の造りは拝殿・幣殿・本殿からなる「権現造り」です。現拝殿は平成21年の鎮座1900年事業で改修されたもので、極彩色の彫刻類が実に見事です。案内板にもあるのですがこの彫刻類は中国故事による物語を表現しているようで恐らくは儒教的教えなのでしょうが、実際は日本での浸透度は低い話ばかりです。
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ご祀神の山を司る神の「大山祇神」と「火産霊神」が祀られています。日本武尊命の伝承で案内役のデカイ犬は大山祇神の眷属ですが、秩父山系を案内したのと同じ犬、「デカイ犬」=「オオカミ」なのでしょうか?それにしても3柱目の祀神は、「神日本磐余彦尊/かんやまいわれひこのみこと」=神武天皇なのですが唐突のような感じがします。
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景行天皇の41年・日本武尊命の東征のおり創建の神社が秩父には多いようです。軽井沢への道すがら秩父の峰々を歩いては神社を創建していますが「日本武尊命は何しに来たんだっ!と突っ込まれてもしょうがありません。秩父地区には日本武尊命を主祀神とする神社はあるのでしょうか?宝登山神社には本殿裏には「日本武尊社」が造られていました。
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神社は裏側が面白いの通り、この位置から見ると「権現造り」の構造が良く判ります。拝殿側は左右の壁や正面側は極彩色の彫刻やらでカラフルになっていますが、本殿側の廻るとすっかり落ち着いた雰囲気になります。
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時間の関係で今回は残念ながら見送りましたが、宝登山には標高453mの山頂までロープウェイがあります。山頂には日本武尊命ゆかりの「奥宮」が鎮座しています。これはぜひ次回に…。それにしてもWebサイトを見ていたら、宝登山神社は金運アップのご利益だそうです、まさか「宝の山」からではないでしょうに(笑)。
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秩父・椋(むく)神社

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秩父市下吉田にある『椋(むく)神社』は「延喜式神名帳」に記載された旧武蔵野国秩父郡の式内社です。秩父郡には椋神社が5社あり明治政府はいずれにも「式内社」を認めています。意外に珍しい例と云えます。旧社格は県社で、元は井椋五所大明神を号し「いくら神社」だったようで社伝によると三峯神社同様「日本武尊命」の東征の折に創建とあります。
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秩父地方は古くからの興味深い伝承を持つ寺社だらけです(苦笑)。椋神社のご祀神は「猿田彦命」伝承では日本武尊の東征の道案内をしたとされます。日本武尊にとっても秩父のオオカミやら猿田彦の協力があったという事です。面白いのは5社の椋神社のうち上蒔田地区の椋神社だけは道案内役は「猿田彦」ではなく「大己貴命」となっています。
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ご祀神は猿田彦命」でありながら「猿田彦神社」ではありません。PTt↑)は奉納された額の似顔絵が猿田彦命として一般的な姿とされます。この絵面から「天狗」の原型とされ、天孫降臨や日本武尊命の東征の道案内の伝承から「道の神」や「旅人の神」として道祖神と同一視され、さらには「猿」と「申」繋がりで庚申信仰ともなっています。神社創建の「日本武尊命」との絡みから眷属が「オオカミ」となっています。このオオカミ像 Pt↓) は実にいい感じです。
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神社はお世辞にも良い状態とはいえません。社殿・玉垣・摂社もかなり傷みが進んでいます。これだけの社歴を有する神社となので何故か心配になります。椋神社本殿、旧本殿の八幡神社は秩父市の有形文化財登録ですが、大丈夫かと思うくらい傷んでいます。駐車場側の鳥居だけ立派に再建されるようでこれから修繕は始るのしょうか?
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神社は、明治17年(1884)秩父郡の農民が政府に対して武装蜂起を起こした「秩父事件」決起場所として日本の歴史に登場してきます。この事件は自由民権運動の先駆け事件として有名で、神社にはその記念碑等が造られています。10月31日に決起集会が行われ取決めが決議されていますが軍律については新選組隊則以上の厳しさです(笑)。
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また、秩父市吉田地区は国指定重要無形民俗文化財の「龍勢」で知られています。静岡の静岡市、藤枝市、滋賀の米原市、甲賀市にもある「筒に黒色火薬を詰めた手持ちロケット花火のデカイ奴」なのですが、ニュース映像などで見る限りは文化財指定を受けるような行事なのでしょうかねぇ?実はポスターを見て気が付いた程度です(笑)。
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痩せた狛犬ではありません。日本武尊命ゆかりの「オオカミ像」です。足の細いのが妙に気になります。
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三峯神社のオオカミ像とちがい”たれ耳”です。キツネ(稲荷)ほどではなくともバリエーションはあるようです。
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こちらが正参道です。オオカミ像は相対してではなく集落の方向を見下ろしているようです。
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久し振りに三峯神社…(3)

