旅の案内人・リターンズ

「NPO江戸東京文化研究会」のスタッフ日記です。観光案内にないような話も…

2021年02月

浜っ子の伝説 60周年…(3)

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ビーチボーイズのCD化の第1弾は1988年に『Pet Sounds』です。帯に【GREENLINE 2800あり裏ジャケ(左)が思いっきり違います】。これが今も続く再発繰り返しの始まりとなるとは(笑)。翌年1989年にはキャピトル音源シリーズが日本のみでのCD化となり、1990年にようやく米キャピトルから2イン1仕上げで未発表やテイク違いを収録したシリーズを発売し、以降は続々とレア・トラックやアンソロー的な作品が発売されるようになります。1997年CD化の際、日本独自でレア音源と編集曲を一緒にしたのがPt↓)の『レアリティーズ&ビーチ・ボーイズ・メドレー』です。収録の12インチレコードからのテープ編集によるメドレー曲が3種類は意外とレアです。
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1998年に米テレビ放映のサントラ盤として制作されたのが『エンドレス・ハーモニー』です。映像としては最後の部分でデニスとカールがスローモーションで去っていく部分が印象的でした。とっ散らかっていたレア曲を纏めたという事で、修正を加えたジャケ違いの改訂版のCD.2があります。『エンドレス・ハーモニー』のタイトルは好きですが内容は・・・。そして2001年に登場したのが『ホーソーン,カリフォルニア・伝説がうまれた場所』です。Hawthorne CAはビーチ・ボーイズの5人が生まれ育った場所です。このタイトルは感激ものでした(笑)。前作より内容は濃いのですが初心者には難しいかも…。
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60年の歴史を有するバンドですから、フォローワーからパロディまで多くの作品が登場しています。とりわけのお気に入りなのが日本のガールズ・グループ『ミケ』です。『ミケ』は1991年~1993年の短期間にCDアルバムだけで7作品を残しています。どれもがテーマ別の笑ってしまう位の良くできた作品となっています。宇徳敬子、村上遥、渡辺真美の3人で元々は近藤房之介の「B.Bクィーンズ」のコーラス隊でした。1992年の『太陽の下のサーフィン・JAPAN』はビーチ・ボーイズへのオマージュでオリジナルの「サーフィン・JAPAN」やビーチ・ボーイズの曲(日本語歌詞はオリジナル)が収録され、ジャケすらにんまりしてしまします。『Best Of Best』は数年前に九州の高速道路SAで購入したものです。
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数あるビーチ・ボーイズに作品でも、最も売れなかった作品でしょう(笑)クジラのジャケが印象的な『Summer In Paradise』はマイク主導の制作ですが、US盤は発売直後にレコード会社が倒産。アレンジや編集を再度やり直してのEU盤も大ハズレ(笑)。という事でUS盤はヤフオクでも見かけますがUK盤はまず見かけません。もう1作が1989年の『スティル・クルージン』。新曲が1曲、他は寄せ集め曲、まともなのは「ココモ」1曲では…。
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これを「是」とする方々もいるようですが…あろうことかビーチ・ボーイズとフルオケの共演盤です。とは言ってもオケにコーラスを被せた程度のもので、耳障りだけは良いのですが(苦笑)。1996年の『シンフォニック・ビーチ・ボーイズ』ではロンドン・フィルと共演、2018年にはロンドン・フィル・ハーモニックと共演の『The Beach Boys With the Royal』。これをビーチ・ボーイズの作品とは納得できません。

鴻巣・鴻(こう)神社…(2)

