旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2020年10月

Box setはお買い得?…(13)

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記憶が曖昧なのですが、連れて行かれたのが(確か)中野サンプラザ。ステージにはギターがずらりと並んいるだけでバンド編成はなし(!)のG二人とパーカツだけでのコンサート。ライ・クーダの名前は知っていてもデビット・リンドレーなんて知りもしません。ライ・クーダのコアなファンの友に”聞けぇ”とさんざん言われていたもんでこのBOXを機会にエイヤッで購入。LP作品は何枚かあっても1970-1987年の作品が11枚入りとは(笑)。ホンワかしたスライドは流石になのですが、1年を通して聴いているには辛いものがあると思いますね(苦笑)。
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以前に「ライ・クーダー1970-1987・11CD」のBoxセットがありました。その続編(?)の7CDのBoxセットです。中身は『ロング・ライダーズ/1980』、『パリ、テキサス/1984』、『アラモベイ/1985』、『クロスロード/1986』、ブルー・シティ/1986』、『ジョニー・ハンサム/1989』 、『トレスパス/1992』のサントラ盤7作品です。他にもサントラ作品はありますがWarner-Reprise系列の作品です。ジャケ写はドライブイン・シアターのようでライのイメージとは違うのでヤヤもすると見逃します。
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正式な活動期間は1964年から1973年と約10年なのですが、メンバーに変遷が激しくそのたびにスタイルがコロコロと変わる「風見鶏」的なバンドです。フォーク・ロックの雄と評価されていますが、所詮はビートルズになりたくてビートルズ並みになれなかった二流バンドといってもいいでしょう。契約関係が緩いのか多数のBoxセットが売られていますが、オリジナルCDが13枚入って格安のこのBoxセットがお勧めで救いは何点かの「傑作」があることです。
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アメリカには伝統芸能的な化け物バンドがいるものでこの『ZZトップ』は間違いないでしょう。1969のに結成から現在までメンバー(3人)は不動で、よくも悪くもハード・ブギ一辺倒(!)かと思えばシンセやらシーケンサーを導入するなど新しもん好きでもあります。アメリカでは長距離トラック・ドライバーに絶大な人気があるそうでZZの曲を大音量で聴きながら爆走は想像しただけでも楽しそうです。1970年の「ZZ Top's First Album」から1990年の「Recycler」までの10作品が収められています。日本では人気バンドとは言い難いので集めるとなったら手間と時間が必要でしょう。
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「Kiss Alive 1975-2000」もBox Setの範疇でしょう。Kiss ALive! Ⅰ(1975)、Ⅱ(1977)、Ⅲ(1993)のライブ3部作に加えて2000年のMillennium Concertの4CD収録です。興味のあるバンドではないのですが、札幌のタワー・レコードで購入して旅行中に聴いていました。改めて聞いてみると音は良く、演奏はタイト、ミスが殆どなしで完璧ですが、Boot慣れの耳では逆にライブ感に乏しく感じます。ツアーでのデキの良い曲をスタジオでいじくり廻したのでしょうが、ハード・ロックバンドではなくあのお姿といい”アメリカ的な音の大きなポップ・バンド”としか思えません。
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Amazonの通販購入のKiss 【Set The World On Fire】なるCD10枚組です。1枚がAce Frehleyのソロ・ライブで他は1974~1944のFM放送音源、気になるお値段は10枚組で¥3189です(笑)。Amzonの通販なのでB盤ではないのでしょうがレコード会社(MCPS)とあるだけでその他の解説記載は一切ありません。CDの紙ジャケ(?)には収録日と曲名がありますがコンサート全曲なのかダイジェストなのかも判りません。音源はFM音源なのでそれなりですが、迫力面ではB盤より劣るようです。まぁ1枚当たり¥319ですから(笑)

北海道神宮の狛犬

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簡単に云ってしまえば〇〇神宮(本来は伊勢神宮だけが”神宮”です)には皇室の祖先や皇祖が祀られています。実は北海道神宮が明治天皇を合祀して社名を『北海道神宮』に改めたのは昭和39年(1964)の事でそう古い話ではありません。明治天皇の勅命により北海道鎮守の神を祀る社が仮宮がの造営は明治4年(1871)で、当初は社名は「札幌神社」でした。昭和49年(1974)には放火により多くの建物が全焼し昭和53年(1978)再建となります。
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この時の流れの何処かに「北海道神宮の狛犬」の理由があるのかも知れません。再建時に狛犬を移設したとか、札幌神社時代の拝殿の神門が狛犬のある場所だったとも考えられます。知らなかったのですが中国から伝来した狛犬は平安時代以前は神社の本殿内に置かれ、鳥居脇や参道や拝殿前に置かれたのは江戸期以降の事だそうです。狛犬の台座には奉納は明治44年と彫られていますが北海道の神社の殆どは「明治」の創建です。
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実は大正時代創建の明治神宮にも狛犬はいません。本殿内部には置かれているそうですが、平安期以前の神社形式の基づいたであろうと云われます。再建時の北海道神宮はこれに従ったのかも知れません。さてさてそうなると今までに参拝した皇室系神宮がどうだっかはまったく記憶にはありません。神社の世界はちょっと脇道に逸れると忽ち迷子になります。
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2020 秋・北海道…(了)