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『三峯神社』は日本武尊東征の際、伝承ではオオカミの道案内により秩父を訪れ「伊弉諾、伊弉冉」の2柱を祀ったのが創建とされます。また、社記には【享保年間、日光法印が山上の庵室に静座していると、山中どことも知れず狼が群がり来て境内に充ちた。法印は、これを神託と感じて猪鹿・火盗除けとして山犬の神札を貸し出したところ霊験があったと】とあります。どうやらこれが三峯神社のオオカミ信仰の始まりのようです。
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Pt↑)は三輪鳥居の「オオカミ像」です。山間に住む人々には農作物の猪や鹿による作物被害は深刻で追い払ってくれる「オオカミ」は心強かったのでしょう。山岳信仰の修験者により「オオカミ」信仰が広まり、江戸中期にはオオカミを信仰対象とする「三峯講」により火災除や盗難除にもご利益のある御眷属(山犬)信仰が盛んになります。
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「隋神門」前の「オオカミ像」です。三輪鳥居オオカミに比べると栄養状態の良い日本犬に見えない事もありませんが、目つき顔つきはやはり「オオカミ」です。派手めな色彩の随身門に赤がポイントのオオカミ像がいい感じです(笑)
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隋神門を抜け100mほど進むとあるオオカミ像です。最近のモノなのか容姿が現代的(?)で、前掛けに奉納者の名前が記載されています。明治年間に絶滅したとされる日本狼は剥製で見る限りはやや大きな柴犬といった感じです。面白いことに「三峰講」での山犬は日本オオカミなのが野生化した犬なのか判然としていないようです。
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駐車場から約500mようやく拝殿に続く石段が見えてきました。ちょうど参道の掃除時間で、このオオカミ像も係の方が抱き着くようにして磨きをかけていました。基本となる部分は同じでもオオカミの姿は年代ごとに異なるようですが、稲荷神社でのキツネ像ほどのバリエーションはないようです。
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拝殿の石段下、杉の大木で見えにくいのですが味わいのあるオオカミ像です。この像は文化7年(1810)の建立です。建立年の確認できるオオカミ像のようです。石工さんがオオカミを知らなかったのか稲荷社の眷属に手を加えた感があります。唐突に絶滅したとされる日本狼を追い求めた斐太伊之助(?)という方の著作をかなり昔(50年前)に読んだことを思い出しました。いまでも日本の何処かの山奥で日本狼が生存していてくれたら嬉しいのですが…。
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摂末社がずらりと並ぶ奥にある「大山祇神社」のオオカミ像です。かなり風化が激しくなっていますが、時の流れと云うものです。数ある摂末社のうち大山祇神社・大山積神は元々は山の神で眷属は「オオカミ」です。三峯神社のおおかみ達の始まりはこれなのかも知れません。都内の三峯神社で見られるオオカミ像は大体がこんな感じの像ばかりです。
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時間の制約もあり参道から拝殿本殿、接末社で見かけたオオカミ像を撮ってきました。恐らくは三峯神社神域にはこの他にも多くのオオカミ狼があるのでしょう。妙法ケ岳山頂の奥宮を望む「遥拝殿」近くに置かれたオオカミ像は筋骨隆々です。遥拝殿からは秩父市内や日光連山が眺望できるのですが生憎の曇り空でダメでした。
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久し振りに三峯神社…(2)