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鴻神社は鴻巣の総鎮守社として明治6年(1873)に近くの氷川社、熊野社、雷電社の三社をまとめて「鴻三社」としたのが始まりで、後に日枝社、東照宮、大花稲荷、八幡社を合祀して『鴻神社』とています。実際は更に多くの合祀神社があり、三狐稲荷神社、幸の宮弁天社、夫婦銀杏、なんじゃもんじゃ稲荷、疱瘡神、冨士講や裏手の合祀社には県内から稲荷社などなど、主祀神繋がりに意味不明感が漂う神社です。
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前回訪れた時は神社前のバス亭の名称が「雷電神社前」でしたが、今回は「鴻神社」に変わっていました。元々に雷電社があった場所が鴻神社となったので、バス停が「雷電神社前」だったのでしょう(笑)。神社入口には「鴻巣総鎮守」の看板が堂々としています。珍しいのは境内の「三狐(さんこ)稲荷神社」で、天狐・地狐・人狐の三狐を祀り縁結びや縁切にご利益があるそうです。五穀豊穣や商売繁盛とも伏見や曹洞宗系とも関連がないようです。
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よく勘違いされるのは「赤ん坊をコウノトリ運んで来る」のはヨーロッパでの伝承で日本にはありません。鴻巣の地名の由来となった「コウノトリ伝承」は子宝授かりとは全く違うものです。子宝祈願なら同じ鴻巣市の「三ッ木神社」が、あらゆる婦人病に霊験ありということで江戸時代は遠路遥々の参拝者で賑わいました。赤く塗られた猿の人形で知られる神社です。
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鴻巣・雛人形ピラミッド

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埼玉県には「人形の街」として全国的に有名な街がいくつかあり、昭和60年代には埼玉県の岩槻・鴻巣・越ケ谷・所沢で全国40%の人形生産数を占めていました。鴻巣市での人形制作も約380年の歴史を持ち伝統的な地場産業として伝わっています。ちょうどこの時期に行われているのが「鴻巣びっくりひな祭り」です。行事は以前から知ってはいましたが、これまでに16回も開催されてきたそうです。
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時節柄、例年とは違っていろいろと制約があったようで、イベントなどは縮小され人形の展示中心となったようです。公式ホームページには【ひな祭りは、古来、無病息災を願う厄払いのお祭りだったことで、お祭りの原点に立ち戻っての開催】とありました。人形展示は市内数か所の会場で行われ、JR鴻巣駅前の「エルミこうのすショッピングモール」がメイン会場で、高さ約7m、段数が31段の『日本一高いピラミッドひな壇』が造られていました。今回の展示された人形の数は1551体だそうです。
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会場は「エルミこうのすショッピングモール」のほか「コスモスアリーナふきあげ」、鴻巣農産物直売所「パンジーハウス」、産業観光会館「ひなの里」の4会場で行われているそうです。この「エルミこうのす」展示数が最大で、吹き抜けに築かれた大雛飾りは、下から見ても上から見ても流石の迫力です。
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新宿区・筑土八幡神社

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新宿区筑土八幡町の『筑土八幡町』です。神楽坂の毘沙門さん(善国寺)から遠くはなく、静かな佇まいです。千代田区九段北の平将門所縁の「筑土神社」と紛らわしいのですが、江戸城の田安門付近にあった「田安明神」が徳川幕府により筑土八幡神社隣に移転し「筑土明神」となり、その後300年の時を経て九段北に戻り「筑土神社」となったという歴史があります。神社入口の左には社号があり、右には「田村虎蔵」の顕彰碑があります。この方は鳥取県出身の童謡の作曲家で誰もが知る「金太郎」や「浦島太郎」の作曲家です。
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ご祭神は応神天皇、神功皇后、中哀天皇で嵯峨天皇の時代(809年ごろ?)、付近の老人の夢に現われた八幡神のお告で祀ったのが起源とされ、その後は慈覚大師により祠が建立され最澄の作らしき阿弥陀如来像を安置したとされます。神社由来ですから追及はヤメておきましょう。
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本殿に向かって右側に珍しい形式の「庚申塔」が残っています。寛文4年(1664)の作とされますが、太陽と月、桃の木に二匹の猿が彫られた庚申塔で、猿が三匹でなく牡猿、牝猿の二匹が桃の枝を持った姿になっていて、庚申に纏わる話が表現されています。猿の顔面が削られているのがやや残念です。新宿区の有形民俗文化財だそうです。
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神楽坂、筑土八幡町、牛込柳町と新宿区らしくない町名です。この近辺は起伏変化の多い場所で、神社は”小高い丘の上から見晴らす”といった神社ならでは鎮座地にあります。石段途中の石鳥居は享保11年(1726)に当時の下館藩から寄進された鳥居で、新宿区最古の鳥居なんだそうです。正直…ですが(苦笑)。神社すぐ隣でビルの建設工事が始まっていました。この景色が見られるのはいつまでなのでしょうか。