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そういえば、例の「Go To キャンペーン・クーポン」10月の中旬での札幌市内の商業施設では未対応や準備中の店舗が多かったようですが、さすがに千歳空港の売店ではほぼOKです。Pt↑)のキャラメルは本家の明治製菓では2016年3月に製造が終り、現在は函館の明治製菓の子会社の「道南食品」が北海道限定的に販売しています。サイコロキャラメルを懐かしく思う方も多いでしょう。北海道であの姿で復活していますが、味は微妙に違うようです。
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札幌滞在中に「松尾ジンギスカンに行こう」との提案は見事に却下されました。道民は松尾ジンギスカンは身近すぎて敬遠するのでしょうか(笑)。20代の頃は羊肉が全くダメでした。ようやく松尾なら食べられるようになったのですが、お安い定食の意識が定着していて、今の定食価格(Ptは¥1771の高級定食)には戸惑いがあります。
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新千歳空港フードコートの松尾ジンギスカンはご覧のような店舗です。煙もうもう、服に臭い付き放題ではありません。ずっと昔、滝川の松尾本店では体育館のような昼食会場でツアー団体が一斉に食事をはじめると館内が真ッ白になったのが思い出されます。昨年行った松尾ジンギスカン旭川店は昔ながらに雰囲気がありました。基本的には食事写真と食事場所の評価はしないことにしていますが、北海道遺産でもある松尾ジンギスカンは良しです(笑)
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購入した北海道新聞社刊行の書籍です。「ヒグマ大全」は表紙のイラストとは異なり専門的な学術書で、開拓時期から近年までの羆による人身事故の部分は「可愛いくまチャン」なんて云っている場合ではないようです。写真集「ゆきねこ」は雪景色の戸外での猫達ですが、野良猫の寿命は長くても4年程度しかありません。氷点下の北海道で生きていけるのでしょうか?やらせ写真の疑惑が湧いてきます。
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当初は「誰が行くんだ新千歳空港温泉」と云っていましたが、さすがの日程消化疲れで、溜り飛行機の出発時間までぶらぶらと売店を見て廻ったりVIPラウンジに居るのも飽きるので試しに行ってみたらこれがGoodで(笑)。今は手荷物が早い時間から預けられるので手ぶらで行けます。経営は「万葉の湯」なので内容は見えますが、広くて静かな休憩室が快適で出発便の30分前までゴロゴロしてられます。入館料は¥1500(タオル、浴衣 等々含)北海道にしてはですが…(笑)
【2020 秋・北海道】今年も無事終了しました。さすがに年々体力的に年々キツクなっています(苦笑)
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2020 秋・旭山記念公園

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今年も無事に「旭山記念公園」に到達しました。ここ10年では北海道に来てこの公園に来れなかったのは、公園の造成工事で閉鎖された期間と近くの羆騒動で公園が立入禁止だった時くらいです。恒例の秋・北海道ツアーも今年で途切れると思っていました。眼下の札幌の街には事件などなにも無いように思えます。
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現役時代から長い年月北海道に関わって来ました。今回は、50年前の混浴当たり前を今に残す二股らじうむ温泉や「露天風呂に清潔感がないよ」と言われた豊平峡温泉。実は野趣感覚は心地よいものです。さらには”いつでも行けた藻岩山山頂”にも行きました。標高531mの藻岩山でと37.5mの旭山記念公園。景色は圧倒的に藻岩山でもやはり旭山記念公園が好きです。
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千歳空港~ウトナイ湖(野鳥が殆ど不在)~白老・国立アイヌ民族博物館(完全予約制で飛込みは不可です)~長万部経由で二股らじうむ温泉(泥水色の温泉が印象的)~伊達紋別~昭和新山~向う洞爺(天気が残念)~苫小牧~新冠(こんな所に氷川神社)~静内~浦河~えりも岬~一気に札幌~豊平峡温泉~藻岩山~北海道神宮~旭山記念公園!。相変わらずよく走ってきたものです。さて次回は…(笑)。
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今回は「何故新冠に氷川神社」や「北海道神宮狛犬の謎」など新しい課題が見つかりました。3日程しか滞在しませんでしたが札幌の街もまったく無事という訳にはいかないようです。あったはずの店が廃業したり、ビルは更地になっていたりで「ありぁ」と思う事も少なからずありました。鬱陶しい限りだった韓中が全く居ないのは不思議な感じです。
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今年は例年より10日ばかり早かったので、各地で紅葉の見ごろとなることはありませんでした。気温も平年より高いようで、手稲山山頂には雪のゆの字もありません。
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2020 秋・北海道神宮