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Pt↑)が三峯神社の三輪鳥居(三ッ鳥居)です。基本形の明神鳥居の両脇に小ぶりな鳥居を組み合わせています。関東では珍しい形式で三峯神社と墨田区の牛嶋神社くらいです(牛嶋神社鳥居は近年の台風で倒壊、再建はなったのでしょうか?)。日本最古の神社ともいわれる奈良の大神(おおみわ)神社の三輪鳥居が有名でご神体の三輪山との結界となっています。神職にお願いし見せていただきましたが、”何故この形?”には”判りません”でした(笑)。
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三輪鳥居には夏場の「茅の輪くぐり」のような”くぐり方作法”があるのですが覚える必要はないでしょう。却って8の字状に廻ったら妙な人扱いされると思います。Pt↑)は三輪鳥居に社額です。
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隋神門に掲げられた額です(逆光の日の廻りでオーブではありません)。神仏混合時代の仁王門ですが明治時代に仁王像は鴻巣市の勝願寺に贈られたとあります。勝願寺のWebによると「大正9年の仁王門再建の際に三峯人神社から贈られる」と記載がありますが、現存しているのかは定かではありません。
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拝殿下の銅鳥居に掲げられた社額です。神社名を囲むように登り龍と下り龍の一対になっているようです。さすがに1100mの高地なので天候がコロコロ変わります。この時点では薄い霧の状況です。
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権現造りの拝殿の梁や柱には龍や鳳凰などの極彩色の彫刻が施されています。正面にある社号額は有栖川宮熾仁親王殿下の書による「三峯神社」の文字と菊の紋章が描かれています。
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拝殿左側の足元の敷石には2013年の辰年に突如現れたという龍の姿が敷石から浮き上がって見とありますが、2,3.分にらみつければ誰もが赤い目が印象的な龍そのものが見えてくるのかも知れません。
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拝殿の屋根には千木も鰹木も付けられてはいません。因みに一間春日造りの本殿には縦切れの千木と鰹木が付けられています。拝殿・権現造り。本殿・春日造りというのもなにか不思議な感じがします。

久し振りに三峯神社

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昨今の埼玉県巡りが続きで久し振りに7年振り『三峯神社』に行ってみました。昔々は埼玉県南の中学校の林間学校は『三峯神社』でした。広い座敷に男女別で雑魚寝とは今じゃ考えられないでしょう(笑)。当時は三峯口からケーブルカーがありました。老巧化と修繕費用が捻出できない理由で廃止になったのが2007年ですが、それが埼玉県屈指の観光スポットに返り咲くとは思いもよらなかったでしょう。
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ケーブルカーの廃止後、神社への道は秩父ダムからの道が唯一残っています。すれ違い不可のトンネルや道路区間があったりでスリル満点のです。静岡の寸又峡といい勝負ですが実感では断然三峯の勝ちです。あまりの人気で廃止となりましたが、月一での三峯神社のお守りの配布が超々人気となりダム~神社間が5時間以上(通常30分程度)要した日もあったようです。確かに9月平日の10:00AMで約300台収容の駐車場(520円)が半分埋まっていました。噂には聞いていても驚いてしまいます。PT↑)三峯神社参道の鳥居は「三輪鳥居」と称する全国的にも珍しい形式をしています。眷属は「おおかみ」です。
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誰が言ったのか「関東地方最強のパワースポット」の三峯神社の創建は第12代景行天皇の時代に「日本武尊」東征の際、伊弉諾、伊弉冉の2柱を祀ったのが始まりとされます。文武天皇の時代には山岳信仰の修行の場となり、鎌倉時代以降は「三峯講」と呼ばれる集団参拝が盛んになります。「日本武尊」の道案内をしたとされる「オオカミ」が信仰の対象となり、「お犬様」・「大口真神」・「ご神犬」などと呼ばれる眷属となっています。参道を進むとが元禄4年(1691)に仁王門として建てられ、寛政4年(1792)に再建され昭和40年(1965)に改修された仁王像不在の『隋神門』が見えてきます。ここでも眷属の「オオカミ」が守っています。
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三峯神社は標高1100mの埼玉県でも山梨県との県境近くにあります。熊野信仰のながれの山岳信仰の地です。駐車場⇒坂道を登って一の鳥居⇒更に登り左にやや下り隋神門⇒さらに進んで拝殿下となります。
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拝殿下の杉巨木です。杉の根元付近の色が変わっている部分は幾年月多くの人達が「木のパワーを頂く」などとほざいて抱き着いた跡です。いつの間にやら柵が造られむやみに近づけないようになっています。笑えます!
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寛文元年(1661)造営のの本殿です。一間春日造りで屋根は銅板ぶきで玉垣は透塀です。この辺が良く判らないのですがご祀神は伊弉諾、伊弉冉の2柱ですが夫婦神なので一間造りということなでしょうか?拝殿の方は寛政12年(1800)の建立で昭和37年(1962)に改修されています。拝殿は幣殿のない権現造り、彫刻類が実に見事です。