浜っ子の伝説 60周年…(2)

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1970年代のビーチ・ボーイズはブライアンは不在で、新作は売れず、レコード会社との確執も顕著となります。低迷する人気の逆転ホームランとなったのが1974年のキャピトルからの『終わりなき夏/Endless Summer』です。60年代のヒット曲が満載のLP2枚組は全米№1になり、ビーチ・ボーイズの大復活が始まります。1975年に『スピリット・オブ・アメリカ』と続け、1982年の『サンシャイン・ドリーム』では大コケ(CD化なし)します。懲りないキャピトルは【25周年記念盤】で『メイド・イン・U.S.A』は発表。2塁打程度のヒットとなりました。この3作品は目新しさはないのですが、アート・ワークには思い入れに溢れています。

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『終わりなき夏』発売の時点でキャピトルはビーチ・ボーイズの全作品を廃盤にして印税が入らないようにします。その後2000年頃にしらっと登場したのが『グレイテスト・ヒッッ 1/1962~1965』・『グレイテスト・ヒッッ 2/1966~1969』・『グレイテスト・ヒッッ 3/ベスト・オブ・ブラザー・イヤーズ』の3枚です。ビートルズの青盤赤盤のパクリでしょう。キャピトルも東芝EMI(当時)も雑な仕事ぶりで、日本盤の1662~1965、1966~1969はジャケが同じで収録曲数の違うものがあり、ブラザー・イヤーズはアメリカ・ジャケに腰巻を付けただけと愛情の”あ”の字もありません。英国EMI編集の『The Platinum Collection』は3枚組で60曲収録です。なにが良いかって「Surfin Safari」が1曲目で始まらない出来の良いBest盤です。
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浜っ子伝説の妙な(面白い)CD作品で企業とのタイアップ盤(限定販売→一般販売)です。マイクとブルーズとデビット・マークス(初期メンバー)のジャケが1998.年の『Salute Nascar』はアメリカのカーレースNascarの50周年記念にガソリンスタンド限定で販売されました。珍しく「Ballad Of Ole' Betsy」が再録されています。2001年にアメリカのスターバックス・コーヒー限定販売での『Summer Cruush Songs We Love To Love』はアメリカ土産で入手。一時、恐ろしい程のプレミアがつきました(笑)。1996年の『Stars And Stripes Vol.1』ではウィリー・ネルソンなどアメリカのカントリー・シンガーと共演しています。共演といってもコーラスに徹したビーチ・ボーイズの曲が12曲収録です。何故かVol.2が続かないのですが、実は大好きなCDです。もう一枚はEMIの100周年記念での1998年の『Perfect Harmony』です。記念盤とは名ばかりで特別な点はなく未開封です。EMI100年(?)なんじゃそれです(笑)。
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1988年の14曲収録の
『The Beach Boys' Christmas Album 』に未発表曲を加えジャケも変更しての『Ultimate Christmas/クリスマス・アルバム完全版』にはMono→StereoやテイクやSEの処理の違い、さらにはUS盤と日本盤と違いがあり重箱のスミを突いたらキリがないのですがクリスマス・アルバムが日本で好セールスなど聞いた事はありません。次は1965年のアルバム『パーティ』の2015年にオーバーダビングや効果音を消したセッション音源などを2CD・81曲で『ビーチ・ボーイズ・パーティ!~アンカヴァード・アンド・アンプラグド』として拡大版で登場。『ペット・サウンズ』 に続いて1966~67年にかけて録音された未完成のアルバム 『スマイル』 の音源集は様々な商品形式で”売らん館かな”がミエミエでした。『ペット・サウンズ』と同様に神格化が顕著ですが、当時のメンバーの力量で発表なら好評価はなかったでしょう。もう1点の『1967 - サンシャイン・トゥモロウ』は『ワイルド・ハニー』辺りのテイク違い未発表曲+同時期のライブを含んで2CD・65曲の収録(!)。

神楽坂・恙無きや…(2)