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今年も北海道神宮を参拝してきました。神宮の西駐車場(参拝者1時間無料)に入ると、Ptの第二鳥居を通ることはありません。ちなみに第一鳥居は北1条通25丁目にあるのですが街中で神域の雰囲気はありません。神宮の東駐車場から裏参道にある第三鳥居は「金運」のご利益があるそうで、Pt↑)の第二鳥居は「縁切り鳥居」として「あらゆる縁を断切る」事ができるそうです。第二鳥居が神社鬼門方向に面しているのが謂れだそうですが、珍しい話です。(笑)。
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北海道神宮の敷地面積は約18万㎡あり、多くの種類の野鳥が生息しキツネや狸、数年前には熊が出没したこともありました。明治2年の創建で、祀神は大国魂神・大那牟遅神(大国主命)・少彦名神・明治天皇です。今回は行かなかったのですが明治年間では冬場に北海道神宮を参拝するのは難儀との事で、現南2東3に遥拝所的に「北海道神宮頓宮/とんぐう」が造られています。これも珍しい例と云えるでしょう。
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アレッと思ってWeb検索してみました。第二鳥居~神門~拝殿の表参道には「狛犬」がいません。魑魅魍魎の神域への侵入を防ぐガードマンの姿は見えません。ようやく見つけた狛犬がPt↑)です。神門に向かって左側の「北海道開拓の父」とされる佐賀藩出身の島 義勇の銅像の後方で閉められた門を護っています。この門は皇族専用かと思ったのですがどうやら職員通用門のようです。神社職員に聞いても狛犬がいない理由は判りません。因みに南2東3の北海道神宮頓宮にはいるそうです。
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後に島 義勇は江藤新平らと佐賀の乱をおこし敗北、斬首梟首となっています。神社職員氏によると小さな狛犬が置かれた境内社があるそうですが、これはまた次回ということで…。
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2020 秋・藻岩山

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初めて札幌の街を訪れたのは大学生の頃。以来何度も札幌に来ているのですが、不思議と縁の無い観光地があります。札幌ビール園や大倉山シャンテ。友人知人には「何時でも行けるから」で却下され続けて幾年月…(笑)。藻岩山スキー場でが十数年前に滑った記憶はありますが、緑の季節の山頂では初めてです。藻岩山は札幌駅の南西6㎞。標高531mあります。旭山記念公園の137.5mとはかなり眺望の感覚が違います。Pt↑)中央の白い帯はこの部分だけに太陽光が当たっています。かなりの曇天ですが一瞬こんな事が起きました。
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藻岩山山頂には山麓からロープウェイがあり中腹駅でミニケーブルに乗換えて楽々山頂へ(山麓・中腹。山頂の往復で¥1800)登れます。中腹駅までは藻岩山自動車道で行けますが有料道路(10:30~22:00)が往復¥1200でミニケーブルが往復¥600なので、一人で行くならロープウェイ利用のほうが楽といえば楽です。
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旭山記念公園と比べると市内の中心地を望む角度が違いますが、標高が高い分石狩湾まで見ることができます。雪の季節がなければ街の中心から僅か数㌔でこんな豊かな自然環境は羨ましい限りです。経験したことですが、札幌の街は内地から単身で赴任し帰っていくビジネスマンには優しく定住して商売する人にはひどく排他的な二面性があります。
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藻岩山自体が大正10年に「藻岩山原始林」として天然記念物に指定されています。藻岩山には70数種類の樹木が確認されるなど比較的狭い環境にこれだけの樹木種は世界的にも稀有なりのようです。
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藻岩山神社は稲荷神の他、北欧神話のスキーの神、札幌にスキーを紹介したオーストリアの軍人、札幌オリンピック時のIOCの会長と妙な神様達です。昭和62年(1987)にスキー客の安全を祈願してっ建立されています。藻岩山スキー場で考えられないスキー事故の経験がありますが無事だったのはこの神々の加護だったのでしょう(苦笑)。
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2020 秋・豊平峡温泉

