tennshu「富士見櫓」の項でも書きましたが、旧江戸城の天守閣は江戸時代初期の50年間しか存在していません。
1)家康の慶長年間の天守/1607年。場所は本丸の中心部でした。
2)秀忠の元和年間の天守/1623年。
3)家光の寛永年間の天守/1638年。家光の天守閣は黒壁に緑の銅葺き屋根で5層6階建て、天守台は4方約40㍍、高さは約58㍍あったそうです。威厳を誇った寛永天守閣も明暦の大火(振袖火事)ですべて消失してしまいます。幕府は直ちに天守閣・本丸の再建工事に着手し、加賀前田藩に命じて天守閣の再建にあたりましたが、将軍家綱の補佐役で叔父の保科正之(家光の異母兄弟)の進言により、天守閣の再建工事は中止となってしまいました。現存する天守台は中止前に加賀前田藩が築いたものです。江戸城の石垣はほとんどが伊豆半島・伊東付近の石を使用していますが、この天守台の石は前田藩がわざわざ瀬戸内海から運んだ石を使用しています。他に比べて白っぽく見えるのはそんな理由によります。