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【恙無きや=つつがなきやとは読めませんよねぇ】PtのTaxiがいるあたりから坂道は外堀通りへと下っていきます。下りきって登ると江戸城の牛込御門。江戸時代この坂道は階段状でした。江戸城へ向かう穴八幡からの祭礼の山車が休息して、神楽を奉納した事から「神楽坂」の謂れがあったと思います。少し前まではこの通りには「陶器屋」が多くそれも花街に由来するのかと思ったものです。大学がある関係なのか昼食の料飲店が目立つようになりました。
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毘沙門さんへ向かう坂道の途中、ダンス・シューズの店を曲がると昔の芸子見番の隣が「伏見火防稲荷神社」です。この路地道が「見番横丁」とは後付けのような気がしないでもないのですが(笑)。古くからの商店が老朽化などで消えて行っても、変らずに残るのは寺社仏閣やこの様な街の小規模な神社なのでしょう。
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この先が江戸時代に旗本の本多家があった事から「本多横丁」です。旗本=一万石以下身分なので、大した家柄ではありません。この角には以前「五十番」という中華屋さんがあって名物の肉まんが大層うまかったのですが、移転されたようです。横丁を進むと某ビートルお気に入りにの鰻屋等があり、坂道を下ると「筑土八幡神社」方面です。
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時が過ぎても変わらないのが山之手七福神の「毘沙門天」を祀る善国寺、神楽坂を象徴するようなお寺です。珍しいのは神使の「虎」の阿吽像でどう見ても「熊」のような珍しい虎像です。見逃しがちですが、右の虎像の台座に刻まれた「不」のような印は明治年間に測量を実施した時の目印「几号水準点」です。
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毘沙門さんの前の極狭い路地を抜けて行くと、これも神楽坂の象徴の旅館「和可菜」です。狭い路地・石畳の道・緩やかな石段はこれぞ「神楽坂」です。付近に出版社があり締切り間際の作家が「缶詰」となる「和可菜」は有名でした。玄関は映画「日本の一番長い日」の首相宅として登場、傷んだ板黒塀もキレイになっていて改築が始まったようです。嫌な予感がするのは担当が「赤城神社」や「神楽坂ラカク」や「某競技場」を手掛けた建築事務所ということは…。あ~ぁです。

神楽坂・恙無きや…(1)

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【恙無きや=つつがなきや=変わりありませんか?】
数年前の事です、街歩き企画で『神楽坂散策』が大当たり、週に一回ペースで飯田橋前に集合したものです。数年振りにやって来たJR飯田橋駅舎の変貌ぶりには驚きました。以前は何処となくショボさ溢れる駅舎だったのが商業施設と見間違えるくらいに立派になっています。完成が2020年7月という事は久しぶりどころの話ではありませんが…。
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以前の飯田橋駅西口は改札からホームまで50m以上歩きかつホームが弧を描いて造られいて場所によっては電車とホームが50㎝以上離れ、危険な感じがしました。今回の工事では駅舎の改築ばかりでなく総武線ホームの位置も変わっています。元々この駅は旧甲武鉄道の牛込駅と飯田町駅を統合して開業しており、今回の工事で新宿方面に約200m伸ばした事で、Pt↑)でのホーム先端が旧牛込駅になるようです
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飯田橋駅は変貌してもお堀を跨ぐ牛込橋も牛込御門跡も変わった様子は見られません。歩道の先の坂道からが「神楽坂」です。この坂道は午前中が下り一方、午後が上り一方通行となっており、某政治家の事実無根の都市伝説の元ともなりました。神楽坂はや大正時代に賑わった花街、少しばかり以前にはその名残りが残っていました。
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外堀通りに面して青いテントが目に入ります。元祖大食いの聖地「神楽坂飯店」です。お店の挑戦メニューは有名でPt↓)では判りにくいでしょうが、餃子の山積みがの百個餃子で、隣の枕みたいなやつが巨大な餃子です。各¥9600で1時間以内に完食で無料とありますが…。さらに一升チャーハンは¥5840。これにくらべたら3杯分量のジャンボ・ラーメンなら何とかなるような気がします。無理はせずともこの店は何を食べても旨いです。
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浜っ子の伝説 60周年…(1)