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二股ラジウム温泉と同じく楽しみにしていた『豊平峡温泉』へ行ってきました。札幌市内の河川は”とよひらがわ”ですが豊平峡は”ほうへいきょう”と読みます。札幌からニセコ方面へ走り南区の定山渓温泉から脇道には入ります。未確認ながら中山峠に降雪との情報があり車両を確認したところ北海道のレンタカーは10月中旬でスタッドレスでした。
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札幌の友人に聞くと「露天風呂に枯葉やらが浮いるのが気にならないなら…」という話でしたが、山里の源泉かけ流し温泉ならその辺り常識の範疇です。札幌駅から約35㌔ですがJR札幌駅からは路線バスが真駒内駅からは送迎バスがあり、交通の便は良いようです。入泉料の¥1000はこの雰囲気なら安めでしょう。
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平日の午前10:00ながら意外なほど混んでいます。例によって館内の撮影は出来ませんが、山荘的な建物を入り奥へ奥へ進みます。建物部分は傾斜地に建っていて、浴室は完全男女別で女風呂のほうがやや高い位置になってます。足元が滑りやすい内湯スペースから表へ出るとご自慢の大露天風呂、確かに広いです。気温が10°程度なので温泉がぬるく感じます。
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1時間ほど入浴して飯でも食べようかと思ったら、食堂はすでに満席、10人以上が並んでいました。なんでもカレーが超が付くほどの人気で、温泉は利用せず”カレーだけ”という人もいるそうです。表へ出ると来た時はガラだった駐車場は満車、第二駐車場へ流れていました。この先の豊平峡ダムに行く予定が寒いので札幌市内に戻ります。紅葉が始まったばかりでしたが、この稿掲載時は見ごろとなっているでしょう。

2020 秋・札幌の時間

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一年ぶりの札幌は諸般の事情で秋の再訪となりました。今年は暖かい日が続いたようで市内の紅葉はまだまだです。PtはJR札幌駅前高層ビルのJRタワーです。この付近はJALホテルや大丸、複合商店街、地下商店街を含めると東京以北で最大のショッピング街でしょう。銅像は「牧歌の像」とのタイトルで5人の男女と羊1匹で構成されています。
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駅を背に大通り方面です。道路下には2011年開通の地下通路があり大通りまで徒歩10分です。地下鉄初乗りが¥210円なので10分歩くか1駅乗るか微妙です。以前駅前にはそごう百貨店や西武系の五番館デパートがあったのですが…。札幌駅再開発で商圏は大通り~すすき野から札幌駅周辺にシフトしています。これも時代なんですねぇ(苦笑)
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時刻は夕刻です(笑)。大通公園の「泉の像」です。この絵ずらが札幌の代表的な景観かも知れません。かなり昔からあった様な気がしたので調べると、1959年にニッカウィスキーの寄贈されています。ニッカウイスキーからの発案ながら「ウィスキーとは関係の無いもの」との条件は了解され実現に至ったようです。
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存在は知っていても在るのが当たり前のモノには注意は払わないものです。この3人の女性はダンサーでトゥシューズでつま先立ちしています。その体勢で60年ということです。作者の本郷 新氏は1905年の札幌生まれで北海道内に多くの作品を手掛けています。稚内の「氷雪の門」が氏の作品とは知りませんでした。
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「泉の像」の近く、樋口某、野口某と並ぶ稀代の借金王「石川某」の歌碑です。本人の70回忌の昭和56年(1981)に造られたものです。この方は定職につくも長続きせず友人・知人から借金、踏み倒しを繰り返します。文学世界で評価されなければただの「くず」です。調べたらご本人札幌に滞在したのはたったの2週間なんですねぇ。
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狸小路の西3丁目は昔もいまも商業一等地です。そのぶん老巧化で再開発やらビルの建て替えをせざるを得なくなったのでしょうか、老舗の「千秋庵パーラー」がなくなったのはガッカリでした。Ptのドンキホーテは少し前までは反対側にありました。雪の季節前に異様な厚着で群がっていた中韓の姿が消えたのもそんな昔のことではありません。僅か3日ばかりの滞在では判りませんがすすき野も何となく静かなようです。