川口・元郷氷川神社

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『元郷氷川神社』は川口市元郷1丁目にあります。高額運賃で知られる「埼玉高速鉄道・元郷駅」が最寄りですが、この辺りは以前は鋳物工場が密集していた場所で駅近くの割には大変判りにくい場所にあります。川口市の神社9社による御朱印巡り『川口九社詣・勾玉巡り』の一社だそうですがそれはさて置きましょう。言うまでもありませんが地名の「元郷」を冠しているのは他の氷川神社との区別でしょう。
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旧社格は村社で室町期に地元の武家により一之宮大宮氷川を勧請し旧元郷村の鎮守となりました。元はさらに荒川近くにあり度々に水害により当地へ移されています。社額に「四ノ宮・氷川大明神」とあるのは大宮から勧請した4社目という事でしょうか?であれば氷川神社グループでも古参の部類になります。氷川神社グループを村社まで行ってしまうと大事なのですが、元郷神社のご祀神はオヤジの「素盞鳴命」と異論はあるでしょうが娘の「市杵島姫命」の珍しい2柱です。宗像三女神の内の「水」を司る「市杵島姫命」は納得ですが「大己貴命」でないところが珍しいと云えます。
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『元郷氷川神社』は『しあわせの宮』と称して子宝成就・子孫繁栄に霊験ありとしています。荒ぶる神の筆頭でもある素盞嗚尊でも娘の市杵島姫命と一緒だと『しあわせの宮』になってしまうのは微笑ましい限りです。という事もあり拝殿前には犬の親子の「子宝いぬ」の像が置かれています。時節柄マスク姿なのが笑えます。安産祈願の犬の日参りは東京都中央区の「水天宮」が有名ですが、こちらでもという事でしょうか(?)
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冒頭にもあったように元郷地区は道の造りが妙で、土地勘さえあれば元郷駅から5分程度で到着します。この辺りは低地のようで荒川の流れが度々変わり治水には苦難連続だったと思われます。Ptは、これがメインの参道でいいのでしょう、住宅地にかろうじて残っていました。この先50mほどに一の鳥居があり社殿となります。
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社殿脇に境内社であろう石碑群と新しめの社殿がありました。案内板によると以前からの境内社を経年劣化により新たに神々ごとの社を纏めて「十二社」と合祀殿とした造ったとあります。
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レイラ他いろんなラブ・ソング集