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1961年に結成のビーチ・ボーイズが2021年で60周年だそうです。バンド名こそ有名ですが日本で馬鹿当たりした事はなく、昔からのコアなファンは高齢化というのが現状です。Pt↑)の紙ジャケは2021.01再発の「テン・イヤーズ・オブ・ハーモーニー」です。60周年の一環なのかブラザー・カリブ(1970-80年)時代のベスト盤です。ブラザーレコードのロゴと飾り文字で「Ten Years of Harmony」、彼らのベスト盤には秀逸なタイトルが多くこの作品はタイトルも内容も
お気に入りです。上右は初CD化の1981年のAustria盤と左1991年の再発US盤、再発時には差替え曲が多く1981年盤が処分できません。紙ジャケ再発はどちらなのでしょう(苦笑)。最初のCD化が40年前となると20歳ファンなら今は60歳。懐かしさで購入するファンがどれだけいるでしょうか?。それも¥4180と馬鹿げた(因みにポイントでタダ入手)価格で(笑)。下左は2001年の「Brother Years」ベスト盤の22曲の方です。20曲・22曲とも廃盤の模様です。
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2013年に【バンド結成50周年企画】として発売された「メイド・イン・カリフォルニァ」の6CD BOXです。Capitolからの発売なので初出・テイク違い・ステレオorモノ等が多数。良い事ばかりかというとそうでもありません(笑)。ビーチ・ボーイズのベスト盤にはヒット曲を時系列に並べたCDと同じ時系列でも未発表・テイク違いをちりばめたCDがあります。未発表&別テイクの曲数だったら世界一のバンドでしょうからお宝音源は豊富です。
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6CD Boxのサブタイトル「カリフォルニア・フィーリング」は、針音だらけのブート「California Feelin'」で最初に聞いた1970年代のブライアンの作品です。こんな曲が未発表とは首を傾げてしまいます。上右がそのブートで6CD Boxテイクと同じです。2012年にブライアンが自ら選曲したベスト盤で「カリフォルニア・フィーリング」を再演していますが【ニューヨークがどうタラの追加歌詞は好きではありません】。2012年のアル・ジャーディンのピアノだけの伴奏の方がよろしいかと…。Utubeにあるビーチ・ボーイズ版のプロモがあり、これはGoodです。
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2012 年の50周年では人間関係のゴタゴタを超え、初期メンバーのデビット・マークスまで登場して再結成ツアーが行われました。ライブ映像でのカールとデニスの曲での映像とコーラスとのシンクロは印象的です。オフィシャル盤は41曲、2012.09.28のロンドン公演は55曲です(笑)。こうしてみると「50周年」はお祭り騒ぎだったようです。ビーチ・ボーイズ+ブライアンでの新作『ゴッド・メイド・ザ・ラジオ』までが発表されるとは、なんという事でしょう(1)。
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ビーチ・ボーイズの特徴的なファルセットのコーラスは年配の洋楽ファンなら懐かしいでしょう。1966年の『Pet Sounds』は日本では過剰なまでに神格化され、彼らの頂点とも云われます。実際は稀代の天才音楽家ブライアン・ウィルソンが破滅に向かう前兆なのですが…。30年の歳月が過ぎた1996年に【Pet Sounds 30周年】として登場したのが4CDの『The Pet Sounds Sessions』です。製作の過程がここまで裸にされると「なんなんだこいつら」と思います。皮肉なもので以降バンド人気の凋落が始まるのですが、Beatlesの東京公演の年にこれですからねぇ(笑)。
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2019年に某店舗でなんと¥580で購入した『The Pet Sounds Sessions』のブートです。正規盤の発売がグループ内のゴタゴタで1年延期となりその見本盤から造られたようです。ジャケはかなり精巧に作られていても盤はブートそのものです。Mixが多少違うとの情報もありますが判りません。現行の『Pet Sounds』は帯違いやらなんやらとんでもない種類が存在しますがリマスター違いはほんの数種類です。
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1993年の【30周年記念】に登場した『GoodVibration:Thirty Yeares Of The BeachBoys』です。お祝い企画ですからレーベルを超えての140曲を超える収録で、別テイクも山盛で、内容は50周年記念より濃いと思います。日本盤は所有していませんがPTのイギリス盤はCD4枚にレアトラック集+オマケの実質6CDとなっていて腹イッパイです。
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日本では1990年頃にCD化された『ビーチ・ボーイズ・ボックス/The Capitol Years』です。Boxのデザインから察するとビートルズの『リバプール・ボックス』を模しての英国版LP Boxがネタのようです。日本盤は当時としては超貴重な「ブライアン・ウィルソン・プロダクションズ」を含む(後に単独発売)7CDセットでした。Ptは7CDから『ブライアン~』を外して押し込めるだけ押し込んだオーストラリア盤の4CD BOXです。今となってはレア曲は皆無ですが、面白い事にはCDの盤面に【TOSHIBA  EMI】と書かれています。