アポイ山荘と静内温泉

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アポイ山荘で太平洋を見ながらのんびりが通例ですが残念ながら施設点検日で休業でした。山荘近くの道路わきでエゾ鹿がのんびりと草を食んでいます。アポイ岳にはこんな伝承がありまる【昔々この辺りにはアイヌの人達の食料となる鹿が住んでいませんでした。アイヌの人達は鹿を授けてくれるようアポイ岳に山頂からカムイに祈り、願いは叶い鹿が授けられました】。年月を経てその辺にごく普通に鹿はいますが、元来は夜行性の連中なので昼間からは意外と珍しいです。
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という事で1時間ほど走って新ひだか町の「静内温泉」へ行ってみました。明治32年に地元民によって発見された温泉で、国道からは数㌔山道に入ります。2013年に新ひだか町により建て替えが完了「町民保養施設 静内温泉」となっています。国道沿いの案内看板は幾度となく見ていますが、国道からそれるので立寄る機会がありませんでした。
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例によって浴場は撮影を自粛です。料金は入館入浴のみで¥500と極普通です。外観はPtのように緑に囲まれた山間といった感じで、日高の街道沿の温泉施設ながら海からは離れています。人口の多い静内だけあって市内各所から連絡バスの便が設けられています。「町民保養施設」とも名称通り関東の老人介護施設のようです。泉質としてはナトリウム炭酸水塩泉で源泉温度は10.5°の過熱式でした。
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2020 秋・襟裳岬

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2020年10月現在、日高山脈・アポイ岳周辺・広尾襟裳岬海岸&豊似湖・アポイ岳周辺・日高の山脈の3エリアは総面積103,447haの「日高山脈襟裳国定公園」に指定されています。環境省では、「国定公園」を「国立公園」として指定する方向で進んでおり、早ければ2021年度中に北海道では7カ所目の国立公園に指定されるようです。今の時代に国立公園はどんなもんなんでしょうかねぇ?
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この季節に訪れるのが通例となりました。「風の岬」と知られるように強い風が吹くのですが、ここ何年かは滞在中は不思議なほど風もなく暖かく穏やかな日になります。Pt↑)毎回お世話になる「クリフハウス 柳田旅館」の看板犬の「コロ」です。カメラを向けられるのが嫌なのでしょう。愛想のよい犬なのですがなかなかカメラ目線にはなってくれません。
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岬を背にして様似方向です。えりも岬~えりも町~様似までは「日高耶馬渓」といわれる国道に海が迫る景勝地です。何年か前に高波による道路閉鎖をギリで通過したことがありました。アポイ岳は高山植物が低い標高で咲く不思議な場所なのですが、どうにも人気薄なようです。
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岬の灯台から黄金道路、広尾方面です。10mmの超広角レンズを使っていますが、この様なひたすら広大な景色は10mmの超広角レンズでも効果が期待できないとうです。昨年も10年前も同じ景色でしたが50年前に記憶はありません。
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クリフハウス柳田旅館の向かい側の「襟裳神社」です。ご祀神は「保食神/ウケモチノカミ」、日本書紀記載の食物神です。文化11年(1814)に嶋屋佐兵衛なるお方が航海の安全と漁場繁栄の守護神としたと伝わっています。神社後方が岬の集落地区です。懐かしいユースホステルはなくなり、郵便局や交番の場所も変わり、ガソリンスタンドも廃業となりました。
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浦河の「優駿の門」

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浦河の街を過ぎて様似に近づくと「優駿の門」という馬のオブジェが印象的な門があります。競走馬の産地の浦河町ならではの「競走馬の資料館」と知ってはいましたが、一度も見学したことはありませんでした。Ptにあるように目線の位置が高いのですが馬の群像の躍動感には感心してしまいます。
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思い違いをしていましたが、実は浦河町の「浦河町立郷土博物館」と「馬事資料館」が同敷地内にあります。郷土博物館は小学校の跡地を利用して浦河の自然・漁業・農業や暮らしや明治4年に長崎や熊本から入植した人々に資料が展示してあります。動物剥製や樹木標本、昆虫標本、化石標本の関心するのですが地方の地町村レベルの域です。
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郷土博物館とは別棟になる「馬事資料館」は競馬愛好者にはたまらない資料があります。日本ダービー開催記念ネクタイやジョッキーの騎乗服や馬のマスクなんてのもありました。剥製の馬はヒンドスタン号で競馬ファンでなくとも聴いたことがある皐月賞、ダービー、菊花賞、天皇賞、有馬記念を制した「シンザン号」の父方の馬です。サラブレッドと道産子馬の骨格標本は同じ馬でもここまで違うのかと感心します。
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日高三石で温泉休憩