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最近のことですが、西新宿某店舗からデレク&ドミノスの『いとしのレイラ(Layla and Other Assorted Love Songs)・UK MIX MULTITRACK MASTER』なる2枚組が登場しました。Infoによると【1970年のイギリス初回盤LPに使用されたオリジナルマスター使用】だそうです。*ディスク2はドミノスのセカンドアルバムセッション音源で散らかった音源をまとめているのが便利と云えば便利。1970年代は発売国ごとのMix違いは珍しい事ではなく『LPレイラ』にもUSとUKの違いがあったという事ですが…。聴いてみると正直かなりの微妙さかげんです。
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Pt↑)の新作『いとしのレイラ・イギリス初回盤オリジナルマスター』はすでに完売の模様です。このタイトルはマニア心をくすぐるのには充分ですが「音」としては微妙です。これの前作にあたるのが『エリック・クラプトン・ミックス』なのですが「音&内容」としてはこちらの方が格段に面白いと思います。1970年にデラニー&ボニーと後のドミノスの連中が参加したソロ・アルバム『Eric Clapton』はECの経歴でも地味な感じが否めません。このソロ・アルバムには3種類のMixが存在し 1)1970年盤のトム・ダウトによるMix 2)2006年のデラックス盤(2CD)でのデラニ・ブラムレットによるMix *12分に及ぶダラダラモの”Aブルーズは練習として重宝しました(笑)。  3)が今回のエリック自身によるMixです。クリーム、ブラインド・フェイスが吹き飛んで方向性が定まらずに試行錯誤していたエリックが「こんな感じでかなぁ…」と完成させたものです。こんなものが今頃登場するなんて…(笑)。
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エリック・クラプトン(EC)がデレク&ザ・ドミノス名義で『いとしのレイラ(Layla and Other Assorted Love Songs)』を発表したのは1970年のことで、クリームが解散してブラインド・フェイスが短命に終わった次がこれです。発売当初の記憶では大した評価ではなかったと思います。当時は2枚組のLPは高額で購入には勇気がいったものです。期待のギター・ソロはなし、ヒューヒューいうギター(デュアンのスライド)は?で”なんか違うねぇが”50年前の評価はそんなもんでした。
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誰もが聞いたことはある「レイラ」のイントロのギター奏方はハンマリング、プリング、チョーキングを連続してレガート気味に弾くという2小節です。このフレーズはアルバート・キングの「アズ・ザ・イヤーズ・ゴー~」の流用(パクリ)です。この時期のECはブルーズに大御所の影響がモロで、フレディ・キングなんざぁマンマです。ギターは5本(それ以上?)重ねてあります。イントロ(Dm)→歌(C#m)と反則技の転調で強引にDmへの解決しています。後半のピアノのコーダ部分は曲の前半と後半のテープを強引に繋いだのか音程が妙です。
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LP時代から⇒LPをそのままCD化したAAD・CDをへて⇒1990年には「20周年記念リマスター」ということでアウト・テイク)を含めたBoxセットが発売され⇒さっぱり定着しなかった5.1規格のSACDやら今でも意味不明のSHM・CD⇒さらには紙ジャケット仕上盤と続き⇒とうとう発売40周年記念(41周年)として再リマスターされた記念盤が「こりずに」発売されました。復刻盤のLPやらCD諸々が入って¥20000(国内盤)と値段でした(苦笑)。
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LP発売時はたいして売れなかった作品が50年後にこんな事になるとは‥。稀代の名盤というより商魂のたくましさなのでしょうか(?)。それに付き合ってくると写真のような事になります(苦笑)。記事項の為に引っ張り出したきましたが探せばまだあるはずです(笑)。当然『同じCDを何枚があっても…』はもっともなご意見ですが、それでは”マニア”は勤まりません(笑)。*限定オマケのMFSL/CDRは数種類のリマスターのうちでも見つけにくい貴重な音源です。