飯田橋・東京大神宮

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久々の『東京大神宮』、TV放映の影響でいつの間にか「婚活の神様」で有名になっています。いつの年だったか三が日の初詣参拝者が2万人を超え、その列は飯田橋の駅近くまで続いた事がありました。さして広くない社殿に2万人とは大変な混雑だったでしょう(笑)。
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ご祀神は「天照皇大神」と「豊受大神」を主たるご祀神とする伊勢神宮の「東京支店」的神社です。いつも思うのですが、皇祖神の「天照皇大神」が”縁結びの神様”とは妙な話なのですが。元々は1880年に有楽町に鎮座した皇大神宮遙拝殿が起源で「日比谷大神宮」と称しました。1828年に現在地に再建・遷座して「飯田橋大神宮」となり、昭和21年に現在の「東京大神宮」として再発足しています。
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婚活の神様として多くの女性参拝者が訪れているのは、明治年間に神社の母体の神宮奉賛会が神前結婚の儀式を創設し、その後神前結婚式のスタイルを全国に広められことにより、「神前結婚式発祥の神社」から「婚活の神様」となったようです。現在でも神前結婚式は某百貨店の関連会社により併設の「東京大神宮マ●ヤサロン」で運営されています。
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伊勢神宮では天照皇大神「内宮」の食事係が豊受大神「外宮」簡潔にはという関係になります。古代の日本では食事は1日2食で、朝食は午前8時(冬期は9時)、夕食は午後4時(冬期は3時)で、この時間は
天照皇大神の食事休憩となります。休憩中のお願い事をすれば不機嫌なのは当然のことです(笑)。
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神門脇にある境内社の『飯富稲荷神社』です。日比谷に鎮座していた時代から境内社としてあり、飯田橋の移転で昭和3年に遷座してきています。ご祀神は「稲荷大神」と土地の守護神「大地主大神」となっています。9代目市川團十郎の信仰が篤く芸能の神としても知られているようです。
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東京大神宮からJR飯田橋へ向かう途中の少しばかり奥まった場所に鎮座しているのは『桐生稲荷神社』です。調べてみても創建の年や、神社の謂れは不明です。屋敷内神社で主が移転して神社が残ったということでしょうが、稲荷社ではこのような歴史が多いようです。神社の社額や神使の姿が新しくしっかりと管理されているようすです。

九段坂・靖國神社…(2)