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苫小牧だと車で2時間弱、比較的大きめの静内を過ぎて暫く進むと「みついし昆布温泉 蔵三」という宿泊施設があります。住所では”北海道日高郡新ひだか町三石鳧舞(けりまい)”です。ここからえりも岬までは90分/車ほど、休憩がてらの温泉入浴が恒例となりました。新千歳空港~えりも岬間は東京~浜松(磐田)とほぼ同じで4時間ほどの距離なのです。
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北海道では日帰入浴施設が近年増えています。昔ながらの湯治場的施設、温泉地の大型ホテル、地元の銭湯的施設、町営や三セクの施設など様々で施設の良し悪しは行ってみないと判りません。この「蔵三」は数年前にできた施設で地元の日帰入浴施設の色が強いようです。入浴料は¥450(大人)ですから東京の銭湯より安い事になります。
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昔から25℃以下が鉱泉で以上が温泉、そして鉱泉or冷泉と覚えているのでこの「蔵三」も感覚的には鉱泉なのですが、この尺度が変わり一般的には「温泉」となっています。入浴客がいたため浴室の撮影は自粛しました。記憶では以前に露天風呂入浴中に海鳥の爆撃をギリで避けた事がありました。

新冠に氷川神社が…。

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大宮を総本社とする『氷川神社』は埼玉・東京・神奈川の地域限定で約280社あることは触れてきました。その『氷川神社』が関東以外では珍しく競走馬の産地で有名な「新冠町」に鎮座しています。この街を通るたび新冠レコード館や新冠温泉レコードの湯には立寄るなど、何年も何回も通りかかった国道ですが初めて立ち寄って見ました。
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『氷川神社』に関心があるのは埼玉県民くらいでしょうが何故ここに鎮座が気になります。現さいたま市からの人が新冠に勧請したのでしょう。北海道には入植者の故郷の神様を勧請する例があるようです。北海道神社庁のHPにはニイカップ地元の有力者3名が協議の上で勧請したとあるのですが、「何故?ここに?」の答えにはなりません。「今上天皇宝祚萬々歳征夷大将軍武運長久、天下泰平国土豊饒場所漁業安全」の守護神としたとようですが、ご祀神の素戔嗚尊も北海道の地に勧請されるとは驚いていることでしょう(笑)。
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神社は市街地の外れ、小高い場所にあります。総本社より素戔嗚尊(すさのおのみこと)単独で勧請され、稲田姫命も大己貴命も一緒ではありません。Pt↑)一の鳥居先に国道がで一の鳥居にも社額が架けられています。その先は海。社殿は海に面しています。海に面する神社形式は如何にも北海道的です。ポツンとある建物は物置かと思ったのですが「祖霊社」でした。
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2020 秋・向こう洞爺

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昭和新山から洞爺湖温泉街を抜けて国道230号線を札幌方面向い、湖畔から国道を登りきった所にあるのが「サイロ展望台」です。「サイロ展望台」は物産店ですが、ここからの景色は晴れていれば保証付きの絶景です。眼下には洞爺湖・中之島・温泉街・有珠山・昭和新山が…。振り返れば羊蹄山方面が…。晴れてさえいれば…(苦笑)。
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モノクロ写真のようですが、上空の雲は低気圧の通過による雲です。壮瞥方面がやや明るいので天候回復を待ったのですが、逆に雨模様となり退散しました。湖の小島と上部に雲のかかる有珠山との間に昭和新山が見えます。洞爺湖の温泉街は更に右方向です。晴れた絶景は【洞爺湖・サイロ展望台】をみてください。
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正面の島々が中島です。一瞬の日差しがあったのですが、今日は車で5時間先までの予定なので天候待ちは諦めました。せっかく来たのに”残念でした”は良くある話で、こればかりはどうにもなりません。天気予報は午前9時ころから雨予報だったのでこの絵だけでも充分とします。
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2020 秋・昭和新山

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洞爺湖や昭和新山に近い伊達市に宿泊、翌早朝に約30分ほどの『昭和新山』へ向かいます。洞爺湖・有珠山・昭和新山は「支笏洞爺国立公園」として、近年は「洞爺湖有珠山ジオパーク」として知られます。さすがに早朝なので物産店もロープウェイも営業時間前です。北海道に点在する「ジオパーク」は判りにくいといえば判りにくいのですが『昭和新山』は目の前にそのものがあり説得力が違います(笑)。
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昭和18年12月28日に有感地震が発生、翌年2月から5月には土地の隆起が、6月からは噴火活で溶岩ドームが形成され、昭和20年9月には溶岩ドームは175m(標高400m超)になります。畑作地帯に火山が形成されたという事で、昭和26年に国の天然記念物に、1957年には特別天然記念物。更に有珠山と共に「日本の地質百選」に、更に更に周辺エリアを含め「日本ジオパーク」・「世界ジオパーク」に指定されます。
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『昭和新山』は2年間に17回の火山活動による溶岩ドームですが、第二次大戦中のことで噴火活動は秘匿され、噴火の記録は地元の郵便局長(銅像)により記録され、私有地として保有した事で世界的にも珍しい【個人の私有地にある火山】となります。郵便局長の観察記録は山麓の三松正夫記念館に展示があります。
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この時間は物産店等は営業時間前です。雲がたれ込める山が「有珠山」でロープウェイが架けられています。洞爺湖・有珠山上空には低気圧が横たわり晴天でないのが残念至極です。
全盛期はあまりの強さに不人気だった北の海親方の出身地(有珠郡壮瞥町)はすぐ近くなのですが、若い人には知らない横綱かも知れません。