大宮・庚申神社

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大宮駅西口のビックカメラ近くに「庚申神社」はあります。ご祀神は「猿田彦大神」。前項でも触れましたが猿田彦大神を祀りながら「猿田彦神社」ではない例です。「申」と「猿」が共通項とは理解できますが。「猿田彦は白い髭を生やしているから」で「白髭神社」は殆ど屁理屈のようですが、全国には約2000の猿田彦大神を祀る神社がある謎は解けます。案内板にはその歴史が記載されていて、大宮駅西口再開発でそごうやらソニック・シティができるまでは、神社はこの場所ではなかったとの記載があります。
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元々大宮は鉄道の街として知られ、その大宮駅構内に明治年間に「猿田彦」を祀る祠があったようです。その後大宮駅の拡張工事のたびに祠は移転を繰り返し、明治37年に神社は現在のソニック・シティの鍾塚公園あたりに国鉄職員と地元有志により落ち着きました。当時の大宮駅西口は現埼京線(川越線)のホームが地上にあり、狭っちい駅前で狭い道路、民家が密集していましいて神社があったかの記憶は曖昧です。
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これで安住の地と思いきや、駅前再開発により昭和60年に現在地へ遷座となります。このような遷座歴の場合は神域は狭くなりがちですがPtのように神社の姿は保たれています。神域には「パワー・スポット」なる埋め石がありました。説明板に説明書きがありますが一見は鹿島神宮の鯰を押さえ込む『要石』の事かと思ったのですが違いました。
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神木側に神社の歴史に関連する石碑が建っています。
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猫の額程度の広さかと思うと、神木の銀杏にしてもなかなか立派です。林立する幟には「みちひらき」と書かれています。
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「パワー・スポット」のついての説明書きです。
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「石碑について」の解説板。

Box setはお買い得?…(12)

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アメリカの稀代の変態バンド『リトル・フィート』の12枚組のBOXセットです。【Rad Gumbo: The Complete Warner Bros. Years 1971-1990】なるタイトルで1971年の「Little Feat」から1990年の「Representing The Mambo」までの11枚のオリジナル盤とアウト・テイク集が1枚オマケです。購入価格は忘れましたが、現在はA社通販では在庫切れになっていました。結成は1969年でザッパ・バンドを馘になったグレート義太夫ならぬローウェル・ジョージとビル・ペインらで結成され、バンドは紆余曲折あるものの現在も存在していようです。ロックともブルースともジャズでもカントリーでもない楽曲は【それでもアメリカン・ミュージック】なのです。嬉しい事にはLive盤のWaiting For Columbusは2枚組のDx盤仕様となっています。現在はFeatの作品を集めるのは容易ではないでしょう。これはお買い得でした。
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Pt)上右は1973年7月19日のコロラド州デンバーでのライブ音源でKCUVのFM音源。下左は1978.年7月8日の彼らの初来日公演から中野サンプラザ公演でのFM音源です。出所は日本のFM局からでしょうがFM●●でしょうか?N●Kでしょうか?義太夫氏は予想以上に弾いていますが「コロンバス」の感じとは違います。一応オフィシャル盤のようですが…(苦笑).。もう1点は2020年9月に登場の日本公演初日7月1日の名古屋公会堂でのオーディエンス録音です。CDRレーベルの「Uxbridge」からなので音質が落ちるのか、それとも「売れないだろうから…。」か微妙なところです(笑)。聴いみると40年前の録音ですから過度の期待は酷というものです。
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1966年。『ザ・モンキ-ズ』の登場はテレビ番組と楽曲販売を連動させて人気バンドをでっち上げるという「メディア・ミックス」のはしりといってもいいでしょう。ろくに楽器もできない連中が日本も含む世界ツアーをやってしまうのですから大したものでした。とはいうものの楽曲の提供は一流の連中で固めて、デビュー曲「恋の終列車」の印象的なイントロのギターはベンチャーズの故ジェリー・マギーなのは有名なお話です。Pt↑)はRHINOレーベルからの5枚組のBoxです。小ぶりなBoxと紙ジャケの造りはかなりショボイです。彼らの1~5作目までの絶頂期のオリジナル盤で以降は人気は急落していきます。それでも良質なアメリカン・ポップです。
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【ビリー・ジョエル】です。BOX1は「コールド・スプリング・ハーバー」・「ソングス・イン・ジ・アティック」・「グラス・ハウス」・「ナイロン・カーテン」・「ライヴ・イン・U.S.S.R.」の5枚組。 BOX2は「ストリートライフ・セレナーデ」・「ニューヨーク物語」・「ニューヨーク52番街」・「ストーム・フロント」・「ファンタジー&デリュージョン」の5枚組です。大事なことは「ピアノマン」&「ストレンジャー」はありません!。大量にプレスして売れ残ったCDを箱に詰めたという感じなのでしょうかねぇ(苦笑)。
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