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靖國神社拝殿は耐震補強工事という事で仮囲いが造られていました。通常通りの参拝はできますが、時節がら足元には密を避ける立ち位置の印がつけられています。日本人でもやりがちですが、ここでの記念写真は神様を背中に背負うような立ち位置の写真撮影は絶対に不可です。ましてピースサインなどは不謹慎です。
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神門方向の庭は靖國神社の桜の名所として知られています。この庭にあるソメイヨシノの一本が東京管区気象台が目視観測して東京の桜の開花宣言をする「標準木」に指定されています。以前は何気に説明札があっただけなのですが、有名になったと見えて囲い柵が造られ案内板が大きくなっていました。
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伊東忠太による「遊就館」には日本国がたどってきた戦争関連の歴史が展示されています。戦争に反対する想いと国の為に亡くなっていった方々に感謝するのは全く別な次元です。日本には日本の死生観があり民族も文化もことなる人々にとやかく言われる筋はありません。遊就館の1階ホールには零戦52型実機が展示されており、ガラスケースには零戦搭載の20mm機関砲が展示されています。驚くのは搭載の機銃弾は60発、7秒で全弾終了となります。やはり無敵零戦の神格化かも知れません。
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遊就館前に「軍用犬」「軍馬」「軍用鳩」に慰霊碑が置かれています。多くの犬も馬も鳩も国の為に死んでいったことでしょう。彼らをも慰霊するのも日本人の死生観の表れなのでしょうか? 以前に門司港の公園で見た大陸へ出征していく軍馬の日本国内最後の水を飲んだとされる『出征軍馬の水飲場跡』を思い出しました。
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遊就館から神池の方向へ進むと現在は臨時駐車場となっていますが、駐車場の奥に鳥居が見えます。ここが『招魂斎庭』と呼ばれる場所で、戦没者の霊が英霊として合祀されるために招魂祭(招魂式)が行われた場所です。外国で亡くなつた方々の霊は祖国のこの地へ返ってくるという事でしょう。それが今は駐車場の片隅とは…。
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靖國神社を参拝して神池庭園まで行く人は少ないかも知れません。神社神域の一番奥にある回遊式の庭園です。明治の初めに作られたもので、平成11年(1999)の復元工事がなされコンパクトながらなかなかの名園だと思います。
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九段坂・靖國神社…(1)

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二葉百合子の歌で有名な『九段の母』(オリジナルは昭和14年の塩まさる)では東北地方に住む高齢の母親が戦死して靖國神社の祀らる息子に逢いに来たという歌詞で、♪上野駅から九段まで勝手知らないじれったさ ~♪が1番で、2番の♪空をつくよな大鳥居~♪と歌われる大鳥居がこれです。この第1鳥居は大正10年に初代が造られ昭和18年の撤去後、昭和49年に銅鳥居で再建されました。柱高が約25m、上方の笠木が約34mとやはり巨大です。
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久しぶりの靖國神社は参道を含め年々整備が進んでいるようです。銅像は靖国神社の前身『東京招魂社』の創建に関わった「大村益次郎/村田像六」で銅像は明治26年に造られました。見えにくいのですが銅像後方に黒づくめの一団が(間隔をあけて)40-50人並んでいます。最初に見かけた時は”出棺待”かと思ったのですが、コレ隣接の某学園の児童をお迎えの父兄の列なのです。頭から靴の先まで黒装束の決まりがあるらしく、木々の中にいる様は新興宗教かと思ったものです(笑)。
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第2鳥居は明治20年(1887)に大阪砲兵工廠で鋳造された青銅製で、靖國神社の鳥居としては古い鳥居となるそうです。売店兼休憩所は建て替えられてキレイになりました。建物の向い側が観光バスで参拝の駐車場です。道路を一本隔てると左右に昭和10年に富国徴兵保険(現富国生命)奉納の大灯籠があり、右の灯籠には旧海軍、左の灯籠には旧陸軍関連の戦闘場面のレリーフが埋め込まれています。
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神社建築の大家として知られる「伊東忠太」の設計による16弁の菊花紋章が付けられた『神門』は昭和9年完成です。神門を抜けれると平成18年に建て替えの木造の『中門鳥居』に辿りつきます。神門をくぐって右側には鳩マンションがあり多数の”純白の鳩”が飼われています。純白の鳩が靖國神社所属の鳩で普通の鳩はいわば「野良鳩」です。
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靖國神社南門近くに本殿玉垣に寄り添うような鳥居があります。神社の境内案内図にも表記がないのですが「鎮霊社」と思われます。ペリー来航から大東亜戦争終結まで国家の為に戦場で亡くなって英霊が靖國神社に祀られ、外国人や国家反逆者の西郷隆盛、会津戦争の白虎隊など合祀ができない霊が祀られます。吉田寅次郎(松陰)や坂本竜馬が祀られているのは今でも納得できないものがあります。
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「鎮霊社」の手前に「神道無念流錬兵館跡」なる碑が建っています。時代劇ファンの一部なら知っているでしょうが、江戸文政年間に斎藤弥九郎により開かれた剣術道場で北辰一刀流や鏡新明明智流と並ぶ神道無念流の道場があった場所です。
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