来たぜ! 二股ラジウム温泉

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東京にも『二股ラジウム温泉』を表記する温浴施設を見かけることがあります。温泉そのものをタンクローリーで運ぶのではなく温泉成分を溶かし込む方法ですが、いつか「元祖」を訪れたいと思っていました。道央高速を長万部ICで降りて5号線を蘭越方面へ進み二股から国道を外れ道道842号線を約10㎞でやっと到着です。雰囲気的には地元民以外の温泉マニアの観光客が訪れる温泉場ではないよう感じです。
*中央の泥のような部分が階段状に連なる「石灰華」です。さすがに大浴場からの撮影は自粛です。
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北海道々民にも人気のポツンと温泉で撮影OKとはいきません。温泉施設や世界的にも貴重な「本石灰華ドーム」は二股らぢうむ温泉旅館のHPで見て下さい。長万部町による案内板の説明がご丁寧で合点がいきます。日帰入浴は¥1100(タオル等なし)温泉温度は40°位の食塩水とありますが、ラジウム放射能をもつ「石灰華」の温泉はお湯の色がまるで泥水のようです。寒い季節にはこのお湯の温度は厳しいでしょう(笑)。
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二股らぢうむ温泉旅館はWebのじゃらんネット等から申し込みが可能ですが、山の中の湯治場そのもので、飲料や菓子類の調達は出来ません。50年前の北海道にはこんな温泉施設が数多くあったのですが今は貴重となりました。
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昔は北海道の有名旅館でも大浴場は、脱衣場が男女別で浴場は混浴というのが珍しくありませんでした。面白いもんでこの状況でドッキリするのは女よりむしろ男のほうでした。二股らぢうむ温泉旅館はこの伝統を今の時代に残しているようで、脱衣場は別々で浴場は混浴です。
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外観はご覧の如くで大浴場に進むにつれ味わい深くなっていきます。廊下に掲示された病傷治癒の感謝の手紙は二股らぢうむ温泉旅館の人気のほどが現れているようです。長万部の海岸近くは学生時代に滞在した事があります。塩からい温泉の記憶は今でも記憶に残っています。
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2020 秋・ウトナイ湖

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新千歳空港からウトナイ湖までの20分弱は初車種レンタカーの慣らし丁度の距離です。今回のTOYOTA車は車高173㎝で慣れるのに時間が掛かりそうです(苦笑)。ウトナイ湖道の駅でナビの設定と行程を再確認します。予定の長万部までは高速2.5時間(¥2750)の距離があります。北海道の高速道路は札幌から離れると対向2車線と1車線が交互となり、高速道路で対向車が来ることに戸惑いを感じてしまいます。
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周囲約95㎞の「ウトナイ湖」は白鳥らの飛来地として知られ、季節には数万羽の群れが飛来します。約250種類の鳥類が確認され1981年には日本初のバードサンクチュアリとして指定。翌年にはウトナイ湖鳥獣保護区、さらにはラムサール条約登録湿地になっています。バードサンクチュアリやらラムサール条約やら聴き慣れない言葉ですが、地質学がらみの「ジオ・パーク」に比べたら判り易いようです。
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2019年3月に道の駅側に3階建ての展望台が出来ました。エレベーター有りのガラス張りの施設で、付近に遮蔽物がないだけにかなりの眺望が見られます。鳥たちは湖岸から離れた場所を遊よくしていますが、これが飛来した鳥の群れなら壮観な景色となることでしょう。
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苫小牧には「とまチョップ」というゆるキャラがあり、自販機はそのデザインになっています。この日は穏やかな天候の日曜日なので札幌からの車両が多いようです。平地での紅葉はまだまだです。

2020 秋・北海道…(序)

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コロナ禍自粛で1年ぶりの羽田空港です。日曜日AMのながら混みあっているようには見えません。搭乗便は予約段階では満席でしたがここにも錯誤があります。我々の現役時代はJAL主力機のB747は500席、現在のB767は261席と満席の状況が全く違います。空港施設も1年振りだといろいろ変わっています。フードコート的な施設で「ざるソバ」を頼みました。お笑いの¥580円!さすがの空港価格です。
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羽田空港第一ターミナル(JAL側)の目立たない場所に「羽田空港神社」があります。ビル屋上ではなく部屋に鎮座し、Ptのように「コンパクト」な神社です。この神社は航空業界の躍進と航空安全輸送を祈念して昭和38年(1963)に港区新橋の航空会館から分霊されたものです。元々は昭和9年に航空殉職者を祀神として明治神宮造営時の木材で航空会館に造営されています。航空事業に携わる人達や旅行の安全を祈願するというなら理解できますが、飛行機落ちない⇒受験に落ちない繋がりで⇒人気のパワー・スポットとは情けなくなります(苦笑)。
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川越・喜多院

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別名「川越大師」の名称で知られる【川越・喜多院】は天長7年(830)に天台宗を東国に広める「無量寿寺」として創建されています。江戸時代初期には徳川家の所縁の天海僧正が住職となり、徳川家の庇護により繁栄を迎えます。多くの建物が重要文化財に指定で、客殿や書院には「家光誕生の間」や「春日局化粧の間」が現存しています。これは1638年の火災で喜多院が消失した際に3代将軍家光の命で江戸城内・紅葉山から移築されたものです。その後江戸城は焼失してしまうので、結果として江戸時代初期の江戸城内の建造物が川越に残った事になります。逆に現上野寛永寺の根本中堂は喜多院を移築したもので、江戸城内⇒喜多院が喜多院⇒寛永寺の歴史のいたずらと云えます。
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喜多院の南側の敷地内の「仙波東照宮」です。駿府城(静岡)で亡くなった徳川家康は久能山の葬られた後に、日光に移される事となります。日光への道すがらこの地「仙波東照宮」で法要が営まれます。これをもって日光・久能山とともに三大東照宮といわれるようです。徳川家との関係から最盛期には750石、48000坪の広さがあったのですが一部の池や堀を廻らせた景勝地でだった名残はありますが、如何せん堀の空堀は枯葉だらけの荒れ放題と残念な状態です。
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三大ついでに「日本三大羅漢」の1つ、境内の「五百羅漢」は1782年頃から建立されたもので、538体の石仏が鎮座していますが結構不気味です(苦笑)。
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喜多院には鐘楼門、慈眼堂、仙波東照宮、家光誕生の間のある客殿、春日局化粧の間の書院、庫裡など国の重要文化財が数多くあります。名物の団子屋が2軒あるのですが観光的には地味といえば地味です。
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国指定の重要文化財「山門」。右側の銅像は天海僧正に立像です。実に謎の多いお方で108歳まで長生きしています。天海僧正=明智光秀説なんてのも謎多きエピソードの1つでしょう(苦笑)。
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重要文化財指定の「山門」の向かいに【日枝神社】があります。ご祀神は大山咋神(おおやまくいのかみ)と大己貴命(おおくにぬし)で喜多院の前身無量寿寺に創建に際に鎮守として滋賀から勧請しています。赤坂の日枝神社は太田道灌が江戸城建設の際川越日枝神社を分祀ったものです。

ブートCDの裏通り・77

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2020年9月25日発売のRolling Stones,1989年12月19日のニュージャージー・アトランティック・シティでの【スティール・ホイールズ・ライブ】です。相変わらずの商売上手でBiu-lay・DVD・CD・LPと多種多用で発売です。前回の【ロサンゼルス’75】や【ハンプトン’81】は概発の音源に30秒程度の未発表部分をプラスして¥4000弱で売る●●商売を考えたら、今回の品揃えは許せる範囲です。このライブは1990年2月の初来日公演の数か月前でECを始め多くの多くのゲストが登場します。この12月19日はケーブルTVで全米に中継され多くの(高額な)ブートCD、LP、VHSのネタとなったものでした。
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ブートの名門TSPからは3CDのBoxで発売されました。公演当日は大雪だったそうで「200光年~」に放送事故が生じブート初版では未収録でした。その後の再販では「2000光年~」を追加され、更に他の公演日の追加したCDの4枚組(Pt)となりました。VHSは今では考えられないくらいの高額で…。ほんとにいい時代になったものです。さて音源だけ聴いてみましたが、あくまで個人的な感想ですは「つまらんです!」。音は整理されていて大変聴き易いのですが、30年前のあの音とは別物です。感覚的にはTSPの方がライブ感はしっくりきます(苦笑)。
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